資料編 文帝誄 (曹植)
柿本人麻呂が詠う挽歌には、それ以前に行われていた舒明天皇の殯の様子、天武天皇の殯宮の様子や『日本書紀』でのそれらの葬送儀礼への記載を参考にしますと、詠う挽歌のその整った形式美を踏まえると、時に、文帝誄(曹植)の影響があるとします。ここではその参考資料として文帝誄の原文とその訓読みを紹介します。
追記して、ご存知のように柿本人麻呂の時代、平仮名も片仮名もまだ存在しません。その時代の人は大唐からの漢詩漢文を直接に読解しなければなりませんでしたし、大和言葉に翻訳した書籍は存在しません。従いまして、柿本人麻呂の時代人たちは以下に紹介するものをそのままに受容していたことを再確認してください。万葉集に関する解説書を見ますと、このような文化的背景を知らない、無視したものが時に存在します。そのような学問的な背景がありますから、極力、そのようなものを排除するために調べた資料は公開するようにしております。
なお、いつものことですが、正規の教育を受けていないものの作業です。そのため、漢文の句読点の位置が一般的なものとは違っておりますし、それに合わせて訓じも違っております。従いまして、ここでのものは読み流し程度でのものとして扱い、引用には向かないことをご了承下さい。
<原文>
文帝誄 (藝文類聚-巻第十三、魏文帝の項より) 曹植(曹子建)
魏陳王曹植文帝誄曰、
天震地駭、崩山隕霜。陽精薄景、五緯錯行。
哀殊喪考、思慕過唐。擗踴郊野、仰愬穹蒼。
考諸先紀、尋之哲言。生若浮寄、徳貴長伝。
朝聞夕逝、死志所存。皇雖殪没、天禄永延。
何以述徳、表之素旃。何以詠功、宣之管絃。
乃作誄曰、
元光幽昧、道究運遷。乾迴暦数、簡聖授賢。
乃眷大行、属以黎元。龍飛践祚、合契上玄。
五行定紀、改号革年。明明赫赫、授命自天。
風偃物化、徳以礼宣。詳惟聖質、岐嶷幼齢。
研機六典、学不過庭。潜心無内、抗志高明。
才秀藻朗、如玉如瑩。聴察無響、視睹未形。
其剛如金、其勁如瓊。如冰之潔、如砥之平。
爵功無重、戮違無軽。心鏡万機、鑑照下情。
宅土之中、率民以漸。道義是図、弗営厥険。
六合通同、斉契共検。導下以純、民由樸倹。
紼冕崇麗、衡紞惟新。尊肅礼容、瞻之若神。
方牧妙挙、欽於恤民。虎将荷節、鎮彼四隣。
朱旗所勦、九壤披震。疇克不若、孰敢不臣。
懸旌海表、万里無塵。回回凱風、祁祁甘雨。
稼惟歳豊、登我稷黍。家佩恵君、戸蒙慈父。
在位七載、九功仍挙。将承太和、絶跡三五。
宜作物師、長為神主。壽終金石、等算東父。
如何奄忽、摧身后土。俾我焭焭、靡瞻靡顧。
嗟嗟皇穹、胡寧忍予。明鑑吉凶、体達存亡。
深垂典制、申之嗣皇。聖上虔奉、是順是将。
乃啓玄宇、基于首陽。擬跡穀林、追堯纂唐。
合山同阪、不樹不疆。塗車蒭霊、珠玉靡蔵。
百神警侍、賓于幽堂。
於是、
侯大隧之致功、陳元辰之叔禎。
潜華体於梓宮、憑正殿以居霊。
悼晏駕之既俟、感容車之速征。
浮飛魂於軽霄、就黄墟以蔵形。
背三光之昭晰、帰窀穸之冥冥。
嗟一往之不返、痛閟闥之長扃。
<訓読>
魏陳王曹植の文帝に誄(るい)して曰く、
天は震え地は駭(おどろ)き、山は崩れ霜は隕(お)つ。陽精は薄景し、五緯は錯行す。
哀しみは殊(ことさら)に考(ちち)を喪い、思慕は唐を過ぐ。郊野に擗踴(へきよう)し、蒼穹を仰ぎて愬う。
諸(これ)を先紀に考(かむが)み、之の哲言を尋ぬる。生は浮寄の若く、徳貴は長く伝わりぬ。
朝に聞き夕に逝けども、死して志は所存すと。皇と雖(いへど)も殪(たお)れ没せとも、天禄は永延なり。
何を以って徳を述べ、之を素旃(そせん)に表わさん。何を以って功を詠み、之を管絃に宣べん。
乃(すなは)ち誄を作りて曰く、
元(はじ)め光は幽昧にして、道は究(きわ)まり運は遷り、乾の暦の数(わざ)を迴らせ、聖を簡(えら)びて賢に授く。
乃ち大行を眷(かえり)み、黎元を以って属す。龍飛(りゅうひ)して践祚(せんそ)し、上玄に合契す。
五行の紀を定め、改号し革(あらた)める年とす。明明(めいめい)赫赫(かくかく)とし、天命を自らに授く。
風を偃(ふ)して物と化(な)し、徳を以って礼を宣ぶ。惟れ聖質を詳しくし、嶷(ぎょく)は幼齢に岐(ひい)でる。
六典を研機し、学は庭に過ぎざる。心を潜ませ内を無(む)にし、志を高明に抗う。
才は秀で藻は朗かに、玉の如く瑩の如し。響(こえ)無きを聴きて察し、未だ形(あら)われざるを視睹す。
其の剛は金の如く、其の勁は瓊(たま)の如く、之の潔きは氷の如く、之の平らなるは砥(といし)の如し。
功を爵すに重きこと無く、違を戮するに軽きこと無し。心鏡(しんきょう)万機(まんき)、下情を鑑り照らす。
之の宅土の中、民を率ひて以って漸(すす)む。道義の是れを図り、厥(そ)の険を営せず。
六合を同じく通じ、斉(ひと)しく契り共に検(はか)らむ。下を導き以って純にし、民に由(なお)のこと倹樸す。
冕を紼(はら)ひて麗(れい)を崇(あが)め、紞して衡を惟れ新しむ。礼容を尊び肅み、之を瞻れば神の若し。
方牧(ほうぼく)を妙挙し、民を恤(あわれ)むを欽(うや)まふ。虎将は節を荷い、彼(か)の四隣を鎮む。
朱旗の勦(ほろぼ)す所、九壤は披震す。疇(たれ)か克く若(したが)わず、孰(たれ)か敢えて臣たらざらむ。
旌(はた)を海表に懸(かか)げば、万里に塵は無し。凱風は回回とし、甘雨は祁祁(きき)とす。
稼(みのり)は惟れ豊かに歳(めぐ)り、稷黍は我に登(みの)る。家は君の恵みを佩び、戸は慈父を蒙(こほむ)る。
在位すること七載、九功は仍(しき)りに挙ぐ。将(まさ)に太和を承り、跡を三五に絶つ。
宜しく作物を師し、長く神主を為す。壽は金石を終え、算を東父に等しくす。
如何ぞ奄忽(たちまち)に、身を后土(こうど)に摧(ほろぼ)し、我の焭焭(けいけい)たるを俾(いや)み、瞻(まば)るに靡き顧(み)るに靡く。
嗟嗟、皇穹よ、胡(なん)ぞ予寧(よねい)に忍(たへ)る。明は吉凶を鑑み、体は存亡に達す。
深く典制を垂れ、之を嗣皇に申す。聖上は虔(つつし)んで奉じ、是に順じ是に将(したが)う。
乃ち玄宇(げんう)を啓(ひら)き、基を陽に首(さら)す。跡を穀林に擬し、堯を追い唐を簒(ねら)う。
山に合(おな)じくし阪に同じくし、樹せず疆せず。塗車蒭霊、珠玉を蔵(しま)わず。
百神は警(そな)え侍り、幽堂に賓す。
是に於いて、
侯(きみ)の大隧(たいすい)を致功し、之の元辰(げんしん)の叔禎を陳(しめ)す。
華体を梓宮に於いて潜(かく)し、正殿に憑りて以って霊と居す。
晏駕(あんが)の既に俟(はや)きを悼み、之の容車(ようしゃ)の速く征くを感ず。
飛魂を軽霄(けいそう)に浮かべ、黄墟(こうきょ)に就いて以って蔵と形す。
三光の昭晰(しょうせき)に背き、窀穸(ちゅんせき)の冥冥たるに帰す。
一たび往きて返らざるを嗟(なげ)き、閟闥(ひたつ)の長く扃(とざ)すを痛む。
柿本人麻呂が詠う挽歌には、それ以前に行われていた舒明天皇の殯の様子、天武天皇の殯宮の様子や『日本書紀』でのそれらの葬送儀礼への記載を参考にしますと、詠う挽歌のその整った形式美を踏まえると、時に、文帝誄(曹植)の影響があるとします。ここではその参考資料として文帝誄の原文とその訓読みを紹介します。
追記して、ご存知のように柿本人麻呂の時代、平仮名も片仮名もまだ存在しません。その時代の人は大唐からの漢詩漢文を直接に読解しなければなりませんでしたし、大和言葉に翻訳した書籍は存在しません。従いまして、柿本人麻呂の時代人たちは以下に紹介するものをそのままに受容していたことを再確認してください。万葉集に関する解説書を見ますと、このような文化的背景を知らない、無視したものが時に存在します。そのような学問的な背景がありますから、極力、そのようなものを排除するために調べた資料は公開するようにしております。
なお、いつものことですが、正規の教育を受けていないものの作業です。そのため、漢文の句読点の位置が一般的なものとは違っておりますし、それに合わせて訓じも違っております。従いまして、ここでのものは読み流し程度でのものとして扱い、引用には向かないことをご了承下さい。
<原文>
文帝誄 (藝文類聚-巻第十三、魏文帝の項より) 曹植(曹子建)
魏陳王曹植文帝誄曰、
天震地駭、崩山隕霜。陽精薄景、五緯錯行。
哀殊喪考、思慕過唐。擗踴郊野、仰愬穹蒼。
考諸先紀、尋之哲言。生若浮寄、徳貴長伝。
朝聞夕逝、死志所存。皇雖殪没、天禄永延。
何以述徳、表之素旃。何以詠功、宣之管絃。
乃作誄曰、
元光幽昧、道究運遷。乾迴暦数、簡聖授賢。
乃眷大行、属以黎元。龍飛践祚、合契上玄。
五行定紀、改号革年。明明赫赫、授命自天。
風偃物化、徳以礼宣。詳惟聖質、岐嶷幼齢。
研機六典、学不過庭。潜心無内、抗志高明。
才秀藻朗、如玉如瑩。聴察無響、視睹未形。
其剛如金、其勁如瓊。如冰之潔、如砥之平。
爵功無重、戮違無軽。心鏡万機、鑑照下情。
宅土之中、率民以漸。道義是図、弗営厥険。
六合通同、斉契共検。導下以純、民由樸倹。
紼冕崇麗、衡紞惟新。尊肅礼容、瞻之若神。
方牧妙挙、欽於恤民。虎将荷節、鎮彼四隣。
朱旗所勦、九壤披震。疇克不若、孰敢不臣。
懸旌海表、万里無塵。回回凱風、祁祁甘雨。
稼惟歳豊、登我稷黍。家佩恵君、戸蒙慈父。
在位七載、九功仍挙。将承太和、絶跡三五。
宜作物師、長為神主。壽終金石、等算東父。
如何奄忽、摧身后土。俾我焭焭、靡瞻靡顧。
嗟嗟皇穹、胡寧忍予。明鑑吉凶、体達存亡。
深垂典制、申之嗣皇。聖上虔奉、是順是将。
乃啓玄宇、基于首陽。擬跡穀林、追堯纂唐。
合山同阪、不樹不疆。塗車蒭霊、珠玉靡蔵。
百神警侍、賓于幽堂。
於是、
侯大隧之致功、陳元辰之叔禎。
潜華体於梓宮、憑正殿以居霊。
悼晏駕之既俟、感容車之速征。
浮飛魂於軽霄、就黄墟以蔵形。
背三光之昭晰、帰窀穸之冥冥。
嗟一往之不返、痛閟闥之長扃。
<訓読>
魏陳王曹植の文帝に誄(るい)して曰く、
天は震え地は駭(おどろ)き、山は崩れ霜は隕(お)つ。陽精は薄景し、五緯は錯行す。
哀しみは殊(ことさら)に考(ちち)を喪い、思慕は唐を過ぐ。郊野に擗踴(へきよう)し、蒼穹を仰ぎて愬う。
諸(これ)を先紀に考(かむが)み、之の哲言を尋ぬる。生は浮寄の若く、徳貴は長く伝わりぬ。
朝に聞き夕に逝けども、死して志は所存すと。皇と雖(いへど)も殪(たお)れ没せとも、天禄は永延なり。
何を以って徳を述べ、之を素旃(そせん)に表わさん。何を以って功を詠み、之を管絃に宣べん。
乃(すなは)ち誄を作りて曰く、
元(はじ)め光は幽昧にして、道は究(きわ)まり運は遷り、乾の暦の数(わざ)を迴らせ、聖を簡(えら)びて賢に授く。
乃ち大行を眷(かえり)み、黎元を以って属す。龍飛(りゅうひ)して践祚(せんそ)し、上玄に合契す。
五行の紀を定め、改号し革(あらた)める年とす。明明(めいめい)赫赫(かくかく)とし、天命を自らに授く。
風を偃(ふ)して物と化(な)し、徳を以って礼を宣ぶ。惟れ聖質を詳しくし、嶷(ぎょく)は幼齢に岐(ひい)でる。
六典を研機し、学は庭に過ぎざる。心を潜ませ内を無(む)にし、志を高明に抗う。
才は秀で藻は朗かに、玉の如く瑩の如し。響(こえ)無きを聴きて察し、未だ形(あら)われざるを視睹す。
其の剛は金の如く、其の勁は瓊(たま)の如く、之の潔きは氷の如く、之の平らなるは砥(といし)の如し。
功を爵すに重きこと無く、違を戮するに軽きこと無し。心鏡(しんきょう)万機(まんき)、下情を鑑り照らす。
之の宅土の中、民を率ひて以って漸(すす)む。道義の是れを図り、厥(そ)の険を営せず。
六合を同じく通じ、斉(ひと)しく契り共に検(はか)らむ。下を導き以って純にし、民に由(なお)のこと倹樸す。
冕を紼(はら)ひて麗(れい)を崇(あが)め、紞して衡を惟れ新しむ。礼容を尊び肅み、之を瞻れば神の若し。
方牧(ほうぼく)を妙挙し、民を恤(あわれ)むを欽(うや)まふ。虎将は節を荷い、彼(か)の四隣を鎮む。
朱旗の勦(ほろぼ)す所、九壤は披震す。疇(たれ)か克く若(したが)わず、孰(たれ)か敢えて臣たらざらむ。
旌(はた)を海表に懸(かか)げば、万里に塵は無し。凱風は回回とし、甘雨は祁祁(きき)とす。
稼(みのり)は惟れ豊かに歳(めぐ)り、稷黍は我に登(みの)る。家は君の恵みを佩び、戸は慈父を蒙(こほむ)る。
在位すること七載、九功は仍(しき)りに挙ぐ。将(まさ)に太和を承り、跡を三五に絶つ。
宜しく作物を師し、長く神主を為す。壽は金石を終え、算を東父に等しくす。
如何ぞ奄忽(たちまち)に、身を后土(こうど)に摧(ほろぼ)し、我の焭焭(けいけい)たるを俾(いや)み、瞻(まば)るに靡き顧(み)るに靡く。
嗟嗟、皇穹よ、胡(なん)ぞ予寧(よねい)に忍(たへ)る。明は吉凶を鑑み、体は存亡に達す。
深く典制を垂れ、之を嗣皇に申す。聖上は虔(つつし)んで奉じ、是に順じ是に将(したが)う。
乃ち玄宇(げんう)を啓(ひら)き、基を陽に首(さら)す。跡を穀林に擬し、堯を追い唐を簒(ねら)う。
山に合(おな)じくし阪に同じくし、樹せず疆せず。塗車蒭霊、珠玉を蔵(しま)わず。
百神は警(そな)え侍り、幽堂に賓す。
是に於いて、
侯(きみ)の大隧(たいすい)を致功し、之の元辰(げんしん)の叔禎を陳(しめ)す。
華体を梓宮に於いて潜(かく)し、正殿に憑りて以って霊と居す。
晏駕(あんが)の既に俟(はや)きを悼み、之の容車(ようしゃ)の速く征くを感ず。
飛魂を軽霄(けいそう)に浮かべ、黄墟(こうきょ)に就いて以って蔵と形す。
三光の昭晰(しょうせき)に背き、窀穸(ちゅんせき)の冥冥たるに帰す。
一たび往きて返らざるを嗟(なげ)き、閟闥(ひたつ)の長く扃(とざ)すを痛む。