竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

今日のみそひと謌 火曜日

2015年06月30日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1677 山跡庭 聞往歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
訓読 大和には聞こえ往(い)かぬか大我野(おほがの)し竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほり)せりとは
私訳 大和にはその評判が聞こえているでしょうか、大我野にある珍しい竹葉を刈り取って仮の宿に敷いていることを。

集歌1678 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
訓読 紀(き)し国し昔弓雄(さつを)し響矢(なりや)用(も)ち鹿取り靡けし坂上(さかへ)にぞある
私訳 紀の国で、昔、弓の勇者が神の響矢で鹿を取り従わせた熊野荒坂です。

集歌1679 城國尓 不止将往 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄
訓読 紀(き)し国にやまず通(かよ)はむ妻し杜(もり)妻寄しこせね妻と言(い)ひながら
私訳 紀の国には止むことなくいつも通いましょう。仁徳天皇の妻の磐姫命皇后の御綱柏の社の故事のように、妻を御綱柏を採りに寄せ来させましょう。貴女は妻と言ひながら。

集歌1680 朝裳吉 木方往君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
訓読 朝も吉(よ)し紀(き)へ行く君が信土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)そ雨な降りそね
私訳 今朝は日よりも良いようです。紀の国に行く貴方が大和と紀の国との境の信土山を今日は越えていく。雨よ降らないで。

集歌1681 後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
訓読 後(おく)れ居(い)に吾(わ)が恋ひ居(を)れば白雲し棚(たな)引(ひ)く山を今日(けふ)か越ゆらむ
私訳 後に残り居て私が貴方を恋慕っていると、彼方に見える白雲の棚引く山を、貴方は今日は越えるのでしょうか。

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資料編 文帝誄 (曹植)

2015年06月29日 | 資料書庫
資料編 文帝誄 (曹植)

 柿本人麻呂が詠う挽歌には、それ以前に行われていた舒明天皇の殯の様子、天武天皇の殯宮の様子や『日本書紀』でのそれらの葬送儀礼への記載を参考にしますと、詠う挽歌のその整った形式美を踏まえると、時に、文帝誄(曹植)の影響があるとします。ここではその参考資料として文帝誄の原文とその訓読みを紹介します。
 追記して、ご存知のように柿本人麻呂の時代、平仮名も片仮名もまだ存在しません。その時代の人は大唐からの漢詩漢文を直接に読解しなければなりませんでしたし、大和言葉に翻訳した書籍は存在しません。従いまして、柿本人麻呂の時代人たちは以下に紹介するものをそのままに受容していたことを再確認してください。万葉集に関する解説書を見ますと、このような文化的背景を知らない、無視したものが時に存在します。そのような学問的な背景がありますから、極力、そのようなものを排除するために調べた資料は公開するようにしております。
 なお、いつものことですが、正規の教育を受けていないものの作業です。そのため、漢文の句読点の位置が一般的なものとは違っておりますし、それに合わせて訓じも違っております。従いまして、ここでのものは読み流し程度でのものとして扱い、引用には向かないことをご了承下さい。


<原文>
文帝誄 (藝文類聚-巻第十三、魏文帝の項より) 曹植(曹子建)

魏陳王曹植文帝誄曰、
天震地駭、崩山隕霜。陽精薄景、五緯錯行。
哀殊喪考、思慕過唐。擗踴郊野、仰愬穹蒼。
考諸先紀、尋之哲言。生若浮寄、徳貴長伝。
朝聞夕逝、死志所存。皇雖殪没、天禄永延。
何以述徳、表之素旃。何以詠功、宣之管絃。
乃作誄曰、
元光幽昧、道究運遷。乾迴暦数、簡聖授賢。
乃眷大行、属以黎元。龍飛践祚、合契上玄。
五行定紀、改号革年。明明赫赫、授命自天。
風偃物化、徳以礼宣。詳惟聖質、岐嶷幼齢。
研機六典、学不過庭。潜心無内、抗志高明。
才秀藻朗、如玉如瑩。聴察無響、視睹未形。
其剛如金、其勁如瓊。如冰之潔、如砥之平。
爵功無重、戮違無軽。心鏡万機、鑑照下情。
宅土之中、率民以漸。道義是図、弗営厥険。
六合通同、斉契共検。導下以純、民由樸倹。
紼冕崇麗、衡紞惟新。尊肅礼容、瞻之若神。
方牧妙挙、欽於恤民。虎将荷節、鎮彼四隣。
朱旗所勦、九壤披震。疇克不若、孰敢不臣。
懸旌海表、万里無塵。回回凱風、祁祁甘雨。
稼惟歳豊、登我稷黍。家佩恵君、戸蒙慈父。
在位七載、九功仍挙。将承太和、絶跡三五。
宜作物師、長為神主。壽終金石、等算東父。
如何奄忽、摧身后土。俾我焭焭、靡瞻靡顧。
嗟嗟皇穹、胡寧忍予。明鑑吉凶、体達存亡。
深垂典制、申之嗣皇。聖上虔奉、是順是将。
乃啓玄宇、基于首陽。擬跡穀林、追堯纂唐。
合山同阪、不樹不疆。塗車蒭霊、珠玉靡蔵。
百神警侍、賓于幽堂。
於是、
侯大隧之致功、陳元辰之叔禎。
潜華体於梓宮、憑正殿以居霊。
悼晏駕之既俟、感容車之速征。
浮飛魂於軽霄、就黄墟以蔵形。
背三光之昭晰、帰窀穸之冥冥。
嗟一往之不返、痛閟闥之長扃。

<訓読>
魏陳王曹植の文帝に誄(るい)して曰く、
天は震え地は駭(おどろ)き、山は崩れ霜は隕(お)つ。陽精は薄景し、五緯は錯行す。
哀しみは殊(ことさら)に考(ちち)を喪い、思慕は唐を過ぐ。郊野に擗踴(へきよう)し、蒼穹を仰ぎて愬う。
諸(これ)を先紀に考(かむが)み、之の哲言を尋ぬる。生は浮寄の若く、徳貴は長く伝わりぬ。
朝に聞き夕に逝けども、死して志は所存すと。皇と雖(いへど)も殪(たお)れ没せとも、天禄は永延なり。
何を以って徳を述べ、之を素旃(そせん)に表わさん。何を以って功を詠み、之を管絃に宣べん。
乃(すなは)ち誄を作りて曰く、
元(はじ)め光は幽昧にして、道は究(きわ)まり運は遷り、乾の暦の数(わざ)を迴らせ、聖を簡(えら)びて賢に授く。
乃ち大行を眷(かえり)み、黎元を以って属す。龍飛(りゅうひ)して践祚(せんそ)し、上玄に合契す。
五行の紀を定め、改号し革(あらた)める年とす。明明(めいめい)赫赫(かくかく)とし、天命を自らに授く。
風を偃(ふ)して物と化(な)し、徳を以って礼を宣ぶ。惟れ聖質を詳しくし、嶷(ぎょく)は幼齢に岐(ひい)でる。
六典を研機し、学は庭に過ぎざる。心を潜ませ内を無(む)にし、志を高明に抗う。
才は秀で藻は朗かに、玉の如く瑩の如し。響(こえ)無きを聴きて察し、未だ形(あら)われざるを視睹す。
其の剛は金の如く、其の勁は瓊(たま)の如く、之の潔きは氷の如く、之の平らなるは砥(といし)の如し。
功を爵すに重きこと無く、違を戮するに軽きこと無し。心鏡(しんきょう)万機(まんき)、下情を鑑り照らす。
之の宅土の中、民を率ひて以って漸(すす)む。道義の是れを図り、厥(そ)の険を営せず。
六合を同じく通じ、斉(ひと)しく契り共に検(はか)らむ。下を導き以って純にし、民に由(なお)のこと倹樸す。
冕を紼(はら)ひて麗(れい)を崇(あが)め、紞して衡を惟れ新しむ。礼容を尊び肅み、之を瞻れば神の若し。
方牧(ほうぼく)を妙挙し、民を恤(あわれ)むを欽(うや)まふ。虎将は節を荷い、彼(か)の四隣を鎮む。
朱旗の勦(ほろぼ)す所、九壤は披震す。疇(たれ)か克く若(したが)わず、孰(たれ)か敢えて臣たらざらむ。
旌(はた)を海表に懸(かか)げば、万里に塵は無し。凱風は回回とし、甘雨は祁祁(きき)とす。
稼(みのり)は惟れ豊かに歳(めぐ)り、稷黍は我に登(みの)る。家は君の恵みを佩び、戸は慈父を蒙(こほむ)る。
在位すること七載、九功は仍(しき)りに挙ぐ。将(まさ)に太和を承り、跡を三五に絶つ。
宜しく作物を師し、長く神主を為す。壽は金石を終え、算を東父に等しくす。
如何ぞ奄忽(たちまち)に、身を后土(こうど)に摧(ほろぼ)し、我の焭焭(けいけい)たるを俾(いや)み、瞻(まば)るに靡き顧(み)るに靡く。
嗟嗟、皇穹よ、胡(なん)ぞ予寧(よねい)に忍(たへ)る。明は吉凶を鑑み、体は存亡に達す。
深く典制を垂れ、之を嗣皇に申す。聖上は虔(つつし)んで奉じ、是に順じ是に将(したが)う。
乃ち玄宇(げんう)を啓(ひら)き、基を陽に首(さら)す。跡を穀林に擬し、堯を追い唐を簒(ねら)う。
山に合(おな)じくし阪に同じくし、樹せず疆せず。塗車蒭霊、珠玉を蔵(しま)わず。
百神は警(そな)え侍り、幽堂に賓す。
是に於いて、
侯(きみ)の大隧(たいすい)を致功し、之の元辰(げんしん)の叔禎を陳(しめ)す。
華体を梓宮に於いて潜(かく)し、正殿に憑りて以って霊と居す。
晏駕(あんが)の既に俟(はや)きを悼み、之の容車(ようしゃ)の速く征くを感ず。
飛魂を軽霄(けいそう)に浮かべ、黄墟(こうきょ)に就いて以って蔵と形す。
三光の昭晰(しょうせき)に背き、窀穸(ちゅんせき)の冥冥たるに帰す。
一たび往きて返らざるを嗟(なげ)き、閟闥(ひたつ)の長く扃(とざ)すを痛む。
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今日のみそひと歌 月曜日

2015年06月29日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 月曜日

集歌785 吾屋戸之 草上白久 置露乃 壽母不有惜 妹尓不相有者
訓読 吾が屋戸(やと)し草(かや)し上(へ)白く置く露の身も惜(を)しからず妹に逢はずあれば
私訳 私の家の萱草の上に白く置く露のように儚い私の身も惜しくはありません。愛しい貴女を抱けないならば。

集歌786 春之雨者 弥布落尓 梅花 未咲久 伊等若美可聞
訓読 春し雨(め)はいや頻(し)き降るに梅の花いまだ咲かなくいと若(わか)みかも
私訳 春の雨は、こんなにしきりに降りますが、梅の花は、まだ、咲きません。まだ、とても、花芽が若いからでしょうか。

集歌787 如夢所 念鴨 愛八師 君之使乃 麻祢久通者
訓読 夢ごとそ念(おも)ほゆるかも愛(は)しきやし君し使(つかひ)の数多(まね)く通(かよ)へば
私訳 まるで夢のように感じられるでしょう。尊敬する貴方から(実際は久須麿の娘)の便りをもたらす使いが頻繁に通って来ると。

集歌788 浦若見 花咲難寸 梅乎殖而 人之事重三 念曽吾為類
訓読 末(うら)若(わか)み花咲き難(かた)き梅を植ゑに人し事(こと)繁み念(おも)ひぞ吾(あ)がする
私訳 まだ若くて花は咲き難い、そのような梅の木を植えると「色々な出来事が多いなあ」と、私は感じています。

集歌789 情八十一所 念可聞 春霞 軽引時二 事之通者
訓読 情(うら)くくそ念(おもほ)ゆるかも春霞たなびく時に事(こと)し通(かよ)へば
私訳 今は待ち遠しく切なく感じられます。やがて、春霞が棚引く季節になったら、きっと、貴方から私がお願いしている貴方の娘への求婚の了承が伝えられると思うと。

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌475

2015年06月28日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌475

十六年甲申春二月、安積皇子薨之時、内舎人大伴宿祢家持作謌六首
標訓 十六年甲申の春二月に、安積皇子の薨(かむあが)りましし時に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持の作れる謌六首
集歌475 桂巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 埿打雖泣 将為須便毛奈思

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 かけまくも あやに畏(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 見(め)したまはまし 大(おほ)日本(やまと) 久邇(くに)の都(みやこ)は うち靡く 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬には 鮎子(あゆこ)さ走り いや日異(け)に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人(とねり)よそひて 和束(わづか)山(やま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為(せ)むすべもなし
意訳 心にかけて思うのもまことに恐れ多い。まして口にかけて申すのも憚り多いことだ。わが大君、皇子の命が万代までもお治めになるはずの大日本久邇の都は、物うち靡く春ともなれば、山辺には花がたわわに咲き匂い、川瀬には若鮎が飛び跳ねて、日に日に栄えていくその折しも、人迷わしの空言というのであろうか、事もあろうに舎人たちは白い喪服を装い、和束山に皇子の御輿がおでかけになられ、はるかに天上を治めてしまわれたので、伏し悶え涙にまみえて泣くのだが、今はどうにもなすすべもない。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 桂(か)けまくも あやに恐(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 吾(あ)が王(おほきみ) 御子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 食(め)し賜はまし 大(おほ)日本(やまと) 久迩(くに)の京(みやこ)は うち靡く 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬には 鮎子(あゆこ)さ走り いや日に異(け)に 栄ゆる時に 逆言(およづれ)し 狂言(たはごと)とかも 白栲に 舎人(とねり)装(よそ)ひて 和豆香(わづか)山(やま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為(せ)むすべもなし
私訳 高貴で気品高くいられるも、真に恐れ多く、言葉に示すことも、神聖で畏れ多い、私の王である御子の命が、万代に御治めるはずであった大日本の久邇の京は、草木が打ち靡く春がやって来ると山の辺には花が咲き枝を撓め、川の瀬には鮎の子が走りまわり、ますます日々に栄える時に、逆言でしょうか、狂言なのでしょうか、白い栲の衣に舎人は装って、和豆香山に皇子の御輿を運ばれて、遥か彼方の天の世界を統治なされた。悲しみに地に伏し転がり回り、衣を濡れそぼって泣くが、もうどうしようもない。

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万葉雑記 色眼鏡 百二四 誰が難訓歌を創ったのか

2015年06月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百二四 誰が難訓歌を創ったのか

 万葉集には難訓歌と云うものが昭和時代まで存在しました。
 弊ブログでは万葉集と古今和歌集での重複歌の調べから、また後撰和歌集での万葉集との重複歌と推定されていたものは本歌取技法の歌であるとの近年の研究を紹介し、さらに源氏物語引き歌研究からも、平安中期までの貴族たちは万葉集を読解し、それを教養としていたことを紹介しました。
 一方、万葉集訓点研究家は「万葉集は平安時代には訓じることが困難になった詩歌集である」と云うことを前提として論を進めるようです。なぜ、紫式部や藤原道長の時代ごろまでは訓じることが出来たであろう万葉集に難訓歌が生じたのでしょうか。

 現在に伝わる万葉集写本に注記を行った平安時代中期から鎌倉時代初期の歌人は歌道に対して、そして自己の歌の解釈能力に対して誠実でした。その歌道に対する真摯な態度から万葉集に難訓歌が生じた事情を左注として後年に残してくれました。それが伝万葉集写本の左注に記す「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云う言葉です。
 注釈者は「万葉集のオリジナルを尊重すると、自分が解釈した歌の世界と万葉集の構成が一致しない、これは不審だ」とします。実に誠実です。これを裏返せば、平安時代のある時点から、万葉集の詠う世界が理解出来なくなっています。ただ、困ったことに現代の万葉集の訓点根拠はその理解出来なった時代以降の訓点を重要な根拠とし、類型歌などから訓じの窓口を広げて行き、万葉集全体を訓じて行きます。
 万葉歌の訓じの最終目的は、その歌が詠われた時代のものとして鑑賞することにあるはずです。訓じは訓じが目的であり、歌としての解釈は別物と云う態度が許されるのです、それは訓じの結果に対しての検証を認めないという不遜な態度にも通じます。だからでしょうか、朝鮮語でなくては読めないとか、ポリネシア語でなくては読めないなどと云うものを許すのかもしれません。従いまして、訓じの行為とは歌の鑑賞を最終目的とするのでありますと、平安時代後期から鎌倉時代初期に付けられたであろう「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云う言葉に対して回答を示すのが、誠実な万葉集研究者の責務です。
 今回は万葉集の巻一と巻二から「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云うような言葉を持つ歌群六例を紹介します。紀貫之は歌心が同じであれば時空を超えて歌の世界や解釈は「身をあわせる」ことになると説明しますから、歌を正しく解釈しているのですと「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云うような言葉が「なぜ、付けられたのか」とか、「本来の歌の世界はこのようなことを詠っていたのか」ということが判るのではないでしょうか。
 紹介します例歌六歌群はすべて訓じられている歌です。従いまして、訓じられている歌であっても基礎的な読解能力不足から「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云う状態のままで放置されているのですと、当然、一首単独の歌に対しても、その漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表現された歌を適切に読み解くのはその基礎能力からしますと容易ではないでしょう。
 まことに独尊状態ですが、今回紹介した例歌六歌群の世界を適切に鑑賞できないようでは、万葉集研究者と云うタイトルを持っていたらまるで己の読解能力不足を示すことにもなります。それはそれで恥ずかしいことですから万葉集難訓歌と云うものを創作して逃げ出すしかないのかもしれません。およそ、現代の万葉集難訓歌と云うものは万葉集を適切に鑑賞できない自称研究者が作り出した都市伝説程度なのかもしれません。あとは、漢詩体歌や非漢詩体歌を含む万葉歌の語尾活用変化の研究と云う、少し、空想科学に近い世界に入り込むのが良いのかもしれません。
 ただ、ご存知のように漢詩体歌や非漢詩体歌では語尾の「てにをは」の選定や解釈は解釈者の好みに委ねられますから、日本語か、朝鮮語か、ポリネシア語か、などと議論を広げることは可能ですし、それを試みるお方は多数に上ります。適切に万葉集歌を読解出来ないのでしたら、そのようなお方のものを「トンデモ研究」として切って捨てることは出来ません。まず、その前に「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云うものへの答えを示すのが先です。それで初めて万葉集を編んだ奈良時代の歌人とそれが理解出来なくなった平安後期の歌人の解釈の相違や本来の万葉集歌を解釈すべき方向性が確認できます。

 弊ブログでは基本的に日本語(大和言葉)として解釈し、その時、万葉集中に難訓歌はありません。そして、その訓じたものには解釈と歌の世界を提示しています。


<例歌 一>
中大兄 近江宮御宇天皇 三山謌一首
標訓 中大兄 近江宮(おふみのみや)御宇(あめのしたしらしめし)天皇(すめらみこと) 三山の歌一首
集歌13 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
試訓 香具山(百済)は 畝傍(うねび)(大和)を雄々(をほ)しと 耳成(みみなし)(新羅)と 相争ひき 神代より 如(かく)にあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ 現世(うつせみ)も 妻(の座)を 争ふらしき
試訳 香具山(百済)は畝傍山のように大和の国を男らしい立派な国であると耳成山(新羅)と相争っている。神代も、このような相手の男性の奪い合いがあったとのことだ。昔もそのようであったので、現在も百済と新羅が、そのように同盟国としての妻の座を争っているのだろう。

反謌
集歌14 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
試訓 香具山(百済)と耳成山(新羅)と相(あひ)し時立見に来(き)らしいなみ国原(くにはら)
試訳 香具山である百済と耳成山である新羅が対面したときに、その様子を立ちて見に来た。稲穂の美しい大和の平原よ。

集歌15 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比祢之 今夜乃月夜 清明己曽
試訓 渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日(いりひ)みし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清(さや)明(あけ)くこそ
試訳 船を渡すような入江の水面に豊かに棚引く雲に夕陽を見た。今夜の月夜は清らかに明るいだろう。
右一首謌、今案不似反謌也。但、舊本以此謌載於反謌。故今猶載此次。亦紀曰、天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子。
注訓 右の一首の歌は、今案(かむが)ふるに反歌に似ず。但し、旧き本にこの歌を以ちて反歌に載す。故に今なほ此の次(しだひ)に載す。また紀に曰はく「天豊財重日足姫天皇の先の四年乙巳に天皇を立てて皇太子となす」といへり。


<例歌 二>
額田王下近江國時謌、井戸王即和謌
標訓 額田王の近江國に下りし時の歌、井戸王の即ち和(こた)へる歌
集歌17 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
訓読 味酒(うまさけ) 三輪の山 青(あを)丹(に)よし 奈良の山の 山し際(は)に い隠(かく)るまで 道し隈(くま) い積もるまでに 委(つば)らにも 見つつ行かむを しばしばも 見(み)放(は)けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや
私訳 味酒の三輪の山が、青丹も美しい奈良の山の山の際に隠れるまで、幾重にも道の曲がりを折り重ねるまで、しみじみと見つづけて行こう。幾度も見晴らしたい山を、情けなく雲が隠すべきでしょうか。

反謌
集歌18 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
訓読 三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠さふべしや
私訳 三輪山をこのように隠すのでしょうか。雲としても、もし、情け心があれば隠すでしょうか。
右二首謌、山上憶良大夫類聚歌林曰、遷都近江國時、御覧三輪山御謌焉。
日本書紀曰、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、遷都于近江。
注訓 右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「都を近江國に遷す時に、三輪山を御覧(みそなは)す御歌(おほみうた)なり」といへり。
日本書紀に曰はく「六年丙寅の春三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といへり。

集歌19 綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
訓読 綜麻形(へそがた)の林しさきの狭野(さの)榛(はり)の衣(ころも)に著(つ)く成(な)す目につく吾(わ)が背
私訳 綜麻形の林のはずれの小さな野にある榛を衣に摺り著け、それを身に着けている。私の目には相応しく見えます。私が従う貴女よ。
右一首謌、今案不似和謌。但、舊本載于此次。故以猶載焉。
注訓 右の一首の歌は、今案(かむ)がふるに和(こた)ふる歌に似はず。但し、旧き本には此の次(しだひ)に載す。故に以つてなお載す。


<例歌 三>
麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時、人哀傷作謌
標訓 麻續王の伊勢国の伊良虞の嶋で(足を滑らして潮に)流さえし時に、人の(麻續王の)傷を哀みて歌を作れる
集歌23 打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等籠荷四間乃 珠藻苅麻須
訓読 打麻(うつそ)を麻續王(をみのおほきみ)白水郎(あま)なれや伊良虞(いらこ)に島の玉藻刈ります
試訳 麻を打ち神御衣を織る麻續王は海人なのだろうか、伊良湖の島の玉藻を刈っていらっしゃる

麻續王聞之感傷和謌
標訓 麻續王のこれを聞きて(磯に足を滑らした)傷みを感じ歌で和(こた)へる
集歌24 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 現世(うつせみ)し命を惜しみ浪に濡れ伊良虞(いらご)の島し玉藻刈り食(は)む
試訳 今の世での神の御言を大切にして、私は浪に濡れ神嘗祭の神餞に供える伊良湖の神島の玉藻を刈って奉じるのだ。
右、案日本紀曰、天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯、三位麻續王有罪、流于因幡。一子流伊豆嶋、一子流血鹿嶋也。是云配于伊勢國伊良虞嶋者、若疑後人縁歌辞而誤記乎。
注訓 右は、日本紀を案(かんが)ふるに曰はく「天皇四年乙亥の夏四月戊戌の朔の乙卯、三位麻續王罪有り、因幡に流す。一子を伊豆の嶋に流し、一子を血鹿(ちしか)の嶋に流す」といへり。ここに伊勢國の伊良虞の嶋に配すといふは、若(けだ)し疑(うたが)ふらくは後の人の歌の辞(ことば)に縁(より)りて誤り記せるか。


<例歌 四>
和銅五年壬子夏四月、遣長田王于伊勢齊宮時、山邊御井謌
標訓 和銅五年(712)壬子の夏四月、長田(おさだの)王(おほきみ)を伊勢の齊宮(いつきのみや)に遣はしし時に、山邊の御井の謌
集歌81 山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨
訓読 山し辺(へ)の御井(みゐ)を見がてり神風(かむかぜ)の伊勢処女(をとめ)どもあひ見つるかも
私訳 山の辺の御井を見たいと願っていたら思いもかけずも、神風の吹く伊勢の国へ赴く女性たち(長田王とその侍女たち)にお会いしました。
注意 原文の「伊勢處女」の「處女」には、親と共にその場所に居住する女性のような意味合いですから、「伊勢處女」とは斎宮で主に従う女達の意味になります。つまり、集歌81の歌は、一般の解釈とは違い、斎宮に仕える女性とそれを引率する長田王への餞別の歌です。

集歌82 浦佐夫流 情佐麻弥之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者
訓読 心(うら)さぶる情(こころ)さ益(ま)やし久方の天し時雨(しぐれ)の流らふ見れば
私訳 うら淋しい感情がどんどん募って来る。遥か彼方の天空に時雨の雨雲が流れているのを眺めると。
注意 原文の「情佐麻弥之」の「弥」は、一般に「祢」と変え「情(こころ)さ数多(まね)し」と訓みます。感情の捉え方が違います。

集歌83 海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武
訓読 海(わた)し底(そこ)沖つ白波立田山いつか越えなむ妹しあたり見む
私訳 海の奥底、その沖に白波が立つ。その言葉のひびきではないが、その龍田山を何時かは越えて行こう。麗しい娘女の住むところを眺めるために。
右二首今案、不似御井所。若疑當時誦之古謌歟。
注訓 右の二首は今案(かむが)ふるに、御井の所に似ず。若(けだ)し疑ふらくに時に當りて誦(うた)ふる古き謌か。
注意 飛鳥・奈良時代は、御幸巡行の記事に示すように伊勢国への行き来には陸路の伊勢街道と海路の紀伊・熊野経由の二通りがあります。歌からは長田王一行は伊勢神宮に赴くに熊野経由で行かれたと推定されます。それで、これら三首はその予定行程での国境の龍田越えを詠ったものと思われます。推定で、左注は万葉集編纂時のものではなく、伊勢国への海路の歴史がなくなった平安時代中期から後期以降と思われます。


<例歌 五>
有間皇子自傷結松枝謌二首
標訓 有間皇子の自ら傷みて松が枝を結べる歌二首
集歌141 磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
訓読 磐白(いはしろ)の浜松し枝(え)を引き結び真(ま)幸(さき)くあらばまた還り見む
私訳 磐代の浜の松の枝を引き寄せ結び、旅が恙無く無事であったら、また、帰りに見ましょう。

集歌142 家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
訓読 家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎し葉に盛る
私訳 家にいたならば高付きの食器に盛る飯を、草を枕に寝るような旅なので椎の葉に盛っている。

長忌寸意吉麻呂見結松哀咽謌二首
標訓 長忌寸意吉麻呂の結び松を見て哀しび咽(むせ)べる歌二首
集歌143 磐代乃 岸之松枝 将結 人者反而 復将見鴨
訓読 磐代(いはしろ)の岸し松が枝(え)結びけむ人は反(かへ)りてまた見けむかも
私訳 磐代の海岸の崖の松の枝を結ぶ人は、無事に帰って来て再び見ましょう。

集歌144 磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念
訓読 磐代(いはしろ)し野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)念(おも)ほゆ
私訳 磐代の野の中に立っている枝を結んだ松。結んだ枝が解けないように私の心も寛げず、昔の出来事が思い出されます。

山上臣憶良追和謌一首
標訓 山上臣憶良の追(お)ひて和(こた)へたる謌一首
集歌145 鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武
訓読 鳥(とり)翔(かけ)り成(あ)り通(かよ)ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
私訳 皇子の生まれ変わりの鳥が飛び翔けて行く。しっかり見たいと目を凝らして見ても、人も神も何があったかは知らない。ただ、松の木が見届けただけだ。
右件歌等、雖不挽柩之時所作、唯擬歌意。故以載于挽歌類焉。
注訓 右の件の歌どもは、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く時に作る所にあらずといへども、、唯、歌の意(こころ)に擬(なぞら)ふ。故以(ゆゑ)に挽歌の類(たぐひ)に載す。


<例歌 六>
移葬大津皇子屍於葛城二上山之時、大来皇女哀傷御作謌二首
標訓 大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬(はふ)りし時に、大来皇女の哀(かな)しび傷(いた)みて御(かた)りて作(つく)らしし歌二首
集歌165 宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 汝背登吾将見
試訓 現世の人にある吾や明日よりは二上山を汝背と吾が見む
試訳 もう二度と会えないならば、今を生きている私は明日からは毎日見ることが出来るあの二上山を愛しい大和に住む貴方と思って私は見ましょう。

集歌166 礒之於尓 生流馬酔木 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓 
試訓 磯し上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君し在りと言はなくに
試訳 貴方が住む大和から流れてくる大和川の岸の上に生える馬酔木の白い花を手折って見せたいと思う。以前のように見せる貴方はもうここにはいないのだけど。
右一首今案、不似移葬之歌。盖疑、従伊勢神宮還京之時、路上見花感傷哀咽作此歌乎。
注訓 右の一首は今(いま)案(かむが)ふるに、移し葬(はふ)れる歌に似ず。けだし疑はくは、伊勢の神宮(かむみや)より京(みやこ)に還りし時に、路の上(ほとり)に花を見て感傷(かんしょう)哀咽(あいえつ)してこの歌を作れるか。


 今回は、歌の背景の説明は端折りました。どのように弊ブログで解釈し、「今案不似反謌也」や「今案不似和謌」と云うものへの回答は、それぞれの歌の鑑賞で示しています。また、単純ではないものについては、「万葉集の歴史を推理する」という読み物を公表していますので参照を願います。
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