万葉雑記 色眼鏡 二四二 今週のみそひと歌を振り返る その六二
今回は巻八の中から次の歌で遊びます。
或者贈尼謌二首
標訓 或る者の尼に贈りたる謌二首
集歌1633 手母須麻尓 殖之芽子尓也 還者 雖見不飽 情将盡
訓読 手もすまに植ゑし萩にや還(か)へりては見れども飽かず情(こころ)尽さむ
私訳 手を休めずに植えた萩だから、何度もやって来て眺めますが、眺め飽きることがない。その萩の花に情が移ってしまうでしょう。
集歌1634 衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子
訓読 衣手(ころもて)に水(み)渋(しぶ)付くさへ植ゑし田を引板(ひきた)吾(あ)が延(は)へ守(まも)れる苦(くる)し
私訳 衣の袖が水渋に染まるほどに水に漬かって植えた田を、紐に付けた鳴子の板を私が張り巡らして、そして獣から見守る作業は辛い。
尼作頭句、并大伴宿祢家持、所誂尼續末句等和謌一首
標訓 尼の頭(かしら)の句を作り、并せて大伴宿祢家持、尼の續く末(もと)の句を所誂(あとら)ひて和(こた)へたる謌一首
集歌1635
佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 (尼作)
苅流早飯者 獨奈流倍思 (家持續)
訓読 佐保川(さほかは)し水を堰(せ)上げて殖(う)ゑし田を (尼の作る)
訓読 刈れる早飯(わさいひ)は独(ひと)りなるべし (家持の續ぐ)
私訳 佐保川の流れを堰き止めて育てた田を・・・・
(その返歌を創る途中を)刈り取って早々と飯(いい:云い=和歌)にするのは一人が良い。
歌は三首一組の組歌です。この前後の様子が示されていませんので全体状況は不明ですが、少なくとも最初の二首を詠った人、歌を贈られた尼、尼の作歌を途中で横取りした大伴家持の三人が参加する、なにがしらの秋の宴で詠われたものです。場合により、歌垣歌のように和歌を使い男女が交互に歌で会話・競いをしている可能性があります。
さて、集歌1634の歌は、秋の収穫前の田を獣たちから鳴子を張り巡らして、夜通し見守る役割が辛いと嘆く娘子(未成年の女の子)が前提となっています。また、集歌1633の歌に寓意があるとしますと、貴族階級の男が美人になるであろう幼い女の子を手の内に養い、その女への成長を待つ時間帯のものとなります。これら二首は尼と云う立場の女性への贈呈歌としますと、相応しいかと云うと疑問です。そこに歌垣歌のような問答歌の交換があったと考える背景となります。
歌垣歌での妙味は相手が詠う歌の言葉や風景を用いながら、さらにそこから物語を展開することにあります。このような歌垣歌のルールを前提にした時、集歌1634の歌は収穫直前の稲田の様子を詠い、集歌1635の歌では尼は稲田の様子から何かを展開して歌を詠おうとします。つまり、ほぼ、問答歌とみなして良いでしょう。
ここで、尼が一生懸命に作歌している途中で歌を横取りした大伴家持の態度を、どのように評価しましょうか。前提として、貴族の邸宅での宴で歌垣歌のようの和歌で遊ぶ場面とします。集歌1633の歌の標題に「或者贈尼謌二首」とありますから、これらの歌が詠われた場を歌垣歌の場面としますと「或者」が「尼」を歌の受け手に指名したと解釈することになります。
このような前提です。貴女は大伴家持の態度をどのように感じ取りますか。
例えば、ある程度、年を取った年長の尼が一生懸命に歌を作ろうとしているのを、頭の句を横取りし、勝手に和歌を完成させた才が立った嫌な若造としますか。それとも、いけ好かない若さが先立った振る舞いとしましょうか。
ところがところが、一般的な解釈は集歌1633の歌の標題「或者贈尼謌二首」の解釈自体から違います。標準ではこの標題の漢文を「ある屋敷に住む或者」から「別の場所に住む尼」に使者を使って和歌二首を贈ったと解釈します。貴族の邸宅での宴での場面とはしません。集歌1635の歌は贈られた文と和歌に対して返事に添えるものとして和歌を作るのに当たって、大伴家持に和歌の添削を相談・依頼したとします。つまり、集歌1635の歌は大伴家持が行った和歌添削の様子を示すとします。このような解釈ですと、「贈尼謌二首」の状況を説明するために尼には若い娘がおり、同居しているとしますから、必然、尼は在家僧尼と云うことになります。集歌1633の歌で「萩」は若い娘の比喩となりますが、「手母須麻尓 殖之芽子尓也」の解釈がややこしくなります。若い娘が有力者によって養われているとしますと、成女した後に改めて母親たる尼に婚姻の許可を求める必要はないでしょう。元から妾とする予定で引き取った娘ですから。また、集歌1634の歌に若い娘と有力者の男の関係を示唆するものは見えません。およそ、従来の想定する関係ではこれら三首組歌の解釈は支離滅裂になります。つまり、伝統の組歌であっても一首単独に切り出し鑑賞するときにだけ成り立つ鑑賞方法です。現在では受け入れられない古法です。
気を取り直して。
この三首組歌が宴での歌垣歌のような性格のものとし。また、「或者」、「尼」、「家持」たちは互いによく知る関係とします。つまり、互いに和歌作歌技量は承知の内と云うことです。こうした時、集歌1633の歌と集歌1634の歌二首一組は、ある種、くせ球です。言葉や動作からは「見守る」と云うものがありませが、相互が連携するものではありません。無理に理屈を付けるなら、秋の季節の「見守る」と云うテーマで詠われたものと云うことでしょうか。
このくせ球に対して、尼は「殖之田」と云う言葉を引き取って、歌垣歌らしく詠おうとしますが、下句に難渋したと思います。尼の作歌技量からは作歌に難渋することは「或者」がはなから想定したものだったと思います。歌垣歌や歌競いとしますと「或者」の勝ちとなります。
その難渋する尼から歌の上句を拾って下句を繋いだ家持の態度は、ある種、尼の立場を救い、かつ、内容に掛詞の頓知がありますから、そちらの方向に誘導して場を盛り上げたのではないでしょうか。横取りだけでも、おやおやと思うような振る舞いですが、その歌に掛詞の頓知がありますと、尼や或者とのからみよりも家持の歌の方に興味が移ったと考えます。
野暮ですが、「苅流早飯者」には新米で炊くご飯と歌を横取りして先に言い出すとの二つの風景があります。
今回も、弊ブログのものは特異な解釈となってしまいました。可能性です。それ以外ありません。そこを御笑納下さい。
今回は巻八の中から次の歌で遊びます。
或者贈尼謌二首
標訓 或る者の尼に贈りたる謌二首
集歌1633 手母須麻尓 殖之芽子尓也 還者 雖見不飽 情将盡
訓読 手もすまに植ゑし萩にや還(か)へりては見れども飽かず情(こころ)尽さむ
私訳 手を休めずに植えた萩だから、何度もやって来て眺めますが、眺め飽きることがない。その萩の花に情が移ってしまうでしょう。
集歌1634 衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子
訓読 衣手(ころもて)に水(み)渋(しぶ)付くさへ植ゑし田を引板(ひきた)吾(あ)が延(は)へ守(まも)れる苦(くる)し
私訳 衣の袖が水渋に染まるほどに水に漬かって植えた田を、紐に付けた鳴子の板を私が張り巡らして、そして獣から見守る作業は辛い。
尼作頭句、并大伴宿祢家持、所誂尼續末句等和謌一首
標訓 尼の頭(かしら)の句を作り、并せて大伴宿祢家持、尼の續く末(もと)の句を所誂(あとら)ひて和(こた)へたる謌一首
集歌1635
佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 (尼作)
苅流早飯者 獨奈流倍思 (家持續)
訓読 佐保川(さほかは)し水を堰(せ)上げて殖(う)ゑし田を (尼の作る)
訓読 刈れる早飯(わさいひ)は独(ひと)りなるべし (家持の續ぐ)
私訳 佐保川の流れを堰き止めて育てた田を・・・・
(その返歌を創る途中を)刈り取って早々と飯(いい:云い=和歌)にするのは一人が良い。
歌は三首一組の組歌です。この前後の様子が示されていませんので全体状況は不明ですが、少なくとも最初の二首を詠った人、歌を贈られた尼、尼の作歌を途中で横取りした大伴家持の三人が参加する、なにがしらの秋の宴で詠われたものです。場合により、歌垣歌のように和歌を使い男女が交互に歌で会話・競いをしている可能性があります。
さて、集歌1634の歌は、秋の収穫前の田を獣たちから鳴子を張り巡らして、夜通し見守る役割が辛いと嘆く娘子(未成年の女の子)が前提となっています。また、集歌1633の歌に寓意があるとしますと、貴族階級の男が美人になるであろう幼い女の子を手の内に養い、その女への成長を待つ時間帯のものとなります。これら二首は尼と云う立場の女性への贈呈歌としますと、相応しいかと云うと疑問です。そこに歌垣歌のような問答歌の交換があったと考える背景となります。
歌垣歌での妙味は相手が詠う歌の言葉や風景を用いながら、さらにそこから物語を展開することにあります。このような歌垣歌のルールを前提にした時、集歌1634の歌は収穫直前の稲田の様子を詠い、集歌1635の歌では尼は稲田の様子から何かを展開して歌を詠おうとします。つまり、ほぼ、問答歌とみなして良いでしょう。
ここで、尼が一生懸命に作歌している途中で歌を横取りした大伴家持の態度を、どのように評価しましょうか。前提として、貴族の邸宅での宴で歌垣歌のようの和歌で遊ぶ場面とします。集歌1633の歌の標題に「或者贈尼謌二首」とありますから、これらの歌が詠われた場を歌垣歌の場面としますと「或者」が「尼」を歌の受け手に指名したと解釈することになります。
このような前提です。貴女は大伴家持の態度をどのように感じ取りますか。
例えば、ある程度、年を取った年長の尼が一生懸命に歌を作ろうとしているのを、頭の句を横取りし、勝手に和歌を完成させた才が立った嫌な若造としますか。それとも、いけ好かない若さが先立った振る舞いとしましょうか。
ところがところが、一般的な解釈は集歌1633の歌の標題「或者贈尼謌二首」の解釈自体から違います。標準ではこの標題の漢文を「ある屋敷に住む或者」から「別の場所に住む尼」に使者を使って和歌二首を贈ったと解釈します。貴族の邸宅での宴での場面とはしません。集歌1635の歌は贈られた文と和歌に対して返事に添えるものとして和歌を作るのに当たって、大伴家持に和歌の添削を相談・依頼したとします。つまり、集歌1635の歌は大伴家持が行った和歌添削の様子を示すとします。このような解釈ですと、「贈尼謌二首」の状況を説明するために尼には若い娘がおり、同居しているとしますから、必然、尼は在家僧尼と云うことになります。集歌1633の歌で「萩」は若い娘の比喩となりますが、「手母須麻尓 殖之芽子尓也」の解釈がややこしくなります。若い娘が有力者によって養われているとしますと、成女した後に改めて母親たる尼に婚姻の許可を求める必要はないでしょう。元から妾とする予定で引き取った娘ですから。また、集歌1634の歌に若い娘と有力者の男の関係を示唆するものは見えません。およそ、従来の想定する関係ではこれら三首組歌の解釈は支離滅裂になります。つまり、伝統の組歌であっても一首単独に切り出し鑑賞するときにだけ成り立つ鑑賞方法です。現在では受け入れられない古法です。
気を取り直して。
この三首組歌が宴での歌垣歌のような性格のものとし。また、「或者」、「尼」、「家持」たちは互いによく知る関係とします。つまり、互いに和歌作歌技量は承知の内と云うことです。こうした時、集歌1633の歌と集歌1634の歌二首一組は、ある種、くせ球です。言葉や動作からは「見守る」と云うものがありませが、相互が連携するものではありません。無理に理屈を付けるなら、秋の季節の「見守る」と云うテーマで詠われたものと云うことでしょうか。
このくせ球に対して、尼は「殖之田」と云う言葉を引き取って、歌垣歌らしく詠おうとしますが、下句に難渋したと思います。尼の作歌技量からは作歌に難渋することは「或者」がはなから想定したものだったと思います。歌垣歌や歌競いとしますと「或者」の勝ちとなります。
その難渋する尼から歌の上句を拾って下句を繋いだ家持の態度は、ある種、尼の立場を救い、かつ、内容に掛詞の頓知がありますから、そちらの方向に誘導して場を盛り上げたのではないでしょうか。横取りだけでも、おやおやと思うような振る舞いですが、その歌に掛詞の頓知がありますと、尼や或者とのからみよりも家持の歌の方に興味が移ったと考えます。
野暮ですが、「苅流早飯者」には新米で炊くご飯と歌を横取りして先に言い出すとの二つの風景があります。
今回も、弊ブログのものは特異な解釈となってしまいました。可能性です。それ以外ありません。そこを御笑納下さい。