万葉雑記 色眼鏡 二一六 今週のみそひと歌を振り返る その三六
さて、この月は七夕の月でしょうか、満月の月でしょうか。なお、弊ブログでは集歌980から集歌987の歌までを一つの宴会で歌われた歌として鑑賞しています。この鑑賞態度はまったくに標準でのものと違いますので、注意をお願いします。
安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。
豊前娘子月謌一首 娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首 娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
さて、以前にこの歌群を参考資料として取り上げ、宴会に招かれた藤原八束がなかなかやって来ないとの酔論を展開しました。つまり、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。
このような酔論はさておき、歌で歌われる月は満月でしょうか、それとも七夕の夜の三日月でしょうか。発想として、これらを組歌としますと月を主人公とする夜の宴会です。この点を強調しますと、観月祭か、七夕であろうという実にベタなものです。ただ、夕方以降に山から昇る月ですから満月でしょうか、およそ、七夕の月齢七日の月ではありません。
万葉集では月に関係して「左佐良榎牡子」と「月人乎登古」との言葉があり、「月人乎登古」は集歌 3611の標題に示すように「七夕」の月に関係するものです。また集歌2051の「月人壮子」もまた歌が示す三日月のイメージから「七夕」の月に関係するものです。
一方、「左佐良榎牡子」は満月のイメージがありますから、言葉に使い分けがあった可能性があります。この「左佐良榎牡子(ささら+え+をとこ)」や「ささらなみ」の「ささら」は古語では「細かい・小さい」と解釈しますが、場合によっては「きらきら輝く」とも解釈が可能ではないかと考えています。一般には「細かい・小さい」から「左佐良榎牡子」は「華奢な男」をイメージし、そこから三日月を引出します。ではそれで集歌981の歌と集歌983の歌とが同じ場で歌われたとしますと、坂上郎女は実際の月を見ることなく想像で詠ったとなければ月の出と月齢が合いません。文学に理屈は不要とすれば、それまでですが、集歌981の月は遅い月ですが、夜半に昇る月ではありません。つまり、三日月ではありません。
以前、「今週のみそひと歌を振り返る その二五」でも遊びましたが、志貴皇子の御子である湯原王が高円山の別荘で開いた観月で歌を詠う宴会に安倍蟲麿、大伴坂上郎女、豊前娘子たちを呼びましたが、藤原八束が夕刻の空模様でなかなかやって来なかった場面を詠ったものかもしれません。
その雲の晴れ行く待ち時間とやって来ない藤原八束とをテーマにバカ話をし、それを歌にしたのでしょうか。私は低俗ですから大人の男女関係のバカ話が好きで、時に、集歌984の歌は八束が贔屓にしている豊前娘子をわざわざ同席させているのに、その八束が来ないのは「お前さん、身ごもって、宴会の後のHが出来ないから、それでご贔屓の八束が来ないのじゃないの」とからかっていたかもしれません。若い娘が恋人に「月が無い」と発言しますと、ちょっとした重大事件です。八束が来るまでそのようにからかわれていますと、「無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲りする」と詠って、「私、八束の愛人よ」って皆の前で詠って八束に仕返ししても不思議ではありません。
万葉集ではこのように遊ぶことが出来ます。
改めて、今回、取り上げましたものを、私訳を付けて再掲します。
安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。
大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)
集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
私訳 漆黒の夜に霧が立ったから、ぼんやりと霧に姿を示す満月の月夜は眺めると切ない。
集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
私訳 山の稜線に「ささらえ男子」が天の原の路を渡っていく、その印のような光を眺めることは気持ちが良いことです。
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。
豊前娘子月謌一首 娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首 娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
私訳 雲に隠れ、その行方が判らないと私が心配する、その満月の月を、貴方は見たいとお望みになる。
注意 若い女性の「月」には別に「妊娠のきざし」という比喩もあり、「月を見た」のなら妊娠していないことになります。
湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読壮士(=遅れってやって来た藤原八束)よ、進物を以って祈願をしよう。満月の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。
集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む恋人がやって来たかのようにおほ伸びに(=大きく背伸びして)眺める。その言葉のひびきではないが、おほのびに(=甚だ間延びしたように)月が照って来た。(=藤原八束が遅れってやって来た)
藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 待ちきれないと私が思った月は、雨に恋人が著ける御笠のような、その三笠山に隠れてしまっている。
さて、この月は七夕の月でしょうか、満月の月でしょうか。なお、弊ブログでは集歌980から集歌987の歌までを一つの宴会で歌われた歌として鑑賞しています。この鑑賞態度はまったくに標準でのものと違いますので、注意をお願いします。
安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。
豊前娘子月謌一首 娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首 娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
さて、以前にこの歌群を参考資料として取り上げ、宴会に招かれた藤原八束がなかなかやって来ないとの酔論を展開しました。つまり、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。
このような酔論はさておき、歌で歌われる月は満月でしょうか、それとも七夕の夜の三日月でしょうか。発想として、これらを組歌としますと月を主人公とする夜の宴会です。この点を強調しますと、観月祭か、七夕であろうという実にベタなものです。ただ、夕方以降に山から昇る月ですから満月でしょうか、およそ、七夕の月齢七日の月ではありません。
万葉集では月に関係して「左佐良榎牡子」と「月人乎登古」との言葉があり、「月人乎登古」は集歌 3611の標題に示すように「七夕」の月に関係するものです。また集歌2051の「月人壮子」もまた歌が示す三日月のイメージから「七夕」の月に関係するものです。
一方、「左佐良榎牡子」は満月のイメージがありますから、言葉に使い分けがあった可能性があります。この「左佐良榎牡子(ささら+え+をとこ)」や「ささらなみ」の「ささら」は古語では「細かい・小さい」と解釈しますが、場合によっては「きらきら輝く」とも解釈が可能ではないかと考えています。一般には「細かい・小さい」から「左佐良榎牡子」は「華奢な男」をイメージし、そこから三日月を引出します。ではそれで集歌981の歌と集歌983の歌とが同じ場で歌われたとしますと、坂上郎女は実際の月を見ることなく想像で詠ったとなければ月の出と月齢が合いません。文学に理屈は不要とすれば、それまでですが、集歌981の月は遅い月ですが、夜半に昇る月ではありません。つまり、三日月ではありません。
以前、「今週のみそひと歌を振り返る その二五」でも遊びましたが、志貴皇子の御子である湯原王が高円山の別荘で開いた観月で歌を詠う宴会に安倍蟲麿、大伴坂上郎女、豊前娘子たちを呼びましたが、藤原八束が夕刻の空模様でなかなかやって来なかった場面を詠ったものかもしれません。
その雲の晴れ行く待ち時間とやって来ない藤原八束とをテーマにバカ話をし、それを歌にしたのでしょうか。私は低俗ですから大人の男女関係のバカ話が好きで、時に、集歌984の歌は八束が贔屓にしている豊前娘子をわざわざ同席させているのに、その八束が来ないのは「お前さん、身ごもって、宴会の後のHが出来ないから、それでご贔屓の八束が来ないのじゃないの」とからかっていたかもしれません。若い娘が恋人に「月が無い」と発言しますと、ちょっとした重大事件です。八束が来るまでそのようにからかわれていますと、「無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲りする」と詠って、「私、八束の愛人よ」って皆の前で詠って八束に仕返ししても不思議ではありません。
万葉集ではこのように遊ぶことが出来ます。
改めて、今回、取り上げましたものを、私訳を付けて再掲します。
安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。
大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)
集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
私訳 漆黒の夜に霧が立ったから、ぼんやりと霧に姿を示す満月の月夜は眺めると切ない。
集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
私訳 山の稜線に「ささらえ男子」が天の原の路を渡っていく、その印のような光を眺めることは気持ちが良いことです。
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。
豊前娘子月謌一首 娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首 娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
私訳 雲に隠れ、その行方が判らないと私が心配する、その満月の月を、貴方は見たいとお望みになる。
注意 若い女性の「月」には別に「妊娠のきざし」という比喩もあり、「月を見た」のなら妊娠していないことになります。
湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読壮士(=遅れってやって来た藤原八束)よ、進物を以って祈願をしよう。満月の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。
集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む恋人がやって来たかのようにおほ伸びに(=大きく背伸びして)眺める。その言葉のひびきではないが、おほのびに(=甚だ間延びしたように)月が照って来た。(=藤原八束が遅れってやって来た)
藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 待ちきれないと私が思った月は、雨に恋人が著ける御笠のような、その三笠山に隠れてしまっている。