万葉雑記 色眼鏡 二六〇 今週のみそひと歌を振り返る その八〇
今回は今週 鑑賞しましたものの中から少し気になる歌に遊びます。ある種、種切れの苦し紛れです。申し訳ありません。
集歌2104 朝果 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝果(あさかほ)し朝露負(お)ひし咲くいへど夕影(ゆふかげ)しこそ咲きまさりけり
私訳 朝顔は朝露を浴びて咲くと云うけれど、夕顔は夕暮れの光の中にこそひときわ咲き誇っている。
この集歌2104の歌の初句「朝果」については、歌の鑑賞態度により対象とする植物が変わります。弊ブログでは三句目で一端 句切り、四句目は別の植物の花として鑑賞しています。そのため、初句「朝果」は朝顔で、四句の「暮陰」をその対比対象で夕顔としています。一般には初句「朝果」の植物は「キキョウ」が有力ですが、他にムクゲ、アサガオ、ヒルガオ説があります。
ところで、一般的な訓じと解釈を紹介しますと、次のようになっていますから、初句「朝果」の植物と四句目「暮陰」の植物は同じとなる訳です。つまり、残暑の中で朝から夕方まで咲く花で、朝はつぼみが開き始め、夕方に盛りが来るものと云う植物が候補になっているのです。
標準的な解釈と鑑賞:「アサガオ」に現代名称「キキョウ」か「ムクゲ」を置き換えて下さい。
訓読 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさり けれ
意訳 アサガオは朝露の中で咲くから美しいと言われ ますが、夕日を受けて咲いているアサガオこそ、本当に美しいですよ。
当然、弊ブログのように二種類の似通った花比べと云う観賞とは大きく違います。ただ、可能性として弊ブログのように花比べと云う解釈も成り立つと考えます。
次の集歌2110の歌は花比べでも「萩花」と「尾花」とのまったく形状や風情の違うものでの花比べの歌です。なお、尾花は萩の季節のものですから、やや緑を持つ黄金色に濡れ輝く尾花で、晩秋の枯れススキではありません。そのような花比べです。
集歌2110 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
訓読 人(ひと)皆(みな)は萩を秋云ふ縦(よ)し吾(われ)は尾花(をばな)し末(うれ)を秋とは言(い)はむ
私訳 人は皆、萩の花を秋の代表と云う。ままよ、私は尾花の穂を秋の代表と宣言しよう。
これは好みとしか言いようがありませんが、関東ですと千石原高原、関西ですと砥峰高原のススキ原が有名で観光名所ともなっています。さて、どちらを好みとして秋の代表としましょうか。なお時代として、まだ菊は野菊の時代ですし、黄葉は冬の扱いです。
参考として集歌2167の歌では「秋野之 草花我末」の「草花」を古く「尾花」と解釈しますので、集歌2167の歌は集歌2110の歌と同じ発想での歌であるかもしれません。
集歌2167 秋野之 草花我末 鳴舌白鳥 音聞濫香 片聞吾妹
訓読 秋し野し尾花(をばな)が末(うれ)し鳴く舌白鳥(ちどり)音(こゑ)し聞けむか片(かた)聞(き)け吾妹(わぎも)
私訳 秋の野に咲く尾花の穂先に、その鳴く姿を隠した千鳥の鳴き声を聞きましたか。物音をひそめて聞きなさい。私の愛しい貴女。
注意 二句目「草花我末」は秋を代表する草花から「尾花」の戯訓、三句目「鳴舌白鳥」は一般には「鳴百舌鳥」と表記します。ここでは西本願寺本に従い、かつ、戯訓としています。
さらに次に紹介する集歌2113の歌は難訓歌ではありませんが、訓じが定まらない未定訓歌に分類される歌です。弊ブログでは歌の初句「手寸名相」を単細胞的発想で「てきなあふ=敵な逢う」と訓じていますが、一般にはその訓じでは意味が取れないとして「手寸十名相」と解釈校訂して訓じることもします。
集歌2113 手寸名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
試訓 敵(てき)な逢(あ)ふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)し初萩咲きにけるかも
試訳 季節に相応しい人に逢った。萩を植えた人の名が有名なのでやって来てみると、庭の初萩は、その評判の通りに咲いていました。
注意 原歌の「手寸名相」、一部に「手寸十名相」と表記しますが、その定訓がありません。
訓読 てきなあふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)の初萩咲きにけるかも
意訳 手も休めずに植えた甲斐があって、庭に出て見ると我が家の庭の初萩は咲いていたことだ。
言葉として「敵(てき)」には仇の意味合いと、遊びや勝負事の相手と云う意味合いがあります。また『岩波古語辞典』では「敵」のもう一つの訓じ「かたき=仇」について、「日本語の『かたき』は『二つで一組を作るももの一方 の意』で、怨恨の相手はそれの特化した意味である」と解説します。これを踏まえて、弊ブログでは風流の相手として歌を鑑賞しています。ただ、万葉集では「敵」と云う漢字表記は「あた」と訓じますし、「てき=敵」と云う言葉を使った歌はありません。そこが素人の万葉集鑑賞の「トンデモ説」の由縁です。
また集歌2117の歌について、気になるのは二句目「行相乃速稲乎」の「行相」と云う言葉です。
集歌2117 感嬬等 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲 (感は、女+感の当字)
訓読 娘女(をとめ)らし行逢(いあひ)の早稲(わせ)を刈る時し成りにけらしも萩し花咲く
私訳 宮に勤める女たちに行き逢えると云う、その言葉の響きのような品種「行相」の早稲を刈り取る季節になったのでしょう。その季節を告げる萩の花が咲いたよ。
この「行相」と云う表現を万葉集特有の言葉遊びとしますと、「行相」は地名か、早稲の品種名称と考えるのが相当になります。地名として「行相」に相当する地域は奈良盆地内には見当たらないとするのが標準的な解釈です。そのため、街道の辻、神社の杜などの人々が行き会う場所と云うような解釈をします。
一方、近々の木簡発掘成果により奈良時代後半には判明・確定した稲の品種だけでも「古僧子」「地蔵子」「狄帯建」「畦越」「白稲」「女和早」「白和世」「須留女」「小須流女」などがあり、それらは栽培されていたとします。特に早稲品種「須留女(するめ)」は石川県では「酒流女」「須留女」、奈良県では「小須流女」の記述を持つ農事関係の木簡が発見されていますから、当時の代表的な早稲品種のようですし、「白和世」などの早稲品種が秋の早い東北地方の開拓を支えたとします。このような時代背景がありますから、集歌2117の歌の「行相」を早稲品種と考えても良いのではないかと考えます。
また、弊ブログでの突拍子もない品種と云う考え方の方が歌の解釈としては素直ではないかと考えます。この考え方が許されますと和歌に稲の品種を詠った特別な歌と云う位置づけになるでしょうか。
今回は気になる歌に遊びました。ただ、いつものように与太話ですので、本気になって相手にしないようにお願いします。特に稲の品種記事は正しいソースはありますが、「行相」は妄想です。
今回は今週 鑑賞しましたものの中から少し気になる歌に遊びます。ある種、種切れの苦し紛れです。申し訳ありません。
集歌2104 朝果 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝果(あさかほ)し朝露負(お)ひし咲くいへど夕影(ゆふかげ)しこそ咲きまさりけり
私訳 朝顔は朝露を浴びて咲くと云うけれど、夕顔は夕暮れの光の中にこそひときわ咲き誇っている。
この集歌2104の歌の初句「朝果」については、歌の鑑賞態度により対象とする植物が変わります。弊ブログでは三句目で一端 句切り、四句目は別の植物の花として鑑賞しています。そのため、初句「朝果」は朝顔で、四句の「暮陰」をその対比対象で夕顔としています。一般には初句「朝果」の植物は「キキョウ」が有力ですが、他にムクゲ、アサガオ、ヒルガオ説があります。
ところで、一般的な訓じと解釈を紹介しますと、次のようになっていますから、初句「朝果」の植物と四句目「暮陰」の植物は同じとなる訳です。つまり、残暑の中で朝から夕方まで咲く花で、朝はつぼみが開き始め、夕方に盛りが来るものと云う植物が候補になっているのです。
標準的な解釈と鑑賞:「アサガオ」に現代名称「キキョウ」か「ムクゲ」を置き換えて下さい。
訓読 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさり けれ
意訳 アサガオは朝露の中で咲くから美しいと言われ ますが、夕日を受けて咲いているアサガオこそ、本当に美しいですよ。
当然、弊ブログのように二種類の似通った花比べと云う観賞とは大きく違います。ただ、可能性として弊ブログのように花比べと云う解釈も成り立つと考えます。
次の集歌2110の歌は花比べでも「萩花」と「尾花」とのまったく形状や風情の違うものでの花比べの歌です。なお、尾花は萩の季節のものですから、やや緑を持つ黄金色に濡れ輝く尾花で、晩秋の枯れススキではありません。そのような花比べです。
集歌2110 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
訓読 人(ひと)皆(みな)は萩を秋云ふ縦(よ)し吾(われ)は尾花(をばな)し末(うれ)を秋とは言(い)はむ
私訳 人は皆、萩の花を秋の代表と云う。ままよ、私は尾花の穂を秋の代表と宣言しよう。
これは好みとしか言いようがありませんが、関東ですと千石原高原、関西ですと砥峰高原のススキ原が有名で観光名所ともなっています。さて、どちらを好みとして秋の代表としましょうか。なお時代として、まだ菊は野菊の時代ですし、黄葉は冬の扱いです。
参考として集歌2167の歌では「秋野之 草花我末」の「草花」を古く「尾花」と解釈しますので、集歌2167の歌は集歌2110の歌と同じ発想での歌であるかもしれません。
集歌2167 秋野之 草花我末 鳴舌白鳥 音聞濫香 片聞吾妹
訓読 秋し野し尾花(をばな)が末(うれ)し鳴く舌白鳥(ちどり)音(こゑ)し聞けむか片(かた)聞(き)け吾妹(わぎも)
私訳 秋の野に咲く尾花の穂先に、その鳴く姿を隠した千鳥の鳴き声を聞きましたか。物音をひそめて聞きなさい。私の愛しい貴女。
注意 二句目「草花我末」は秋を代表する草花から「尾花」の戯訓、三句目「鳴舌白鳥」は一般には「鳴百舌鳥」と表記します。ここでは西本願寺本に従い、かつ、戯訓としています。
さらに次に紹介する集歌2113の歌は難訓歌ではありませんが、訓じが定まらない未定訓歌に分類される歌です。弊ブログでは歌の初句「手寸名相」を単細胞的発想で「てきなあふ=敵な逢う」と訓じていますが、一般にはその訓じでは意味が取れないとして「手寸十名相」と解釈校訂して訓じることもします。
集歌2113 手寸名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
試訓 敵(てき)な逢(あ)ふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)し初萩咲きにけるかも
試訳 季節に相応しい人に逢った。萩を植えた人の名が有名なのでやって来てみると、庭の初萩は、その評判の通りに咲いていました。
注意 原歌の「手寸名相」、一部に「手寸十名相」と表記しますが、その定訓がありません。
訓読 てきなあふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)の初萩咲きにけるかも
意訳 手も休めずに植えた甲斐があって、庭に出て見ると我が家の庭の初萩は咲いていたことだ。
言葉として「敵(てき)」には仇の意味合いと、遊びや勝負事の相手と云う意味合いがあります。また『岩波古語辞典』では「敵」のもう一つの訓じ「かたき=仇」について、「日本語の『かたき』は『二つで一組を作るももの一方 の意』で、怨恨の相手はそれの特化した意味である」と解説します。これを踏まえて、弊ブログでは風流の相手として歌を鑑賞しています。ただ、万葉集では「敵」と云う漢字表記は「あた」と訓じますし、「てき=敵」と云う言葉を使った歌はありません。そこが素人の万葉集鑑賞の「トンデモ説」の由縁です。
また集歌2117の歌について、気になるのは二句目「行相乃速稲乎」の「行相」と云う言葉です。
集歌2117 感嬬等 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲 (感は、女+感の当字)
訓読 娘女(をとめ)らし行逢(いあひ)の早稲(わせ)を刈る時し成りにけらしも萩し花咲く
私訳 宮に勤める女たちに行き逢えると云う、その言葉の響きのような品種「行相」の早稲を刈り取る季節になったのでしょう。その季節を告げる萩の花が咲いたよ。
この「行相」と云う表現を万葉集特有の言葉遊びとしますと、「行相」は地名か、早稲の品種名称と考えるのが相当になります。地名として「行相」に相当する地域は奈良盆地内には見当たらないとするのが標準的な解釈です。そのため、街道の辻、神社の杜などの人々が行き会う場所と云うような解釈をします。
一方、近々の木簡発掘成果により奈良時代後半には判明・確定した稲の品種だけでも「古僧子」「地蔵子」「狄帯建」「畦越」「白稲」「女和早」「白和世」「須留女」「小須流女」などがあり、それらは栽培されていたとします。特に早稲品種「須留女(するめ)」は石川県では「酒流女」「須留女」、奈良県では「小須流女」の記述を持つ農事関係の木簡が発見されていますから、当時の代表的な早稲品種のようですし、「白和世」などの早稲品種が秋の早い東北地方の開拓を支えたとします。このような時代背景がありますから、集歌2117の歌の「行相」を早稲品種と考えても良いのではないかと考えます。
また、弊ブログでの突拍子もない品種と云う考え方の方が歌の解釈としては素直ではないかと考えます。この考え方が許されますと和歌に稲の品種を詠った特別な歌と云う位置づけになるでしょうか。
今回は気になる歌に遊びました。ただ、いつものように与太話ですので、本気になって相手にしないようにお願いします。特に稲の品種記事は正しいソースはありますが、「行相」は妄想です。