近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇、謚曰天智天皇
標訓 近江(おふみ)大津宮(おほつのみや)に御宇(あめのしたしらしめし)天皇(すめらみこと)の代(みよ)
天命(あめのみこと)開別(ひらかすわけの)天皇(むめらみこと)、謚(おくりな)して曰はく天智天皇
天皇、詔内大臣藤原朝臣、競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時、額田王、以謌判之謌
標訓 天皇の、内(うちの)大臣(おほおみ)藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の萬花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千(せん)葉(ゑふ)の彩(いろどり)とを競はしたまひし時に、額田王の、歌を以ちて判(こと)れる歌
注意 「内大臣藤原朝臣」の「内大臣」は官職ではなく、中臣御食家が世襲の天皇家秘書官の中臣で、同時に氏一族の代表の大臣(おほおみ)を示します。
集歌一六
原文 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
訓読 冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴(な)きぬ 咲(さ)かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りにも取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)し葉を見には 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きにそ嘆く そこし恨めし 秋山吾は
私訳 冬の木芽から春を過ぎ来ると、今まで鳴かなかった鳥も来て鳴き、咲かなかった花も咲きますが、山は茂り合っていて入ってその花を手に取れず、草は深くて花を手折って見ることも出来ない。秋の山では、その木の葉を眺めては、色付くその黄葉を手に取ってはとても美しいと思う。このまだ黄葉していない青葉は早く色付いて欲しいと思う。それがじれったく待ち遠しい。それで秋山を私は採ります。
額田王下近江國時謌、井戸王即和謌
標訓 額田王の近江國に下りし時の歌、井戸王の即ち和(こた)へる歌
集歌一七
原文 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
訓読 味酒(うまさけ) 三輪の山 青(あを)丹(に)よし 奈良の山の 山し際(は)し い隠(かく)るまで 道し隈(くま) い積もるまでに 委(つば)らにも 見つつ行かむを しばしばも 見(み)放(は)けむ山を 情(こころ)なみ 雲の 隠さふべしや
私訳 味酒の三輪の山が、青丹も美しい奈良の山の山の際に隠れるまで、幾重にも道の曲がりを折り重ねるまで、しみじみと見つづけて行こう。幾度も見晴らしたい山を、情けなく雲が隠すべきでしょうか。
反謌
集歌一八
原文 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
訓読 三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠さふべしや
私訳 三輪山をこのように隠すのでしょうか。雲だらかと云っても、もし、情け心があれば想い出の三輪山を隠すことがあるでしょうか。
左注 右二首謌、山上憶良大夫類聚歌林曰、遷都近江國時、御覧三輪山御謌焉。日本書紀曰、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、遷都于近江。
注訓 右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「都を近江國に遷す時に、三輪山を御覧(みそなは)す御歌(おほみうた)なり」といへり。日本書紀に曰はく「六年丙寅の春三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といへり。
集歌一九
原文 綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
訓読 綜麻形(へそがた)の林しさきの狭野(さの)榛(はり)の衣(ころも)に著(つ)く成(な)す目につく吾(わ)が背
私訳 糸を巻き取る綜麻、その円錐の形をした三輪山の林のはずれの小さな野にある榛を衣に摺り著け、それを身に着けている。私の目には相応しく見えます。私がお仕えする貴女よ。
左注 右一首謌、今案不似和謌。但、舊本載于此次。故以猶載焉。
注訓 右の一首の歌は、今案(かむ)がふるに和(こた)ふる歌に似はず。但し、旧き本には此の次(しだひ)に載す。故に以つてなお載す。
注意 集歌一九の歌の句「狭野榛能 衣尓著成」については「榛で染めた衣」と「榛の摺り染め衣」の二つの解釈があり、「榛で染めた衣」の場合は大化三年の七色十三階の冠令規定から黒冠(八位相当)が着る官服色の緑(ふかきみどり)を指します。一方、額田王は大海人皇子の夫人ですから官服色は浅紫となりますので、下級官吏の着る「榛で染めた衣」ではなく、巫女が神事で着る「榛の摺り染め衣」の御衣を着ています。つまり、これらの歌は遷都での国境で詠われた国誉めと別れの歌です。
天皇、遊狩蒲生野時、額田王作謌
標訓 天皇の、蒲生野に遊狩(みかり)しし時に、額田王の作れる歌
集歌二〇
原文 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
訓読 茜草(あかね)さす武(む)良(ら)前(さき)野(の)逝(ゆ)き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君し袖振る
私訳 茜染めの真緋(あけ)の衣を纏った武者達が駆け回った茜色に染まった蒲生邑の前野はもう暮れようとしています。今日、その御狩地である標野で御狩りがありましたが、野守は見たでしょうか。多くの女性が薬草採りをする中で、私だけに貴方がそっと印しの袖を振ったのを。
標訓 近江(おふみ)大津宮(おほつのみや)に御宇(あめのしたしらしめし)天皇(すめらみこと)の代(みよ)
天命(あめのみこと)開別(ひらかすわけの)天皇(むめらみこと)、謚(おくりな)して曰はく天智天皇
天皇、詔内大臣藤原朝臣、競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時、額田王、以謌判之謌
標訓 天皇の、内(うちの)大臣(おほおみ)藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の萬花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千(せん)葉(ゑふ)の彩(いろどり)とを競はしたまひし時に、額田王の、歌を以ちて判(こと)れる歌
注意 「内大臣藤原朝臣」の「内大臣」は官職ではなく、中臣御食家が世襲の天皇家秘書官の中臣で、同時に氏一族の代表の大臣(おほおみ)を示します。
集歌一六
原文 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
訓読 冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴(な)きぬ 咲(さ)かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りにも取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)し葉を見には 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きにそ嘆く そこし恨めし 秋山吾は
私訳 冬の木芽から春を過ぎ来ると、今まで鳴かなかった鳥も来て鳴き、咲かなかった花も咲きますが、山は茂り合っていて入ってその花を手に取れず、草は深くて花を手折って見ることも出来ない。秋の山では、その木の葉を眺めては、色付くその黄葉を手に取ってはとても美しいと思う。このまだ黄葉していない青葉は早く色付いて欲しいと思う。それがじれったく待ち遠しい。それで秋山を私は採ります。
額田王下近江國時謌、井戸王即和謌
標訓 額田王の近江國に下りし時の歌、井戸王の即ち和(こた)へる歌
集歌一七
原文 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
訓読 味酒(うまさけ) 三輪の山 青(あを)丹(に)よし 奈良の山の 山し際(は)し い隠(かく)るまで 道し隈(くま) い積もるまでに 委(つば)らにも 見つつ行かむを しばしばも 見(み)放(は)けむ山を 情(こころ)なみ 雲の 隠さふべしや
私訳 味酒の三輪の山が、青丹も美しい奈良の山の山の際に隠れるまで、幾重にも道の曲がりを折り重ねるまで、しみじみと見つづけて行こう。幾度も見晴らしたい山を、情けなく雲が隠すべきでしょうか。
反謌
集歌一八
原文 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
訓読 三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠さふべしや
私訳 三輪山をこのように隠すのでしょうか。雲だらかと云っても、もし、情け心があれば想い出の三輪山を隠すことがあるでしょうか。
左注 右二首謌、山上憶良大夫類聚歌林曰、遷都近江國時、御覧三輪山御謌焉。日本書紀曰、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、遷都于近江。
注訓 右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「都を近江國に遷す時に、三輪山を御覧(みそなは)す御歌(おほみうた)なり」といへり。日本書紀に曰はく「六年丙寅の春三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といへり。
集歌一九
原文 綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
訓読 綜麻形(へそがた)の林しさきの狭野(さの)榛(はり)の衣(ころも)に著(つ)く成(な)す目につく吾(わ)が背
私訳 糸を巻き取る綜麻、その円錐の形をした三輪山の林のはずれの小さな野にある榛を衣に摺り著け、それを身に着けている。私の目には相応しく見えます。私がお仕えする貴女よ。
左注 右一首謌、今案不似和謌。但、舊本載于此次。故以猶載焉。
注訓 右の一首の歌は、今案(かむ)がふるに和(こた)ふる歌に似はず。但し、旧き本には此の次(しだひ)に載す。故に以つてなお載す。
注意 集歌一九の歌の句「狭野榛能 衣尓著成」については「榛で染めた衣」と「榛の摺り染め衣」の二つの解釈があり、「榛で染めた衣」の場合は大化三年の七色十三階の冠令規定から黒冠(八位相当)が着る官服色の緑(ふかきみどり)を指します。一方、額田王は大海人皇子の夫人ですから官服色は浅紫となりますので、下級官吏の着る「榛で染めた衣」ではなく、巫女が神事で着る「榛の摺り染め衣」の御衣を着ています。つまり、これらの歌は遷都での国境で詠われた国誉めと別れの歌です。
天皇、遊狩蒲生野時、額田王作謌
標訓 天皇の、蒲生野に遊狩(みかり)しし時に、額田王の作れる歌
集歌二〇
原文 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
訓読 茜草(あかね)さす武(む)良(ら)前(さき)野(の)逝(ゆ)き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君し袖振る
私訳 茜染めの真緋(あけ)の衣を纏った武者達が駆け回った茜色に染まった蒲生邑の前野はもう暮れようとしています。今日、その御狩地である標野で御狩りがありましたが、野守は見たでしょうか。多くの女性が薬草採りをする中で、私だけに貴方がそっと印しの袖を振ったのを。