竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉雑記 色眼鏡 二七三 今週のみそひと歌を振り返る その九三

2018年06月30日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七三 今週のみそひと歌を振り返る その九三

 先週の後半から集歌2516の左注に「以前一百四十九首、柿本朝臣人麿之謌集出」と紹介される巻十一の柿本朝臣人麻呂歌集の歌群に突入しています。今回もその続きとなるものですし、それを前提として解釈したものです。
 古く、万葉集に載る柿本人麻呂歌集の歌の大半は無署名歌ですから、そこを唯一の便りとして本来の文学研究と云うものを放棄して「誰がその歌を詠ったのか、その根拠となる記述はどこにあるのか」と云う子供のような発言が流行っていました。そのような背景から柿本人麻呂歌集の歌は飛鳥浄御原宮から前期平城京時代の雑多な歌を、たぶん、柿本人麻呂が収集したのであろうとしていました。つまり、人麻呂歌集の歌と柿本人麻呂本人とは作歌活動では直接の関係は認められないと云う態度でした。古典的な和歌道を背景とし、記述された書籍・伝承や口伝を尊重した日本文学の王道的立場です。
 他方、国際的な科学的立場から文学研究を進めますと、無署名作品での表記スタイルの特徴や使う漢字・漢語などから人物像を探り、作品創作者を探し求めることへと展開します。このような研究進歩から昭和期の「どこにそれが書いてある」と云う読書感想文的な研究から平成期以降の国際的な文学研究批判に耐えるものとなり、柿本人麻呂歌集の大半は柿本人麻呂本人とその恋人との間で交わされた相聞歌が中心を占めると考えられるようになって来ています。この研究の弱みとしますと、平安時代最末期から鎌倉時代初期における書籍に根拠を持たないことですし、和歌道に由来を求めることが出来ません。つまり、どれほど古典書籍・古文書を漁っても記述が認められないと云うことです。

 さて、与太話はさておき、今週に鑑賞しました歌から次の歌をおさらいとして紹介します。

弊ブログでの鑑賞
集歌2444 白壇 石邊山 常石有 命哉 戀乍居
訓読 白真弓(しらまゆみ)石上(いそへ)し山し常磐(ときは)なる命なれやも恋ひつつ居らむ
私訳 私は白真弓の矢羽の羽易(はかい)の石上の山の常盤のような岩のような丈夫な命でしょうか。貴女を慕って苦しくも恋しています。

中西進氏の鑑賞
訓読 白真弓(しらまゆみ)石上(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命なれやも恋ひつつをらむ
意訳 白真弓を射る石辺の山の岩石のような命なら、こうして恋に苦しみつづけてもいられよう。

伊藤博氏の鑑賞
訓読 白真弓(しらまゆみ)石上(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命なれやも恋ひつつ居らむ
意訳 石辺の山の常盤、その常盤のような不変の命だとでもいうのか、そうでもないのに、私は逢うこともできずにいたずらに恋いつづけている。

 ここで、伝統では初句「白壇」は「石辺の山」の枕詞とし、二句目「石邊山」は所在が未詳ながらも滋賀県甲賀郡石部町(湖南市)の磯部山ではないかとします。ただ、近江国中には複数の候補地があるようです。中西進氏や伊藤博氏の鑑賞はこの伝統を踏まえたものですし、伝統の解釈は先に説明した柿本人麻呂歌集の無署名歌の扱いに従い柿本人麻呂個人の人生とは全く関係がないものとして鑑賞します。
 他方、近代解釈では柿本人麻呂歌集の歌は人麻呂ゆかりの歌と解釈しますから、必然、柿本人麻呂の人生と関連させて解釈しなければいけません。すると歌の二句目「石邊山」は「いそへやま」と訓じる可能性がありますから、柿本人麻呂ゆかりならば奈良県天理市の石上の山々の解釈も有り得ることになります。
 この石上の山々の可能性が有り得るのですと、石上神社の由来から物部氏との関連もまた必然です。このため、物部氏の祖である邇藝速日命が天羽(あまのは)の羽矢(はや)を神武天皇に見せた事由から、物部氏に因んで石上の山は「矢羽を交換」(=羽易)したことから羽易山とも云います。その石上の山々の別称である羽易山から「白壇(=白真弓)」の詞が使われたのではないでしょうか。そうした時、柿本一族の本拠は石上山の“辺(ほとり)”ですから、漢字の用字として「石上」ではなく「石邊」ではないでしょうか。総合しますと初句から三句目「白壇 石邊山 常石有」の表記は神武天皇の神話に繋がる物部氏の、その一族が祀る石上神社の神主となる柿本・布留一族の一員である柿本人麻呂であると云うことを隠した表現ではないでしょうか。歌を贈られた女性は大和神話や柿本人麻呂の一族の伝承を承知していますから、容易に歌意を掴めたと考えます。
 もう少し、集歌2442の歌では初句と二句目に「大土 採雖盡」との表現があります。

集歌2442 大土 採雖盡 世中 盡不得物 戀在
訓読 大地(おほつち)し取り尽(つく)さめど世し中し尽(つく)しえぬものし恋にしありけり
私訳 大きな山の土も採り尽くすことはあるでしょうが、この世の中で尽くしきれないものは貴女への恋でしょう。

 現代都会人では大仰な表現と感じるでしょうが、柿本人麻呂が生きていた時代の飛鳥に生きる人たちでは、それは日常で目にする光景です。
平安時代最末期から昭和時代までの万葉集の鑑賞では「藤原京」と云う存在はありません。現代では平城京や平安京よりも大きな京域を持ち、奈良三山で挟まれた大湿地帯を干拓して成した5㎞四方の広大な王都であったと確認されています。馬の腹までも泥がつくような湿地帯が立派な王都になったと万葉集の歌に詠うように周辺の丘陵を切り崩しての大干拓事業を行っていたのです。
 そのような数万の人びとを集めた力ずくの作業なら山や岡を切り崩し平な大地にすることは可能ですし、それは人麻呂やその恋人も日常に眺めていた光景です。集歌2442の歌はそのような大変な力ずくの状況であっても私の恋心は変わらないとの感情表現です。

 一見、何気ないようですが、柿本人麻呂歌集は柿本人麻呂の人生に関係するものとしますと、飛鳥浄御原宮から藤原京を経て前期平城京までの歴史を忘れることは出来ません。ただ、残念ながら平安時代最末期から昭和時代まで藤原京時代と云うものは存在しませんし、存在しませんから万葉集和歌鑑賞には反映されていません。そのため、柿本人麻呂全盛期や額田王晩期の歌の鑑賞では従来の伝統的鑑賞には歌が詠われた時代である藤原京時代と云うものは存在しなかったと云う前提条件を踏まえる必要があります。
 中世史になぞらえますと、室町時代から江戸時代に歴史は移行し、安土桃山時代は無かったことにして文化史を語ることに等しい態度です。昭和期までの古代文化史に斯様な欠点があることを頭の隅にでも置いて頂ければ幸いです。

 今回も独善と与太話ですが、専門家が為す古代史・文化史の解釈は無茶苦茶な面もあることを承知置き下さい。
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万葉雑記 色眼鏡 二七二 今週のみそひと歌を振り返る その九二

2018年06月23日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七二 今週のみそひと歌を振り返る その九二

 先週の後半から集歌2516の左注に「以前一百四十九首、柿本朝臣人麿之謌集出」と紹介される巻十一の柿本朝臣人麻呂歌集の歌群に突入しています。その続きとなるものです。

 今週に鑑賞しました歌は古くは略体歌、現在は詩体歌と原歌表記方法が区分されるものが多く含まれています。つまり、原歌が詩体歌と区分されるものですから歌の表記に「てにをは」となる助詞が含まれていませんから、歌の解釈は一義的には定まりません。歌の解釈は鑑賞者の鑑賞に従いますし、正解となる鑑賞も決めることが出来ません。そのため、鑑賞での訓じや読解の正解が求められる学校教育には、まったくもって不向きな歌と云うことになります。もし、人麻呂歌集の歌を教科書例題や入試問題などで扱っているとしますと、その採用者は万葉集と云う歌集の本質を理解していませんし、人麻呂歌集の歌の位置付けや鑑賞方法を知らない部外漢と云うことになります。
 参考として集歌2412の歌の訓じと解釈を弊ブログ、中西進氏、伊藤博氏の順に紹介しますと次のようになっています。

弊ブログの解釈
集歌2412 我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐
試訓 我妹子し恋ひ羨(と)もなかり夢し見し吾(われ)し思へど寝(い)ねしそあらず
試訳 美しい私の貴女よ、恋することが物足りないと思うことはありません。夢に貴女の姿を見ようと思うのですが、貴女が居ないのでここは寝る場所ではありません。
注意 歌は詩体歌のため難訓です。ここでは漢文的な解釈をしてみました。

中西進氏の解釈(万葉集 全訳注原文付 講談社文庫)
訓読 吾妹子に恋ひてすべなみ夢(いめ)見むとわれは思へど寝(い)ねらえなくに
意訳 吾妹子に恋して何のすべもなく、せめて夢にでも見ようと私は思うのだが、寝られないことよ。

伊藤博氏の解釈(萬葉集 釋注 集英社文庫)
訓読 我妹子に恋ひすべながり夢(いめ)に見むと我れは思へど寐(ゐ)寝(ね)らえなくに
意訳 あの子が恋しくてたまらず、せめて夢にだけでも見たいと、私としたことが願いに願うのだが、少しも寝つかれない。

 伝統で歌の二句目「無乏」は「すべなし」と訓じ、末句「不所寐」は「ゐねらえなくに」と訓じます。原歌表記をそのままに訓じているのではありません。平安最末期以降の鎌倉貴族たちが好んだ訓じが伝統として現代に採用されているだけです。末句は漢文的には「寝る所にあらず」ですから、直接表記からすれば「思いが込めて寝られない」と云う解釈は表記からは得られないと云うことになります。ただし、原歌表記には「てにをは」となる助詞が含まれていませんから、自由に「てにをは」となる助詞を補って解釈することに問題はありません。しかしながら、その分、解釈は揺らぎ、幅を持つことになります。
 もう一つ、集歌2416の歌に遊んでみます。紹介は同じように弊ブログ、中西進氏、伊藤博氏の順です。

弊ブログの解釈
集歌2416 千早振 神持在 命 誰為 長欲為
訓読 ちはやぶる神し持たせる命をば誰がためにかも長く欲(ほ)りせむ
私訳 岩戸を開いて現われた神が授けた(貴女の)命を、誰のために(=貴女自身の為だけでなく、恋する私の為にも)もっと長く久しくあって欲しいと願います。
注意 詩体歌のため、解釈が難しい歌です。三句目「命」は「私の命」でしょうか、「恋人の命」でしょうか。それにより四句目「誰為」の解釈が二つに広がります。

中西進氏の解釈(万葉集 全訳注原文付 講談社文庫)
訓読 ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
意訳 いち速ぶる神がお持ちのわが命を、誰のために長くありたいと願うことだろうか。

伊藤博氏の解釈(萬葉集 釋注 集英社文庫)
訓読 ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
意訳 恐ろしい神様が支配なさっている命、このままならぬ命を、どこのどなたのために、長くなどと思いましょうか。

 訓じについては三者ともに同じですが、歌の解釈は同じではありません。三句目の「命」の解釈が弊ブログでは「恋する貴女」、中西進氏は「私」、伊藤博氏は直接には示しませんが解説からしますと「私」です。単純に解釈すると「私」の命として、「お前のために長生きしたい」との意味合いから、伊藤氏が解釈するように「女性への押しつけ、甘えのような気配」を鑑賞することになります。一方、「恋する貴女」ですと、「貴女の長寿を願いますが、それは恋する貴女をずっと恋していたいから」と云う貴女のためであり、私のためでもあると云う解釈になります。斯様に伝統での解釈が正しいのかと云うと物足りない感情があります。
 同様に集歌2420の歌を紹介しますが、末句「隔有鴨」の解釈が伝統のままで良いのか、どうか、ご判断を願います。

弊ブログの解釈
集歌2420 月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨
訓読 月し見し国し同じし山(やま)し隔(へ)し愛(いとし)し妹し隔(へ)なりたるかも
私訳 月を見た。見る月からすると確かに住む国は一緒ですが、でも、山が隔てている。その隔てがあるように愛しい貴女との仲に障害があるようです。

中西進氏の解釈(万葉集 全訳注原文付 講談社文庫)
訓読 月見れば国は同じそ山隔(へな)り愛(うつく)し妹は隔(へな)りたるかも
意訳 月を見ると、国は同じであることよ。だのに山が隔っていとしい妻は逢いがたく隔っている。

伊藤博氏の解釈(萬葉集 釋注 集英社文庫)
訓読 月見れば国は同じぞ山へなり愛し妹はへなりあるかも
意訳 月を見れば、一つ月の照らす同じ国だ。なのに、山が遮って、いとしいあの子はその向こうに隔てられてしまっている。

 解釈において、両想いの仲を前提とするか、片思いでの恋とするかで末句「隔有鴨」の解釈が変わります。弊ブログは柿本人麻呂歌集の歌は人麻呂とその恋人である「隠れ妻」のと相聞恋歌が大半と考えています。これ背景に集歌2420の歌は人麻呂が穴師に住み、安倍の里に住むまだ幼い「隠れ妻」の許に贈った歌と考えています。この時、山は三輪山辺りの山ですが、その山並みが二人の間を隔てているのではなく、肝心の相手の感情や周囲の社会的環境が周知公認の恋仲に成るのを隔てていると鑑賞しています。このような鑑賞の背景がありますので、訓じが同じでも解釈は大きく異なることになります。

 今回、紹介しましたように弊ブログのものは独善的ではありますが、示しましたように原歌表記は同じでも訓じや解釈は異なる可能性があります。ご来場のお方が、個々にそれぞれの歌をただ与えられた通りだけで鑑賞するのではなく、色々な可能性で鑑賞して頂けたら、もっと、楽しく万葉集で遊べるのではないかと考えます。
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万葉雑記 色眼鏡 二七一 今週のみそひと歌を振り返る その九一

2018年06月16日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七一 今週のみそひと歌を振り返る その九一

 先週の後半から集歌2516の左注に「以前一百四十九首、柿本朝臣人麿之謌集出」と紹介される巻十一の柿本朝臣人麻呂歌集の歌群に突入しています。
 弊ブログの立場は柿本朝臣人麻呂歌集の歌であっても、それらは人麻呂自身の歌を中心に人麻呂に関わる人たちの歌を集めたものと考えています。旧来には「歌は無署名歌であるから作歌者は確認できない。だから、人麻呂が市中から採歌し、記録したとするのがよかろう」とする空気もありましたが、それは採用しません。
一方、人麻呂に関係する歌と思われるため、原歌表記で使われる漢字用法に独特なものがあります。つまり、一般的ではない漢字を使う場面や漢字による言葉遊びではないかと思われるものがあります。そのためか、弊ブログでは漢字による言葉遊びと捉えるものを、標準訓では訓じが難しい・相応しくないから誤記とし、新たに別な漢字を想定して校訂することもあります。
 また、弊ブログでは恋の場面を詠うものや相聞・問答歌は、人麻呂と恋人である俗称 隠れ妻との間で交わされたものと考えていますが、旧来の標準ではそのような関係性や特定性を考慮せず、一般的な相聞歌とし古今和歌集以降の和歌の鑑賞ルールに従って一首単独で鑑賞します。相聞・問答での複数の歌が関連を持つ歌として鑑賞するものと相聞歌と云う部立に含まれる和歌一首として鑑賞するものでは、その鑑賞態度も受ける感情も違うでしょう。
 弊ブログではこのような鑑賞への態度と解釈を下に柿本朝臣人麻呂歌集と称される歌群を鑑賞しています。

 復習のようなものとなりますが、原歌表記に対し標準解釈と相違がありそうな歌を紹介します。

言葉遊びと思われる表記を含む歌
集歌2388 立座 熊不知 雖唯念 妹不告 間使不来
訓読 立ちし坐(ゐ)し隈(くま)をも知らず思へども妹し告げねば間使(まつかひ)し来(こ)ず
私訳 立っていても座っていても恋する思いを隠すことなく貴女を慕っていても、貴女にそれを告げなくては、貴女から便りの使いが来ません。
注意 原歌の「熊不知」の「熊」は「隈」の当字として訓んでいます。一般に「熊」は「態」の誤字として「たどきも知らに」と訓みます。「熊不知」は若い男女の間での言葉遊びと思っています。

漢字の訓じに問題を含む歌
集歌2387 日促 人可知 今日 如千歳 有与鴨
訓読 日し促(せ)ばみ人知りぬべし今(いま)し日し千歳(ちとせ)し如くありこせぬかも
私訳 一日が速く短い。そのうちに人が貴方と私の仲を気づくでしょう。逢う今日の一日は千年の時のように長くならないでしょうか。
注意 原歌の「日促」の「促」を一般には「竝」の誤字とし「日竝」と表記し「日ならべば」と訓みます。ここでは原歌のままに訓んでいます。ただし、歌意は違います。

漢字解釈に問題を含む歌
集歌2393 玉桙 道不行為有者 惻隠 此有戀 不相
訓読 玉桙し道行かずあば惻(いた)隠(こ)もるかかる恋には逢はざらましを
私訳 美しい鉾を立てる官道を行って貴女に出会わなかったら、自分を哀れむ気持ちに包まれる、このような恋をすることもなかったでしょう。
注意 原歌の「惻隠」は伝統的に「ねもころ」と訓みますが、その理由は特には無いようです。ある種の伝統訓です。そのために「ねもころ」と訓む理由を求めることが一つの研究テーマになっています。ここでは、原歌の漢字の意味のままに訓んでいます。

相聞・問答での歌群として解釈するのが相応しい歌
集歌2390 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋ひしせし死(し)ぬせしものしあらませば我が身し千遍(ちたび)死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。
注意 隋唐の戀の指南書である「玉房秘訣」に「八淺二深、死往生還、右往左往」なる言葉があるそうです。

集歌2391 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)し夕(ゆふべ)見しものし今日(けふ)し朝(あした)し恋ふべきものを
私訳 美しい玉のような響きの声。昨日の夜に抱いた貴女の姿を思い出すと、後朝の別れの今日の朝にはもう恋しいものです。
注意 原歌の「玉響」は諸訓があり、「玉あへば」、「玉ゆらに」、「玉さかに」、「玉かぎる」等がありますが、ここでは「玉とよむ」と原歌のままに訓んでいます。

 ここで紹介したものは研究者が好む厳密的な議論からしますと、不定訓歌や難訓歌に分類する事が可能な歌です。ただ、弊ブログの立場・解釈は恋の場面を詠うものや相聞・問答歌は、人麻呂と恋人である俗称 隠れ妻との間で交わされたものとしますから、その流れの中で歌が生きてなければなりませんし、解釈が頓珍漢になってもいけません。人麻呂歌集の歌群として成立している必要があります。そこが、従来のいかようにも解釈してよいと云う一首単独鑑賞と校訂態度との相違があります。
 なお、私は正統な教育を受けていないため、「促」は「竝」の誤記と断言できるほどの漢字知識も伝書表記への書道鑑賞能力もありません。そういう者のたわごとであり、酔論であることを御笑納ください。単なる可能性だけです。
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万葉雑記 色眼鏡 二七〇 今週のみそひと歌を振り返る その九〇

2018年06月09日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七〇 今週のみそひと歌を振り返る その九〇

 今回は巻十一 巻頭に置かれた旋頭謌の中から次の歌を鑑賞します。紹介は標準的な解釈を先に紹介し、ついで、なぜ、この歌を取り上げたのかを説明します。

集歌2365 内日左須 宮道尓相之 人妻垢 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うちひさす宮道に逢ひし人妻ゆゑに玉の緒の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
解説:旋頭歌。「うちひさす」も「玉の緒の」も枕詞。「人妻姤」(原文)を「人妻ゆゑに」と訓むのがいいか否かは疑問のあるところ。あるいは「姤」に着目して「奥方ゆゑに」とした方がいいのかも。「宮に通う道で高貴な奥方らしき人に出合ったが、奥方故に恋い焦がれてはいけないと、思い悩んで寝付かれない夜が多い」という歌である。

 解説に紹介されるように三句目「人妻垢」について、西本願寺本万葉集では「垢」の表記ですが、[嘉:嘉暦伝承本][文:金沢文庫本][細:細井本]では「姤」の表記となっています。伝承本での大勢では「垢」の表記ですが、これでは訓じられないとして校本などでは「姤」の表記を採用します。
 この背景として同じ巻十一に次の歌があり、其の歌に「姤」の漢字があります。そして、「或本謌云」と云う解説の付いた類型歌扱いの歌が付属します。

集歌2486 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
或本謌云、血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓

 ここから、集歌2486の歌の末句「人子姤」は「人兒故尓」と同じと見なし、「人兒故尓」の訓じ「人の児ゆえに」を流用し「姤」を「ゆえに」と訓じます。
 一見、根拠がありそうですが、「姤」を「ゆえに」と訓じるものは漢語・漢字に由来しない訓じですから「伝統からの戯訓」扱いとなります。漢字を下にした訓じでも解釈でもありません。しかしながら、類型歌から集歌2486の歌の末句「人子姤」に訓じが得られましたから、転用して集歌2365の歌の三句目「人妻垢」を「人妻姤」と校訂しますと、「人妻ゆえに」と云う訓じが得られることになります。
 この「人妻垢」を「人妻姤」に校訂し「人妻ゆえに」と云う訓じる提案は、実に万葉集全歌に渡りその原歌表記を研究した成果と努力であると思います。ただし、その出発点は隋唐時代及びそれ以前の時代の漢語・漢字の音韻や意味に依存しない、類型歌からの見なしを出発点とする「伝統からの戯訓」だけです。もし、「或本謌云」と云うものが、平安時代に成立したと思われる二十巻本万葉集の最終編纂時点頃に付けられたものとしますと、飛鳥浄御原宮時代頃に詠われたと思われる集歌2486の歌と「或本謌云」の歌の内容が完全に一致するかは不明です。ちなみに弊ブログではそれぞれを次のように訓じ・解釈しています。

集歌2486 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
試訓 珍(うづ)し海浜辺(はまへ)し小松(こまつ)根し深み吾(あれ)恋ひわたる人し子(こ)し姤(よし)
私訳 近江の大津宮の貴い海の浜辺の小さな松の根でも深く根を張るように、深く深く私は貴女に恋をしています。私の想いが叶わない貴女ですが麗しい人です。
注意 原歌の「珍海」の「珍」は集歌4094の長歌に「宇豆奈比」を古語「珍(うず)なひ」と訓じるのを踏襲します。また「人子姤」の「姤」は康煕字典の解説「偶也、一曰好也」を採用します。さらに「人子」は自分の思うようにならない相手の意味合いで解釈します。婚姻して夫を持つ女性とは解釈していません。

或本謌云、血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓
訓読 茅渟(ちぬ)し海し潮干(しおひ)の小松ねもころに恋ひわたる人し子ゆゑに
私訳 茅渟の海の潮の干いた海岸の小松の根が這えるようにねんごろに慕いつづけましょう。私の想いのままにならない貴女ゆえに。

 弊ブログの訓じと解釈を示しましたが、可能性では「或本謌云」のものは類型歌になるかどうかも不明です。従いまして、「人子姤」と「人兒故尓」との訓じが一致することは保障されないのです。
 前提が崩れました。
 集歌2365の歌の三句目「人妻垢」を訓じを得る目的として無理に「人妻姤」と校訂する必要性はないことになります。すると、読解の基本に立ち戻り隋唐時代及びそれ以前の時代の漢語・漢字の音韻や意味を探る必要があるのです。こうした時、說文解字では「垢、濁也」と解説しますし、康煕字典では「姤,遇也。一曰好也」と解説します。そして音韻では共に同じ「kə̯u」です。
 漢字での掛詞と見なしますと、意味合いにおいて垢であり、姤でもあると云う可能性が出て来ます。濁には「にごす」だけでなく、「へばりつく」と云う意味合いもありますから、漢字での掛詞ですと、想いがへばりつく感情と好ましい感情とを垢の一字で代表させている可能性があります。なお、旋頭歌としての口調重視ですと「垢、濁也」から「にこり」と発声する可能性がありますから、発声からは「にこり(和り)=ほほえむ」との解釈も有り得ます。
 色々と言葉に遊びましたが、弊ブログでは口調を優先し「垢」を「にこり」と訓じ、意味合いを「ほほえむ」とします。ただ、漢字表記的には好ましい相手への思いがへばりつくと云う意味合いもあるとします。その特別な漢字文字の選字と考えます。本来なら一字一音の万葉仮名を交えることも可能ですがそれを敢えての「垢」一字の選字表記です。集団歌ともされる旋頭歌の採歌の時と万葉集の前となる古歌集に載せるまでの間に、宮中歌舞所などでの記録や古歌集編集時に表記への推敲があったのでしょうか。特殊な文字ですので考えさせられます。
 なお、弊ブログでの訓じと解釈は次の通りです。

集歌2365 内日左須 宮道尓相之 人妻垢 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うち日さす宮(みや)道(ぢ)に逢ひし人妻(ひとつま)にこり 玉し緒し念(おも)ひ乱れに寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多(おほ)き
私訳 大殿に日が輝き射す、その宮の道で逢った自分の思いのままにならない美しい娘がほほえむ。玉を貫く紐の緒が乱れるように心を乱して寝るそんな夜が多きことです。

 大仰な話となりましたが、やはり、結論はいつもの与太話であり、馬鹿話です。正統な歌の鑑賞は「垢」を「姤」に変えての「ゆえに」です。そうしたとき、特段、漢字に意味合いを求める必要はありません。
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万葉雑記 色眼鏡 二六九 今週のみそひと歌を振り返る その八九

2018年06月02日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六九 今週のみそひと歌を振り返る その八九

 今回は巻十 寄雪と寄夜の部立に載る歌から、その訓じに関して問題があると思われるものを紹介し、すこし、弊ブログの解釈を紹介しようと思います。
 最初に標準的な訓じとその解釈をヤフーブログ「ニキタマの万葉集」から紹介いたします。

集歌2338 霰落 板敢風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
訓読 霰降り いたく風吹き 寒き夜や 旗野に今夜 吾が独り寝む
意訳 あられが降り強い風が吹く寒い夜なのに、はて この旗野で、今夜は独り寝しなければならないのか

集歌2350 足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛
訓読 あしひきの 山のあらしは 吹かねども 君なき宵は かねて寒しも
意訳 山のあらしはまだ吹いてはいませんが、あなたの居ない夜は、本当にかねて思った以上に寒いですよ

 今回、弊ブログで問題視していますものは集歌2338の歌では二句目「板敢風吹」であり、集歌2350の歌でも二句目「山下風波」の訓じです。最初に紹介しました「ニキタマの万葉集」では標準訓から「板敢風吹」を「いたく風吹き」、「山下風波」を「山のあらしは」と訓じています。一般的にはこの標準訓について問題視する人は少ないのではないでしょう。
 一方、弊ブログでは次のようにそれぞれの歌に訓じを与えています。

集歌2338 霰落 板敢風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
試訓 霰(あられ)落(ふ)り塡(は)むこ風吹き寒き夜や旗野(はたの)に今夜(こよひ)吾(あ)が独り寝(ね)む
試訳 霰が降り、風が粗末な小屋の板の間から吹き込み寒い夜です。貴女が私の訪れを許してくれないと、この旗野で今夜は、私は独り野宿するのでしょう。

集歌2350 足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛
訓読 あしひきの山し下風(おろし)は吹かねども君なき夕(よひ)はかねて寒(さむ)しも
私訳 葦や桧の茂る山からの吹き降ろしの風は吹かないでしょうが、貴方のいらっしゃらない今宵は、きっと肌身に寒いことでしょう。

 集歌2338の歌は強いて云うと難訓歌に属するもので、原歌の「板敢風吹」の「敢」は、一般に「玖」の誤記として「いたく風吹き」と訓みます。ただし、板聞(イタモ)、板敢(サカヘ)、板暇(イタマ)等の別訓があります。つまり、西本願寺本万葉集の表記のままですと適切な訓じが得られない歌と云うことになります。対して、弊ブログは西本願寺本万葉集の表記を変更しないで訓じることを原則としていますので、その原則に従い試訓を考察します。その考察からは原歌表記を尊重して音韻での「敢」の反切上字が「古」であることから「板敢」を「はむこ=塡むこ」と訓み、意味としては板の隙間から強いて取り込むとします。板敢を「サカヘ」と訓じるものについては「サ+カへ」が漢字からの直読みと思われますが、板を「サ」と読む由来・根拠などを調べ切れていませんので、訓じの紹介に留めます。実に申し訳ありません。
 なお、「板敢風吹」は二句目ですので原則七音です。風吹を「カゼフキ」と訓じますと板敢は三音で訓じるという縛りがあります。試訓はこのような縛りを踏まえる必要と歌が歌である読解での意が通る必要があります。漢文的には「板に敢えて風が吹く」と云う意が汲み取れますし、歌全体には漢文調の感覚があります。
 次に集歌2350の二句目「山下風波」は伝統では嵐と云う漢字を分解して「山の下に風」とし、山下風は嵐と云う漢字への遊びとします。つまり、戯訓です。ところが、二句目ですから和歌としては七音でなければいけません。そこで「山下風波」を「山の嵐は」と訓じることになります。しかしながらこれですと、「山の下に風」とはなりません。ただ、「下に風」です。ここに弊ブログは異議を唱えます。確かに「山の下に風」として「嵐」と読むと面白いのですが、歌の表記と和歌の規則からはそのようには読めないのです。
では、どうしましょう。日本には天武天皇の新字と云う漢字があり、これが日本独特の漢字である国字の由来とされています。その国字に「下に風」と書いて「颪(おろし)」と読む山から吹き降ろす風を示す漢字があります。弊ブログでは歌がそのものに詠う「颪」の方を採用したいと考えています。「颪(おろし)」と云う漢字は嵐のような有名で頻度のある漢字ではありません。また、万葉集、古事記、日本書紀、続日本紀にも使われない漢字です。そのために従来の読解では「颪」が得られなかったのでしょう。ただ、今日ではWord IMF Pad手書き検索では瞬時に得られ、それをネット検索すると国字であるとの情報も瞬時に得られます。
ひどい世の中になったものです。

 おまけとして、
 原歌表記に対する訓じに問題は無いのですが、ままに原歌を訓じたとき、それで歌意があっているのかどうか、不安な歌を紹介します。最初に標準的な解釈を紹介し、最後に弊ブログでの解釈を示します。

集歌2344 梅花 其跡毛不所見 零雪之 市白兼名 間使遣者
標準 梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使(まつかひ)遣(や)らば
意訳 どれが梅の花なのか、見分けがつかないほど降る雪のように、目立って(あなたとの関係が人にわかって)しまうでしょうね、使いをあなたに遣ったならば。

 時代性として奈良時代の梅の花は現代で云う野梅系に分類される早咲きの白梅です。そこから万葉集の見なし技法でのお約束では梅の花びらが散る様を雪が舞う姿に見、逆に枝先に積もる雪を梅の花と見なします。
 ところが集歌2344の歌で、前半では梅の花を隠し、積もる雪と見間違うようにしっかりと雪が降る様を詠います。これはお約束の表現方法です。対して、後半では白雪が降る様に人ははっきりと(いちしろく)と比喩と縁語用法で、妻問いを予告する使者が人目につくでしょうねと詠います。およそ、前半部分と後半部分とがギクシャクするような比喩・見なし技法の用法です。
 すると、二句目「其跡毛不所見」の解釈が違うのでしょうか。標準的には見立て技法を前提に「見分けがつかない」の意味合いを重視しますが、それ故に歌の解釈がギクシャクするのでしょうか。すると、漢字表記通りに「どこにあるのか判らない」と解釈すべきなのでしょう。ある種、大雪のような雪の降り様を表現しているのかもしれません。

訓読 梅し花それとも見えず降(ふ)る雪しいちしろけむな間(ま)使(つかひ)遣(や)らば
私訳 梅の花が、それがどこにあるのか判らないほどに降る雪。その降る雪がはっきりと見えるように、きっと、人目に付くでしょうね。妻問いの使いを貴女の許に送ると。


 一般に紹介される標準訓とは違う、ある種、言い掛かりのような弊ブログの解釈を紹介しました。正統な学問からしますと与太話ですので、それを前提でお願いします。
 すこし、弊ブログの舞台裏を紹介しましたが、集歌2344の歌のような訓じが同じで解釈が違う場合は特段にそのような事情を紹介せずに「私訳」を載せています。時に標準解釈と違うものがあるのはこのような事情です。よろしく、ご配慮ください。
コメント
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