竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 丗二 山柿の門を考える

2013年08月31日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 丗二 山柿の門を考える

 万葉集巻十七に大伴家持が詠う「更贈謌一首」と云う標題を持つ集歌3969の歌があり、その標に次のような漢文が置かれています。これが和歌の世界では有名な「山柿の門」の出典先です。
 この漢文は文中に「裁謌之趣」と述べるように家持自身のの和歌及び漢詩の作歌能力や鑑賞能力を述べているものと考えられていて、「山柿の門」の「柿」は柿本人麻呂のことと思われています。他方、「山」については「山部赤人」説と「山上憶良」説とがありますが、おおむね、古今和歌集の仮名序において紀貫之する柿本人麻呂と山部赤人とは甲乙付け難いとの評論などから「山部赤人」説が有力です。

更贈謌一首并短謌
標訓 更に贈れる謌一首并せて短謌
含弘之徳、垂恩蓬軆、不貲之思、報慰陋心。戴荷未春、無堪所喩也。但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏于彫蟲焉。幼年未逕山柿之門、裁謌之趣、詞失于聚林矣。爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠。因是俗愚懐癖、不能黙已。仍捧數行、式酬嗤咲。其詞曰  (酬は、酉+羽の当字)

標訓 含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪(あ)ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣は、詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式(も)ちて嗤咲(しせう)に酬(こた)ふ。その詞に曰はく、  (酬は、酉+羽の当字)

標訳 貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しいままです。また、幼き時に山柿の学門の水準に到らなかったために、詩歌の良否を判定する感性においては、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、


 さて、ここでのブログに馴染みのある人には知られていると思いますが、山部赤人の歌は「調べの歌」に範疇される歌です。常体歌の多くが「表記する歌」である万葉集歌の中においては特別な位置を占める歌です。その赤人の歌が「調べの歌」であるがために、時代により彼の代表作は変わります。現在では長歌・短歌において、彼の代表作は長歌では富士を詠う集歌317の「山部宿祢赤人望不盡山謌一首」の歌であり、短歌ではその長歌の反歌である集歌318の歌です。

参考歌 短歌
集歌318 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
訓読 田子し浦ゆうち出(で)に見れば真白にぞ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける
私訳 田子にある、その浦から出発して見ると、真っ白に富士の高き嶺に雪は降っていた。

 ところが、紀貫之が柿本人麻呂と山部赤人とは甲乙付け難いとの評論したことに反応し、平安末期に藤原定家は仮名序の解説の中で赤人の代表作として次の歌を撰んでおり、富士の歌ではありません。歌の評価基準を感性に求めるものは、時代と共に流行り、廃れが生じます。

集歌1424 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
訓読 春し野にすみれ摘みにと来(こ)し吾そ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝(ね)にける
私訳 春の野にすみれを摘みにと、来た私です。この野に心が引かれ、ここで夜を過しました。

 最初に私訳を示しましたが、インターネットにおいて万葉集の歌の解説には定評のあるHP「千人万首」とHP「壺斎閑話」からその解釈を以下に紹介します。

HP「千人万首」より
春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(8-1424)
【通釈】春の野に菫を摘みにやって来た私は、その野に心引かれ、離れ難くて、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。
【語釈】◇すみれ摘みにと 菫の花は摘み取るとすぐ萎れてしまう。古人はそれを、花の生命力が摘み取った人の魂に移ると考えた。菫摘みがかつて春の恒例行事とされた所以である。◇野をなつかしみ 野が慕わしいので。「なつかしみ」は形容詞「なつかし」の語幹に、理由・原因をあらわす接尾語「み」が付いたもの。

HP「壺斎閑話;山部赤人:恋の歌(万葉集を読む)」より
山部赤人には、恋の歌もいくつかある。それらの歌が、誰にあてて書かれたものかはわからないが、中には相聞のやりとりの歌も混じっていて、色めかしい雰囲気の歌ばかりである。赤人は、叙景の中に人間のぬくもりを詠みこむことに長けていたと同時に、人間の心のときめきを表現することにもぬきんでていた。
まず、万葉集巻八から、赤人の恋の歌四首を取り上げてみよう。
― 山部宿禰赤人が歌四首
春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(1425)
我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば(1426)
明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(1427)
「春の野に」の歌は、赤人の恋の歌として、あまりにも有名な作品である。それ故、様々な解釈もなされてきた。中には、これは春の気分に浮かれるあまり、野原で寝てしまったことよと、春を強調するに過ぎないとする、うがった見方もある。
アララギ派の歌人山本憲吉は、これは恋愛の心を詠ったもので、一夜寝たのも無論女の家であると断定している。筆者にもそのように思われる。一首を素直に詠めば、誰しもそう思うであろう。また、そう読むことによって、この歌の趣も深まると思うのである。その女が誰かはわからぬが、そんなことを抜きにして、色めいたあでやかな歌だといえよう。


 おおむね、集歌1424の歌の「一夜宿二来」は「一夜寝にける」と訓読みし、「野で一夜を過ごしてしまった」と解釈します。今日における山部赤人を評価する時、これが定訓とその解釈として良いと考えます。当然、「野」には「野原」と云う直線的な意味合いと、「鄙の里」と云う寓意として取る解釈の違いはあると思いますが、夜を過ごしたのは都から離れた「野」であることは共通の認識と思います。
 さて、ここで疑問が生じます。果たして、紀貫之たちは本当にこのように解釈していたのでしょうか。
 まず、古今和歌集の時代では長歌は宮中などでの歌会で扱われるテーマでは有りませんから、評価の対象外です。そのため、現代人が「赤人の富士の歌がどうだ、こうだ」と評論しても、それは古今集や新古今集で扱われるような和歌の範疇にはありません。従って、富士の歌などから赤人を評価し、さらに柿本人麻呂と比較した上で「山柿の門」の議論をするようなことは出来ません。評価は古今和歌集の時代に立ち戻って、当時の基準で行う必要があります。現在の赤人への評論は、現在の和歌の鑑賞基準をベースとした評価と古今和歌集時代の和歌の評価基準をベースとした評価が混在しています。そのため、「詠う歌」であるが故に評価での代表作が違います。

HP「古今和歌集の部屋」より、紀貫之の歌を紹介
歌番2
袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ
解説 立春の日の今日の風は、袖をひたしてすくったあの水が、凍っているのをとかすだろうか、という歌。 「礼記」の月令にある"東風解凍"という言葉を元にしていると言われている。それを暦上の春と合わせて、「とく-むすぶ」から掌で水をすくう動作を導くことにより、"凍" のさらに前の時間を含めることでイメージに幅が出ている。

歌番9
霞立ち 木の芽もはるの 雪降れば 花なき里も 花ぞ散りける
解説 木の芽が 「張る(萌る=ふくらむ)」と 「春」を掛けて、霞がたち、春の雪が降ると花のない里にも花が散るようだ、という歌で、先頭の "霞立ち 木の芽" の部分は、霞が 「たちこめる」と音が似ていて面白い。同じ貫之の歌にはもう一つ 「芽がはる」という表現を使った歌がある。


 さて、紹介した歌は共に古今和歌集に載る紀貫之のものです。ただし、古今和歌集の本来の歌は一字一音の変体仮名表記ですから、現在のような漢字平仮名交じりの歌でも、濁音交じりの歌でもありません。理解では次のような歌です。

歌番2
原歌 そてひちてむすひしみすのこほれるをはるたつけふのかせやとくらむ

歌番9
原歌 かすみたちこのめもはるのゆきふれははななきさともはなそちりける

 一字一音の変体仮名で記述された古今和歌集の翻訳作業では、それぞれの歌を解釈する人が原歌の解釈に合わせて変体仮名を漢字へと置き換えていきます。その成果が今日の古今和歌集の歌として紹介される歌です。この約束があるためか、古今和歌集の本質が理解している人ものは、掛詞や縁語となるもので、字義から言葉の解釈に影響を与える可能性がある場合は漢字ではなく平仮名表記を選択しています。清音・濁音の選択も然りです。古今集歌において、どの言葉を漢字表記にするかは歌を鑑賞する人の感性と理解の深度に依存します。
 紹介しましたように、古今和歌集の歌は清音濁音の区別を行わず、また、大和言葉での同音異義語の面白さに掛詞の技術を使うことからより鑑賞深度を持たせています。そのため、一つの歌の中に二つ以上の景色を楽しむことが可能になります。
 例として、歌番2の「かせやとくらむ」には「春風が氷を解くであろう」と「掬った手から水をこぼしたのは風が疾いから」との二つの意味があり、歌番9の「このめもはるの」には「霞が立つ春には木の芽も張る」と「霞が立つ季節には木の芽も芽生えるが、一方、早春の」との二つの意味があります。場合によっては歌番9の「はるのゆきふれは」には「春の雪が降れば」と「春が行き過ぎてしまえば」との別々の解釈も成り立ちますから、一層、複雑になります。この重層性が古今和歌集の特徴です。
 その重層性を持つ古今和歌集から眺めた時、柿本人麻呂と山部赤人とは甲乙付け難いとの評論とは、どのようなものでしょうか。柿本人麻呂は藤原京時代を代表する朝廷の行事を詠う歌人ですし、自然を詠う歌も色彩豊かです。あえて、紀貫之が事細かく論評することは不要でしょう。一方の山部赤人はどうでしょうか。紀貫之が取り上げなければ万葉集では二番手に位置する歌人であって、スター歌人ではありません。そこで、もう一度、古今和歌調の表記にして赤人の歌を見てみます。

集歌1424 春野尓須美礼採尓等来師吾曽野乎奈都可之美一夜宿二来
訓読 はるしのにすみれつみにとこしわれそのをなつかしみひとよぬにける

 さて、歌での句「なつかしみ」と云う言葉は「なつかし+み」と云う語の組み合わせで出来た言葉です。この「なつかし」と言葉は万葉集の時代では、「懐」という漢字の原義から「心が引かれる、親しみが持てる、好ましい」と云う意味合いの強い言葉です。ところが時代が下って平安時代後期になると「思い出に引かれる、昔が思い出され慕われる」のような意味合いに変化しています。また、為にする提議ですが、句切れによっては「こしわれそ のをなつかしみ=来し吾ぞ、野を懐かしみ」と「こしわれ そのをなつかしみ=来し吾、苑を懐かしみ」との別の解釈の可能性も見出せます。
 テクスト論ではありませんが、歌を解釈するのは紀貫之です。作歌者本人である山部赤人ではありません。紀貫之はどちらの解釈をしたのでしょうか、それとも両方の解釈でしょうか。万葉集時代での「心が引かれる」ですとスミレを摘みに出かけた野で一夜を過ごしたと考えられますが、平安時代の「思い出に引かれる」ですとスミレを摘んだ野の景色を自宅の寝床で夜通し思い出したことになります。さて、どちらでしょうか。
 アララギ派の歌人山本憲吉はこの歌に恋歌の匂いを感じ、鄙の里での逢引きを疑います。つまり、この歌には重層性があり、かつ、艶があります。もし、紀貫之がその点を見出したのであれば、それは万葉集時代の鑑賞法では有りませんし、その時代に鑑賞によって現れる歌が持つ重層性と艶という価値観はなかったのではないでしょうか。古今和歌集の紀貫之や新古今和歌集の藤原定家が山部赤人の代表作を集歌1424のスミレの歌とし、現代人が好む集歌318の田子の浦の歌を採らなかった理由が想像出来るのではないでしょうか。

 問います。「山柿の門」とは「柿本人麻呂」と「山上憶良」でしょうか、それとも、「山部赤人」でしょうか。大伴家持と山上憶良との間には歌や実生活において接点があり、家持は憶良の辞世の歌に唱和した歌を作っています。また、年少時代の家持にとって憶良は学問では皇太子の家庭教師に任命されるほどの大先生の立場ですし、二人の関係において大宰府時代を忘れることは出来ません。一方、家持が赤人と接点を持ったというものは見出せませんし、赤人に対して唱和するような作歌活動もありません。
 漢文には「幼年未逕山柿之門」とあります。大伴家持が幼年時代、柿本人麻呂は奈良時代人にとって大歌人でしたし、人麻呂歌集は万葉集の東歌に異伝が数首も採られるほど日本全国規模で有名な歌集でした。山上憶良は遣唐使の随員、皇太子の家庭教師、父親大伴旅人の風流相手ですし、学問において家持の師の立場でした。一方、山部赤人は神亀年間頃のものから次第に作品が万葉集に採歌されていますから、神亀年間から天平六年頃までの人物です。ですから、神亀年間後半に直ちに大歌人の扱いをされていたかは不明です。一方、家持は天平五年頃、十五歳前後で成人式である袴儀をし成人の仲間入りをしたと思われますから、家持が「幼年」と云う言葉を使うのであれば、それ以前、神亀四年頃から天平四年までの間のこととなります。時代性から、本当に大伴家持は「貴族階級の教養として山部赤人を学ぶ必要がある」と思ったのでしょうか。
 余談ですが、万葉集の歌から推定して山上憶良は紀伊御幸で柿本人麻呂と一緒に紀伊国へ赴いている可能性があり、また、好去好来謌や巻十三の事霊歌などから大和歌の精神では山上憶良と柿本人麻呂とは同志であるとの評論があります。およそ、漢文の文章に家持の謙遜が入っているのなら、家持は山上憶良とその憶良を通じて柿本人麻呂との両者を知っているとの自慢を「幼年未逕山柿之門」で述べたことになります。確かに天平時代の有名歌人の中で大宰府時代の山上憶良を知っているのは大伴家持ぐらいのものです。場合によってはこのようなひねくれた考え方もあります。

 もう一度、問います。「山柿の門」とは「柿本人麻呂」と「山部赤人」ですか。
 もし、そうだと云うのですと、その根拠はなんですか。第一に大伴家持は紀貫之が生まれる遥か前の人物であって、遠い将来に古今和歌集やその仮名序が編纂・創作されることは知りません。つまり、古今和歌集の仮名序や紀貫之の評論を根拠にすることは出来ません。当たり前のことです。また、現代の山部赤人評価論を使うこともできません。そこには紀貫之の仮名序の影響が多大ですし、アララギ派の影響もあります。その時、大伴家持と奈良時代での赤人への評論と一致する保証はありません。根拠を万葉集だけに限定した時、家持が赤人をどのように見ていたかの論証が必要です。残念ながら、当たり前の要求なのですが、「山柿の門」とは「柿本人麻呂」と「山部赤人」であるとの説において、大伴家持から見た山部赤人論なるものを見たことがありません。これは浅学のためでしょうか。

 現在の万葉集の歌の鑑賞に疑問を持つと同じレベルで、古今和歌集の歌の鑑賞にも疑問を持っています。どなたか、すっきりとした論を示して頂けないでしょうか。

 この文を作るためにインターネットに遊んでいましたら、西行法師の作品論評の中で藤原定家は「古今和歌集が読めない人のためにその古今和歌集の歌が持つ言葉の重層性に目を瞑って、敢えて、漢字平仮名交じりの表現に翻訳した」と云うものがありました。酷いものです。定家本の古今和歌集とは歌集がきちんと読めない人のためのガイド本程度のものだそうです。そのため、古今和歌集の特徴である重層性が判っている人は、西行法師のように定家の翻訳を無視して、原点に戻らざるを得ないようです。ただ、歌の中に重層性を楽しむようにと作歌されたものから、その重層性の楽しみを消し去ったものとは、一体、それはどのようなものなのでしょうか。それに、古今和歌集の歌の本来の姿が、一字一音の変体仮名で記述された歌集であると云うことを、さて、どれほどの人が知っているのでしょうか。
 万葉集も怖い歌集ですが、同じように古今和歌集も怖い歌集です。
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今日のみそひと歌 金曜日

2013年08月30日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌3846 法師等之 鬚乃剃杭 馬繋 痛勿引曽 僧半甘
訓読 法師らが鬚(ひげ)の剃り杭(くい)馬(うま)繋(つな)ぐいたくな引きそ法師は泣かむ
私訳 法師らの鬚を剃らずに残した杭のようなアゴヒゲに馬を繋いだ。ひどく引っ張るな。法師が我慢しても。

集歌3847 檀越也 然勿言 弖戸等我 課役徴者 汝毛半甘
訓読 壇越(だんをち)やしかもな言ひそ丁戸(よほろ)らが課役(えつき)徴(はた)らば汝(いまし)も泣かむ
私訳 檀越よ、そんな風に云うな。丁(よぼろ)を出す家に当たって課役を課せられたら、お前も多少は仕方がないと思って我慢するだろう。

集歌3848 荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲干稲志 吾戀良久者
訓読 新墾田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)の稲を倉に擧蔵(あぐら)にあなひねひねし我が恋ふらくは
私訳 新しく開墾した田の鹿や猪が荒らす田の稲を刈り取って倉に納めると、新しい稲もとてもひなびれるように、ああ、ひなびれてしまったよ、私の恋心は。

集歌3849 生死之 二海乎 厭見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
訓読 生き死にし二つし海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲ひつるかも
私訳 生まれ、死ぬ、この二つの人の定めの世界を厭わしく想い、海の水が引ききって再び潮の満ちることのない山を慕ってしまう。

集歌3850 世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞
訓読 世間(よのなか)し繁き仮廬(かりほ)に住み住みに至らむ国したづき知らずも
私訳 この世の煩わしい仮の人生に住み暮らしていても、死して旅行く国への標を知ることはない。

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今日のみそひと歌 木曜日

2013年08月29日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌2922 夕去者 於君将相跡 念許憎 日之晩毛 悞有家礼
試訓 夕(ゆふ)さらば君し逢はむと思ふこそ日し暮るも悞(まど)ひありけれ
試訳 夕方になれば愛しい貴方に逢えると願うからこそ耐えられますが、ただ、今夜の訪れの連絡が無いと、日の暮れて行く中にも貴方の誠実さに戸惑いがあります。

集歌2923 直今日毛 君尓波相目跡 人言乎 繁不相而 戀度鴨
訓読 直(ただ)今日(けふ)も君には逢はめど人言(ひとこと)を繁み逢はずに恋ひ渡るかも
私訳 今日の今日にも、愛しい貴方に逢いたいのですが、人の噂話がひどくて、貴方に逢えないままで恋い焦がれています。

集歌2924 世間尓 戀将繁跡 不念者 君之手本乎 不枕夜毛有寸
訓読 世間(よのなか)に恋(こひ)繁(しげ)けむと思はねば君し手本(たもと)を纏(ま)かぬ夜(よ)もありき
私訳 この世の中に、貴女への恋心がこれほどひどく募るとは思っても見なかったので、貴女の体を抱きしめないで過ごした夜もありました。

集歌2925 緑兒之 為社乳母者 求云 乳飲哉君之 於毛求覧
訓読 緑児(みどりこ)し為こそ乳母(おも)は求むと云ふ乳(ち)飲めや君し乳母(おも)求むらむ
私訳 「緑児の為にこそ、乳母は探し求められる」と云います。でも、さあ、私の乳房をしゃぶりなさい。愛しい貴方が乳母(乳房)を求めていらっしゃる。

集歌2926 悔毛 老尓来鴨 我背子之 求流乳母尓 行益物乎
訓読 悔(くや)しくも老いにけるかも我が背子し求むる乳母(おも)に行かましものを
私訳 残念なことに年老いてしまったようです。私の愛しい貴方が求める乳母(乳房)として、堂々と、女である私から貴方の許に行きたいのですが。


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今日のみそひと歌 水曜日

2013年08月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日

集歌2073 真氣長 河向立 有之袖 今夜巻跡 念之吉沙
訓読 ま日(け)長し川し向き立ちありし袖今夜(こよひ)枕(ま)かむと思ひしよしさ
私訳 この日一日を長く訪れを待って川に向かい立っていた、貴女の袖。その貴女の袖を、今夜に貴女との夜着として身に纏うと思うと気が弾む。

集歌2074 天漢 渡湍毎 思乍 来之雲知師 逢有久念者
訓読 天つ川渡り瀬ごとし思ひつつ来(こ)しくもしるし逢へらく思へば
私訳 天の川の渡る瀬ごとに、恋い慕いながらやって来るのも甲斐がある。貴女に逢えると想うと。

集歌2075 人左倍也 見不継将有 牽牛之 嬬喚舟之 近附徃乎
訓読 人さへや見継がずあらむ牽牛(ひこほし)し嬬(つま)呼ぶ舟し近づき往(い)くを
私訳 恋人以外の人でさへ見続けているでしょう。彦星の妻の許を訪ねる舟が近づいて行くのを。

集歌2076 天漢 瀬乎早鴨 烏珠之 夜者闌尓乍 不合牽牛
訓読 天つ川(かは)瀬(せ)を早みかもぬばたまし夜(よ)は更(ふ)けにつつ逢はぬ牽牛(ひこほし)
私訳 天の川の、その川の瀬は急流なのでしょうか、漆黒の夜は更けて行くのに、まだ、織姫に逢っていない彦星よ。

集歌2077 渡守 舟早渡世 一年尓 二遍徃来 君尓有勿久尓
訓読 渡守(わたしもり)舟早渡せ一年(ひととし)にふたたび通(かよ)ふ君にあらなくに
私訳 渡し守よ、舟を早くこちらに渡せ。一年に何度も通う愛しいあの人ではないのだから。

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今日のみそひと謌 火曜日

2013年08月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1191 妹門 出入乃河之 瀬速見 吾馬爪衝 家思良下
訓読 妹が門(かど)出入(いでいり)の川し瀬を速(はや)み吾が馬つまづく家(いへ)思ふらしも
私訳 愛しい貴女の家に出たり入ったりする、その出入の川の瀬の流れが速いので私の馬がつまずく、家の人が私を恋い慕っているらしい。

集歌1192 白栲尓 丹保布信土之 山川尓 吾馬難 家戀良下
訓読 白妙に色付(にほふ)信土(まつち)し山川に吾が馬難(なづ)む家(いへ)恋ふらしも
私訳 白く美しく映える真土の山や川に私の馬が旅を行きなずむ。家の人が私を恋しく慕っているらしい。

集歌1193 勢能山尓 直向 妹之山 事聴屋毛 打橋渡
訓読 背(せ)の山に直(ただ)に向へる妹(いも)し山事(こと)聴(き)きやも打橋(うちはし)渡す
私訳 背の山にまっすぐに向かう妹の山よ、背の君がやって来るのを聞いたのか、架け橋が架けてある。

集歌1209 人在者 母之最愛子曽 麻毛吉 木川邊之 妹与背之山
訓読 人ならば母し最愛子(まなご)そあさもよし紀(き)し川の辺(へ)し妹(いも)とせし山
私訳 人間でしたら母親の最愛の子でしょう。麻裳も美しい紀の川のほとりの妻と名付けた山よ。

集歌1210 吾妹子尓 吾戀行者 乏雲 並居鴨 妹与勢能山
訓読 吾妹子(わぎもこ)に吾が恋ひ行けば乏(とも)しくも並び居(を)るかも妹と背の山
私訳 私の愛しい貴女に私が恋い慕って行くと、うらやましいことに並んでいる。その妹山と背の山よ。

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