万葉雑記 色眼鏡 二三八 今週のみそひと歌を振り返る その五八
今回は巻八に載る集歌1535の歌に遊びます。最初に弊ブログの解釈を、次にHP「楽しい万葉集」からのものを紹介します。
藤原宇合卿謌一首
標訓 藤原(ふじわらの)宇合卿(うまかひのまへつきみ)の謌一首
集歌1535 我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹
訓読 我が背子をいつぞ今かと待つなへに面(おも)やは見えむ秋し風吹く
私訳 (その人は)私の愛しい貴方を、訪れはいつだろう、今でしょうかと待つままに、さて、その御方の姿を見たのでしょうか。秋の風が(簾を揺らして)吹きます。
参考歌 額田王思近江天皇作謌一首
集歌488 君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
訓読 君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸(やと)し簾動かし秋し風吹く
私訳 貴方の訪れを待つと私が恋い慕っていると、人の訪れかのように私の家の簾を動かして秋の風が吹く。
楽しい万葉集より
原歌 我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹
訓読 我(わ)が背子(せこ)を、いつぞ今かと、待つなへに、面(おも)やは見えむ、秋の風吹く
鑑賞 あの方が、いついらっしゃるのかと待っていると、秋の風が吹いてきました。お目にかかれるのでしょうか
さて、弊ブログに源氏物語に引用された万葉集の歌を「源氏物語引歌万葉集部」と云う資料名称で紹介しています。引歌とは先行する詩歌集などの歌の一部を引用し、その引用した歌の世界を読み手に想像させることで新たな詩歌や文章に奥行きを持たせる技法です。こと、源氏物語での引歌は二句もしくは三句を古歌から用いる本歌取技法による和歌創作とは違い、文章中にキーワードとしてほのかににじませるため、わかりづらい面があります。そのためか、源氏物語引歌研究は鎌倉時代から連綿と続いていますが、鎌倉時代、江戸時代、現代と研究が進むに連れ、引歌と思われる箇所は増えてきています。つまり、それほどに精密に古典文学が研究されているということになるでしょうか。
参考として、源氏物語に引用された万葉集の歌三首を紹介します。
源氏物語 第二帖 帚木
引歌文 あるまじき我が頼みにて見直したまふ後瀬をも、思ひたまへ慰めましを、
万葉集巻四 集歌737 大伴坂上大嬢
原文 云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将念君
読下 かにかくにひとはいふともわかさぢのあとせのやまのゆりももはむきみ
私訓 かにかくに人は云ふとも若狭(わかさ)道(ぢ)の後瀬(あとせ)し山し後(ゆり)も念(も)はむ君
私訳 あれやこれやと人は噂を云っても、若狭への道にある後瀬の山の名のように、貴方との逢瀬の後もお慕いします。愛しい貴方。
源氏物語 第三帖 空蝉
引歌文 紀伊守国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなる紛れに、
万葉集巻四 集歌709 豊前國娘子大宅女
原文 夕闇者 路多豆頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
読下 ゆふやみはみちたづとほしつきまちていませわがせこそのまにもみむ
私訓 夕闇(ゆふやみ)は路たづとほし月待ちて行ませ吾が背子その間(ほ)にも見む
私訳 夕闇は道が薄暗くておぼつかなく不安です。月が出るのを待って帰って行きなさい。私の愛しい貴方。その月が出る間も貴方と一緒にいられる。
源氏物語 四帖 夕顔
引歌文 あさけの姿は、げに、人のめできこえんもことわりなる御さまなりけり。
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わがせこのあさけのすがたよくみずてけふのあひたをこひくらすかも
私訓 我が背子し朝明(あさけ)し姿よく見ずて今日し間(あひだ)し恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。
一方、本歌取技法の歌を古今和歌集に探しますと額田王が詠う歌を紀貫之が引用したものがあります。紹介します例ですと頭二句が同じ表現ですから非常に判り易いと思います。
古今和歌集 巻2-94番歌 紀貫之
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ
万葉集 巻1-18番歌 額田王
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや
標準的な和歌の本歌取技法からしますと、集歌1535の歌に本歌取技法を見出すのは非常に困難ではないでしょうか。しかし、源氏物語で使われる引歌技法からしますと、集歌1535の歌に額田王が詠う集歌488の歌の世界を見出すことは容易と考えます。
当然、集歌488の歌の世界を踏まえて集歌1535の歌の世界を鑑賞しますと、歌い手は恋人を待つ女性でもその相手の男性でもありません。その世界を知る第三者です。弊ブログではそのような立場で解釈しています。宮中サロンか何かで、恋話が盛り上がり、その最中に秋風(旧暦7月から9月;現在の8月中旬から10月中旬)が吹きだし、部屋に下げられた御簾が揺れ動いたと想像しています。それも「何時曽且今登待苗尓」との表現がありますから、新暦八月下旬頃の遅い午後、遠雷を聞きながらの冷気の風かも知れません。当然、宮中サロンの人々にとって額田王の歌は教養事項であったでしょうから、当時の若き教養人筆頭の藤原宇合が詠う歌の世界は共通理解の内であったと思います。
他方、標準的な「楽しい万葉集」の鑑賞する世界は、文字から受けた表面の鑑賞です。そのため、非常に中途半端なものにならざるを得ません。
今回もまた独善・酔論・暴論からの展開でした。
今回は巻八に載る集歌1535の歌に遊びます。最初に弊ブログの解釈を、次にHP「楽しい万葉集」からのものを紹介します。
藤原宇合卿謌一首
標訓 藤原(ふじわらの)宇合卿(うまかひのまへつきみ)の謌一首
集歌1535 我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹
訓読 我が背子をいつぞ今かと待つなへに面(おも)やは見えむ秋し風吹く
私訳 (その人は)私の愛しい貴方を、訪れはいつだろう、今でしょうかと待つままに、さて、その御方の姿を見たのでしょうか。秋の風が(簾を揺らして)吹きます。
参考歌 額田王思近江天皇作謌一首
集歌488 君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
訓読 君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸(やと)し簾動かし秋し風吹く
私訳 貴方の訪れを待つと私が恋い慕っていると、人の訪れかのように私の家の簾を動かして秋の風が吹く。
楽しい万葉集より
原歌 我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹
訓読 我(わ)が背子(せこ)を、いつぞ今かと、待つなへに、面(おも)やは見えむ、秋の風吹く
鑑賞 あの方が、いついらっしゃるのかと待っていると、秋の風が吹いてきました。お目にかかれるのでしょうか
さて、弊ブログに源氏物語に引用された万葉集の歌を「源氏物語引歌万葉集部」と云う資料名称で紹介しています。引歌とは先行する詩歌集などの歌の一部を引用し、その引用した歌の世界を読み手に想像させることで新たな詩歌や文章に奥行きを持たせる技法です。こと、源氏物語での引歌は二句もしくは三句を古歌から用いる本歌取技法による和歌創作とは違い、文章中にキーワードとしてほのかににじませるため、わかりづらい面があります。そのためか、源氏物語引歌研究は鎌倉時代から連綿と続いていますが、鎌倉時代、江戸時代、現代と研究が進むに連れ、引歌と思われる箇所は増えてきています。つまり、それほどに精密に古典文学が研究されているということになるでしょうか。
参考として、源氏物語に引用された万葉集の歌三首を紹介します。
源氏物語 第二帖 帚木
引歌文 あるまじき我が頼みにて見直したまふ後瀬をも、思ひたまへ慰めましを、
万葉集巻四 集歌737 大伴坂上大嬢
原文 云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将念君
読下 かにかくにひとはいふともわかさぢのあとせのやまのゆりももはむきみ
私訓 かにかくに人は云ふとも若狭(わかさ)道(ぢ)の後瀬(あとせ)し山し後(ゆり)も念(も)はむ君
私訳 あれやこれやと人は噂を云っても、若狭への道にある後瀬の山の名のように、貴方との逢瀬の後もお慕いします。愛しい貴方。
源氏物語 第三帖 空蝉
引歌文 紀伊守国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなる紛れに、
万葉集巻四 集歌709 豊前國娘子大宅女
原文 夕闇者 路多豆頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
読下 ゆふやみはみちたづとほしつきまちていませわがせこそのまにもみむ
私訓 夕闇(ゆふやみ)は路たづとほし月待ちて行ませ吾が背子その間(ほ)にも見む
私訳 夕闇は道が薄暗くておぼつかなく不安です。月が出るのを待って帰って行きなさい。私の愛しい貴方。その月が出る間も貴方と一緒にいられる。
源氏物語 四帖 夕顔
引歌文 あさけの姿は、げに、人のめできこえんもことわりなる御さまなりけり。
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わがせこのあさけのすがたよくみずてけふのあひたをこひくらすかも
私訓 我が背子し朝明(あさけ)し姿よく見ずて今日し間(あひだ)し恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。
一方、本歌取技法の歌を古今和歌集に探しますと額田王が詠う歌を紀貫之が引用したものがあります。紹介します例ですと頭二句が同じ表現ですから非常に判り易いと思います。
古今和歌集 巻2-94番歌 紀貫之
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ
万葉集 巻1-18番歌 額田王
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや
標準的な和歌の本歌取技法からしますと、集歌1535の歌に本歌取技法を見出すのは非常に困難ではないでしょうか。しかし、源氏物語で使われる引歌技法からしますと、集歌1535の歌に額田王が詠う集歌488の歌の世界を見出すことは容易と考えます。
当然、集歌488の歌の世界を踏まえて集歌1535の歌の世界を鑑賞しますと、歌い手は恋人を待つ女性でもその相手の男性でもありません。その世界を知る第三者です。弊ブログではそのような立場で解釈しています。宮中サロンか何かで、恋話が盛り上がり、その最中に秋風(旧暦7月から9月;現在の8月中旬から10月中旬)が吹きだし、部屋に下げられた御簾が揺れ動いたと想像しています。それも「何時曽且今登待苗尓」との表現がありますから、新暦八月下旬頃の遅い午後、遠雷を聞きながらの冷気の風かも知れません。当然、宮中サロンの人々にとって額田王の歌は教養事項であったでしょうから、当時の若き教養人筆頭の藤原宇合が詠う歌の世界は共通理解の内であったと思います。
他方、標準的な「楽しい万葉集」の鑑賞する世界は、文字から受けた表面の鑑賞です。そのため、非常に中途半端なものにならざるを得ません。
今回もまた独善・酔論・暴論からの展開でした。