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竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉雑記 色眼鏡 番外編 難訓歌を鑑賞する

2019年01月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 番外編 難訓歌を鑑賞する

 番外編として万葉集で難訓歌と称される歌を鑑賞しています。この方面では有名なHP「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」で示す万葉集難訓歌は次のもの35首ですが、弊ブログでは万葉集には難訓歌は存在しないと云う立場がありますので、それぞれの歌に弊ブログの訓じとその解釈を示す意訳を付けて紹介します。ただし、集歌3791の有名な竹取翁歌の長歌については意訳文の紹介は省略します。また、難訓歌35首の鑑賞に加えて幣ブログで訓じに工夫を凝らした歌五首を紹介しています。
 なお、難訓歌の訓じは万葉集本来の姿に近いとされる西本願寺万葉集の原文表記に対して行っており、近代に校訂された校本万葉集のものではありません。一部の歌では西本願寺万葉集の原文を校訂したことで集歌3898の歌のように反って難訓になったものもあります。
 ここでは訓じの背景を紹介していませんが、弊ブログでは色々とこれらの訓じについて触れていますので御興味がありましたら歌番号で検索をしてみてください。
 最後に、いつものようですが、弊ブログは正統な教育を受けたものが行うものではありませんので内容は眉唾ものであり、与太ですので、読み物以外には推薦致しません。

集歌1
原文 籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑 名告沙根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師告名倍手 吾己曽座 我許者背齒 告目 家呼毛名雄母
試訓 籠(こ)もと 御籠(みこ)持ち 布(ふ)奇(くし)もと 美夫君(みふきみ)し持ち この岳(をか)に 菜採(つ)ます児 家聞かむ 名 宣(の)らさね
空見つ 大和の国は 押し靡びて 吾こそ居(を)れ 撓(し)なら靡(な)びて 吾こそ座(ま)せ 吾が乞(こ)はせし 宣(の)らめ 家をも名をも
試訳 貴女と夜を共にする塗籠(ぬりごめ)と 夜御殿(よんのおとど)を持ち 妻問いの贈物の布を掛けた奇(めずら)しい犬とを 貴女の夫となる私の主(あるじ)は持っています。この丘で 春菜を採むお嬢さん 貴女はどこの家のお嬢さんですか。名前を告げてください。そして、私の主人の求婚を受け入れてください。
仏教が広まるこの大和の国は 豪族を押し靡かせて私がこの国を支配し、歯向かう者を倒し靡かせて私がこの国を統率している。その大王である私が求めている。さあ、私の結婚の申し込みを受け入れて、告げなさい。貴女の家柄と貴女の本当の立派な名前も。

集歌9
原文 莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
訓読 染(そ)まりなし御備(おそな)え副(そ)えき吾(あ)が背子し致(いた)ちししけむ厳橿(いつかし)が本(もと)
私訳 一点の穢れなき白栲の布を奉幣に副えました。吾らがお慕いする君が、梓弓が立てる音の中、その奉幣をいたしました。大和の橿原宮の元宮であります、この熊野速玉大社を建てられた大王(=神武天皇)よ。

集歌67
原文 旅尓之而 物戀尓 鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
訓読 旅にしにもの恋しきに鳴(さえづる)もそ聞こずありせば恋ひに死なまし
私訳 旅路にあってなんとなく恋しさが募り、鳥の囀りさえも聞こえないようであれば、大和に残してきた貴女への想いによって死んでしまうことでしょう。

集歌156
原文 三諸之 神之神須疑 已具耳矣 自得見監乍共 不寝夜叙多
試訓 三(み)つ諸(もろ)し神し神杉(かむすぎ)過(す)ぐのみを蔀(しとみ)し見つつ共(とも)寝(ね)ぬ夜(よ)そ多(まね)
試訳 三つの甕を据えると云う三諸の三輪山、その神への口噛みの酒を据える、神山の神杉、その言葉の響きではないが、貴女が過ぎ去ってしまったのを貴女の部屋の蔀の動きを見守りながら、その貴女が恋人と共寝をしない夜が多いことです。

集歌160
原文 燃火物 取而裹而 福路庭 入澄不言八 面智男雲
訓読 燃ゆる火も取りに包みに袋には入(い)ると言はずやも面(をも)智(し)る男雲(をくも)
私訳 あの燃え盛る火とて取って包んで袋に入れると云うではないか。御姿を知っているものを。雲よ。

集歌249
原文 三津埼 浪牟恐 隠江乃 舟公宣 奴嶋尓
訓読 御津し崎波を恐(かしこ)み隠り江の舟公(ふなきみ)し宣(の)る奴(ぬ)し島(しま)へに
私訳 住江の御津の崎よ。沖の波を尊重して隠もる入江で船頭が宣言する。奴の島へと。

集歌655
原文 不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑礼左變
訓読 念(おも)はぬを思ふと云はば天地し神祇(かみ)も知るさむ邑(さと)し礼(いや)さへ
私訳 愛してもいないのに慕っていると云うと、天地の神々にもばれるでしょう。愛していると云うのが里の習いとしても。

集歌970
原文 指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六
訓読 指進(さしづみ)の栗栖(くるす)の小野(をの)し萩し花落(おつ)らむ時にし行きに手向(たむけ)けむ
私訳 指進の栗栖の小野に萩の花が盛りを過ぎて散る頃に、神名火山の辺の淵を見にいって神名火山に手向けをしよう。

集歌1205
原文 奥津梶 漸々志夫乎 欲見 吾為里乃 隠久惜毛
訓読 沖つ梶(かぢ)漸々(やくやく)強(し)ふを見まく欲(ほ)り吾がする里の隠(かく)らく惜しも
私訳 沖に向かう船の梶がしだいしだいに流れに逆らい船を操るのだが、私が眺めたいと思う里が浪間に隠れていくのが残念なことです。

集歌1689
原文 在衣邊 着而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
訓読 在(あ)り衣辺(いへ)し着つに漕がさね杏人(ありひと)し浜し過ぎれば恋しく在(あ)りなり
私訳 そこに在る家、その言葉の響きのような衣、粗末な衣を纏って船を漕ぎなさい。人が居なくても杏人(有り人)の浜を漕ぎゆくと、人が恋しくなります。

集歌1817
原文 今朝去而 明日者来牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微
訓読 今朝(けさ)去(い)きに明日は来(き)なむと云(い)ひし子鹿(こ)に朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく
私訳 今朝はこのように貴方は帰って行っても、明日はかならず来てくださいと云った、かわいい貴女の朝妻山に霞が棚引く。

集歌2033
原文 天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
訓読 天つ川八湍(やす)し川原し定まりに神(かみ)競(きそは)へば磨(まろ)し待たなく
私訳 天の八湍の川原で約束をして天照大御神と建速須佐之男命とが大切な誓約(うけひ)をされていると、それが終わるまで天の川を渡って棚機女(たなはたつめ)に逢いに行くのを待たなくてはいけませんが、年に一度の今宵はそれを待つことが出来ません。

集歌2522
原文 恨登 思狭名磐 在之者 外耳見之 心者雖念
訓読 恨(うら)めしと思ふさな磐(いは)ありしかば外(よそ)のみし見し心は念(も)へど
私訳 恨めしいと思えるような大きな岩(障害)があるので、他人として貴方のことを見つめていました。心の底では慕っていますが。

集歌2556
原文 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂し小簾(をす)し垂簾(たれす)を行き褐(かち)む寝(い)は寝(な)さずとも君は通はせ
私訳 美しく垂らすかわいい簾の内がだんだん暗くなります。私を抱くために床で安眠することが出来なくても、貴方は私の許に通って来てください。

集歌2647
原文 東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也
訓読 東(あづま)細布(たへ)空ゆ延(ひ)き越(こ)し遠(とほ)みこそ目言(めこと)離(か)るらめ絶(た)ゆと隔(へだ)てや
私訳 東国の栲のような布雲が大空から端を延ばし、山を越す。その雲を遠くから眺めるように、遠くから拝見していて、貴女に直接に逢っての会話も途絶えるでしょう。だからと云って貴女との仲を絶とうとして、疎遠になっているのではありません。

集歌2830
原文 梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意
訓読 梓(あづさ)弓(ゆみ)弓束(ゆつか)巻き易(か)へ中見さし更(さら)し引くとも君しまにまに
私訳 梓の弓、その古びた弓束を新しく巻き易え矢ごろの印をつけ、再び、弓を引くように、愛人を替えた後に、再び貴方が私の気を引いたとしても、それは、貴方のお気に召すまま。

集歌2842
原文 我心 等望使 念新夜 一夜不落 夢見
訓読 我が心もの望(の)む使(つかひ)思(も)ふ新(あら)夜(よ)一夜もおちず夢(いめ)し見えこそ
私訳 私の思いの貴方からの妻問ひを告げる文をもたらす使い。妻問ひを焦がれる夜ごと夜ごとの、その一夜も欠けることなく夢の中に貴方の姿を見せてください。
注意 『說文解字注』より「等畫物也」とあります。

集歌3221
原文 冬不成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母
訓読 冬ならず 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 汗瑞(あせたま)の降る 木末(こぬれ)が下に 鴬鳴くも
私訳 冬が勢いを増さずに代わりに春がやって来ると、朝には白露が降り、夕べには霞が棚引く、甘葛の切り口からにじみでた甘い樹液の珠が滴る、その枝先の周りには鶯が鳴くよ。

集歌3242
原文 百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山
訓読 ももきねし 美濃し国し 高北(たかきた)し 八十一隣(くくり)し宮に 日向(ひむか)ひに 行(い)き靡(な)び闕(か)かふ ありと聞きに 吾が通ひ道(ぢ)し 奥(おきや)十山(そやま) 野し山 靡けと 人し踏(ふ)めども かく寄れと 人し突けども 心なき山し 奥十山 美濃し山
私訳 沢山の年を経た立派な木が根を生やす美濃の国の高北の泳宮(くくりのみや)のある場所に、日に向きあう処に人が行き靡びく大門を欠いた大宮があると聞いて、私が通って行く道の山奥の多くの山、その野の山よ。優しく招き寄せよと、人は山路を踏み行くが、このようにやって来いと、人は山路に胸を衝くように行くのだが、歩くのに優しさがない険しい山たる山奥の多くの山よ、美濃の山は。

集歌3401
原文 中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波
訓読 中(なか)真砂(まな)に浮き居(を)る舟の漕ぎて去(な)ば逢ふこと難(かた)し今日(けふ)にしあらずは
私訳 川の真ん中の砂地の傍に浮いて泊まる舟が漕ぎ去る。そのように私が去って行ったなら、もう逢うことは難しい。今日、貴女に逢えなかったら。

集歌3419
原文 伊可保世欲 奈可中吹下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母
訓読 伊香保(いかほ)背(せ)よなかなか伏しも思(お)も人(ひと)ろ隅(くま)こそ為(し)つと忘れせなふも
私訳 伊香保の愛しい貴方。中途半端に抱かれたけれど、私が恋い焦がれる貴方。人目を避けた隠れ家で貴方に抱かれたこの体をお忘れにならないでください。

集歌3754
原文 過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟
訓読 過所(くわそ)なしに堰飛び越ゆる霍公鳥(ほととぎす)髣髴(おほ)しが子にも止まず通はむ
私訳 遣り過ごすことなく、身分や場所を越えての弓削皇子と額田王との吉野の相聞歌や人麻呂の吉備津采女死時の歌にも、そんな万葉集に絶えることなく心を通わせます。

集歌3791
原文 緑子之 若子蚊見庭 垂乳為母所懐 褨襁 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡之 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成 者之寸丹取 為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊杲 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷刺 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 持還来
訓読 緑子し 若子し時(かみ)には たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁(か)け 平生(ひらお)し時(かみ)には 木綿(ゆふ)し肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着 頚(うな)つきし 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)し 袖つけ衣(ころも) 着し我れを 丹(に)よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)し腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為(な)しみ 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫し 大綾(おほあや)し衣(きぬ) 住吉し 遠里小野し ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺(さ)さへ重(かさ)なへ 浪累(し)き 賭博為し 麻続(をみ)し子ら あり衣(きぬ)し 宝(たから)し子らか 未必(うつたへ)は 延(は)へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しし 麻手(あさて)作りを 食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし 醜屋(しきや)に経(ふ)る 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに 我れに来なせと 彼方(をちかた)し 挿鞋(ふたあやうらくつ) 飛ぶ鳥し 明日香壮士(をとこ)か 眺め禁(い)み 烏皮履(くりかわのくつ) 差(さ)し佩(は)きし 庭たつすみ 甚(いた)な立ち 禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて 我れに来なせと 水縹(みなはだ)の 絹の帯を 引き帯(び)なし 韓(から)を帶に取らし 海若(わたつみ)し 殿(あらか)し盖(うへ)に 飛び翔ける すがるしごとき 腰細(こしほそ)に 取り装ほひ 真十鏡(まそかがみ) 取り並(な)め懸けて 己(おの)か欲(ほ)し 返へらひ見つつ 春さりて 野辺を廻(めぐ)れば おもしろみ 我れを思へか 背の千鳥(つとり) 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば 懐かしと 我れを思へか 天雲も 行き棚引く 還へり立ち 道を来れば 打日刺す 宮女(みやをみな) さす竹し 舎人(とねり)壮士(をとこ)も 忍ぶらひ 返らひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくしごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)し 狭幸(ささき)し我れや 愛(は)しきやし 今日(けふ)やも子らに 不知(いさ)にとや そ思(も)へにある かくしごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)し 賢(さか)しき人も 後し世し 語らむせむと 老人(おひひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
注意 この歌は万葉集最大の難訓を持つ難解歌のため、現在においても適切な解釈が得られていません。訓じ文が大きく異なることが示すように伊藤博氏の解釈と弊ブログの解釈は全くに違います。弊ブログでは、歌は万葉集を構成する重要な歌々を紹介する「もじり歌」で構成されていると解釈しているため、この意訳文は万葉集の主要歌を紹介するのに等しくなります。そのためここでは私訳の紹介を省略しています。私訳は弊ブログ「竹取翁の歌を鑑賞する」を参照願います。

集歌3809
原文 商變 領為跡之御法 有者許曽 吾下衣 反賜米
訓読 商(あき)変(かは)り領(し)すとし御法(みのり)あらばこそ我が下衣返し給はめ
私訳 買った品物を返して商売がなかったとすることを許す法律があるのだから、貴方が抱いた私の想いとその体を元のようにして返してください。

集歌3889
原文 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)枝(え)の左思(さし)そ念(も)ゆ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで寺に拝んだ雨の夜。左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
注意 左思は中国西晋の詩人です。

集歌3898
原文 大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 謌乞和我世
訓読 大船の上にし居(を)れば天雲のたどきも知らず歌(うた)乞(こ)ふ吾(わ)が背
私訳 大船の上に乗って居ると、空の雲の行方も気にせず和歌を創ることを求める貴方よ。

集歌4105
原文 思良多麻能 伊保都追度比乎 手尓牟須妣 於許世牟安麻波 牟賀思久母安流香
訓読 白玉の五百箇(いほつ)集(つど)ひを手にむすび遣(おこ)せむ海人(あま)は昔(むかし)くもあるか
私訳 真珠をたくさんたくさん集めて手に掬い取って、私に贈ってくれる海人は古くからの友人とも感じられるでしょう。


弊ブログでの追加した難訓歌
集歌3407 
原文 可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆
試訓 髪(かみ)付(つ)けぬ目交(まぐ)はし間門(まと)に朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
試訳 私の黒髪を貴方に添える、その貴方に抱かれた部屋の入口に朝日が射し、お顔がきらきらとまぶしい。こうして貴方に抱かれていると。

集歌3409 
原文 伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅
試訓 伊香保(いかほ)ろに天(あま)雲(くも)い継(つ)ぎ予(か)ぬま付(つ)く人とお給(たは)ふいざ寝(ね)しめ刀羅(とら)
試訳 伊香保にある峰に空の雲がつぎつぎと懸かるように、先々のことをしっかり考える人間だとお褒めになる。さあ、そんなしっかりした私に、お前を抱かせてくれ。刀羅よ。

集歌3450 
原文 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)つけ壮士(を)と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐かりめり
私訳 乎久佐の男と小草(をぐさ)を着けた男とを潮舟のように並べてみると、五月祭りの菖蒲の小草を身に付けた男に利がある。

集歌3459 
原文 伊祢都氣波 可加流安我乎乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
試訓 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が緒を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
試訳 稲を搗くと手足がざらざらになる私、その私の下着の紐の緒を、今夜もでしょう、殿の若殿が取り解き、私の体の荒れようを見て嘆くでしょう。

集歌3888 
原文 奥國 領君之 染屋形 黄染乃屋形 神之門涙
訓読 奥(おき)つ国(くに)領(うる)はく君し染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神し門(と)涙(なか)る
私訳 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
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万葉雑記 色眼鏡 三〇三 今週のみそひと歌を振り返る その一二三

2019年01月26日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三〇三 今週のみそひと歌を振り返る その一二三

 今週は主に巻十二の「悲別歌」に部立される歌々を鑑賞しています。その中で好みですが、標準的な解釈する歌の風景と違うものを再度、鑑賞します。
 取り上げる歌は集歌3183の歌ですが、弊ブログと標準的な解釈では見る景色が違います。そこで、歌の鑑賞比較のため弊ブログ、伊藤博氏の萬葉集釋注、中西進氏の万葉集全訳注原文付を比べてみました。

弊ブログ
集歌3183 京師邊 君者去之乎 孰解可 言紐緒乃 結手懈毛
訓読 都辺(みやこへ)し君は去(い)にしを誰が解(と)けか言(こと)紐し緒の結ふ手たゆきも
私訳 奈良の都へと貴方は旅立って行ってしまったので、誰が解くと云うのでしょうか。貴方との操を神に誓ったこの下紐を結ぶ、この手がやるせない。

萬葉集釋注
訓読 都(みやこ)辺(へ)に君は去(い)にしを誰が解(と)けか我が紐の緒の結(ゆ)ふ手たゆきも
意訳 都に向かって我が君は行ってしまったのに、いったい誰が解くというのか、すぐ解けてしまう私の着物の紐、この紐を結び直すのも物憂い。

万葉集全訳注
訓読 京師(みやこ)辺(へ)に君は去(い)にしを誰が解けかわが紐の緒の結(ゆ)ふ手たゆしも
意訳 あなたは都へいってしまったのに、一体誰の思いがわが下紐を解くのか、紐を結ぶわが手もけだるいほどよ。

 最初に原歌表記において四句目「言紐緒乃」に三人が扱う原歌では異同はありません。ただし、四句目の頭となる「言」の漢字の扱いが弊ブログと他とでは違います。一般には「言」の漢字は音仮名文字と解釈し「いう」と訓じます。対して弊ブログでは「こと」と云う発声に対し「言」、「事」、「辞」と云う各種の漢字表現があり、それぞれの漢字表現ではその意味合いが違うとするように、ここでも「言」と云う漢字表記に人と神との誓約の意味合いを見ているため、それを尊重し「言」の漢字表記を「こと」と訓じています。
 次に男女関係での紐と云うものは、弊ブログでは白栲の衣のような夜衣を結ぶ紐と考えています。可能性で、あって下着の紐です。昼間の活動で着る衣をまとめる紐ではありません。また、妻問ひの場面では女はその場面に相応しい夜衣に着替えていると考えています。日中に着るような衣ではないとしています。
 弊ブログでの歌の解釈ではこのような男女関係における特別な綬を背景としていますから、標準的なものとの解釈に相違が現れてきます。妻問ひの予告の使者を受けた女性はその男性のために特別な夜衣に着替え準備します。着替えの時、夜衣の下紐を結ぶのは女性本人ですが、当然、その下紐を解いて夜衣を開くのは恋人たる男性です。本来、夜衣の紐を女性が自ら解く必要はないのです。その心情が重要です。
 ただ、恋人たる男性は公の御用で都へと旅立っています。日中の着物を着換えずに丸寝をするのでなければ夜着に着替えますが、着替えた夜着の紐を誰が解いてくれるのでしょうか。それを思うと、やるせないし、心がときめかないのです。万葉集の歌々に示すように夜、男を待つ女は、自分に似合う染め色に絹製の下着を身に着け準備をします。その男を待つために準備をする、そのようなことは今はできないのです。その心情が末句「結手懈毛」なのです。この「懈」は『説文解字注』に「懈、怠也。古多假解爲之」と解説するように、語感的に暇すぎてすることが無いというようなものがありますから、夜衣に着替えたからと云っていつもなら貴方とのことがあるが、することがないという暗示があります。
 さて、斯様な雰囲気を歌から感じ取っていただいたでしょうか。

 集歌3183の歌は、場合により柿本人麻呂の恋人が詠ったと思われる集歌2409の歌を踏まえたものかもしれません。集歌3183の歌と集歌2409の歌とで、その歌を詠う発想は同じです。ただ、弊ブログは男と女の夜の場面を前提としていますが、伊藤博氏も中西進氏ともにそのようには解釈していません。特に伊藤博氏の場合は日中に女が男のことを思っているような場面を想定していますから、これでは女から男への恋文にはなりません。

弊ブログ
集歌2409 君戀 浦経居 悔 我裏紐 結手徒
訓読 君し恋ひうらぶれ居(を)れば悔(くや)しくも我(わ)が下紐(したひも)し結(ゆ)ふ手いたづら
私訳 貴方を慕って逢えないことを寂しく思っていると、悔しいことに夜着に着替える私の下着を留める下紐を結ぶ手が空しい。

万葉集釋注
訓読 君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔しくも我が下紐の結(ゆ)ふ手いたずらに
意訳 あなたに恋い焦がれてしょんぼりしていると、腹立たしいことに、私の下紐がしきりにほどけてきて、紐を結ぶ手間を繰り返すばかりで。

万葉集全訳注
訓読 君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔しくもわが下紐を結(ゆ)ふ手たゆしも
意訳 あなたに恋して心がしおれていると、残念なことに私の下紐を結ぶ手がものういことだ。

 時代、庶民は夜、寝る時は藁や萱などで敷いた土間のその藁や萱の中に潜り込んだとします。一方、貴族階級では板の間に置いた筵畳を布で覆い床とし、その床で脱いだ衣を掛け布団のようにして寝たとします。そのため、妻問ひでは互いに脱がした下着となる衣を掛け布団として抱き合う体に掛けたとします。多数の召使を使う貴族の人は、日中と夜とでその着物を着換えたでしょうが、寝る時は衣を纏めていた紐を解き、その衣を身に掛けて寝ることになりますが、女にしますと、男が夜衣の紐を解き、脱がせ、そして、体に掛けれくれるべき事柄です。その夜の務めをする貴方はなにをしているかと、女は問いかけていますし、責めているのです。集歌2409の歌とは、そのような感覚の歌ではないでしょうか。

 感覚の問題ですが、さて、弊ブログでの鑑賞態度が問題なのか、一般的な鑑賞が歌に似合わないのか、どちらでしょうか。
 弊ブログは基本、酔論・与太話が中心ですが、歌の鑑賞ではこのような感覚で行っています。
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万葉雑記 色眼鏡 三〇二 今週のみそひと歌を振り返る その一二二

2019年01月19日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三〇二 今週のみそひと歌を振り返る その一二二

 今週は巻十二の「羈旅發思」に部立される歌々を鑑賞しています。こうした時、歌には故郷や本拠に残してきた人(妻や恋人)を思う歌と、旅先での女性を詠う歌との大きく二つの区分があるようです。
 萬葉集釋注で伊藤博氏は旅先の女性を遊行婦女(遊女)とみなしているようですが、時に旅でのその土地の神や地域を褒める土地褒めの風習があるとしますと、娘女を褒める=恋したと表現することは慣習としてあるかもしれません。つまり、朝廷の命令で旅行く官人が旅での宿りでその土地土地で準備された床を温める女性=遊行婦女と夜を共にすることだけを想定する必要はないのではないでしょうか。当然、地方 鄙の土地で和歌を詠えるのはその地域でも特別な知識人ですから、その知的レベルからしますと中央からの官人を接待する女性は地域で特別に選別・教育を受けた遊行婦女(遊女)か、国衙や郡衙に勤める有力豪族の子女です。古代、貞操感や性道徳感と云うものが現代とはまったくに違います。時代、国衙や郡衙で中央からの官人を接待するする女性は名誉の選抜であり行為ですから、江戸期以降の遊行婦女(遊女)と云う感覚と一緒にする訳にはいきません。

 さて、与太のとぼけ話は置いておいて気になる歌を再度、鑑賞したいと思います。取り上げますそれぞれの歌について、最初に萬葉集釋注の訓じと解釈を紹介し、次に弊ブログのものを紹介します。ただし、原歌は弊ブログで採用するものですから校本万葉集を採用する萬葉集釋注と一致する保証はありません。

集歌3166 吾妹兒乎 外耳哉将見 越懈乃 子難懈乃 嶋楢名君
萬葉集釋注
訓読 我妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越の海の子難(こかた)の海の島ならなくに
意訳 かわいいあの子をよそながら見るだけで過ごさねばならぬというのか。越後の子難の海に浮かぶ島でもないのに。

弊ブログ
訓読 吾妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越し海の子難(こかた)し海の島ならなくに
私訳 私の愛しい貴女を遠くからだけ見つめる。越の海の遥か彼方の子難の海にある、ぼんやり見える島でもないのに。

 原歌の「子難懈乃」の「懈」は、一般に「懈」または判字不明とされています。漢語の「懈」の音は「カイ」で、その意味は「怠る、だらける、弛む」です。そこで訓じでは音の「カイ」から「海」の字を得ています。一方、歌の解釈では「懈」の漢字の意味合いをも尊重しています。


集歌3171 難波方 水手出船之 遥々 別来礼杼 忘金津毛
萬葉集釋注
訓読 難波潟(なにはがた)漕(こ)ぎ出(づ)る舟のはろはろに別れ来ぬれど忘れかねつも
意訳 難波潟、その潟を漕ぎ出す舟がはるかに遠ざかるように、こんなにはるばると別れて来てしまったが、あの子のことが忘れようにも忘れられない。

弊ブログ
訓読 難波潟(なにはがた)水夫(かこ)し出船(でふね)しはろはろし別れ来ぬれど忘れかねつも
私訳 難波潟を水夫(かこ)たちが漕ぎ出し出航する大船が遥かに遠ざかるように、はるばると別れて来たけれど、貴女のことが忘れがたい。

 二句目を原歌表記のままに訓じています。そのため、外洋航路の感覚が生まれ、遠いという距離感が全くに違います。一般に二句目「水手」を「かこ」と訓じるところ、伝統訓として「こぐ=漕ぐ」としますので、そのため二句目「水手出船之」全体の訓じが大きく変わります。伝統訓ですから「水夫」をなぜ「漕ぐ」とするのかは議論しません。最初に「漕ぐ」を確定して、「出船之」の訓じを探します。


集歌3174 射去為 海部之楫音 湯鞍干 妹心 乗来鴨
萬葉集釋注
訓読 漁(いさ)りする海人(あま)の楫(かぢ)音(おと)ゆくらかに妹の心は乗りにけるかも
意訳 漁をする海人舟の櫓のきしみ、その音がゆっくり聞こえるように、じわりじわりと、あの子は私の心に乗りかかってきて離れようとしない。

弊ブログ
訓読 漁(いさ)りする海部(あま)し楫(かぢ)音(おと)ゆつ比(くら)ひ妹し心し乗りしけるかも
私訳 漁をする漁師の楫の音が清らかに競いあう。その言葉ではないが、親しく付き合う貴女は私の心に乗りかかってしまったようです。

 原歌の「湯鞍干」は、一般に「湯安干」(安は木+安の当字)とし「ゆくらかに」と訓みます。ここでは原歌のままに訓じています。古語で「ゆつ」は「神聖な、清浄な」と云う意味合いを持つ接頭語です。弊ブログは旅行く官人は馬に乗る身分であろうとして三句目「湯鞍干」に漢字表記の遊びも見ています。このような解釈の違いがありますので、漁をする海人の舟の数も違いますし、見る景色も感情も違うことになります。なお、三句目「ゆつくらひ」には「ゆつくらす」の訛りを見ていて、掛詞の扱いをしています。


 いつものことですが、原歌表記を尊重して伝統の漢字交じり平仮名歌に翻訳された訓読み万葉集を尊重しませんと、斯様に歌の訓じも解釈も変わることになります。弊ブログは紹介しますように西本願寺本万葉集の原歌表記を尊重し、伝統訓じを無批判に拝受することはしません。斯様に弊ブログで紹介するものは一般的なものからしますと与太ですので、中西進氏や伊藤博氏の万葉集注釈本と見比べていただくことを推薦しますが、訓じや解釈の相違はここで紹介しましたような背景があります。

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万葉雑記 色眼鏡 三〇一 今週のみそひと歌を振り返る その一二一

2019年01月12日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三〇一 今週のみそひと歌を振り返る その一二一

 今週は巻十二の「羈旅發思」に部立される歌々の中で、部の最初に置かれた柿本人麻呂歌集からの歌四首を、再度、鑑賞して遊びます。

羈旅發思
標訓 羈旅に思を発せる
集歌3127 度會 大川邊 若歴木 吾久在者 妹戀鴨
訓読 度会(わたらひ)し大川し辺(へ)し若(わか)歴木(ひさぎ)吾(わ)が久(ひさ)ならば妹恋ひむかも
私訳 度会の大川の岸にある若い櫟。私が無事ならば、あの愛しい人は私に恋をするかな。

集歌3128 吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為
訓読 吾妹子し夢し見え来(こ)し大和路(やまとぢ)し渡り瀬ごとに手向(たむけ)けぞ吾(あ)がする
私訳 私の愛しい恋人が夢に出て来いと、大和へ帰る道の川の渡瀬ごとに神にお願いを私はします。

集歌3129 櫻花 開哉散 乃見 誰此所 見散行
訓読 桜花咲(さき)かも散ると見るまでに誰かも此処し見えし散り行く
私訳 この桜の花が咲いて散っていくのを見るのは誰でしょうか。ここに来られて桜の花のように散って逝かれた。

集歌3130 豊洲 聞濱松 心裳 何妹 相云始
訓読 豊国(とよくに)し企救(きく)し浜松心しも何しか妹し相(あひ)云(い)ひ始(し)けむ
私訳 貴女の思い出を聞く、その豊国の企救の浜松。思いを凝らして、さて、どのようにして貴女に言葉を掛けましょうか。
左注 右四首、柿本朝臣人麻呂歌集出。
注訓 右の四首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。

 最初に集歌3127の三句目「若歴木」は標準訓では「わかひさぎ」とし、「ひさぎ」に「久しい」の音を見出して掛詞と解釈します。新古今和歌集のような鑑賞スタイルからしますと、この標準訓の解釈で十分ですが、柿本人麻呂は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表現された万葉和歌の第一人者ですから、原歌の文字表記からしますと物足りません。当時、歴木は櫟の別表現でしたから、恋愛感情にある男女ですと人麻呂の本拠地となる大和国の檪本と云う地名の暗示を「若歴木」と云う表記から感じたと思います。つまり、檪本の若者=柿本人麻呂たる私と云う意味合いです。音読ですとままに「ひさしい」と云う掛詞であり、墨書された和歌の黙読では檪本と云う地名の暗示です。
 当然、集歌3127の歌と集歌3128の歌は二首組歌で、伊勢国渡会郡から大和国(弊ブログの推定では滋賀国大津宮)に住む恋人への贈答歌です。弊ブログに載せる明日香新益京物語(小説で万葉時代を説明する)で私案を紹介するように、柿本人麻呂は壬申の乱では大海人皇子軍に参軍しており、伊勢国渡会あたりで東海道伊勢湾の西側の管理者をしていたと考えています。その時、大津宮に住む恋人に歌を贈ったと考えています。
 次いで、集歌3129の歌と集歌3130の歌もまた二首組歌と考えています。萬葉集釋注で伊藤博氏はこれら四首をそれぞれ単独に各地の場所で詠われたもので、編集において恋愛と云う物語に於いて起承転結を構成すると解釈されています。しかしながら、弊ブログでは全く違う立場をとります。先に紹介した集歌3127の歌と集歌3128の歌は天武元年(672)の壬申の乱のときに創られた恋人への贈答歌二首であり、この集歌3129の歌と集歌3130の歌は持統八年(694)の浄広肆で大宰師であった河内王の急死に対する弔問使の立場でその妻である手持女王を慰めるために詠った慰問歌と考えています。
 参考として河内王の急死に際し、妻である手持女王が詠った歌として次の三首が残されていますが、ほぼ、柿本人麻呂による代作であろうと考えています。

河内王葬豊前國鏡山之時、手持女王作謌三首
標訓 河内王を豊前國の鏡山に葬(はふ)りし時に、手持女王の作れる歌三首
集歌417 王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
訓読 王(おほきみ)し親魄(にきたま)相(あ)ふや豊国(とよくに)の鏡し山を宮とさだむる
私訳 王の親魄をお祀るところに相応しいでしょう。豊国の鏡山を王の常夜の宮と定めましょう。

集歌418 豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座
訓読 豊国の鏡し山し石戸(いはと)立て隠(こも)りにけらし待てど来(き)まさず
私訳 豊国の鏡山の石戸を閉めてお籠りになってしまった。待っているけれどお出ましになられない。

集歌419 石戸破 手力毛欲得 手弱寸 女有者 為便乃不知苦
訓読 石戸(いはと)破(ぶ)る手力(たぢから)もがも手(た)弱(よわ)き女(をみな)にしあれば術(すべ)の知らなく
私訳 お籠りになった石戸を引き破る手力が欲しい。手力の弱い女であるので石戸を引き破り再び王に逢う方法を知りません。

 弊ブログでは明日香新益京物語(小説で万葉時代を説明する)の記事とは別に人麻呂年譜を推理すると云う記事でも人麻呂の人生に対する私案を提示しています。弊ブログで組み立てました柿本人麻呂と云う人物や飛鳥浄御原宮から前期平城京までの時代感覚は標準的な通説などとは大きく違います。そのため、時折、これらの歌の解釈のように標準解釈から大きくずれることが生じます。

 今回は歌の解釈の相違の背景を紹介しました。もし、興味があり、お時間があるようでしたら紹介しました明日香新益京物語(小説で万葉時代を説明する)の記事や人麻呂年譜を推理すると云う記事を参照いただければ幸いです。ただ、ともに長いです。
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万葉雑記 色眼鏡 三〇〇 今週のみそひと歌を振り返る その一二〇

2019年01月05日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三〇〇 今週のみそひと歌を振り返る その一二〇

 今週は巻十二の「問答歌」に部立される二首組歌となる歌々を鑑賞しています。今回も例によって原歌表記の漢字への訓じに対するいちゃもんだけのものとなっています。そのため、示すものにその中身は全くにありません。素人の浅ましさであり、老人の繰り言です。
 最初に集歌3115の歌と集歌3116の歌 二首組歌を鑑賞します。いちゃもんは注意書で示す「言氣築之」の句であり、「不相登要之」の句です。

集歌3115 氣緒尓 言氣築之 妹尚乎 人妻有跡 聞者悲毛
訓読 息し緒に言(こと)息づきし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
私訳 深いため息のもとに愛の誓いの言葉も空しい。愛しい貴女なのに人から「お前の思いのままにならない娘」だと聞くと、悲しいことです。
注意 原文の「言氣築之」を、一般には「言」を「吾」の意味として「吾(あ)が息づきし」と訓みます。ここでは原文のままに訓んでいます。

集歌3116 我故尓 痛勿和備曽 後遂 不相登要之 言毛不有尓
訓読 我がゆゑにいたくなわびそ後(のち)つひに逢はじと誓ひしこともあらなくに
私訳 私のために、そんなにひどく嘆きなされるな。「いつまでたっても逢いません」と貴方に、はっきりと申し渡したことはありませんのに。
注意 原歌の「不相登要之」の「要」は、一般には「云ふ」と訓みます。『博雅』に要、約也。『註』に久要、舊約也。とありますから、ここでは漢字の意味を尊重して「誓ふ」と訓んでいます。
右二首

 対比のため『万葉集釋注』を参照しますと次のようになっています。

集歌3115
訓読 息(いき)の緒(を)に我が息づきし妹(いも)すらを人妻(ひとつま)なりと聞けば悲しも
意訳 息の絶え絶えに私がもがき焦がれてきたあなたなのに、そのかけがえのないあなたが人妻だと聞くと、たまらなく悲しい。

集歌3116
訓読 我がゆゑにいたくわびそ後(のち)つひに逢はじと言(い)ひしこともあらなくに
意訳 私のせいで、そんなにひどくしょげないで下さい。「いつまでたってもお逢いする気はない」などとお約束した覚えもないのですよ。

 斯様に原歌の漢字表記の解釈の相違もありますが、「人妻」と云う言葉の解釈の相違もまた大きく、集歌3115の歌と集歌3116の歌とでの歌の展開が従来の「人妻」の解釈では論理的にはなりません。そこが流行で儒教やキリスト教などの夫婦関係を取り入れた欠点でもあります。大和文化は儒教などを鼻でせせら笑って、国際関係で建前として知識としますが、取り入れることはありませんでした。
 次の集歌3125の歌と集歌3126の歌は、弊ブログでは有名な「沽」と「沾」との表記およびその漢語としての意味解釈問題です。

集歌3125 久堅乃 雨零日乎 我門尓 蓑笠不蒙而 来有人哉誰
訓読 ひさかたの雨し降る日を我が門に蓑笠(みのかさ)着ずに来る人や誰れ
私訳 天空の遥か彼方から雨が降る日に、私の家の門の前に蓑笠を着ることなくやって来た人は、誰ですか。

集歌3126 纒向之 病足乃山尓 雲居乍 雨者雖零 所沽乍為来
試訓 纒向(まきむく)し穴師(あなし)の山に雲(くも)居(ゐ)つつ雨は降れどもそ恋(こひ)つつ来(こ)し
試訳 纏向の穴師の山に雲が居座って雨は降りますが、それでも恋い焦がれどうにか貴女を手に入れようとやって来ました。
注意 原文の「所沽乍為来」の「沽」は、一般には「沾」の誤字として「所沾乍焉来」と記し「濡れつつぞ来し」と訓みます。ここでは原文の「沽」の漢字の意味を尊重して、ままに訓んでいます。そのため、歌意が違います。
右二首

 紹介しましたように弊ブログでは次の相聞歌で標準的な解釈とは大きく違います。

大津皇子贈石川郎女御謌一首
標訓 大津皇子の石川郎女に贈れる御歌一首
集歌107 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
試訓 あしひきの山し雌伏に妹待つと吾立ち沽(か)れぬ山し雌伏に
試訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立って待っている。山の裾野で。
注意 原文の「吾立所沽」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「吾立ち沾(ぬ)れぬ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。

石川郎女奉和謌一首
標訓 石川郎女の和(こた)へ奉(たてまつ)れる歌一首
集歌108 吾乎待跡 君之沽計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
試訓 吾を待つと君し沽(か)れけむあしひきの山し雌伏に成らましものを
試訳 「私を待っている」と貴方がじっと辛抱して待っている、葦や檜の生える山の裾野に私が行ければ良いのですが。
注意 原文の「君之沽計武」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「君が沾(ぬ)れけむ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。

 漢語での解説では沽と云う漢字は「《論語》求善賈而沽諸。沽、又買也,別作酤。」と解説されるもので、苦労して手に入れるような意味合いに進むものです。斯様な漢語漢字解釈ですので、誤記説を排除しますと歌意は全くに変わります。
 ここで、弊ブログと標準的なものとの対比のため『万葉集釋注』を参照しますと次のようになっています。

集歌3125
訓読 ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来(け)る人や誰(た)れ
意訳 雨のざあざあ降る日、こんな日に、私の家の門口に、蓑も笠も着ずにやって来たお方は、どこのどなたですか。

集歌3126
訓読 巻向(まきむく)の穴師(あなし)の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来(こ)し
意訳 巻向の穴師の山に雲がいっぱいかかって、雨は降っていましたが、いたたまれず、ずぶ濡れになりながらやって来たのです。

 歌の問答において、「沽」ですと集歌3125の歌で女が「貴方は誰」との問いに「貴女をどうしても手に入れたくて来た男です」と云う回答となり、「沾」ですと「ずぶぬれになって来た男です」と云う回答です。さて、恋の相聞問答では、どちらの方が相応しいでしょうか。何度も指摘しますが、平安時代中期ごろまでは「沽」の解釈で、鎌倉時代以降の解釈は「沾」の解釈です。ずいぶんと違いますが、藤原定家好みを中心とする和歌道では斯様なことになっています。

 組歌であっても一首単独で鑑賞するような中世以降の和歌の楽しみ方と、組歌は組歌として鑑賞する古代や平成時代の楽しみ方では相当に違いますし、原歌を原歌のままとそれを「漢字交じり平仮名」和歌に翻訳したもので鑑賞するものとは相当に違います。
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