竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3886

2018年09月30日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3886

集歌3886 忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 若知事乎 謌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼毛 令受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖立 置勿尓到雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作龜乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩漆給 時賞毛 〃〃〃

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 おしてるや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしかに)を 大君召すと 何せむに 我(わ)を召すらめや 明(あきら)けく 我が知ることを 歌人(うたひと)と 我を召すらめや 笛吹(ふえふき)きと 我を召すらめや 琴弾(ことひき)きと 我を召すらめや かもかくも 命(みこと)受(う)けむと 今日今日と 飛鳥に至り 立つれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだし懸(か)くもの 牛にこそ 鼻(はな)縄(なは)はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ 天照るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 唐臼(からうす)に搗き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗き おしてるや 難波の小江(をえ)の 初垂(はつたり)を からく垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩(しほ)塗(ぬ)りたまふ 腊(きた)ひはやすも 腊ひはやすも
意訳 おしてるや難波入江の葦原に、廬を作って潜んでいる、この葦蟹めをば大君がお召しとのこと、どうして私なんかをお召しになるのか、そんなはずはないと私にははっきりわかっていることなんだけど・・・、ひょっとして、歌人にとお召しになるものか、笛吹きにとお召しになるものか、琴弾きにとお召しになるものか、そのどれでもなかろうが、でもまあ、お召しは受けようと、今日か明日かの飛鳥に着き、立てても横には置くなの置勿に辿り着き、杖を突かねど辿りつくの都久野にやって来、さて東の中の御門から参上して仰せを承ると、何と、馬になら絆を懸けて当たり前、牛になら鼻綱をつけて当たり前、なのに蟹のこの私を紐で縛りつけてからに、傍の端山の楡の皮を五百枚も剥いで吊し、日増しにこってりお天道様で干し上げ、韓渡りの臼で荒搗きし、庭の手臼で粉々に搗き、片や、事もあろうに、我が故郷難波入江の塩の初垂り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶部の人の焼いた瓶を、今日一走りして明日には早くも持ち帰り、そいつに入れた辛塩を私の目にまで塗りこんで下さって、乾物に仕上げて舌鼓なさるよ、舌鼓なさるよ。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 おし照るや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしかに)を 王(おほきみ)召すと 何せむに 我(わ)を召すらめや 明(あきら)けく もし知ることを 歌人(うたひと)と 我を召すらめや 笛吹(ふえふき)きと 我を召すらめや 琴弾(ことひき)きと 我を召すらめや かもかくも 受(う)けせしむと 今日今日と 飛鳥に至り 立てれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻(はな)縄(なは)はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ 天照るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 唐臼(からうす)に搗き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗き おしてるや 難波の小江(をえ)の 初垂りを からく垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩漆(ぬ)りたまふ ときにはやすも ときにはやすも
私訳 照り輝く難波の入り江、小屋を作って隠れている葦蟹を君が召されるという。どうして私を召されるはずがあろう。はっきりと、もし、君が召していると知らされたことが「詩を歌う人として私を召されるのでしょうか、笛を吹く人として私を召されるのでしょうか、琴を弾く人として私を召されるのでしょうか」と想い、とにもかくにも御命令をお受けしようと、今日の今日と急いで飛鳥に至って、立っているのに「置くな」と云われる「置勿」に至って、杖をつかないのに「都久野」に至り、東の中の御門から参り入って来て、御命令を受け取ると、馬にこそ絆は掛けるもの、牛にこそ鼻縄はつけるものだのに、足を引くような険しいこの片山のもむ楡の皮を五百枝に剥いで糸にして垂らし、空に照る日に毎日干して、囀るような唐臼で搗き、庭に据え置いた手臼で搗き、照り輝く難波の入り江の、塩付けの最初の雫くが辛く垂れて来て、陶器人が作る瓶を今日行って、明日に取り持って来て、私の目に塩をお塗りになられた。そのときは誉めてください。誉めてください。
左注 右謌一首為蟹述痛作之也
注訓 右の謌一首は、蟹の為に痛みを述べてこれを作れり。
注意 原歌では「王召跡」と、律令時代に相応しく慎重な選字がなされています。「王」には朝廷の大君と云う意味合いはありません。当時では大和系だけでなく、半島系の人びとも「王」と云う尊称に含まれ、その所属の特定が困難です。
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万葉雑記 色眼鏡 二八六 今週のみそひと歌を振り返る その一〇六

2018年09月29日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二八六 今週のみそひと歌を振り返る その一〇六

 今週の対象範囲は集歌2752の歌から集歌2776の歌までで、歌は巻十一に「寄物陳思歌」と部立されたものです。
 大きなくくりは「寄物陳思歌」となるだけで、他に区分するような小部立はありません。こうしたとき、萬葉集釋注で伊藤博氏は集歌2754の歌から集歌2777の歌までを恋歌二十四首とし、四つに区分されています。「イ」が集歌2254の歌から集歌2760の歌まで七首、「ロ」が集歌2761の歌から集歌2766の歌まで六首、「ハ」が集歌2767の歌から集歌2770の歌まで四首、「ニ」が集歌2771の歌から集歌2777の歌まで七首です。そして、歌で歌われる地名などに注目してこれらの歌々は四つの古い歌資料に採歌の歴史を辿れるのではないかとします。
 それとも単純にこれらの歌々は「寄物陳思歌」に分類されるように、歌に地名や季節というものよりも「物」を読み込んだだけのものでしょうか。参考として集歌2760の歌から集歌2770の歌までを載せます。

集歌2760 足桧之 山澤徊具乎 採将去 日谷毛相将 母者責十方
訓読 あしひきし山(やま)沢(さわ)ゑぐを摘みし行かむ日だにも逢はせ母は責(せ)むとも
私訳 葦や桧の生える山の沢に生えるえぐを摘みに行く日だけでも逢って下さい。母が二人の仲を責めたとしても。
物名 山澤徊具

集歌2761 奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者
訓読 奥山し石(いは)本(もと)菅(すげ)の根深くもそ思ゆるかも吾(あ)が念妻(おもひつま)は
私訳 奥山の岩陰に生える菅の根が深いように、心深く恋募るでしょう。私の心の妻よ。
物名 石本菅

集歌2762 蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名
訓読 葦垣(あしかき)し中し似兒草(にこくさ)にこやかし我(われ)と笑(ゑ)ましに人にそ知らゆな
私訳 葦垣の中に生えるにこ草。その言葉のひびきではないが、にこやかに私だけに微笑んで、人に決して気付かれないでください。
物名 中之似兒草

集歌2763 紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
訓読 紅(くれなゐ)し浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)の束(つか)し間(あひだ)も吾(わ)し忘らすな
私訳 黄葉の紅がまだ浅い、その言葉ではないが、浅葉の野辺で刈る草の束、その束の間も私のことを忘れないでください。
物名 苅草

集歌2764 為妹 壽遺在 苅薦之 思乱而 應死物乎
訓読 妹しため命(いのち)遺(のこ)せり刈(かり)薦(こも)し思ひ乱れに死ぬべきものを
私訳 愛しい貴女のためにこの世に命を残しています。刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。
物名 苅薦

集歌2765 吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋つつあらずは刈(かり)薦(こも)し思ひ乱れに死ぬべきものを
私訳 私の愛しい貴女をこのように抱き伏せ「愛の営み」が続けられないのなら、刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。
物名 苅薦

集歌2766 三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来
訓読 三島江(みしまえ)し入江し薦(こも)を刈りにこそ吾(われ)をば公(きみ)は念(おも)ひたりけれ
私訳 三島江にある入り江の薦を刈る、その言葉のひびきではないが、かりそめだからこそ、その三嶋の入江に住む私だからと貴方は想いを寄せたのですね。
物名 入江之薦

集歌2767 足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 八目難為名
訓読 あしひきの山橘し色し出(で)に吾(われ)は恋なむを止(や)め難(かて)しすな
私訳 足を引きずるような険しい山の山橘のように、はっきりと色に出して、私はお前を抱こうとしているが、お前はそれを躊躇している。
物名 山橘

集歌2768 葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨
訓読 葦(あし)鶴(たづ)の騒く入江の白菅(しらすげ)の知らせむためと乞痛(こふた)かるかも
私訳 蘆辺の鶴が鳴き騒ぐ入り江の白菅、その言葉のひびきではないが、私が貴女に近づくのを貴女に知らせる(=気づかせる)ためと人は囃し立てる。
物名 白菅

集歌2769 吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如
訓読 吾が背子に吾(あ)が恋ふらくは夏草し刈り除(そ)くれども生(お)ひ及(し)く如(ご)くし
私訳 私の大切な貴方に私が恋い焦がれるのは、まるで、夏草を刈り取り除いてもまたすぐに生え茂るようなものです。
物名 夏草

集歌2770 道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待
訓読 道し辺(へ)のいつ柴原(しばはら)のいつもいつも人し許さむ言(こと)をし待たむ
私訳 道のほとりの厳柴の原、その言葉のひびきではないが、いつかは、いつかはと、その娘が私の想いを許す。その言葉を口に出し神に誓う時を待ちましょう。
物名 五柴原

 弊ブログの立場は、物名を詠い込んだ「寄物陳思歌」であり、採歌先が四つの古い資料とまでは考えていません。資料があったとしても宮中などで行われた室内での歌垣のような歌会で詠われたものを歌所のようなところで記録したものからの採歌と想像します。
 そのためか、物名によっては集歌2771の歌と集歌2772の歌のように「真野の小菅」という似たテーマでは歌垣歌の様相を示すのだろうと考えます。

集歌2771 吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有
訓読 吾妹子(わぎもこ)し袖を頼みに真野(まの)浦(うら)し小菅(こすげ)の笠を着ずに来(き)にけり
私訳 (濡れた体を包んで貰えるとばかりに、)愛しい恋人の袖を頼りとして、真野の浦で採れる小菅で編んだ笠を着けないままでやって来ました。貴方は。

集歌2772 真野池之 小菅乎笠尓 不縫為 人之遠名乎 可立物可
訓読 真野(まの)池(いけ)し小菅(こすげ)を笠に縫はずして人し遠名(とほな)を立つべきものか
私訳 真野にある池の小菅を笠に縫うこともせず(=真野の生娘を抱き、女へと変えることもしていないのに、)そんな男の浮名をはやし立てることがあるでしょうか。

 万葉集の歌々を一首単独で鑑賞する他、ここでのように大きな塊として鑑賞対象としますと、斯様に色々な妄想を持つことが可能です。
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再読、今日のみそひと謌 金

2018年09月28日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 金

集歌2772 真野池之 小菅乎笠尓 不縫為 人之遠名乎 可立物可
訓読 真野(まの)池(いけ)し小菅(こすげ)を笠に縫はずして人し遠名(とほな)を立つべきものか
私訳 真野にある池の小菅を笠に縫うこともせず(=真野の生娘を抱き、女へと変えることもしていないのに、)そんな男の浮名をはやし立てることがあるでしょうか。

集歌2773 刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方
訓読 さす竹し葉(は)隠(かく)りあれし吾(あ)が背子し吾(あ)がりし来(こ)ずは吾(あ)れ恋めやも
私訳 伸びて天を刺す竹の子の、その葉が巻き隠れているように、貴方は姿を見せずいる。私の愛しい貴方が私の許を訪ねて来ないのから、私はこのように恋い焦がれてしまいます。

集歌2774 神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口
訓読 神南備(かむなび)の浅(あさ)小竹原(しのはら)のうるはしみ妾(わ)が思ふ公(きみ)し声ししるけく
私訳 神が宿る浅小竹の生える野のように、好ましい、その私が慕う貴方の声がはっきりと聞こえて来る。

集歌2775 山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得
訓読 山高み谷(たに)辺(へ)し延(は)へる玉(たま)葛(かづら)絶ゆる時なく見むよしもがも
私訳 山が高い、その深山の谷のあたりに蔓を伸ばす美しい藤蘰の蔓が切れることがないように、絶えず会う機会があって欲しい。

集歌2776 道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞
訓読 道し辺(へ)し草し冬野(ふゆの)に履(ふ)み枯らし吾(あ)れ立ち待つと妹し告(つ)げこそ
私訳 道端の草を冬の野の草のように踏み枯らし、私がその野辺で立って待っていると、愛しいその娘に告げて欲しい。
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再読、今日のみそひと謌 木

2018年09月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 木

集歌2767 足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 八目難為名
訓読 あしひきの山橘し色し出(で)に吾(われ)は恋なむを止(や)め難(かて)しすな
私訳 足を引きずるような険しい山の山橘のように、はっきりと色に出して、私はお前を抱こうとしているが、お前はそれを躊躇している。

集歌2768 葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨
訓読 葦(あし)鶴(たづ)の騒く入江の白菅(しらすげ)の知らせむためと乞痛(こふた)かるかも
私訳 蘆辺の鶴が鳴き騒ぐ入り江の白菅、その言葉のひびきではないが、私が貴女に近づくのを貴女に知らせる(=気づかせる)ためと人は囃し立てる。

集歌2769 吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如
訓読 吾が背子に吾(あ)が恋ふらくは夏草し刈り除(そ)くれども生(お)ひ及(し)く如(ご)くし
私訳 私の大切な貴方に私が恋い焦がれるのは、まるで、夏草を刈り取り除いてもまたすぐに生え茂るようなものです。

集歌2770 道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待
訓読 道し辺(へ)のいつ柴原(しばはら)のいつもいつも人し許さむ言(こと)をし待たむ
私訳 道のほとりの厳柴の原、その言葉のひびきではないが、いつかは、いつかはと、その娘が私の想いを許す。その言葉を口に出し神に誓う時を待ちましょう。

集歌2771 吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有
訓読 吾妹子(わぎもこ)し袖を頼みに真野(まの)浦(うら)し小菅(こすげ)の笠を着ずに来(き)にけり
私訳 (濡れた体を包んで貰えるとばかりに、)愛しい恋人の袖を頼りとして、真野の浦で採れる小菅で編んだ笠を着けないままでやって来ました。貴方は。
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再読、今日のみそひと謌 水

2018年09月26日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 水

集歌2762 蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名
訓読 葦垣(あしかき)し中し似兒草(にこくさ)にこやかし我(われ)と笑(ゑ)ましに人にそ知らゆな
私訳 葦垣の中に生えるにこ草。その言葉のひびきではないが、にこやかに私だけに微笑んで、人に決して気付かれないでください。
注意 原歌の「似兒草」は「にこくさ」と訓みますが、現在もそのものが何を示すかは未確定です。一説には「ハコネソウ=箱根羊歯」とされますし、葉の柔らかい下草の総称とも説かれています。なお、万葉集に四首ほど歌われ、対象は川辺や日陰の何かの「花」です。

集歌2763 紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
訓読 紅(くれなゐ)し浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)の束(つか)し間(あひだ)も吾(わ)し忘らすな
私訳 黄葉の紅がまだ浅い、その言葉ではないが、浅葉の野辺で刈る草の束、その束の間も私のことを忘れないでください。

集歌2764 為妹 壽遺在 苅薦之 思乱而 應死物乎
訓読 妹しため命(いのち)遺(のこ)せり刈(かり)薦(こも)し思ひ乱れに死ぬべきものを
私訳 愛しい貴女のためにこの世に命を残しています。刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。

集歌2765 吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋つつあらずは刈(かり)薦(こも)し思ひ乱れに死ぬべきものを
私訳 私の愛しい貴女をこのように抱き伏せ「愛の営み」が続けられないのなら、刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。

集歌2766 三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来
訓読 三島江(みしまえ)し入江し薦(こも)を刈りにこそ吾(われ)をば公(きみ)は念(おも)ひたりけれ
私訳 三島江にある入り江の薦を刈る、その言葉のひびきではないが、かりそめだからこそ、その三嶋の入江に住む私だからと貴方は想いを寄せたのですね。

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