万葉集 類型歌を楽しむ、簾を揺らす風
少し気になる類型歌を伴う旋頭歌があります。それが、次の集歌2364の旋頭歌です。この旋頭歌は万葉集に先行する最古の歌集との称される古歌集に載る旋頭歌ですので、万葉時代でも藤原京時代頃の初期に創作されたか、採歌されたものです。
集歌2364 玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の隙(すけき)に入り通(かよ)ひ来(こ)ね たらちねの母が問(と)はさば風と申(まを)さむ
私訳 美しく垂らすかわいい簾の隙間から入って私の許に通って来てください。乳を与えて育てくれた実母が簾の揺れ動きを問うたら、風と答えましょう。
この恋人の訪れを部屋に垂れ下げた簾の揺れ動きと風で表現する姿は、万葉集でも特異な表現です。そのため、四千五百余首の万葉集の歌々の中でも、類型歌は次に示す数首の歌しかありません。
その次に紹介する歌は、歌番号の順ではなく、恣意的に女性の心の動きを想像して順を入れ替えています。集歌2364の歌の情景を踏まえますと、このような鑑賞も可能と思います。
集歌2556 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂の小簾(をす)の垂簾(たれす)を行き褐(かち)む寝(い)は寝(な)さずとも君は通はせ
私訳 美しく垂らすかわいい簾をだんだん暗くしましょう。私を抱くために床で安眠することが出来なくても、貴方は私の許に通って来てください。
集歌1073 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも
私訳 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。
集歌2678 級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸
訓読 愛(は)しきやし吹かぬ風ゆゑ玉(たま)櫛笥(くしげ)開けてさ寝(ね)にし吾(われ)ぞ悔(くや)しき
私訳 ああ、いとしいことに、簾を動かすはずなのに吹かない風のせいで、美しい櫛笥を開けるように、貴方を待ち続けて夜明けになって寝た私の今の身が悔しい。
これら三首の歌は女性が詠った歌の内容ですが、集歌2364の歌の情景を踏まえて鑑賞しますと、旋頭歌で示す歌の世界を男性が女性の立場に仮託して三首の歌で歌物語を語ったような感覚がします。
ここで、集歌2678の歌の「玉匣 開而左宿之」は、集歌93の歌の情景を踏まえた歌として鑑賞しています。そのため、普段の万葉集とは「開ける」対象が違います。
内大臣藤原卿娉鏡王女時、鏡王女贈内大臣謌一首
標訓 内大臣藤原卿の鏡王女を娉(よば)ひし時に、鏡王女の内大臣に贈れる歌一首
集歌93 玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳
訓読 玉(たま)匣(くしげ)覆ふを安(やす)み開けて行(い)なば君が名はあれど吾(わ)が名し惜しも
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を覆うように私の心を硬くしていましたが、覆いを取るように貴方に気を許してこの身を開き、その朝が明け開いてから貴方が帰って行くと、貴方の評判は良いかもしれませんが、私は貴方との二人の仲の評判が立つのが嫌です。
さて、「簾」と「風」の言葉の組み合わせから、万葉集に詳しい御方は当然に次の歌が紹介されていないと指摘されるでしょう。
額田王思近江天皇作謌一首
標訓 額田王の近江天皇を思(しの)ひて作れる謌一首
集歌1606 君待跡 吾戀居者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹
訓読 君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸(やと)の簾(すだれ)動かし秋の風吹く
私訳 あの人の訪れを私が恋しく想って待っていると、あの人の訪れのように私の屋敷の簾を揺らして秋の風が吹きました。
鏡王女作謌一首
標訓 鏡(かがみの)王女(おほきみ)の作れる謌一首
集歌1607 風乎谷 戀者乏 風乎谷 将来常思待者 何如将嘆
訓読 風をだに恋ふるは乏(とぼ)し風をだに来(こ)むとし待たば何か嘆(なげ)かむ
私訳 風が簾を動かすだけでも想い人の訪れと、その想い人を恋しく想うことは、もう、私にはありません。あの人の香りだけでも思い出すような風が吹いてこないかなと思えると、どうして、今の自分を嘆きましょうか。
ここで、額田王と鏡王女とは天智天皇の近江朝時代の人のように思われていますが、実は天武天皇・持統天皇の時代の人でもあります。従いまして、最初に紹介した集歌2364の旋頭歌と額田王が詠う集歌1606の歌のどちらが先に詠われたかを決めるのは非常に難しいところがあります。ただ、旋頭歌が集団で詠う歌であるとするならば、額田王が詠う集歌1606の歌からの派生歌とするのはどうでしょうか。
個人的な思い込みで、先の集歌2364の旋頭歌は柿本人麻呂の匂いがするのですが、その旋頭歌を下に集歌1606の歌が詠われたとしますと、標の「額田王思近江天皇作謌一首」の内容が非常に怪しくなります。ちょうど、信長・秀吉・家康の郭公鳥の歌の例です。また、男を誘う女心としては集歌2364の旋頭歌は秀逸ですので、藤原京時代に非常に評判になった歌ではないでしょうか。妄想ですが、最初に集歌2364の旋頭歌が詠われ、つぎにその評判から額田王が詠う集歌1606の歌が詠われたような気がします。そして、その集歌2364の旋頭歌、集歌1606の歌と集歌1607の歌との情景や集歌93の歌の世界を踏まえて集歌2678の歌が生まれたのではないでしょうか。
個人的興味で、専門家によってこの先後や旋頭歌と人麻呂の関係の可能性を明らかにしていただければ幸いです。
なお、例によって、紹介した歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、集歌2556の歌の「徃褐」の訓みに表れるように原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話であって、学問ではないことを承知願います。
少し気になる類型歌を伴う旋頭歌があります。それが、次の集歌2364の旋頭歌です。この旋頭歌は万葉集に先行する最古の歌集との称される古歌集に載る旋頭歌ですので、万葉時代でも藤原京時代頃の初期に創作されたか、採歌されたものです。
集歌2364 玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の隙(すけき)に入り通(かよ)ひ来(こ)ね たらちねの母が問(と)はさば風と申(まを)さむ
私訳 美しく垂らすかわいい簾の隙間から入って私の許に通って来てください。乳を与えて育てくれた実母が簾の揺れ動きを問うたら、風と答えましょう。
この恋人の訪れを部屋に垂れ下げた簾の揺れ動きと風で表現する姿は、万葉集でも特異な表現です。そのため、四千五百余首の万葉集の歌々の中でも、類型歌は次に示す数首の歌しかありません。
その次に紹介する歌は、歌番号の順ではなく、恣意的に女性の心の動きを想像して順を入れ替えています。集歌2364の歌の情景を踏まえますと、このような鑑賞も可能と思います。
集歌2556 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂の小簾(をす)の垂簾(たれす)を行き褐(かち)む寝(い)は寝(な)さずとも君は通はせ
私訳 美しく垂らすかわいい簾をだんだん暗くしましょう。私を抱くために床で安眠することが出来なくても、貴方は私の許に通って来てください。
集歌1073 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも
私訳 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。
集歌2678 級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸
訓読 愛(は)しきやし吹かぬ風ゆゑ玉(たま)櫛笥(くしげ)開けてさ寝(ね)にし吾(われ)ぞ悔(くや)しき
私訳 ああ、いとしいことに、簾を動かすはずなのに吹かない風のせいで、美しい櫛笥を開けるように、貴方を待ち続けて夜明けになって寝た私の今の身が悔しい。
これら三首の歌は女性が詠った歌の内容ですが、集歌2364の歌の情景を踏まえて鑑賞しますと、旋頭歌で示す歌の世界を男性が女性の立場に仮託して三首の歌で歌物語を語ったような感覚がします。
ここで、集歌2678の歌の「玉匣 開而左宿之」は、集歌93の歌の情景を踏まえた歌として鑑賞しています。そのため、普段の万葉集とは「開ける」対象が違います。
内大臣藤原卿娉鏡王女時、鏡王女贈内大臣謌一首
標訓 内大臣藤原卿の鏡王女を娉(よば)ひし時に、鏡王女の内大臣に贈れる歌一首
集歌93 玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳
訓読 玉(たま)匣(くしげ)覆ふを安(やす)み開けて行(い)なば君が名はあれど吾(わ)が名し惜しも
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を覆うように私の心を硬くしていましたが、覆いを取るように貴方に気を許してこの身を開き、その朝が明け開いてから貴方が帰って行くと、貴方の評判は良いかもしれませんが、私は貴方との二人の仲の評判が立つのが嫌です。
さて、「簾」と「風」の言葉の組み合わせから、万葉集に詳しい御方は当然に次の歌が紹介されていないと指摘されるでしょう。
額田王思近江天皇作謌一首
標訓 額田王の近江天皇を思(しの)ひて作れる謌一首
集歌1606 君待跡 吾戀居者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹
訓読 君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸(やと)の簾(すだれ)動かし秋の風吹く
私訳 あの人の訪れを私が恋しく想って待っていると、あの人の訪れのように私の屋敷の簾を揺らして秋の風が吹きました。
鏡王女作謌一首
標訓 鏡(かがみの)王女(おほきみ)の作れる謌一首
集歌1607 風乎谷 戀者乏 風乎谷 将来常思待者 何如将嘆
訓読 風をだに恋ふるは乏(とぼ)し風をだに来(こ)むとし待たば何か嘆(なげ)かむ
私訳 風が簾を動かすだけでも想い人の訪れと、その想い人を恋しく想うことは、もう、私にはありません。あの人の香りだけでも思い出すような風が吹いてこないかなと思えると、どうして、今の自分を嘆きましょうか。
ここで、額田王と鏡王女とは天智天皇の近江朝時代の人のように思われていますが、実は天武天皇・持統天皇の時代の人でもあります。従いまして、最初に紹介した集歌2364の旋頭歌と額田王が詠う集歌1606の歌のどちらが先に詠われたかを決めるのは非常に難しいところがあります。ただ、旋頭歌が集団で詠う歌であるとするならば、額田王が詠う集歌1606の歌からの派生歌とするのはどうでしょうか。
個人的な思い込みで、先の集歌2364の旋頭歌は柿本人麻呂の匂いがするのですが、その旋頭歌を下に集歌1606の歌が詠われたとしますと、標の「額田王思近江天皇作謌一首」の内容が非常に怪しくなります。ちょうど、信長・秀吉・家康の郭公鳥の歌の例です。また、男を誘う女心としては集歌2364の旋頭歌は秀逸ですので、藤原京時代に非常に評判になった歌ではないでしょうか。妄想ですが、最初に集歌2364の旋頭歌が詠われ、つぎにその評判から額田王が詠う集歌1606の歌が詠われたような気がします。そして、その集歌2364の旋頭歌、集歌1606の歌と集歌1607の歌との情景や集歌93の歌の世界を踏まえて集歌2678の歌が生まれたのではないでしょうか。
個人的興味で、専門家によってこの先後や旋頭歌と人麻呂の関係の可能性を明らかにしていただければ幸いです。
なお、例によって、紹介した歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、集歌2556の歌の「徃褐」の訓みに表れるように原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話であって、学問ではないことを承知願います。