古事記の「壬申の乱」
ここで、万葉集とほぼ同時代に成された書物に古事記があり、その古事記の序文に壬申の乱について次のように記述しています。
原文抜粋
曁飛鳥清原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、存雷應期。聞夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎歩於東國。皇輿忽駕、浚渡山川。六師雷震、三軍電逝。杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解。未移浹辰、氣殄自清。乃、放牛息馬、豈悌歸於華夏、卷旌找戈、舞詠停於都邑。
抜粋訓読
飛鳥の清原の大宮に大八洲(おほやしまぐに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世に曁(いた)りて、濳龍(せんりゅう)元(げん)を體(たひ)し、存雷(せんらい)期に應じき。夢に歌を聞(き)きて業を纂(つ)がむことを相(あは)せ、夜の水に投して基(もとゐ)を承けむことを知りたまひき。然し、天の時未だ臻(いた)らずしも、南山に蝉蛻(せんぜい)し、人事共に給はりて、東國に虎歩(こほ)したまふ。皇輿(くわうよ)忽ち駕(が)して、山川を浚(こ)え渡(わた)りたまひき。六師(りくし)雷(いかづち)のごとく震ひ、三軍電(いなづま)のごとく逝きき。杖矛(ぢょうぼうい)威(いきほひ)を擧げ、猛士烟のごとく起こり、絳旗(かうき)兵(つわもの)を耀(かがや)かして、凶徒瓦のごとく解(と)けき。未だ浹辰(せふしん)を移さずして、氣殄(きれい)自(おのづか)ら清まりき。乃ち、牛を放ち馬を息(いこ)へ、豈悌(がいてい)して華夏に歸り、旌(はた)を卷き戈を找(をさ)め、舞詠(ぶえい)して都邑(といふ)に停まりたまひき。
さて、この古事記の序文では天武天皇が天意から皇位を継ぐことは記述されていますが、誰が六師や三軍を率いているかは記述していません。一方、日本書紀では「慎不可怠。因賜鞍馬、悉授軍事(慎みて不可怠たることなかれ。因りて鞍馬を賜ひて、悉く軍の事を授く)」と記述があり、天武天皇が高市皇子に軍事権限を悉く授けたことになっています。
古事記の序文や日本書紀の建前では、大海人皇子は既に天皇の皇位継承が定まっていて、その天皇の命を受けた高市皇子が大将軍として兇徒である大友皇子を討伐する姿です。この飛鳥・奈良時代の天皇制の建前から評価した壬申の乱の姿は、天武天皇が一段高い場所に位置して、政府軍の高市皇子が反政府軍の大友皇子と戦ったとする立場です。あくまでも、天皇は現御神であられるので、神として進むべき正しい方向を示されますが、それを実行するのは人臣である臣下です。従来の解釈での壬申の乱の姿は大海人皇子と大友皇子との対立を描きますが、それでは人民の平和と繁栄を祈願する現御神としての天皇制が成り立ちません。どんなに適格であっても、建前では行司が褌を締めて相撲を取ってはいけないのです。この思想は、人麻呂が詠う草壁皇子への挽歌の一節に覗うことが出来ます。それが、この「高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神髄 太布座而(高照らす 日の皇子は 飛鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして)」の一節です。ここでは、人臣である臣下が現御神である天皇に対して建てるべき浄御原宮を、現御神であられる天皇が自ら建てたとしています。これが天皇は現御神とする天皇制の建前からの思想です。
このように飛鳥・奈良時代の天皇制の建前からは、壬申の乱を指導したのは確かに天皇となる大海人皇子ですが、壬申の乱での戦いを実行したのは天皇の付託を受けて人民を率いた高市皇子です。これらの解釈の姿は普段の解説とは大幅に違いますが、「為にする解釈」ではないと思っています。私は、従来の壬申の乱の主体の解釈や乱の推移について、もう一度、見直していく必要があるのではないかと思っています。そして、この視線から壬申の乱で人民を率いた高市皇子について、再考したいと思っています。
第二部を終わるにあって、最後に古事記を引用しましたが、壬申の乱の研究家が見落としている重大な事項を指摘します。天武天皇が編纂方針を示した「古事記」には大和族の人々が活躍しますが、そこには外国人の姿はありません。一方、「日本書紀」は天皇とそれを補佐する百済(漢・高麗)系外国人が活躍する書物です。日本の国書編纂におけるこの重大な問題点を、再認識していただきたいと思います。
さらに、万葉集では「日本紀」と「日本書紀」は区別していますし、奈良時代の国書は「続日本紀」であって、「続日本書紀」ではありません。日本書紀は天武天皇系の朝廷によって書かれた歴史書と解説するものがありますが、養老四年に舎人親王によって捧呈されたのは「日本紀」三十巻であって、「日本書紀」ではありません。天智天皇紀と天武天皇紀を都合善く記述したのは、さて、誰でしょうか。専門家は、「日本紀」と「日本書紀」とを区別せず、天智天皇紀と天武天皇紀を都合善く記述したのは天武天皇の御子の舎人親王たちとしています。その歴史観で書かれたものが、多くの現在の壬申の乱の解説本です。
ここで、万葉集とほぼ同時代に成された書物に古事記があり、その古事記の序文に壬申の乱について次のように記述しています。
原文抜粋
曁飛鳥清原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、存雷應期。聞夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎歩於東國。皇輿忽駕、浚渡山川。六師雷震、三軍電逝。杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解。未移浹辰、氣殄自清。乃、放牛息馬、豈悌歸於華夏、卷旌找戈、舞詠停於都邑。
抜粋訓読
飛鳥の清原の大宮に大八洲(おほやしまぐに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世に曁(いた)りて、濳龍(せんりゅう)元(げん)を體(たひ)し、存雷(せんらい)期に應じき。夢に歌を聞(き)きて業を纂(つ)がむことを相(あは)せ、夜の水に投して基(もとゐ)を承けむことを知りたまひき。然し、天の時未だ臻(いた)らずしも、南山に蝉蛻(せんぜい)し、人事共に給はりて、東國に虎歩(こほ)したまふ。皇輿(くわうよ)忽ち駕(が)して、山川を浚(こ)え渡(わた)りたまひき。六師(りくし)雷(いかづち)のごとく震ひ、三軍電(いなづま)のごとく逝きき。杖矛(ぢょうぼうい)威(いきほひ)を擧げ、猛士烟のごとく起こり、絳旗(かうき)兵(つわもの)を耀(かがや)かして、凶徒瓦のごとく解(と)けき。未だ浹辰(せふしん)を移さずして、氣殄(きれい)自(おのづか)ら清まりき。乃ち、牛を放ち馬を息(いこ)へ、豈悌(がいてい)して華夏に歸り、旌(はた)を卷き戈を找(をさ)め、舞詠(ぶえい)して都邑(といふ)に停まりたまひき。
さて、この古事記の序文では天武天皇が天意から皇位を継ぐことは記述されていますが、誰が六師や三軍を率いているかは記述していません。一方、日本書紀では「慎不可怠。因賜鞍馬、悉授軍事(慎みて不可怠たることなかれ。因りて鞍馬を賜ひて、悉く軍の事を授く)」と記述があり、天武天皇が高市皇子に軍事権限を悉く授けたことになっています。
古事記の序文や日本書紀の建前では、大海人皇子は既に天皇の皇位継承が定まっていて、その天皇の命を受けた高市皇子が大将軍として兇徒である大友皇子を討伐する姿です。この飛鳥・奈良時代の天皇制の建前から評価した壬申の乱の姿は、天武天皇が一段高い場所に位置して、政府軍の高市皇子が反政府軍の大友皇子と戦ったとする立場です。あくまでも、天皇は現御神であられるので、神として進むべき正しい方向を示されますが、それを実行するのは人臣である臣下です。従来の解釈での壬申の乱の姿は大海人皇子と大友皇子との対立を描きますが、それでは人民の平和と繁栄を祈願する現御神としての天皇制が成り立ちません。どんなに適格であっても、建前では行司が褌を締めて相撲を取ってはいけないのです。この思想は、人麻呂が詠う草壁皇子への挽歌の一節に覗うことが出来ます。それが、この「高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神髄 太布座而(高照らす 日の皇子は 飛鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして)」の一節です。ここでは、人臣である臣下が現御神である天皇に対して建てるべき浄御原宮を、現御神であられる天皇が自ら建てたとしています。これが天皇は現御神とする天皇制の建前からの思想です。
このように飛鳥・奈良時代の天皇制の建前からは、壬申の乱を指導したのは確かに天皇となる大海人皇子ですが、壬申の乱での戦いを実行したのは天皇の付託を受けて人民を率いた高市皇子です。これらの解釈の姿は普段の解説とは大幅に違いますが、「為にする解釈」ではないと思っています。私は、従来の壬申の乱の主体の解釈や乱の推移について、もう一度、見直していく必要があるのではないかと思っています。そして、この視線から壬申の乱で人民を率いた高市皇子について、再考したいと思っています。
第二部を終わるにあって、最後に古事記を引用しましたが、壬申の乱の研究家が見落としている重大な事項を指摘します。天武天皇が編纂方針を示した「古事記」には大和族の人々が活躍しますが、そこには外国人の姿はありません。一方、「日本書紀」は天皇とそれを補佐する百済(漢・高麗)系外国人が活躍する書物です。日本の国書編纂におけるこの重大な問題点を、再認識していただきたいと思います。
さらに、万葉集では「日本紀」と「日本書紀」は区別していますし、奈良時代の国書は「続日本紀」であって、「続日本書紀」ではありません。日本書紀は天武天皇系の朝廷によって書かれた歴史書と解説するものがありますが、養老四年に舎人親王によって捧呈されたのは「日本紀」三十巻であって、「日本書紀」ではありません。天智天皇紀と天武天皇紀を都合善く記述したのは、さて、誰でしょうか。専門家は、「日本紀」と「日本書紀」とを区別せず、天智天皇紀と天武天皇紀を都合善く記述したのは天武天皇の御子の舎人親王たちとしています。その歴史観で書かれたものが、多くの現在の壬申の乱の解説本です。






神世は天照大御神が民主合議により神々の信認を受けて治め、現世は現御神である天皇が民主合議により神々の信認を受けて治めると言う世界観です。
あくまでも神々にはその社会を治める代表者が存在しますから、同等な多神教ではありません。
ちょうど、墨子の君王と人民との関係に似たものがあります。