竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

再読、今日のみそひと歌 火

2017年02月28日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 火

集歌689 海山毛 隔莫國 奈何鴨 目言乎谷裳 幾許乏寸
訓読 海山も隔(へだ)たらなくに何しかも目(め)言(こと)をだにも幾許(ここだ)乏(とも)しき
私訳 海や山も間にあって隔てているのではないのに、どうして、貴方のお姿を見たり、声を聴いたりする機会がこれほどに少ないのでしょうか。

集歌690 照日乎 闇尓見成而 哭涙 衣沽津 干人無二
訓読 照る日を闇(やみ)に見なしに哭(な)く涙衣(ころも)沽(か)りつ干(ほ)す人無(な)みに
私訳 照り輝く日も闇夜と思えて悶え泣く涙。その涙で濡れた衣を着替えました。その濡れた衣を干す人もいないのに。

集歌691 百礒城之 大宮人者 雖多有 情尓乗而所 念妹
試訓 ももしきし大宮人は多かれど情(こころ)に乗(の)りにそ念(おもほ)ゆる妹
試訳 多くの岩を積み上げる大宮の宮女は沢山いますが、私の心の内を占めて慕っているのは愛しい貴女だけです。

集歌692 得羽重無 妹二毛有鴨 如此許 人情乎 令盡念者
訓読 表辺(うはへ)なき妹にもあるかも如(か)くばかり人し情(こころ)を尽(つく)さす念(おも)へば
私訳 かくもつれない愛しい貴女なのですね。このように恋人と認めて貰えない私に貴女への想いを尽くさすと思うと。

集歌693 如此耳 戀哉将度 秋津野尓 多奈引雲能 過跡者無二
訓読 かくのみし恋ひや渡らむ秋津野にたなびく雲の過(す)ぐとはなしに
私訳 これほどに恋い慕い続けるのでしょうか。秋津の野に棚引く雲のように恋する思いが消え過ぎることはなくて。
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再読、今日のみそひと歌 月

2017年02月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 月

集歌684 今者吾波 将死与吾背 生十方 吾二可縁跡 言跡云莫苦荷
訓読 今は吾(あ)は死なむよ吾が背(せ)生(い)けるとも吾に縁(よ)るべしと言ふと云(い)はなくに
私訳 今は私は死んでしまいましょう。私の愛しい貴方。生きていても私を恋い慕っていますと貴方が誓うと云ってはくれないので。

集歌685 人事 繁哉君乎 二鞘之 家乎隔而 戀乍将座
訓読 人(ひと)事(こと)を繁みか君を二鞘(ふたさや)し家(いへ)を隔(へな)りに恋ひつつをらむ
私訳 世事が多いのでしょうか。御出でにならない愛しい貴方を、中を隔てる二鞘のように家を隔てて恋い慕っています。

集歌686 比者 千歳八徃裳 過与 吾哉然念 欲見鴨
訓読 このころは千歳(ちとせ)や往(い)きも過ぎぬると吾やしか念(も)ふ見まく欲(ほ)りかも
私訳 近頃は千年も時が行き過ぎてしまったのだろうかと私はこのように思ってしまう。お逢いしたいと恋焦がれるからでしょうか。

集歌687 愛常 吾念情 速河之 雖塞々友 猶哉将崩
訓読 愛(うるは)しと吾が念(おも)ふ情(こころ)速川(はやかは)し塞(せ)きに塞(せ)くともなほや崩(こぼ)たむ
私訳 貴方を愛しいと私がお慕いする気持ちは逸る。その言葉の響きではありませんが、速い流れの川を堰き止めに堰き止めたとしても、その堰を貴方へと逸る気持ちが崩してしまうでしょう。

集歌688 青山乎 横殺雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名
訓読 青山を横切る雲し著(いちし)ろく吾と笑(ゑ)ましに人にそ知らゆな
私訳 青い山並みを横切る雲がはっきりしているように、はっきり、私と微笑みを交わした貴方、それを人には決して気付かれないようにしてください。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3225

2017年02月26日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3225

集歌3225 天雲之 影寒所見 隠来矣 長谷之河者 浦無蚊 船之依不来 礒無蚊 海部之釣不為 吉咲八師 浦者無友 吉畫矢寺 礒者無友 奥津浪 諍榜入来 白水郎之釣船

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 天雲の 影(かげ)さへ見ゆる こもくりの 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来(こ)ぬ 礒なみか 海人(あま)の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 礒はなくとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕(こ)ぎ入(い)り来(こ) 海人(あま)の釣舟
標準 天雲の影までくっきり見える、隠り処の泊瀬の川、こんな川なのに、よい浦がないので舟が寄って来ないのか。よい磯がないので海人が釣りをしないのか。たとえよい浦はなくても、たとえよい磯がなくても、沖つ波、そう、沖から寄せて来るこの波のようにわれもわれもと漕ぎ入って来い、海人の釣舟よ。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 天雲の 影(かげ)寒(さ)む見ゆる 隠口(こもくり)の 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来(こ)ぬ 礒なみか 海人(あま)の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 礒はなくとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕(こ)ぎ入(いり)来(こ) 海人(あま)の釣舟
私訳 天の雲の影までも寒々と思える隠国の泊瀬の川は、入江のような所が無いせいか舟も寄ってこない、淵となる岩場が無いせいか漁師が釣りもしない。構わない、入江が無くても、ままよ、岩場が無くても、沖に立つ波に競って漕いでやって来い。漁師の釣り舟よ。

注意 原文の「影寒所見」は「影塞所見」が正しいとします。歌が詠う景色には大きな湖にそぞく川の様子があり、現代人が思う奈良盆地の姿ではありません。
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万葉雑記 色眼鏡 二〇五 今週のみそひと歌を振り返る その二五

2017年02月25日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二〇五 今週のみそひと歌を振り返る その二五

 弊ブログでは素人の怖いもの知らずと云うことで、西本願寺本万葉集の原歌に従えば万葉集に訓じが得られていない歌は無いとしています。ただし、インチキな話ですがその正誤は弊ブログではあずかり知らぬこととしています。実にいい加減で困ったものです。

 さて、古事記や万葉集でどのように扱ってよいのか難しい言葉に「月讀」と云うものがあります。伊勢内宮月讀神は弊ブログでは『皇太神宮儀式帳』に載る「月讀命。御形ハ馬ニ乗ル男ノ形。紫ノ御衣ヲ着、金作ノ太刀ヲ佩キタマフ」の記事に『日本書紀』の「因賜鞍馬。悉授軍事」の記事を重ね合わせて高市皇子を祀るものと考えていますが、一般には。天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、須佐之男(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたるとされています。ただ、弊ブログでは諸般の事情から伊勢内宮は天武天皇を、外宮は草壁皇子を祀ると考えていますので、日本神話での天地創造と飛鳥浄御原宮での御三方の立ち位置からすると似たものがあります。
 この月讀については日の神である天照大神と対となる夜の神であると云う説、その夜の神のシンボルから月を化身とし、そこから月の神とする説、さらには、天照大神は高天原の支配者との対比から滄海原の支配者と云う説もあります。このような所論があるために「月讀」と云う言葉は難しいとなります。

 このような難しい言葉ですが、今週は次の月讀を詠う歌を取り上げました。ここでは「月の神」として「月讀」と云う言葉を捉えています。以下の鑑賞は「月の神」と云う解釈から話を膨らませています。

湯原王謌一首
標訓 湯原王(ゆはらのおほきみ)の謌一首
集歌670 月讀之 光二来益 足疾乃 山乎隔而 不遠國
訓読 月読(つくよみ)し光りに来(き)ませあしひきの山を隔(へな)りて遠からなくに
私訳 月讀命(=月の神)、その月の神が輝かせる月明りを頼りにやって来て下さい。足を引きずるような険しい山を隔てていますが、遠くはありませんから。

和謌一首  不審作者
標訓 和(こた)へたる謌一首  作る者は審(つばび)らかならず
集歌671 月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念
訓読 月読(つくよみ)し光りは清く照らせれど惑(まと)へる情(こころ)甚(あ)へず念(おも)ほゆ
私訳 月讀命(=月の神)、その月の神が輝かせる月明りは神の光であるが故に清らかに照らしていますが、行くべきかとの思い迷う気持ちにひどく悩んでいます。

 湯原王は志貴皇子の御子ですから天智天皇の孫にあたりますし、以前に紹介しました湯原王と娘子が宮中の宴会で歌垣のように歌を戦わせ相聞問答を行ったように、父親志貴皇子に劣らず和歌の名手です。
 その湯原王が月光美しい夜に「ある人」を宴会に誘っています。一方、「ある人」はその誘いを躊躇しています。そうした時、巻六にその湯原王が月讀と云う言葉を使って詠った歌があります。

湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌985 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読男子よ、進物を以って祈願をしよう。七夕の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。

集歌986 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む貴方が来るかのように、甚だ間延びしたように月が照って来た。

 この歌二首の前後に置かれた歌からしますと雰囲気的に大伴坂上郎女、豊前娘子、湯原王、藤原八束達たちが集って持たれた宴会であったようです。大伴坂上郎女が詠う集歌981の歌に「猟高の高円山」と云う句で奈良の都の東、志貴皇子ゆかりの高円山と云う地名が詠み込まれていますから、高円山近辺の屋敷で宴は持たれたのでしょうか。
 もし、湯原王が詠う集歌985や集歌986の歌が集歌670の歌と関係があるとしますと、場合により次の歌から湯原王の誘いに躊躇したのは藤原八束なのかもしれません。このような発想で集歌987の歌の初句と二句目「待難尓余為月者」に対して「為の解釈」を行いました。まず、ここでのものは正統な解釈ではありません。

藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌987 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 貴方達を待ちぼうけに私がさせた、その話題の月は、まだ、恋人が著ける御笠のような、三笠山に隠れていますよ。
正統 私がこんなに待ちかねていた月は、(あの子が着る“笠”という)御笠の山に隠っていたのだなあ

 非常に馬鹿馬鹿しい解釈を下敷きとした鑑賞ですが、万葉集を俯瞰した時、時にこのような遊びができる可能性があります。



 別件ですが文末を使いまして、お礼を申し上げます。
 現代は貧乏な人間にも「書き物」を世に残すのに優しい時代になりました。その時代とサービスを利用して「書き物」を国立国会図書館と高岡市万葉歴史館に収蔵して頂くことを目的に自費出版ですが、さらに簡便なアマゾン・ペーパーバック版でISBN番号を取り、出版物の体裁を整えたものを作りました。当然、アマゾンで出版物として購入は可能ですが、目的は紹介しました二つの図書館に所蔵して頂くことです。つまり、皆様方に購入して頂けるとは、思ってもみないことです。ところが、少しは売れているようで、うれしいような、ですが、困惑しています。
 書き物は土方賀陽と云う名で出していますが、その背景はブログです。そして、元となっている弊ブログは建設作業員と云う部外者が与太話を垂れ流しているものであって、正統な学問でも、きちんとしたお金を払うようなエッセイでもありません。書き物はそれを作業員と云う個人一人で編集・校正したもので、費用の関係から専門家の目が入ったものではありません。私は日給月給の建設作業員をしており、お金の厳しさを重々承知しています。そのため、アマゾン・ペーパーバック版と云うものに大金三千円近くものお金を投じて頂くことに、非常に心苦しく思っています。
 重ねて、そのような書き物に大金を投じて頂いたお方に感謝いたすとともに、お金に見合わないことへのお詫びを申し上げます。

 最後に恥ずかしい言訳として、
 自費出版では、印刷と云うタイプを除きますと、図書館収蔵規定を満たす条件での30部程度の最小ロット部数として、制作過程を節約したとしても出版費用として約30~40万円ほどが必要です。つまり、1冊1万円程度の原価となります。それに対して大手流通出版物との比較から1冊1200~1500円程度の定価をつけてアマゾンだけでネット販売する例が大半です。ある種、記録や記念としての出版と云うことになります。
 一方、アマゾン・ペーパーバック版は出版への最低費用はPDF原稿の登録費用(約5000円)だけで、後はアマゾンが印刷実費と販売手数料を載せて、アマゾンが販売価格を設定します。つまり、一般の自費出版物では著者がほとんどの費用を負担しますが、アマゾン・ペーパーバック版では読者がほとんどの費用を負担すると云うことになっています。その差で価格が大きく違う形になっています。
 「お金はありません。でも、書き物として世に残したい」 その欲の始末がこのようなザマです。以上、言訳です。ご容赦ください。
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再読、今日のみそひと歌 金

2017年02月24日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 金

集歌679 不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有
訓読 否(いな)と云(い)は強(し)ひめや吾が背(せ)菅し根し念(おも)ひ乱れに恋ひつつもあらむ
私訳 いやだと云うのでしたら、無理に願いません。私の愛しい貴方。菅の根が人知れず乱れているように、私の貴方への思いは人知れず乱れて恋い慕い続けるでしょう。

集歌680 盖毛 人之中言 聞可毛 幾許雖待 君之不来益
訓読 けだしくも人し中言(なかこと)聞かせかも幾許(ここだ)く待てど君し来まさぬ
私訳 きっと、人の中傷をお聞きになったのでしょう。これほど待っていますが、貴方はおいでにならない。

集歌681 中々尓 絶年云者 如此許 氣緒尓四而 吾将戀八方
訓読 なかなかに絶ゆとし云はばかくばかり気(いき)し緒にしに吾(わ)が恋ひめやも
私訳 いっそのこと仲を絶つと云うのでしたら、これほどばかり一生懸命に私が貴方を尊敬するでしょうか。

集歌682 将念 人尓有莫國 懃 情盡而 戀流吾毳
訓読 念(おも)ふらむ人にあらなくに懃(ねもころ)し情(こころ)尽(つく)しに恋ふる吾かも
私訳 私のことを気に掛けてくれる人でもないのですが、ねんごろに心を尽くして貴方を尊敬する私です。

集歌683 謂言之 恐國曽 紅之 色莫出曽 念死友
訓読 謂(い)ふ言(こと)し恐(かしこ)き国ぞ紅(くれなゐ)し色にな出(い)でそ念(おも)ひ死ぬとも
私訳 声に出して云う誓いを大切にする国です。でも、紅の色のように、けっして人目に付くように表に出さないで。私が貴方に恋焦がれて死んでしまっても。
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