竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

再読、今日のみそひと歌 水

2017年05月31日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 水

集歌1014 前日毛 昨日毛今日毛 雖見 明日左倍見巻 欲寸君香聞
訓読 前日(をとつひ)も昨日(きのふ)も今日(けふ)も見つれども明日(あす)さへ見まく欲(ほ)しきかも
私訳 一昨日も昨日も今日も見ているのに、その上に明日までも見たいほどですよ。貴方の屋敷は立派ですよ。

集歌1015 玉敷而 待益欲利者 多鷄蘇香仁 来有今夜四 樂念
訓読 玉敷きに待たましよりはたけそかに来(きた)る今夜し楽しくそ念(も)ゆ
私訳 事前に連絡して来客の到来に珠を敷かさせて主人を待たさすような改まった宴よりは、連絡もなしにだしぬけに訪問する夜の方が楽しいと思われます。

集歌1016 海原之 遠渡乎 遊士之 遊乎将見登 莫津左比曽来之
訓読 海原(うなはら)し遠き渡(わたり)を遊士(みやびを)し遊ぶを見むとなづさひぞ来(こ)し
私訳 海原の遠い航海ですが、風流な人がその風流を楽しんでいるのに参加しようと、この湊に苦労してやって来ました。

集歌1017 木綿疊 手向乃山乎 今日超而 何野邊尓 廬将為子等
訓読 木綿(ゆふ)畳(たたみ)手向(たむけ)の山を今日(けふ)越えにいづれの野辺(のへ)に廬(いほり)せむ子ら
私訳 木綿の幣を重ねて神を祝う山を、今日越えて行くのに、どこの野辺に仮寝をするのでしょうか。あの人たちは。

集歌1018 白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意
訓読 白珠は人に知らそす知らずともよし 知らずとも吾し知れらば知らずともよし
私訳 海の底の真珠は人には見つけられない。見つけられなくとも良い。人が見つけられなくても、私が海の底に真珠があることを知っていれば、人が見つけられなくても良い。

コメント

再読、今日のみそひと歌 火

2017年05月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 火

集歌1009 橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹
訓読 橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)し樹
私訳 橘の木は実までも、花までも、その葉までも、枝に霜が降りることがあっても、決して色変わることがない常に緑の葉を保つ樹です。

集歌1010 奥山之 真木葉凌 零雪乃 零者雖益 地尓落目八方
訓読 奥山(おくやま)し真木(まき)し葉(は)凌(しの)ぎ降る雪の降りは益(ま)すとも地(つち)に落ちめやも
私訳 奥山の立派な木の、その葉を押え付けるように雪が降り積雪を増しても、橘が地に押し潰されることがあるでしょうか。

集歌1011 我屋戸之 梅咲有跡 告遣者 来云似有 散去十方吉
訓読 我が屋戸(やど)し梅咲きたりと告げ遣(や)らば来(こ)と云ふに似たり散りぬともよし
私訳 私の家に梅の花が咲いたと告げて使いを遣ったならば、私の家に御出で下さいと云うことと同じです。花が散ってしまっていても良い。

集歌1012 春去者 乎呼理尓乎呼里 鴬之 鳴吾嶋曽 不息通為
訓読 春さればををりにををり鴬し鳴く吾(あ)が山斎(しま)ぞ息(やま)ず通はせ
私訳 春がやって来ると、枝が撓みに撓むほどに梅に花が咲き鶯が鳴く。それは、私の家の庭です、欠かさずにやって来てください。

集歌1013 豫 公来座武跡 知麻世婆 門尓屋戸尓毛 珠敷益乎
訓読 あらかじめ公(きみ)来(き)まさむと知らませば門(かど)に屋戸(やと)にも珠敷かましを
私訳 前もって貴方がおいでだと知っていたら、貴方のお迎えのために門にも屋敷にも珠を敷くように飾り立てましたのに。出迎えの装いが無く、申し訳ありません。

コメント

再読、今日のみそひと歌 月

2017年05月29日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 月

集歌1003 海感嬬 玉求良之 奥浪 恐海尓 船出為利所見 (感は、女+感)
訓読 海娘子(あまをとめ)玉求むらし沖つ浪(なみ)恐(かしこ)き海に船(ふな)出(で)せりそ見ゆ
私訳 漁師の娘女が真珠を取っているらしい。沖浪が恐ろしい、その海に船出しているのが見える。

集歌1004 不所念 来座君乎 左保河乃 河蝦不令聞 還都流香聞
訓読 念(おも)ひそす来(き)ましし君を佐保川(さほがわ)のかはづ聞かせず帰しつるかも
私訳 思いがけずにいらしゃった御方を、佐保川の蛙が鳴く声をお聞かせせずにお帰ししたことです。

集歌1006 自神代 芳野宮尓 蟻通 高所知者 山河乎吉三
訓読 神代(かむよ)より芳野し宮にあり通ひ高(たか)そ知(し)らるは山川をよみ
私訳 神代から吉野の宮に通い続け天まで統治を為されるのは、この山や川が清らかであるかです。

集歌1007 言不問 木尚妹與兄 有云乎 直獨子尓 有之苦者
訓読 言(こと)問(と)はぬ木(き)すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ独り子にあるが苦しさ
私訳 神に願を懸けない木ですら妻と夫があると云うのに、ただ、(恋を得られずに)独り身であるが辛いことです。

集歌1008 山之葉尓 不知世經月乃 将出香常 我待君之 夜者更降管
訓読 山し端(は)にいさよふ月の出でむかと我が待つ君し夜はさ降(ふ)りつつ
私訳 山の稜線にいざよっている月がもう出てくるかと、期待して私は待つ。その期待して待つ貴方は(でも、まだ、御出でにならない。)もう、夜は一層に更けていきますよ。

コメント

万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3245

2017年05月28日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3245

集歌3245 天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之早物

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見(つくよみ)の 持てるをち水(みづ) い取り来て 君(きみ)に奉(まつ)りて をち得てしかも
標準 天に上る梯子でももっと長かったらなあ。天に上る高い山もいっそう高かったらなあ。そこに上り、月の神の持っている若返りの水、その水をこの手に取って来て、我が君に奉って若返りたいものだ。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読(つくよみ)の 持てる変若水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉(まつ)りて 変若(をち)得しはも
私訳 天上への橋も長くあってほしい。高い山もより高くあってほしい。そして、月の神が持っている若返りの水を取って来て、貴方にさし上げて、若返っていただきたい。

コメント

万葉雑記 色眼鏡 二一六 今週のみそひと歌を振り返る その三六

2017年05月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二一六 今週のみそひと歌を振り返る その三六

 さて、この月は七夕の月でしょうか、満月の月でしょうか。なお、弊ブログでは集歌980から集歌987の歌までを一つの宴会で歌われた歌として鑑賞しています。この鑑賞態度はまったくに標準でのものと違いますので、注意をお願いします。

安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ

大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ

集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ

集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。

豊前娘子月謌一首  娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首  娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする

湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ

集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる

藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり


 さて、以前にこの歌群を参考資料として取り上げ、宴会に招かれた藤原八束がなかなかやって来ないとの酔論を展開しました。つまり、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。
 このような酔論はさておき、歌で歌われる月は満月でしょうか、それとも七夕の夜の三日月でしょうか。発想として、これらを組歌としますと月を主人公とする夜の宴会です。この点を強調しますと、観月祭か、七夕であろうという実にベタなものです。ただ、夕方以降に山から昇る月ですから満月でしょうか、およそ、七夕の月齢七日の月ではありません。
 万葉集では月に関係して「左佐良榎牡子」と「月人乎登古」との言葉があり、「月人乎登古」は集歌 3611の標題に示すように「七夕」の月に関係するものです。また集歌2051の「月人壮子」もまた歌が示す三日月のイメージから「七夕」の月に関係するものです。
 一方、「左佐良榎牡子」は満月のイメージがありますから、言葉に使い分けがあった可能性があります。この「左佐良榎牡子(ささら+え+をとこ)」や「ささらなみ」の「ささら」は古語では「細かい・小さい」と解釈しますが、場合によっては「きらきら輝く」とも解釈が可能ではないかと考えています。一般には「細かい・小さい」から「左佐良榎牡子」は「華奢な男」をイメージし、そこから三日月を引出します。ではそれで集歌981の歌と集歌983の歌とが同じ場で歌われたとしますと、坂上郎女は実際の月を見ることなく想像で詠ったとなければ月の出と月齢が合いません。文学に理屈は不要とすれば、それまでですが、集歌981の月は遅い月ですが、夜半に昇る月ではありません。つまり、三日月ではありません。

 以前、「今週のみそひと歌を振り返る その二五」でも遊びましたが、志貴皇子の御子である湯原王が高円山の別荘で開いた観月で歌を詠う宴会に安倍蟲麿、大伴坂上郎女、豊前娘子たちを呼びましたが、藤原八束が夕刻の空模様でなかなかやって来なかった場面を詠ったものかもしれません。
 その雲の晴れ行く待ち時間とやって来ない藤原八束とをテーマにバカ話をし、それを歌にしたのでしょうか。私は低俗ですから大人の男女関係のバカ話が好きで、時に、集歌984の歌は八束が贔屓にしている豊前娘子をわざわざ同席させているのに、その八束が来ないのは「お前さん、身ごもって、宴会の後のHが出来ないから、それでご贔屓の八束が来ないのじゃないの」とからかっていたかもしれません。若い娘が恋人に「月が無い」と発言しますと、ちょっとした重大事件です。八束が来るまでそのようにからかわれていますと、「無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲りする」と詠って、「私、八束の愛人よ」って皆の前で詠って八束に仕返ししても不思議ではありません。

 万葉集ではこのように遊ぶことが出来ます。
 改めて、今回、取り上げましたものを、私訳を付けて再掲します。

安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌980 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。

大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌981 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)

集歌982 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
私訳 漆黒の夜に霧が立ったから、ぼんやりと霧に姿を示す満月の月夜は眺めると切ない。

集歌983 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(た)る光見らくしよしも
私訳 山の稜線に「ささらえ男子」が天の原の路を渡っていく、その印のような光を眺めることは気持ちが良いことです。
右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。

豊前娘子月謌一首  娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首  娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌984 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
私訳 雲に隠れ、その行方が判らないと私が心配する、その満月の月を、貴方は見たいとお望みになる。
注意 若い女性の「月」には別に「妊娠のきざし」という比喩もあり、「月を見た」のなら妊娠していないことになります。

湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読壮士(=遅れってやって来た藤原八束)よ、進物を以って祈願をしよう。満月の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。

集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む恋人がやって来たかのようにおほ伸びに(=大きく背伸びして)眺める。その言葉のひびきではないが、おほのびに(=甚だ間延びしたように)月が照って来た。(=藤原八束が遅れってやって来た)

藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 待ちきれないと私が思った月は、雨に恋人が著ける御笠のような、その三笠山に隠れてしまっている。

コメント