竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 六九 「三日月の歌」を鑑賞する

2014年04月19日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 六九 「三日月の歌」を鑑賞する

 世界に誇る、日本人の感性を示す言葉があります。それが「月船(つきのふね)」です。この「月船」の言葉は月齢七日頃の山の端に沈み逝く月を船に、星々で形作られた闇夜に輝く天の川に懸かる雲を波に見立て、それが渡って行くとした表現です。そして、この言葉は飛鳥浄御原宮晩期から藤原京初期にかけて柿本人麻呂によって作られた日本人独特の感性に基づく言葉です。一見、「月船」の言葉は漢語のようですが、日本人独特の感性に因る為に中国漢詩の世界には現れない宇宙観であり、比喩です。
 確かに漢詩に「月船(又は月舟)」(参考資料一)の文字が出て来るものがありますが、晩唐時代に尚顏が「送劉必先」で詠うように人麻呂が詠った「月船」の言葉とは違うものです。また、漢代には「遊月船」(参考資料二)と云う言葉はありましたが、その言葉の意味合いとしては「遊月+船」ですので、大和人が愛した「月船」の言葉の意味合いとは違うものです。

 さて、人々が使う言葉にはその言葉を使う人々の生活があります。大陸の風習では第一等の美人を飾り立て、衆人注目の中、その美貌を人々に周知させ、豪奢な輿や車で自分の許に通わすのが男の中の男を象徴する行為です。一方、大和では人知れぬように噂の美人の許を密やかに通うのが第一級の風流子です。
 それが七夕の風習に端的に現れます。大陸ではカササギの羽を重ねた橋を美人が渡り男の許へと通い、大和では男が天の川を「なずみ」して渡り美人の許へと通います。この背景があるがため、七夕の宴で詠われた「月船」の言葉は日本人独特の感性に基づくものなのです。従いまして、中国古典漢詩に『万葉集』に載る「月船」の言葉の由来を求めるのは無理筋です。漢詩の世界では、最大の可能性として、西王母と漢武帝との伝説にもあるように七夕の夜に美人が飛雲に乗る俥で月から地上に降りて来るものなのです。さらに、西洋に目を向けましても三日月を水牛の角と見立てる例が多数派で、それは「月船」と見立てる日本人の感性とは違うものです。

 ブログの趣旨は『万葉集』の鑑賞ですので、そこに戻ります。
 紹介する歌は巻七の冒頭に置かれた柿本人麻呂歌集からのものです。旧来の分類に従いますと無署名文学作品ですから学問を放棄した安直な解説では「詠み人知れずの歌」となります。一方、無署名文学作品に対する作者比定の方法論を下にした研究では、ほぼ「柿本人麻呂の作品」と比定されています。従いまして、ここでは近年の評価から柿本人麻呂本人の作品と扱います。つまり、「月船」なる言葉は人麻呂の創語と云うことになります。

詠天
標訓 天を詠める
集歌1068 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天つ海(み)に雲し波立ち月し船星し林に榜(こ)ぎ隠る見ゆ
私訳 天空の海に雲の波が立ち、上弦の三日月の船が星の林の中に、その船を進め見え隠れするのを見る。
右一首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の一首は、柿本朝臣人麿の歌集に出(い)づ。

 言葉において、その形から「弓張月」は月齢三日頃の月であり、「月船」は月齢七日頃の月であろうと推定しますと、集歌1068の歌は七夕の宴で詠われた歌と解釈することが出来ます。こうした時、『万葉集』には集歌1068の歌の類型歌があり、それが巻十に載る集歌2223の歌です。ただし、歌を詠う時の視線が違います。集歌1068の歌は夜の大空全体の景色を詠い、対する集歌2223の歌は三日月自体を詠います。そして、その集歌2223の歌の背景に中国の「呉剛の伝説」を引用していますから、素直な見たままの自然を詠い挙げる集歌1068の歌より、やや、知識が表に出た歌となっています。なお、集歌1068の歌中の「星之林」の情景とは、常緑広葉樹林帯での分厚い葉枝から射し込む木漏れ日からイメージした光の世界と想像しています。およそ、明るく星降るような銀河を、まるで日中の木漏れ日の様だと比喩した表現と考えています(椿などが密生した林の木漏れ日のイメージ)。ただ、この情景は意訳文では説明しにくいものです。歌は、言葉で情景を直感的に共有させる人麻呂独自の魔法の世界だと、一人、楽しんでいます。無料の写真をインターネットで見つけましたので、参考に紹介します。
 一方、船を漕ぐ様は集歌1068の歌と集歌2223の歌とでは、その文字が「榜」と「滂」とに違います。『説文解字』では榜は進船であり、時に木片と示しますが、一方、滂は水扁に音を示す旁を組み合わせた文字で雨の様を示す文字でもあります。およそ、集歌2223の歌で使われる「滂」の文字は進船の意味を持たせながらも雨や浪切の様も想像させる文字です。つまり、低い雲が懸かった七夕の夜、やっと、月や闇夜に輝く天の川が見えたのに、再び、宴の途中でしぐれたのかもしれません。感覚ではありますが、紹介しますように用字を追求しますと二首は同じ宴会での人麻呂の詠歌です。

詠月
標訓 月を詠めり
集歌2223 天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人牡子
訓読 天つ海月し船(ふな)浮(う)け桂(かつら)梶(かぢ)懸(か)けに滂(こ)ぐ見ゆ月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 天空の海に月の船を浮かべて月に生える桂の木でこしらえた梶を艫に据えて飛沫を上げて船を進めるのが見えます。月の世界の勇者(=呉剛)の舟を操る姿が。

 先に「月船」の言葉は日本人独特の感性に基づくものと紹介しましたが、この「月船(又は月舟)」の言葉を用いた漢詩があります。それが、『懐風藻』に載る文武天皇の「五言 詠月 一首」です。ものの紹介では文武天皇の「詠月」と『万葉集』に載る集歌1068の歌との先後を論じるものがありますが、まず、『万葉集』が先で、そこに使われる「月船」の言葉に誘惑されて文武天皇の「詠月」の漢詩が生まれたものと思われます。そのため、天皇が好んだ大和歌が詠う夜空の風景と漢詩で月を詠う時の約束事との衝突が起き、天皇が詠う「詠月」の漢詩が支離滅裂になったのでしょう。まず、この天皇が詠う漢詩は作漢詩の勉強のために机の上で詠われたものであって、実際の宴の場でのものや観月をしてのものではありません。このような背景があるため、文武天皇の「詠月」と『万葉集』に載る集歌1068の歌との先後を論じるのは野暮です。他方、このような漢詩作歌学習中の作品を御製として公にしたお付きの漢学者や懐風藻採歌者の能力と判断に疑問が残ります。

五言 詠月 一首   文武天皇
月舟移霧渚 楓楫泛霞濱 月舟 霧渚(むしょ)に移り 楓楫(ふうしゅう) 霞濱(かひん)に泛(うか)ぶ
臺上澄流耀 酒中沈去輪 臺上 澄み流る耀(かがやき) 酒中 沈み去る輪(りん)
水下斜陰碎 樹落秋光新 水下りて斜陰(しゃいん)に碎け 樹落ちて秋光(しゅうこう)新たなり
獨以星間鏡 還浮雲漢津 獨り星間の鏡と以(な)りて 還た雲漢の津(みなと)に浮かぶ


 野暮な話になりますが、参考として漢詩で月を詠う時の約束事を踏まえて、敢えて、三日月を織り込んで詠った唐代の中国漢詩を紹介します。
 詩にありますように漢詩では月は満月を基準に詠います。それで「半輪秋」であり、「輪未安」なのです。この約束事があるため、御製では「沈去輪」や「星間鏡」の詞を採用したと思われます。そして、その結果が支離滅裂と云う訳です。本来ですと白居易の姿で詠い終われば「月舟」に相応しいものになったと思われますが、白居易は文武天皇からすれば、ずっと、後の人です。時に、彼らは大和からの遣唐使一行(特に藤原清河・阿倍仲麻呂たち)がもたらした大陸人とは違う自然鑑賞への感性の影響を受けた可能性があります。つまり、時代が早いのかもしれません。
 およそ、『懐風藻』と云う時代性からすると文武天皇の「詠月」の漢詩が未完成であるのは仕方がないのかもしれません。ただ、目を『万葉集』に向けた時、「榜」と「滂」との用字の使い分けにも見られるように、人麻呂たち、万葉人が漢語や漢字を自在に酷使し、漢語と万葉仮名と云う漢字だけで大和歌を詠った姿から比較しますと、なぜか、不思議な知的ギャップを感じます。なぜ、平安時代の漢詩を詠う階層は特徴的に宋唐時代の漢文学に幼かったのでしょうか。

峨眉山月歌 李白
峨眉山月半輪秋 峨眉の山月 半輪の秋
影入平羌江水流 影は平羌の江水に入りて流る
夜発清渓向三峡 夜 清渓を発して三峡に向かふ
思君不見下渝州 君を思うも見(まみえ)ずして 渝州に下る

初月  杜甫
光細弦欲上 影斜輪未安 光細くして弦初めて上る、影斜めにして輪未(いま)だして安からず。
微升古塞外 已隱暮雲端 微(わずか)に升る古塞の外、己に隠る暮雲の端
河漢不改色 關山空自寒 河漢(かかん)色を改めず、関山(かんさん)空しく自ずから寒し
庭前有白露 暗滿菊花團 庭前に白露あり、暗に菊花の団は満つ

暮江吟 白居易
一道殘陽鋪水中 一道の殘陽 水中に鋪(し)き
半江瑟瑟半江紅 半江は瑟瑟(しつしつ) 半江は紅(くれなゐ)なり。
可憐九月初三夜 憐(あわれ)む 可(べ)し 九月初三の夜
露似眞珠月似弓 露は眞珠の似(ごと)く 月は弓に似たり

 確認ですが、文武天皇が詠う「詠月」で詠われる「酒中沈去輪」と「獨以星間鏡」の句から月は「輪」であり「鏡」ですから、必然、漢詩の約束通りに満月であるはずです。しかしながら、初句の「月舟移霧渚」からは月齢七日頃の三日月でもあります。それゆえの支離滅裂との指摘です。さらに「樹落秋光新」と詠ったのでは、季節感もまた、多く常緑広葉樹が広がる大和の冬なのか、落葉広葉樹林が広がる大陸の秋(または陸奥の晩秋)なのかとの疑問も湧きます。ただ、インターネットで検索してみましても、これを指摘した上で詩を正面から鑑賞するものは少ないようです。(注;旧暦ですから秋は現在の8月初旬から10月初旬までです)
 なお、『懐風藻』には大津皇子の作品として「七言 述志」なる作品がありますが、伝承では大津皇子本人のものは初句と二句のみで、三句と四句は後年の人によるとします。可能性として文武天皇が詠う「詠月」でも同じことが生じたかもしれません。つまり、文武天皇の作品も初句と二句が天皇本人のもので、それ以降は後年の人によると云う可能性です。「述志」も後半が酷いものですから、文武天皇の作品の支離滅裂さを説明するものとしてはその可能性が非常に高いのではないでしょうか。
 参考に、原文から鑑賞して頂ければ明確のように現在に伝わる『懐風藻』はその詩歌集作品に内在する矛盾から奈良時代中期、天平勝寶三年の年号を持つ編纂当時のものから後年に大幅に手が入れられ改変された疑いが強い作品です。従いまして、紹介するものはあくまで現在に伝わる『改変版懐風藻』をベースとするものであることを承知下さい。推定で平安時代人による改変作業です。奈良時代人はもう少し大陸文化に馴染んでいます。

七言 述志 大津皇子
天紙風筆畫雲鶴 天紙風筆 雲鶴を画き
山機霜杼織葉錦 山機霜杼 葉錦を織る
[後人聯句] [後人の聯句]
赤雀含書時不至 赤雀 書を含みて 時に至らず
潛龍勿用未安寢 潛龍 用ゐること勿く 未だ安寢せず

 おまけで、『万葉集』に戻りますと、先の巻十に載る集歌2223の歌の関連歌となるものとして次のような歌があります。これらの歌々が示すように、この七夕の宴の時、天候はあいにくのようであったと思われます。そこが『懐風藻』の詩作と違い、漢語漢字に対する自在性を持つ『万葉集』の恐いところです。

集歌2010 夕星毛 往来天道 及何時鹿 仰而将待 月人壮
訓読 夕星(ゆふつつ)も通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰ぎに待たむ月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 夕星(宵の明星=金星)も移り行く天の道。その天の道を通い、年に一度の逢う、その時は、さあ、今なのかと鹿もまた「ケーン」と鳴き仰いで待っている。ねえ、月人壮士よ。

集歌2043 秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人牡子
訓読 秋風し清(さや)けき夕(ゆふ)へ天つ川舟滂(こ)ぎ渡る月人(つきひと)牡士(をとこ)
私訳 秋風が清々しいこの夕べ、その天の川を、舟を操って渡る月人壮士よ。

集歌2051 天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人牡子
訓読 天つ原い往(い)きて射(い)むと白(しら)真弓(まゆみ)引きに隠(かく)れる月人(つきひと)牡士(をとこ)
私訳 天の原を翔け行き得物を射ようと白木の立派な弓を引く、その言葉の響きではないが、引かれるように山の端に隠れて行った月人壮士よ。

集歌2052 此夕 零来雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨
訓読 この夕(ゆふへ)降り来る雨は男星(ひこほし)し早滂(こ)ぐ船し櫂の散(ち)りかも
私訳 この七夕の夕べに降り来る雨は、彦星が急いで舟を漕いだ、その櫂のしずくが飛び散ったものでしょうか。

 最後に文中で紹介しましたものの資料を載せます。

<参考資料 一>
送劉必先(尚顏 全唐詩より)
力進憑詩業、心焦闕問安 力は詩業に進憑し、心は安の問ふを闕くに焦る
遠行無處易、孤立本来難 遠行、易き處無く、孤立、本より来難し
楚月船中没、秦星馬上残 楚の月は船中に没し、秦の星の馬上に残る
明年有公道、更以命推看 明年、公道に有り、更に命を以って推看す

<参考資料 二>
遊月船 : 漢宫遊船名。影娥池中有遊月船、觸月船、鴻毛船、遠見船。載數百人。

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2 コメント

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Unknown (岡林みどり)
2018-03-14 13:20:49
これからは月の形と和歌の関係を勉強しようと思っていますので、参考にさせていただきます。というのは土佐日記の八日の段の「今宵、月は海にぞ入る」のことが気になっているからです。
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度々のご来場、お礼 (作業員)
2018-03-14 15:10:08
度々のご来場、ありがとうございます。
原文は次のような表記と成っていて、今まで貫之たちが住んでいた場所では8日の月は山の端に沈みますが、2日以来、浪により停泊していた大湊では月は海に沈みます。その地形に違いでのものでしょうか。

八日左者留己止安利天奈本於奈之止己呂奈利己与比月者宇美爾曽以留

八日さはることありてなほおなしところなりこよひ月はうみにそいる
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