竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

資料編 楊朱 原文並びに訓読 下

2021年03月13日 | 資料書庫
資料編 楊朱 原文並びに訓読

列子 巻第二 黃帝 第十五章
楊朱南之沛、老聃西遊於秦。邀於郊。至梁而遇老子。老子中道仰天而歎曰、始以汝為可教、今不可教也。楊子不荅。至舍、進涫漱巾櫛、脱履戸外、膝行而前曰、向者夫子仰天而歎曰、始以汝為可教、今不可教。弟子欲請夫子辭、行不閒、是以不敢。今夫子閒矣、請問其過。老子曰、而睢睢、而盱盱、而誰與居。大白若辱、盛德若不足。楊朱蹴然變容曰、敬聞命矣。其往也、舍迎將、家公執席、妻執巾櫛、舍者避席、煬者避竈。其反也、舍者與之争席矣。

楊朱は南して沛に之(ゆ)く、老聃(ろうたん)は西して秦に遊ぶ。郊(こう)に邀(むか)へむとす。梁に至り而して老子に遇ふ。老子は道の中ばにして天を仰ぎて而して歎じて曰く、始め汝を以つて教ふる可しと為せり、今、教ふるは可からず。楊子は荅へず。舍に至り、涫漱(かんそう)巾櫛(きんしつ)を進め、履を戸外に脱ぎ、膝行して而る前(すす)みて曰く、向には夫子、天を仰ぎて而して歎じて曰く、始め汝を以つて教ふる可くをなすも、今は教ふる可からず。弟子は夫子に請ふを欲し、辭行(じこう)するも閒(ひま)あらず、是を以つて敢てせず。今は夫子は閒(ひま)ならむ、請ふ、其の過ちを問はむ。老子の曰く、而(なんじ)、睢睢(きき)たり、而(なんじ)、盱盱(くく)たり、而(なんじ)、誰と與に居らむ。大白(たいはく)は辱(けが)れたるが若(ごと)く、盛德(せいとく)は足らざるが若し。楊朱は蹴然(しゅくぜん)として容(かたち)を變へて曰く、敬(つつし)みて命(おしへ)を聞くのみ。
其の往くや、舍(やど)る者は迎將し、家公は席を執り、妻は巾櫛(きんしつ)を執り、舍る者は席を避け、煬(かわか)する者は竈を避けたり。其の反(かへ)るや、舍(やど)る者は之と席を争へり。


列子 巻第二 黃帝 第十六章
楊朱過宋、東之於逆旅。逆旅人有妾二人、其一人美、其一人悪。悪者貴而美者賤。楊子問其故。逆旅小子對曰、其美者自美、吾不知其美也。其悪者自悪、吾不知其悪也。楊子曰、弟子記之。行賢而去自賢之行、安往而不愛哉。

楊朱は宋を過ぎ、東に之(ゆ)きて逆旅(やど)る。逆旅の人、妾二人有り、其の一人は美(よ)し、其の一人は悪(あ)し。悪しなる者は貴にして而に美しなる者は賤なり。楊子は其の故を問ふ。逆旅の小子の對へて曰く、其の美(よ)しなる者は自ら美しとするも、吾は其の美しを知らず。其の悪(あ)しなる者は自ら悪しとするも、吾は其の悪しを知らず。楊子の曰く、弟子、之を記るせ。賢を行ふは而して自ら賢とする行ひを去らば、安(いず)くに往くとして而して愛されざらむや。


列子 巻第三 周穆王 第十一章
秦人逢氏有子、少而惠、及壯而有迷罔之疾。聞歌以為哭、視白以為黒、饗香以為朽、常甘以為苦、行非以為是。意之所之、天地四方水火寒暑、無不倒錯者焉。
楊氏告其父曰、魯之君子多術藝、將能已乎。汝奚不訪焉。其父之魯、過陳、遇老聃、因告其子之證。
老聃曰、汝庸知汝子之迷乎。今天下之人、皆惑於是非、昏於利害。同疾者多、固莫有覚者。且一身之迷、不足傾一家。一家之迷、不足傾一郷。一郷之迷、不足傾一國。一國之迷、不足傾天下。天下盡迷、孰傾之哉。向使天下之人、其心盡如汝子、汝則反迷矣。哀楽聲色臭味是非、孰能正之。且吾之此言未必非迷、而況魯之君子、迷之郵者、焉能解人之迷哉。栄汝之糧、不若遄歸也。

秦の人の逢(ほう)氏に子が有り、少にして而(ま)た惠、壯に及びて而(しかる)に迷罔(めいぼう)の疾は有り。歌を聞きて以つて哭き、白を視て以つて黒と為し、饗香(きょうこう)を以つて朽と為し、常甘(じょうかん)を以つて苦と為し、非を行うも以つて是と為す。意の之(ゆ)く所、天地四方水火寒暑、倒錯せざるは無し。
楊氏は其の父に告げて曰く、魯の君子に術藝は多し、將に能く已(や)まむや。汝は奚(なむ)ぞ訪ねざらむや。其の父は魯に之(ゆ)き、陳を過ぎ、老聃(ろうたん)に遇ひ、因りて其の子の證(さま)を告げる。
老聃の曰く、汝は庸(なむ)ぞ汝の子の迷ひを知らむや。今、天下の人、皆、是非に迷ひ、利害に昏(くら)む。疾(やまひ)を同じくする者は多く、固(もとよ)り覚りを有する者は莫し。且つ一身の迷ひ、一家を傾けるに足らず。一家の迷ひ、一郷を傾けるに足らず。一郷の迷ひ、一國を傾けるに足らず。一國の迷ひ、天下を傾けるに足らず。天下が盡(ことごと)く迷はば、孰(たれ)か之を傾(ただ)さむ。向使(もし)、天下の人をして、其の心を盡(ことごと)く汝の子の如くならしめば、汝は則ち反つて迷へるなり。哀楽・聲色・臭味・是非、孰(たれ)か能く之を正(ただ)さむ。且つ吾の此の言は未だ必ずしも迷ひに非ずんばあらず、而して況や魯の君子、之の郵(よりべ)を迷ふ者、焉(いずく)むぞ能く人の迷ひを解かむや。汝の糧を栄(にな)ひ、若(なむ)ぞ遄(すみや)かに歸らざらむや。


列子 巻第四 仲尼 第九章
無所由而常生者道也。由生而生、故雖終而不亡、常也。由生而亡、不幸也。有所由而常死者、亦道也。由死而死、故雖未終而自亡者、亦常。由死而生、幸也。故無用而生謂之道、用道得終謂之常。有所用而死者、亦謂之道、用道而得死者、亦謂之常。
季梁之死、楊朱望其門而歌。隨梧之死、楊朱撫其尸而哭。隸人之生、隸人之死。衆人且歌、衆人且哭。

由(よ)る所の無くして而して常に生くるものは道なり。生に由りて而して生き、故に終ると雖も而に亡(う)せずは、常なり。生に由りて而に亡せるは、不幸なり。由る所有りて而に常に死(う)せるものは、亦た道なり。死(う)すことに由りて而た死(う)せ、故に未だ終らずと雖ども而た自ら亡(う)せるものは、亦た常なり。死すことに由りて而た生くるは、幸なり。故に用ふる無くして而た生くるは、之を道と謂ひ、道を用ひて終るを得るは、之を常と謂ふ。用ふる所有りて而た死(う)せるものは、亦た之を道と謂ひ、道を用いて而た死(う)するを得るものは、亦た之を常と謂ふ。
季梁が死(う)せ、楊朱は其の門を望みて而して歌ふ。隨(まにま)に之の死(う)せるを梧り、楊朱は其の尸(かばね)を撫で而して哭く。人は生の隸(しもべ)にして、人は死の隸(しもべ)なり。衆人は且だ歌ふのみ、衆人は且だ哭くのみ。


列子 巻第六 力命篇 第六章
楊朱之友曰季梁。季梁得疾、十日大漸。其子環而泣之、請医。季梁謂楊朱曰、吾子不肖如此之甚、汝奚不為我歌以曉之。楊朱歌曰、天其弗識、人胡能覚。匪祐自天、弗孽由人。我乎汝乎。其弗知乎。医乎巫乎。其知之乎。其子弗曉終謁三医。一曰矯氏、二曰俞氏、三曰盧氏。
診其所疾、矯氏謂季梁曰、汝寒溫不節、虛實失度、病由飢飽色欲、精慮煩散。非天非鬼、雖漸、可攻也。季梁曰、衆医也、亟屏之。
俞氏曰、女始則胎氣不足、乳湩有餘。病非一朝一夕之故、其所由来漸矣、弗可已也。季梁曰、良医也、且食之。
盧氏曰、汝疾不由天、亦不由人、亦不由鬼。稟生受形、既有制之者矣、亦有知之者矣。薬石其如汝何。季梁曰、神医也、重貺遣之。俄而季梁之疾自瘳。

楊朱の友を季梁(きりょう)と曰ふ。季梁は疾(やまひ)を得て、十日にして大いに漸(すす)む。其の子は環(めぐ)りて而して之を泣き、医を請ふ。季梁、楊朱に謂いて曰く、吾が子の不肖なること此の如く、甚だし。汝(なんじ)、奚(なむ)ぞ我が為に歌いて以つて之を曉(さと)さざる。楊朱は歌ひて曰く、天、其を識らず、人は胡(なむ)ぞ能く覚らむ。祐(さいわい)すること天よりするに匪(あら)ず、孽(わざわひ)すること人に由(よ)ることあらず。我と汝と、其を知らずや。医と巫と、其は之を知らむや。其の子は曉(さと)らずて、終(つい)に三医を謁(こ)ふ。一曰く矯氏、二曰く俞氏、三曰く盧氏。
其の疾む所を診(み)て、矯氏は季梁に謂いて曰く、汝、寒溫は節あらず、虛實は度を失ふ、病は飢飽色欲、精慮の煩散せるに由る。天に非ず鬼に非ず、雖だ漸(すす)めりといへども、攻(おさ)む可きなり。季梁の曰く、衆医なり、亟(すみ)やかに之を屏(しりぞ)けよ。
俞氏の曰く、女(なんじ)、始めは則ち胎氣(たいき)は足らず、乳湩(にゅうしょう)に餘り有り。病は一朝一夕の故に非ず、其の由来する所は漸(ひさ)し、已む可からず。季梁の曰く、良医なり、且(しばら)く之を食(く)はせ。
盧氏の曰く、汝、疾(やまひ)は天に由らず、亦た人に由らず、亦た鬼に由らず。生を稟(う)け形を受けてより、既に之を制するもの有り、亦た之を知るもの有り。薬石、其の如く汝を何(いか)にせむ。季梁の曰く、神医なり、重く貺(おく)りて之を遣(つか)はせ。俄(にわか)にして而して季梁の之の疾(やまひ)は自ら瘳(い)ゆ。


列子 巻第六 力命篇 第八章
楊布問曰、有人於此、年兄弟也、言兄弟也、才兄弟也、貌兄弟也、而壽夭父子也、貴賤父子也、名譽父子也、愛憎父子也。吾惑之。
楊子曰、古之人有言、吾嘗識之、將以告若。不知所以然而然、命也。今昏昏昧昧、紛紛若若、隨所為、隨所不為。日去日来、孰能知其故。皆命也。夫信命者亡壽夭、信理者亡是非、信心者亡逆順信性者亡安危。則謂之都亡所信、亡所不信。真矣、愨矣、奚去奚就。奚哀奚楽。奚為奚不為。
黃帝之書云、至人居若死、動若械。亦不知所以居、亦不知所以不居、亦不知所以動、亦不知所以不動。亦不以衆人之觀易其情貌、亦不謂衆人之不觀不易其情貌。獨往獨来、獨出獨入、孰能礙之。

楊布(ようふ)の問ひて曰く、北に人有り、年は兄弟なり、言は兄弟なり、才は兄弟なり、貌は兄弟なり、而た壽夭は父子なり、貴賤は父子なり、名譽は父子なり、愛憎は父子なり。吾は之を惑ふ。
楊子の曰く、古の人に言有り、吾は嘗(か)つて之を識る、將に以つて若(なんじ)に告げむ。以つて然する所を知らずして而た然なり、命なり。今、昏昏昧昧、紛紛若若にして、隨(まにま)に為す所、隨に為さざる所。日に去り日に来り、孰か能く其の故を知らむ。皆、命なり。夫の命を信じる者に壽夭は亡(な)し、理を信じる者に是非は亡し、心を信じる者に逆順は亡し、性を信じる者に安危は亡し。則ち之、都(ことごと)く信じる所は亡く、信じざる所を亡しと謂ふ。真(まこと)なり、愨(まこと)なり、奚(なむ)を去り、奚に就かむ。奚を哀しみ、奚に楽まむ。奚を為さむ、奚に為さざらむ。
黃帝の書に云く、至人は居るに死せるが若(ごと)く、動くに械(かせ)の若(ごと)き。亦た居る所以(ゆえん)を知らず、亦た居らざる所以を知らず、亦た動く所以を知らず、亦た動かざる所以を知らずなり。亦た衆人の觀るを以つて其を情貌を易へず、亦た衆人の觀ざるを謂(おも)ひて其の情貌を易へずんばあらず。獨り往き獨り来たる、獨り出で獨り入る、孰か能く之を礙(さまた)げむ。


列子 卷第八 符篇 第二十三章
楊朱曰、利出者實及、怨往者害来。發於此而應於外者唯請、是故賢者慎所出。

楊朱の曰く、利に出ずる者に實(もこと)は及び、怨に往むく者に害(わざわい)は来たる。此に發し而して外に應じる者は唯だ請ひ、是の故に賢者は出ずる所を慎む。


列子 卷第八 符篇 第二十四章
楊子之鄰人亡羊。既率其黨、又請楊子之豎追之。楊子曰、嘻、亡一羊何追者之衆。鄰人曰、多岐路。既反。問、獲羊乎。曰、亡之矣。曰、奚亡之。曰、岐路之中又有岐焉。吾不知所之、所以反也。楊子戚然変容、不言者移時、不笑者竟日。
門人怪之、請曰、羊賤畜、又非夫子之有、而損言笑者何哉。揚子不荅。門人不獲所命。弟子孟孫陽出、以告心都子。心都子他日與孟孫陽偕入而問曰、昔有昆弟三人、游齊、魯之閒、同師而学、進仁義之道而歸。其父曰、仁義之道若何。伯曰、仁義使我愛身而後名。仲曰、仁義使我殺身以成名。叔曰、仁義使我身名並全。彼三術相反、而同出於儒。孰是孰非邪。
楊子曰、人有濱河而居者、習於水、勇於泅、操舟鬻渡、利供百口、裹糧就学者成徒、而溺死者幾半。本学泅不学溺、而利害如此。若以為孰是孰非。心都子嘿然而出。孟孫陽讓之曰、何吾子問之迂、夫子荅之僻。吾惑愈甚。
心都子曰、大道以多岐亡羊、学者以多方喪生。学非本不同、非本不一、而末異若是。唯歸同反一、為亡得喪。子長先生之門、習先生之道、而不達先生之況也、哀哉。

楊子の鄰人、羊を亡(うしな)ふ。既に其の黨を率ひ、又た楊子の豎(じゅ)を請ひて之を追ふ。楊子の曰く、嘻(ああ)、一羊を亡(うしな)ふに何ぞ追ふ者の衆(おお)きや。鄰人の曰く、岐路は多し。既にして反る。問ひて、羊を獲たりや。曰く、之を亡(うしな)へり。曰く、奚ぞ之を亡へり。曰く、岐路の中に又た岐有り。吾は之(ゆ)く所を知らず、反(かへ)れる所以(ゆえん)なり。楊子は戚然として容を変じ、言ざること時を移し、笑わざること日を竟(わた)る。
門人は之を怪み、請ひて曰く、羊は賤畜なり、又た夫子の有(もの)に非ず、而(しかる)に言笑を損ふものは何ぞや。揚子は荅へず。門人は命(おしへ)る所を獲ず。弟子の孟(もう)孫陽(そんよう)、出でて、以つて心(しん)都子(とし)に告ぐ。心都子、他日に孟孫陽と偕(とも)に入りて而して問いて曰く、昔、昆弟三人有り、齊、魯の閒に游び、師を同じくして而して学び、仁義の道を進め而(しかる)に歸る。其の父は曰く、仁義の道、若何(いかん)。伯の曰く、仁義は我をして身を愛し而して名を後と使しむ。仲の曰く、仁義は我をして身を殺し以つて名を成さ使しむ。叔の曰く、仁義は我をして身と名を並びて全(まった)くから使しむ。彼の三術は相ひ反し、而(しかる)に同じく儒に出ず。孰(いず)れか是、孰れか非なるや。
楊子の曰く、人、河の濱(はま)に而して居る者有り、水を習ひて、泅(およ)ぎに勇なり、舟を操りて渡しを鬻(ひさ)ぎ、利は百口を供す。糧を裹(つつ)み学に就く者、徒を成すも、而(しかる)に溺死する者は幾(ほとん)ど半なり。本、泅ぐことを学びて溺るることを学ばざるに、而に利害は此の如し。若(なんじ)、以つて孰(いず)れか是、孰れか非と為すや。
心都子、嘿然(もくぜん)として而して出ず。孟孫陽、之を讓(せめ)めて曰く、何ぞ吾が子に問ふこと、迂(う)なるや、夫子の荅(こた)ふること、僻(へき)なるや。吾の惑ひ、愈(いよい)よ甚(はなはだ)し。心都子の曰く、大道は多岐なるを以つて羊を亡ひ、学ぶ者は多方を以つて生を喪ふ。学、本より同じからざるに非ず、本より一にあらざるに非ず、而(しかる)に末の異なるは是の若し。唯だ同に歸し一に反(かへ)れば、得喪は亡(な)しと為る。子、先生の門に長し、先生の道に習ふも、而(しかる)に先生の況(ありさま)に達せず、哀しいかな。


列子 卷第八 符篇 第二十五章
楊朱之弟曰布、衣素衣而出。天雨、解素衣、衣緇衣而反。其狗不知、迎而吠之。楊布怒將扑之。楊朱曰、子無扑矣。子亦猶是也。嚮者使汝狗白而往黒而来、豈能無怪哉。

楊朱の弟を曰く布(ふ)、素衣(そい)を衣(き)て而して出づ。天雨(あめ)なり、素衣を解き、緇衣(しい)を衣て而して反る。其の狗は知らず、迎えて而して之を吠える。楊布は怒りて將に之を扑(う)たむとす。楊朱の曰く、子は扑つことは無からむ。子は亦た猶ほ是とせよ。嚮(さき)に汝は狗に白として而(しかる)に往き、黒として而(しかる)に来り使しむ、豈に能く怪しむことなからむや。


列子 卷第八 符篇 第二十六章
楊朱曰、行善不以為名、而名従之。名不與利期、而利歸之。利不與争期、而争及之。故君子必慎為善。

楊朱の曰く、善を行うは以つて名の為にせず、而(しか)るに名は之に従ふ。名は與に利を期せず、而(しか)るに利は之に歸す。利は與に争ふを期せず、而(しか)るに争は之に及ぶ。故に君子は必ず善を為すを慎む。


【参考資料】
『列子』以外にも、楊朱(楊子)については『孟子』、『荘子』、『荀子』、『韓非子』に資料がありますので、以下にそれを紹介します。

孟子 盡心上篇より
孟子曰、楊子取為我、拔一毛而利天下不為也。墨子兼愛。摩頂放踵利天下、為之。子莫執中、執中為近之、執中無権、猶執一也。所悪執一者、為其賊道也、挙一而廢百也。

孟子の曰く、楊子は我(おのれ)の為を取り、一毛を拔き而して天下を利することも為さず。墨子は兼愛し、頂(あたま)を摩(すりへ)らし踵(きびす)を放じても天下の利、之を為す。子莫は中を執り、中を執るは之に近しと為すも、中を執りて権(はか)ることなければ、猶ほ一を執るがごとし。一を執るを悪(にく)む所は、其の道を賊(そこな)うが為なり、一を挙げて而して百を廢するなり。


荘子 內篇 應帝王より
陽子居見老聃曰、有人於此、嚮疾強梁、物徹疏明、学道不倦。如是者、可比明王乎。老聃曰、是於聖人也、胥易技係、労形怵心者也。且也虎豹之文来田、猿狙之便、執嫠之狗来藉。如是者、可比明王乎。陽子居蹴然曰、敢問明王之治。老聃曰、明王之治、功蓋天下而似不自己、化貸萬物而民弗恃。有莫挙名、使物自喜、立乎不測、而遊於無有者也。

陽子居の老聃に見えて曰く、此に人有り、嚮疾強梁、物徹疏明、道を学びて倦まず。是の如くの者は、明王に比す可きか。老聃の曰く、是は聖人に於けるや、胥易技係、形を労し心を怵(おそ)しむる者なり。且つ虎豹の文は田(かり)を来たし、猿狙(えんそ)の便(びん)、嫠(り)を執うるの狗の藉(つな)がることを来たす。是の如くの者は、明王に比す可けむや。陽子居、蹴然(しゅうぜん)として曰く、敢へて明王の治を問はむ。老聃の曰く、明王の治、功は天下を蓋えども而た己れよりせざるに似たり、化は萬物に貸(ほどこ)せども而た民は恃まず。名を挙ぐること莫くは有るも、物をして自ら喜ば使め、不測に立ちて、而た無有に遊ぶ者なりと。


荘子 外篇 山木より
陽子之宋、宿於逆旅。逆旅有妾二人、其一人美、其一人悪、悪者貴而美者賤。陽子問其故、逆旅小子對曰、其美者自美、吾不知其美也;其悪者自悪、吾不知其悪也。陽子曰、弟子記之。行賢而去自賢之行、安往而不愛哉。

陽子は宋に之(ゆ)き、逆旅(げきりょ)に宿る。逆旅に妾二人有り、其の一人は美(よ)し、其の一人は悪(あ)し。悪(あ)しき者は貴(かざ)りて而(しかる)に美(よ)し者は賤(かざ)らず。陽子は其の故を問ふ、逆旅の小子の對へて曰く、其の美し者は自ら美しとし、吾は其の美しを知らざるなり。其の悪し者は自ら悪しとし、吾は其の悪しを知らざるなり。陽子の曰く、弟子、之を記せ。行い賢にして而(ま)た自ら賢とするの行ひを去れば、安(いず)くにぞ往くとして而(しかる)に愛せられざらむや。


荘子 雜篇 寓言より
陽子居、南之沛、老聃西遊於秦。邀於郊、至於梁而遇老子。老子中道仰天而歎曰、始以汝為可教、今不可也。陽子居不答。
至舍、進盥漱巾櫛、脱屨戸外、膝行而前曰、向者弟子欲請夫子、夫子行不閒、是以不敢。今閒矣、請問其過。老子曰、而睢睢盱盱、而誰與居。大白若辱、盛德若不足。陽子居蹴然変容曰、敬聞命矣。其往也、舍者迎、將其家公執席、妻執巾櫛、舍者避席、煬者避灶。其反也、舍者與之争席矣。

陽子居、南の沛に之(ゆ)く、老聃、西の秦に遊ぶ。郊に邀(むか)へ、梁に至りて而して老子に遇ふ。老子、中道にして天を仰ぎ而た歎じて曰く、始め汝を以つて教へむ可しと為すも、今は可ならず。陽子居、答へず。
舍に至るや、盥漱巾櫛を進め、屨を戸外に脱ぎ、膝行して而して前(すす)みて曰く、向者(さきごろ)は弟子、夫子に請わむと欲せしも、夫子は行きて閒(ひま)あらず、是を以つて敢えてせざりき。今や閒(ひま)あり、請う、其の過ちを問はむ。老子の曰く、而(なんじ)、睢睢(きき)盱盱(くく)たり、而(なんじ)、誰と與に居る。大白は辱(じょく)の若く、盛德は足ざるが若しと。陽子居、蹴然として容を変じて曰く、敬んで命を聞けりと。其の往くや、舍者は迎へ、將に其の家の公、席を執り、妻は巾櫛を執り、舍者は席を避け、煬者は灶を避けむ。其の反るや、舍者は與に之と席を争う。


荀子 王覇篇より
嗚呼。君人者、亦可以察若言矣。楊朱哭衢涂、曰、此夫過挙蹞步、而覚跌千里者夫。哀哭之。此亦栄辱、安危、存亡之衢已、此其為可哀、甚於衢涂。嗚呼。哀哉。君人者、千歲而不覚也。

嗚呼(ああ)、人に君たる者、亦た以つて若(かくのごと)き言を察す可し。楊朱、衢涂(くと)に哭(こく)して曰く、此れ夫(か)の挙(きょ)を過つこと蹞步(きほ)にして、跌(たが)うを覚ゆること千里なる者か、と。哀しみて之を哭す。此れ亦た栄辱(えいじょく)・安危・存亡の衢(ちまた)のみ、此れ其の哀む可きを爲すこと、衢涂(くと)よりも甚だし。嗚呼、哀しいかな、人に君たる者は千歲にして覚(さと)らざるなり。


韓非子 説林下より
楊朱之弟楊布衣素衣而出、天雨、解素衣、衣緇衣而反、其狗不知而吠之。楊布怒、將擊之。楊朱曰、子毋擊也、子亦猶是。曩者使女狗白而往、黒而來、子豈能毋怪哉。

楊朱の弟、楊布、素衣(そい)を衣(き)て出づ。天雨(あめ)して、素衣を解き、緇衣(しい)を衣(き)て反(かへ)る。其の狗知らずして之を吠ゆ。
楊布、怒りて、將に之を擊たんとす。楊朱曰く、子、擊つこと母かれ、子も亦た猶ほ是のごとし。曩(さき)に女(なんじ)の狗をして白くして往かしめ、黒くして來たら使めば、子、豈に能く怪しむこと母からんやと。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 資料編 楊朱 原文並びに訓... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

資料書庫」カテゴリの最新記事