資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)改訂版
これは2013年にブログに載せたものの2023年の改訂版です。改訂では現代語解釈を加えたために、以前に個人の作業で示した漢字交じり平仮名表記の「和歌」を解釈に応じて訂正しところがあります。この「和歌」の訂正と現代語解釈を加えた改訂版となっています。なお、グーグル検索での上位順位を維持するために、改めてのブログへの投稿ではありません。
紹介する寛平御時后宮歌合は皇太夫人班子女王歌合ともいう歌合集です。この歌合集はその題名の「寛平」と云う年号と「后宮」と云う敬称から、宇多天皇の後援の下にその時の天皇である光孝天皇の皇后であった班子女王が主催した歌合での作品を集めたものと推定します。他方、朱雀院女郎花歌合と同様に題名の「后宮」とは歌合が行われた場所だけを意味し、歌合の主催者を宇多天皇とする説もあります。この寛平御時后宮歌合の成立は寛平五年(893)年九月以前と推定され、編集では春、夏、秋、冬、恋の五題に対し各二十番四十首、あわせて百番二百首という大規模なものとなっています。一方、伝承では当時にそのような大規模な歌合を目的とした歌会を行ったという記録はなく、そこから延喜十三年(913)に開催された延喜十三年亭子院歌合と同様に宇多天皇の側近で形成する歌人たちが秀歌を集めてその優劣を比べた「撰歌合」ではないかとも推定されています。つまり、どのような歌合せだったのかの詳細は、よく判っていません。
古典歌集の編纂史で、一つの謎である万葉集の編纂の歴史に関係する資料として新撰万葉集があり、その新撰万葉集成立の付帯資料と云う意味合いで、この寛平御時后宮歌合を紹介します。つまり、ここでのものは歌学史研究では標準となる古今和歌集との関係性を見るものではありませんし、また、新撰万葉集との関係性を確認するものではありません。
ここで紹介するものは国際日本文化研究センター(日文研)の和歌データベースに収蔵する「寛平御時后宮歌合」のデータを底本とし、それをHP国文学研究資料館の画像ギャラリーに収容する「寛平御時后宮歌合」及びHP国立博物館蔵 国宝・重要文化財に示す「‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)」(以下、伝宗尊親王筆)を使い校合を行い、それに対し読み易さを優先して参照が容易な現代語表記による歌合集の形に再編集を行っています。歌の表記は、その時代の表記スタイルに従い「清音ひらがな表記」となっていますが、読解の助けとするため、便宜上、句切れを示しています。本来の表記は時代性からすると漢語となる漢字を使用せず、また、句切れを持たない「変体仮名連綿草体」です。さらに、個人の作業ですが読み易さへの補助として漢字交じり平仮名スタイルへの「和歌」と、それへの現代語訳の「解釈」を併せて載せています。
なお、「日文研」のもので歌や歌句が欠損しているものは、その欠落した歌や歌句の欠損を他の資料から補っています。ただし、参照する三種類の「寛平御時后宮歌合」資料全てで歌自体が欠落したものについては、「歌欠落」と表記し、そのままとしています。可能性として「新撰万葉集」から欠落した歌を推定することは可能と考えますが、そのような作業は行っていません。「古今和歌集」(新編日本古典文学全集、小学館)に収載の藤原定家筆本系統に属する宮内庁書陵部収蔵本からの「寛平御時后宮歌合」として紹介されるものと「日文研」のものと歌が相違している場合は、「日文研」のものを採用しています。また、「伝宗尊親王筆」に示す「読人不知」は「見え消し」表記となっており、ここではこれを「読人不知(見消)」の形で示します。
補足説明として、歌に振った通し番号(〇〇一, 〇〇二など)や歌合番号(春一番、春二番など)は、便宜上、この場だけのものとして私的に付記したものです。従いまして、「日文研」や「小学館」のものとはリンクしていません。また、紹介する場所をGoo ブログとしたために、そこでの1投稿2万字以内の文字数制限から、改訂版では春の部・夏の部と秋の部・冬の部・恋の部の上下二部に分けています。
参照先
HP国際日本文化研究センター 日文研データベース 和歌データベース 寛平御時后宮歌合
HP国文学研究資料館 電子資料館 画像ギャラリー 寛平御時后宮歌合
HP国立博物館蔵 国宝・重要文化財 ‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)伝宗尊親王筆
『古今和歌集』(新編日本古典文学全集、小学館)収載、寛平御時后宮歌合
『寛平后宮歌合に関する研究』(高野平、風間書房)
ブログ竹取翁と万葉集のお勉強 資料編 新撰万葉集
解説として、この寛平御時后宮歌合は歌合一巻本として数種類の伝本があり、それは寛平五年(八九三)の秋以前に光孝天皇の后班子が主催したとされる歌会で詠われ、合された歌を載せるものです。その歌会では春夏秋冬の四季に恋の五題に対し、それぞれ二十番、都合、百番の番組に、左右それぞれ百首、都合、二百首(現存一九三首)の歌が詠われています。ただ、左右での秀歌や勝ち負けの判定については伝わっていません。加えて、この歌会では古今和歌集に関係する紀貫之や壬生忠岑らも歌を詠んでいますし、他に新撰万葉集とも密接な関係を持つ歌合集でもあります。
参照資料として使用しました「日文研」と「伝宗尊親王筆」との校合から、歌は本来の百番二百首中の伝存一九三首に秋の部末に追記された一首、都合、一九四首が伝存しています。つまり、百番歌合からは七首が失われており、その失われた歌の内訳は夏歌三首、冬歌二首、戀歌二首となっています。新撰万葉集の和歌は主にこの寛平御時后宮歌合を使い、万葉調の漢字文字表現に転換したものとされています。そのため、可能性として新撰万葉集の和歌から寛平御時后宮歌合で失われた歌を推測することは可能と考えます。しかしながら、ここではその欠損した歌の復元作業は行っていません。参考として、この問題を研究した専門図書として「寛平后宮歌合に関する研究」(高野平、風間書房)と云うものがあります。
最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に漢字交じり平仮名スタイルの和歌や現代語訳の解釈は自己流であり、なんらかの信頼おけるものからの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。
資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)上
謌合
寛平御時后宮哥合
春歌二十番
春一番
左 紀友則
歌番〇〇一 古今13
原歌 はなのかを かせのたよりに たくへてそ うくひすさそふ しるへにはやる
和歌 花の香を 風のたよりに たぐへてぞ 鶯さそふ しるべにはやる
解釈 咲き匂う梅の香りを風の便りに添えて、鶯を誘い出す案内役として遣わせる。
右 源当純
歌番〇〇二 古今12
原歌 たにかせに とくるこほりの ひまことに うちいつるなみや はるのはつはな
和歌 谷風に とくる氷の ひまことに 打ちいづる波や 春の初花
解釈 谷間を吹く風により融ける氷の間ごとに、流れ出る水の波しぶきが春の最初の花であろうか。
春二番
左 素性法師
歌番〇〇三 古今47
原歌 ちるとみて あるへきものを うめのはな うたてにほひの そてにとまれる
和歌 散ると見て あるべきものを 梅の花 うたて匂ひの 袖にとまれる
解釈 花が散ってしまうと眺めて、散り終わってしまうべきなのに、梅の花は、余計なことに思いを残すその匂いが袖に残り香となって残っている。
右 藤原興風
歌番〇〇四 古今131
原歌 こゑたえす なけやうくひす ひととせに ふたたひとたに くへきはるかは
和歌 声たえず 鳴けや鶯 ひととせに ふたたびとだに 来べき春かは
解釈 声が絶えないように鳴き続けよ、鶯よ、一年に二度とは来ない春なのだから。
春三番
左
歌番〇〇五
原歌 うめのはな しるきかならて うつろはは ゆきふりやまぬ はるとこそみめ
和歌 梅の花 しるき香ならで 移つろはば 雪降りやまぬ 春とこそ見め
解釈 梅の花よ、人が気付く香りもさせないで散り失せてしまうと、雪が降り止まないで枝に積もった、そのような春だと思うでしょう。
右
歌番〇〇六
原歌 はるのひに かすみわけつつ とふかりの みえみみえすみ くもかくれなく
和歌 春の日に 霞わけつつ 飛ぶ雁の 見えみ見えずみ 雲かくれなく
解釈 春の日に霞を分けて北へと飛ぶ雁は、見え隠れしながら雲に隠れて飛び行く
春四番
左 素性法師
歌番〇〇七 古今92
原歌 はなのきも いまはほりうゑし はるたては うつろふいろに ひとならひけり
和歌 花の木も いまは掘り植ゑじ 春立ては 移ろふ色に 人ならひけり
解釈 花の咲く木を今からは掘って植えることはしない、春の盛りになれば花は咲き散って行くが、それと同じように人も見習って興味も移り変わって行くのだから。
右 紀貫之
歌番〇〇八 古今116
原歌 はるののに わかなつまむと こしわれを ちりかふはなに みちはまとひぬ
和歌 春の野に 若菜つまむと 来しわれを 散りかふ花に 道はまどひぬ
解釈 春の野辺で若菜を摘もうとして来た私ですが、散り乱れる花で道に迷ってしまった。
春五番
左
歌番〇〇九
原歌 うくひすは うへもなくらむ はなさくら さくとみしまに うつろひにけり
和歌 鶯は うべも鳴くらむ 花桜 咲くと見し間に 移つろひにけり
解釈 鶯は、なるほど、このような訳で鳴くのですね、花咲く桜、その咲いていると眺めていた間に花は散ってしまいました。
右 藤原興風
歌番〇一〇 古今1031
原歌 はるかすみ たなひくのへの わかなにも なりみてしかな ひともつむやと
和歌 春霞 たなびく野辺の 若菜にも なりみてしがな 人も摘むやと
解釈 春霞がたなびく野原の若菜になってみたいものだなあ。そうすれば、あの人が摘んでくれると思うから
春六番
左
歌番〇一一
原歌 あさみとり のへのかすみは つつめとも こほれてにほふ はなさくらかな
和歌 浅緑 野辺の霞は つつめとも こぼれて匂ふ 花桜かな
解釈 浅緑の野辺を霞が包んでいても、そこからこぼれるように咲き誇る、その花咲く桜です。
右
歌番〇一二
原歌 はるたたは はなをみむてふ こころこそ のへのかすみと ともにたちぬれ
和歌 春立たば 花を見むてふ 心こそ 野辺の霞と ともにたちぬれ
解釈 春が盛りになると花を眺めたいと願う気持ちこそ、野辺の霞と同じようにともに湧き立ち昇って来ます。
春七番
左 紀友則
歌番〇一三 古今60
原歌 みよしのの やまにさきたる さくらはな ゆきかとのみそ あやまたれける
和歌 み吉野の 山に咲きたる 桜花 雪かとのみぞ あやまたれける
解釈 吉野山の山に咲いている桜の花は、その白い花色で雪かと見違えてしまった。
右
歌番〇一四
原歌 としのうちは みなはるなから はてななむ はなをみてたに こころやるへく
和歌 年のうちは みな春なから 果てななむ 花を見てだに 心やるべく
解釈 一年中は、それはみな春の季節として終わって欲しいものです、桜の花を眺めるだけで心を慰めるようにと。
春八番
左
歌番〇一五
原歌 はるかすみ あみにはりこめ はなちらは うつろひぬへし うくひすとめよ
和歌 春霞 網に張りこめ 花散らば 移ろひぬべし 鶯とめよ
解釈 春霞よ、お前は網に張り巡らし花が散ったなら飛び散らないようにしなさい、そして、鶯よ、大声で鳴きなさい。
右
歌番〇一六
原歌 はるさめの いろはこくしも みえなくに のへのみとりを いかてそむらむ
和歌 春雨の 色は濃くしも 見えなくに 野辺の緑を いかで染むらむ
解釈 春雨に霞み草木の色は濃いとは見えないが、野辺の緑は、どうすれば、初夏には色濃く染まっていくのだろう。
春九番
左 在原棟梁
歌番〇一七 古今15
原歌 はるなれと はなもにほはぬ やまさとは ものうかるねに うくひすそなく
和歌 春なれど 花もにほはぬ 山里は もの憂かる音に 鶯ぞ鳴く
解釈 暦ではもう春になったのに、まだ花も咲き誇らないこの山里は、鳴くのが物憂いといったような声で鶯が鳴いている。
右 藤原興風
歌番〇一八 古今101
原歌 さくはなは ちくさなからに あたなれと たれかははるを うらみはてたる
和歌 桜花 ちくさなからに あたなれと 誰かは春を うらみはてたる
解釈 桜の花はそれぞれに多様なのですが、そのどれもが散り易いけど、だからと言って誰が春を恨み切ることが出来るでしょうか。
春十番
左
歌番〇一九
原歌 みつのうへに あやおりみたる はるさめや やまのみとりを なへてそむらむ
和歌 水の上に 綾織り乱だる 春雨や 山のみとりを なべて染むらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、その綾織り模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
右
歌番〇二〇
原歌 いろふかく みるのへたにも つねならは はるはゆくとも かたみならまし
和歌 色深く 見る野辺だにも 常ならば 春はゆくとも 形見ならまし
解釈 花は無くてもこの緑色濃く見える野辺だけであっても、この景色が常のものならば、春は過ぎ行きても、この景色が思い出になって欲しいものです。
春十一番
左
歌番〇二一
原歌 こまなへて めもはるののに ましりなむ わかなつみつる ひとはありやと
和歌 駒なべて めもはるの野に まじりなむ 若菜摘みつる 人はありやと
解釈 駒を並べて目も張る、その春の野に入り交りましょう、若菜を摘んでいるでしょう、あの人が居ないかと思って。
右 読人不知(見消)
歌番〇二二 古今14
原歌 うくひすの たによりいつる こゑなくは はるくることを たれかつけまし
和歌 鶯の 谷よりいづる 声なくば 春来ることを 誰がつげまし
解釈 もし、鶯が谷から飛び出て鳴く声を聞かせることがなければ、春が来ることを誰が私に知らせるでしょうか。
春十二番
左
歌番〇二三
原歌 はるなから としはくれなむ ちるはなを をしとなくなる うくひすのこゑ
和歌 春ながら 年は暮れなむ 散る花を 惜しと鳴くなる 鶯の声
解釈 今、春ではありますが、このままに一年の年は暮れて欲しい、そのように散る桜の花を心残りと鳴く鶯の声が聞こえます。
右
歌番〇二四
原歌 おほそらを おほふはかりの そてもかな はるさくはなを かせにまかせし
和歌 大空を 覆ふばかりの 袖もがな 春咲く花を 風にまかせじ
解釈 大空を覆うほど大きな袖が欲しいものです、春に咲く桜の花を風の思いのままに散らせないとして。
春十三番
左
歌番〇二五
原歌 かすみたつ はるのやまへに さくらはな あかすちるとや うくひすのなく
和歌 霞立つ 春の山辺に 桜花 飽かす散るとや 鶯の鳴く
解釈 霞が湧き立つ春の山の辺に咲く桜の花、まだ、見飽きないのに散ってしまうのかと、鶯も鳴いています。
右
歌番〇二六
原歌 あまのはら はるはことにも みゆるかな くものたてるも いろこかりけり
和歌 天の原 春はことにも 見ゆるかな 雲の立てるも 色濃かりけり
解釈 天の原は春には特別に風情を感じて見えます、その空に雲の湧き立つ姿も、入道雲のように一段と色が濃くなりました。
春十四番
左
歌番〇二七
原歌 まきもくの ひはらのかすみ たちかへり みれともはなの おとろかれつつ
和歌 巻向の 桧原の霞 たちかへり 見れども花の おどろかれつつ
解釈 巻向の檜原の山に立つ霞、道行きに振り返って見ても、また、咲く桜の花に目を見張らされます。
右
歌番〇二八
原歌 しろたへの なみちわけてや はるはくる かせふくからに はなもさきけり
和歌 白妙の 波路わけてや 春は来る 風吹くからに 花も咲きけり
解釈 柔らかな白妙の布のような、穏やかな波路を分けて春はやって来る、暖かくやわらかな風が吹くから、それで桜の花も咲きました。
春十五番
左 在原元方
歌番〇二九 古今103
原歌 かすみたつ はるのやまへは とほけれと ふきくるかせは はなのかそする
和歌 霞立つ 春の山辺は 遠ほけれど 吹き来る風は 花の香ぞする
解釈 霞が湧き立つ春の山辺への道のりは遠いけれど、そこから吹き来る風には、もう咲いた花の香りがします。
右
歌番〇三〇
原歌 ちるはなの まててふことを きかませは はるふるゆきと ふらせさらまし
和歌 散る花の 待ててふ言を 聞かませば 春ふる雪と 降らせざらまし
解釈 散る桜の花が、散るのを待てと言う言葉を聞き届けてくれたなら、その花は花吹雪として春に降る雪と散り降らせることはないでしょう。
春十六番
左
歌番〇三一
原歌 かかるとき あらしとおもへは ひととせを すへてははるに なすよしもかな
和歌 かかるとき あらじとおもへば ひととせを すべては春に なすよしもがな
解釈 このような季節の時がいつもは無いと思うので、一年を全て春の季節とする方法が無いものでしょうか。
右
歌番〇三二
原歌 まててふに とまらぬものと しりなから しひてそをしき はるのわかれを
和歌 待ててふに とまらぬものと 知りながら しひてぞ惜しき 春の別れを
解釈 散るのを待てと言うのに、散り去ることを止められないとは知っていますが、それでも残念に思う春の花の季節の別れであります。
春十七番
左 読人不知(見消)
歌番〇三三
原歌 うめのはな かをはととめて いろをのみ としふるひとの そてにそむらむ
和歌 梅の花 香をばとどめて 色をのみ 年経る人の 袖に染むらむ
解釈 梅の花の香りだけでも衣の袖に移して留めれば、風流事だけに一年を過ごすあの人の袖に染み染めて思い出にするでしょう。
右
歌番〇三四
原歌 あかすして すきゆくはるの ひとならは とくかへりこと いはましものを
和歌 飽かずして 過ぎゆく春の 人ならば とく帰へりこと 言はましものを
解釈 見飽きることなく過ぎて行く春が、もし、人ならば、早く帰って来てくださいなどとは、言わないのですが、(春は足早に過ぎ去る。)
春十八番
左 読人不知(見消)
歌番〇三五 古今46
原歌 うめかかを そてにうつして ととめては はるはすくとも かたみならまし
和歌 梅の香を 袖にうつして とどめては 春は過ぐとも 形見ならまし
解釈 梅の花の香りを衣の袖に移して留めれば、春の季節が過ぎても春の思い出となるだろう。
右
歌番〇三六
原歌 ゆくはるの あとたにありと みましかは のへのまにまに とめましものを
和歌 ゆく春の 跡だにありと 見ましかば 野辺のまにまに とめましものを
解釈 去り行く春の跡があるとばかりに眺めるのなら、野辺のあちらこちらにその跡を求めるのですが。
春十九番
左 藤原興風
歌番〇三七 古今102
原歌 はるかすみ いろのちくさに みえつるは たなひくやまの はなのかけかも
和歌 春霞 色の千くさに 見えつるは たなびく山の 花の影かも
解釈 春霞が色、とりどりの色に見えたのは、それがたなびく山の花を映したものだったのかもしれない。
右
歌番〇三八
原歌 ひくるれは かつちるはなを あたらしみ はるのかたみに つみそいれつる
和歌 日暮れば かつ散る花を あたらしみ 春の形見に 摘みそ入れつる
解釈 日が暮れ行き、また、盛りを過ぎ行く梅の花が新鮮な景色と思えたので、この春の景色の思い出として、梅の花を摘み袖に入れました。
春二十番
左 源敏行朝臣 (源宗干)
歌番〇三九 古今24
原歌 ときはなる まつのみとりも はるくれは いまひとしほの いろまさりけり
和歌 ときはなる 松のみどりも 春くれば いまひとしほの 色まさりけり
解釈 春の季節になりました、一年中、変わらない松の色もその春が来たので、今、ひとしおに緑の色合いが濃くなりました。
右
歌番〇四〇
原歌 くるはるに あはむことこそ かたからめ すきゆくかたに おくれすもかな
和歌 来る春に あはむことこそ かたからめ 過ぎゆくかたに 遅れずもがな
解釈 また来るでしょう春に、この景色と同じものと出会うことは難しいでしょう、それでこの過ぎ行く春の行く方に、遅れずについて行きたいものです。
夏歌二十番
夏一番
左 紀友則
歌番〇四一 古今715
原歌 せみのこゑ きけはかなしな なつころも うすくやひとの ならむとおもへは
和歌 蝉の声 きけばかなしな 夏衣 うすくや人の ならむとおもへば
解釈 蝉の声を聞くともの悲しくなる、夏の衣ではないが、あの人の私への気持ちが薄くなってしまうような気持ちがするので。
右
歌番〇四二
原歌 にほひつつ ちりにしはなそ おもほゆる なつはみとりの はのみしけりて
和歌 にほひつつ 散りにし花ぞ 思ほゆる 夏は緑の 葉のみしげりて
解釈 美しく輝きながら散り失せた花を思い出します、今、この夏、その花があった木に緑の葉だけが茂っています。
夏二番
左
歌番〇四三
原歌 うつせみの わひしきものを なつくさの つゆにかかれる みにこそありけれ
和歌 うつせみの わびしきものを 夏草の 露にかかれる 身にこそありけれ
解釈 蝉の抜け殻自体でも、もの悲しいものではありますが、夏草の許で露に濡れかかった、その身にこそもの悲しさがさらにあります。
右
歌番〇四四
原歌 なつのよの つきはほとなく あけなから あしたのまをそ かこちよせける
和歌 夏の夜の 月はほどなく 明けながら 朝の間をぞ かこちよせける
解釈 夏の夜が短いので月の光はほどなく薄れて行き、その夜は明けて行きますが、朝起き出すまでの間、まだ、夜だとこじつけてまどろんでいます。
夏三番
左 紀友則
歌番〇四五 古今561
原歌 よひのまは はかなくみゆる なつむしに まとひまされる こひもするかな
和歌 宵の間は はかなく見ゆる 夏蟲に まどひまされる 恋もするかな
解釈 宵の間ははかなく見える夏虫が、人の焚く火に惑わされ身を焦がす、そのような行く末も知らずにまさるほど惑う恋をすることです。
右 紀貫之
歌番〇四六 古今156
原歌 なつのよは ふすかとすれは ほとときす なくひとこゑに あくるしののめ
和歌 夏の夜は 臥すかとすれは 郭公 鳴くひと声に 明くるしののめ
解釈 短い夏の夜は眠りについたかと思うと、ホトトギスが鳴くひと声に、もう、明るくなる東雲の朝です。
夏四番
左
歌番〇四七
原歌 かりそめの みやたのまれぬ なつのひを なとうつせみの なきくらしつる
和歌 かりそめの 身やたのまれぬ 夏の日を なと空蝉の なき暮らしつる
解釈 儚い命のお前の身の上では頼りにならない、暑い夏の日を、なぜ、空蝉のお前は、ただ、鳴いて暮らしているのか。
右
歌番〇四八
原歌 はかもなき なつのくさはに おくつゆを いのちとたのむ むしのはかなさ
和歌 はかもなき 夏の草葉に 置く露を 命と頼む 蟲のはかなさ
解釈 消え失せたとしても弔う墓も無い、夏の草葉に置く露を命の源と頼りにする、その虫の儚さです。
夏五番
左
歌番〇四九
原歌 ふるさとを おもひやれとも ほとときす ことのことくに なれそなくなる
和歌 故里を 思ひやれとも 郭公 ことのごとくに 汝ぞ鳴くなる
解釈 古い里の様子を思い馳せているが、ホトトギスよ、その思いに馳せるに合わせて、お前は「不如帰、不如帰」と鳴いている。
注意 「小学館」は四句目が「こそのことくに(去年のごとく)」と違うために、解釈が大きく違います。
右
歌番〇五〇
原歌 なつのよの しもやおけると みるまてに あれたるやとを てらすつきかけ
和歌 夏の夜の 霜や置けると 見るまでに 荒れたる宿を 照らす月影
解釈 夏の夜にもう霜が置いたのかと見間違えるほどに、荒れてしまった屋敷を煌々と照らす白い月の光です。
夏六番
左
歌番〇五一
原歌 なつのかせ わかたもとにし つつまれは おもはむひとの つとにしてまし
和歌 夏の風 わが袂にし 包まれば 思はむ人の つとにしてまし
解釈 夏の風に私の袂が包まれた奈良、私の恋焦がれる人への土産にしたいものです。
右
歌番〇五二
原歌 なつくさの しけきおもひは かやりひの したにのみこそ もえわたりけれ
和歌 夏草の しげき思ひは 蚊遣り火の 下にのみこそ 燃えわたりけれ
解釈 夏草が茂る、その言葉の響きではありませんが、貴女への茂る思いは、蚊遣り火が灰の下で燻ぶり燃えるように、表には出さすに心の中で恋焦がれ燃え続けています。
夏七番
左
歌番〇五三
原歌 くさしけみ したはかれゆく なつのひも わくとしわけは そてやひちなむ
和歌 草茂げみ 下葉枯れゆく 夏の日も わくとしわけば 袖やひぢなむ
解釈 暑さで草の茂みの下草が乾ききって枯れていく、その夏の日でも、貴女に逢うために草むらを分けに分けて通えば、きっと、私の袖は露に濡れるでしょう。
右 紀友則
歌番〇五四 古今153
原歌 さみたれに ものおもひをれは ほとときす よふかくなきて いつちゆくらむ
和歌 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜深く鳴きて いづち行くらむ
解釈 五月雨の降る夜にもの思いをすると、ホトトギスが夜を更けてから鳴いて飛び過ぎたが、さて、どちらの方角をさして行くのだろうか。
夏八番
左
歌番〇五五
原歌 なつのよの つゆなととめそ はちすはの まことのたまと なりしはてすは
和歌 夏の夜の 露なとどめそ 蓮葉の まことの珠と なりしはてずば
解釈 夏の夜の露よ、決して、その姿を留めないでください、蓮の葉に乗る本当の珠とは、お前はなれないのだから。
右 紀有岑
歌番〇五六 古今158
原歌 なつやまに こひしきひとや いりにけむ こゑふりたてて なくほとときす
和歌 夏山に 恋ひしき人や 入りにけむ 声ふりたてて なく郭公
解釈 夏の山に恋いする人が籠もってしまったのだろうか、ホトトギスが声をふりしぼって「片恋、片恋」と鳴いている。
注意 万葉集の時代からホトトギスの鳴き声の「カッコウ」を「片恋」と聞きます。
夏九番
左
歌番〇五七
原歌 ふくかせの わかやとにくる なつのよは つきのかけこそ すすしかりけれ
和歌 吹く風の わが宿に来る 夏の夜は 月の影こそ 涼しかりけれ
解釈 吹く風が私の屋敷にやって来る、その夏の夜は月の光だけはこそ涼しく見えて欲しいものです。
右 紀友則
歌番〇五八 古今562
原歌 ゆふされは ほたるよりけに もゆるとも ひかりみえねは ひとそつれなき
和歌 夕されば 蛍よりげに 燃ゆるとも 光見みえねば 人ぞつれなき
解釈 夕方になると、私の思いは蛍より燃えているのに、私の恋焦がれるその火の光が見えないのか、あの人は素っ気ない。
夏十番
左
歌番〇五九
原歌 なつのひを くらしわひぬる せみのこゑに わかなきそふる こゑはきこゆや
和歌 夏の日を 暮らしわびぬる 蝉の声 わがなき添ふる 声は聞こゆや
解釈 短い命で夏の日を暮らし辛そうにしている、その蝉の鳴き声に私が泣き添えている声は、貴方に聞こえたでしょうか。
右
歌番〇六〇
原歌 うらみつつ ととむるひとの なけれはや やまほとときす うかれてそなく
和歌 恨みつつ とどむる人の なければや 山郭公 うかれてぞ鳴く
解釈 「片恋、片恋」と恨みながら鳴く、それをやめさせる人が居ないからなのか、ホトトギスは落ち着きなく鳴いている。
注意 万葉集ではホトトギスの「カッコウ、カッコウ」と鳴く声を「片恋、片恋」と聞きます。
夏十一番
左
歌番〇六一
原歌 なつのよは みつやまされる あまのかは なかるるつきの かけもととめぬ
和歌 夏の夜は 水や勝れる 天の河 流るる月の 影もとどめぬ
解釈 夏の夜は水嵩が増しているのだろうか、天の川を流れていく月の光がどんどん過ぎ行きます。
右 読人不知(見消)
歌番〇六二 古今159
原歌 こそのなつ なきふるしてし ほとときす それかあらぬか こゑのかはらぬ
和歌 去年の夏 鳴きふるしてし 郭公 それかあらぬか 声のかはらぬ
解釈 去年の夏にたくさん鳴いてくれたホトトギスと同じホトトギスか分からないが、今年の鳴き声も変りません。
夏十二番
左
歌欠落 (推定)
右
歌欠落 (推定)
夏十三番
左
歌欠落
右
歌番〇六三
原歌 なつむしに あらぬわかみの つれもなき ひとをおもひに もゆるころかな
和歌 夏蟲に あらぬわが身の つれもなき 人を思ひに 燃ゆる頃かな
解釈 ともし火に飛び込んで身を焦がす夏虫ではない私ですが、私につれないあの人を思って、我が身を恋焦がしているこの頃です。
夏十四番
左
歌番〇六四
原歌 なつのよの まつはもそよと ふくかせは いつれかあめの こゑにかはれる
和歌 夏の夜の 松葉もそよと 吹く風は いづれか雨の 声にかはれる
解釈 夏の夜に松の葉もそよそよと揺れて吹く風は、ひょっとすると雨の音に聞き間違いそうです。
右 紀友則
歌番〇六五 古今154
原歌 よやくらき みちやまとへる ほとときす わかやとをしも すきかてにする
和歌 夜や暗き 路や惑へる 郭公 わが宿をしも 過ぎかてにする
解釈 夜道が暗いせいか道に迷ったホトトギスが、私の屋敷ではありますが通り過ぎることが出来なくて、ここで鳴いている。
夏十五番
左
歌番〇六六
原歌 いつのまに はなかれにけむ なかくたに ありせはなつの かけとみましを
和歌 いつの間に 花枯れにけむ 長がくだに ありせば夏の かげと見ましを
解釈 いつの間に花は枯れてしまったようです、長い間、なんとか咲いていてくれたら、夏の思い出として眺めていたのですが。
右
歌番〇六七
原歌 いくちたひ なきかへるらむ あしひきの やまほとときす こゑはわすれて
和歌 幾千たび 鳴きかへるらむ あしひきの 山郭公 声はわすれで
解釈 幾千回も同じように鳴き、毎年の夏を迎えるだろう、葦や檜の生える山に棲むホトトギスは、毎年に鳴き出すその鳴き声を忘れることはない。
注意 「小学館」では末句が「こゑはかれすれて」と異同があり、歌意は大きく変わります。
夏十六番
左
歌番〇六八
原歌 なつのひを あまくもしはし かくさなむ ぬるほともなく あくるよにせむ
和歌 夏の日を 天雲しばし 隠さなむ 寝るほどもなく 明くる夜にせむ
解釈 夏の太陽を空の雲がしばし隠して欲しい、そうしたら夏の夜は短く寝る間もないので、今明けるでしょうこの夜の次の夜にしましょう。
注意 「小学館」は末句が「あくるあしたを」と異同があり、歌意は大きく変わります。
右
歌番〇六九
原歌 ほとときす なきつるなつの やまへには くつていたさぬ ひとやすむらむ
和歌 郭公 鳴きつる夏の 山辺には 沓手いださぬ 人や住むらむ
解釈 ホトトギスが鳴いている夏の山辺には、沓の代金を払わない人が住んでいるのでしょうか。
注意 ホトトギスの別名で沓手鳥と言い、説話で郭公が沓を手で縫って百舌鳥に売ったが、その百舌鳥は代金を払わなかった、それで沓を取り返すとして「クツ取ってきたか、クツ取ってきたか」と郭公は鳴くので沓手鳥だそうです。
夏十七番
左
歌番〇七〇
原歌 なつのひの くるるもしらす なくせみを とひもしてしか なにことかうき
和歌 夏の日の 暮るるも知らず 鳴く蝉を 問ひもしてしか なにことか憂き
解釈 夏の長い日が暮れるのも知らないで鳴いている蝉に問いただしてみたい、いったい、何が悲しくてそのように泣いているのかと。
右
歌番〇七一
原歌 あやめくさ いくらのさつき あひくらむ くるとしことに わかくみゆらむ
和歌 菖蒲草 幾らの五月 逢ひ来らむ 来る年ごとに 若く見ゆらむ
解釈 この菖蒲の花草は、どれほどの年の毎年の五月の季節に逢って来たのだろうか、それなのに、そのやって来る年毎に、菖蒲の花は若く美しく見えます。
夏十八番
左
歌番〇七二
原歌 おしなへて さつきのそらを みわたせは くさはもみつも みとりなりけり
和歌 おしなべて 五月の空を 見渡せば 草葉も水も 緑なりけり
解釈 遥か彼方まですべての五月の空を見渡すと、草も葉も水も緑にあふれています。
右 壬生忠岑
歌番〇七三
原歌 くるるかと みれはあけぬる なつのよを あかすとやなく やまほとときす
和歌 暮るるかと 見れは明けぬる 夏の夜を あかすとやなく 山郭公
解釈 やっと、暮れるのかと眺めていると山の端は明けて来る、その短い夏の夜を飽きることなく鳴く、山に棲むホトトギスです。
夏十九番
左
歌番〇七四
原歌 なつのつき ひかりをします てるときは なかるるみつに かけろふそたつ
和歌 夏の月 ひかり惜しまず 照るときは 流るる水に 影ろ副そ立つ
解釈 短い夏の夜であっても月は輝きを惜しまず、照り輝く時は流れる水面にその月影を添えています。
注意 「小学館」は末句を「川浪ぞ立つ」と異同があり、歌意は大きく変わります。
右
歌番〇七五
原歌 ことのねに ひひきかよへる まつかせは しらへてもなく せみのこゑかな
和歌 琴の音に ひびきかよへる 松風は 調べても鳴く 蝉の声かな
解釈 琴の音にその音を響き通わせるような松を通り抜ける風音、それを調べとして鳴く蝉の声が聞こえる。
夏二十番
左
歌番〇七六
原歌 なつくさも よのまはつゆに いこふらむ つねにこかるる われそかなしき
和歌 夏草も 夜の間は露に いこふらむ つねに焦がるる 我れぞかなしき
解釈 暑い夏に立ち生える草も夜の間は露に憩うようです、でも、あの人に常に恋焦がれる私はあの人からの慈雨に心を憩うこともなく、辛いです。
右
歌番〇七七
原歌 なかめつつ ひとまつをりに よふことり いつかたへとか たちかへりなく
和歌 ながめつつ 人待つをりに 呼子鳥 いづかたへとか たちかへり鳴く
解釈 所在なく景色を眺めながら人を待つ時に、人を呼ぶとの名を持つ呼子鳥、どこへ人を呼びに飛び行くのか、また、引き返して来て鳴いています。
これは2013年にブログに載せたものの2023年の改訂版です。改訂では現代語解釈を加えたために、以前に個人の作業で示した漢字交じり平仮名表記の「和歌」を解釈に応じて訂正しところがあります。この「和歌」の訂正と現代語解釈を加えた改訂版となっています。なお、グーグル検索での上位順位を維持するために、改めてのブログへの投稿ではありません。
紹介する寛平御時后宮歌合は皇太夫人班子女王歌合ともいう歌合集です。この歌合集はその題名の「寛平」と云う年号と「后宮」と云う敬称から、宇多天皇の後援の下にその時の天皇である光孝天皇の皇后であった班子女王が主催した歌合での作品を集めたものと推定します。他方、朱雀院女郎花歌合と同様に題名の「后宮」とは歌合が行われた場所だけを意味し、歌合の主催者を宇多天皇とする説もあります。この寛平御時后宮歌合の成立は寛平五年(893)年九月以前と推定され、編集では春、夏、秋、冬、恋の五題に対し各二十番四十首、あわせて百番二百首という大規模なものとなっています。一方、伝承では当時にそのような大規模な歌合を目的とした歌会を行ったという記録はなく、そこから延喜十三年(913)に開催された延喜十三年亭子院歌合と同様に宇多天皇の側近で形成する歌人たちが秀歌を集めてその優劣を比べた「撰歌合」ではないかとも推定されています。つまり、どのような歌合せだったのかの詳細は、よく判っていません。
古典歌集の編纂史で、一つの謎である万葉集の編纂の歴史に関係する資料として新撰万葉集があり、その新撰万葉集成立の付帯資料と云う意味合いで、この寛平御時后宮歌合を紹介します。つまり、ここでのものは歌学史研究では標準となる古今和歌集との関係性を見るものではありませんし、また、新撰万葉集との関係性を確認するものではありません。
ここで紹介するものは国際日本文化研究センター(日文研)の和歌データベースに収蔵する「寛平御時后宮歌合」のデータを底本とし、それをHP国文学研究資料館の画像ギャラリーに収容する「寛平御時后宮歌合」及びHP国立博物館蔵 国宝・重要文化財に示す「‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)」(以下、伝宗尊親王筆)を使い校合を行い、それに対し読み易さを優先して参照が容易な現代語表記による歌合集の形に再編集を行っています。歌の表記は、その時代の表記スタイルに従い「清音ひらがな表記」となっていますが、読解の助けとするため、便宜上、句切れを示しています。本来の表記は時代性からすると漢語となる漢字を使用せず、また、句切れを持たない「変体仮名連綿草体」です。さらに、個人の作業ですが読み易さへの補助として漢字交じり平仮名スタイルへの「和歌」と、それへの現代語訳の「解釈」を併せて載せています。
なお、「日文研」のもので歌や歌句が欠損しているものは、その欠落した歌や歌句の欠損を他の資料から補っています。ただし、参照する三種類の「寛平御時后宮歌合」資料全てで歌自体が欠落したものについては、「歌欠落」と表記し、そのままとしています。可能性として「新撰万葉集」から欠落した歌を推定することは可能と考えますが、そのような作業は行っていません。「古今和歌集」(新編日本古典文学全集、小学館)に収載の藤原定家筆本系統に属する宮内庁書陵部収蔵本からの「寛平御時后宮歌合」として紹介されるものと「日文研」のものと歌が相違している場合は、「日文研」のものを採用しています。また、「伝宗尊親王筆」に示す「読人不知」は「見え消し」表記となっており、ここではこれを「読人不知(見消)」の形で示します。
補足説明として、歌に振った通し番号(〇〇一, 〇〇二など)や歌合番号(春一番、春二番など)は、便宜上、この場だけのものとして私的に付記したものです。従いまして、「日文研」や「小学館」のものとはリンクしていません。また、紹介する場所をGoo ブログとしたために、そこでの1投稿2万字以内の文字数制限から、改訂版では春の部・夏の部と秋の部・冬の部・恋の部の上下二部に分けています。
参照先
HP国際日本文化研究センター 日文研データベース 和歌データベース 寛平御時后宮歌合
HP国文学研究資料館 電子資料館 画像ギャラリー 寛平御時后宮歌合
HP国立博物館蔵 国宝・重要文化財 ‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)伝宗尊親王筆
『古今和歌集』(新編日本古典文学全集、小学館)収載、寛平御時后宮歌合
『寛平后宮歌合に関する研究』(高野平、風間書房)
ブログ竹取翁と万葉集のお勉強 資料編 新撰万葉集
解説として、この寛平御時后宮歌合は歌合一巻本として数種類の伝本があり、それは寛平五年(八九三)の秋以前に光孝天皇の后班子が主催したとされる歌会で詠われ、合された歌を載せるものです。その歌会では春夏秋冬の四季に恋の五題に対し、それぞれ二十番、都合、百番の番組に、左右それぞれ百首、都合、二百首(現存一九三首)の歌が詠われています。ただ、左右での秀歌や勝ち負けの判定については伝わっていません。加えて、この歌会では古今和歌集に関係する紀貫之や壬生忠岑らも歌を詠んでいますし、他に新撰万葉集とも密接な関係を持つ歌合集でもあります。
参照資料として使用しました「日文研」と「伝宗尊親王筆」との校合から、歌は本来の百番二百首中の伝存一九三首に秋の部末に追記された一首、都合、一九四首が伝存しています。つまり、百番歌合からは七首が失われており、その失われた歌の内訳は夏歌三首、冬歌二首、戀歌二首となっています。新撰万葉集の和歌は主にこの寛平御時后宮歌合を使い、万葉調の漢字文字表現に転換したものとされています。そのため、可能性として新撰万葉集の和歌から寛平御時后宮歌合で失われた歌を推測することは可能と考えます。しかしながら、ここではその欠損した歌の復元作業は行っていません。参考として、この問題を研究した専門図書として「寛平后宮歌合に関する研究」(高野平、風間書房)と云うものがあります。
最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に漢字交じり平仮名スタイルの和歌や現代語訳の解釈は自己流であり、なんらかの信頼おけるものからの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。
資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)上
謌合
寛平御時后宮哥合
春歌二十番
春一番
左 紀友則
歌番〇〇一 古今13
原歌 はなのかを かせのたよりに たくへてそ うくひすさそふ しるへにはやる
和歌 花の香を 風のたよりに たぐへてぞ 鶯さそふ しるべにはやる
解釈 咲き匂う梅の香りを風の便りに添えて、鶯を誘い出す案内役として遣わせる。
右 源当純
歌番〇〇二 古今12
原歌 たにかせに とくるこほりの ひまことに うちいつるなみや はるのはつはな
和歌 谷風に とくる氷の ひまことに 打ちいづる波や 春の初花
解釈 谷間を吹く風により融ける氷の間ごとに、流れ出る水の波しぶきが春の最初の花であろうか。
春二番
左 素性法師
歌番〇〇三 古今47
原歌 ちるとみて あるへきものを うめのはな うたてにほひの そてにとまれる
和歌 散ると見て あるべきものを 梅の花 うたて匂ひの 袖にとまれる
解釈 花が散ってしまうと眺めて、散り終わってしまうべきなのに、梅の花は、余計なことに思いを残すその匂いが袖に残り香となって残っている。
右 藤原興風
歌番〇〇四 古今131
原歌 こゑたえす なけやうくひす ひととせに ふたたひとたに くへきはるかは
和歌 声たえず 鳴けや鶯 ひととせに ふたたびとだに 来べき春かは
解釈 声が絶えないように鳴き続けよ、鶯よ、一年に二度とは来ない春なのだから。
春三番
左
歌番〇〇五
原歌 うめのはな しるきかならて うつろはは ゆきふりやまぬ はるとこそみめ
和歌 梅の花 しるき香ならで 移つろはば 雪降りやまぬ 春とこそ見め
解釈 梅の花よ、人が気付く香りもさせないで散り失せてしまうと、雪が降り止まないで枝に積もった、そのような春だと思うでしょう。
右
歌番〇〇六
原歌 はるのひに かすみわけつつ とふかりの みえみみえすみ くもかくれなく
和歌 春の日に 霞わけつつ 飛ぶ雁の 見えみ見えずみ 雲かくれなく
解釈 春の日に霞を分けて北へと飛ぶ雁は、見え隠れしながら雲に隠れて飛び行く
春四番
左 素性法師
歌番〇〇七 古今92
原歌 はなのきも いまはほりうゑし はるたては うつろふいろに ひとならひけり
和歌 花の木も いまは掘り植ゑじ 春立ては 移ろふ色に 人ならひけり
解釈 花の咲く木を今からは掘って植えることはしない、春の盛りになれば花は咲き散って行くが、それと同じように人も見習って興味も移り変わって行くのだから。
右 紀貫之
歌番〇〇八 古今116
原歌 はるののに わかなつまむと こしわれを ちりかふはなに みちはまとひぬ
和歌 春の野に 若菜つまむと 来しわれを 散りかふ花に 道はまどひぬ
解釈 春の野辺で若菜を摘もうとして来た私ですが、散り乱れる花で道に迷ってしまった。
春五番
左
歌番〇〇九
原歌 うくひすは うへもなくらむ はなさくら さくとみしまに うつろひにけり
和歌 鶯は うべも鳴くらむ 花桜 咲くと見し間に 移つろひにけり
解釈 鶯は、なるほど、このような訳で鳴くのですね、花咲く桜、その咲いていると眺めていた間に花は散ってしまいました。
右 藤原興風
歌番〇一〇 古今1031
原歌 はるかすみ たなひくのへの わかなにも なりみてしかな ひともつむやと
和歌 春霞 たなびく野辺の 若菜にも なりみてしがな 人も摘むやと
解釈 春霞がたなびく野原の若菜になってみたいものだなあ。そうすれば、あの人が摘んでくれると思うから
春六番
左
歌番〇一一
原歌 あさみとり のへのかすみは つつめとも こほれてにほふ はなさくらかな
和歌 浅緑 野辺の霞は つつめとも こぼれて匂ふ 花桜かな
解釈 浅緑の野辺を霞が包んでいても、そこからこぼれるように咲き誇る、その花咲く桜です。
右
歌番〇一二
原歌 はるたたは はなをみむてふ こころこそ のへのかすみと ともにたちぬれ
和歌 春立たば 花を見むてふ 心こそ 野辺の霞と ともにたちぬれ
解釈 春が盛りになると花を眺めたいと願う気持ちこそ、野辺の霞と同じようにともに湧き立ち昇って来ます。
春七番
左 紀友則
歌番〇一三 古今60
原歌 みよしのの やまにさきたる さくらはな ゆきかとのみそ あやまたれける
和歌 み吉野の 山に咲きたる 桜花 雪かとのみぞ あやまたれける
解釈 吉野山の山に咲いている桜の花は、その白い花色で雪かと見違えてしまった。
右
歌番〇一四
原歌 としのうちは みなはるなから はてななむ はなをみてたに こころやるへく
和歌 年のうちは みな春なから 果てななむ 花を見てだに 心やるべく
解釈 一年中は、それはみな春の季節として終わって欲しいものです、桜の花を眺めるだけで心を慰めるようにと。
春八番
左
歌番〇一五
原歌 はるかすみ あみにはりこめ はなちらは うつろひぬへし うくひすとめよ
和歌 春霞 網に張りこめ 花散らば 移ろひぬべし 鶯とめよ
解釈 春霞よ、お前は網に張り巡らし花が散ったなら飛び散らないようにしなさい、そして、鶯よ、大声で鳴きなさい。
右
歌番〇一六
原歌 はるさめの いろはこくしも みえなくに のへのみとりを いかてそむらむ
和歌 春雨の 色は濃くしも 見えなくに 野辺の緑を いかで染むらむ
解釈 春雨に霞み草木の色は濃いとは見えないが、野辺の緑は、どうすれば、初夏には色濃く染まっていくのだろう。
春九番
左 在原棟梁
歌番〇一七 古今15
原歌 はるなれと はなもにほはぬ やまさとは ものうかるねに うくひすそなく
和歌 春なれど 花もにほはぬ 山里は もの憂かる音に 鶯ぞ鳴く
解釈 暦ではもう春になったのに、まだ花も咲き誇らないこの山里は、鳴くのが物憂いといったような声で鶯が鳴いている。
右 藤原興風
歌番〇一八 古今101
原歌 さくはなは ちくさなからに あたなれと たれかははるを うらみはてたる
和歌 桜花 ちくさなからに あたなれと 誰かは春を うらみはてたる
解釈 桜の花はそれぞれに多様なのですが、そのどれもが散り易いけど、だからと言って誰が春を恨み切ることが出来るでしょうか。
春十番
左
歌番〇一九
原歌 みつのうへに あやおりみたる はるさめや やまのみとりを なへてそむらむ
和歌 水の上に 綾織り乱だる 春雨や 山のみとりを なべて染むらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、その綾織り模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
右
歌番〇二〇
原歌 いろふかく みるのへたにも つねならは はるはゆくとも かたみならまし
和歌 色深く 見る野辺だにも 常ならば 春はゆくとも 形見ならまし
解釈 花は無くてもこの緑色濃く見える野辺だけであっても、この景色が常のものならば、春は過ぎ行きても、この景色が思い出になって欲しいものです。
春十一番
左
歌番〇二一
原歌 こまなへて めもはるののに ましりなむ わかなつみつる ひとはありやと
和歌 駒なべて めもはるの野に まじりなむ 若菜摘みつる 人はありやと
解釈 駒を並べて目も張る、その春の野に入り交りましょう、若菜を摘んでいるでしょう、あの人が居ないかと思って。
右 読人不知(見消)
歌番〇二二 古今14
原歌 うくひすの たによりいつる こゑなくは はるくることを たれかつけまし
和歌 鶯の 谷よりいづる 声なくば 春来ることを 誰がつげまし
解釈 もし、鶯が谷から飛び出て鳴く声を聞かせることがなければ、春が来ることを誰が私に知らせるでしょうか。
春十二番
左
歌番〇二三
原歌 はるなから としはくれなむ ちるはなを をしとなくなる うくひすのこゑ
和歌 春ながら 年は暮れなむ 散る花を 惜しと鳴くなる 鶯の声
解釈 今、春ではありますが、このままに一年の年は暮れて欲しい、そのように散る桜の花を心残りと鳴く鶯の声が聞こえます。
右
歌番〇二四
原歌 おほそらを おほふはかりの そてもかな はるさくはなを かせにまかせし
和歌 大空を 覆ふばかりの 袖もがな 春咲く花を 風にまかせじ
解釈 大空を覆うほど大きな袖が欲しいものです、春に咲く桜の花を風の思いのままに散らせないとして。
春十三番
左
歌番〇二五
原歌 かすみたつ はるのやまへに さくらはな あかすちるとや うくひすのなく
和歌 霞立つ 春の山辺に 桜花 飽かす散るとや 鶯の鳴く
解釈 霞が湧き立つ春の山の辺に咲く桜の花、まだ、見飽きないのに散ってしまうのかと、鶯も鳴いています。
右
歌番〇二六
原歌 あまのはら はるはことにも みゆるかな くものたてるも いろこかりけり
和歌 天の原 春はことにも 見ゆるかな 雲の立てるも 色濃かりけり
解釈 天の原は春には特別に風情を感じて見えます、その空に雲の湧き立つ姿も、入道雲のように一段と色が濃くなりました。
春十四番
左
歌番〇二七
原歌 まきもくの ひはらのかすみ たちかへり みれともはなの おとろかれつつ
和歌 巻向の 桧原の霞 たちかへり 見れども花の おどろかれつつ
解釈 巻向の檜原の山に立つ霞、道行きに振り返って見ても、また、咲く桜の花に目を見張らされます。
右
歌番〇二八
原歌 しろたへの なみちわけてや はるはくる かせふくからに はなもさきけり
和歌 白妙の 波路わけてや 春は来る 風吹くからに 花も咲きけり
解釈 柔らかな白妙の布のような、穏やかな波路を分けて春はやって来る、暖かくやわらかな風が吹くから、それで桜の花も咲きました。
春十五番
左 在原元方
歌番〇二九 古今103
原歌 かすみたつ はるのやまへは とほけれと ふきくるかせは はなのかそする
和歌 霞立つ 春の山辺は 遠ほけれど 吹き来る風は 花の香ぞする
解釈 霞が湧き立つ春の山辺への道のりは遠いけれど、そこから吹き来る風には、もう咲いた花の香りがします。
右
歌番〇三〇
原歌 ちるはなの まててふことを きかませは はるふるゆきと ふらせさらまし
和歌 散る花の 待ててふ言を 聞かませば 春ふる雪と 降らせざらまし
解釈 散る桜の花が、散るのを待てと言う言葉を聞き届けてくれたなら、その花は花吹雪として春に降る雪と散り降らせることはないでしょう。
春十六番
左
歌番〇三一
原歌 かかるとき あらしとおもへは ひととせを すへてははるに なすよしもかな
和歌 かかるとき あらじとおもへば ひととせを すべては春に なすよしもがな
解釈 このような季節の時がいつもは無いと思うので、一年を全て春の季節とする方法が無いものでしょうか。
右
歌番〇三二
原歌 まててふに とまらぬものと しりなから しひてそをしき はるのわかれを
和歌 待ててふに とまらぬものと 知りながら しひてぞ惜しき 春の別れを
解釈 散るのを待てと言うのに、散り去ることを止められないとは知っていますが、それでも残念に思う春の花の季節の別れであります。
春十七番
左 読人不知(見消)
歌番〇三三
原歌 うめのはな かをはととめて いろをのみ としふるひとの そてにそむらむ
和歌 梅の花 香をばとどめて 色をのみ 年経る人の 袖に染むらむ
解釈 梅の花の香りだけでも衣の袖に移して留めれば、風流事だけに一年を過ごすあの人の袖に染み染めて思い出にするでしょう。
右
歌番〇三四
原歌 あかすして すきゆくはるの ひとならは とくかへりこと いはましものを
和歌 飽かずして 過ぎゆく春の 人ならば とく帰へりこと 言はましものを
解釈 見飽きることなく過ぎて行く春が、もし、人ならば、早く帰って来てくださいなどとは、言わないのですが、(春は足早に過ぎ去る。)
春十八番
左 読人不知(見消)
歌番〇三五 古今46
原歌 うめかかを そてにうつして ととめては はるはすくとも かたみならまし
和歌 梅の香を 袖にうつして とどめては 春は過ぐとも 形見ならまし
解釈 梅の花の香りを衣の袖に移して留めれば、春の季節が過ぎても春の思い出となるだろう。
右
歌番〇三六
原歌 ゆくはるの あとたにありと みましかは のへのまにまに とめましものを
和歌 ゆく春の 跡だにありと 見ましかば 野辺のまにまに とめましものを
解釈 去り行く春の跡があるとばかりに眺めるのなら、野辺のあちらこちらにその跡を求めるのですが。
春十九番
左 藤原興風
歌番〇三七 古今102
原歌 はるかすみ いろのちくさに みえつるは たなひくやまの はなのかけかも
和歌 春霞 色の千くさに 見えつるは たなびく山の 花の影かも
解釈 春霞が色、とりどりの色に見えたのは、それがたなびく山の花を映したものだったのかもしれない。
右
歌番〇三八
原歌 ひくるれは かつちるはなを あたらしみ はるのかたみに つみそいれつる
和歌 日暮れば かつ散る花を あたらしみ 春の形見に 摘みそ入れつる
解釈 日が暮れ行き、また、盛りを過ぎ行く梅の花が新鮮な景色と思えたので、この春の景色の思い出として、梅の花を摘み袖に入れました。
春二十番
左 源敏行朝臣 (源宗干)
歌番〇三九 古今24
原歌 ときはなる まつのみとりも はるくれは いまひとしほの いろまさりけり
和歌 ときはなる 松のみどりも 春くれば いまひとしほの 色まさりけり
解釈 春の季節になりました、一年中、変わらない松の色もその春が来たので、今、ひとしおに緑の色合いが濃くなりました。
右
歌番〇四〇
原歌 くるはるに あはむことこそ かたからめ すきゆくかたに おくれすもかな
和歌 来る春に あはむことこそ かたからめ 過ぎゆくかたに 遅れずもがな
解釈 また来るでしょう春に、この景色と同じものと出会うことは難しいでしょう、それでこの過ぎ行く春の行く方に、遅れずについて行きたいものです。
夏歌二十番
夏一番
左 紀友則
歌番〇四一 古今715
原歌 せみのこゑ きけはかなしな なつころも うすくやひとの ならむとおもへは
和歌 蝉の声 きけばかなしな 夏衣 うすくや人の ならむとおもへば
解釈 蝉の声を聞くともの悲しくなる、夏の衣ではないが、あの人の私への気持ちが薄くなってしまうような気持ちがするので。
右
歌番〇四二
原歌 にほひつつ ちりにしはなそ おもほゆる なつはみとりの はのみしけりて
和歌 にほひつつ 散りにし花ぞ 思ほゆる 夏は緑の 葉のみしげりて
解釈 美しく輝きながら散り失せた花を思い出します、今、この夏、その花があった木に緑の葉だけが茂っています。
夏二番
左
歌番〇四三
原歌 うつせみの わひしきものを なつくさの つゆにかかれる みにこそありけれ
和歌 うつせみの わびしきものを 夏草の 露にかかれる 身にこそありけれ
解釈 蝉の抜け殻自体でも、もの悲しいものではありますが、夏草の許で露に濡れかかった、その身にこそもの悲しさがさらにあります。
右
歌番〇四四
原歌 なつのよの つきはほとなく あけなから あしたのまをそ かこちよせける
和歌 夏の夜の 月はほどなく 明けながら 朝の間をぞ かこちよせける
解釈 夏の夜が短いので月の光はほどなく薄れて行き、その夜は明けて行きますが、朝起き出すまでの間、まだ、夜だとこじつけてまどろんでいます。
夏三番
左 紀友則
歌番〇四五 古今561
原歌 よひのまは はかなくみゆる なつむしに まとひまされる こひもするかな
和歌 宵の間は はかなく見ゆる 夏蟲に まどひまされる 恋もするかな
解釈 宵の間ははかなく見える夏虫が、人の焚く火に惑わされ身を焦がす、そのような行く末も知らずにまさるほど惑う恋をすることです。
右 紀貫之
歌番〇四六 古今156
原歌 なつのよは ふすかとすれは ほとときす なくひとこゑに あくるしののめ
和歌 夏の夜は 臥すかとすれは 郭公 鳴くひと声に 明くるしののめ
解釈 短い夏の夜は眠りについたかと思うと、ホトトギスが鳴くひと声に、もう、明るくなる東雲の朝です。
夏四番
左
歌番〇四七
原歌 かりそめの みやたのまれぬ なつのひを なとうつせみの なきくらしつる
和歌 かりそめの 身やたのまれぬ 夏の日を なと空蝉の なき暮らしつる
解釈 儚い命のお前の身の上では頼りにならない、暑い夏の日を、なぜ、空蝉のお前は、ただ、鳴いて暮らしているのか。
右
歌番〇四八
原歌 はかもなき なつのくさはに おくつゆを いのちとたのむ むしのはかなさ
和歌 はかもなき 夏の草葉に 置く露を 命と頼む 蟲のはかなさ
解釈 消え失せたとしても弔う墓も無い、夏の草葉に置く露を命の源と頼りにする、その虫の儚さです。
夏五番
左
歌番〇四九
原歌 ふるさとを おもひやれとも ほとときす ことのことくに なれそなくなる
和歌 故里を 思ひやれとも 郭公 ことのごとくに 汝ぞ鳴くなる
解釈 古い里の様子を思い馳せているが、ホトトギスよ、その思いに馳せるに合わせて、お前は「不如帰、不如帰」と鳴いている。
注意 「小学館」は四句目が「こそのことくに(去年のごとく)」と違うために、解釈が大きく違います。
右
歌番〇五〇
原歌 なつのよの しもやおけると みるまてに あれたるやとを てらすつきかけ
和歌 夏の夜の 霜や置けると 見るまでに 荒れたる宿を 照らす月影
解釈 夏の夜にもう霜が置いたのかと見間違えるほどに、荒れてしまった屋敷を煌々と照らす白い月の光です。
夏六番
左
歌番〇五一
原歌 なつのかせ わかたもとにし つつまれは おもはむひとの つとにしてまし
和歌 夏の風 わが袂にし 包まれば 思はむ人の つとにしてまし
解釈 夏の風に私の袂が包まれた奈良、私の恋焦がれる人への土産にしたいものです。
右
歌番〇五二
原歌 なつくさの しけきおもひは かやりひの したにのみこそ もえわたりけれ
和歌 夏草の しげき思ひは 蚊遣り火の 下にのみこそ 燃えわたりけれ
解釈 夏草が茂る、その言葉の響きではありませんが、貴女への茂る思いは、蚊遣り火が灰の下で燻ぶり燃えるように、表には出さすに心の中で恋焦がれ燃え続けています。
夏七番
左
歌番〇五三
原歌 くさしけみ したはかれゆく なつのひも わくとしわけは そてやひちなむ
和歌 草茂げみ 下葉枯れゆく 夏の日も わくとしわけば 袖やひぢなむ
解釈 暑さで草の茂みの下草が乾ききって枯れていく、その夏の日でも、貴女に逢うために草むらを分けに分けて通えば、きっと、私の袖は露に濡れるでしょう。
右 紀友則
歌番〇五四 古今153
原歌 さみたれに ものおもひをれは ほとときす よふかくなきて いつちゆくらむ
和歌 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜深く鳴きて いづち行くらむ
解釈 五月雨の降る夜にもの思いをすると、ホトトギスが夜を更けてから鳴いて飛び過ぎたが、さて、どちらの方角をさして行くのだろうか。
夏八番
左
歌番〇五五
原歌 なつのよの つゆなととめそ はちすはの まことのたまと なりしはてすは
和歌 夏の夜の 露なとどめそ 蓮葉の まことの珠と なりしはてずば
解釈 夏の夜の露よ、決して、その姿を留めないでください、蓮の葉に乗る本当の珠とは、お前はなれないのだから。
右 紀有岑
歌番〇五六 古今158
原歌 なつやまに こひしきひとや いりにけむ こゑふりたてて なくほとときす
和歌 夏山に 恋ひしき人や 入りにけむ 声ふりたてて なく郭公
解釈 夏の山に恋いする人が籠もってしまったのだろうか、ホトトギスが声をふりしぼって「片恋、片恋」と鳴いている。
注意 万葉集の時代からホトトギスの鳴き声の「カッコウ」を「片恋」と聞きます。
夏九番
左
歌番〇五七
原歌 ふくかせの わかやとにくる なつのよは つきのかけこそ すすしかりけれ
和歌 吹く風の わが宿に来る 夏の夜は 月の影こそ 涼しかりけれ
解釈 吹く風が私の屋敷にやって来る、その夏の夜は月の光だけはこそ涼しく見えて欲しいものです。
右 紀友則
歌番〇五八 古今562
原歌 ゆふされは ほたるよりけに もゆるとも ひかりみえねは ひとそつれなき
和歌 夕されば 蛍よりげに 燃ゆるとも 光見みえねば 人ぞつれなき
解釈 夕方になると、私の思いは蛍より燃えているのに、私の恋焦がれるその火の光が見えないのか、あの人は素っ気ない。
夏十番
左
歌番〇五九
原歌 なつのひを くらしわひぬる せみのこゑに わかなきそふる こゑはきこゆや
和歌 夏の日を 暮らしわびぬる 蝉の声 わがなき添ふる 声は聞こゆや
解釈 短い命で夏の日を暮らし辛そうにしている、その蝉の鳴き声に私が泣き添えている声は、貴方に聞こえたでしょうか。
右
歌番〇六〇
原歌 うらみつつ ととむるひとの なけれはや やまほとときす うかれてそなく
和歌 恨みつつ とどむる人の なければや 山郭公 うかれてぞ鳴く
解釈 「片恋、片恋」と恨みながら鳴く、それをやめさせる人が居ないからなのか、ホトトギスは落ち着きなく鳴いている。
注意 万葉集ではホトトギスの「カッコウ、カッコウ」と鳴く声を「片恋、片恋」と聞きます。
夏十一番
左
歌番〇六一
原歌 なつのよは みつやまされる あまのかは なかるるつきの かけもととめぬ
和歌 夏の夜は 水や勝れる 天の河 流るる月の 影もとどめぬ
解釈 夏の夜は水嵩が増しているのだろうか、天の川を流れていく月の光がどんどん過ぎ行きます。
右 読人不知(見消)
歌番〇六二 古今159
原歌 こそのなつ なきふるしてし ほとときす それかあらぬか こゑのかはらぬ
和歌 去年の夏 鳴きふるしてし 郭公 それかあらぬか 声のかはらぬ
解釈 去年の夏にたくさん鳴いてくれたホトトギスと同じホトトギスか分からないが、今年の鳴き声も変りません。
夏十二番
左
歌欠落 (推定)
右
歌欠落 (推定)
夏十三番
左
歌欠落
右
歌番〇六三
原歌 なつむしに あらぬわかみの つれもなき ひとをおもひに もゆるころかな
和歌 夏蟲に あらぬわが身の つれもなき 人を思ひに 燃ゆる頃かな
解釈 ともし火に飛び込んで身を焦がす夏虫ではない私ですが、私につれないあの人を思って、我が身を恋焦がしているこの頃です。
夏十四番
左
歌番〇六四
原歌 なつのよの まつはもそよと ふくかせは いつれかあめの こゑにかはれる
和歌 夏の夜の 松葉もそよと 吹く風は いづれか雨の 声にかはれる
解釈 夏の夜に松の葉もそよそよと揺れて吹く風は、ひょっとすると雨の音に聞き間違いそうです。
右 紀友則
歌番〇六五 古今154
原歌 よやくらき みちやまとへる ほとときす わかやとをしも すきかてにする
和歌 夜や暗き 路や惑へる 郭公 わが宿をしも 過ぎかてにする
解釈 夜道が暗いせいか道に迷ったホトトギスが、私の屋敷ではありますが通り過ぎることが出来なくて、ここで鳴いている。
夏十五番
左
歌番〇六六
原歌 いつのまに はなかれにけむ なかくたに ありせはなつの かけとみましを
和歌 いつの間に 花枯れにけむ 長がくだに ありせば夏の かげと見ましを
解釈 いつの間に花は枯れてしまったようです、長い間、なんとか咲いていてくれたら、夏の思い出として眺めていたのですが。
右
歌番〇六七
原歌 いくちたひ なきかへるらむ あしひきの やまほとときす こゑはわすれて
和歌 幾千たび 鳴きかへるらむ あしひきの 山郭公 声はわすれで
解釈 幾千回も同じように鳴き、毎年の夏を迎えるだろう、葦や檜の生える山に棲むホトトギスは、毎年に鳴き出すその鳴き声を忘れることはない。
注意 「小学館」では末句が「こゑはかれすれて」と異同があり、歌意は大きく変わります。
夏十六番
左
歌番〇六八
原歌 なつのひを あまくもしはし かくさなむ ぬるほともなく あくるよにせむ
和歌 夏の日を 天雲しばし 隠さなむ 寝るほどもなく 明くる夜にせむ
解釈 夏の太陽を空の雲がしばし隠して欲しい、そうしたら夏の夜は短く寝る間もないので、今明けるでしょうこの夜の次の夜にしましょう。
注意 「小学館」は末句が「あくるあしたを」と異同があり、歌意は大きく変わります。
右
歌番〇六九
原歌 ほとときす なきつるなつの やまへには くつていたさぬ ひとやすむらむ
和歌 郭公 鳴きつる夏の 山辺には 沓手いださぬ 人や住むらむ
解釈 ホトトギスが鳴いている夏の山辺には、沓の代金を払わない人が住んでいるのでしょうか。
注意 ホトトギスの別名で沓手鳥と言い、説話で郭公が沓を手で縫って百舌鳥に売ったが、その百舌鳥は代金を払わなかった、それで沓を取り返すとして「クツ取ってきたか、クツ取ってきたか」と郭公は鳴くので沓手鳥だそうです。
夏十七番
左
歌番〇七〇
原歌 なつのひの くるるもしらす なくせみを とひもしてしか なにことかうき
和歌 夏の日の 暮るるも知らず 鳴く蝉を 問ひもしてしか なにことか憂き
解釈 夏の長い日が暮れるのも知らないで鳴いている蝉に問いただしてみたい、いったい、何が悲しくてそのように泣いているのかと。
右
歌番〇七一
原歌 あやめくさ いくらのさつき あひくらむ くるとしことに わかくみゆらむ
和歌 菖蒲草 幾らの五月 逢ひ来らむ 来る年ごとに 若く見ゆらむ
解釈 この菖蒲の花草は、どれほどの年の毎年の五月の季節に逢って来たのだろうか、それなのに、そのやって来る年毎に、菖蒲の花は若く美しく見えます。
夏十八番
左
歌番〇七二
原歌 おしなへて さつきのそらを みわたせは くさはもみつも みとりなりけり
和歌 おしなべて 五月の空を 見渡せば 草葉も水も 緑なりけり
解釈 遥か彼方まですべての五月の空を見渡すと、草も葉も水も緑にあふれています。
右 壬生忠岑
歌番〇七三
原歌 くるるかと みれはあけぬる なつのよを あかすとやなく やまほとときす
和歌 暮るるかと 見れは明けぬる 夏の夜を あかすとやなく 山郭公
解釈 やっと、暮れるのかと眺めていると山の端は明けて来る、その短い夏の夜を飽きることなく鳴く、山に棲むホトトギスです。
夏十九番
左
歌番〇七四
原歌 なつのつき ひかりをします てるときは なかるるみつに かけろふそたつ
和歌 夏の月 ひかり惜しまず 照るときは 流るる水に 影ろ副そ立つ
解釈 短い夏の夜であっても月は輝きを惜しまず、照り輝く時は流れる水面にその月影を添えています。
注意 「小学館」は末句を「川浪ぞ立つ」と異同があり、歌意は大きく変わります。
右
歌番〇七五
原歌 ことのねに ひひきかよへる まつかせは しらへてもなく せみのこゑかな
和歌 琴の音に ひびきかよへる 松風は 調べても鳴く 蝉の声かな
解釈 琴の音にその音を響き通わせるような松を通り抜ける風音、それを調べとして鳴く蝉の声が聞こえる。
夏二十番
左
歌番〇七六
原歌 なつくさも よのまはつゆに いこふらむ つねにこかるる われそかなしき
和歌 夏草も 夜の間は露に いこふらむ つねに焦がるる 我れぞかなしき
解釈 暑い夏に立ち生える草も夜の間は露に憩うようです、でも、あの人に常に恋焦がれる私はあの人からの慈雨に心を憩うこともなく、辛いです。
右
歌番〇七七
原歌 なかめつつ ひとまつをりに よふことり いつかたへとか たちかへりなく
和歌 ながめつつ 人待つをりに 呼子鳥 いづかたへとか たちかへり鳴く
解釈 所在なく景色を眺めながら人を待つ時に、人を呼ぶとの名を持つ呼子鳥、どこへ人を呼びに飛び行くのか、また、引き返して来て鳴いています。