『懷風藻』 原文並びに書き下し文 (その9)
正三位式部卿藤原朝臣宇合 六首 [年三十四]
88
五言 暮春曲宴南池 並序 暮春南池に曲宴す
夫、王畿千里之間、誰得勝池 それ王畿千里の間、誰か勝池を得む
帝京三春之内、幾知行樂 帝京三春の内、いくばくか行樂を知らむ
則、有沈鏡小池、 すなわち鏡を沈むるの小池有り
勢無劣於金谷 勢(いきおひ)金谷に劣ることなし
染翰良友、數不過於竹林 翰(ふで)を染るの良友、數は竹林に過ぎず
為弟為兄、醉花醉月 弟と為り兄と為り、花に醉ひ月に醉ふ
包心中之四時、屬暮春 心中の四時を包み、暮春に屬す
映浦紅桃、半落輕錦 浦に映(えい)ずる紅桃(こうとう)、半ば輕錦を落とし
低岸翠柳、初拂長絲 岸に低(たれ)るる翠柳(すいりゆう)、初め長絲を拂ふ
於是、 ここにおいて
林亭問我之客、去來花邊 林亭に我を問ふの客、花邊(かへん)に去來し
池臺慰我之賓、左右琴樽 池臺に我を慰むの賓、琴樽(きんそん)を左右す
月下芬芳、歴歌處而催扇 月下の芬芳(ふんほう)、歌處(かしよ)を歴(へ)して扇を催し
風前意氣、歩舞場而開衿 風前の意氣(いき)、舞場(ぶじよ)を歩(ほ)して衿を開く
雖歡娛未盡、而能事紀筆 歡娛(かんご)未だ盡きずといへども、能く紀筆を事とす
蓋各言志、 蓋しおのおの志を言はざらん
探字成篇、云爾 字を探りて篇を成す、云ふことしかり
得地乘芳月 地を得て 芳月(ほうげつ)に乘じ
臨池送落暉 池に臨み 落暉(らくき)を送る
琴樽何日斷 琴樽(きんそん) 何れの日か斷たむ
醉裏不忘歸 醉裏(すいり) 歸ることを忘れず
89
七言 在常陸贈倭判官留在京 一首並序
常陸に在りて倭判官が留まりて京に在るに贈る
僕、與明公、忘言歳久 僕、明公と言(かたる)を忘るること歳久し
義、存伐木、道叶採葵 義、伐木(ばつぼく)に存し、道、採葵(さいき)に叶ふ
待君千里之駕、于今三年。 君が千里の駕(が)を待つこと、今に三年
懸我一箇榻、於是九秋 わが一箇の榻(とう)を懸くること、ここに九秋
如何授官、 如何ぞ授官
同日乍別殊郷以為判官。 同日にして乍ち殊郷(しゅきょう)に別れて以つて判官と為る
公、潔等冰壺、明逾水鏡 公、潔きこと冰壺(ひゅうこ)に等しく、明なること水鏡を逾(こ)ゆ
學、隆万萬卷、智載五車 學、万萬卷を隆(さか)むにし、智、五車に載す
留驥足於將展、 驥足(きそく)を將に展べむとするに留め
預琢玉條。 玉條を琢(みが)くに預る
迴鳬舄之擬飛 鳬舄(ふせき)の飛ばむと擬するを迴らし
忝簡金科 簡(かん)を金科に忝(かたじけな)くす
何異、宣尼返魯刪定詩書 何ぞ、宣尼(せんにょ)の魯に返つて詩書を刪定(さんてい)し
叔孫入漢制設禮儀 叔孫の漢に入つて禮儀を制設するに異らむや
聞夫天子下詔、置師審才問、 聞くそれ天子詔を下し、師を置き審才(しんさい)を問しむ
茲擇三能之逸士、使各得其所 茲に擇(えら)びし三能の逸士、おのおのその所を得しむ
明公獨自遺闕此舉 明公獨りみづから此の舉に遺闕(いけつ)す
理合先進、還是後夫 理は先進なるべきに、還つてこれ後るるかな
譬如下、 譬へば、
呉馬痩鹽、人尚無識、 呉馬(ごば)鹽に痩せて、人なほ識ることなく
梵臣泣玉、世獨不悟 梵臣(ぼんしん)玉に泣いて、世の獨り悟らざるがごとし
然而歳寒後、 然れども歳寒うして後、
驗松竹之貞、風生、 松竹の貞(てい)を驗し、風生じて
廼解芝蘭之馥 廼りて芝蘭(しらん)の馥(かほり)を解す
非鄭子産、幾失然明 鄭の子産に非らずんば、幾か然明(ぜんめい)を失はむ
非齊桓公、何舉寧戚 齊の桓公に非らずんば、何ぞ寧戚(ねいせき)を舉げむ
知人難、匪今日耳 人を知ることの難き、今日のみにあらず
遇時之罕、自昔然矣 時に遇ふことの罕(まれ)なる、昔より然り
大器之晩、終成寶質 大器の晩き、終(つい)に寶質(ほうしつ)に成る
如有我一得之言、 もし我に一得の言有らば
庶幾慰君三思之意 庶幾(しょき)は君に三思の意を慰めむ
今贈一篇之詩、輒示寸心之歎 今一篇の詩を贈つて、すなはち寸心の歎を示す
其詞曰 その詞に曰く
自我弱冠從王事 われ弱冠にして王事に從ひしより
風塵歳月不曾休 風塵歳月 かつて休せず
袴帷獨坐邊亭夕 帷(い)を袴(かか)げて獨り坐す 邊亭の夕
懸榻長悲搖落秋 榻(とう)を懸(かか)けて長く悲む 搖落の秋
琴瑟之交遠相阻 琴瑟(きんしつ)の交 遠く相ひ阻たり
琴瑟之交遠相阻 琴瑟(きんしつ)の交 遠く相ひ阻たり
芝蘭之契接無由 芝蘭(しらん)の契 接するに由なし
無由何見李將鄭 由なし何ぞ見む 李(り)と鄭(てい)と
有別何逢逵與猷 別あり何ぞ逢む 逵(き)と猷(ゆう)と
馳心悵望白雲天 心(こころ)を馳せて悵望(ちょうぼう)す 白雲の天
寄語徘徊明月前 語(ことば)を寄せて徘徊(はいかい)す 明月の前
日下皇都君抱玉 日下の皇都 君玉を抱く
雲端邊國我調絃 雲端の邊國 われ絃を調ふ
清絃入化經三歳 清絃(せいげん)化に入つて 三歳を經て
美玉韜光度幾年 美玉(びぎよく)光を韜むで 幾年か度る
知己難逢匪今耳 知己(ちき)の逢ひ難きこと今のみにあらず
忘言罕遇從來然 忘言(ぼうげん)遇ふこと罕(まれ)なる 從來然り
為期不怕風霜觸 為(ため)に期す風霜の觸(ふる)るを怕れず
猶似巖心松柏堅 なほ巖心松柏の堅(かた)きに似むを
90
七言 秋日於左僕射長王宅宴
秋日、左僕射長王の宅において宴す
帝里煙雲乘季月 帝里の煙雲 季月に乘ず
王家山水送秋光 王家の山水 秋光を送る
霑蘭白露未催臭 蘭を霑(うるお)す白露(はきろ)いまだ臭(か)を催さず
泛菊丹霞自有芳 菊に泛(うか)ぶ丹霞(たんか)おのずから芳あり
石壁蘿衣猶自短 石壁の蘿衣(らい)なほおのづから短く
山扉松蓋埋然長 山扉の松蓋(しょうがい) 埋(うづ)みしかも長し
遨遊已得攀龍鳳 遨遊(がいゆう) 已に龍鳳(りゅうほう)に攀(よ)ぢるを得たり
大隱何用覔仙場 大隱(たいいん) 何ぞ仙場(せんば)を覔(もと)むるを用ゐむ
91
五言 悲不遇 不遇を悲しむ
賢者悽年暮 賢者 年の暮れるるを悽(いた)み
明君冀日新 明君 日に新たなるを冀(こう)ふ
周占載逸老 周占(しうせん) 逸老(いつろう)を載せ
殷夢得伊人 殷夢(いんむ) 伊人(いじん)を得り
摶舉非同翼 摶舉(はくきょ) 翼を同にせず
相忘不異鱗 相忘(そうぼう) 鱗を異にせず
南冠勞楚奏 南冠(なんかん) 楚奏(そそう)を勞し
北節倦胡塵 北節(ほくせつ) 胡塵(こじん)に倦む
學類東方朔 學は東方(とうほう)朔(さく)に類し
年餘朱買臣 年は朱買(しゆばい)臣(しん)に餘り
二毛雖已富 二毛すでに富めりといへども
萬卷徒然貧 萬卷 徒然として貧し
92
五言 遊吉野川 吉野川に遊ぶ
芝蕙蘭蓀澤 芝蕙(しけい) 蘭蓀(らんそん)の澤(さわ)
松柏桂椿岑 松柏(しうはく) 桂椿(けいちん)の岑(みね)
野客初披薛 野客(やきやく) 初めて薛(へい)を披(ひら)き
朝隱蹔投簪 朝隱(そういん) 蹔らく簪(しん)を投(とう)ず
忘筌陸機海 筌(せん)を忘るる 陸機(りくき)が海
飛繳張衡林 繳(かく)を飛ばす 張衡(ちうこう)が林
清風入阮嘯 清風 阮嘯(げんそう)に入(はい)り
流水韵嵆琴 流水 嵆琴(けいきん)に韵(ひび)く
天高槎路遠 天高して槎路(さろ)遠く
河迴桃源深 河迴つて桃源(とうげん)深し
山中明月夜 山中 明月の夜
自得幽居心 自得す幽居の心
93
五言 奉西海道節度使之作 西海道の節度使を奉ずるの作
往歳東山役 往歳 東山の役
今年西海行 今年 西海の行
行人一生裏 行人 一生の裏
幾度倦邊兵 幾度か 邊兵に倦む
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます