竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌987から集歌991まで

2020年09月30日 | 新訓 万葉集巻六
藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌九八七 
原文 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 待ちきれないと私が思った月は、雨に恋人が著ける御笠のような、その三笠山に隠れてしまっている。

市原王宴祷父安貴王謌一首
標訓 市原王の宴(うたげ)にして父安貴王を祷(いは)ふ歌一首
集歌九八八 
原文 春草者 後波落易 巌成 常磐尓座 貴吾君
訓読 春草は後(のち)は落(ち)り易(か)ふ巌(いはお)なす常盤(ときは)に坐(い)ませ貴(とふと)き吾が君
私訳 春の草は後には秋の枯れ草に変わっていきます。しかし、磐のように常盤にいてください、貴い私の大切な貴方。

湯原王打酒謌一首
標訓 湯原王の酒を打つ謌一首
集歌九八九 
原文 焼刀之 加度打放 大夫之 壽豊御酒尓 吾酔尓家里 (壽は、示+壽の当て字)
訓読 焼(やき)太刀(たち)し稜(かど)打ち放(は)ち大夫(ますらを)し寿(は)く豊御酒(とよみさけ)に吾れ酔(よ)ひにけり
私訳 焼いて鍛えた太刀の稜を鞘から打ち放ち舞い、大夫の寿を祝う立派な御酒に私は酔ってしまった。

紀朝臣鹿人見茂岡之松樹謌一首
標訓 紀朝臣鹿人の茂岡の松の樹を見ての謌一首
集歌九九〇 
原文 茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久
訓読 茂岡(しげをか)に神さび立ちに栄えたる千代(ちよ)松し樹の歳し知らなく
私訳 茂岡に神々しく立ち、立派な枝を張る千代松の樹の歳は、どれほど久しいかは判らない。

同鹿人至泊瀬河邊作謌一首
標訓 同じく鹿人の泊瀬の河邊に至りて作れる謌一首
集歌九九一 
原文 石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見
訓読 石(いは)走(ばし)り激(たぎ)ち流るる泊瀬川絶ゆることなくまたも来に見む
私訳 磐の上をしぶきをあげほとばしり流れる泊瀬川よ。その流れが絶えることがないように、絶えることなく再び来て眺めましょう。

コメント

万葉集 集歌982から集歌986まで

2020年09月29日 | 新訓 万葉集巻六
集歌九八二 
原文 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
私訳 漆黒の夜に霧が立ったから、ぼんやりと霧に姿を示す満月の月夜は眺めると切ない。

集歌九八三 
原文 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(わた)る光見らくしよしも
私訳 山の稜線に「ささらえ男子」が天の原の路を渡っていく、その印のような光を眺めることは気持ちが良いことです。
左注 右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。

豊前娘子月謌一首  娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首  娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌九八四 
原文 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
私訳 雲に隠れ、その行方が判らないと私が心配する、その満月の月を、貴方は見たいとお望みになる。
注意 若い女性の「月」には別に「妊娠のきざし」という比喩もあり、「月を見た」のなら妊娠していないことになります。

湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌九八五 
原文 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読壮士(=遅れってやって来た藤原八束)よ、進物を以って祈願をしよう。満月の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。

集歌九八六 
原文 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む恋人がやって来たかのようにおほ伸びに(=大きく背伸びして)眺める。その言葉のひびきではないが、おほのびに(=甚だ間延びしたように)月が照って来た(=藤原八束が遅れってやって来た)。

コメント

万葉集 集歌977から集歌981まで

2020年09月28日 | 新訓 万葉集巻六
集歌九七七 
原文 直超乃 此徑尓師弖 押照哉 難波乃跡 名附家良思裳
訓読 直(ただ)超(こ)へのこの道にして押し照るや難波(なには)の跡(たづ)と名付けけらしも
私訳 真っ直ぐに生駒の山並みを越えて来るこの道の景色の故でしょう、、太陽が力強く照り輝く場所としての「押し照るや、難波」の詞が伝承として名付けられたのでしょう。

山上臣憶良沈痾之時謌一首
標訓 山上臣憶良の痾(やまひ)に沈みし時の謌一首
集歌九七八 
原文 士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而
訓読 士(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立たずしに
私訳 私はこれでも「士」なのだろうか。仏教ではこの世は空しいとされるはずではあるが、人の世に万代に語り継ぐような名を立てることが出来ずじまいで。
左注 右一首、山上憶良臣沈痾之時、藤原臣八束、使河邊朝臣東人令問所疾之状。於是憶良臣、報語已畢、有須拭涕、悲嘆、口吟此謌。
注訓 右の一首は、山上憶良臣の痾(やまひ)に沈みし時に、藤原臣八束、河邊朝臣東人を使(つか)はして疾(や)める状(さま)を問はせしむ。ここに憶良臣、報(こたへ)の語(ことば)已に畢(おは)り、須(しまし)ありて涕(なみだ)を拭ひ、悲しび嘆きて、此の謌を口吟(うた)へり。

大伴坂上郎女輿、姪家持従佐保還歸西宅謌一首
標訓 大伴坂上郎女の輿(こし)にて姪(をひ)家持の佐保(さほ)従(よ)り西の宅(いへ)に還歸(かへ)る謌一首
集歌九七九 
原文 吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及宅左右
訓読 吾が背子が着(け)る衣(きぬ)薄(うす)し佐保風(さほかぜ)は疾(いた)くな吹きそ宅(や)に至るさへ
私訳 私が親愛する貴女が着る衣は薄い。佐保から吹く風よ、そんなに吹くな。あの女(ひと)が屋敷に帰り至るまでは。
注意 標の原文は「大伴坂上郎女輿」は、一般に「大伴坂上郎女與」と記し「大伴坂上郎女の」と訓じます。

安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌九八〇 
原文 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。

大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌九八一 
原文 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)

コメント

後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)巻十六

2020年09月27日 | 後撰和歌集 原文推定
後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利武末幾仁安多留未幾
巻十六

久左久左乃宇多二
雑歌二

歌番号一一二五
於毛不止己呂安利天左幾乃於本幾於本以万宇知幾三尓与世天者部利个留
於毛不所安利天前太政大臣尓与世天侍个留
思ふ所ありて、前太政大臣に寄せて侍りける

安利八良乃奈利比良乃安曾无
在原業平朝臣
在原業平朝臣

原文 堂乃満礼奴宇幾与乃奈可遠奈計幾川々日加計尓於不留三遠如何世无
定家 堂乃満礼奴宇幾世中遠歎川々日加計尓於不留身遠如何世无
和歌 たのまれぬ うきよのなかを なけきつつ ひかけにおふる みをいかにせむ
解釈 頼まれぬ憂き世の中を嘆きつつ日蔭に生ふる身をいかにせん

歌番号一一二六
也満比之者部利天安不美乃世幾天良尓己毛利天者部利个留尓
末部乃美知与利可无為无乃己以之也末尓満宇天个留遠
多々以万奈无行寸幾奴留止人乃川計侍个礼八
越日天徒可者之个留
也満比之侍天安不美乃関寺尓己毛利天侍个留尓
末部乃美知与利閑院乃己石山尓満宇天个留遠
多々以万奈无由幾寸幾奴留止飛止乃川計者部利个礼八
越日天徒可者之个留
病し侍りて近江の関寺に籠もりて侍りけるに、
前の道より閑院の御、石山に詣でけるを、
ただ今なん行き過ぎぬると人の告げ侍りければ、
追ひてつかはしける

止之由幾乃安曾无
止之由幾乃朝臣
としゆきの朝臣(藤原敏行)

原文 安不左可乃由不川个尓奈久止利乃祢越幾々止可女寸曽由幾寸幾尓个留
定家 相坂乃由不川个尓奈久鳥乃祢越幾々止可女寸曽行寸幾尓个留
和歌 あふさかの ゆふつけになく とりのねを ききとかめすそ ゆきすきにける
解釈 相坂の夕つけになく鳥の音を聞きとがめずぞ行き過ぎにける

歌番号一一二七
左幾乃知宇具宇乃世武之於久留於本幾於本以万宇知幾三乃以部与利
満可利以天々安留尓加乃以部尓己止尓布礼天比久良之止以不己止
奈无者部利个留
前中宮宣旨贈太政大臣乃家与利
満可利以天々安留尓加乃家尓事尓布礼天比久良之止以不事
奈无侍个留
前中宮宣旨、贈太政大臣の家より
まかり出でてあるに、かの家に、事にふれて日暗しといふ事
なん侍りける

世武之
宣旨
宣旨

原文 美也万与利飛々幾起己由留飛久良之乃己恵遠己比之美以末毛計奴部之
定家 美山与利飛々幾起己由留飛久良之乃声遠己比之美今毛計奴部之
和歌 みやまより ひひききこゆる ひくらしの こゑをこひしみ いまもけぬへし
解釈 深山より響き聞こゆるひぐらしの声を恋しみ今も消ぬべし

歌番号一一二八
加部之 
返之 
返し

於久留於本幾於本以万宇知幾三
贈太政大臣
贈太政大臣

原文 飛久良之乃己恵遠己比之美遣奴部久八美也万止本利尓者也毛幾祢可之
定家 飛久良之乃声遠恋之美遣奴部久八美山止本利尓者也毛幾祢可之
和歌 ひくらしの こゑをこひしみ けぬへくは みやまとほりに はやもきねかし
解釈 ひぐらしの声を恋しみ消ぬべくは深山とほりにはやも来ねかし

歌番号一一二九
可者良尓以天々波良部之者部利个留尓於保以万宇知幾美毛
伊天安比天者部利个礼者
河原尓以天々波良部之侍个留尓於保以万宇知幾美毛
伊天安比天侍个礼者
河原に出でて祓へし侍りけるに、大臣も
出であひて侍りければ

安徒多々乃安曾无乃者々
安徒多々乃朝臣乃母
あつたたの朝臣の母(藤原敦忠朝臣母)

原文 知可者礼之加毛乃可者良尓己万止女天志波之美川可部可計遠多尓三武
定家 知可者礼之加毛乃河原尓駒止女天志波之水可部影遠多尓見武
和歌 ちかはれし かものかはらに こまとめて しはしみつかへ かけをたにみむ
解釈 誓はれし賀茂の河原に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

歌番号一一三〇
飛止乃宇之遠加利天者部利个留尓之尓者部利个礼者以比川可者
之个留
人乃牛遠加利天侍个留尓之尓侍个礼者以比川可者
之个留
人の牛を借りて侍りけるに、死に侍りければ言ひつかは
しける

可武為无乃己
閑院乃己
閑院のこ(閑院御)

原文 和可乃里之己止遠宇之止也幾衣尓个无久左者尓加々留川由乃以乃知八
定家 和可乃里之事遠宇之止也幾衣尓个无草者尓加々留露乃命八
和歌 わかのりし ことをうしとや きえにけむ くさはにかかる つゆのいのちは
解釈 我が乗りし事を憂しとや消えにけん草葉にかかる露の命は

歌番号一一三一
恵武幾乃於保武止幾加毛乃利无之乃万川利乃比於武万部尓天
左可川幾止利天
延喜御時賀茂臨時祭乃日御前尓天
左可川幾止利天
延喜御時、賀茂臨時祭の日、御前にて盃取りて

左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三
三条右大臣
三条右大臣

原文 加久天乃美也武部幾毛乃可知者也布留加毛乃也之呂乃与呂川世遠美武
定家 加久天乃美也武部幾物可知者也布留加毛乃社乃与呂川世遠見武
和歌 かくてのみ やむへきものか ちはやふる かものやしろの よろつよをみむ
解釈 かくてのみやむべき物かちはやぶる賀茂の社のよろづ世を見む

歌番号一一三二
於奈之於保无止幾々多乃々美由幾尓美己之遠可仁天
於奈之御時幾多乃々行幸尓美己之遠可仁天
同じ御時、北野の行幸にみこし岡にて

比和乃比多利乃於本以万宇知幾三
枇杷左大臣
枇杷左大臣

原文 美己之遠加以久曽乃世々尓止之遠部天个不乃美由幾遠万知天美川良无
定家 美己之遠加以久曽乃世々尓年遠部天个不乃美行遠万知天見川良无
和歌 みこしをか いくそのよよに としをへて けふのみゆきを まちてみつらむ
解釈 みこし岡いくその世々に年を経て今日の御幸を待ちて見つらん

歌番号一一三三
可武世无可布可幾也万天良尓己毛利者部利个留尓
己止保宇之万宇天幾天安女尓布利己女良礼天者部利个留尓
戒仙可布可幾山天良尓己毛利侍个留尓
己止法師万宇天幾天雨尓布利己女良礼天侍个留尓
戒仙か深き山寺に籠もり侍りけるに
異法師まうで来て、雨に降りこめられて侍りけるに

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊川礼遠可安女止毛和可武也万布之乃於川留奈美多毛布利尓己曽布礼
定家 伊川礼遠可雨止毛和可武山布之乃於川留涙毛布利尓己曽布礼
和歌 いつれをか あめともわかむ やまふしの おつるなみたも ふりにこそふれ
解釈 いづれをか雨とも分かむ山伏の落つる涙も降りにこそ降れ

歌番号一一三四
己礼可礼安比天与毛寸可良毛乃可多利之天川止女天
遠久利者部利个留
己礼可礼安比天与毛寸可良物可多利之天川止女天
遠久利侍个留
これかれ逢ひてよもすがら物語りしてつとめて
送り侍りける

布知八良乃於幾可世
藤原於幾可世
藤原おきかせ(藤原興風)

原文 於毛日尓者幾由留毛乃曽止志利奈可良計左之毛越幾天奈尓々幾川良无
定家 思日尓者幾由留物曽止志利奈可良計左之毛越幾天奈尓々幾川良无
和歌 おもひには きゆるものそと しりなから けさしもおきて なににきつらむ
解釈 思ひには消ゆる物ぞと知りながら今朝しも起きて何に来つらん

歌番号一一三五
和可宇者部利个留止幾者志加尓川祢尓満宇天个留遠
止之於以天八万以利者部利良左利个留尓万以利者部利天
和可宇侍个留時者志加尓川祢尓満宇天个留遠
年於以天八万以利侍良左利个留尓万以利侍天
若う侍りける時は、志賀に常にまうでけるを、
年老いては参り侍らざりけるに参り侍りて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 女川良之也无可之奈可良乃也万乃為者志川女留可个曽久知者天尓个留
定家 女川良之也昔奈可良乃山乃井者志川女留影曽久知者天尓个留
和歌 めつらしや むかしなからの やまのゐは しつめるかけそ くちはてにける
解釈 めづらしや昔ながらの山の井は沈める影ぞ朽ち果てにける

歌番号一一三六
宇知乃安之呂尓志礼留飛止乃者部利个礼八万可利天
宇治乃安之呂尓志礼留人乃侍个礼八万可利天
宇治の網代に、知れる人の侍りければ、まかりて

於保衣乃於幾止之
大江興俊
大江興俊

原文 宇知可者乃奈美尓美奈礼之幾美万世八和礼毛安之呂尓与利奴部幾加奈
定家 宇知河乃浪尓美奈礼之君万世八我毛安之呂尓与利奴部幾哉
和歌 うちかはの なみにみなれし きみませは われもあしろに よりぬへきかな
解釈 宇治河の浪にみなれし君ませば我も網代に寄りぬべきかな

歌番号一一三七
為无乃美可止宇知尓於者之末之々止幾飛止/\尓於布幾天宇世
左世多万日个留多天万川留止天
院乃美可止内尓於者之末之々時人/\尓扇天宇世
左世多万日个留多天万川留止天
院の帝、内裏におはしましし時、人々に扇調ぜ
させたまひける、たてまつるとて

之也宇尓乃女乃止
小弐乃女乃止
小弐のめのと(小弐乳母)

原文 布幾以川留祢止己呂堂可久幾己由奈利者川安幾加世者以左天奈良佐之
定家 吹以川留祢所堂可久幾己由奈利者川秋風者以左天奈良佐之
和歌 ふきいつる ねところたかく きこゆなり はつあきかせは いさてならさし
解釈 吹き出づる音所高く聞こゆなり初秋風はいざ手ならさじ

歌番号一一三八
加部之 
返之 
返し

多以布 
多以布 
大輔

原文 己々呂之天万礼尓布幾川留安幾加世遠也万於呂之尓八奈佐之止曽於毛不
定家 心之天万礼尓吹川留秋風遠山於呂之尓八奈佐之止曽思
和歌 こころして まれにふきつる あきかせを やまおろしには なさしとそおもふ
解釈 心してまれに吹きつる秋風を山下ろしにはなさじとぞ思ふ

歌番号一一三九
於止己乃布美於本久加幾天止以比个礼者
於止己乃布美於本久加幾天止以比个礼者
男の、文多く書きてと言ひければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 者可奈久天堂衣奈无久毛乃以止由部尓奈尓尓可於本久加々无止曽於毛不
定家 者可奈久天堂衣南久毛乃以止由部尓何尓可於本久加々无止曽思
和歌 はかなくて たえなむくもの いとゆゑに なににかおほく かかむとそおもふ
解釈 はかなくて絶えなん雲の糸ゆゑに何にか多く書かんとぞ思ふ

歌番号一一四〇
久良万乃佐可遠与留己由止天与美者部利个留
久良万乃佐可遠与留己由止天与美侍个留
鞍馬の坂を夜越ゆとてよみ侍りける

天武之為无尓以万安己止女之个留人
亭子院尓以万安己止女之个留人
亭子院にいまあことめしける人

原文 武可之与利久良万乃也万止以比个留八和可己止飛止毛与留也己衣个无
定家 昔与利久良万乃山止以比个留八和可己止人毛与留也己衣个无
和歌 むかしより くらまのやまと いひけるは わかことひとも よるやこえけむ
解釈 昔より鞍馬の山と言ひけるは我がごと人も夜や越えけん

歌番号一一四一
越止己尓川个天美知乃久尓部武寸女遠徒可者之
多利个留可曽乃於止己己々呂加者利尓多利止幾々天
己々呂宇之止於也乃以比川可者之多利个礼八
越止己尓川个天美知乃久尓部武寸女遠徒可者之
多利个留可曽乃於止己心加者利尓多利止幾々天
心宇之止於也乃以比川可者之多利个礼八
男につけて陸奥へ女をつかはし
たりけるが、その男心変りにたりと聞きて、
心憂しと親の言ひつかはしたりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 久毛為地乃者留个幾本止乃曽良己止者以可奈留可世乃不幾天川遣个无
定家 雲井地乃者留个幾本止乃曽良事者以可奈留風乃吹天川遣个无
和歌 くもゐちの はるけきほとの そらことは いかなるかせの ふきてつけけむ
解釈 雲居路のはるけきほどの空事はいかなる風の吹きて告げけん

歌番号一一四二
加部之 
返之 
返し

武寸女乃者々
女乃者々
女のはは(女母)

原文 安満久毛乃宇幾堂留己止々幾々之可止奈保曽己々呂者曽良尓奈利尓之
定家 安満雲乃宇幾堂留己止々幾々之可止猶曽心者曽良尓奈利尓之
和歌 あまくもの うきたることと ききしかと なほそこころは そらになりにし
解釈 天雲の浮きたることと聞きしかどなほぞ心は空になりにし

歌番号一一四三
堂満左可尓加与部留布美遠己比加部之个礼八
曽乃布美尓久之天川可八之个留
堂満左可尓加与部留布美遠己比加部之个礼八
曽乃布美尓久之天川可八之个留
たまさかに通へる文を乞ひ返しければ、
その文に具してつかはしける

毛止与之乃美己
毛止与之乃美己
もとよしのみこ(元良親王)

原文 也礼者於之也良祢者飛止尓三衣奴部之奈久/\毛奈保加部寸万佐礼利
定家 也礼者於之也良祢者人尓見衣奴部之奈久/\毛猶加部寸万佐礼利
和歌 やれはをし やらねはひとに みえぬへし なくなくもなほ かへすまされり
解釈 やれば惜しやらねば人に見えぬべし泣く泣くもなほ返すまされり

歌番号一一四四
恵武幾乃於保无止幾美武万遠徒可者之天者也久万以留部幾
与之於保世徒可者之多利个礼者寸奈者知万以利天
於本世己止宇个太万者礼留飛止尓川可八之个留
延喜御時御武万遠徒可者之天者也久万以留部幾
与之於保世徒可者之多利个礼者寸奈者知万以利天
於本世己止宇个太万者礼留人尓川可八之个留
延喜御時御、馬をつかはして早く参るべき
よし仰せつかはしたりければ、すなはち参りて
仰せ事承れる人につかはしける

曽世以保宇之
素性法師
素性法師

原文 毛知川幾乃己満与利遠曽久以天川礼者多止留/\曽也万者己衣川留
定家 毛知月乃己満与利遠曽久以天川礼者多止留/\曽山者己衣川留
和歌 もちつきの こまよりおそく いてつれは たとるたとるそ やまはこえつる
解釈 望月の駒より遅く出でつればたどるたどるぞ山は越えつる

歌番号一一四五
也末比之天己々呂本曽之止天多以布尓川可八之个留
也末比之天心本曽之止天大輔尓川可八之个留
病して心細しとて、大輔につかはしける

布知八良乃安徒止之
藤原敦敏
藤原敦敏

原文 与呂徒与遠知幾利之己止乃以多川良尓飛止和良部尓毛奈利奴部幾加奈
定家 与呂徒世遠契之事乃以多川良尓人和良部尓毛奈利奴部幾哉
和歌 よろつよを ちきりしことの いたつらに ひとわらへにも なりぬへきかな
解釈 よろづ世を契りし事のいたづらに人笑へにもなりぬべきかな

歌番号一一四六
加部之 
返之 
返し

多以布 
多以布 
大輔

原文 加遣天以部者由々之幾毛乃遠与呂川与止知幾利之己止也加奈者佐留部幾
定家 加遣天以部者由々之幾物遠万代止契之事也加奈者佐留部幾
和歌 かけていへは ゆゆしきものを よろつよと ちきりしことや かなはさるへき
解釈 かけて言へばゆゆしき物を万代と契りし事やかなはざるべき

歌番号一一四七
安良礼乃布留遠曽天尓宇个天幾衣个留遠
宇美乃本止利尓天
安良礼乃布留遠曽天尓宇个天幾衣个留遠
宇美乃本止利尓天
霰の降るを袖に受けて消えけるを、
海のほとりにて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 知留止三天曽天尓宇久礼止多万良奴八奈礼多留奈美乃者奈尓曽安利个留
定家 知留止見天曽天尓宇久礼止多万良奴八奈(奈$安)礼多留浪乃花尓曽有个留
和歌 ちるとみて そてにうくれと たまらぬは あれたるなみの はなにそありける
解釈 散ると見て袖に受くれどたまらぬは荒れたる浪の花にぞ有りける

歌番号一一四八
安留止己呂乃和良波於女己世知美尓奈武天无尓左布良日天
久川遠宇之奈比天个利寸計武止乃安曾无久良宇止尓天
久徒遠加之天者部利个留遠加部寸止天
安留所乃和良波女五節見尓南殿尓左布良日天
久川遠宇之奈比天个利寸計武止乃朝臣蔵人尓天
久徒遠加之天侍个留遠加部寸止天
ある所の童女、五節見に南殿にさぶらひて
沓を失ひてけり。扶幹朝臣、蔵人にて
沓を貸して侍りけるを、返すとて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂知左波久奈美万遠和个天加川幾天之於幾乃毛久川遠以川可和寸礼无
定家 堂知左波久浪万遠和个天加川幾天之於幾乃毛久川遠以川可和寸礼无
和歌 たちさわく なみまをわけて かつきてし おきのもくつを いつかわすれむ
解釈 立ち騒ぐ浪間を分けてかづきてし沖の藻屑をいつか忘れん

歌番号一一四九
加部之 
返之 
返し

寸計武止乃安曾无
輔臣朝臣
輔臣朝臣(藤原輔臣、ある本に藤原扶幹)

原文 加徒幾以天之於幾乃毛久川遠和寸礼寸八曽己乃見留女遠和礼尓加良世与
定家 加徒幾以天之於幾乃毛久川遠和寸礼寸八曽己乃見留女遠我尓加良世与
和歌 かつきいてし おきのもくつを わすれすは そこのみるめを われにからせよ
解釈 かづき出でし沖の藻屑を忘れずは底のみるめを我に刈らせよ

歌番号一一五〇
飛止乃毛遠奴者世者部利尓奴日天川可者寸止天
人乃毛遠奴者世侍尓奴日天川可者寸止天
人の裳を縫はせ侍るに、縫ひてつかはすとて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 可幾利奈久於毛不己々呂者徒久者祢乃己乃毛也以可々安良武止寸良无
定家 限奈久思心者徒久者祢乃己乃毛也以可々安良武止寸良无
和歌 かきりなく おもふこころは つくはねの このもやいかか あらむとすらむ
解釈 限りなく思ふ心は筑波嶺のこのもやいかがあらむとすらん

歌番号一一五一
於止己乃也末比之个留遠止不良者天安利/\天
也美加多尓止部利个礼八
於止己乃也末比之个留遠止不良者天安利/\天
也美加多尓止部利个礼八
男の病しけるを訪ぶらはでありありて
やみがたに訪へりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 於毛日以天々止不己止乃者遠堂礼三末之三乃之良久毛止奈利奈万之可八
定家 思日以天々止不事乃者遠堂礼見末之身乃白雲止成奈万之可八
和歌 おもひいてて とふことのはを たれみまし みのしらくもと なりなましかは
解釈 思ひ出でて訪ふ言の葉を誰れ見まし身の白雲となりなましかば

歌番号一一五二
美曽可越止己之多留於无奈遠安良久者以者天止部止
毛乃毛以者左利个礼八
美曽可越止己之多留女遠安良久者以者天止部止
毛乃毛以者左利个礼八
みそか男したる女を、荒くは言はで問へど
物も言はざりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 和寸礼奈无止於毛不己々呂乃徒久可良尓己止乃者佐部也以部者由々之幾
定家 和寸礼南止思心乃徒久可良尓事乃者佐部也以部者由々之幾
和歌 わすれなむと おもふこころの つくからに ことのはさへや いへはゆゆしき
解釈 忘れなんと思ふ心のつくからに言の葉さへや言へばゆゆしき

歌番号一一五三
於止己乃加久礼天於无奈遠三多利个礼者川可八之个留
於止己乃加久礼天女遠見多利个礼者川可八之个留
男の隠れて女を見たりければ、つかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加久礼為天和可宇幾左万遠美川乃宇部乃安和止毛者也久於毛日幾衣奈无
定家 加久礼為天和可宇幾左万遠水乃宇部乃安和止毛者也久思日幾衣奈无
和歌 かくれゐて わかうきさまを みつのうへの あわともはやく おもひきえなむ
解釈 隠れゐて我が憂きさまを水の上の泡とも早く思ひ消えなん

歌番号一一五四
与乃奈可遠止可久於毛日和川良日者部利个留本止尓於无奈止毛多知
奈留飛止奈保和可以者无己止尓川幾祢止加太良日者部利个礼八
世中遠止可久思日和川良日侍个留本止尓女止毛多知
奈留人猶和可以者无事尓川幾祢止加太良日侍个礼八
世の中をとかく思ひわづらひ侍りけるほどに、女友だち
なる人、なほ、我が言はん事につきねと語らひ侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 飛止己々呂以左也志良奈美堂可个礼八与良武奈幾左曽加根天可奈之幾
定家 人心以左也志良浪堂可个礼八与良武奈幾左曽加根天可奈之幾
和歌 ひとこころ いさやしらなみ たかけれは よらむなきさそ かねてかなしき
解釈 人心いさや白浪高ければ寄らむ渚ぞかねて悲しき

歌番号一一五五
以多久己止己乃武与之遠止幾乃飛止以不止幾々天
以多久事己乃武与之遠時乃人以不止幾々天
いたく事好むよしを時の人言ふと聞きて

多可従乃美己
高津内親王
高津内親王

原文 奈本幾々尓満可礼留衣多毛安留毛乃遠計遠布幾々寸遠以不可和利奈左
定家 奈本幾木尓満可礼留枝毛安留物遠計遠布幾々寸遠以不可和利奈左
和歌 なほききに まかれるえたも あるものを けをふききすを いふかわりなさ
解釈 直き木に曲がれる枝もあるものを毛を吹き疵を言ふがわりなさ

歌番号一一五六
美可止尓堂天万川利多万日个留
美可止尓堂天万川利多万日个留
帝にたてまつりたまひける

佐加乃幾佐為
嵯峨后
嵯峨后

原文 宇徒呂者奴己々呂乃布可久安利个礼者己々良知留者奈者留尓安部留己止
定家 宇徒呂者奴心乃布可久有个礼者己々良知留花春尓安部留己止
和歌 うつろはぬ こころのふかく ありけれは ここらちるはな はるにあへること
解釈 移ろはぬ心の深く有りければここら散る花春に逢へるごと

歌番号一一五七
己礼可礼於无奈乃毛止尓満可利天毛乃以比奈止之家留尓
於无奈乃安奈左武乃加世也止毛宇之个礼者
己礼可礼女乃毛止尓満可利天物以比奈止之家留尓
女乃安奈左武乃風也止申个礼者
これかれ女のもとにまかりて物言ひなどしけるに、
女のあな寒の風やと申しければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂万多礼乃安美女乃満与利布久加世乃左武久者曽部天以礼武於毛日遠
定家 玉多礼乃安美女乃満与利布久風乃左武久者曽部天以礼武思日遠
和歌 たまたれの あみめのまより ふくかせの さむくはそへて いれむおもひを
解釈 玉垂れのあみ目の間より吹く風の寒くはそへて入れむ思ひを

歌番号一一五八
於止己乃毛乃以比个留遠左波幾个礼者加部利天
安之多尓川可者之个留
於止己乃物以比个留遠左波幾个礼者加部利天
安之多尓川可者之个留
男の物言ひけるを騒ぎければ、帰りて
朝につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 之良奈美乃宇知左者可礼天多知之可八三遠宇之本尓曽々天者奴礼尓之
定家 白浪乃宇知左者可礼天多知之可八身遠宇之本尓曽袖者奴礼尓之
和歌 しらなみの うちさわかれて たちしかは みをうしほにそ そてはぬれにし
解釈 白浪のうち騒がれて立ちしかば身を潮にぞ袖は濡れにし

歌番号一一五九
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 止利毛安部寸堂知佐者可礼之安多奈美尓安也奈久奈尓々曽天乃奴礼个无
定家 止利毛安部寸堂知佐者可礼之安多浪尓安也奈久何尓袖乃奴礼个无
和歌 とりもあへす たちさわかれし あたなみに あやなくなにに そてのぬれけむ
解釈 とりもあへず立ち騒がれしあだ浪にあやなく何に袖の濡れけん

歌番号一一六〇
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂々地止毛堂乃万佐良奈无三尓知可幾己呂毛乃世幾毛安利止以不奈利
定家 堂々地止毛堂乃万佐良南身尓知可幾衣乃関毛安利止以不奈利
和歌 たたちとも たのまさらなむ みにちかき ころものせきも ありといふなり
解釈 たたちともたのまさらなん身にちかき衣の関もありといふなり

歌番号一一六一
止毛多知乃比左之久安者佐利个留尓万可利安日天
与三者部利个留
止毛多知乃比左之久安者佐利个留尓万可利安日天
与三侍个留
友だちの久しく逢はざりけるに、まかりあひて
よみ侍りける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 安者奴万尓己比之幾三知毛志利尓之遠奈止宇礼之幾尓万与不己々呂曽
定家 安者奴万尓己比之幾道毛志利尓之遠奈止宇礼之幾尓迷心曽
和歌 あはぬまに こひしきみちも しりにしを なとうれしきに まよふこころそ
解釈 逢はぬ間に恋しき道も知りにしをなどうれしきにまどふ心ぞ

歌番号一一六二
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊可奈利之布之尓可以止乃美多礼个无志日天久礼止毛止个寸三由留八
定家 伊可奈利之布之尓可以止乃美多礼个无志日天久礼止毛止个寸見由留八
和歌 いかなりし ふしにかいとの みたれけむ しひてくれとも とけすみゆるは
解釈 いかなりし節にか糸の乱れけん強ひて繰れども解けず見ゆるは

歌番号一一六三
飛止乃女尓加与比个留三川个良礼者部利天
人乃女尓加与比个留見川个良礼侍天
人の妻に通ひける、見つけられ侍りて

可天宇保宇之
賀朝法師
賀朝法師

原文 三奈久止毛飛止尓志良礼之与乃奈可尓志良礼奴也万遠志留与之毛可奈
定家 身奈久止毛人尓志良礼之世中尓志良礼奴山遠志留与之毛哉
和歌 みなくとも ひとにしられし よのなかに しられぬやまを しるよしもかな
解釈 身投ぐとも人に知られじ世の中に知られぬ山を知るよしもがな

歌番号一一六四
加部之 
返之 
返し

毛止乃於止己
毛止乃於止己
もとのをとこ(元の男)

原文 与乃奈可尓志良礼奴也万尓三奈久止毛多尓乃己々呂也以者天於毛者武
定家 世中尓志良礼奴山尓身奈久止毛谷乃心也以者天於毛者武
和歌 よのなかに しられぬやまに みなくとも たにのこころや いはておもはむ
解釈 世の中に知られぬ山に身投ぐとも谷の心や言はで思はむ

歌番号一一六五
也末乃為乃幾美尓徒可者之遣留
山乃井乃幾美尓徒可者之遣留
山の井の君につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 遠止尓乃三幾々天八也末之安佐久止毛以左久美々天无也末乃為乃美川
定家 遠止尓乃三幾々天八也末之安佐久止毛以左久美々天无山乃為乃水
和歌 おとにのみ ききてはやまし あさくとも いさくみみてむ やまのゐのみつ
解釈 音にのみ聞きてはやまじ浅くともいざ汲みみてん山の井の水

歌番号一一六六
也末比之个留遠加良宇之天遠己多礼利止幾々天
也末比之个留遠加良宇之天遠己多礼利止幾々天
病しけるを、からうじておこたれりと聞きて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 志天乃也末多止留/\毛己衣奈々天宇幾与乃奈可尓奈尓加部利个无
定家 志天乃山多止留/\毛己衣奈々天宇幾世中尓奈尓加部利个无
和歌 してのやま たとるたとるも こえななて うきよのなかに なにかへりけむ
解釈 死出の山たどるたどるも越えななで憂き世の中になに帰りけん

歌番号一一六七
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加寸奈良奴三遠毛知尓々天与之乃也末多可幾奈計幾遠於毛比己利奴留
定家 加寸奈良奴身遠毛知尓々天吉野山高幾歎遠思己利奴留
和歌 かすならぬ みをもちににて よしのやま たかきなけきを おもひこりぬる
解釈 数ならぬ身を持荷にて吉野山高き嘆きを思ひ懲りぬる

歌番号一一六八
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 与之乃也末己衣无己止己曽加多可良女己良武奈个幾乃加寸者之利奈无
定家 吉野山己衣无事己曽加多可良女己良武歎乃加寸者之利奈无
和歌 よしのやま こえむことこそ かたからめ こらむなけきの かすはしりなむ
解釈 吉野山越えん事こそ難からめ樵らむ嘆きの数は知りなん

歌番号一一六九
与宇世為无乃美可止々幾/\止乃為尓佐不良八世太末宇个留遠
飛左之宇女之奈可利个礼八多天万川利个留
陽成院乃美可止時/\止乃為尓佐不良八世太末宇个留遠
飛左之宇女之奈可利个礼八多天万川利个留
陽成院の帝、時々宿直にさぶらはせたまうけるを、
久しう召しなかりければ、たてまつりける

无左之
武蔵
武蔵

原文 加寸奈良奴三尓遠久与為乃之良堂万者飛可利三衣左寸毛乃尓曽安利个留
定家 加寸奈良奴身尓遠久与為乃白玉者光見衣左寸物尓曽有个留
和歌 かすならぬ みにおくよひの しらたまは ひかりみえさす ものにそありける
解釈 数ならぬ身に置く宵の白玉は光見えさす物にぞ有りける

歌番号一一七〇
満可利加与比个留於无奈乃己々呂止計寸乃美三衣者部利个礼八
止之川幾毛部奴留遠以万左部加々留己止々以比川可者
之多利个礼八
満可利加与比个留女乃心止計寸乃美見衣侍个礼八
年月毛部奴留遠今左部加々留己止々以比川可者
之多利个礼八
まかり通ひける女の心解けずのみ見え侍りければ、
年月も経ぬるを、今さへかかること、と言ひつかは
したりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 奈尓者可多美幾者乃安之乃於以可与尓宇良三天曽布留飛止乃己々呂遠
定家 奈尓者可多美幾者乃安之乃於以可与尓怨天曽布留人乃己々呂遠
和歌 なにはかた みきはのあしの おいかよに うらみてそふる ひとのこころを
解釈 難波潟汀の葦の追い風に恨みてぞ経る人の心を

歌番号一一七一
於无奈乃毛止与利宇良三遠己世天者部利个留可部之己止尓
女乃毛止与利怨遠己世天侍个留返事尓
女の許より恨みおこせて侍りける返事に

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 和寸留止八宇良三左良奈无者之多可乃止可部留也末乃之為八毛三知寸
定家 和寸留止八怨左良南者之多可乃止可部留山乃之為八毛三知寸
和歌 わするとは うらみさらなむ はしたかの とかへるやまの しひはもみちす
解釈 忘るとは恨みざらなんはし鷹のとかへる山の椎はもみぢす

歌番号一一七二
武可之於奈之止呂尓美也徒可部之者部利个留於无奈乃於止己尓
徒幾天飛止乃久尓々於知為多利遣留遠幾々川个天
己々呂安利个留飛止奈礼者以比川可八之个留
武可之於奈之所尓宮徒可部之侍个留女乃於止己尓
徒幾天人乃久尓々於知為多利遣留遠幾々川个天
心安利个留人奈礼者以比川可八之个留
昔同じ所に宮仕へし侍りける女の、男に
つきて人の国に落ちゐたりけるを聞きつけて
心ありける人なれば、言ひつかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 遠知己知乃飛止女万礼奈留也末左止尓以部為世无止八於毛比幾也幾美
定家 遠知己知乃人女万礼奈留山里尓家為世无止八思幾也君
和歌 をちこちの ひとめまれなる やまさとに いへゐせむとは おもひきやきみ
解釈 遠近の人目まれなる山里に家ゐせんとは思ひきや君

歌番号一一七三
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 三遠宇之止飛止之礼奴与遠多川祢己之久毛乃也部堂川也末尓也八安良奴
定家 身遠宇之止人之礼奴世遠尋己之雲乃也部立山尓也八安良奴
和歌 みをうしと ひとしれぬよを たつねこし くものやへたつ やまにやはあらぬ
解釈 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ

歌番号一一七四
於止己奈止者部良寸之天止之己呂也末左止尓己毛利
者部利个留於无奈遠武可之安比之利天者部利个留飛止
美知満可利个留徒以天尓飛佐之宇幾己衣佐利川留遠
己々尓奈利个利止以比以礼天者部利个礼者
於止己奈止侍良寸之天止之己呂山里尓己毛利
侍个留女遠武可之安比之利天侍个留人
美知満可利个留徒以天尓飛佐之宇幾己衣佐利川留遠
己々尓奈利个利止以比以礼天侍个礼者
男など侍らずして年ごろ山里に籠もり
侍りける女を、昔あひ知りて侍りける人、
道まかりけるついでに、久しう聞こえざりつるを、
ここになりけりと言ひ入れて侍りけれは

土左
土左
土左

原文 安佐奈个尓与乃宇幾己止遠志乃比川々奈可女世之万尓止之者部尓个利
定家 安佐奈个尓世乃宇幾己止遠志乃比川々奈可女世之万尓年者部尓个利
和歌 あさなけに よのうきことを しのひつつ なかめせしまに としはへにけり
解釈 朝なけに世の憂きことをしのびつつながめせしまに年は経にけり

歌番号一一七五
也末左止尓者部利个留尓武可之安比之礼留飛止乃
以川与利己々尓者寸武曽止々飛个礼八
山里尓侍个留尓武可之安比之礼留人乃
以川与利己々尓者寸武曽止々飛个礼八
山里に侍りけるに、昔あひ知れる人の、
いつよりここには住むぞと問ひければ

可武為无
閑院
閑院

原文 者留也己之安幾也由幾个无於本川可奈加个乃久知幾止与遠寸久寸三八
定家 春也己之秋也由幾个无於本川可奈影乃朽木止世遠寸久寸身八
和歌 はるやこし あきやゆきけむ おほつかな かけのくちきと よをすくすみは
解釈 春や来し秋や行きけんおぼつかな蔭の朽木と世を過ぐす身は

歌番号一一七六
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 与乃奈可者宇幾毛乃奈礼也飛止己止乃止尓毛加久尓毛幾己衣久留之幾
定家 世中者宇幾物奈礼也人己止乃止尓毛加久尓毛幾己衣久留之幾
和歌 よのなかは うきものなれや ひとことの とにもかくにも きこえくるしき
解釈 世の中は憂きものなれや人言のとにもかくにも聞こえ苦しき

歌番号一一七七
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 武差之乃者曽天比川者可利和个之可止和可武良左幾八多川根和比尓起
定家 武蔵野者袖比川許和个之可止和可紫八多川根和比尓起
和歌 むさしのは そてひつはかり わけしかと わかむらさきは たつねわひにき
解釈 武蔵野は袖ひつばかり分けしかと若紫は尋ねわびにき

歌番号一一七八
以止万尓天己毛利為天者部利个留己呂飛止乃止八寸者部利个礼者
以止万尓天己毛利為天侍个留己呂人乃止八寸侍个礼者
暇にてこもりゐて侍りけるころ、人の訪はず侍りければ

美不乃多々三祢
壬生忠岑
壬生忠岑

原文 於保安良幾乃毛利乃久左止也奈利尓个无加利尓多尓幾天止不飛止乃奈幾
定家 於保安良幾乃毛利乃草止也奈利尓个无加利尓多尓幾天止不人乃奈幾
和歌 おほあらきの もりのくさとや なりにけむ かりにたにきて とふひとのなき
解釈 大荒木の森の草とやなりにけん刈りにだに来て訪ふ人のなき

歌番号一一七九
安留止己呂尓美也川可部之者部利个留於无奈乃安多奈多知个留加毛止与利
遠乃礼可宇部八曽己尓奈无久知乃者尓可个天以者留奈留止
宇良美天者部利个礼八
安留所尓宮川可部之侍个留女乃安多奈多知个留加毛止与利
遠乃礼可宇部八曽己尓奈无久知乃者尓可个天以者留奈留止
宇良美天侍个礼八
ある所に宮仕へし侍りける女の、あだ名立ちけるがもとより、
己れが上は、そこになん口の端にかけて言はるなると
恨みて侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 安者礼天不己止己曽川根乃久知乃波尓加々留也飛止遠於毛不奈留良无
定家 安者礼天不事己曽川根乃久知乃波尓加々留也人遠思奈留良无
和歌 あはれてふ ことこそつねの くちのはに かかるやひとを おもふなるらむ
解釈 あはれてふ事こそ常の口の端にかかるや人を思ふなるらん

歌番号一一八〇
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

以世
伊勢
伊勢

原文 布久加世乃志多乃知利尓毛安良奈久尓佐毛太知也寸幾和可奈幾奈可奈
定家 吹風乃志多乃知利尓毛安良奈久尓佐毛太知也寸幾和可奈幾奈哉
和歌 ふくかせの したのちりにも あらなくに さもたちやすき わかなきなかな
解釈 吹く風の下の塵にもあらなくにさも立ちやすき我がなき名かな

歌番号一一八一
加春可仁満宇天个留三知尓左本可者乃本止利尓
者川世与利加部留於无奈久留万乃安比天者部利个留可寸多礼乃
安幾多留与利者川可尓美以礼个礼者安比之利天
者部利个留於无奈乃己々呂左之不可久於毛比加者之奈可良
者々可留己止者部利天安比者奈礼天无川奈々止之者可利尓
奈利者部利尓个留於无奈尓者部利个礼者加乃久留万尓以比
以礼者部利个留
加春可仁満宇天个留道尓左本河乃本止利尓
者川世与利加部留女久留万乃安比天侍个留可寸多礼乃
安幾多留与利者川可尓見以礼个礼者安比之利天
侍个留女乃心左之不可久思加者之奈可良
者々可留事侍天安比者奈礼天六七年(六七年=武止世<朱>)許尓
奈利侍尓个留女尓侍个礼者加乃久留万尓以比
以礼侍个留
春日に詣でける道に、佐保河のほとりに、
初瀬より帰る女車の逢ひて侍りけるが、簾の
開きたるよりはつかに見入れければ、相知りて
侍りける女の心ざし深く思ひ交しながら、
はばかる事侍りて、あひ離れて六七年ばかりに
なり侍りにける女に侍りければかの車に言ひ
入れ侍りける

可武為无乃比多利乃於本以万宇知幾三
閑院左大臣
閑院左大臣

原文 布留佐止乃佐本乃可者美川个不毛奈保加久天安不世八宇礼之可利个利
定家 布留佐止乃佐本乃河水个不毛猶加久天安不世八宇礼之可利个利
和歌 ふるさとの さほのかはみつ けふもなほ かくてあふせは うれしかりけり
解釈 古里の佐保の河水今日もなほかくて逢瀬はうれしかりけり

歌番号一一八二
飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三与宇者部利天奈良乃波遠毛止女
者部利个礼者知可奴可安比之利天者部利个留以部尓止利
尓徒可者之多利个礼八
枇杷左大臣与宇侍天奈良乃波遠毛止女
侍个礼者知可奴可安比之利天侍个留家尓止利
尓徒可者之多利个礼八
枇杷左大臣、用侍りて楢の葉をもとめ
侍りければ、千兼があひ知りて侍りける家に取り
につかはしたりければ

止之己
俊子
俊子

原文 和可也止遠以徒奈良之天可奈良乃者遠奈良之加本尓八於利尓遠己春留
定家 和可也止遠以徒奈良之天可奈良乃者遠奈良之加本尓八於利尓遠己春留
和歌 わかやとを いつならしてか ならのはを ならしかほには をりにおこする
解釈 我が宿をいつ馴らしてか楢の葉を馴らし顔には折りにおこする

歌番号一一八三
加部之 
返之 
返し

飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三
枇杷左大臣
枇杷左大臣

原文 奈良乃葉乃者毛利乃加美乃末之个留遠志良天曽於里之多々利奈左留奈
定家 奈良乃葉乃者毛利乃神乃末之个留遠志良天曽於里之多々利奈左留奈
和歌 ならのはの はもりのかみの ましけるを しらてそをりし たたりなさるな
解釈 楢の葉の葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな

歌番号一一八四
止毛多知乃毛止尓満可利天佐可川幾安万多々比尓
奈里尓个礼者尓遣天満可利个留遠止々女和川良日
天毛天者部利个留布衣遠止利止々女天万多乃安之多
尓川可八之个留
止毛多知乃毛止尓満可利天佐可川幾安万多々比尓
奈里尓个礼者尓遣天満可利个留遠止々女和川良日
天毛天侍个留布衣遠止利止々女天又乃安之多
尓川可八之个留
友だちのもとにまかりて、盃あまた度に
なりにければ、逃げてまかりけるを、とどめわつらひ
て持て侍りける笛を取りとどめて、又の朝
につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加部利天者己恵也堂可者武布衣多計乃川良幾比止与乃加多美止於毛部八
定家 帰天者声也堂可者武布衣竹乃川良幾比止与乃加多美止思部八
和歌 かへりては こゑやたかはむ ふえたけの つらきひとよの かたみとおもへは
解釈 帰りては声や違はむ笛竹のつらき一夜のかたみと思へば

歌番号一一八五
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 飛止布之尓宇良美奈者天曽布衣多計乃己恵乃宇知尓毛於毛不己々呂安利
定家 飛止布之尓怨奈者天曽笛竹乃己恵乃内尓毛思不心安利
和歌 ひとふしに うらみなはてそ ふえたけの こゑのうちにも おもふこころあり
解釈 一節に恨みな果てそ笛竹の声の内にも思ふ心あり

歌番号一一八六
毛止与利止毛多知尓者部利个礼八川良由幾尓安比可
多良日天加祢寸个乃安曾无乃以部尓奈川幾遠徒多部
左世者部利个留尓曽乃奈川幾尓久者部天川良由幾
尓遠久利个累
毛止与利友多知尓侍个礼八川良由幾尓安比可
多良日天兼輔朝臣乃家尓名川幾遠徒多部
左世侍个留尓曽乃奈川幾尓久者部天川良由幾
尓遠久利个累
もとより友だちに侍りければ、貫之にあひ
語らひて、兼輔朝臣の家に名づきを伝へ
させ侍りけるに、その名づきに加へて貫之
に送りける

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 飛止尓徒久多与利多尓奈之於本安良幾乃毛利乃志多奈留久左乃三奈礼八
定家 人尓徒久多与利多尓奈之於本安良幾乃毛利乃志多奈留草乃身奈礼八
和歌 ひとにつく たよりたになし おほあらきの もりのしたなる くさのみなれは
解釈 人につくたよりだになし大荒木の森の下なる草の身なれば

歌番号一一八七
加祢多々乃安曾无可者々三万可利尓遣礼者加祢多々遠波
奈幾飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三乃以部尓武寸女遠者
幾左以乃美也尓佐不良者世武止安比左多女天
布多利奈可良万川飛者乃以部尓和多之遠久留止
天久者部天者部利个留
兼忠朝臣母身万可利尓遣礼者兼忠遠波
故枇杷左大臣乃家尓武寸女遠者
幾左以乃宮尓佐不良者世武止安比左多女天
布多利奈可良万川枇杷乃家尓和多之遠久留止
天久者部天侍个留
兼忠朝臣の母、身まかりにければ、兼忠をば
故枇杷左大臣の家に、女をば
后の宮にさぶらはせむと相定めて、
二人ながらまづ枇杷の家に渡し送ると
て、加へて侍りける

加祢多々乃安曾无可者々乃女乃止
兼忠朝臣母乃女乃止
兼忠朝臣母のめのと(源兼忠朝臣母乳母)

原文 武寸比遠幾之加多美乃己多尓奈可利世者奈尓々志乃不乃久左遠川万々之
定家 結遠幾之加多美乃己多尓奈可利世者何尓忍乃草遠川万々之
和歌 むすひおきし かたみのこたに なかりせは なににしのふの くさをつままし
解釈 結び置きしかたみのこだになかりせば何に忍の草を摘ままし

歌番号一一八八
毛乃於毛日者部利个留己呂也武己止奈幾堂可幾止己呂
与利止者世多末部利个礼八
毛乃思日侍个留己呂也武己止奈幾堂可幾所
与利止者世多末部利个礼八
物思ひ侍りけるころ、やむごとなき高き所
より問はせたまへりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 宇礼之幾毛宇幾毛己々呂者日止川尓天和可礼奴毛乃者奈美多奈利个利
定家 宇礼之幾毛宇幾毛心者日止川尓天和可礼奴物者涙奈利个利
和歌 うれしきも うきもこころは ひとつにて わかれぬものは なみたなりけり
解釈 うれしきも憂きも心は一つにて分かれぬ物は涙なりけり

歌番号一一八九
与乃奈可乃己々呂尓加奈者奴己止毛宇之个留川以天尓
世中乃心尓加奈者奴事申个留川以天尓
世の中の心にかなはぬ事申しけるついでに

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 於之可良天加奈之幾毛乃者三奈利个利宇幾与曽武可无可多遠之良祢八
定家 於之可良天加奈之幾物者身奈利个利宇幾世曽武可无方遠之良祢八
和歌 をしからて かなしきものは みなりけり うきよそむかむ かたをしらねは
解釈 惜しからで悲しき物は身なりけり憂き世背かん方を知らねば

歌番号一一九〇
於毛不己止者部利个留己呂飛止尓川可者之个留
於毛不己止侍个留己呂人尓川可者之个留
思ふこと侍りけるころ、人につかはしける

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 於毛比以川留止幾曽加奈之幾与乃奈可者曽良由久々毛乃者天遠之良祢八
定家 思以川留時曽加奈之幾世中者曽良行雲乃者天遠之良祢八
和歌 おもひいつる ときそかなしき よのなかは そらゆくくもの はてをしらねは
解釈 思ひ出づる時ぞ悲しき世の中は空行く雲の果てを知らねば

歌番号一一九一
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 安者礼止毛宇之止毛以者之加遣呂不乃安留可奈幾可尓个奴留与奈礼者
定家 安者礼止毛宇之止毛以者之加遣呂不乃安留可奈幾可尓个奴留与奈礼者
和歌 あはれとも うしともいはし かけろふの あるかなきかに けぬるよなれは
解釈 あはれとも憂しとも言はじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば

歌番号一一九二
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 阿八礼天不己止尓奈久左武与乃奈可遠奈止可无可之止以比天寸久良无
定家 阿八礼天不事尓奈久左武世中遠奈止可昔止以比天寸久良无
和歌 あはれてふ ことになくさむ よのなかを なとかむかしと いひてすくらむ
解釈 あはれてふ事に慰む世の中をなどか昔と言ひて過ぐらん

歌番号一一九三
者利万乃久尓々堂可々堂止以不止己呂尓於毛之呂幾
以部毛知天者部利个留遠美也己尓天者々加毛尓天
飛左之宇万可良天加乃多可々多尓者部利个留飛止
尓以比川可八之个留
者利万乃久尓々堂可々堂止以不所尓於毛之呂幾
家毛知天侍个留遠京尓天者々加毛尓天
飛左之宇万可良天加乃多可々多尓侍个留人
尓以比川可八之个留
播磨国にたかがたといふ所におもしろき
家持ちて侍りけるを、京にて母が喪にて
久しうまからで、かのたかがたに侍りける人
に言ひつかはしける

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 毛乃於毛不止由幾天毛三祢者多可々多乃安万乃止万也八久知也之奴良无
定家 物思止行天毛見祢者多可々多乃安万乃止万也八久知也之奴良无
和歌 ものおもふと ゆきてもみねは たかかたの あまのとまやは くちやしぬらむ
解釈 物思ふと行きても見ねばたかがたの海人の苫屋は朽ちやしぬらん

歌番号一一九四
恵武幾乃於本武止幾止幾乃久良武止乃毛止尓曽宇之毛
勢与止於保之久天徒可者之遣留
延喜御時止幾乃蔵人乃毛止尓曽宇之毛
延喜御時、時の蔵人の許に、奏しも
せよとおぼしくてつかはしける

身川祢
身川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 由女尓多仁宇礼之止毛三者宇徒々尓天王飛之幾与利者奈保万佐利奈无
定家 夢尓多仁宇礼之止毛見者宇徒々尓天王飛之幾与利者猶万佐利奈无
和歌 ゆめにたに うれしともみは うつつにて わひしきよりは なほまさりなむ
解釈 夢にだにうれしとも見ばうつつにてわびしきよりはなほまさりなん
コメント

万葉雑記 墨子とその時代

2020年09月26日 | 墨子 原文と訓じ
万葉雑記 墨子とその時代

 弊ブログで万葉集時代と墨子の関係を調べるために墨子を眺めていて、今後、資料の形で墨子の原文と訓じを弊ブログに収容する予定です。その墨子と云う景色を眺めるに当たって、時代と云う背景や墨学について覚書のようなものを以下に紹介いたします。

 墨子は始祖墨子によって唱えられた、血縁に寄らない相互信頼と共通の道徳価値観の保有に基づき、信頼する指導者の下に勤勉と質素倹約に励み豊かな社会構築を目指す思想であり、実践運動です。この相互信頼と共通の道徳価値観の保有の精神から、相互に生じた問題を暴力ではなく道徳価値観から導き出された法秩序により公平に解決することを提案しますから、ここから有名な戦争を否定する「非攻」と云う提案が生まれました。また、墨学は思想の実践を重要視し、勤勉と質素倹約の証である粗服を着て日に焼けた姿が墨学の徒の姿とします。他方、儒学は弁論博識で人々を指導するのが儒学者の姿としますから、指導者たる服装や生活様式を保つことが重要とします。古代社会にあって墨学と儒学は二大学派と相互が認識しますが、このような思想の相違から対立する儒学は墨学の徒のその姿を労働者のようだと軽蔑します。

 墨学の始祖である墨子のその生涯は不明ですが概ね紀元前五世紀後半に活躍した人物と推定されていて、これが共通認識となっています。中国古代史で墨子の紀元前五世紀に関わる歴史区分を確認しますと、春秋時代(前770~前403)、戦国時代(前403~前221)、秦朝(前221~前206)、前漢朝(前221~8)と区分しますから、墨子は戦国時代前期に活躍した人物となります。社会環境では周王朝の秩序崩壊を受け、それぞれの地域で群雄が割拠し、その群雄の中から戦国時代の七雄と呼ばれる地域国家へ集約し始めた時代に相当します。
 墨子の出身階級については、墨学と云うものを評価批判する立場により上は貴族士大夫階級から下は工人と称される建設技術者階級まで大きな幅が有ります。ただ、墨子は識字の人であり、儒学の素養を持っていた又は儒学の門弟であったとも推定されますから、春秋戦国時代の社会情勢から識字教育を受ける環境に属する人、つまり、士大夫階級の人と推定されます。時代としては没落士大夫階級出身の食客の立場だったと考えるのが相当と考えます。
 次に学問として墨学を考える時に、その学説を唱える対象は誰かの問題があります。近代ではパトロンとサロンのメンバーが学説を唱える対象人物群です。古代ではおおむね奉呈の形式を取るものでは対象は国王やその補佐する人たちで、対象者は一般市民ではありません。それを踏まえて墨学の書の読者は誰かを考えますと、墨学の唱えるものは実務実践を前提とした専守防衛・富国強兵を中心テーマとしますから、当然、戦国時代の領主以上の地域を支配する士大夫階級の人と考えます。
 ただし、戦国時代の領主以上の人たちが皆、現代人が想う教養人レベルの人だったかは不明です。墨学は実務実践を重視しますから、紀元前400年前後の戦国時代前期にあって、相手がどのような教養水準でも理解できることを前提とした弁論で思想を展開したと考えます。加えて、遺跡発掘調査などから墨学の書は秦漢時代からほとんどそれ以降の時代に合わせた校訂・改定がなされていないことが判明していますから、儒学のようにその後の時代に合わせた洗練が為されていません。清朝考証学が示すように儒教経典の一つとされる詩経は秦朝頃までの楽曲歌詞としての扱いと漢代以降の儒教整備による毛詩正義などの扱いとは別物です。詩経を秦朝頃までの楽曲歌詞からしますと礼記が「鄭衛の音」と記述するように一部に宴会歌や猥歌の雰囲気を示します。当然、それでは孔子は女を入れての歌舞音曲の宴会で猥歌を好んだとなりますから、それでは儒教経典にはなりません。それでも時代の要請から解釈を駆使すれば猥歌でも経典に化けますし、公務員採用試験の問題集になります。一方、墨学の書は秦朝頃の姿のままを現代に伝えます。その分、墨学の書は難解とか、泥臭いとか、洗練された文章を扱う知識階級には評判が悪いものとなります。
 なお、従来に解説されている墨学の社会からの消滅の時期と矛盾しますが、中国の国語となる漢字文字の標準語化は秦始皇帝の事業で、それ以前は地域言語の様相があり文字についても地域ごとの独自性がありました。このため前秦時代の古代書籍は秦漢時代になって秦朝制定の標準漢字により改めて文字化されたものが準原典となります。墨学は秦時代に社会から消えたとされますが、実際は秦の始皇帝の漢字統一以降に墨学書は改めて整備されたものが時代毎に原典を変えることなく筆写され、現代に伝わっています。
ここで視線を変えて墨子が活躍した時代の社会情勢を人口から評価しますと、中国大陸の中核地域の人口は春秋時代後期から戦国時代前期では約500万人、戦国時代後期では約2000万人と推定し、おおむね、始皇帝の秦朝から漢劉邦の漢朝前期での人口を約2000万人とするのが標準的な歴史認識であり、社会基盤考察時の認識です。
 また、人の生活を支える生産技術から時代を確認しますと、墨子の時代までには古代製鉄法では最大の技術革命とされる可鍛鋳鉄を生産する銑鉄製造技術が確立し、そのような銑鉄を元に農耕使用を可能とする対衝撃性を持ち大量生産が容易な可鍛鋳鉄の鋳物製品が生まれます。これにより中国大陸の広い範囲に大量の鋳物製の農機具が普及しますし、同時に鉄製品の生産地と消費地との関係から大陸各地を繋ぐ交通網の整備や大資本商人の出現をもたらします。
 さらに、気候も近々の研究から紀元前770年頃の東周春秋時代から紀元前初めの前漢時代は温暖期とされ、2000年初頭を基準とすると、おおよその年平均気温は2℃前後高く、冬季の平均気温も3~5℃高かったと推定され、農業生産に適した時代と考えられています。中国大陸では戦国時代頃から本格的な粟を中心とした粒食の農耕社会へ社会は変革しています。なお、現代中国の状況から北は麦を中心とした粉食、南は米を中心とした粒食の食生活を想像するかもしれませんが、中国北部に麦を中心とした粉食が普及するのは、中世小氷河期と称される寒冷期に相当する年平均気温が1~2℃前後低くなる後漢から三国時代以降の寒冷化の進行による大陸北部での粟生産が大打撃を受けた時代以降のこととされ、秦漢時代以前の大陸北部まで粟生産が普及した温暖期ではありません。また、後漢時代末頃には農業生産拡大と製鉄業を支える木炭産業のために大陸北部では森林が消滅し、これも気候変動の振れ幅を大きくしたと推定されています。
 これらの農業生産技術の革新や気象条件がもたらした社会変革を背景に戦国時代、約200年の内に中国の人口は約500万人から約2000万人へと爆発的に増加します。それも戦国時代と云う戦乱動乱の時代に反するような人口増加現象です。
 ここで墨学を中心に戦国時代を眺めてみます。墨学は一面、専守防衛の軍事技術書の側面を持ちますから、その軍事から戦国時代を眺めると、春秋時代では士大夫階級となる武勇の戦士による馬曳戦車などを中心とする戦闘方法です。一方、戦国時代以降では人口増加と社会構成の変化を受けて大集団の農民兵を中核とする歩兵軍団による戦闘方法へと変化します。このため、春秋時代の戦闘は王侯貴族の持つ親衛隊を中心とする馬曳戦車を中核に置く常備即応軍を中心に兵力で数百から数千、最大でも数万という規模の野戦の会戦が中心でした。また、戦争は建前として社会秩序を乱した者へ刑罰を与えるものとして行われ、これを墨子では「誅」と称しています。対して戦国時代にあって、戦いは社会秩序を乱した者への刑罰の要素ではなく、経済や社会の優位性の獲得を目指した略奪・占領や破壊が重要になります。また、春秋時代の戦いでは戦闘の過程を重視し様式美を持つ戦闘方法から、戦国時代では勝利の結果だけを求める戦闘方法に変わったとします。ある種の人を殺すことの生産性の向上や合理化が求められる時代への突入です。墨学はそのような時代の要請の下に生まれた専守防衛技術を売り物にする戦闘集団の側面を持ちます。
 集団戦闘が中心となった時代の、戦国時代の七雄と呼ばれた七大国の兵力を確認しますと、紀元前90年代に司馬遷は『史記』で大国の秦や楚の兵力は百万、魏は七十万、あとの韓・趙・斉・燕の四カ国は数十万ずつと記述します。なお、資料が残る後漢以降の戸籍人口と兵力の関係を確認すると、国家存亡の戦時体制下での最大動員兵力は三国時代の蜀や呉からすると10%が限度です。戦国末期の総人口が2000万人ですと最大動員兵力は200万人です。つまり、『史記』が示す兵力は実際よりも2~3倍程度吹かした数値と思われます。
 なお、戦国時代末期となる秦国と趙国が激突した「長平の戦」では、偽計に乗り全軍で出撃追撃して来た趙軍を長平城(現在の山西省高平市)の北方に位置する永禄の狭隘地に引込、そこで秦軍は趙軍の後方を遮断して包囲戦に成功します。その包囲戦成功の報を受けた秦国はその包囲網の増強の為に本国の15歳以上の男子全員を緊急動員し、長平方面に派遣します。この時の秦側の動員軍勢を60万と記述します。一方の長平城で対峙した趙軍は秦国の接収を嫌った旧韓国の上党郡17県からの大量の戦争難民などを吸収した軍勢で構成しており、その兵力40万とします。この「長平の戦」は戦国時代最大の戦いとも称しますが、その動員の背景には他の戦争とは違う姿があります。ちなみに「長平の戦」では秦軍の包囲網を突破できなかった趙軍のこの方面軍全員は餓死や埋め殺しによって損耗し生存帰還者は年少男児数百人だけと伝えます。ただ、史実は食料搬入路を遮断され46日目の餓死直前に包囲網の突破を試みた将軍趙括が率いる趙軍正規軍約1万前後の壊滅もそうですが、戦後統治の安定を主眼に秦国が接収を目指した上党郡17県からの反乱農民たち不平分子約20万人を永禄の狭隘地で餓死させたと推定します。(#秦朝時代の有力な県は7000~10000戸を要し人口は3.5~5万人の規模があった。ここからの推定で上党郡の人口は70万人規模となる)
 国対国の決戦では十万単位の軍隊を動員しての戦争ですから、戦争当事国同士が同じタイミングで同じ場所へのそれぞれの軍隊の集結はまず不可能です。そのため、局地戦を除けば動員集結が迅速で兵力的に優位な方が相手側に攻め込み包囲攻城戦や陣地戦を行うような形での戦闘が中心となります。それを反映して墨学は大規模な軍隊による包囲攻城戦を前提にした防衛論を展開します。それが高い城壁に梯子を一度に懸ける装置である雲梯とそれへの対抗手段を述べる「備梯」、また、城郭に対する地下からの攻城トンネル戦法とそれへの対抗手段など攻城法とその対抗手段を述べる「備穴」を論じます。なお、戦国時代後半では配下の奴隷・戦争捕虜・犯罪人・占領地の住民などを集結しそれで人の海のような歩兵前衛部隊を作り、その前衛部隊の損耗を一切無視するような人の海の形で敵に押し寄せ攻城戦を行う戦法が生まれます。これが墨子の書で云う「蛾傅」です。この人海戦術には決定的な防衛策はなかったようで、矢、火、岩石など手持ちの武器を使い波状攻撃で襲来し城壁にたかる人の海をこそぎ落す方法のみを示し、決定的な撃退方法は示されていません。参考に秦軍の規定では戦闘で生き残り敵兵の首を取った者は、その首の数で奴隷階級であれば身分を平民にした上で土地を与えるような報奨制度で督戦していますし、参戦回数に合わせて処遇や身分の優遇を与えます。
 ただし、墨子自身は戦国時代前期の人ですから、時代としての動員の規模はまだまだ相互に最大数万の規模と考えます。戦国時代後期の「長平の戦」のような双方の兵力合わせて百万人のような時代の人ではありません。そのため墨子の書「公輸」では、墨子の訓練を受けた門弟三百人が籠城部隊に参加していることを示唆し戦争回避の説得を行い、成功したことになっています。
 当然、戦国時代にあっても常に数十万の軍を維持したのではありません。王都や郡都のような地域の中核を為す城郭にはその支配者の親衛隊が常備軍の形で待機しますが、それ以外は臨時に農民から一定の割合で兵卒を動員し軍を構築します。この時、臨時軍の指揮監軍をしたのが食客と呼ばれる人々です。斉の孟嘗君に食客三千人などと伝説しますが、これは現代で云う予備役軍人のような人たちで臨戦態勢では能力と経験から伍長から将軍までの地位を与えられ農民などから徴兵した人々を訓練した上で軍を構成し戦闘に参加します。墨学ではそのような臨時雇いの職業軍人に対し忠誠の保証として人質を取ることや逆に報償の規定などを紹介すると共に練兵の方法など、軍の運用方法を解説します。
 さて、人口側面からみますと戦国時代から前漢末期までは中国最大のバブル時代です。人口は約400年の間に500万人から6000万人へと激増し、それを支える社会構造も高度化・肥大化します。社会学者は中世までの中国大陸での食料供給能力からの限度を6000万人と推定し、それは前漢末期に達成します。墨学集団が歴史から消えたのは土地が持つ食料供給能力制限による人口がピークに達する直前です。ある種、古代最大のバブル絶頂期に墨学集団は消えます。
 この古代最大のバブル経済下で儒学は支配者階級や民間富裕層の贅を尽くした楽芸や祭祀への消費を推薦奨励し、それを「礼」、「孝」、「分」により理論武装し正当化します。また、旺盛な消費活動は社会経済の維持の為に必要とします。一方、墨学は資財に余裕を持つ支配者階級や民間富裕層にあっても楽芸や祭祀への消費を控え、その費用を農業生産活動や防衛備品に使えとします。つまり、支配者階級や民間富裕層のバブル消費を非難する立場です。まず、前漢時代のバブル全盛時代では全くに受入が難しい主張です。
 歴史研究者は春秋時代後期に大量生産が容易な鋳物製の農機具の普及により、血族を中核とする古くからの邑での集団生活から独立した個々人が原野を開拓し、その農地で生活する独立自営農家の急増によって社会構造に変革が起き、さらにその開拓した農地の高度利用を図るために独立自営農家が血縁に因らない形での共同作業により灌漑施設や道路を整備するようになったとします。これが成功しますと、血縁に因らない地域が生まれ、その地域を防衛するための血縁に頼らない自衛自警団が生まれます。墨学はこのような社会構造を前提に、地域のまとめ役を「賢」であり、郷長と呼び、このまとめ役による指導を尊敬しろと説きます。また、地域がまとまるには相互信頼関係を築き、同時に同じ道徳価値感覚を持てと説きます。これが尚賢、兼愛、尚同の学説です。
 尚賢のこの構造を複数の地域を集合した地方に展開し、その地方のまとめ役を「賢」であり大夫と呼びます。さらに複数の地方を集合して国へ拡大して適用すると、「賢」である国王の為す統治により国は安定して治まるとします。この統治の方法論では、その構成する人々に同じ道徳価値感覚を持たすために規律や法令を定め、公平厳格に賞罰を以って施行することで同じ道徳価値感覚を維持することが重要とします。ただ、墨学の面白い点は、人それぞれに意見や主義主張はあることを認めていて、ただ、その人それぞれの主義主張をすべて認めると社会に秩序は無くなるとします。だから、まとめ役は何が公正公平な同じ価値感覚なのか、また、物事の是非は何なのかを探り、人々が納得する規律や法令を定めよと、尚同の理論を説きます。支配者層の一方的な都合では安定した統治は出来ないと説きますから古代にあって非常に民主的な多数の意見集約の下でのリーダーへの指揮権委託です。
 また、血縁を持たない地域の人々の心を纏めるために、天然自然の不思議があればそれは「鬼」の行為とし、また、死んでも人々の心に残り尊敬敬愛される人を「鬼」と呼びます。墨学ではこれを山川に鬼有り、人に鬼有りと説きます。この地域の人々が信じる「鬼」を祀るためにお酒や食べ物を捧げ、その後、集まった人たちでその供え物を用いて飲食を行えと説きます。この人々が共に信じる「鬼」を祀るために集い、飲食を共にすることがもっとも重要と説きます。ここでも墨学の面白い点は、統治論においては「鬼」と云うものの存在を厳密にしないで、人々が共に信じている「鬼」を統治者は有るものとして祀り、人々の一体感のために飲食を共にしなさいとしている点です。日本人ではこの「鬼」を「神」と云う言葉に置き換えると非常に判り易いのではないでしょうか。このような山川に鬼有り、人に鬼有りの主張をしているため、後年に道教は墨学に理論武装の根拠を求めます。
 他方、尚賢の論から初代のリーダーである「賢」を得たとしてもその「賢」の地位を世襲しますと、そこには新たな世襲を合理化する理論が必要です。また、原野を開拓した独立自営農家も世代を経ると開拓できる土地は無くなり、それ以降は相続での分配の問題が生じます。「家」を守るなら分配をしないのが得策ですが、その場合にはそれなりの合理化する理論が必要です。その場面では「分」、「礼」、「孝」の理論を展開する儒学の出番となります。そのような時代に同じ所属なら区分を設けず公平を重視する墨学の出番ではありません。どうも、墨学は動乱変革の時代の論なのかもしれません。
 おまけの話となりますが、墨子の後に墨学の徒のリーダーである巨子の位に就いた孟勝が陽城君から防衛を委託された国城の防衛に失敗し、責任を取る形で自殺しています。色々な議論はありますが、墨学の防衛方法を陳べる「号令」では防衛隊から敵への投降者が出た場合はその所属する五人組の人たちは連帯責任で死罪です。加えて投降者の人質としている家族も死罪です。孟勝は防衛戦を開始した後に降伏開城したのですと、「号令」の規定からすると孟勝は死罪で、それも車裂の刑罰相当になります。部下にはそのような刑罰を行い、都合が悪くなると自分には適用しないとするかどうかの問題です。
 また、墨学は戦国時代後期には分派を起こし、一部は秦国で活動をしたと伝えます。墨学の本来の精神は兼愛の立場から非攻の専守防衛の態度を執りますが、一方では墨学の書は戦争実務書でもあります。その側面に戦闘の場面で「兼」の思想を導入し、平民、犯罪者、奴隷、捕虜の区分を問わず、戦功と従軍履歴だけを基準に階級階層ではなく公平に褒賞を与えると、これは秦国の軍制です。秦国の軍制では奴隷にあっても取った首の数で、最初に奴隷の親が平民に、次に本人が平民に、さらに土地を与えられ、さらにさらに邑の管理者の地位が与えられるような報奨制度を持ちます。また、秦国は統制の基準に五人組連帯制度を導入しますが、これが偶然の一致か、墨学の「号令」を参考にしたのかは不明です。ただ、秦国の制度と墨学とに多くの共通点を見ることが出来ます。
 最後に、現在では聖徳太子の憲法十七条の第八条は墨学の文章を引用していることが判明していますし、神道の祝詞に示す天皇が自ら泥田に入り農耕をし収穫物で祭祀を行うのは墨学が求める指導者の姿です。これは儒教では忌諱の行為ですし、仏教は仏教指導者の労働を忌諱しますから儒教でも仏教でもありません。どうも古代日本の精神構造と墨学とは相性が良いようです。

コメント