竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 その四 枕詞「あしひき」

2012年09月30日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その四 枕詞「あしひき」

 先に「色眼鏡 その弐 古今和歌集と平仮名」で、和歌集の表記方法について与太話をしました。そこでは万葉集の詩歌は漢語と真仮名で詠われ、楷書体で表記されたと紹介しました。一方、新古今和歌集の時代では漢字混じり変体仮名で詠われ、連綿の草仮名体で表記されています。
 その中間に位置する古今和歌集が詠われた時代は借字の草書体から草仮名体への移行期ですので、人々の文字の了解には大和言葉の音字へ借字した漢字の姿はあります。そのため、原本を正確に写本されたものから古今和歌集や土佐日記の母字を復元し、それを研究することが行われています。復習ではありませんが、それを再掲します。

古今和歌集、伝小野道風筆 秋萩帖より
原文 安幾破起乃之多者以都久以末餘理処悲東理安留悲東乃以祢可転仁數流
読下 あきはきのしたはいつくいまよりそひとりあるひとのいねかてにする
訳文 秋萩の下葉慈く今よりそ独りある人の寝ね糧にする
現訳 秋萩の下葉が美しくなった。今夜からは、独り身である私の夜の朋としましょう。

土佐日記、文中の和歌
原文 美也己以天ゝ幾美爾安者武止己之物遠己之可比毛奈久和可礼奴留可那
読下 みやこいてゝきみにあはむとこし物をこしかひもなくわかれぬるかな
訳文 都出でゝ君に逢はむと来しものを来しかひもなく別れぬるかな
現訳 京の都を出発して貴方に逢おうと思って来たのですが、このようにやって来た甲斐もなく、貴方と別れてしまうのですね。

万葉集歌 4481番 大伴家持
原文 安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安加米也 宇恵弖家流伎美
読下 あしひきのやつをのつばきつらつらにみともあかめやうゑてけるきみ
訳文 あしひきの八峯の椿面々に見とも飽かめや植ゑてける君
現訳 葦や桧の生えるたくさんの峰に咲く椿、その椿を一輪一輪ごとに眺めても見飽きることがあるでしょうか、その見飽きることもない美しい椿を庭に植えている貴方ですね。

 一字一音の真仮名だけで歌が詠われた場合、上記の例に示すように、その大和言葉の音を表す借字の漢字には表語文字としての意味を持ちません。およそ、これらの歌は口調を中心とした「調べを楽しむ歌」と区分が出来ると考えます。
 ここで、万葉集歌 4481番の初句「あしひきの」の言葉は、和歌の修辞技法では枕詞として紹介される言葉です。調べを楽しむ歌では、当然のこと、言葉の「音」が大切です。そうした時、枕詞はその「音」を整える言葉として扱われています。例として4481番歌の「あしひきの」の言葉は、口調を整えますが、一見、意味不明の言葉です。一字一音の真仮名だけで歌が詠われた場合、その大和言葉の音を表す借字の漢字には意味がありませんから、「あしひき」と云う言葉が言葉として定まった意味を持たなければ、それは意味不明の言葉となります。このような枕詞としては「あしひき」の言葉の他にも、「やすみしし」、「あまざかる」、「ぬばたま」、「ちはやぶる」や「たらちね」等の言葉が挙げられています。和歌の修辞技法である枕詞に対して、このような説明と理解が一般的な和歌鑑賞でのルールです。
 この枕詞の説明に和歌初心者むけの和歌の解説本である「和歌とは何か(渡辺泰明) 岩波新書」には、次のような解説があります。

手始めに、次の「万葉集」の歌から、枕詞を抜き出してみよう。
あまざかる鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
(万葉集・巻三・二五五・柿本人麻呂)
アマザカル田舎からの旅路を恋い慕ってやって来ると、明石の海峡から大和の山々が見えるよ。
そう、初句の「あまざかる」が枕詞である。このように枕詞は、
 主として五音(四音の場合もある)
 実質的な意味はなく(対応する現代語訳がないことに注意)
 常に特定の語を修飾する(「あまざかる」は、「鄙」を修飾)
と説明される。

 ただし、この説明は新古今和歌集時代以降の和歌の修辞技法から考察した説明で、インターネットの解説には次のような文章が付け加えられています。

「枕詞は特定の言葉と結びついた組み合せで成り立っているが、 平安時代以降の場合は歌の意味には直接的に関係しないことが多いと一般には解釈されている」

 つまり、このインターネットの解説者の立場では「古今和歌集以前には枕詞には実質的な意味があり、それに対応する現代語訳は存在する」ことになります。こうしますと、枕詞の定義は「主として五音で、常に特定の語を修飾する」と云うことになります。
 ところが、万葉集では以下に「あしひき」の表記例を示しますが、「常に特定の語を修飾する」の定義については例外事例が多いために「枕詞は主として四音で、特定の語を修飾するが、例外も多い」と説明することになります。すると、おかしなことになってきました。枕詞の定義として「枕詞は主として四音」としか残らないのでは、定義として成立しません。定義を生かすには「あしひき」と云う言葉を枕詞の分類から外す必要があります。この「あしひき」の言葉は、本来、山の状態・形状を示す形容詞であって、口調を整え、約束の言葉を引き出す導引語ではありません。

「あしひき」の表記例
足引乃 許乃間立八十一 あしひきの このまたちくく
足引之 八峯之雉 あしひきし やつをしきぎし
足曳之 玉蘰之兒 あしひきし たまかづらしこ
足疾乃 山乎隔而 あしひきの やまをへだてて
足病之 山海石榴開 あしひきし やまつばきさく
足檜之 山橘乎 あしひきし やまたちばなを
足桧乃 下風吹夜者 あしひきの あらしふくよは
足桧木乃 山左倍光 あしひきの やまさへてれる
足比奇乃 山櫻花 あしひきの やまさくらはな
足比木乃 山二文野二文 あしひきの やまにものにも
足日木之 山鳥尾乃 あしひきし やまとりのをの
足日木能 石根許其思美 あしひきの いはねこごしき
足氷木乃 清山邊 あしひきの きよきやまへを
悪氷木之 山下動 あしひきし やましたとよみ
蘆桧木乃 山道者将行 あしひきの やまぢをいけど

 ここで、万葉集独特の和歌の世界を紹介します。平安時代以降の平仮名表記の口調を中心とした「調べを楽しむ歌」に対して、万葉集には次に示すように漢字が持つ表語文字の力を使って「表記を楽しむ歌」があります。例と紹介したこの歌の末句の「孤悲(=恋)」や「死萬思(=死なまし)」の用字選択には、作者の強い思い入れがあると考えられます。

原文 旅尓之而 物戀尓 鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
訓読 旅にしてもの恋しきに鳴(さえづる)も聞こずそありせば恋ひて死なまし
私訳 旅路にあってなんとなく恋しさが募り、鶴が妻乞いに呼び立て鳴くように、私が「妻乞い」に泣く想いが貴女に伝わっていないのなら、貴女への実らぬ恋に恋焦がれて死んでしまうと何万回も思うでしょう。

 この「表記を楽しむ歌」と云うの視点から先の「あしひき」の言葉を見てみますと、「蘆桧木乃」、「悪氷木之」、「足曳之」などは、確実に表記を楽しんでいることが推測されます。当然、それぞれの表記から推測される山の風景は違います。
 同様に枕詞「ぬばたま」の言葉は、万葉集では野草のあやめ科の檜扇(ひおうぎ)の種子の形態から艶のある濃黒緑色を示し、「真っ黒」を意味する黒いものへの形容詞であって、特定の語を修飾する言葉ではありません。さらに、その植物の実である「ぬばたま」も、形容する相手により、その表示表現を変えています。この漢字表記の面白さを「意味のない言葉」として捨てるには惜しいと思います。
 例として、烏珠と梅の関係があります。一見、関係ないようですが、当時の生薬に烏梅(うばい)と云うものがあります。これは梅の実に墨を付けてから燻し、それをさらに天日で干したものです。黒玉、烏玉、野干玉、さらに夜干玉の表記の関係は、シャレで想像できると思います。これが万葉集の表記の面白さです。

「ぬばたま」の表記例
奴婆珠乃 吾黒髪尓 ぬばたまの わがくろかみに
鳥玉乃 夜渡月之 ぬばたまの よわたるつくし
烏玉 彼夢 ぬばたまし そのいめしだに
烏珠之 其夜乃梅乎 ぬばたまし そのよのうめを
野干子乃 夜渡月尓 ぬばたまの よわたるつくに
野干玉之 黒髪變 ぬばたまし くろかみかはり
野干玉能 昨夜者令還 ぬばたまの きそはかへらし
夜干玉之 黒馬之来夜者 ぬばたまし くろましこよは
夜干玉能 夢所見管 ぬばたまの いめそみへつつ
夜干玉之 其夜乃月夜 ぬばたまし そのよのつくよ
黒玉之 久漏牛方乎 ぬばたまし くろうしかたを
黒玉 夢不見 ぬばたまし いめしみへずて
黒玉之 宿而之晩乃 ぬばたまし ねてしゆふへの

 確かに万葉集の歌で使われる「やすみしし」、「あまさかる」や「たらちね」などの言葉は特定の語を修飾します。しかし、「表記を楽しむ歌」と云う視点からみると、それぞれの言葉の表記には、その言葉に意味を持たすため慎重に用字が選択されていると推測されます。
 例として、「大王」と「王」とで、その身分と立場により「知(=統治)」行為の違いや影響範囲の広がりの差があります。
八隅知之 吾期大王乃 やすみしし わごおほきみの
安見知之 吾王乃 やすみしし わごおほきみの

 先の「あしひき」や「ぬばたま」の表記例で示すように国語を借字で楷書体や草書体で表記しているならば、読み手には作歌者が行った用字を選択した、その意図が伝わり、表語文字の力で「調べを楽しむ歌」だけでなく、「表記を楽しむ歌」として鑑賞が可能です。従って、単純に意味を持たない言葉、枕詞として万葉集の言葉を処理することは出来ないのです。そのため、万葉集の歌を本来の原文表記から鑑賞すれば、万葉集の歌に枕詞と云う修辞技法を見つけることは困難になると思います。
 ただし、表語文字の力を利用した「表記を楽しむ歌」には漢文学の匂いが付き纏います。この漢文匂を嫌って、国風の大和歌として一字一音の借字だけで表記すると、用字を選択すると云う意味合いが消されますから、歌は「調べを楽しむ歌」となります。そして、歌が「調べを楽しむ歌」となって初めて「あしひき」、「やすみしし」、「あまざかる」、「ぬばたま」、「ちはやぶる」や「たらちね」等の言葉が枕詞に成り得ることが可能となります。ご存じのように万葉集では、一字一音の借字だけで表記する歌は特殊な歌に分類されます。新古今和歌集以降に成立した和歌修辞技法論で、一律に万葉集を眺めるのは、少し、無理のあることだと考えます。

 藤原定家は「定家仮名遣い」と云う一字一音の借字の読みに一定の規則を与えて発音と平仮名表記との関係表を作り、それを下に多くの古典文学を「漢字混じり平仮名読み」の文章に翻訳した第一人者です。そして、時代が経るにつれ藤原定家の和歌での権威の下、定家の翻訳書が古典文学の原本を越える扱いを受けることになりました。その結果、枕詞と分類される多くの言葉が「死語の世界」の言葉となりました。
 この伝統の背景から、万葉集の歌の鑑賞には藤原定家時代以降の「漢字混じり平仮名読み」文章に翻訳されたものを使うのが一般的です。原文から歌を鑑賞することは、およそ、行わないのが紳士的なルールです。このため、「あしひき」の言葉が「蘆桧木乃」か「悪氷木之」か、などとの区別はありません。全て歌の表記では「あしひき」です。これを前提に、和歌の修辞技法の説明で「和歌とは何か(渡辺泰明) 岩波新書」で例を挙げて説明するように、「漢字混じり平仮名読み」文章に翻訳された歌をもって枕詞を紹介します。
 その「あまさかる」の例題の歌について「漢字混じり平仮名読み」文章に翻訳される以前に戻りますと、人麻呂が詠う万葉集の歌の原文で「あまさかる」の表記「天離」の「天」の字は次の「夷」との用字において「大宮の大都会」と「未開の僻地」との重要な対比を示すものです。ですから「あまさかる」の言葉をその意味を含めて鑑賞しない訳にはいきません。単なる無意味の言葉とする訳にはいかないのです。簡単な歌のようですが、柿本人麻呂が歌聖と称される、その所以を感じて頂ければと思います。

原文 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見
読下 あまさかるひなしながぢゆこひくれはあかししとよりやまとしまそみゆ
訳文 天離かる夷し長道ゆ恋ひ来れば明石し門より大和島そ見ゆ
現訳 大都会の飛鳥の都から遠く離れて、未開の地から遥かな旅路を飛鳥の都会が恋しいと上って来ると、明石海峡の岬からその恋しい大和の島並を見えた。

 所謂、『下官集』の中にある「嫌文字事」の章で藤原定家が「右事非師説、只發自愚意」と書き記すように、彼が古典文学を「漢字混じり平仮名読み」に翻訳するとき、それは藤原定家個人の個人的な解釈と発音が基準です。
 さて、伝授以来の伝統に全幅の信頼を置いて、個人の解釈と発音を絶対的な基準として「漢字混じり平仮名読み」文章に翻訳された「訓読み万葉集」で万葉集を鑑賞できるか、どうかは、皆さんの判断にゆだねます。ただ、ご存じのように、万葉集の研究者の立場はその「訓読み万葉集で万葉集を鑑賞できる」ことになっていて、それを前提に多くの研究は成り立っています。

 なお、「ぬばたま」の黒玉、烏玉、野干玉、夜干玉の表記の関係の説明は、個人的な独善です。取り扱いには注意をお願いいたします。
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今日のみそひと歌 金曜日

2012年09月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌 3600 波奈礼蘇尓 多弖流牟漏能木 宇多我多毛 比左之伎時乎 須疑尓家流香母
訓読 離れ礒(いそ)に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも

私訳 離れ磯に立っているムロの木は、まこと、長い年月を過ぎて来たのだな。


集歌 3601 之麻思久母 比等利安里宇流 毛能尓安礼也 之麻能牟漏能木 波奈礼弖安流良武
訓読 しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離れてあるらむ

私訳 少しの間だけでも独りでいることが出来るものでしょうか。それなのに島のムロの木は、独り、離れて立っている。


集歌 3602 安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛
訓読 あをによし奈良の宮にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

私訳 若葉の色つやが美しい奈良の京にまで棚引く天の白雲は、見ていても飽きないものです。


集歌 3603 安乎揚疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美尓 故非和多流香母
訓読 青楊の枝伐(き)り下ろし斎種(ゆたね)蒔(ま)きゆゆしき君に恋ひわたるかも

私訳 青楊の枝を伐り下ろし木鍬を作り、斎種を播く、その言葉のひびきではないが、ゆゆしき(=身分高く、愛情表現を控えるべき人である)貴女に心が引かれます。


集歌 3604 妹我素弖 和可礼弖比左尓 奈里奴礼杼 比登比母伊毛乎 和須礼弖於毛倍也
訓読 妹が袖別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや

私訳 恋人の貴女と夜の床で袖を交えるようなこと(=性交渉)をしなくなって久しくなりますが、だからと云って、一日も貴女を私が忘れたと思いますか。
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今日のみそひと歌 木曜日

2012年09月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌2683 彼方之 赤土少屋尓 霈零 床共所沾 於身副我妹
訓読 彼方(をちかた)し赤土(ひにふ)し小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身し副(そ)へ我妹(わぎも)

私訳 遠くの野辺の土間敷きの小屋に激しい雨が降り、床までも濡れる。そのように滲み出し濡れたお前の体を私の身に寄せなさい。愛しい貴女。


集歌2684 笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念
訓読 笠なしと人には言ひて雨障(あまつつ)み留(と)まりし君が姿しそ思(も)ゆ

私訳 「菅笠が無いからです」と他の人には言い訳して、雨宿りのために私の家に留まって行った貴方の、そのお姿を強くお慕いしています。


集歌2685 妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為
訓読 妹が門(かど)去(い)き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそを因(よし)にせむ

私訳 愛しい貴女の家の門を行き過ぎることが出来ず、遥か彼方の大空から雨も降って来ないだろうか。それを言い訳にしたいものです。


集歌2686 夜占問 吾袖尓置 露乎 於公令視跡 取者清管
訓読 夕占(ゆふけ)問ふ吾(あ)が袖に置く露を公(きみ)に見せむと取れば清(すが)しつ

私訳 夕占いを問うとして外に立つ私の袖に置く露を、貴方にお見せしようと手に取ると涼しく冷たい。


集歌2687 櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知
訓読 桜麻(さくらを)の苧原(をふ)し下草露しあれば明(あか)かしてい行け母は知るとも

私訳 もし、桜色に色付いた麻の原の下草に露が置いているのなら、我が家で夜を明かして行きなさい。母が気付いたとしても。
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今日のみそひと歌 水曜日

2012年09月26日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日


集歌1832 打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管
訓読 うち靡く春さり来ればしかすがに天(あま)雲(くも)霧(き)らふ雪は降りつつ

私訳 芳しく風に靡く春が天を去り地上にやって来ると、さすがに空の雲には霧がかかる。雪は降っていても。


集歌1833 梅花 零覆雪乎 裏持 君令見跡 取者消管
訓読 梅し花降り覆(おほ)ふ雪を包み持ち君し見せむと取れば消(け)につつ

私訳 梅の花を降り覆う、その雪を手に包み持って貴女に見せようと取り上げると、たちまち融けていく。


集歌1834 梅花 咲落過奴 然為蟹 白雪庭尓 零重管
訓読 梅し花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪(しらゆき)庭に降りしきりつつ

私訳 梅の花が咲き散りすぎて行った。それでも白雪が庭に降りしっきている。


集歌1835 今更 雪零目八方 蜻火之 燎留春部常 成西物乎
訓読 今さらし雪降(ふ)らめやもかぎろひし燃ゆる春へとなりにしものを

私訳 今さらに、雪が降ると云うのでしょうか。陽炎が燃え立つ春の季節へとなっているのに。


集歌1836 風交 雪者零乍 然為蟹 霞田菜引 春去尓来
訓読 風交(まじ)り雪は降りつつしかすがに霞たなびき春さりにけり

私訳 風に交じって雪は降っている、そうは云っても、霞が棚引く春はやって来た。
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今日のみそひと謌 火曜日

2012年09月25日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌939 奥浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦尓 船曽動流
訓読 沖つ浪(なみ)辺(へ)つ波(なみ)安み漁(いざり)すと藤江(ふじえ)の浦に船ぞ動(さわ)ける

私訳 沖に立つ浪、岸辺に寄す波も穏やかで、これから漁をしようと藤江の浦で漁師の船がざわめいている。


集歌940 不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長有者 家之小篠生
訓読 印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押しなべさ寝(ぬ)る夜し日(け)長くあれば家し偲(しの)はゆ

私訳 眺めたいと恋焦がれて来たわけでもない、その印南野の浅茅を押し倒して寝る、その夜が長く感じるので、留守にした家が偲ばれます。


集歌941 明方 潮干乃道乎 従明日者 下咲異六 家近附者
訓読 明石(あかし)潟(かた)潮干(しおひ)の道を明日(あす)よりは下咲(したゑ)ましけむ家近づけば

私訳 明石の干潟、その潮が引いた道を行くと、明日からは心が浮き浮きするでしょう。留守をした家が近づくと思うと。


集歌943 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
訓読 玉藻刈る辛荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家念(おも)はずあらむ

私訳 私が美しい藻を刈る辛荷の島で、ただの磯を泳ぎ回る鵜だったなら、この景色を眺めて、こんなにも故郷の家を懐かしく思わないでしょう。


集歌944 嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船
訓読 島(しま)隠(かく)る吾が榜(こ)ぎ来れば乏(とも)しかも大和(やまと)へ上(のぼ)る真(ま)熊野(くまの)し船

私訳 島陰に大和の山並みが隠れてしまった。私が乗る船が航海してやって来ると、思わず吾を忘れてしまったことです。大和を目掛けて上っていく立派な熊野仕立ての船よ。
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