竹取翁と万葉集のお勉強

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再読、今日のみそひと謌 月

2018年04月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 月

集歌2227 不念尓 四具礼乃雨者 零有跡 天雲霽而 月夜清焉
訓読 思はぬに時雨(しぐれ)の雨は降りたれど天雲晴れに月夜(つくよ)清(さや)けし
私訳 思いがけずに時雨の雨は降ったけれど、天雲は晴れて月夜が清らかです。

集歌2228 芽子之花 開乃乎再入緒 見代跡可聞 月夜之清 戀益良國
訓読 萩し花咲きのををりを見よとかも月夜(つくよ)し清(きよ)き恋まさらくに
私訳 萩の花がたわわに咲いているのを眺めなさいと云うのでしょうか、月夜が清らかで、この風情に心が引きつけられる。

集歌2229 白露乎 玉作有 九月 在明之月夜 雖見不飽可聞
訓読 白露を玉しなしたる九月(ながつき)し明(あけ)あし月夜(つくよ)見れど飽かぬかも
私訳 白露を美しい玉と見せた、その九月の夜明け時の月を眺めますが、見飽きることはありません。

集歌2230 戀乍裳 稲葉掻別 家居者 乏不有 秋之暮風
訓読 恋ひつつも稲葉かき別け家(いへ)居(を)れば乏(とも)しくもあらず秋し暮風
私訳 人を恋しがりながらも、稲葉をかき別けて仮庵として野に居ると、つまらなくはありません。秋の夕風の風情には。

集歌2231 芽子花 咲有野邊 日晩之乃 鳴奈流共 秋風吹
訓読 萩し花咲きたる野辺(のへ)し晩蝉(ひぐらし)の鳴くなるなへし秋し風吹く
私訳 萩の花が咲いた野辺にヒグラシが鳴くにつれて、秋の気配の風が吹く。

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3326 

2018年04月29日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3326 

集歌3326 礒城嶋之 日本國尓 何方 御念食可 津礼毛無 城上宮尓 大殿乎 都可倍奉而 殿隠 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舎人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲尓 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 礒城島(しきしま)の 大和の国に いかさまに 思ほしめせか つれもなき 城上(きのへ)の宮に 大殿を 仕(つか)へまつりて 殿隠(とのごも)り 隠(こも)りいませば 朝(あした)は 召して使ひ 夕(ゆふへ)は 召して使ひ 使はしし 舎人(とねり)の子らは 行く鳥の 群がりて待ち あり待てど 召したまはねば 剣太刀(つるぎたち) 磨(と)ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし 臥(こ)いまろび ひづち哭(な)けども 飽き足(た)らぬかも
標準 磯城島の大和の国、このすぐれた国にははかにも所もあろうに、どのように思し召されたのか、ゆかりもない城上の宮に殯の大殿をお造り申して、その御殿にお隠りになっていらっしゃるので、朝は朝で召してお使いになり、夕は夕で召して使いしてお使いになった舎人たちは、群がり行く鳥のように群がってお召しを待ち、ずっとお待ちしてるけれどいっこうにお呼びがないので、剣太刀を磨き澄ましたように張りつめていたその気持も、天雲のように放ったらかしにしてしまって、伏し悶え泣き濡れるけれど、悲しみはちっとも晴れることがない。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 礒城島(しきしま)の 大和の国に いかさまに 御念(おもほ)ひ食(め)せか つれもなき 城上(きのへ)の宮に 大殿を 仕(つか)へまつりて 殿隠(とのごも)り 隠(こも)りいませば 朝(あした)には 召して使ひ 夕(ゆふへ)には 召して使ひ 使はしし 舎人(とねり)の子らは 行く鳥の 群がりて待ち あり待てど 召し賜はねば 剣太刀(つるぎたち) 磨(と)ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし 展(こい)転(まろ)び ひづち哭(な)けども 飽き足(た)らぬかも
私訳 礒城嶋の大和の国で、どのようにお思いになされたのでしょうか、つれもなく城上の宮で御殿の任務を御奉仕申しあげると、貴い貴方は御殿に籠られて、籠られたままでいらっしゃるので、朝には呼び出し御使われ、夕べには呼び出して御使われた。その御使いになられた舎人達は、飛び行く鳥が群がっているようにお召を待って、ずっと待っていても、舎人達をお召になされないので、剣太刀を研ぎ磨くように清い心を天雲に想いをめぐらして、身もだえして涙にくれて泣くが、嘆き足りることはありません。
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万葉雑記 色眼鏡 二六四 今週のみそひと歌を振り返る その八四

2018年04月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六四 今週のみそひと歌を振り返る その八四

 今回は巻十の歌から時雨について遊ぼうと思います。万葉集時代、大和言葉では「しぐれ」と云うものはありましたが、漢字での「時雨」と云う表現はありません。当て字として「鐘礼」や「四具礼」と云う表記で表していました。また季節としては九月から十月となっています。
 他方、秋の時雨と云うものは大陸では四季として発生しないようで暦での二十四節気にはありませんし、漢詩でも季節物の詩の題材とはならないようです。

集歌2180 九月乃 鐘礼乃雨丹 沾通 春日之山者 色付丹来
訓読 九月(ながつき)の時雨(しぐれ)の雨に濡れ通り春日(かすが)し山は色付(にほひ)にけり
私訳 木々の葉が九月の時雨の雨に濡れ通り、春日の山は色付いて来た。

集歌1590 十月 鐘礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随
訓読 十月(かむなつき)時雨(しぐれ)にあへる黄葉(もみちは)の吹かば落(ち)りなむ風しまにまに
私訳 神無月の時雨に遇った黄葉は、風が吹けば散り落ちてしまうでしょう。風の吹くままに。

 時雨は気象では「時雨(しぐれ、じう)は、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨である」と解説する降雨です。また、気象学者の定義ではつぎのようなものを云うようです。
• 晩秋から初冬にかけて多い
• 日本の各地にみられる。
• 朝、昼、夕といった特別の時刻はない。
• 細雨ではないが、だからといって雨量は多くない。やや強い雨を伴い、雲足は速い。
• 広い地域に一様に降るのではなく、密集した雲の団塊から降る。
• 気温は低めである

 この定義からしますと、平安時代の旧暦十月を時雨月と異称した季節感が相応しく、旧暦九月には秋雨や秋霖の方が似合う感覚があります。
 当然、気象と地球・地域の平均気温は関係するでしょうから、季節の移り変わりが飛鳥・奈良時代前期と奈良時代後期・平安時代前期とが同じ肌感覚でなかった可能性があります。屋久杉を使った気温解析では飛鳥時代 大化の改新前後を底に年平均気温は現在よりも1~2度ほど低く、その後 平均気温は上昇に転じ、藤原京から前期平城京時代には現在と同じ平均気温になっています。平均気温はさらに上昇し、古今和歌集が編まれた平安時代初期には平均気温は現在よりも2から2.5度程度 高かったと推定されています。つまり、現在、話題となる地球温暖化で予測されるピーク平均気温は平安時代に訪れた高温期に匹敵するものです。
 研究者によっては万葉寒冷期と大仏温暖期とも称すようで、万葉集前期に詠われた歌と万葉集末期に詠われた歌では年平均気温では3度程度の相違があります。これは近畿 大阪と東北 仙台との平均気温差に相当します。大阪を基準都市としますと、万葉集前期では新潟や仙台の四季の移ろい、万葉集中期は大阪の四季の移ろい、万葉集後期では宮崎から鹿児島の四季の移ろいに相当するようです。暦が同じであっても、これほどの四季の移ろいの差があることを認識する必要があります。なお、弊ブログでは万葉集中期頃の現在と年平均気温が同じであった気候を基準に鑑賞しています。そのため、梅、桜、藤などの開花時期の調整はしていませんし、萩、尾花、黄葉も現在に等しいとしています。
 およそ、先に紹介しました集歌2180の歌は旧暦九月に時雨を詠いますから万葉集でも早い時期、対して集歌1590の歌は旧暦十月に時雨を詠いますから遅い時期に詠われたものと推定することも可能になります。

 長い前置きとなりました。ここから今週の鑑賞になります。
 集歌2214の歌は畿内での渡りを終えた冬鳥の鴈と時雨の組み合わせです。まず、現代の十月末から十一月の風景でしょうか。そこに紅葉が始まるとしますから、十一月の方が季節感に合うと思います。すると平安時代の十月の異称 時雨月に似合う季節感です。

集歌2214 夕去者 鴈之越徃 龍田山 四具礼尓競 色付尓家里
訓読 夕されば鴈(かり)し越え行く龍田(たつた)山(やま)時雨(しぐれ)に競(きほ)ひ色づきにけり
私訳 夕暮れになると鴈が飛び越えて行く龍田山は、時雨と季節を競って色付いたよ。

 次に集歌2215の歌は時雨に紅葉を終えた木の葉が散ると詠います。まず、現代の十一月下旬の風景です。これもまた、平安時代の十月の異称 時雨月と唱える季節感です。まず、旧暦九月の風情ではありません。

集歌2215 左夜深而 四具礼勿零 秋芽子之 本葉之黄葉 落巻惜裳
訓読 さ夜(よ)更(ふ)けに時雨(しぐれ)な降りそ秋萩し本葉(もとは)し黄葉(もみち)散らまく惜(を)しも
私訳 夜が更けてから、時雨よ、降らないでくれ。秋萩の黄葉した下の方の葉が散ってしまうのが残念だから。

 最後に集歌2217の歌を鑑賞しますが、西本願寺本のものと校本のものとでは歌の表記が違い、特に二句目「之黄葉早者」の鑑賞態度が違うために歌の解釈は変化します。西本願寺本では妻問った先で見た紅葉が夜来のやや強いにわか雨で予想外に早く葉を散らし始めた風情ですが、校本は昼間に訪問した家の庭に散る紅葉を見ての感想と云うところでしょうか。

集歌2217 君之家乃 之黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
試訓 君し家(へ)のこの黄葉(もみち)葉(は)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
試訳 貴女の家のこの紅葉した葉は早くも散ってしまいました。時雨の雨に濡れたのでしょうか。
注意 原歌の「君之家乃之黄葉早者」に対し、校本では「君之家乃黄葉早者」と記し、そこから歌の句切れ位置と解釈が異なります。校本の表記を次に紹介します。なお、「もみち葉早く」などの異訓もあります。
<校本>
集歌2217 君之家乃 黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
訓読 君が家(いへ)の黄(もみち)葉(は)今朝(けさ)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
意訳 あなたの家の黄葉は、今朝散ったようですね。時雨の雨に濡れてしまったらしい。

 集歌2217の歌の時雨の時期は不明ですが、西本願寺本解釈では紅葉途中での葉散らしのやや強い雨に葉を散らします。旧暦十月後半ではなく、前半ぐらいでしょうか。一方、校本ではそうろそろ葉を落とす時期に、たまたま、訪問の日の夜明け前に時雨が降ったような感覚です。およそ、旧暦十月後半の時期でしょうか。
 ただ、最初に説明しましたように万葉集前期と万葉集後期では季節は二~三週間ほど違います。つまり、歌が詠われたのが万葉集時代の早い時期としますと、旧暦九月後半に時雨と黄葉の組み合わせがあっても良いことになります。
 和歌では季語を大切にしますが、江戸時代中期と現代では年平均気温は三度ぐらいの差があり、暦と季節感は一致しません。同じように万葉集初期と後期では同じほどの差があります。知識としての季語と観察からの季節感は違う可能性がありますし、主に関東・信州を中心とする東歌と九州地域での筑紫文壇や防人歌ではその季節感は大きく違います。

 今回もまた与太話と馬鹿話に終始しました。正統な和歌鑑賞では、今回のような気象と季節感なぞは対象外の事柄です。
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再読、今日のみそひと謌 金

2018年04月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 金

集歌2222 暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛
訓読 夕(ゆふ)さらずかはづ鳴くなる三輪川し清き瀬し音(ね)を聞かくし良(よ)しも
私訳 夕暮れになるといつもカジカ蛙が啼き出す、その三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは気持ちが良いことです。

集歌2223 天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人牡子
訓読 天つ海月し船(ふな)浮(う)け桂(かつら)楫(かぢ)懸(か)けに滂(こ)ぐそ見(み)月人(つきひと)牡士(をとこ)
私訳 天空の海に月の船を浮かべて月に生える桂の木でこしらえた楫を船べりに懸けて漕ぐのを見た。月の世界の牽牛が。
注意 末句「月人牡子」の「牡」の漢字原義は『說文解字』では「畜父也」と説明しますから、「月人牡子」には七夕伝説の牛飼いである牽牛の意味合いが込められています。校本では「月人壮士」としますが、これでは意味が取れません。

集歌2224 此夜等者 沙夜深去良之 鴈鳴乃 所聞空従 月立度
訓読 この夜らはさ夜(よ)更(ふ)けぬらし雁鳴(な)きのそ聞く空ゆ月立ち渡る
私訳 今夜、もう夜は更けたようだ。雁の鳴くのが聞こえて来る方角の空から月が立ち上って来た。

集歌2225 吾背子之 挿頭之芽子尓 置露乎 清見世跡 月者照良思
訓読 吾が背子し挿頭(かざし)し萩に置く露を清(さや)かに見よと月は照るらし
私訳 私の愛しい貴方が髪飾りとするでしょう、その萩に置く露を、輝き清らかだから、それを見なさいとばかりに月は照っている。

集歌2226 無心 秋月夜之 物念跡 寐不所宿 照乍本名
訓読 心なき秋し月夜(つくよ)し物(もの)念(も)ふと寝(ゐ)し寝(ぬ)らえぬし照りつつもとな
私訳 思いやりのない、煌々と照る秋の月夜に物思いをすると寝るに寝られなく、それでも月は照らし続けて、心は落ち着かない。

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再読、今日のみそひと謌 木

2018年04月26日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 木

集歌2217 君之家乃 之黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
試訓 君し家(へ)のこの黄葉(もみち)葉(は)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
試訳 貴女の家のこの紅葉した葉は早くも散ってしまいました。時雨の雨に濡れたのでしょうか。
注意 原歌の「君之家乃之黄葉早者」に対し、校本では「君之家乃黄葉早者」と記し、そこから歌の句切れ位置と解釈が異なります。校本の表記を次に紹介します。なお、「もみち葉早く」などの異訓もあります。
<校本>
集歌2217 君之家乃 黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
訓読 君が家(いへ)の黄(もみち)葉(は)今朝(けさ)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
意訳 あなたの家の黄葉は、今朝散ったようですね。時雨の雨に濡れてしまったらしい。

集歌2218 一年 二遍不行 秋山乎 情尓不飽 過之鶴鴨
訓読 一年(ひととし)しふたたび行かぬ秋山を情(こころ)に飽(あ)かず過ぐしつるかも
私訳 一年に二度とはやって来ない秋山の風情を心ゆくまで堪能しないままで、私は秋を過ごしたようです。

集歌2219 足曳之 山田佃子 不秀友 縄谷延与 守登知金
訓読 あしひきし山田(やまた)作る子秀(ひ)でずとも縄(なは)谷(たに)延(は)へよ守(も)ると知るがね
私訳 足を引きずるような険しい山の山田を作る貴女。稲穂が出ていなくても、獣除けの縄を谷に張り巡らせなさい。番をしていると判るように。

集歌2220 左小牡鹿之 妻喚山之 岳邊在 早田者不苅 霜者雖零
訓読 さ牡鹿(をしか)し妻呼ぶ山し岡辺(おかへ)なる早田(わさた)は刈らじ霜は降るとも
私訳 立派な雄鹿が妻を呼ぶ山にある丘のすそにある早田は刈らずに置こう。例え、霜が降っても。

集歌2221 祗門尓 禁田乎見者 沙穂内之 秋芽子為酢寸 所念鴨
訓読 祗(かむ)し門(と)に禁田(さへた)を見れば佐保(さほ)内(うち)し秋萩(あきはぎ)薄(すすき)念(おも)ほゆるかも
私訳 神を祭る結界から奥の禁田の様子を眺めると、佐保の里の秋萩や薄が黄葉する様子が思い浮かびます。
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