竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

再読、今日のみそひと謌 火

2018年07月31日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 火

集歌2557 垂乳根乃 母白者 公毛余毛 相鳥羽梨丹 羊可經
訓読 たらちねの母に申(まを)さば公(きみ)も余(あ)も逢ふとは無しに遥か経(へ)ぬべし
私訳 乳を与えてくれた実の母に打ち明けたら、貴方も私も逢うことが出来ずに、日々がどんどん経ってしまうでしょう。

集歌2558 愛等 思篇来師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者
訓読 愛(うつく)しと思へりけらし莫(な)忘れと結びし紐の解(と)くらく念(も)へば
私訳 あの時、私のことを「愛しい」と云ったあの人はずっと私を愛して下さる。「絶対、お前を忘れない」と云って結んだその私の下着の紐を、今、こうして貴方が解いているのを想うと。

集歌2559 昨日見而 今日社間 吾妹兒之 幾継手 見巻欲毛
訓読 昨日(きのふ)見に今日(けふ)こそ隔(へだ)て吾妹子(わぎもこ)し幾(いく)継(つづ)きて見まくし欲(ほ)しも
私訳 昨日、お前を抱いたから今日は抱かないけど、愛しい貴女に毎日逢いたいと願っています。

集歌2560 人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死
訓読 人もなき古(ふ)りにし郷(さと)にある人をめぐくや君し恋に死なする
私訳 人気もない古びた里に住む人を貴女は心配するでしょうか。その人は心配をしてくれる、その貴女への恋に死んでしまうでしょう。

集歌2561 人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁
訓読 人(ひと)事(こと)し繁き間(ま)守(も)りに逢ふともやなほ吾(あ)が上(へ)に事(こと)し繁けむ
私訳 世の仕事が忙しい間を縫って貴女に逢ったとしても、今の私の身の上には世の仕事が非常に多いでしょう。

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再読、今日のみそひと謌 月

2018年07月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 月

集歌2552 情者 千遍敷及 雖念 使乎将遣 為便之不知久
訓読 心には千重(ちへ)しくしくに念(おも)へども使(つかひ)を遣(や)らむすべし知らなく
私訳 心の内には幾遍も繰り返して貴方を恋い焦がれるが、恋の使いを送る方法を知りません。

集歌2553 夢耳 見尚幾許 戀吾者 寐見者 益而如何有
訓読 夢しのみ見てすら幾許(ここだ)恋ふる吾(あ)は寐(いね)し見しはましに如何(いか)あらむ
私訳 夢の中だけで逢っただけで、ひどく恋い焦がれる私は、もし、貴方に本当に抱かれることになったら、一体、私は、どうなるでしょうか。
注意 四句目「寐見者」を一般には「うつつに見しは」と訓じ、「現実に出逢ったら」と解釈します。

集歌2554 對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳
試訓 対(こた)ふ面(つら)面(おも)隠さゆるものからに継ぎに見まくの欲(ほ)しき公(きみ)かも
試訳 貴方にまじまじと見られると、恥ずかしくて私の顔を隠してしまうのですが、これからもずっと夜床を共にしたいと私からおねだりする貴方です。
注意 原歌の「對面者」は、一般に「あひみては=相見ては」と訓みます。ここでは「對面」の語感を尊重して試訓を行っています。

集歌2555 旦戸遣乎 速莫開 味澤相 目之乏流君 今夜来座有
訓読 朝戸(あさと)遣(や)るを早(はや)な開(あ)けそ味(あぢ)さはふ目し乏(とも)る君今夜(こよひ)来(き)ませる
私訳 朝に家の戸口から返し遣るとして、薄暗い朝早くから戸口を開けないでください。だって、味鴨のような目をした、夜目がきかない愛しいあの人が、今夜はいらっしゃっていますから。

集歌2556 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂し小簾(をす)の垂簾(たれす)を行き褐(かち)む寝(い)は寝(な)さずとも君は通はせ
私訳 美しく垂らすかわいい簾の内がだんだん暗くなります。私を抱くために床で安眠することが出来なくても、貴方は私の許に通って来てください。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌 3691

2018年07月29日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌 3691

集歌 3691 天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安左都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊弖見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登能奈氣伎婆 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布疑弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離(はな)れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来(き)経(へ)ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手(ころもて)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間(よのなか)の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺きて 雲(くも)離(はな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜の 寒き山辺(やまへ)に 宿りせるらむ
意訳 天地とともに長く久しく生きていられたらと思いつづけていたであろうに、ああ、いたわしいこと、懐かしい家を離れて、波の上を漂いながらやっとここまで来たが、月日もずいぶん経ってしまった上に、雁も次々来て鳴くようになったので、家の母もいとしい妻も、朝露に裳の裾をよごし、夕霧に衣の袖を濡らしながら、君が恙なくあるかのように、門に出ては見やりながらしきりに待っているであろうに、この世の中の人の嘆きなど、何とも思わない君なのか、そんなはずはあるまいに、どうして、秋萩の散りしきる野辺の初尾花、そんな初尾花なんかを仮廬に葺いて、雲居はるかに離れた遠い国辺の、冷え冷えと露置くこんなさびしい山辺に、旅寝などしているのか。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離(はな)れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来(き)経(へ)ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手(ころもて)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間(よのなか)の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺きて 雲(くも)離(はな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜の 寒き山辺(やまへ)に 宿りせるらむ
私訳 天地と共に一緒にと思っていたのですが、愛しい家を離れて浪の上を、苦しみながらやって来て、月も改まり月日は過ぎ経り、雁も次々と連なり飛び来て鳴くと、乳をくれた母や妻たちも、朝露に衣の裳の裾を濡らし、夕霧に衣の袖を濡らして、旅の貴方に幸があるようにと、門の外に出て貴方を待っているものを、世の中の人の嘆きを思いもよらない貴方なのでしょうか、秋萩の花散る野辺の初尾花の草で仮の小屋を葺いて、雲が流れ去る遠い国辺の露霜の降りる寒い山辺に身を横たえているのか。

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万葉雑記 色眼鏡 二七七 今週のみそひと歌を振り返る その九七

2018年07月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七七 今週のみそひと歌を振り返る その九七

 今週は気になった訓じについて遊びます。最初に標準的なものを紹介します。

集歌2545
原歌 誰彼登 問者将答 為便乎無 君之使乎 還鶴鴨
萬葉集釋注 伊藤博
訓読 誰(た)そかれと問はば答へむすべをなみ君が使を帰しつるかも
意訳 「誰なのか、使いをよこすその男は」と尋ねられたら、どう答えてよいのか手だてがないので、せっかくのあなたのお使いなのに、すげなく帰してしまいました。

万葉集全訳注原文付 中西進
訓読 誰(た)そ彼(かれ)と問はば答へむすべを無み君が使を帰しつるかも
意訳 あれは誰だと人が聞くと答える方法がないので、そそくさとあなたの使いを帰してしまったことだ。

 歌の鑑賞の情景は、親に知られないように男と付き合っている若い娘の許に、その男の許から恋文となる手紙か、伝言を携えた使がやって来た場面でのものです。若い娘は家族に男の存在を知られたくないので、その使に対し、見知らぬ通行人のような素っ気ない対応をしたとするものです。
 原歌表記からの意訳を比べますと、中西氏のものが原歌通りで、伊藤氏のものは原歌からの解釈を一歩進めてのものです。娘の家族は使の人物自体を知りませんし、目的も知りません。使の性別も歌からは不明です。「彼」と云う漢字本来の意味からしますと、現代用語での「彼氏」のような扱いではなく、「遠くのものを示す」代名詞だけですから、人を指すとしても下男かもしれませんし、下女かもしれません。不明です。歌の初句「誰彼登」は、遠くからやって来る見知らぬ人物に対して、「あそこにやって来るあの人は、誰なのだろう?」と云う疑問的な会話を示すだけです。およそ、そのような表記に使われる漢語・漢字に忠実なのが中西氏であり、現代語用語か、解釈優先でものもが伊藤氏のものになります。
 なお、歌の初句「誰彼登」の「彼」と云うものを本来の代名詞として扱いますと、漢文訓じでは「そ」と扱う場合がありますから、「たれそ そ と」や「たれし そ と」とするのが良いかもしれません。そのような背景で弊ブログでは次のように訓じ・解釈しています。


集歌2545 誰彼登 問者将答 為便乎無 君之使乎 還鶴鴨
訓読 誰(たれ)し彼(そ)と問はば答へむすべを無(な)み君し使(つかひ)を還(かへ)しつるかも
私訳 「誰ですか、あそこの人は」と聞かれたら、恋人である貴方からの使と答えることが出来ないので、それで貴方からの使いをそのまま返してしまうでしょう。

 そうした時、集歌2545の歌の種になったような歌があります。それが集歌2240の歌です。先の歌との比較で原歌表記に忠実な中西氏のものを先に紹介します。

集歌2240
原歌 誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
万葉集全訳注原文付 中西進
訓読 誰(た)そ彼(かれ)とわれをな問ひそ九月(なががつ)の露に濡(ぬ)れつつ君待つわれそ
意訳 誰だろうあれは、などといって私をとがめだてしてくれるな。晩秋九月の冷たい露に濡れながら、あの人を待っている私を。

 中西氏は集歌2545の歌の初句「誰彼登」と集歌2240の歌の初句「誰彼」を同じ訓じを行われていますし、解釈も同じです。弊ブログでも訓じ・解釈は同様です。ただ、弊ブログでの漢語「彼」と云う文字の扱いが漢文的な訓じであることが相違します。

集歌2240 誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
訓読 誰(たれ)し彼(そ)し我(われ)しな問ひそ九月(ながつき)し露し濡れつつ君待つ吾そ
私訳 「誰だろう、あちらからやって来る人は」といって私に尋ねないで。九月の夜露に濡れながら、遠くに見えるその貴方を待つ私なのだから。

 また、集歌2240の歌の解釈と集歌2545の歌の解釈において、弊ブログでは集歌2240の歌の場面は早朝の小川の辺、草木に朝露を置く状景で、娘と男とは前日以来の逢引の約束があったと考えています。娘は男がやって来る時間帯と場所を知っている前提です。一方、集歌2545の歌の情景は使の者を見知っているかもしれませんが、使がやって来ること自体を期待していなかったであろうと考えています。そのような娘の気持ちの持ちようが違うと考えています。
 ただし、人麻呂歌集に載る集歌2240の歌は実話に近い状況の歌か、それを題材にした和歌作歌への練習歌の感覚がありますが、集歌2545の歌は人麻呂歌集の集歌2240の歌を踏まえた、宮中などでの歌合歌ではないかと想像しています。つまり、歌のための歌であって、実際の恋愛を詠うものではないと考えています。ある種、古今和歌以降の歌会の為の歌のようなものです。

 今回、つまらない些細なことを取り上げました。どうでもよいことですので、たんなる戯言とご笑納ください。
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再読、今日のみそひと謌 金

2018年07月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 金

集歌2547 如是許 将戀物衣常 不念者 妹之手本乎 不纒夜裳有寸
訓読 かくばかり恋ひむものぞと思はねば妹し手本(たもと)を纏(ま)かぬ夜もありき
私訳 これほどに恋い焦がれると思いもしなかったので、愛しい貴女の手許を抱きしめない夜もあったなあ。

集歌2548 如是谷裳 吾者戀南 玉梓之 君之使乎 待也金手武
訓読 かくだにも吾(あ)は恋ひなむ玉梓し君し使(つかひ)を待ちやかねてむ
私訳 これほどに私は恋い焦がれています。立派な梓の杖を持つ貴方の使いを待ちかねています。

集歌2549 妹戀 吾哭涕 敷妙 木枕通而 袖副所沾
訓読 妹し恋ひ吾(あ)が哭(な)く涙敷栲(しきたへ)し木枕(こまくら)通(とほ)りに袖さへ濡れぬ
私訳 愛しい貴女に恋い焦がれ私が声を挙げて泣く涙は、敷いた栲の木枕を伝い、体に纏う衣の袖までも濡れてしまった。

集歌2550 立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
訓読 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅(くれなゐ)し赤裳(あかも)裾引き去(い)にし姿を
私訳 立上っても恋い焦がれ座っていても恋い慕う、紅の赤裳の裾を引いて奥へ去って行った貴女の姿を。

集歌2551 念之 餘者 為便無三 出曽行 其門乎見尓
訓読 念(おも)ひにしあまりにしかばすべをなみ出でてぞ行きしその門(かど)を見に
私訳 恋い焦がれて、何ともどうしようもなくて、家から出かけて行った。その家の門の様子を見に。
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