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竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌3348から集歌3352まで

2022年06月30日 | 新訓 万葉集
東歌
標訓 東歌(あずまうた)
集歌3348 奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等抒米牟 佐欲布氣尓家里
訓読 夏麻(なつそ)引く海上潟(うなかみかた)の沖つ渚(す)に船は留めむさ夜更けにけり
私訳 夏の麻を引き抜き績(う)む、その言葉のひびきのような、海上(うなかみ)潟の沖の洲に船を留めよう。もう夜は更けました。
右一首、上総國歌
注訓 右の一首は、上総國の歌

集歌3349 可豆思加乃 麻萬能宇良末乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
訓読 葛飾(かづしか)の真間(まま)の浦廻(うらま)を漕ぐ船の船人(ふなひと)騒(さわ)く波立つらしも
私訳 葛飾の真間の入り江を操り行く船の船人が騒いでいる。浪が立って来たらしい。
右一首、下総國歌
注訓 右の一首は、下総國の歌

集歌3350 筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
訓読 筑波嶺(つくばね)の新(にひ)桑繭(くはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)あやに着(き)欲(ほ)しも
私訳 筑波山の新しい桑の葉で飼った繭で作った絹の衣はありますが、愛しい人と夜床で交換する、その貴方の御衣を無性にこの身に着けたいと願います。
或本歌曰、多良知祢能 又云 安麻多伎保思母
或る本の歌に曰はく、
訓読 足乳根(たらちね)の、又は云はく、あまた着(き)欲(ほ)しも
私訳 心を満たす、又は云うには、心から着たいと思います

集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しいあの娘が布を乾かしているのでしょうか。
右二首、常陸國歌
注訓 右の二首は、常陸國の歌

集歌3352 信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣波 登伎須疑尓家里
訓読 信濃(しなの)なる須我(すが)の荒野(あらの)に霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞けは時過ぎにけり
私訳 信濃の国にある須賀の荒野で過去を乞うホトトギスの鳴く声を聞くと、天武天皇が王都の地を求めたと云う過去の栄華は過ぎてしまった。
右一首、信濃國歌
注訓 右の一首は、信濃國の歌

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万葉集 集歌3341から集歌3347まで

2022年06月29日 | 新訓 万葉集
集歌3341 家人乃 将待物矣 津煎裳無 荒礒矣巻而 偃有君鴨
訓読 家人(いへひと)の待つらむものをつれもなき荒礒(ありそ)を纏(ま)きて偃(こや)せる君かも
私訳 家の人が待っているのに、縁もない荒磯の岩を纏って伏し倒れて貴方です。

集歌3342 納潭 偃為君矣 今日々々跡 将来跡将待 妻之可奈思母
訓読 納(な)ふ潭(ふち)に偃(こや)せる君を今日(けふ)今日と来(こ)むと待つらむ妻し悲しも
私訳 岬に囲まれ波が集まる淵に伏し倒れている貴方を今日か今日かと還って来るでしょうと待っている妻が哀れなことです。
注意 原文の「納潭」は、一般に「細(草冠+潭)」の誤記とします。

集歌3343 納浪 来依濱丹 津煎裳無 偃為君賀 家道不知裳
訓読 納(な)ふ浪(なみ)の来寄する浜につれもなく偃(こや)せる君が家道(いへぢ)知らずも
私訳 入江に集まるような波が来寄る浜に、何の縁もなく伏し倒れている貴方が、帰るべき家道を知らないのでしょうか。
注意 原文の「納浪」は、一般に「汭浪」と記します。
右九首
注訓 右は、九首

集歌3344 此月者 君将来跡 大舟之 思憑而 何時可登 吾待居者 黄葉之 過行跡 玉梓之 使之云者 螢成 髣髴聞而 大士乎 太穂跡立而 立居而 去方毛不知 朝霧乃 思惑而 杖不足 八尺乃嘆 々友 記乎無見跡 何所鹿 君之将座跡 天雲乃 行之随尓 所射完乃 行父将死跡 思友 道之不知者 獨居而 君尓戀尓 哭耳思所泣
訓読 この月は 君来(き)まさむと 大船の 思ひ頼みて 何時(いつ)しかと 吾が待ち居れば 黄葉(もみちは)の 過ぎてい行くと 玉梓の 使(つかひ)の言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大士(みほとけ)を 太穂(ふとほ)と立てて 立ちて居(ゐ)て 行方(ゆくへ)も知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 杖(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆(なげ)き 嘆けども 験(しるし)を無(な)みと 何処(いづく)にか 君が坐(ま)さむと 天雲の 行きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 この月こそは貴方は還って来られると大船のように信頼して思い込んで、何時還って来られるのでしょうと私が待っていれば、貴方は黄葉のようにこの世から過ぎて行かれたと、使者の印の立派な梓の杖を持つ使いが云うのを蛍の光のようにぼんやりと聞いて、観音菩薩を貴く立派に立て、御仏に頼るのに立っても座っても、どうすれば良いか判らず、朝霧に道を迷うように思い迷い、貴方が亡くなられたと云う、ひと杖に二尺足りない八尺(八坂)の嘆きを嘆くのだが甲斐がないので、どこに貴方がいらっしゃるのかと天雲が流れ逝くまにまに、貴方を尋ねていって矢に射られた鹿や猪のように狂ったように走り死のうと思っても、尋ねる先の道を知らないので、私一人で暮らすに貴方を恋しく想い、恨めしく泣いてしまう。
注意 一般には原文の「大士乎」は「大土乎」、「太穂跡立而」を「火穂跡而」、「思惑而」を「思或而」、「行父将死跡」を「行文将死跡」と校訂します。そのため、歌意が大幅に変わるところがあります。

反歌
集歌3345 葦邊徃 鴈之翅乎 見別 君之佩具之 投箭之所思
訓読 葦辺行く雁の翅(つばさ)を見るごとに君の佩(お)ばしし投箭(なげや)し思ほゆ
私訳 葦の生い茂る水辺を行く雁の翅を見るたびに、貴方が身に着けていた投げ矢が思い出されます。
右二首。但、或云此短歌者、防人之妻所作也。然則應知長歌亦此同作焉
注訓 右は二首。ただ、或は云はく「此の短歌は、防人の妻の作りし所なり」といへり。然れば則ち、長歌もまた此と同じく作れりと知るべし。

集歌3346 欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 國丹放甞 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之氣尓 妻應離哉
訓読 見欲(ほ)しきは 雲居に見ゆる うるはしき 鳥羽(とば)の松原 小子(こども)ども いざわ出で見む 琴(こと)酒(さけ)は 国に放(さ)けなむ こと避(さ)けは 家に離(さ)けなむ 天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや
私訳 見たいと思うのは雲の彼方に見える愛しい鳥羽の松原よ。供の者たちを率いて出て見よう。琴を奏でるような風雅な宴会は故郷で開こう、もの忌みならば家でお籠りしよう。天と地の神が恨めしい。草を枕とするこの旅路の中での、この日に妻と死出の離別をするべきでしょうか。

反歌
集歌3347 草枕 此羈之氣尓 妻敬 家道思 生為便無
訓読 草枕この旅の日に妻敬(つつ)し家道(いへぢ)思ふに生けるすべ無(な)し
私訳 草を枕にするこの旅路の中で、この日に妻は死んで横たわり厳粛にしている。これからの家への道のりを思うと生きている気がしません。
或本歌曰、羈之氣二為而
注訓 或る本の歌に曰はく、旅の日(け)にして
右二首
注訓 右は二首
注意 原文の「妻敬」の「敬」は、一般に「放」の誤記で「妻放」と記し「妻(つま)放(さ)り」と訓みます。ここでは原文を尊重しています。

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万葉集 集歌3336から集歌3340まで

2022年06月28日 | 新訓 万葉集
集歌3336 鳥音之 所聞海尓 高山麻 障所為而 奥藻麻 枕所為 我葉之 衣浴不服尓 不知魚取 海之濱邊尓 浦裳無 所宿有人者 母父尓 真名子尓可有六 若草之 妻香有異六 思布 言傳八跡 家問者 家乎母不告 名問跡 名谷母不告 哭兒如 言谷不語 思鞆 悲物者 世間有
訓読 鳥が音(ね)の 聞こゆる海に 高山を 障(へだ)てになして 沖つ藻を 枕になし 蛾羽(がのは)の 衣よく着ずに 鯨魚(いさな)取り 海の浜辺に うらもなく 宿(こや)せる人は 母父(おもちち)に 愛子(まなご)にかあらむ 若草の 妻かありけむ 思(おも)ほしき 言伝(ことつ)てむやと 家問へば 家をも告(の)らず 名を問へど 名だにも告(の)らず 泣く児なす 言(こと)だに語らず 思へども 悲しきものは 世間(よのなか)にぞある
私訳 鳥が啼く声が聞こえる海で、高い山を部屋の壁として、沖からの藻を枕として、蛾の羽のようなうら汚れた粗末な衣すら着ずに、鯨を取るような大きな魚のいる海の海岸で、人の気配もなく横たわっている貴方は、母や父には愛しい子でしょうか、若草のような初々しい妻がいるのでしょうか、心に残ることを伝えようと、家を問うと家の場所も告げず、名前を問うと名前すら告げない。母を乞う泣く子のような言葉すら語らない。思って見ても、悲しいことは、この人の世にある。

反歌
集歌3337 母父毛 妻毛子等毛 高々二 来跡待異六 人之悲沙
訓読 母父(おもちち)も妻も子どもも高々(たかだか)に来むと待ちけむ人の悲しさ
私訳 母や父も、妻も子供も背を伸ばし首を伸ばして彼方を眺め、貴方が還って来るでしょうと待たれる、その貴方が哀れです。

集歌3338 蘆桧木乃 山道者将行 風吹者 浪之塞 海道者不行
訓読 あしひきの山道(やまぢ)は行かむ風吹けば波の塞(さや)ふる海道(うなぢ)は行かじ
私訳 葦や桧の生える山道を行こう。風が吹くと波が道を塞ぐ海沿いの道は行かない。

或本歌
備後國神嶋濱調使首見屍作歌一首并短歌
標訓 或る本の歌
備後國(きびのみちのしりのくに)の神嶋の濱にして、調使首(つきのおみのおびと)の屍(かばね)を見て作れる歌一首并せて短歌
集歌3339 玉桙之 道尓出立 葦引乃 野行山行 潦 川徃渉 鯨名取 海路丹出而 吹風裳 母穂丹者不吹 立浪裳 箟跡丹者不起 恐耶 神之渡乃 敷浪乃 寄濱部丹 高山矣 部立丹置而 細藻矣 枕丹巻而 占裳無 偃為君者 母父之 愛子丹裳在将 稚草之 妻裳有将等 家問跡 家道裳不云 名矣問跡 名谷裳不告 誰之言矣 勞鴨 腫浪能 恐海矣 直渉異将
訓読 玉桙の 道に出で立ち あしひきの 野(の)行き山行き 直(ただ)海(うみ)の 川行き渡り 鯨魚(いさな)取り 海道(うなぢ)に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たぬ 畏(かしこ)きや 神の渡りの 重波(しきなみ)の 寄する浜辺に 高山を 隔(へだ)てに置きて 沖つ藻を 枕に纏(ま)きて うらもなく 偃(こや)せる君は 母父(おもちち)が 愛子(まなご)にもあらむ 若草の 妻もあらむと 家問へど 家道も言はず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)の言(こと)を いたはしとかも とゐ波の 畏(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ
私訳 美しい鉾を立てる公の道を出発し、葦や桧が生い茂る山を行き野を行き、海のような広い川を行って渡り、鯨を取るような大きな魚のいる海路に出て、恐れ多い神の神島の渡りの、複雑な波が寄せて来る浜辺で、高い山を部屋の壁として、沖からの藻を枕として、人の気配もなく横たわっている貴方は、母や父には愛しい子でしょうか、若草のような初々しい妻がいるのでしょうか、家を問うと家の場所も告げず、名前を問うと名前すら告げない。どの人が貴方を労しいと思っていると思って、うねりの立つ恐ろしい海を、貴方は恐れることなく渡っていったのです。

反歌
集歌3340 母父裳 妻裳子等裳 高々丹 来跡待 人乃悲
訓読 母父(おもちち)も妻も子どもも高々(たかだか)に来むと待つらむ人の悲しさ
私訳 母や父も、妻も子供も背を伸ばし首を伸ばして彼方を眺め、貴方が還って来るでしょうと待たれる、その貴方が哀れです。

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万葉集 集歌3331から集歌3335まで

2022年06月27日 | 新訓 万葉集
集歌3331 隠来之 長谷之山 青幡之 忍坂山者 走出之 宜山之 出立之 妙山叙 惜 山之 荒巻惜毛
訓読 隠来(こもくり)の 長谷の山 青旗(あをはた)の 忍坂(おさか)の山は 走出(はしりで)の 宜(よろ)しき山の 出立(いでたち)の 妙(くは)しき山ぞ 惜(あたら)しき 山の 荒(あ)れまく惜しも
私訳 人が亡くなると隠りやって来る長谷にある山、青旗(東方に位置する)の忍坂の山は山裾が素晴らしい山、山容が妙麗な山です。痛ましいことに、その山が死者の新しい魂を受け入れて荒らぶるのが痛ましい。

集歌3332 高山与 海社者 山随 如此毛現 海随 然真有目 人者苑物曽 空蝉与人
訓読 高山と 海こそば 山ながら かくも現(うつ)しく 海ながら 然(しか)真(まさ)ならめ 人は苑物(そのもの)ぞ 現世(うつそみ)よ人(ひと)
私訳 高き山と海だけは、山そのままに、このように在るがままに有り、海そのままに、このように在るがままに見る。人生は散り逝く苑の花のようなものです。この世の人の人生は。
注意 原文の「人者苑物曽」は、一般に「人者花物曽」と記し「人は花物そ」と訓みます。

右三首
注訓 右は、三首

集歌3333 王之 御命恐 秋津嶋 倭雄過而 大伴之 御津之濱邊従 大舟尓 真梶繁貫 旦名伎尓 水干之音為乍 夕名寸尓 梶音為乍 行師君 何時来座登 大夕卜置而 齊度尓 抂言哉 人之言釣 我心 盡之山之 黄葉之 散過去常 公之正香乎
訓読 王(おほきみ)の 御命(みこと)恐(かしこ)み 蜻蛉島(あきつしま) 大和を過ぎて 大伴の 御津の浜辺ゆ 大船に 真梶(まかじ)繁(しじ)貫(ぬ)き 朝凪に 水(みづ)干(ひ)の音(ね)しつ 夕凪に 梶の音(ね)しつつ 行きし君 何時(いつ)来(き)まさむと 大夕卜(おほうら)置きて 斎(いは)ひ渡るに 抂言(たはごと)か 人の言ひつる 我が心 筑紫(つくし)の山の 黄葉(もみちは)の 散りて過ぎぬと 君が正香(ただか)を
私訳 王のご命令を謹んで承り、蜻蛉島の大和を行き過ぎて大伴の御津の浜辺から、大船に立派な舵を貫き挿し、朝の凪に潮が引く音がし、夕凪に梶の音をさせて出発された貴方は、何時帰って来られると、夕べに占いをして、神に貴方のお帰りをお祈りするに、事実とは違う話でしょうか、人が言うには、私が心を尽くして慕っている貴方は「筑紫の山の黄葉のように命を尽くし果たして散ってしまわれた」と。貴方の御噂を。
注意 原文の「抂言哉」は、一般に「狂言哉」と記し「狂言(たはごと)や」と訓みます。

反歌
集歌3334 抂言哉 人之云鶴 玉緒乃 長登君者 言手師物乎
訓読 抂言(たはごと)か人の云ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
私訳 事実とは違う話でしょうか、人が云うことは。玉の貫く紐の緒が長いように、「我命は久しく長い」と貴方は云っていらっしていたのに。
注意 原文に「抂言哉」は、一般に「狂言哉」と記し「狂言(たはごと)や」と訓みます。
右二首
注訓 右は、二首

集歌3335 玉桙之 道去人者 足桧木之 山行野徃 直海 川徃渡 不知魚取 海道荷出而 惶八 神之渡者 吹風母 和者不吹 立浪母 踈不立 跡座浪之 塞道麻 誰心 勞跡鴨 直渡異六
訓読 玉桙(たまほこ)の 道行く人は あしひきの 山行き野(の)行き 直(ただ)海(うみ)の 川行き渡り 鯨魚(いさな)取り 海道(うなぢ)に出でて 畏(かしこ)きや 神の渡りは 吹く風も 和(のど)には吹かず 立つ波も 凡(おほ)には立たず とゐ波の 塞(さや)ふる道を 誰(た)が心 いたはしとかも 直(ただ)渡りけむ
私訳 美しい鉾を立てる公の道を行く人は、葦や桧が生い茂る山を行き野を行き、海のような広い川を行って渡り、鯨を取るような大きな魚のいる海路に出て、恐れ多いことに伊勢の神の渡りは、吹く風も穏やかには吹かず、立つ浪も穏やかにな立たない。大うねりの波に海路を塞がれる道を、どの人が貴方を労しいと思っていると思って、恐れることなく真っ直ぐに渡っていったのだろう。

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墨子 巻六 節用上(原文・読み下し・現代語訳)

2022年06月26日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻六 節用上(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《節用上》:原文
聖人為政一國、一國可倍也、大之為政天下、天下可倍也。其倍之非外取地也、因其國家、去其無用之費、足以倍之。聖王為政、其発令興事、使民用財也。無不加用而為者、是故用財不費、民德不労、其興利多矣。其為衣裘何。以為冬以圉寒、夏以圉暑。凡為衣裳之道、冬加溫、夏加凊者、芊䱉不加者去之。其為宮室何。以為冬以圉風寒、夏以圉暑雨、有盜賊加固者、芊䱉不加者去之。其為甲盾五兵何。以為以圉寇乱盜賊、若有寇乱盜賊、有甲盾五兵者勝、無者不勝。是故聖人作為甲盾五兵。凡為甲盾五兵加軽以利、堅而難折者、芊䱉不加者去之。其為舟車何。以為車以行陵陸、舟以行川谷、以通四方之利。凡為舟車之道、加軽以利者、芊䱉不加者去之。凡其為此物也、無不加用而為者、是故用財不費、民德不労、其興利多矣。
有去大人之好聚珠玉、鳥獣、犬馬、以益衣裳、宮室、甲盾、五兵、舟車之數於數倍乎。若則不難、故孰為難倍。唯人為難倍。然人有可倍也。昔者聖王為法曰、丈夫年二十、毋敢不處家。女子年十五、毋敢不事人。此聖王之法也。聖王即沒、于民次也、其欲蚤處家者、有所二十年處家、其欲晚處家者、有所四十年處家。以其蚤與其晚相踐、後聖王之法十年。若純三年而字、子生可以二三年矣。此不惟使民蚤處家而可以倍與。且不然已。
今天下為政者、其所以寡人之道多、其使民労、其籍歛厚、民財不足、凍餓死者不可勝數也。且大人惟毋興師以攻伐隣國、久者終年、速者數月、男女久不相見、此所以寡人之道也。與居處不安、飲食不時、作疾病死者、有與侵就伏橐、攻城野戦死者、不可勝數。此不令為政者、所以寡人之道數術而起與。聖人為政特無此、不聖人為政、其所以衆人之道亦數術而起與。故子墨子曰、去無用之費、聖王之道、天下之大利也。

字典を使用するときに注意すべき文字
費、損也、耗也。 そこなう、うしなう、の意あり。
労、劇也。又憂也。 はげしい、うれう、の意あり。
徳、慶賞之謂徳。 上からの慶賞の分配、または、その能力、の意あり。
芊、草盛也。 雑草が茂る様、転じて、粗末な、の意あり。
䱉、小魚啖蝦䱉、 細かな魚、転じて、身近なもの、の意あり。
宮室、古時房屋的通称 家屋、部屋、の意あり。
次、又處。 しょするから、ほしいままにする、の意あり。
蚤、通早 通字より、はやく、の意あり。
字、又女許嫁曰字。 「いいなずけ」から、こんいん、の意あり。
純,猶皆也。 みな、の意あり。
橐、又冶器也。 攻城隧道戦で穴に煙を流し込む、の意あり。備穴篇を参照

《節用上》:読み下し
聖人が政(まつりごと)を一國に為せば、一國を倍(ばい)するは可(か)なり。之を大にして政(まつりごと)を天下に為せば、天下も倍するは可なり。其の之を倍するは外に地を取るに非ずなり、其の國家に因り、其の無用の費(ついえ)を去り、以って之を倍するに足る。
聖王は政(まつりごと)を為すに、其の令(れい)を発し事を興し、民を使い財を用ふるなり。用(よう)を加へずして而して為す者は無く、是の故に財を用ふるに費(そこな)はず、民の德を労(うれ)はずして、其の利を興すこと多し。其の衣裘(いきゅう)を為(つく)るは何(なん)ぞ。以って冬は以って寒を圉(ふせ)ぎ、夏は以って暑を圉(ふせ)ぐを為す。凡そ衣裳を為(つく)るの道は、冬は溫を加え、夏は凊を加ふるものにして、芊䱉(せんしょ)をして加へざるは之を去る。其の宮室を為(つく)るは何(なん)ぞ。以って為(つく)るは冬の以って風寒を圉(ふせ)ぎ、夏の以って暑雨を圉(ふせ)ぎ、盜賊有りて固(かた)きを加えるものにして、芊䱉(せんしょ)にして加へざるは之を去る。其の甲盾(こうじゅん)五兵(ごへい)を為(つく)るは何(なん)ぞ。以って為(つく)るは以って寇乱(こうらん)盜賊(とうぞく)を圉(ふせ)ぎ、若し寇乱盜賊が有らば、甲盾五兵の有る者は勝ち、無き者は勝たず。是の故に聖人は甲盾五兵を作為(さくい)せり。凡そ甲盾五兵を為るは軽(けい)にして以って利を加え、堅(けん)して而って折れ難くし、芊䱉(せんしょ)にして加へざるは去る。其の舟車を為(つく)るは何ぞ。以って為(つく)るは車は以って陵陸(りょうりく)を行き、舟は以って川谷を行き、以って四方(よも)の利を通ずるなり。凡そ舟車を為(つく)るの道は、軽にして以って利を加え、芊䱉(せんしょ)にして加へざるは去る。凡そ其の此の物を為(つく)るは、用を加へずして而して為(つく)る者は無し。是の故に財を用ふること費(そこな)はず、民の德を労(うれ)はずして、其の利を興(おこ)すこと多し。
有りて、大人が好(この)みて聚(あつ)むる珠玉、鳥獣、犬馬を去りて、以って衣裳、宮室、甲盾、五兵、舟車の數を益さば數に於いて倍せむ。若(かくのごと)きは則ち難(かた)からず、故に孰(いず)れかを倍し難きと為す。唯(ただ)、人は倍し難きと為す。然れども人を倍す可(べ)きは有り。昔の聖王は法(のり)を為(つく)りて曰く、丈夫は年二十にて、敢(あえ)て家に處(よ)るは毋(な)し。女子は年十五にして、敢(あえ)て人に事(つか)へざるは毋(な)し。此れ聖王の法(のり)なり。
聖王は即ち沒(ぼつ)し、于(ここ)に民は次(ほしいまま)となり、其の蚤(はや)く家を處(しょ)せむことを欲する者は、所(とき)に有りて二十年にして家を處(しょ)し、其の晚(おそ)く家を處(しょ)せむと欲する者は、所(とき)に有りて四十年にして家を處(しょ)す。以って其の蚤(はや)くと其の晚(おそ)くとを相(あい)踐(のぞ)かば、聖王の法(のり)に後るること十年なり。若(も)し純(みな)が三年にして而して字(なのり)すれば、子の生(う)るること以って二三年なる可(べ)し。此は惟(ただ)に民をして蚤(はや)く家を處(しょ)し使(し)むるのみならずて而して以って倍す可(べ)きなり。且つ然(しか)る已(のみ)ならざる。
今、天下の政(まつりごと)を為す者は、其の人を寡(すくな)くする所以(ゆえん)の道は多し、其の民を使うに労(つかれ)させ、其の籍歛(せきれん)は厚く、民の財は足らず、凍餓(とうが)して死する者の勝(あ)げて數ふる可(べ)からず。且(さら)に大人は惟毋(ただ)師(いくさ)を興し以って隣國を攻伐し、久しきは終年し、速(すみやか)なるも數月なり。男女は久しく相(あい)見(まみ)えず、此は人を寡(すくな)くする所以(ゆえん)の道なり。居處は安からず、飲食は時ならず、疾病を作(さく)して死する者と、有りて侵就(しんじゅ)伏橐(ふたく)し、攻城野戦して死する者、勝(あ)げて數ふる可(べ)からず。此の政(まつりごと)を為す者をして、人を寡(すくな)くする所以(ゆえん)の道は數術(すうじゅつ)にして而して起るならずや。聖人の政(まつりごと)を為すは特に此は無し、聖人の政(まつりごと)を為すに、其の人を衆(おお)くする所以(ゆえん)の道も亦た數術(すうじゅつ)にして而して起るならずや。故に子墨子の曰く、無用の費(ついえ)を去るは、聖王の道にして、天下の大利なり。


《節用上》:現代語訳
聖人が政治を一国に行えば、一国の利を倍にすることは可能だ。これを大いにして政治を天下に行えば、天下の利も倍にすることは可能だ。その利を倍にすることとは外に領土を取ることではない。その国家の内政により、その国家の無用な費用を取り除けば、これにより利を倍にすることに足りる。
聖王は政治を行うに、その国に政令を発して、事業を興し、民を使い、財を用いる。民や財を用いるのに効用を考慮せずに事業を行う者はおらず、そのために財を用いて無駄にすることはなく、民への利益の分配を心配することなく、その利のある事業を興すことが多い。その衣服を作るのは何のためか。それにより冬は寒さを防ぎ、夏は暑さを防ぐことを行う。およそ、衣装を作る道理は、冬は暖かさを加え、夏は涼しさを加えるものであり、質素実用でなければ衣装として使わない。その建物を作るのは何のためか。それを作るのは冬の強風と寒さを防ぎ、夏の暑さと雨を防ぎ、盗賊が襲っても警備の固さを加えるものであり、質素実用でなければ建物として使わない。その武器五種類を作るのは何のためか。それを作るのは戦乱や盗賊を防ぎ、もし、戦乱や盗賊があれば、武器五種類を保有するものは勝ち、もっていない者は勝てない。このために聖人は兵器五種類を作ったのだ。およそ、兵器五種類を作るのに、軽くて鋭利であり、堅牢にして折れ難くし、質素実用でなければ兵器として使わない。その舟や車を作るのは何のためか。それを作って車は丘や平野を行き、舟は川や谷を行き、四方の交通の利便を通じさせる。およそ、舟や車を作る道理は、軽くして利便性を加え、質素実用でなければ使用しない。およそ、このような物を作るときに、効用を加えずに作る者はいない。このようなことで、財を用いても無駄にせず、民への利の分配を心配することなく、その利のある事業を興すことが多い。
良くあることで、大人が好んで集める珠玉、鳥獣、犬馬を集めず、その代わりに実用の衣裳、実用の建物、実用の甲冑、実用の兵器、実用の舟や車の数を増やせば、(同じ財で)数では倍に出来るだろう。このようなことは難事ではなく、そのために、なにをかを倍にすることが難しいだろうか。ただ、人口は倍にするのは難しい。然しながら、人口を倍にする方法はある。昔、聖王は法を作って言うことには、健康な男は年二十歳で実家に居てはいけない。女子は年十五歳で、結婚しないのはいけない。これは聖王の法なのだ。聖王はすでに没し、ここに民衆は勝手気ままとなり、健康の男子で早く一家を持ちたいと希望する者は、時に二十歳で一家を持ち、遅く一家を持ちたいと希望する者は、時に四十歳で一家を持つ。これにより、その早く一家を持つ者と遅く一家を持つ者とを計算からともに除くと、(一家を持つ者の平均の歳は)聖王の法に遅れること十年である。もし、皆が(一家を持ち)三年の間に許嫁を持てば、子が生まれるのはそれから二三年であろう。聖王の法は民衆に早く一家を持たせるためだけでなく、それにより人口を倍にすることが出来るのだ。そして、これしか方法がないのだ。
今、天下の政治を行う者は、その国の人口を少なくするものの原因は多く、その民を使役することで疲弊させ、その国の徴税は厚く、民の財は足らず、凍え飢え死にする者の数は数えきれない。さらに大人はただ戦争を興し、隣国を攻伐し、戦役の長いものでは一年、速やかに終戦しても数か月だ。男女は久しく逢えないことになり、これは人口を少なくする原因だ。また戦争の動員で生活は安定せず、日々の食事の回数も一定せず、病気を発症して死ぬ者と、塹壕や隧道を使った攻城火攻めへの従軍、攻城や野戦に従軍して死ぬ者の数は数えきれない。このような政治を行う者からすれば、人口を少なくする原因はこのような数々のことにより起きるのではないだろうか。それで、子墨子の言われたことには、『無用の費用を省くのは、聖王の道であり、天下の大利なのだ』と。

注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。
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