竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

資料編 墨子 巻五 非攻中

2021年02月28日 | 墨子 原文と訓じ
資料編 墨子 巻五 非攻中
PDFのリンク先;
https://drive.google.com/file/d/1VXHKhtJxsbY2U_mee9QEZLv1G_vz9Zux/view?usp=sharing

《非攻中》
子墨子言曰、古者王公大人、為政於國家者、情欲誉之審、賞罰之當、刑政之不過失。是故子墨子曰、古者有語、謀而不得、則以往知来、以見知隱。謀若此、可得而知矣。
今師徒唯毋興起、冬行恐寒、夏行恐暑、此不可以冬夏為者也。春則廃民耕稼樹藝、秋則廃民穫斂。今唯毋廃一時、則百姓飢寒凍餒而死者、不可勝數。今嘗計軍上、竹箭羽旄幄幕、甲盾撥劫、往而靡壞腑爛不反者、不可勝數、又與矛戟戈剣乗車、其往則碎折靡壞而不反者、不可勝數、與其牛馬肥而往、瘠而反、往死亡而不反者、不可勝數、與其涂道之脩遠、糧食輟絕而不継、百姓死者、不可勝數也、與其居處之不安、食飲之不時、飢飽之不節、百姓之道疾病而死者、不可勝數、喪師多不可勝數、喪師盡不可勝計、則是鬼神之喪其主後、亦不可勝數。
國家発政、奪民之用、廃民之利、若此甚衆、然而何為為之。曰、我貪伐勝之名、及得之利、故為之。子墨子言曰、計其所自勝、無所可用也。計其所得、反不如所喪者之多。今攻三里之城、七里之郭、攻此不用鋭、且無殺而徒得此然也。殺人多必數於萬、寡必數於千、然後三里之城、七里之郭、且可得也。今萬乗之國、虛數於千、不勝而入廣衍數於萬、不勝而辟。然則土地者、所有餘也、士民者、所不足也。今盡士民之死、厳下上之患、以争虛城、則是棄所不足、而重所有餘也。為政若此、非國之務者也。
飾攻戦者言曰、南則荊、呉之王、北則齊、晋之君、始封於天下之時、其土地之方、未至有數百里也、人徒之衆、未至有數十萬人也。以攻戦之故、土地之博至有數千里也、人徒之衆至有數百萬人。故當攻戦而不可為也。子墨子言曰、雖四五國則得利焉、猶謂之非行道也。譬若医之薬人之有病者然。今有医於此、和合其祝薬之于天下之有病者而薬之、萬人食此、若医四五人得利焉、猶謂之非行薬也。故孝子不以食其親、忠臣不以食其君。古者封國於天下、尚者以耳之所聞、近者以目之所見、以攻戦亡者、不可勝數。何以知其然也。東方自莒之國者、其為國甚小、閒於大國之閒、不敬事於大、大國亦弗之従而愛利。是以東者越人夾削其壤地、西者齊人兼而有之。計莒之所以亡於齊越之間者、以是攻戦也。雖南者陳、蔡、其所以亡於呉越之閒者、亦以攻戦。雖北者且不一著何、其所以亡於燕、代、胡、貊之閒者、亦以攻戦也。是故子墨子言曰、古者王公大人、情欲得而悪失、欲安而悪危、故當攻戦而不可不非。
飾攻戦者之言曰、彼不能收用彼衆、是故亡。我能收用我衆、以此攻戦於天下、誰敢不賓服哉。子墨子言曰、子雖能收用子之衆、子豈若古者呉闔閭哉。古者呉闔閭教七年、奉甲執兵、奔三百里而舍焉、次注林、出於冥隘之径、戦於柏挙、中楚國而朝宋與及魯。至夫差之身、北而攻齊、舍於汶上、戦於艾陵、大敗齊人而葆之大山、東而攻越、濟三江五湖、而葆之會稽。九夷之國莫不賓服。於是退不能賞孤、施舍群萌、自恃其力、伐其功、誉其智、怠於教、遂築姑蘇之臺、七年不成。及若此、則呉有離罷之心。越王句踐視呉上下不相得、收其衆以復其讐、入北郭、徙大内、圍王宮而呉國以亡。昔者晋有六将軍、而智伯莫為強焉。計其土地之博、人徒之衆、欲以抗諸侯、以為英名。攻戦之速、故差論其爪牙之士、皆列其舟車之衆、以攻中行氏而有之。以其謀為既已足矣、又攻茲范氏而大敗之、并三家以為一家、而不止、又圍趙襄子於晋陽。及若此、則韓、魏亦相従而謀曰、古者有語、脣亡則歯寒。趙氏朝亡、我夕従之、趙氏夕、亡、我朝従之。詩曰魚水不務、陸将何及乎。是以三主之君、一心戮力辟門除道、奉甲興士、韓、魏自外、趙氏自内、撃智伯大敗之。是故子墨子言曰、古者有語曰、君子不鏡於水而鏡於人、鏡於水、見面之容、鏡於人、則知吉與凶。今以攻戦為利、則蓋嘗鑒之於智伯之事乎。此其為不吉而凶、既可得而知矣。

字典を使用するときに注意すべき文字
上、指事也。 じょうきょう、ようす、の意あり。
且、又也。 また、の意あり。
中、通、誅 ちゅうする、の意あり。
鏡、鑑也 かんがみる、の意あり。


《非攻中》
子墨子の言いて曰く、古の王公大人の、政(まつりごと)を國家に為す者は、情(まこと)に誉(ほまれ)を審(つまび)らかにするをなし、賞罰に當(あた)り、刑政に過失をなさずを欲す。是の故に子墨子の曰く、古の者に語(かたり)は有(あ)り、謀(はか)りて而(しかる)に得ざれば、則ち往(おう)を以って来(らい)を知り、見(けん)を以って隱(おん)を知る。謀ること此の若(ごと)きなれば、得て而(すなは)ち知る可(べ)し。
今、師徒(しと)は唯毋(ただ)興起(こうき)し、冬行は寒を恐れ、夏行は暑を恐れる、此れ冬夏を以って為(な)す可(べ)からずものなり。春は則ち民の耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を廃し、秋は則ち民の穫斂(かくれん)を廃す。今、唯毋(ただ)一時を廃すれば、則ち百姓は飢寒(きかん)凍餒(とうたい)して而(しかる)に死する者、勝(あ)へて數(かぞ)ふ可(べ)からず。今、嘗(こころ)みに軍の上(じょう)を計るに、竹箭(ちくせん)羽旄(うぼう)幄幕(あくばく)、甲盾(こうじゅん)撥劫(はつふう)の、往きて而(ま)た靡壞(みへい)腑爛(ふらん)して反(かへ)らざるもの、勝(あ)げて數(かぞ)ふ可からず、又た與(とも)に矛戟(ぼうげき)戈剣(けんけん)乗車(じょうしゃ)、其の往きて則ち碎折(さいせつ)靡壞(ひかい)して而(ま)た反(かへ)らざるもの、勝(あ)へて數(かぞ)ふ可からず、與(とも)に其の牛馬は肥え而して往き、瘠せて而(ま)た反(かへ)る、往きて死亡して而(しかる)に反(かへ)らざるもの、勝(あ)へて數(かぞ)ふ可からず、與(さら)に其の涂道(とどう)は脩遠(しゅうえん)にして、糧食(りょうしょく)輟絶(てつぜつ)して而して継がず、百姓の死する者、勝(あ)げて數(か)ふべからず、與(さら)に其の居處(きょしょ)は不安にして、食飲(しょくいん)は時ならず、飢飽(きほう)は節(せつ)あらず、百姓の道に疾病(しっぺい)して而(しかる)に死する者、勝(あ)げて數(かぞ)ふべからず、師を喪(うしな)ふの多きこと勝(あ)へて數(かぞ)ふ可からず、師を喪(うしな)ひ盡(つく)すこと勝(あ)げて計(かぞ)ふ可からず、則ち是の鬼神の其の主後(しゅご)を喪(うしな)うこと、亦た勝(あ)へて數(かぞ)ふ可(べ)からず。
國家の政(せい)を発し、民の用を奪い、民の利を廃す、若(かくのごと)き此れ甚(はなは)だ衆(おお)し、然らば而(しかる)に何(なに)為(す)れぞ之を為す。曰く、我(おのれ)の勝の名を伐(ほこ)り、及(さら)に利を得るを貪(むさぼ)る、故に之を為す。子墨子の言いて曰く、其の自ら勝つ所を計るに、用ふ可(べ)き所は無し。其の得る所を計るに、反りて喪(うしな)う所の多きに如(し)かず。今、三里の城、七里の郭を攻む、此を攻めるに鋭を用ひず、且(た)だ殺すこと無く而して徒(た)だ得むこと此れ然らむや。人を殺すこと多きは必ず萬を數へ、寡(すくな)きも必ず千を數ふ、然かる後に三里の城、七里の郭、且(た)だ得る可し。今、萬乗の國に、虚は千を數へ、勝たずして而して廣衍(こうえん)に入るは萬を數へ、勝たずして而して辟(ひら)く。然らば則ち土地は、餘り有る所にして、士民は、足らざる所なり。今、士民の死を盡(つく)し、下の上への患(かん)を厳(げん)にし、以って虚城を争ふ、則ち是は足らざる所を棄てて、而して餘り有る所を重(おも)むずるなり。政(まつりごと)を為すの此の若(ごと)きは、國の務(つとめ)に非ざるものなり。
攻戦を飾(かざ)る者の言いて曰く、南は則ち荊、呉の王、北は則ち齊、晋の君、始めて天下に封ぜられし時、其の土地の方(ほう)、未だ數百里は有るに至らず、人徒(じんと)の衆(しゅう)、未だ數十萬人は有るに至らずなり。攻戦の故を以って、土地の博(ひろ)きこと數千里は有るに至り、人徒(じんと)の衆(しゅう)、數百萬人は有るに至れり。故に當に攻戦するも而(しかる)に為す可からずとせむとす。子墨子の言いて曰く、四五國は則ち利を得ると雖(いへど)も、猶之を行道に非ずと謂ふ。譬(たと)へば医薬が人の病の有る者に然(しか)するが若(ごと)き。今、此に医有り、其の祝薬(しゅくやく)を和合(わごう)し、天下の病の有る者に之(い)きて而して之に薬(やく)し、萬人は之を食ふ、若(も)し四五人に医して利を得るとも、猶之を行薬(こうやく)に非ずと謂はむ。故に孝子は以って其の親に食せしめず、忠臣は以って其の君に食せしめず。古(いにしへ)の國を天下に封ぜり、尚(かみ)なる者は耳(じ)の聞く所を以ってし、近き者は目(もく)の見る所を以ってするに、攻戦を以って亡びし者は、勝(あへ)て數ふ可からず。何を以って其の然(しか)るを知るや。東方に自(おのず)から莒の國なるもの、其の國(くに)為(た)ること甚だ小、大國の閒(あひだ)に閒(はさ)まれ、大いに敬事(けいじ)せず、大國も亦た之に従つて而(しかる)に愛利せず。是を以って東は越人は其の壤地(じょうち)を夾削(きょうさく)し、西は齊人は兼(あわ)せて而(しかる)に之を有す。莒の之の齊越の間に亡びし所以(ゆえん)のものを計るに、是の攻戦を以ってなり。南は陳、蔡と雖(いへど)も、其の呉越の閒(かん)に亡びし所以(ゆえん)のものは、亦た攻戦を以ってす。北は且(しょ)不一著何(ふとか)と雖(いへど)も、其の燕、代、胡、貊の閒(かん)に亡びし所以(ゆえん)のものは、亦た攻戦を以ってなり。是の故に子墨子の言いて曰く、古(いにしへ)の王公大人は、情(じょう)を得るを欲して而して失ふを悪(にく)み、安きを欲して而して危きを悪(にく)む、故に攻戦の當(ごと)きは而して非(ひ)せざる可(べ)からず。
攻戦を飾(かざ)る者の言いて曰く、彼(か)は彼(か)の衆(しゅう)を収用すること能はず、是の故に亡ぶ。我(おのれ)は能く我(おのれ)の衆(しゅう)を収用す、此を以って天下に攻戦せば、誰か敢て賓(ひん)服(ふく)せざらむや。子墨子の言いて曰く、子(し)は能く子(し)の衆(しゅう)を収用すと雖(いへど)も、子は豈に古(いにしへ)の呉(ご)闔閭(こうりょ)に若(し)かむや。古(いにしへ)の呉闔閭は教ふること七年、甲(こう)を奉じ兵を執(と)り、三百里を奔(はし)りて而して舍(やど)り、注林(ちゅうりん)に次し、冥隘(めいあい)の径(みち)に出で、柏挙(はくきょ)に戦ひ、楚國を中(ちゅう)し而して宋及び魯とを朝(ちょう)せしむ。夫差(ふさ)の身に至りて、北して而して齊を攻め、汶上(もんしょう)に舍(やど)り、艾陵(がいりょう)に戦い、大いに齊人を敗りて而して之を大山に葆(ほう)せしめ、東して而して越を攻め、三江五湖を濟(わた)り、而して之を會稽(かいけい)に葆(ほう)せしめむ。九夷の國の賓服(ひんふく)せざるは莫(な)し。是に於て退(の)きて孤(こ)を賞し、群萌(ぐんぼう)に施舍(ししゃ)すること能はず、自ら其の力を恃(たの)み、其の功に伐(ほこ)り、其の智を誉(ほ)め、教(おしへ)を怠(おこた)り、遂に姑蘇(こそ)の臺(たい)を築き、七年成らず。此の若(ごと)きに及んで、則ち呉に離罷(りひ)の心有り。越王句踐(こうせん)は呉の上下の相(あい)得(え)ざるを視(み)て、其の衆(しゅう)を収めて以って其の讐(しゅう)を復し、北郭に入り、大内を徙(わた)り、王宮を圍(かこ)み而して呉國は以って亡ぶ。昔は晋に六将軍有り、而して智伯は焉(これ)より強(きょう)為(た)るは莫(な)し。其の土地は博(ひろ)く、人徒(じんと)の衆(おお)きを計り、以って諸侯に抗すを欲し、以って英名(えいめい)を為(な)さむ。攻戦は速(すみや)かなり、故に其の爪牙(そうが)の士を差論(さろん)し、皆其の舟車の衆(しゅう)を列し、以って中行氏を攻めて而して之を有(たも)つ。其の謀(はかりごと)を以って既已(すで)に足れりと為す、又た茲(ここ)に范(はん)氏を攻めて而して之を大いに敗り、三家を并せ以って一家と為し、而して止まず、又た趙(ちょう)襄子(じょうし)を晋陽に圍(かこ)む。此の若きに及び、則ち韓、魏も亦た相(あひ)従(したが)ひて而して謀(はか)りて曰く、古(いにしへ)に語(ことば)は有り、脣(くちびる)は亡ぶれば則ち歯寒し。趙(ちょう)氏(し)は朝(あした)に亡び、我(われ)は夕(ゆうべ)に之に従はむ、趙氏は夕(ゆうべ)に亡びて、我は朝(あした)に之に従はむ。詩に曰く、魚水(ぎょすい)の務(つと)めざれば、陸(りく)は将た何ぞ及ばむや。是(これ)を以って三主の君、心を一にして力を戮(あは)せ門を辟(ひら)き道を除(のぞ)き、甲(こう)を奉じ士を興(おこ)し、韓、魏は外(そと)自りし、趙氏は内(うち)自りし、智伯を撃ち之を大いに敗る。是(これ)の故に子墨子の言いて曰く、古(いにしへ)に語(ことば)は有りて曰く、君子は水に鏡(かむが)みずして而して人に鏡(かむが)む、水に鏡(かむが)みれば、面(かほ)の容(かたち)を見、人に鏡(かむが)みれば、則ち吉と凶とを知る。今、攻戦を以って利を為すは、則ち蓋(なむ)ぞ嘗(こころ)みに之を智伯の事に鑒(かむが)みざるか。此れ其の不吉にして而して凶(きょう)為(た)ること、既に得て而して知る可(べ)し。
コメント

万葉集 集歌1528から集歌1532まで

2021年02月26日 | 新訓 万葉集巻八
集歌一五二八 
原文 霞立 天河原尓 待君登 伊徃還程尓 裳襴所沾
訓読 霞立つ天つ川原に君待つとい往(い)き還(か)るほどに裳し裾濡れぬ
私訳 霞が立つ天の川原で貴方を待っていると、川原へ行ったり来たりするので裳の裾が濡れてしまう。
注意 原文の「伊徃還程尓」は、標準解釈では「程」の字を抜いて「伊徃還尓」と校訂します。

集歌一五二九 
原文 天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母
訓読 天つ川浮津(ふつ)し浪(なみ)音(おと)騒(さわ)くなり吾が待つ君し舟出(ふねで)すらしも
私訳 天の川に、太刀が物を斬るようなはっきりした浪音が騒がしい。私が待つ貴方が船出をしたようです。

大宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家謌二首
標訓 大宰の諸(もろもろ)の卿大夫(まへつきみたち)并せて官人等(つかさひとたち)の筑前國の蘆城(あしき)の驛家(うまや)にて宴(うたげ)せし謌二首
集歌一五三〇 
原文 娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見
訓読 女郎花(をみなへし)秋萩交(まじ)る蘆城(あしき)し野今日(けふ)を始めて万代(よろづよ)に見む
私訳 女郎花と秋萩とが咲き乱れるこの蘆城の野を、今日を始めとして、いついつまでも眺めましょう。

集歌一五三一 
原文 珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方
訓読 珠匣(たまくしげ)蘆城(あしき)の川を今日(けふ)見ては万代(よろづよ)までに忘らえめやも
私訳 立派な櫛を収める美しい匣の、蘆城の川を今日このように眺めると、いついつまでも忘れることがあるでしょうか。
左注 右二首、作者未詳。
注訓 右の二首は、作りたる者は未だ詳(つばび)らかならず。

笠朝臣金村伊香山作謌二首
標訓 笠朝臣金村の伊香山(いかごやま)にて作れる謌二首
集歌一五三二 
原文 草枕 客行人毛 徃觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞
訓読 草枕旅行く人も行き触れば色付(にほひ)ぬべくも咲ける萩かも
私訳 草を枕にするような苦しい旅を行く人も、道を行き道の傍らの花に触れただけでも着る衣が染まってしまうほどに咲いている萩の花です。

コメント

万葉集 集歌1523から集歌1527まで

2021年02月25日 | 新訓 万葉集巻八
集歌一五二三 
原文 秋風之 吹尓之日従 何時可登 吾待戀之 君曽来座流
訓読 秋風し吹きにし日より何時(いつ)しかと吾が待ち恋ひし君ぞ来(き)ませる
私訳 秋風の吹きだした日から何時いらっしゃるかと、私が待ち焦がれていた貴方がやって来ます。

集歌一五二四 
原文 天漢 伊刀河浪者 多々祢杼母 伺候難之 近此瀬呼
訓読 天つ川いと川浪は立たねども伺(さもら)ひ難(かた)し近きこの瀬を
私訳 天の川にひどく川浪が立っているわけでもないのですが、私から貴方の許へお伺いすることが難しい、貴方の許に近いこの瀬を。

集歌一五二五 
原文 袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良祢波
訓読 袖振らば見も交(かは)しつべく近けども渡る便(すべ)無し秋にしあらねば
私訳 貴方の気持ちを呼び寄せる衣の袖を振ったならば、互いに目線を交わすほどに間近なのですが、川を渡る手段がありません。まだ、七夕の夜の秋ではないので。

集歌一五二六 
原文 玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波
訓読 玉かぎる髣髴(ほのか)に見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは
私訳 美しい鬼ヤンマのようなトンボが飛び過ぎるように覚束なく貴女に逢って別れると、心もとなく恋しく思うでしょう。次に逢う時までは。
左注 右、天平二年七月八日夜、帥家集會。
注訓 右は、天平二年七月八日の夜に、帥の家に集會(つど)へり。

集歌一五二七 
原文 牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 漢原尓 霧之立波
訓読 牽牛(ひこほし)し嬬(つま)に船(ふね)迎(む)け漕ぎ出(づ)らし天つ川原に霧し波立つ
私訳 彦星が嬬の許に行くために船先を向けて、船を漕ぎ出したようだ。天の川原に船が起こす霧の波が立っている。
注意 原文の「漢原尓」は、標準解釈では「天漢原尓」と「天」の字を補記します。
コメント

万葉集 集歌1518から集歌1522まで

2021年02月24日 | 新訓 万葉集巻八
山上巨憶良七夕謌十二首
標訓 山上(やまのうへの)巨(おほ)憶良の七夕(たなばた)の謌、十二首
集歌一五一八 
原文 天漢 相向立而 吾戀之 君来益奈利 紐解設奈 (一云 向河)
訓読 天つ川相向き立ちて吾が恋ひし君来(き)ますなり紐解(と)き設(ま)けな (一云(あるひはいは)く、 川に向ひて)
私訳 天の川に向い立って私が恋しお慕いする貴方が来られるようだ。着物の紐を解いてお待ちしよう。(或いは云うに、川に向って)
左注 右、養老八年七月七日應令
注訓 右は、養老八年七月七日に、令(りょう)に應(こた)ふ。
注意 標題の「山上巨憶良」の「巨」は、標準解釈では「臣」の誤記とし「山上臣憶良」と直します。「巨(おほ)」は渡来系一族の長を示し、対して「臣(おみ)」は大和古来の氏族を示します。

集歌一五一九 
原文 久方之 漢尓 船泛而 今夜可君之 我許来益武
訓読 久方(ひさかた)し天つ川に船浮けて今夜か君し我許(わがり)来(き)まさむ
私訳 遥か彼方の天の川に船を浮かべて、今夜こそは本当にお慕いする貴方が私の許においでになるのでしょうか。
左注 右、神亀元年七月七日夜左大臣宅
注訓 右は、神亀元年七月七日の夜に、左大臣の宅(いへ)。
注意 原文の「漢尓」は、標準解釈では「漢瀬尓」と校訂し「天の川瀬に」と訓じます。

集歌一五二〇 
原文 牽牛者 織女等 天地之 別時雨 伊奈宇之呂 河向立 意空 不安久尓 嘆空 不安久尓 青浪尓 望者多要奴 白雲尓 啼者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纒之 真可伊毛我母 (一云 小棹毛何毛) 朝奈藝尓 伊可伎渡 夕塩尓 (一云 夕倍尓毛) 伊許藝渡 久方之 天河原尓 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞 (一云 伊毛左祢而師加) 秋尓安良受登母 (一云 秋不待登毛)
訓読 牽牛(ひこほし)は 織女(たなばたつひめ)と 天地(あまつち)し 別れし時雨(しぐれ) 辞(いな)う代(しろ) 川し向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青浪(あをなみ)に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居(を)らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りし 小船もがも 玉纏(たままき)し 真櫂(まかい)もがも (一云(あるひはいは)く、 小棹(をさを)もがも) 朝凪に い掻(か)き渡り 夕潮(ゆふしほ)に (一云く、 夕(ゆふべ)にも) い漕(こ)ぎ渡り 久方(ひさかた)し 天つ川原に 天飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真(ま)玉手(たまで)の 玉手(たまて)さし交(か)へ あまた宿(やど)も 寝(い)ねてしかも (一云く、 寝(い)もさ寝(ね)てしか) 秋にあらずとも (一云く、 秋待たずとも)
私訳 牽牛と織女と、天地の別れの時の時雨ような涙、出会いを断る代わりに、河に向い立って慕いあう身も安からず、嘆く身も安からずに、川に立つ青浪によって希望は絶たれて来た。横たわる白雲を望んで涙も乾かなかった。こうしてばかり溜息をついているのだろうか。このようにただ恋焦がれているのだろうか。赤く塗った小船も欲しい。立派に皮を巻き飾った櫂も欲しい(或いは云うに、小さな棹も欲しい)。朝の凪に櫂をかいて渡り、夕べの潮流に(或いは云うに、夕べにも)船に帆を揚げて渡り、久方の天の川の河原に、天を翔けると云う領巾を半ば敷いて、真玉のような美しい腕をさし交わし、幾夜も寝たいものだ(或いは云うに、寝ることもしたいものだ)。秋ではなくとも(或いは云うに、秋を待たずとも)。
注意 原文の「別時雨」は標準解釈では「別時由」と校訂し「別れし時ゆ」と訓じます。また、「意空」は「思空」と校訂しますが、この訓じは同じです。

反謌
集歌一五二一 
原文 風雲者 二岸尓 可欲倍杼母 吾遠嬬之 (一云 波之嬬乃) 事曽不通
訓読 風雲(あまくも)は二つし岸に通(かよ)へども吾が遠妻(とほつま)し (一云(あるひはいは)く、 愛(は)し妻の) 事(こと)そ通(かよ)はぬ
私訳 風雲は天の川の両岸を通いゆくのだが、私の遠い所に住む妻の(或いは云うに、愛しい妻)の想いは通わない。

集歌一五二二 
原文 多夫手二毛 投越都倍伎 天漢 敝太而礼婆可母 安麻多須辨奈吉
訓読 礫(たぶて)にも投げ越しつべき天つ川隔(へだ)てればかもあまた術(すべ)無き
私訳 石も礫でも投げれば届くに違いない天の川だのに、隔てているからか、何とすべないことよ。
左注 右、天平元年七月七日夜、憶良仰觀天河。(一云、帥家作)
注訓 右は、天平元年(神亀六年)七月七日夜に、憶良の天の河を仰ぎ觀たり。(一云(あるひはいは)く、帥の家の作)
注意 原文の「投越都倍伎」は、標準解釈では「投越都倍吉」と校訂します。ただ、訓じは同じです。
コメント

万葉集 集歌1513から集歌1517まで

2021年02月23日 | 新訓 万葉集巻八
穂積皇子御謌二首
標訓 穂積皇子の御謌(おほみうた)二首
集歌一五一三 
原文 今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黄葉家良思 吾情痛之
訓読 今朝(けさ)し朝開(あさけ)雁し音(ね)聞きつ春日山黄葉(もみち)にけらし吾が情(こころ)痛し
私訳 今朝の朝開けの中に雁の鳴き声を聞いた。春日山は黄葉したらしい。(それを眺めることの出来ない)私は気持ちが沈む。

集歌一五一四 
原文 秋芽者 可咲有良之 吾屋戸之 淺茅之花乃 散去見者
訓読 秋萩は咲くべくあらし吾が屋戸(やと)し浅茅(あさぢ)し花の散りゆく見れば
私訳 野の秋萩は花咲く時期になっているらしい。私の家の浅茅の花が散って行くのを見ると。

但馬皇女御謌一首  一書云、子部王作
標訓 但馬皇女の御謌(おほみうた)一首  一書(あるふみ)に云はく「子部王の作れり」といへり
集歌一五一五 
原文 事繁 里尓不住者 今朝鳴之 鴈尓副而 去益物乎 (一云 國尓不有者)
訓読 事(こと)繁(しげ)き里に住まずは今朝(けさ)鳴きし雁に副(たぐ)ひて去(い)かましものを (一(あるひは)云(い)ふ 国にあらずは)
私訳 このように些事の多い処に住んでいなければ、今朝啼いた雁に連れ添って飛び去って行くのですが(或いは「国でなければ」といへり)。

山部王惜秋葉謌一首
標訓 山部王(やまべのおほきみ)の秋の葉を惜みたる謌一首
集歌一五一六 
原文 秋山尓 黄反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世武
訓読 秋山に黄葉(もみ)つ木(こ)し葉の移(うつ)りなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ
私訳 秋の山に黄葉する木の葉が色変わり散って行ったなら、もっと、その秋の風情を眺めたいと思うでしょう。

長屋王謌一首
標訓 長屋王の謌一首
集歌一五一七 
原文 味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉 散莫惜毛
訓読 味酒(うまさけ)し三輪の祝(はふり)し山照らす秋の黄葉(もみち)し散らまく惜しも
私訳 古くから美味い酒を噛む三輪の祝(ほふり)が祝う山、その山を照らし彩る秋の黄葉に染まる紅葉(もみじ)が散ってしまうのが残念です。

コメント