竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集巻十七を鑑賞する  集歌4006から集歌4015まで

2012年07月30日 | 新訓 万葉集巻十七
万葉集巻十七を鑑賞する


入京漸近、悲情難撥、述懐一首并一絶
標訓 京(みやこ)に入らむこと漸(やくや)く近づき、悲情撥(はら)ひ難く、懐(おもひ)を述べたる一首并せて一絶

集歌4006 可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氏流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈波 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加波乎志

訓読 かき数(かぞ)ふ 二上山に 神さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同じ常磐(ときは)に 愛(は)しきよし 吾(わ)が背の君を 朝(あさ)去(さ)らず 逢ひて言どひ 夕されば 手携(たづさ)はりて 射水川(いづみかは) 清き河内(かはち)に 出で立ちて 我が立ち見れば 東風(あゆ)の風 いたくし吹けば 水門(みなと)には 白波高み 妻呼ぶと 洲鳥(すとり)は騒く 葦刈ると 海人(あま)の小舟は 入江漕ぐ 楫(かぢ)の音高し そこをしも あやに羨(とも)しみ 偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇(すめろぎ)の 食(を)す国なれば 御言(みこと)持ち 立ち別れなば 後(おく)れたる 君はあれども 玉桙の 道行く我は 白雲の たなびく山を 岩根踏み 越えへなりなば 恋しけく 日(け)の長けむぞ そこ思(も)へば 心し痛し 霍公鳥(ほととぎす) 声にあへ貫(ぬ)く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕(あさよひ)に 見つつ行(ゆ)かむを 置きて行かば惜し

私訳 数を数える、一、二の、その二上山に、神々しくそびえ立つ栂の木の、幹も枝も等しく変わらない、そのようにいつも変わらず親しく思う私の大切な貴方を、毎朝、逢って語り合い、夕べには手を携えて射水川の清らかな河原に出で立って、私が立って眺めると、東の風が強く吹くと、湊には白波が高く、妻を呼ぶとて洲に住む鳥が騒ぐ。葦を刈ると漁師の小舟は、入り江を漕ぐ、その楫の音が高い。その情景がとても美しく羨ましく、心を惹かれて、風流を楽しむ最中ですが、天皇が治められる国であるので、その御命令を持って、出立して別れたら、後に残す貴方ではあるが、立派な鉾を立てる官道を行く私は、白雲の棚引く山を、岩根を踏み越え隔てたら、貴方を恋しいと思う日が長いでしょう。それを思うと、心が痛む。ホトトギスの声に時を合わせて薬玉を貫く、その玉であったなら、手に巻き持って、朝夕に見つめて行きましょう。後に残していくと残念です。


集歌4007 和我勢故婆 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟
訓読 吾(わ)が背子は玉にもがもな霍公鳥(ほととぎす)声にあへ貫(ぬ)き手に巻きて行かむ

私訳 私の大切な貴方は、玉であってほしい。ホトトギスの声に時を合わせて薬玉として貫き、手に巻いて行きたい。

右、大伴宿祢家持、贈掾大伴宿祢池主 四月卅日
左注 右は、大伴宿祢家持の、掾大伴宿祢池主に贈れり 四月卅日


忽見入京述懐之作。生別悲号、断腸万廻。怨緒難禁。聊奉所心一首并二絶
標訓 忽(たちま)ちに京(みやこ)に入らむとして懐(おもひ)を述べたる作を見る。生別は悲号にして、断腸は万廻(よろづたび)なり。怨(うら)むる緒(こころ)禁(とど)め難し。聊(いささ)かに所心(おもひ)を奉れる一首并せて二絶

集歌4008 安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢氏 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 弥能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊婆〃由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽

訓読 青丹(あをに)よし 奈良を来(き)離(はな)れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居(を)れば 思ひ遣(や)る こともありしを 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み 食(を)す国の 事取り持ちて 若草の 脚帶(あゆひ)手装(たつく)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち去(い)なば 後(おく)れたる 我や悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留(とど)めもかねて 見渡せば 卯の花山の 霍公鳥(ほととぎす) 哭のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山(となみやま) 手向(たむけ)の神に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 我が乞(こ)ひ祈(の)まく 愛(は)しけやし 君が直香(ただか)を ま幸(さき)くも あり徘徊(たもとほ)り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ

私訳 青葉が美しい奈良の都をやって来て離れ、都から離れた鄙ではあるが、私の大切な貴方を、お会いしながらここに居ると、心が慰められることもあったが、大王の御命令を畏んで、治めらる国の公務を取り持って、若草の妻が結ぶ脚帯、手装りをして、群がる鳥が朝ねぐらを出るように、朝に出立されると、後に残された私は悲しい。旅を行く貴方が恋しいでしょう、あれこれと思うと気が休まらないので、この嘆きを留めることが出来なくて、見渡すと卯の花の咲く山で鳴くホトトギスのように、声を上げて泣いてしまう。朝霧のように乱れる気持ちを、言葉に出して語るのははばかれるので、砺波山の手向けをする神に幣を捧げて、私が願い祈ろう、愛しい貴方が無事に旅を往復して、来月になったなら、時を置くことなく、撫子の花の盛りに、お会いしたい。きっと。


集歌4009 多麻保許能 美知能可味多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余
訓読 玉桙の道の神たち幣(まひ)はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ

私訳 立派な鉾を立てる官道の神たちに幣を捧げて祈る。私が大切に思う御方に幸を与えなさい。


集歌4010 宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈々々見牟
訓読 うら恋し我が背の君は撫子(なでしこ)が花にもがもな朝(あさ)な朝(さ)な見む

私訳 心から愛しい私の大切な貴方は、撫子の花であって欲しい。そうすれば毎朝毎朝眺めましょう。

右、大伴宿祢池主報贈和謌  五月二日
左注 右は、大伴宿祢池主の報(こた)へて贈り和(こた)へたる謌  五月二日


思放逸鷹夢見、感悦作謌一首并短謌
標訓 放逸(ほういつ)せる鷹を思(しの)ひて夢に見、感悦(よろこ)びて作れる謌一首并せて短謌
集歌4011 大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左可利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其登尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼波 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 (大黒者蒼鷹之名也) 之良奴里奴 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多氏 暮猟尓 知登理布美多氏 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎氏 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要氏 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊岐豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎氏母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵氏 知波夜夫流 神社尓 氏流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等比多毛登保里 安之我母能 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃宇知婆 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流

訓読 大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)ぞ み雪降る 越と名に負(お)へる 天離る 鄙にしあれば 山高み 川遠(とほ)しろし 野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が友は 行く川の 清き瀬ごとに 篝(かがり)さし なづさひ上(のぼ)る 露霜の 秋に至れば 野も多に 鳥すだけりと 大夫(ますらを)の 友誘ひて 鷹はしも あまたあれども 矢形尾(やかたを)の 吾(わ)が大黒(おほくろ)に (大黒は蒼鷹(あほたか)の名なり) 白塗の 鈴取り付けて 朝猟に 五百(いほ)つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に 許すことなく 手放(たば)れも をちもかやすき これを除(お)きて またはあり難(かた)し さ並(なら)へる 鷹は無けむと 心には 思ひ誇りて 笑(ゑ)まひつつ 渡る間(あひだ)に 狂(たふ)れたる 醜(しこ)つ翁(おきな)の 言(こと)だにも 吾には告げず との曇り 雨の降る日を 鷹狩(とがり)すと 名のみを告(の)りて 三島野を 背向(そがひ)に見つつ 二上の 山飛び越えて 雲隠り 翔(かけ)り去(い)にきと 帰り来て 咳(しはぶ)れ告(つ)ぐれ 招(を)く由(よし)の そこに無ければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢ふことありやと あしひきの 彼面(をても)此面(このも)に 鳥網(となみ)張り 守部(もりへ)を据ゑて ちはやぶる 神の社(やしろ)に 照る鏡 倭文(しつ)に取り添へ 乞(こ)ひ祈(の)みて 吾(わ)が待つ時に 娘女(をとめ)らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀(ほ)つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見(ひみ)の江過ぎて 多古の島 飛び(とび)徘徊(たもとほ)り 葦鴨の すだく古江(ふるえ)に 一昨日(をとつひ)も 昨日(きのふ)もありつ 近くあらば いま二日(ふつか)だみ 遠くあらば 七日(なぬか)のをちは 過ぎめやも 来(き)なむ我が背子 懇(ねもころ)に な恋ひそよとぞ 夢(いめ)に告げつる

私訳 大王の遠い役所の、み雪の降る越の名を持つ、都から離れた鄙であるので、山が高く、川は雄大で、野は広く、草は茂り、鮎が走る、その夏の盛りに、島の鳥の鵜を飼う人々は、流れ行く川の清らかな瀬ごとに、篝火を差し、水に浸かって川を上る。露霜の置く秋になると野にもたくさん鳥が群れ騒ぐと、立派な大夫が友を誘って、鷹ならば数多くいるが、矢形の形の尾を持つ私の大黒に(大黒は、蒼鷹の名なり)、白塗りの鈴を付けて、朝狩りにたくさんの鳥を追い立て、夕狩りにおおくの鳥を踏み立てて、鳥を追うたびに、逃がすことなく、この手を放れても、手に戻るのも自在であった。大黒を除いては、再びは得難いだろう、他に比する鷹はいないと、心には思い誇って、頬笑み自慢して、時を過ごしてる間に、なんと、狂った、つまらない老人が、何も私に告げず、どんより曇り、雨の降る日なのに、鷹狩りをすると、予定だけを告げて、三島野を背に見て、二上の山を飛び越えて、雲に隠れ、飛び翔け去って行ったと、帰り来て、シワガレ声で告げる。大黒を招き呼ぶ方法もなく、こうなってはどうしようもないので、どのように云ったらいいのか判らず、気持ちには怒りの火が燃え、大黒を思い恋いて、ため息を吐くあまり、ひょっとしたら、大黒を逢えるだろうかと、足を引くような険しい山のあちらこちらに鳥網を張り、見張りの人を置いて、神威すぐれた神の社に光輝く鏡に倭文の錦の布を取り添えて、神に乞い願って、私が大黒の帰りを待つ時に、娘女たちが夢に出て来て云うには「お前が慕っている、その秀でた鷹は、松田江の浜に行って暮し、鮗を取っている。氷見の江を過ぎて、多祜の島を飛び廻って、葦鴨がたくさん群れる古江に、一昨日も、昨日も居た、早ければ二日ほど、遅くても七日後にはならない。ただ、大黒は飛び過ぎるでしょうか、きっと、帰って来ますよ。私の大切な貴方。心を尽くして、そんなに恋焦がれないで」と、夢に告げました。


集歌4012 矢形尾能 多加乎手尓須恵 美之麻野尓 可良奴日麻祢久 都奇曽倍尓家流
訓読 矢形尾(やかたを)の鷹を手に据ゑ三島野に猟(か)らぬ日まねく月ぞ経にける

私訳 矢形の形の尾を持つ鷹を手に据えて三島野で狩りをしない日が多く、月が経ってしまった。


集歌4013 二上能 乎弖母許能母尓 安美佐之弖 安我麻都多可乎 伊米尓都氣追母
訓読 二上の彼面(をても)此面(このも)に網さして我が待つ鷹を夢(いめ)に告げつも

私訳 二上山のあちらこちらに網を張り、私が待っていた鷹を捕まえたと夢でも告げて下さい。


集歌4014 麻追我敝里 之比尓弖安礼可母 佐夜麻太乃 乎治我其日尓 母等米安波受家牟
訓読 松反りしひにてあれかもさ山田の翁(をぢ)がその日に求めあはずけむ

私訳 松の色変わりの「松反り」の言葉のひびきのような、鷹が還って来るのを待つ代りに、痴れていたからか、山田の老人は、逃げたその日に、なぜ、捕まえなかったのだろうか。


集歌4015 情尓波 由流布許等奈久 須加能夜麻 須加奈久能未也 孤悲和多利奈牟
訓読 心には緩(ゆ)ふことなく須加(すか)の山すかなくのみや恋ひ渡りなむ

私訳 思いの内には諦めることなく、須加の山の、その名のひびきのような「すかなく=気分が晴れない」ままに、逃げた鷹を恋焦がれる。

右、射水郡古江村取獲蒼鷹。形美麗、鷙雉秀群也。於時、養吏山田史君麿、調試失節、野猟乖候。摶風之翅、高翔匿雲、腐鼠之餌、呼留靡驗。於是、悵設羅網、窺乎非常、奉幣神祇、恃乎不虞也。奥以夢裏有娘子。喩曰、使君、勿作苦念空費情邪。放逸彼鷹、獲得未幾矣哉。須叟覺寐、有悦於懐。因作却恨之謌、式旌感信。守大伴宿祢家持  九月廾六日作也

左注 右は、射水郡の古江村に蒼鷹(おほたか)を取り獲たり。形は美麗、雉を鷙(と)ること群(とも)に秀れたり。その時に、養吏(やうり)山田史君麿、調試(てうし)節(とき)を失ひ、野猟候(とき)に乖(そむ)く。摶風(はくふう)の翅(つばさ)、高く翔(かけ)りて雲に匿(かく)り、腐鼠(ふそ)の餌、呼び留むるに驗(しるし)靡(な)し。ここに、羅網(あみ)を悵り設けて、非常を窺ひ、神祇(かみ)に幣を奉りて、不虞(ふぐ)を恃(たの)む。奥を以ちて夢の裏(うち)に娘子有り。喩(をし)へて曰はく「使君、苦念を作して空しく情邪(じょうじゃ)を費(ついや)しそ。放逸せる彼の鷹は、獲り得むこと幾(いくだ)もあらじ」と云ふ。須叟(たちまち)に覺寐(おどろ)き、懐(こころ)に悦(よろこび)あり。因りて恨(うらみ)を却(のぞ)く之の謌を作りて、式(も)ちて感信を旌(あらは)せり。守大伴宿祢家持  九月廾六日の作なり。
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資料編 日本紀私記序(弘仁私記序)

2012年07月28日 | 資料書庫
資料編 日本紀私記序(弘仁私記序)

現在、日本書紀と名が付けられている国書に対して、万葉集には日本紀と日本書紀の二種類の表記があります。そこで、なぜ、万葉集に日本紀と日本書紀との二つの表記があるのかを明らかにするために、平安初期の嵯峨前太上天皇・淳和後太上天皇・仁明天皇の時代の承和十年六月頃に多朝臣人長達の記録により内史局(図書寮)が日本紀講筵の前例資料として作成したと思われる日本紀私記序を紹介します。
この日本紀私記序には、書写されたものをインターネットで閲覧できるものとして、愛媛大学や早稲田大学のものがあります。その愛媛大学公開では日本紀私記序(承平六年日本紀私記零本)、早稲田大学公開では日本書紀私記巻上并序と書題を付けられていて、所謂、弘仁私記序(以下、「弘仁私記」又は「序」と云います)の伝本です。この「序」の漢文は、本文となる大字体で記されたものと、その注釈となる小文体で記されたものとで構成され、注釈となる小文体で記されたものには、愛媛大学、早稲田大学の公開書写やHP「久遠の絆」に載るものとに異同があります。また、標題自体も「日本紀」と「日本書紀」との二種類があります。
ここでは、HP「久遠の絆」から「序」文を元とし、愛媛大学公開の日本紀私記序(承平六年日本紀私記零本)等で点検し、その訓読を紹介しています。最初に「序」全体の漢文とその訓読を載せ、引き続いて「序」の本文大字体のみを抜き出したものを便宜のために紹介します。掲載が前後しますが、始めに本文大字体の訓読で概要を掴んでいただくと、全容の理解が容易と思います。
なお、「序」で示す日本紀講筵の開始が弘仁四年に対して、日本後紀ではその開始の詔を嵯峨天皇が下したのは弘仁三年ですので、そこに一年の異同があることを了解して下さい。また、無学の者が漢文和訳を行っているここでの行為は「トンデモ研究」の典型ですので、ここは話題提供とご理解ください。

日本書紀私記巻上并序
夫日本書紀者、日本國、自大唐東去万餘里、日出東方、昇於扶桑、故云日本。古者謂之倭國。伹倭意未詳。或曰取稱我之音、漢人所名之字也。通云山跡。山謂之耶麻、跡謂之止、音登、戶、及下同。夫天地剖判、埿濕未燥、是以栖山徃來固自多蹤跡、故曰邪麻止。又、古語謂居住為止、言止。住於山也、音同上。武玄之曰、東海、女國也。一品舍人親王 淨御原天武天皇第五皇子也、從四位下勳五等太朝臣安麻呂等 王子神八井耳命之後也、奉敕所撰也。
先是、淨御原天武天皇御宇之日、氣長帶日舒明天皇之皇子、近江天智天皇同母弟也。有舍人、姓稗田、名阿禮。年廿八、天鈿女命之後也。為人謹恪、聞見聽慧。聽、一本作聰。天皇敕阿禮使習帝王本記及先代舊事。豐御食炊屋姫推古天皇廿八年、上宮太子聖德、嶋大臣蘇我馬子共議、録天皇記及國記、臣、連、伴造、國造百八十部并公民等本記。又、自天地開闢至豐御食炊屋姫天皇、謂之舊事。未令撰録、世運遷代。
豐國成姫元明天皇臨軒之季、季、或作年。天命開別天智天皇第四皇女也。軒者、榲上板也、謂御宇、馬臨軒、詔正五位上安麻呂俾撰阿禮所誦之言。和銅五年正月廿八日 豐國城姫元明天皇年號也、初上彼書。所謂、古事記三卷者也。
清足姫元正天皇負扆之時、淨御原天武天皇之孫、日下太子之子也。世號飯高天皇、扆、戶牅之間也。負斧扆者、言以其所處名之、今案天子座之後也。親王及安麻呂等、更撰此日本書紀三十卷并帝王系圖一卷。今見在圖書寮及民間也。養老四年五月廿一日 淨足姫元正天皇年號也。功夫甫就獻於有司。今圖書寮是也。
上起天地混淪之先、混、大波也。淪、小沉小波也。下終品彙瓢成之後、品、眾也。彙、類也。瓢、成也。神胤皇裔、指掌灼然、中臣朝臣、忌部宿禰等為神胤也。息長真人、三國真人等為皇裔也。慕化古風、舉自明白。東漢、西漢史及百濟氏等為慕化、高麗、新羅及東部、後部氏等為古風也。異端小説、恠力亂神、一書及或説、為異端。反語及諺曰、為小説也。恠、異也。大鷦鷯仁德天王御宇之時、白鳥陵人化為白鹿。又蝦夷叛之、堀上野田道墓。則大蛇瞋目、出自墓以咋蝦夷也。力、多力也。天國排開欽明天皇御宇之時、膳臣巴提便至新羅、有虎噬兒去也。提尋至巖岫、左手摯虎舌、右手拔釰刺殺。又蜾嬴捕山雷之類也。亂、逆也。蘇我入鹿失君臣之禮、有覬覦之心也。神、鬼神也。大泊瀨雄略天皇獵於葛城山、急見長人面白、容儀相似天皇。天皇問名、答云僕是一言主神也。為備多聞、莫不該愽。該、備也。
世有神別紀十卷、天神、天孫之事、具在此書。發明神事、最為證據。然秊紀夐遠、作者不詳。夐、遠視也、隳正反。自此之外、更有帝王系圖。天孫之後、悉為帝王。而此書云、或到新羅高麗為國王、或在民間為帝王者。囙茲延曆年中、下符諸國、令焚之。而今猶在民間也。諸民雜姓記、或以甲後為乙胤、或以乙胤為甲後。如山之誤徃徃而在、苟以曲見或無識之人也。諸蕃雜姓記、田邊吏、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣等祖、思須美、和德兩人、大鷦鷯仁德天皇御宇之時、自百濟國化來、而言己等祖、是貴國將軍上野公竹合也者。天皇矜憐、混彼族訖。而此書云諸蕃人也。如此事觸類而世也。新撰姓氏目録者、柏原桓武天皇御宇之時、若狹國人中新本系事同茲。今諸國獻本系、撰此書。而彼主當人等、未辨真偽、抄集誤書、施之民間、加以引神胤為上、推皇裔為方。尊卑雜亂、無由取信。伹、正書目録、今在太政官。今此書者、所謂書之外、恣申新意歟。故錐迎禁駟、不及耳也。如此之書、觸類而夥、夥、多也。踳駮舊説、眩曜人看。踳駮差雜貌。或以馬為牛、或以羊為犬。輙假有識之號、以為述者之名。謂借古人及當代人之名。即知、官書之外、多穿鑿之人。是以官禁而令焚、人惡而不愛。今猶遺漏、遍在民間、多偽少真、無由刊謬。是則不讀舊記 日本書紀・古事記・諸民等之類。無置師資、之所致也。翻士為師、弟子為資。
凢厥天平勝寶之前、感神聖武天皇年號也。世號法師天皇。天平勝寶、實孝謙天皇年號也。然勝寶感神聖武皇帝者、聖武天皇也。毎一代使天下諸民各獻本系、謂譜講為本系也。永藏秘府、不得輙出、令存圖書寮者是也。雄朝妻稚子宿禰、允恭天皇御宇之時、姓氏紛謬、尊卑難決。囙咄月櫓丘、令探湯、定真偽。今大和國高市郡有釜是也。後世、帝王見彼覆車、毎世今獻本系、藏圖書寮也。
冷然*注6聖主嵯峨帝弘仁四年在祚之日、天智天皇之後、柏原天王之王子也。愍舊説將滅、本紀合訛。詔刑部少輔從五位下多朝臣人長、祖禰見上。使講日本紀。即課大外記正六位上大春日朝臣穎雄、王子大帶彦國押人命之後、從五位下魚成第一男・民部少丞正六位上藤原朝臣菊池麻呂、天孫天兒命之後、從五位下是人第四男也・兵部少丞正六位上安倍朝臣藏繼、正二大彦命之後、從四位下弟者第工男也・文章生從八位上滋野朝臣貞主、天孫魂命之後、從五位上家譯第一男・無位嶋田臣清田、王子神八井耳命之後、正六位上村田第一男・無位美努連清庭等受業、天神角凝命之後、正六位上友依第三男也、就外記曹局而開講席。
一周之後、卷袟既竟。一季為周。其第一・第二兩卷、義縁神代、語多古質、世質民淳、言詞異今。授受之人、動易訛謬。訛、化也。故以倭音辨詞語、以丹點明輕重、凢抄三十卷、勒為三卷。
夫天常立命、倭語云阿麻乃止己太知乃美己止。至畏根命、倭語曰加之古禰乃美己止。八千萬億歳、日本一書有此句。但、無史官、涉疑。是雖古記、尚不緊切。緊、切也。
自伊諾命、天神、是即陽神也。倭語云伊左奈支乃美己止。至彦瀲尊、天孫彦火火出見命第一男。倭語云比古那支佐乃美己止。史官不備、歳次不記。
但、自神倭天皇。庚申年、彦瀲尊第四男、諱狹野尊也。庚申、天皇生年。至冷然聖主嵯峨弘仁十年、一千五百五十七歳御宇五十二帝庶。後賢君子留情々察之云爾。

訓読 夫れ日本書紀は、日本國、大唐より東に万餘里去り、日の出る東方、扶桑(ふそう)の昇る、故に日本(やまと)と云う。古(いにしえ)は之を倭國(やまと)と謂ふ。伹し「倭」の意は未だ詳(つばびら)かならず。或は曰く「我」の音を取り稱(とな)え、漢人のこの字を名する所なり。通(みな)、云はく山跡(やまと)。「山」は之を耶麻(やま)と謂ひ、「跡」は之を止(と)と謂ふ、音の登(と)、戶(と)、下に及ぶも同じ。夫れ天地剖(わか)ち判(か)たく、埿濕(でいしつ)未だ燥(かわ)かず、是を以ちて栖山(すさん)に徃來し多くの蹤跡(じゅうせき)は自(おのず)から固まる、故に曰はく邪麻止(やまと)。又、古語に居住を謂ひて止(と)と為し、止と言う。住は山なり、音は上に同じ。武玄に之を曰はく、東海女(をみな)國(こく)なり。一品舍人親王 淨御原天武天皇の第五皇子なり、從四位下勳五等太朝臣安麻呂等 王子神八井耳命の後なり、敕(みことのり)を奉りて撰する所なり。
是より先、淨御原天武天皇御宇の日(とき)。氣長帶日舒明天皇の皇子、近江天智天皇の同母弟なり。舍人有り、姓を稗田、名を阿禮。年廿八、天鈿女命の後なり。人は謹恪(きんかく)と為し、聞見(ぶんけん)聽慧(ちょうすい)、聽、一本(あるほん)に聰と作る。天皇の阿禮に敕(みことのり)して帝王・本記及び先代舊事を習(ならわ)しめる。豐御食炊屋姫推古天皇廿八年、上宮太子聖德、嶋大臣蘇我馬子共に議りて、天皇記及び國記・臣・連・伴造・國造百八十部并びに公民等の本記を録す。又、天地開闢より豐御食炊屋姫天皇まで、之を舊事(ふるきこと)と謂ふ。未だ撰録せしめずに、世は運(めぐ)り代は遷(うつ)る。
豐國成姫元明天皇臨軒(りんけん)の季(とき) 季、或は年と作る。天命開別天智天皇の第四皇女なり。軒は、榲(すぎ)の上板なり、謂く御宇、馬の軒を臨むなり。詔(みことのり)して正五位上安麻呂をして阿禮の誦む所の言(ことば)を撰(しる)せしむ。和銅五年正月廿八日、豐國城姫元明天皇の年號なり。初めて彼(か)の書を上(たてまつ)る。所謂(いわゆる)、古事記三卷なり。
清足姫元正天皇負扆(ふい)の時、淨御原天武天皇の孫、日下(くさかの)太子(たいし)の子なり。世を飯高天皇と號(なつけ)る。扆(ついたて)は、戶と牅(よう)の間なり。斧扆(ふい)を負ふは、其所の處名(ところな)を以って言う。今、天子の座の後を案じ、親王及び安麻呂等は、更に此の日本書紀三十卷并びに帝王系圖一卷を撰ぶ。今の圖書寮及び民(たみ)の間に在るを見る。養老四年五月廿一日、淨足姫元正天皇の年號なり。功(いさ)しき夫甫の有司に獻ずるを就(な)す。今圖書寮の是なり。
上は天地混淪の先に起き、混は、大波なり。淪は、小(しょう)沉(ちん)小波(こなみ)なり、下は品彙(ひんい)瓢成(ひょうせい)の後に終える。品は、眾(しゅう)なり。彙(い)は、類なり。瓢は、成なり。神胤皇裔、指掌(ししょ)灼然(しゃくぜん)。中臣朝臣・忌部宿禰等は神胤と為し、息長真人・三國真人等は皇裔と為す。慕化古風、舉自明白。東漢・西漢の史及び百濟の氏等は慕化と為し、高麗・新羅及び東部・後部の氏等は古風と為す。異端小説、恠力亂神、一書(あるふみ)及び或説(あるせつ)は、異端を為す。反語(およづれ)及び諺に曰はく、小説を為すなり。恠は、異なり。大鷦鷯仁德天王御宇の時、白鳥陵(しらとりのみささぎ)の人の白き鹿と化(な)すなり。又、蝦夷の叛(そむ)けし、堀(ほり)上野(かみつけの)田道(たみち)の墓。則ち大蛇の瞋目し、墓より出でて以って蝦夷を咋(くら)ふ。力は、多力なり。天國排開欽明天皇御宇の時、膳臣巴(はすひ)の便(たより)を提(たづ)さえ新羅に至り、虎の兒を噬(か)みて去ること有り。提尋し巖(いはほ)の岫(くき)に至り、左手に虎の舌を摯げ、右手に釖を拔き刺し殺す。又、蜾嬴(するが)の山に雷を捕える類なり。亂は、逆なり。蘇我入鹿の君臣の禮を失い、覬覦(きゆ)の心有り。神は、鬼神なり。大泊瀨雄略天皇の葛城山の獵(かり)に、急(にわか)に長人(たかきひと)の面(おも)白きを見る、容儀は天皇に相似る。天皇の名を問うに、答へて云うには僕はこれ一言主神なり。聞くを多く備ふを為し、該愽(かいはく)ならざることなし。該は、備なり。
世に神別紀十卷*注1有り、天神、天孫の事、具(つぶさ)に此の書に在り。明神の發(あらわ)る事は、最も證據(しょうこ)と為す。然るに秊紀(ねんき)夐遠(けいおん)、作る者は詳(つまび)らかならず。夐は、遠視なり、隳は正の反。此の外に、更に帝王の系圖有り。天孫の後、悉く帝王と為す。此書の云はく、或は新羅・高麗到りて國王と為し、或は民(たみ)の間に在りて帝王者と為す。よって茲に延曆年中に、符を諸國に下し、之を焚(や)かしむ。而(しか)るに今なお民(たみ)の間に在る。諸(もろもろ)の民の雜姓の記、或は甲の後(のち)を以って乙の胤(のち)と為し、或は乙の胤を以って甲の後と為す。山の如くこの誤り徃徃に在りて、苟(いやし)くも曲見を以ち、或いは之を識る人無きなり。諸(もろもろ)の蕃の雜姓の記、田邊吏、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣等(たち)の祖(おや)、思須美、和德の兩人、大鷦鷯仁德天皇御宇の時、百濟國より化(おもむ)き來たる、而(すなは)ち己(おのれ)等の祖(おや)と言ふ、これ貴き國つ將軍上野公竹合なる者なり。天皇*注2矜憐(きんれん)し、彼(か)の族の訖(のち)を混(ま)じふ。而(しか)るに此の書に諸蕃の人と云うなり。此の事の如く類(たぐい)に觸れ而(しか)るに世となす。新撰姓氏目録は、柏原桓武天皇御宇の時*注3、若狹國の人の中(うち)に新たに本系(もとつすじ)の事を同(あつ)める。今諸國の本系を獻じ、此の書を撰ぶ。彼(か)の主の當の人等(たち)、未だ真偽を辨(わか)たず、抄集(しょうしゅう)誤書(ごしょ)、之を民の間に施(さら)し、加えて以って神胤を引いて上と為し、皇裔と推(かこつ)け方(よるべ)と為す。尊卑雜亂、由(ゆゑ)無くして信を取る。伹し、正しき書の目録*注4は、今太政官に在る。今此の書は、所謂(いわゆる)書の外なり、恣(ほしいまま)に申(もう)して新たな意を歟(か)く。故に錐迎(すいげい)禁駟(きんし)し、耳(き)くに及ばざるなり。此の書の如くは、類(たぐい)に觸れ而(かえ)って夥(おびただ)しい。夥は、多なり。踳駮(しゅんばく)舊説(きゅうせつ)、眩曜(げんよう)人看(じんかん)なり、踳駮(しゅんはく)は雜貌(ざつぼう)とは差(たが)ふ。或(ある)は馬を以って牛と為し、或は羊を以って犬と為す。輙(すなわ)ち假(かり)そめの有識と之を號(よびな)し、以って述(しる)す者の名と為す。謂く、古人及び當代人の名を借る。即ち知る、官書の外、穿鑿(せんさく)の人多し。是を以って官は禁じ、而(すなは)ち焚かしむ*注5。人は惡(にく)み而(しか)るも愛(したが)わず。今なお遺漏あり、遍(あまね)く民の間に在り、偽り多く真(まこと)は少なし、由(ゆゑ)無く謬(あやまち)を刊(きざ)む。是れ則ち舊記、日本書紀、古事記、諸(もろもろ)の民(たみ)等(たち)の之の類(たぐい)のものを読まず。師(=規範)の資(よりどころ)を置くこと無くして、之を致す所なり。士を翻(あらた)め師(=規範)と為し、弟子の資(よりどころ)と為さむ。
およそ、かの天平勝寶の前(とき)とは、感神聖武天皇の年號なり。世を法師天皇と號(よびな)す。天平勝寶は、實は孝謙天皇の年號なり。然し勝寶感神聖武皇帝とは、聖武天皇なり。一代毎に天下諸民を使(つか)いて各(おのおの)本系(もとつすじ)を獻じ、謂く譜(ふ)を講(あきらかに)し本系と為すなり。永藏秘府し、輙り出すを得ず、圖書寮に存らしめるは是なり。雄朝妻(をあさつま)稚子(わくご)宿禰、允恭天皇御宇の時、姓氏は紛謬(ふんびゅう)し、尊卑決め難し。よって咄月櫓の丘に、探湯(くかたち)をして、真偽を定める。今大和國高市郡に有る釜は是なり。後の世に、帝王は彼(か)の覆車を見る。世毎に今の本系(もとつすじ)を獻じ、圖書寮に藏(おさめ)るなり。
冷然聖主嵯峨帝の弘仁四年在祚の日(とき)に、舊(ふる)き説(はなし)の滅するを愍(あわれ)み、本(もと)つ紀(き)に訛(か)を合させしめる。詔して刑部少輔從五位下多朝臣人長に日本紀の講を使(つか)はしめ、即ち、大外記正六位上大春日朝臣穎雄・民部少丞正六位上藤原朝臣菊池麻呂・兵部少丞正六位上安倍朝臣藏繼・文章生從八位上滋野朝臣貞主・無位嶋田臣清田・無位美努連清庭等(たち)に業(わざ)を受くることを課し、外記曹局に就かしめ、講の席を開かしめた。
一周の後、卷袟(けんちつ)は既に竟(お)わる。一季を周に為(よう)す。その第一・第二の兩卷は、義は神代に縁り、語(ことば)は多く古質、世の質は民淳、言詞(ことば)は今に異なる。之を授け受くる人、訛謬(かびゅう)は動き易し。訛は、化なり。故に倭(やまと)の音を以って詞語(ことば)を辨(わか)ち、丹(あか)き點(てん)を以って輕重を明からにし、およそ抄三十卷、勒して三卷と為す。
それ天常立命、倭(やまと)の語(ことば)に云はく「阿麻乃止己太知乃美己止(あまのとこたちのみこと)」より、畏根命、倭(やまと)の語(ことば)に曰はく「加之古禰乃美己止(かしこみのみこと)」まで、八千萬億歳、日本(やまと)の一書(あるしょ)に此の句あり。但し、史官の疑(うたがい)を渉(わ)たすことなし。これ古記にして、なお緊切(きんせつ)あらず、緊は、切なり。
伊諾命、天神、これ即ち陽神なり。倭(やまと)の語(ことば)に云はく「伊左奈支乃美己止(いさなきのみこと)」より、彦瀲尊、天孫彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)の第一男。倭(やまと)の語(ことば)に云はく「比古那支佐乃美己止(ひこなきさのみこと)」まで、官に不備、歳次を記さず。
但し、神倭天皇の庚申年より、彦瀲(ひこなぎの)尊(みこと)の第四男、諱は狹野(さのの)尊(みこと)なり。庚申は、天皇の生年、冷然聖主嵯峨弘仁十年まで、一千五百五十七歳の御宇五十二帝の庶(もろもろ)。後の賢き君子注7、情々を留め、これを察(み)ると云ふ。

注1:倭漢惣歴帝譜図のこと。日本後紀 大同四年二月五日の平城天皇の詔、参照。
注2:桓武天皇を示す。天応元年の菅原宿禰以降、一連の改姓(かいせい)・改姓(かいかばね)を示す。
注3:日本後紀 延暦十八年十二月二十九日の桓武天皇の詔。
注4:日本後紀 弘仁五年八月四日の条。これ以前に完成。
注5:日本後紀 大同四年二月五日の平城天皇の詔、参照。
注6:「冷然聖主」では意味が不明として「今然聖主」とするものもありますが、これは嵯峨天皇が譲位して冷然院に住まわれたことからの尊称です。
注7:日本後紀 天長三年三月一日の藤原緒嗣の上表から淳和天皇と続日本後紀 承和十年六月一日の仁明天皇の詔から淳和天皇と仁明天皇のお二人を示す。

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万葉集巻十七を鑑賞する  集歌3991から集歌4005まで

2012年07月28日 | 新訓 万葉集巻十七
万葉集巻十七を鑑賞する

遊覧布勢水海賦一首并短謌  此海者、有射水郡舊江村也
標訓 布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せる賦(ふ)一首并せて短謌  此の海は、射水郡(いみづのこほり)の舊江村(ふるえむら)に有り

集歌3991 物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氏 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義氏 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氏 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻末尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等

訓読 物部(もののふ)の 八十(やそ)伴(とも)の男(を)の 思ふどち 心(こころ)遣(や)らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒礒(ありそ)に寄する 渋谿(しふたに)の 崎(さき)徘徊(たもとほ)り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川(うないひかは) 清き瀬ごとに 鵜川(うかは)立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽(あ)かにと 布施の海に 船浮け据ゑて 沖辺(おくへ)漕ぎ 辺(へ)に漕ぎ見れば 渚には あぢ群(むら)騒き 島廻(しまみ)には 木末(こぬれ)花咲き 許多(ここばく)も 見のさやけきか 玉櫛笥(たまくしげ) 二上山に 延(は)ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや毎年(としのは)に 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと

私訳 武士の多くの男たちが親しい同士、気持ちを晴らそうと馬を連ねて、打ち寄せ砕ける白波が荒磯に寄せる渋谿の崎を散策し、松田江の長い濱を行き過ぎ、宇奈比川の清らかな瀬ごとに鵜飼が立ち働き、それを見、これを見、眺めても、なおそれでも見飽きることがないと、布施の海に船を浮かべ留めて、沖に漕ぎ、岸に漕ぐのを眺めると、渚にはあぢ鴨が群れ騒ぎ、島の廻りには梢に花が咲き、なんと景色の清らかなことでしょう。玉櫛笥、その蓋の言葉のひびきのような二上山に、這い延びる蔦のように、行く末も別れることなく、途絶えることなく通い、いや、毎年に気の合う者同士が、このように風流を楽しもう。今も眺めているように。


集歌3992 布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思奴播牟
訓読 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや毎年(としのは)に見つつ偲(しの)はむ

私訳 布勢の海の沖に立つ白波のように、途絶えることなく通おう。いや、毎年に眺めて賞賛しよう。

右、守大伴宿祢家持作之   四月廿四日
左注 右は、守大伴宿祢家持の之を作る   四月廿四日


敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶
標訓 布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せる賦(ふ)に敬(つつし)み和(こた)へたる一首并せて一絶

集歌3993 布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲比可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氏尓麻吉母知弖 宇良具波之 布施能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布里可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 婆奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也

訓読 藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥(ほととぎす) 鳴きし響(とよ)めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携(たづさ)はり 出で立ち見れば 射水川(いづみかは) 湊の洲鳥(すとり) 朝凪ぎに 潟にあさりし 潮満てば 妻呼び交す 羨(とも)しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿(しふたに)の 荒礒(ありそ)の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒(かたよ)りに 蘰(かづら)に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海(みづうみ)に 海人(あま)船に 真楫(まかぢ)櫂(かひ)貫(ぬ)き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨(あしかも)騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻(めぐ)り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや

私訳 藤の花はもう咲いて散ってしまった、卯の花は今こそ盛りと、葦や檜の生える山にも野にも咲き、ホトトギスが鳴いて響むと、いちずに心も萎れて、その景色を心恋しいと感じる者同士が馬を並べて共に出で立って眺めれば、射水川の湊の洲に居る鳥は、朝凪に潟で餌をあさり、潮が満ちると妻を呼び交す、羨ましく眺めて過ぎ行き、渋谿の荒磯の崎に沖からの波が打ち寄せ、また寄せ来る玉藻を片縒りにして蘰を作り、愛しい貴女のためと手に巻いて持って、麗しい布施の水海に、漁師船に立派な楫を差し貫いて、白栲の袖を折り返し、友を率いて私が漕ぎ行くと、乎布の崎には花が散り乱れ、渚には葦鴨が鳴き騒ぐ、さざれ波のように立って居ても、座って居ても、水海を漕ぎ廻ると、風景を眺めても見飽きることなく、秋になったなら黄葉の時に、春になったなら花の盛りに、どうにもこうにも、貴方の御気に召すままに、このようにと、風景を眺めて気を晴らしましょう。見飽きることがどうしてあるでしょう。


集歌3994 之良奈美能 与世久流多麻毛 余能安比太母 都藝弖民仁許武 吉欲伎波麻備乎
訓読 白波の寄せ来る玉藻世の間(あひた)も継ぎて見に来む清き浜辺(はまび)を

私訳 白波が寄せ来る、その寄せ来る玉藻、藻の節(よ)の言葉のひびきではないが、人のこの世(よ)に居る間も絶えず眺めに来たい。この清らかな浜辺を。

右、掾大伴宿祢池主作  四月廿六日追和
左注 右は、掾大伴宿祢池主の作る  四月廿六日に追ひて和(こた)へる


四月廿六日、掾大伴宿祢池主之舘、餞税帳使守大伴宿祢家持宴謌并古謌。四首
標訓 四月廿六日に、掾大伴宿祢池主の舘にして、税帳使守大伴宿祢家持に餞(はなむけ)せし宴(うたげ)の謌并せて古謌。四首

集歌3995 多麻保許乃 美知尓伊泥多知 和可礼奈婆 見奴日佐麻祢美 孤悲思家武可母
訓読 玉桙の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋(こひ)しけむかもむかも

私訳 立派な鉾を立てる官道に出で立って、貴方と立ち別れしたら会えない日々が多く、恋しいことでしょう。

一云 不見日久弥 戀之家牟加母
一(ある)は云はく
訓読 見ぬ日久しみ恋しけ
私訳 会えない日々が長いので恋しいでしょう。

右一首、大伴宿祢家持作之
左注 右は一首、大伴宿祢家持の之を作る


集歌3996 和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母
訓読 吾(わ)が背子が国へましなば霍公鳥(ほととぎす)鳴かむ五月(さつき)は寂しけむかも

私訳 私の尊敬する貴方が故郷の国へ行かれたら、ホトトギスが鳴くでしょうこの五月は、寂しいことでしょう。

右一首、介内蔵忌寸縄麻呂作之
左注 右は一首、介(すけ)内蔵(くらの)忌寸(いみき)縄麻呂の之を作る


集歌3997 安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢
訓読 吾(あれ)なしとな侘(わ)びわが背子霍公鳥(ほととぎす)鳴かむ五月(さつき)は玉を貫(ぬ)かさね

私訳 私が居ないと淋しがらないで、私の尊敬する貴方、ホトトギスが鳴くでしょう五月は薬玉を貫いて下さい。

右一首、守大伴宿祢家持和
左注 右は一首、守大伴宿祢家持の和(こた)へり


石河朝臣水通橘謌一首
標訓 石河朝臣の水通(みみち)の橘の謌一首

集歌3998 和我夜度能 花橘乎 波奈其米尓 多麻尓曽安我奴久 麻多婆苦流之美
訓読 吾(わ)が屋戸(やと)の花橘を花ごめに玉にぞ吾(あ)が貫(ぬ)く待たば苦しみ

意訳 私の家の花橘を、花もいっしょに薬玉として私が貫く、実がなるまで待つと待ちきれなくて。

私訳 私の家の花橘を、花もいっしょに薬玉として私が貫く、貴方の御帰りを待つと辛い。

右一首、傳誦、主人大伴宿祢池主云尓
左注 右は一首、傳(つた)へ誦(よ)めるは、主人(あるじ)大伴宿祢池主なりとしか云ふ


守大伴宿祢家持舘飲宴謌一首 四月廿六日
標訓 守大伴宿祢家持の舘にして飲宴(うたげ)せる謌一首 四月廿六日

集歌3999 美夜故敝尓 多都日知可豆久 安久麻弖尓 安比見而由可奈 故布流比於保家牟
訓読 京辺(みやこへ)に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ

私訳 都に出立する日が近付く、心行くまで互いに会って行きましょう。旅立てば恋しい日々が多いでしょうから。


立山賦一首并短謌   此山者有新河郡也
標訓 立山(たちやま)の賦(ふ)一首并せて短謌   此の山は新河郡(にひかはのこほり)に有り

集歌4000 安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波々之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於波勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余曽能未母 布利佐氣見都々 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未毛伎吉氏 登母之夫流我祢

訓読 天離る 鄙に名(な)懸(か)かす 越の中 国内(くぬち)ことごと 山はしも 繁(しじ)にあれども 川はしも 多(さは)に行けども 統(す)め神の 領(うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山(たちやま)に 常夏に 雪降り敷(し)きて 帯(お)ばせる 片貝川(かたかひかは)の 清き瀬に 朝夕(あさよひ)ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに 外(よそ)のみも 振り放(さ)け見つつ 万代(よろづよ)の 語(かた)らひ草(くさ)と いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね

私訳 都から離れた鄙に名をひびかせていらっしゃる越の中で国中には、あちらこちらに山はたくさんあるのだが、川は多く流れて行くのだが、国を治める神が統治なれている新川の、その立山に、夏の最中に雪が降り積もり、山の裾野を帯のように取り巻く片貝川の清らかな瀬に、朝夕毎に立つ霧の、その霧がすぐに消えるように、どうして忘れ去るでしょうか。途絶えることなく通い、いや、毎年ごとに、遠くからだけでも見上げて眺めながら、万代に語り継ぐことと、未だ眺めていない人にも告げましょう。そうすれば、噂だけでも、名前だけでも聞いて、羨ましいと思うでしょう。


集歌4001 多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之
訓読 立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神(かむ)からならし

私訳 立山に降り積もる雪を、夏の盛りに眺めるが見飽きることはありません。神々しいからなのでしょう。


集歌4002 可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟
訓読 片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む

私訳 片貝の川の瀬を清らかに流れ行く水が絶えることがないように、途絶えることなく通って眺めましょう。

四月廿七日、大伴宿祢家持作之
左注 四月廿七日に、大伴宿祢家持の之を作る


敬和立山賦一首并二絶
標訓 立山(たちやま)の賦(ふ)を敬(つつし)みて和(こた)へたる一首并せて二絶

集歌4003 阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽々理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代經尓家牟 多知氏為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈眦吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加婆之多要受波

訓読 朝日さし 背向(そがひ)に見ゆる 神ながら 御名(みな)に帯(お)ばせる 白雲の 千重を押し別け 天(あま)そそり 高き立山(たちやま) 冬夏と 分(わ)くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古(いにしへ)ゆ あり来にければ こごしかも 巌(いは)の神さび たまきはる 幾代経(へ)にけむ 立ちて居て 見れども異(あや)し 峰高み 谷を深みと 落ち激(たぎ)つ 清き彼地(かしち)に 朝去らず 霧立ちわたり 夕されば 雲居(くもゐ)たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過(す)ぐさず 行く水の 音も清(さや)けく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは

私訳 朝日を受けて山の背の影が見える、神として御名に付け呼ばれる、白雲が千重に掛るのを押し分け、天にそそり立つ、その高き立山は、冬夏と季節を分けることもなく、白栲のように雪は山に降り積もって、古からこのように存在しているので、神々しいのでしょう。巌も神々しく、年々の時を刻む、その長き時を経て来たのでしょう。出で立って来て眺めても不思議です。峰は高く、谷は深く、水は流れ落ち湧き立つ、清らかなその地に、朝になれば霧が立ち渡り、夕べになれば雲が立ち棚引き、山には雲が掛る。気持ちはさらに、立つ霧の、その霧がすぐに消えるように、すぐに忘れ去ることなく、流れ行く水の瀬音も清らかであるように、さやに万代に語り継いでいきましょう。その川の流れが絶えなければ。


集歌4004 多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽
訓読 立山(たちやま)に降り置ける雪の常夏に消(け)ずてわたるは神ながらとぞ

私訳 立山に降り積もる雪が夏の盛りに消えずに季節を渡るのは、神々しい山だからなのでしょう。


集歌4005 於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟
訓読 落ち激(たぎ)つ片貝川の絶えぬごと今見る人も止(や)まず通はむ

私訳 流れ落ち湧き立つ片貝川の流れが絶えないように、これからも絶えないように、今、眺める人も、途絶えることなく通って来ましょう。

右、掾大伴宿祢池主和之 四月廿八日
左注 右は、掾大伴宿祢池主の之に和(こた)へる 四月廿八日
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万葉集巻十七を鑑賞する  集歌3978から集歌3990まで

2012年07月26日 | 新訓 万葉集巻十七
万葉集巻十七を鑑賞する


述戀緒謌一首并短謌
標訓 戀の緒(こころ)を述べたる謌一首并せて短謌
集歌3978 妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見波 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花之 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近有者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氏 妹我多麻久良 佐之加倍氏 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氏安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氏早見牟

訓読 妹も吾(われ)も 心は同じ 副(たぐ)へれど いや懐(なつか)しく 相見れば 常(とこ)初花(はつはな)に 心ぐし めぐしもなしに 愛(は)しけやし 吾(あ)が奥妻 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山越え野行き 天離る 鄙治めにと 別れ来し その日の極み あらたまの 年往(ゆ)き返り 春花の 移(うつ)ろふまでに 相見ねば 甚(いた)もすべなみ 敷栲の 袖返しつつ 寝(ぬ)る夜おちず 夢には見れど うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋しけく 千重(ちへ)に積(つ)もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙の 道はし遠く 関さへに 隔(へな)りてあれこそ よしゑやし 縁(よし)はあらむぞ 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を 外(よそ)のみも 振り放(さ)け見つつ 近江(あふみ)道(ぢ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の吾家(わぎへ)に ぬえ鳥の うら嘆(な)けしつつ 下恋に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問(と)ひつつ 吾(あ)を待つと 寝(な)すらむ妹を 逢ひてはや見む

私訳 愛しい貴女も私も心は同じ。いっしょに居てもますます心が惹かれ、逢うと常初花のようにいつも、心を作ったり、眼差しを繕ったしないで、愛らしい私の心の妻よ。大王の御命令を謹んで、足を引くような険しい山を越え野を行き、都から離れる鄙を治めると、貴女と別れて来て、その日を最後に、年の気を改める、年も改まり、春の花が散ってゆくまで、貴女に逢えないと、心が痛むがどうしようもない、敷栲の袖を折り返しながら寝る夜は、いつも夢に見えても、現実に、直接に逢うこともできないので、恋しさは幾重にも積もった。都が近かったら、ちょっと帰ってでも行って、愛しい貴女の手枕をさしかわし寝ても来ようものを、立派な鉾を立てる官路は遠く関所までも間を隔てていることだ。ままよ、何か良い機会もあるだろう。ホトトギスが来て鳴く月にいつかは、すぐになるだろう。卯の花の美しく咲く山を外ながらにも遠く見ながら、近江路を辿っていって、青葉が美しい奈良のわが家に到り、ぬえ鳥の、その言葉のひびきのように、うら嘆きつつ(=心の底から嘆きつつ)、心の底からの恋に侘びしく思いつつ門に出ては、夕占を問いながら私を待って寝ているだろう愛しい貴女に、早く逢いたいものです。


集歌3979 安良多麻之 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞
訓読 あらたまの年返るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも

私訳 年の気が新たになる、その年が改まるまで貴女に逢えないと、心も萎れるように感じられます。


集歌3980 奴婆多麻乃 伊米尓婆母等奈 安比見礼騰 多太尓安良祢婆 孤悲夜麻受家里
訓読 ぬばたまの夢(いめ)にはもとな相見れど直(ただ)にあらねば恋ひやまずけり

私訳 漆黒の夜の夢には空しくも貴女に逢えるが、直接、逢えなければ、貴女への恋心は止まない。


集歌3981 安之比奇能 夜麻伎敝奈里氏 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里
訓読 あしひきの山き隔(へな)りて遠けども心し行けば夢(いめ)に見えけり

私訳 足を引く険しい山を隔てて遠いけれども、心を通わせれば夢に逢いました。


集歌3982 春花能 宇都路布麻泥尓 相見祢波 月日餘美都追 伊母麻都良牟曽
訓読 春花のうつろふまでに相見ねば月日数(よ)みつつ妹待つらむぞ

私訳 春花が散りゆく季節までに私に逢えないと、中上がりまでの月日を数えながら愛しい貴女は私を待っているでしょう。

右、三月廿日夜裏、忽兮起戀情作。大伴宿祢家持
左注 右は、三月廿日の夜の裏(うち)に、忽(たちま)ちに戀の情(こころ)を起して作れり。大伴宿祢家持


立夏四月、既經累日、而由未聞霍公鳥喧。因作恨謌二首
標訓 立夏の四月に、既に累日(るいにち)を經て、由(なほ)未だ霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞かず。因りて作れる恨(うらみ)の謌二首

集歌3983 安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴
訓読 あしひきの山も近きを霍公鳥(ほととぎす)月立つまでに何か来鳴かぬ

私訳 葦や檜の生える山も近いのにホトトギスよ、立夏の月が立つまでどうして来て鳴かぬ。


集歌3984 多麻尓奴久 波奈多知波奈乎 等毛之美思 己能和我佐刀尓 伎奈可受安流良之
訓読 玉に貫く花橘を乏(とも)しみしこの我が里に来鳴かずあるらし

私訳 薬玉に貫く花橘が少ないと、この私が住む里に来て鳴かないのだろう。

霍公鳥者、立夏之日来鳴必定。又越中風土、希有橙橘也。因此、大伴宿祢家持、感發於懐、聊於裁此謌。
三月廿九日
左注 霍公鳥は、立夏の日に来鳴くこと必定なり。又、越中の風土は、橙橘のあること希なり。此に因りて、大伴宿祢家持、感(おもひ)を懐(こころ)に發して、聊(いささ)かに此の謌を裁(つく)れり。
三月廿九日


二上山賦一首  此山者有射水郡也
標訓 二上山の賦一首  此の山は射水郡(いみづのこほり)にあり
集歌3985 伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉乃葉乃 尓保敝流等伎尓 出立氏 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氏之努波米

訓読 射水川(いみづかは) い行き廻れる 玉櫛笥(たまくしげ) 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放(さ)け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統(す)め神の 裾廻(すそみ)の山の 渋谿(しふたに)の 崎の荒礒(ありそ)に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲(しの)はめ

私訳 射水川が流れめぐる玉奇(たまくし)、その言葉の様な玉櫛笥の、その蓋の言葉のひびきのような、二上山は春花の咲く盛りに、秋の葉の色付く時に、出て来て遠く眺めると、神の磐座からか、そこは貴い。山の格からか眺めたいと思われるのか、治める神の山裾の、その山の渋谿の崎の荒磯に、朝凪に打ち寄せる白波、夕凪に満ち来る潮の、その波が、潮が、次々と満ちて来るように絶えることなく、古から今に至るまで、このようであったと、眺める人々は、心に掛けて古を偲びなさい。


集歌3986 之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由
訓読 渋谿(しふたに)の崎の荒礒(ありそ)に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ

私訳 渋谿の崎の荒磯に寄せる波が一層打ち寄せる、その言葉のひびきのように、重ねがさね昔のことが偲ばれます。


集歌3987 多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里
訓読 玉櫛笥(たまくしげ)二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり

私訳 玉櫛笥、その蓋の言葉のような、二上山に鳴く鳥の声を恋しき時がやって来ました。

右、三月卅日依興作之。大伴宿祢家持
左注 右は、三月卅日に興に依りて之を作る。大伴宿祢家持


四月十六日、夜裏、遥聞霍公鳥喧、述懐謌一首
標訓 四月十六日に、夜の裏(うち)に、遥かに霍公鳥の喧(な)くを聞き、懐(おもひ)を述べたる謌一首

集歌3988 奴婆多麻能 都奇尓牟加比氏 保登等藝須 奈久於登波流氣之 佐刀騰保美可聞
訓読 ぬばたまの月に向ひて霍公鳥(ほととぎす)鳴く音遥(はる)けし里(さと)遠(とほ)みかも

私訳 漆黒の月に向かってホトトギスの鳴く声が遠い。里から遠いからか。

右、大伴宿祢家持作之
左注 右は、大伴宿祢家持の之を作る


大目秦忌寸八千嶋之舘、餞守大伴宿祢家持宴謌二首
標訓 大目秦忌寸八千嶋の舘にして、守大伴宿祢家持に餞(はなむけ)せる宴(うたげ)の謌二首

集歌3989 奈呉能宇美能 意吉都之良奈美 志苦思苦尓 於毛保要武可母 多知和可礼奈波
訓読 奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば

私訳 奈呉(なご)の海の沖の白波が次々に打ち寄せるように、重ねがさね思われるでしょう。ここで立ち別れたら。


集歌3990 和加勢故波 多麻尓母我毛奈 手尓麻伎氏 見都追由可牟乎 於吉氏伊加婆乎思
訓読 我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し

私訳 私の大切な貴方が玉であったら手に巻いて、常に見ながら行くのですが、貴方をここに置いて行くのが残念です。

右、守大伴宿祢家持、以正税帳須入京師、仍作此謌、聊陳相別之嘆  四月廿日
左注 右は、守大伴宿祢家持、正税帳をもちて京師に入らむとし、仍りて此の謌を作り、聊(いささ)かに相別るる嘆きを陳(の)べたり。 四月廿日
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万葉集巻十七を鑑賞する  集歌3969から集歌3977まで

2012年07月23日 | 新訓 万葉集巻十七
万葉集巻十七を鑑賞する

更贈謌一首并短謌
標訓 更に贈れる謌一首并せて短謌
含弘之徳、垂恩蓬軆、不貲之思、報慰陋心。戴荷未春、無堪所喩也。但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏于彫蟲焉。幼年未逕山柿之門、裁謌之趣、詞失于聚林矣。爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠。因是俗愚懐癖、不能黙已。仍捧數行、式酬嗤咲。其詞曰  (酬は、酉+羽の当字)

標訓 含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪(あ)ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣は、詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式(も)ちて嗤咲(しせう)に酬(こた)ふ。その詞に曰はく、  (酬は、酉+羽の当字)

標訳 貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しい。幼き時に山柿の学風の門に通うことをしなかったことで、詩歌を創る意趣で、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、


集歌3969 於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氏許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家波 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花之 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流

訓読 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 級(しな)離(さか)る 越を治めに 出(い)でて来(こ)し 大夫(ますら)吾(われ)すら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床に臥(こ)い伏し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく 此処(ここ)に思ひ出 いらなけく 其処(そこ)に思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)る縁(よし)も無(な)み 思ほしき 言(こと)も通はず たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たお)り插頭(かざ)さず 春の野の 茂み飛びくく 鴬の 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを 徒(いたづら)に 過ぐし遣(や)りつれ 偲(しの)はせる 君が心を 愛(うる)はしみ この夜すがらに 寝(ゐ)も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る

私訳 大王の御任命によって、都の輝きから離れて、越の国を治めるために出立して来た、立派な大夫である私でも、世の中がいつもそうでないように、身を横たえ床に倒れ伏し、身体が痛むことが日に日にまさるので、悲しいことをここに思い浮かべ、辛いことをそこに思い浮かべ、嘆く身は心安らぐこともなく、もの思う身は苦しいのだが、足を引くような険しい山を隔たり、立派な鉾を立てる官道が遠いので使いを送り遣る事も出来ないので、思うことの伝言を伝えることも出来ず、寿命を刻む、その命は惜しいけど、どのようにして良いやら判らずに、部屋に隠って居て、物思いを嘆き、慰められる気持ちもないままに、春花が咲く盛りに、気の合う友と花枝を手折りかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐぐる鶯の声すら聞かず、娘女たちが春菜を摘もうと紅の赤い裳の裾を春雨にあでやかに濡れ染めて、通っているでしょう、その時の盛りを、空しくやり過ごしてしまったので、私を気にかけてくれる貴方の気持ちを有り難く思い、この夜一晩中、寝ることもせずに、今日一日も、貴方を慕っています。


集歌3970 安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氏婆 安礼古悲米夜母
訓読 あしひきの山桜花(さくらはな)一目だに君とし見てば吾(あれ)恋(こ)ひめやも

私訳 葦や檜の生える山の、その山桜の花を一目だけでも、貴方と思ってみたら、どうして私はこんなに貴方に会いたいと思うでしょうか。


集歌3971 夜麻扶枳能 之氣美等眦久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛
訓読 山吹の茂み飛びくく鴬の声を聞くらむ君は羨(とも)しも

私訳 山吹の茂みを飛び潜る鶯の鳴く声を聞いているでしょう、その貴方が羨ましい。


集歌3972 伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思
訓読 出で立たむ力を無(な)みと隠(こも)り居て君に恋ふるに心神(こころと)もなし

私訳 出で立つと思う気力が無いと部屋に隠り居て、貴方に会いたいと思うが、その気力が湧きません。

三月三日、大伴宿祢家持
左注 三月三日に、大伴宿祢家持


七言、晩春三日遊覧一首并序
標訓 七言、晩春の三月三日に遊覧せる一首并せて序
上巳名辰、暮春麗景、桃花昭瞼以分紅、柳色含苔而競緑。于時也、携手曠望江河之畔、訪酒迥過野客之家。既而也、琴樽得性、蘭契和光。嗟乎、今日所恨徳星己少欠。若不扣寂含之章、何以壚逍遥野趣。忽課短筆、聊勒四韻云尓、 (壚は、土偏でなく手偏の当字)
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
三月四日、大伴宿禰池主

標訓 上巳の名辰(めいしん)は、暮春の麗景(れいけい)、桃花(とうくわ)瞼を昭(あ)かし以ちて紅(くれなゐ)を分ち、柳は色を含みて苔(こけ)と緑を競う。その時に、手を携へて曠(はる)かに江河の畔を望み、酒を訪(とぶら)ひて迥(はる)かに野客の家を過ぐ。既にして、琴樽(きんそん)の性(さが)を得、蘭契(らんけい)光を和(やわら)ぐ。嗟乎(ああ)、今日、恨むるは徳星己(すで)に少きことか。若(も)し寂(じゃく)を扣(たた)き之の章を含(ふふ)まずは、何を以ちて野を逍遥する趣(こころ)を壚(の)べむ。忽(たちま)ちに短筆に課(おほ)せ、聊(いささ)かに四韻を勒(ろく)し云ふに、

餘春の媚日(びじつ)は怜賞(あは)れぶに宜(よろ)しく 上巳(じやうし)の風光は覧遊するに足る
柳陌(りうはく)は江に臨みて袨服(げんふく)を縟(まだらか)にし 桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ
雲罍(うんらい)に桂(けい)を酌(く)みて三清を湛(たた)へて 羽爵(うしゃく)は人を催(うなが)して九曲に流る
縦酔(しょうすい)に心を陶して彼我(ひが)を忘れて 酩酊し處として淹留(えんりう)せぬなし

三月四日に、大伴宿禰池主


標訳 三月三日の佳日には、暮春の風景は美しく、桃花は瞼を輝かしその紅色を見せ、柳は色を含んで苔とその緑を競う。その時に、友と手を携えて遥かに入り江や川のほとりを眺め、酒を供に遠くの野に住む人の家を行き過ぎる。そして、琴を奏で酒を楽しむことを得、君子の交わりは人の気を和らぐ。ああ、今日の日を怨むことは賢人を最初から欠くことでしょうか。もし、この風景に心を結びて文章としなければ、何をもって野をそぞろ歩く、その趣を顕そう。そこで拙い文才でもって、いささかな四韻の詩をしるし云うには、

暮春の媚日は称賛するにふさわしく、 三月三日の風光は遊覧するのに十分だ。
堤の柳は入り江に臨んで晴れの姿を美しくし、 桃源郷は海に通じて仙人の舟が浮かぶ。
雲雷の酒樽に桂の酒を酌んで盃に清酒を湛え、 羽爵の盃は人に酒を勧めて曲水を流れる。
酔うままに心は陶酔してすべてを忘れ、 酩酊して一つ所に留まることはない。

三月三日に、大伴宿禰池主。


昨日述短懐、今朝汗耳目。更承賜書、且奉不次。死罪々々。
不遺下賎、頻恵徳音。英雲星氣。逸調過人。智水仁山、既韞琳瑯之光彩、潘江陸海、自坐詩書之廊廟。騁思非常、託情有理、七歩成章、數篇満紙。巧遣愁人之重患、能除戀者之積思。山柿謌泉、比此如蔑。彫龍筆海、粲然得看矣。方知僕之有幸也。敬和謌。其詞云

標訓 昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。更に賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふじ)を奉る。死罪々々。
下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵む。英雲星氣あり。逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山は、既に琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海は、自(おのづ)から詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思(おもひ)を非常に騁(は)せ、情(こころ)を有理に託(よ)せ、七歩章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧みに愁人の重患を遣り、能く戀者(れんしゃ)の積思(せきし)を除く。山柿の謌泉は、此(これ)に比(くら)ぶれば蔑(な)きが如し。彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看るを得たり。方(まさ)に僕が幸(さきはひ)あることを知りぬ。敬みて和(こた)へたる謌。その詞に云ふに、

標訳 昨日、拙い思いを述べ、今朝、貴方のお目を汚します。さらにお手紙を賜り、こうして、拙い便りを差し上げます。死罪々々(漢文慣用句)。
下賤のこの身をお忘れなく頻りにお便りを頂きますが、英才があり優れた気韻があって、格調の高さは群を抜いています。貴方の智と仁とはもはや美玉の輝きを含んでおり、潘岳や陸機の如き貴方の詩文は、おのずから文学の殿堂に入るべきものです。詩想は高く駆けめぐり、心は道理に委ね、たちどころに文章を作り、多くの詩文が紙に満ちることです。愁いをもつ人の心の重い患いを巧みに晴らすことができ、恋する者の積る思いを除くことができます。山柿の歌はこれに比べれば、物の数ではありません。龍を彫るごとき筆は輝かしく目を見るばかりです。まさしく私の幸福を思い知りました。謹んで答える歌。その詞は、


集歌3973 憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐婆良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀眦等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比

訓読 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)障(さは)らず 天離る 鄙も治むる 大夫(ますらを)や なにか物思ふ 青丹(あをに)よし 奈良道来(き)通(かよ)ふ 玉梓の 使絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ吾(わ)が背 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 吾(あれ)に告ぐらく 山傍(やまび)には 桜花散り 貌鳥(かほとり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に 菫(すみれ)を摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ

私訳 大王の御命令を尊んで、足を引くような険しい山や野も障害とせず、都から離れた鄙も治める立派な大夫が、どうして物思いをしましょうか。青葉が美しい奈良への道を行き来する立派な梓の杖を持つ官の使いがどうして途絶えるでしょう。部屋に隠って人恋しく、ため息をついて心の底から嘆いている私の大切な貴方、昔から語り継いできたように、世の中は取るに足らないもののようです。貴方の気持ちを慰めることができないかと、里の人が云うには「山には桜花が散り、郭公が間も空けず続けて鳴く、春の野に菫を摘もうと紅の赤い裳の裾を引き、娘女たちは心を乱して恋人を待っていると、心の内で恋している」と。鬱陶しいことです。さあ、会いに行きましょう。行くことは決まっているのです。


集歌3974 夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由
訓読 山吹は日(ひ)に日に咲きぬ愛(うるは)しと我が思ふ君はしくしく思ほゆ

私訳 山吹は日一日と咲きます。うるわしいと私が思う貴方のことは、しきりに気に掛ります。


集歌3975 和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母
訓読 吾(わ)が背子に恋ひすべながり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ吾(あれ)し悲しも

私訳 私の尊敬する貴方を慕っても甲斐がありません。葦の垣根のように隔てた外で嘆いている私は、辛い。

三月五日、大伴宿祢池主
左注 三月五日に、大伴宿祢池主


昨暮来使、幸也以垂晩春遊覧之詩、今朝累信、辱也以貺相招望野之歌。一看玉藻、稍寫欝結、二吟秀句、已蠲愁緒。非此眺翫、孰能暢心乎。但惟下僕、稟性難彫、闇神靡瑩。握翰腐毫、對研忘渇。終日目流、綴之不能。所謂文章天骨、習之不得也。豈堪探字勒韻、叶和雅篇哉。抑聞鄙里少兒、古人言無不酬。聊裁拙詠、敬擬解咲焉
(如今、賦言勒韵、同斯雅作之篇。豈殊将石間瓊、唱聾遊之曲欤。抑小兒譬濫謡。敬寫葉端、式擬乱曰)

七言一首
杪春餘日媚景麗 初巳和風拂自軽
来燕銜泥賀宇入 帰鴻引蘆迥赴瀛
聞君肅侶新流曲 禊飲催爵泛河清
雖欲追尋良此宴 還知染懊脚玲酊 (玲は、王偏が足偏の当字、酊は酉偏が足偏の当字)

標訓 昨暮(さくぼ)の来使は、幸(さきは)ひに晩春遊覧の詩を垂れ、今朝の累信(るいしん)は、辱(たかじけな)くも相招(さうせう)望野(ぼうや)の歌を貺(たま)ふ。一たび玉藻を看(み)て、稍(やくや)く欝結(うつけつ)を寫(のぞ)き、二たび秀句を吟(うた)ひて、已(すで)に愁緒(しうしよ)を蠲(のぞ)く。此の眺翫(てつぐわん)あらづは、孰(たれ)か能く心を暢(の)べむ。ただ、惟(これ)、下僕(やつかれ)、稟性(ひんせい)彫(ゑ)り難く、闇神(あんしん)瑩(みが)くこと靡(な)し。翰(ふで)を握(と)りて毫(がう)を腐(くた)し、研(すずり)に對(むか)ひて渇くことを忘る。終日(ひねもす)に目流(もくる)して、綴(つづ)れども能(あた)はず。所謂(いはゆる)文章は天骨にして、習ひて之を得ず。豈(あに)、字を探り韻を勒(ろく)すを堪(あ)へ、雅篇に叶和(けふわ)するや。抑(そもそも)鄙里(ひり)の少兒(せうに)に聞くに、古人は言(こと)に酬(こた)へぬこと無しといへり。聊(いささ)かに拙詠を裁(つく)り、敬みて解咲(かいせう)に擬(なぞ)ふ。
(如今(いまし)、言を賦し韵を勒(ろく)し、斯(そ)の雅作の篇に同ず。豈、石を将(も)ちて瓊(たま)に間(まじ)へ、聾に唱(とな)へこの曲に遊ぶに殊ならめや。抑(よそもそも)小兒の濫(みだり)に謡(うた)ふが譬(ごと)し。敬みて葉端に寫し、式(も)ちて乱に擬(なぞ)へて曰はく)

杪春(びょうしゅん)の餘日媚景(びけい)は麗(うるは)しく 初巳(しょし)の和風は拂ひて自(おのづか)らに軽し
来燕(らいえん)は泥(ひぢ)を銜(ふふ)みてを宇(いへ)を賀(ほ)きて入り 帰鴻(きこう)は蘆(あし)を引きて迥(はる)かに瀛(おき)に赴く
聞く君が侶(とも)に肅(しゅく)して流曲を新たにし 禊飲(けいいん)に爵(さかづき)を催(うなが)して河清に泛(うか)び
追ひて良く此の宴(うたげ)を尋ねむとすれども 還りて知る懊(やまひ)に染みて脚の玲酊(れいてい)なることを

標訳 昨日夕刻の使者はうれしくも晩春遊覧の詩を届けてくれ、今朝の重ねてのお便りは、有り難くも野遊びへの誘いの歌を下さいました。最初の御文を見て多少憂うつな心の晴れるのを感じ、再び秀れた歌を吟じてすでに愁いの気分が除かれました。この風光を眺め楽しむ以外に、なにがよく心をのびやかにするものがありましょう。ただ、私は生まれつき文章を起こす素質がなく、愚鈍な心は磨くところがありません。筆を取っても筆先を腐らせるだけですし、硯に向かっても水が乾くのもわからないほどに考えるばかりです。一日中眺めていても文を綴ることができません。いわゆる文章というものは天性のもので、習って得られるものではありません。どうして、言葉を探し韻を踏んで詩を起こし、あなたの風雅な詩にうまく応じられましょうか。しかし、そもそも村里の子供に聞いても、昔の人は贈られた文章には答えないことはないと云います。そこで拙い詩を作り、謹んでお笑い草といたします。
(今、詩を起こし韻を踏み、貴方の風雅な御作に答えます。どうして、それが石をもって玉の中に雑じえ、声を上げて詠って自分の歌を喜ぶことと他なりましょうか。そもそも子供がやたらに歌うようなものです。謹んで紙の端に書き、それを乱れの真似ごととし、云うには)

暮春の残影の明媚な景色はうららかに、上巳のなごやかな風は吹き来て自ずから軽やかである
飛来した燕は泥を口に含んで家に入り祝福し、北へ帰る雁は蘆を持って遠く沖へ赴く
聞くに貴方は友と共に詩歌を吟じ曲水の歌を新たにし、上巳の禊飲に盃を勧め清き流れに浮かべ
出かけて行ってこの佳き宴を尋ねようと思うが、還って知る。病に染まり足がよろめくのを


短謌
集歌3976 佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈
訓読 咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの山吹を見せつつもとな

私訳 咲いていることも知らないままでいたなら黙っていたのですが、山吹の花を見せながら、空しい。


集歌3977 安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許古婆 伊米尓見要家礼
訓読 葦垣(あしかき)の外(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれここば夢(いめ)に見えけれ

私訳 葦の垣根のように隔てた外からでも貴方が立ち寄って居て、私に気に掛けて貴方が来るから夢に見えたのです。

三月五日、大伴宿祢家持臥病作之
左注 三月五日に、大伴宿祢家持の病に臥して之を作る
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