竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二六〇 今週のみそひと歌を振り返る その八〇

2018年03月31日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六〇 今週のみそひと歌を振り返る その八〇

 今回は今週 鑑賞しましたものの中から少し気になる歌に遊びます。ある種、種切れの苦し紛れです。申し訳ありません。

集歌2104 朝果 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝果(あさかほ)し朝露負(お)ひし咲くいへど夕影(ゆふかげ)しこそ咲きまさりけり
私訳 朝顔は朝露を浴びて咲くと云うけれど、夕顔は夕暮れの光の中にこそひときわ咲き誇っている。

 この集歌2104の歌の初句「朝果」については、歌の鑑賞態度により対象とする植物が変わります。弊ブログでは三句目で一端 句切り、四句目は別の植物の花として鑑賞しています。そのため、初句「朝果」は朝顔で、四句の「暮陰」をその対比対象で夕顔としています。一般には初句「朝果」の植物は「キキョウ」が有力ですが、他にムクゲ、アサガオ、ヒルガオ説があります。
 ところで、一般的な訓じと解釈を紹介しますと、次のようになっていますから、初句「朝果」の植物と四句目「暮陰」の植物は同じとなる訳です。つまり、残暑の中で朝から夕方まで咲く花で、朝はつぼみが開き始め、夕方に盛りが来るものと云う植物が候補になっているのです。

標準的な解釈と鑑賞:「アサガオ」に現代名称「キキョウ」か「ムクゲ」を置き換えて下さい。
訓読 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさり けれ
意訳 アサガオは朝露の中で咲くから美しいと言われ ますが、夕日を受けて咲いているアサガオこそ、本当に美しいですよ。

 当然、弊ブログのように二種類の似通った花比べと云う観賞とは大きく違います。ただ、可能性として弊ブログのように花比べと云う解釈も成り立つと考えます。

 次の集歌2110の歌は花比べでも「萩花」と「尾花」とのまったく形状や風情の違うものでの花比べの歌です。なお、尾花は萩の季節のものですから、やや緑を持つ黄金色に濡れ輝く尾花で、晩秋の枯れススキではありません。そのような花比べです。

集歌2110 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
訓読 人(ひと)皆(みな)は萩を秋云ふ縦(よ)し吾(われ)は尾花(をばな)し末(うれ)を秋とは言(い)はむ
私訳 人は皆、萩の花を秋の代表と云う。ままよ、私は尾花の穂を秋の代表と宣言しよう。

 これは好みとしか言いようがありませんが、関東ですと千石原高原、関西ですと砥峰高原のススキ原が有名で観光名所ともなっています。さて、どちらを好みとして秋の代表としましょうか。なお時代として、まだ菊は野菊の時代ですし、黄葉は冬の扱いです。
 参考として集歌2167の歌では「秋野之 草花我末」の「草花」を古く「尾花」と解釈しますので、集歌2167の歌は集歌2110の歌と同じ発想での歌であるかもしれません。

集歌2167 秋野之 草花我末 鳴舌白鳥 音聞濫香 片聞吾妹
訓読 秋し野し尾花(をばな)が末(うれ)し鳴く舌白鳥(ちどり)音(こゑ)し聞けむか片(かた)聞(き)け吾妹(わぎも)
私訳 秋の野に咲く尾花の穂先に、その鳴く姿を隠した千鳥の鳴き声を聞きましたか。物音をひそめて聞きなさい。私の愛しい貴女。
注意 二句目「草花我末」は秋を代表する草花から「尾花」の戯訓、三句目「鳴舌白鳥」は一般には「鳴百舌鳥」と表記します。ここでは西本願寺本に従い、かつ、戯訓としています。

 さらに次に紹介する集歌2113の歌は難訓歌ではありませんが、訓じが定まらない未定訓歌に分類される歌です。弊ブログでは歌の初句「手寸名相」を単細胞的発想で「てきなあふ=敵な逢う」と訓じていますが、一般にはその訓じでは意味が取れないとして「手寸十名相」と解釈校訂して訓じることもします。

集歌2113 手寸名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
試訓 敵(てき)な逢(あ)ふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)し初萩咲きにけるかも
試訳 季節に相応しい人に逢った。萩を植えた人の名が有名なのでやって来てみると、庭の初萩は、その評判の通りに咲いていました。
注意 原歌の「手寸名相」、一部に「手寸十名相」と表記しますが、その定訓がありません。
訓読 てきなあふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)の初萩咲きにけるかも
意訳 手も休めずに植えた甲斐があって、庭に出て見ると我が家の庭の初萩は咲いていたことだ。

 言葉として「敵(てき)」には仇の意味合いと、遊びや勝負事の相手と云う意味合いがあります。また『岩波古語辞典』では「敵」のもう一つの訓じ「かたき=仇」について、「日本語の『かたき』は『二つで一組を作るももの一方 の意』で、怨恨の相手はそれの特化した意味である」と解説します。これを踏まえて、弊ブログでは風流の相手として歌を鑑賞しています。ただ、万葉集では「敵」と云う漢字表記は「あた」と訓じますし、「てき=敵」と云う言葉を使った歌はありません。そこが素人の万葉集鑑賞の「トンデモ説」の由縁です。

 また集歌2117の歌について、気になるのは二句目「行相乃速稲乎」の「行相」と云う言葉です。

集歌2117 感嬬等 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲 (感は、女+感の当字)
訓読 娘女(をとめ)らし行逢(いあひ)の早稲(わせ)を刈る時し成りにけらしも萩し花咲く
私訳 宮に勤める女たちに行き逢えると云う、その言葉の響きのような品種「行相」の早稲を刈り取る季節になったのでしょう。その季節を告げる萩の花が咲いたよ。

 この「行相」と云う表現を万葉集特有の言葉遊びとしますと、「行相」は地名か、早稲の品種名称と考えるのが相当になります。地名として「行相」に相当する地域は奈良盆地内には見当たらないとするのが標準的な解釈です。そのため、街道の辻、神社の杜などの人々が行き会う場所と云うような解釈をします。
 一方、近々の木簡発掘成果により奈良時代後半には判明・確定した稲の品種だけでも「古僧子」「地蔵子」「狄帯建」「畦越」「白稲」「女和早」「白和世」「須留女」「小須流女」などがあり、それらは栽培されていたとします。特に早稲品種「須留女(するめ)」は石川県では「酒流女」「須留女」、奈良県では「小須流女」の記述を持つ農事関係の木簡が発見されていますから、当時の代表的な早稲品種のようですし、「白和世」などの早稲品種が秋の早い東北地方の開拓を支えたとします。このような時代背景がありますから、集歌2117の歌の「行相」を早稲品種と考えても良いのではないかと考えます。
 また、弊ブログでの突拍子もない品種と云う考え方の方が歌の解釈としては素直ではないかと考えます。この考え方が許されますと和歌に稲の品種を詠った特別な歌と云う位置づけになるでしょうか。

 今回は気になる歌に遊びました。ただ、いつものように与太話ですので、本気になって相手にしないようにお願いします。特に稲の品種記事は正しいソースはありますが、「行相」は妄想です。
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再読、今日のみそひと謌 金

2018年03月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 金

集歌2122 大夫之 心者無而 秋芽子之 戀耳八方 奈積而有南
訓読 大夫(ますらを)し心はなみに秋萩し恋のみにやもなづみにありなむ
私訳 立派な男の気負いを無くしたままで、秋萩の見事さに心を奪われ、その情景に浸ったままです。

集歌2123 吾待之 秋者来奴 雖然 芽子之花曽毛 未開家類
訓読 吾(あ)が待ちし秋は来たりぬ然(しか)れども萩し花ぞもいまだ咲かずける
私訳 私が待っていた秋はやって来た。それなのに萩の花は、未だに咲かないでいる。

集歌2124 欲見 吾待戀之 秋芽子者 枝毛思美三荷 花開二家里
訓読 見まく欲(ほ)り吾(あ)が待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり
私訳 眺めて見たいと私が待ち焦がれていた秋萩は、その枝を撓めるほどに花が咲きました。

集歌2125 春日野之 芽子落者 朝東 風尓副而 此間尓落来根
訓読 春日野(かすがの)し萩し散りなば朝(あさ)東(あずま)風に副(たぐ)ひにここに散り来ね
私訳 春日野に咲く萩の花が散ったならば、朝に東からの風に乗ってここに花びらを飛び散らせ来い。

集歌2126 秋芽子者 於鴈不相常 言有者香 (一云 言有可聞) 音乎聞而者 花尓散去流
訓読 秋萩は雁し逢(あ)はじと言へればか (一(ある)は云はく、言へれかも) 声を聞きには花に散りぬる
私訳 秋萩は季節的に雁には逢わないと謂われるからか(或いは云うには「謂うからか」)、雁の鳴き声を聞いては萩の花は散ってしまった。

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再読、今日のみそひと謌 木

2018年03月29日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 木

集歌2117 感嬬等 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲 (感は、女+感の当字)
訓読 娘女(をとめ)らし行逢(いあひ)の早稲(わせ)を刈る時し成りにけらしも萩し花咲く
私訳 宮に勤める女たちに行き逢えると云う、その言葉の響きのような品種「行相」の早稲を刈り取る季節になったのでしょう。その季節を告げる萩の花が咲いたよ。
注意 二句目「行相」に相当する地名は無いとします。ここでは飛鳥・奈良時代に急速に稲の品種改良が進んだことから、早稲の品種として解釈しています。参考に木簡解析から奈良時代末期には稲の品種として「古僧子」「地蔵子」「狄帯建」「須留女」「小須流女」などが栽培されていたとします。

集歌2118 朝霧之 棚引小野之 芽子花 今哉散濫 未厭尓
訓読 朝霧(あさきり)したなびく小野し萩し花今か散るらむ未だ飽(あ)かなくに
私訳 朝霧の棚引く小野にある萩の花。今、この時にか散るのだろうか。未だ見飽きてはいないのだが。

集歌2119 戀之久者 形見尓為与登 吾背子我 殖之秋芽子 花咲尓家里
訓読 恋しくは形見にせよと吾(あ)が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
私訳 「私が愛しく恋しいのなら、その面影にしなさい」と私の愛しい貴方が植えた秋萩の花が咲きました。

集歌2120 秋芽子 戀不盡跡 雖念 思恵也安多良思 又将相八方
訓読 秋萩し恋尽(つく)さじと思へどもしゑや惜(あたら)しまたも逢はめやも
私訳 花咲く秋萩に心を惹きこまれないように思っても、どうしてどうして、その花が惜しまれる。再び、このような萩花に出会うでしょうか。

集歌2121 秋風者 日異吹奴 高圓之 野邊之秋芽子 散巻惜裳
訓読 秋風は日し異(け)し吹きぬ高円(たかまど)し野辺(のへ)し秋萩散らまく惜しも
私訳 秋風は日一日と吹いてきた。高円の野辺に咲く秋萩が散ってしまうだろうことが惜しまれる。

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再読、今日のみそひと謌 水

2018年03月28日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 水

集歌2112 吾屋前尓 開有秋芽子 常有者 我待人尓 令見猿物乎
訓読 吾(あ)が屋前(やと)に咲ける秋萩常ならば我が待つ人に見せましものを
私訳 私の庭に咲いている秋萩よ、いつまでも咲き続けるのなら、私が待つ人にご覧にいれるのですが。

集歌2113 手寸名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
試訓 敵(てき)な逢(あ)ふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)し初萩咲きにけるかも
試訳 季節に相応しい人に逢った。萩を植えた人の名が有名なのでやって来てみると、庭の初萩は、その評判の通りに咲いていました。
注意 原歌の「手寸名相」、一部に「手寸十名相」と表記しますが、その定訓がありません。
訓読 てきなあふ植ゑし名著(しる)く出で見れば屋前(やと)の初萩咲きにけるかも
意訳 手も休めずに植えた甲斐があって、庭に出て見ると我が家の庭の初萩は咲いていたことだ。

集歌2114 吾屋外尓 殖生有 秋芽子乎 誰標刺 吾尓不所知
訓読 吾(あ)が屋外(やと)に植ゑ生(おほ)したる秋萩を誰か標(しめ)刺す吾(われ)に知らえず
私訳 私の庭に植えて育てた秋萩を、誰が自分の物だとしてその印を付けるのか、私に知られることなく。

集歌2115 手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜
訓読 手し取れば袖さへにほふ女郎花(をみなえし)この白露に散らまく惜(を)しも
私訳 手に取ると衣の袖までもが、その彩に染める女郎花よ。この白露に散ってしまうのが惜しまれる。

集歌2116 白露尓 荒争金手 咲芽子 散惜兼 雨莫零根
訓読 白露に争(あらそ)ひかねて咲ける萩散らば惜(を)しけむ雨な降りそね
私訳 白露が花咲く季節を催促するのに逆らえず、咲いた萩の花よ。散ってしまうと残念でしょう。雨よ、降らないでくれ。

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再読、今日のみそひと謌 火

2018年03月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 火

集歌2107 事更尓 衣者不摺 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居
訓読 ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじ女郎花(をみなへし)咲く野し萩ににほひに居(を)らむ
私訳 わざわざと衣を摺り染めることはしません。女郎花の咲く野に咲く萩の花に彩られていましょう。

集歌2108 秋風者 急之吹来 芽子花 落巻惜三 競竟
訓読 秋風は疾(と)くし吹き来(こ)し萩し花散らまく惜しみ競(きほ)ひ竟(はて)なむ
私訳 秋風が急に吹いてきた。萩の花は散ってしまうのを惜しんで、互いに競って花を咲かせ散らしている。

集歌2109 我屋前之 芽子之若末長 秋風之 吹南時尓 将開跡思乎
訓読 我が屋前(やと)し萩し末長(うれなが)秋風し吹きなむ時に咲かむと思ふを
私訳 私の庭の萩の枝は十分に長い。それで、秋風が吹くでしょうこの季節に枝の花は咲こうと思っているのでしょう。

集歌2110 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
訓読 人(ひと)皆(みな)は萩を秋云ふ縦(よ)し吾(われ)は尾花(をばな)し末(うれ)を秋とは言(い)はむ
私訳 人は皆、萩の花を秋の代表と云う。ままよ、私は尾花の穂を秋の代表と宣言しよう。

集歌2111 玉梓 公之使乃 手折来有 此秋芽子者 雖見不飽鹿裳
訓読 玉梓し君し使(つかひ)の手折(たお)り来(く)るこの秋萩は見れど飽かぬかも
私訳 美しい梓の杖を持つ貴方の使いが、手折って持ってくる、この秋の萩の花枝は見ていても見飽きることは無いでしょう。

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