竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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再読、今日のみそひと歌 火

2017年01月31日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 火

集歌588 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
訓読 白鳥(しらとり)の飛羽(とば)山松(やままつ)し待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月比(なら)ふ
私訳 白鳥の飛ぶ飛羽山の山松のように、貴方の訪れを待ちつつ、私は貴方をお慕いしています。この月はきっといらっしゃる。

集歌589 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
訓読 衣手(ころもて)を打廻(うちみ)の里にある吾を知らにぞ人は待てど来(こ)ずける
私訳 衣の袖を打つ、その言葉のひびきのような打廻の里にいる私の心を知らないで、貴方は、待っていても遣って来ません。

集歌590 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 名告為莫
訓読 あらたまし年し経(へ)ぬれば今しはと勤(いめ)よ吾が背子名し告(の)らせすな
私訳 気持ちが改まる新しい年が来たので、今はもう良いだろうと、決して、夢に見る私の愛しい貴方。私から貴方に告白させないで。

集歌591 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
訓読 吾が思(も)ひを人に知られか玉匣(たまくしげ)開き明(あ)けつと夢(いめ)にしそ見ゆ
私訳 私の思いを貴方に知られたからか、櫛を入れる美しい匣の蓋を開いてあけた(藤原卿と鏡王女の相聞のように、貴方に抱かれる)と夢に見えました。
注意 三・四句目「玉匣 開阿氣津跡」を鏡王女の相聞歌の引用と取りましたが、単純に床で髪を解いて櫛を匣に納めた=男と共寝したとの解釈も可能です。

集歌592 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
訓読 闇(やみ)し夜に鳴くなる鶴(たづ)し外(よそ)のみし聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
私訳 闇夜に鳴いている鶴の声を遠くから聞いているように、うわさに聞いても姿の見えない貴方と逢うこともありません。
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再読、今日のみそひと歌 月

2017年01月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 月
集歌583 月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来
訓読 月草(つきくさ)し移(うつ)ろひやすく念(おも)へかも吾が念(おも)ふ人し事(こと)も告(つ)げ来(こ)ぬ
私訳 露草の色が褪せやすいように、恋する気持ちが褪せたのでしょうか。私が恋い慕う人は、何も便りを寄越しません。

集歌584 春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨
訓読 春日山朝立つ雲し居(ゐ)ぬ日なく見まくし欲(ほ)しき君にもあるかも
私訳 春日山に朝立つ雲が居ない日が無いように、どうして、毎日、御会いしたいと願う貴方なのでしょうか。

集歌585 出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉
訓読 出(い)に去(い)なむ時しはあらむを故(ことさら)し妻恋しつつ立ちて去(い)ぬべしや
私訳 出立して帰っていく頃合はありますが、どうして、ことさらに自分の家に住む女を気にして立ち去るのですか。

集歌586 不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為
訓読 相見ずは恋(こ)ずあらましを妹を見にもとなかくのみ恋(こ)ふはなかせむ
私訳 御会いしなかったら恋い慕うことは無かったでしょうが、愛しい貴女に出会ってしまい、無性にこのように恋い慕うのをどうしたらよいでしょうか。

集歌587 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
訓読 吾が形見見つつ偲(しの)はせあらたまし年し緒長く吾(あれ)も思(おも)はむ
私訳 私の思い出のものを見ながら私を思い出してください。年が改まる時を経ても末永く私も貴方をお慕いします。

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌2092

2017年01月29日 | 再読、今日のみそひと...
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌2092

集歌2092 天地跡 別之時従 久方乃 天驗常弖 大王 天之河原尓 璞 月累而 妹尓相 時候跡 立待尓 吾衣手尓 秋風之 吹反者 立座 多土伎乎不知 村肝 心不欲 解衣 思乱而 何時跡 吾待今夜 此川 行長 有得鴨

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 天地と 別れし時ゆ ひさかたの 天(あま)つしるしと 定めてし 天の川原に あらたまの 月重なりて 妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 我が衣手(ころもて)に 秋風の 吹きかへらへば 立ちて居て たどきを知らに むらきもの 心いさよひ 解き衣の 思ひ乱れて いつしかと 我が待つ今夜(こよひ) この川の 流れの長く ありこせぬかも
意訳 天と地とが別れた遠い時代から、広々としたこの大空の目印として定め置かれた天の川、その天の川の川原で月日を重ね、いとしい子に逢うべき時を待って、じっと立ち尽くしていると、私の着物の袖に秋風がしきりに吹くようになったので、立つにつけ坐るにつけ、気持のやり場もなく、心は揺れ動き、思い乱れて、一刻も早く来てほしいと待ちつづけていた七夕の夜は、この天の川の流れのように、いついつまでも続いてくれないものか。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
試訓 天地と 別れし時ゆ 久方(ひさかた)の 天(あま)驗(しるし)とて 大王(おほきみ)し 天し川原に あらたまし 月し累(かさ)ねて 妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 吾(あ)が衣手(ころもて)に 秋風し 吹き反(かへ)らへば 立ちし坐(ゐ)し たどきを知らに 村肝(むらきも)し 心いさよひ 解衣(とききぬ)し 思ひ乱れて いつしかと 吾(あ)が待つ今夜(こよひ) この川し 行きし長くし ありこせぬかも
試訳 天と地とが分かれて生まれた時から、遥か彼方の天の目印として、大王の統治される天の川原に、魂(き)が生まれ変わる、その月を重ねて、愛しい恋人に逢う、その時がやって来たと、天の川に私が立って待ていると、私の衣の袖に秋風が吹き返すので、立っても座っていても、どうして良いのか判らずに、気持ちが宿る肝にある心根は揺れ動き、紐を解いた衣のように思いは乱れて、貴方の御出ましは何時でしょうかと、私が貴方を待つ今夜、この川の流れ行く先が長いように、そのように貴方と逢う今夜は長く続かないでしょうか。

注意 原文の「天驗常弖 大王」での「大王」は、一般には王羲之を書のお手本の師として「手師」の語意を創り、その戯訓で「てし」と訓むとされています。このため原文の「弖」を「定」の誤記として「天驗常 定大王」と表記して「定めてし」と訓みます。ここでは、集歌167の日並皇子の挽歌の一節を参考に大王が天に上り、統治されているとする神道の原点から、別に当該の句について試訓を行ってみました。なお、律令時代に「大王」の用字を戯訓に使うことが有り得るかどうかの議論は、天皇制に対する精神論が先になります。私は律令天皇制の成立論者ですので「大王」戯訓説は学問以前の問題といたします。
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万葉雑記 色眼鏡 二〇一 今週のみそひと歌を振り返る その二一

2017年01月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二〇一 今週のみそひと歌を振り返る その二一

 今回は組歌のため、一部、次週にも掛かっていますが、歌に付けられた標題を読み込むことで解釈が変わる歌を鑑賞します。

大伴坂上家之大娘報賜大伴宿祢家持謌四首
標訓 大伴坂上家の大娘(おほをとめ)の大伴宿祢家持に報賜(こた)へる謌四首
集歌581 生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴
訓読 生きにあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
私訳 貴方が何事もなく元気でいたらそれを知ることもないでしょう。だのにどうして「死ぬほど恋に苦しむ。愛しい貴女よ」と訴える貴方を夢に見たのでしょう。
注意 標の「報賜」の「賜」は、一般に「贈」の誤字とします。

集歌582 大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方
訓読 大夫(ますらを)もかく恋ひけるを手弱女(たわやめ)し恋ふる情(こころ)に比(たぐ)ひあらめやも
私訳 立派な男子でもこのように恋い慕うのを、手弱女である私が貴方を恋する気持ちと比べることが出来るでしょうか。

集歌583 月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来
訓読 月草(つきくさ)し移(うつ)ろひやすく念(おも)へかも吾が念(おも)ふ人し事(こと)も告(つ)げ来(こ)ぬ
私訳 露草の色が褪せやすいように、恋する気持ちが褪せたのでしょうか。私が恋い慕う人は、何も便りを寄越しません。

集歌584 春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨
訓読 春日山朝立つ雲し居(ゐ)ぬ日なく見まくし欲(ほ)しき君にもあるかも
私訳 春日山に朝立つ雲が居ない日が無いように、毎日、御会いしたいと願う貴方なのでしょう。

 紹介しました歌四首は集歌581の歌に付けられた標題「大伴坂上家之大娘報賜大伴宿祢家持謌四首」から四首組歌として解釈する必要があります。また、歌は天平五年前後のものと思われ、この時、家持十五歳、大娘十歳前後と考えられています。おおむね、家持は袴着の儀式を経た成人(分類では中男相当)で、大娘はまだまだ未成年の早乙女です。
 ここで、歌の注意として説明しましたが、標題の「報賜」は「報贈」の間違いと云う考え方があります。その背景は大娘から家持への相聞歌のやり取りで大娘の身分・立場からすると家持からは下であるはずだから、相応しくないと云うことにあります。単純に標題を読みましたら、そのような結論になるかと思います。
 一方、標題の「報賜」が多くの伝本通りで正しいとしますと、歌の全体の解釈は大きく変わります。まず、「報賜」と云う表記が意味することは、この歌四首が大娘の母親であり、大伴家を束ねる刀自である大伴坂上郎女による代作と云うものです。つまり、大娘に代わり坂上郎女から家持へであれば「報賜」が正しいと云うことになります。まず、万葉集の編集者はこのように解釈しろと云うことで、「報賜」と表記したのでしょう。
 また、「報賜」と云う表現からしますと、最初に家持から大娘への相聞歌の贈呈があり、ここでの四首はその返事と云うことになります。一般に「坂上家之大娘」は「坂上大嬢」と紹介される女性で、この相聞歌を交換したと思われる天平四年から五年ごろはまだ十歳前後ではなかったのではないかと推定されています。つまり、幼い許嫁の大娘への相聞歌の交換であり、最初から家持も坂上郎女も、家持と大娘とで和歌での会話が成り立つとは思ってもいないと思われます。そのためか、集歌582の歌の「幼婦之」と云う表現は的確ではありますが、少し堅く幼い女性が使う言葉としてはどうでしょうか。
 そうしますと、許嫁の大娘が成長し振分髪から結髪へと髪型を始めて変えた時期でのものかも知れませんが、まだまだ幼く夫婦事の出来る裳着までは時間があるような状況でしょうか。その幼子から娘へと変わる時間帯で家持から儀礼として恋歌を贈ったのかもしれません。
 なお、一般的な解釈ではこの四首組歌は「報贈」と云う解釈を前提に家持と大娘とは主体的な男女として相聞歌を交換する関係であり、一度は夫婦関係も成立していたと解釈します。そこから十歳前後婚姻関係の成立、疎遠・離別、十代後半での再度の婚姻関係の成立と二人の関係を解説します。ただこれは大和氏族では裳着以前での性交渉の忌諱と云うものから考えますと、難しい解釈です。

 さて、天平五年前後での家持と大娘との年齢推定からしますと、歌が詠われた時、十五歳ぐらいと十歳ぐらいです。一方、坂上郎女は大伴旅人の死亡(天平三年)以降、大伴家刀自として家持の後見人の立場であり、大娘の実母ですから、坂上郎女は二人の教育を行う立場です。その坂上郎女は女流歌人の第一人者でもありますから、場合により相聞歌四首は歌の教育を兼ねた定型の代作なのかもしれません。
 この見方が成立しますと、歌の内容は 実際の状況や感情には左右されないことになります。すると歌は女性が男性に向け、恋しくて夢に見る、貴方より恋心は優っているほど恋しい、恋の便りをもっと欲しい、毎日でも逢いたいと云う、それぞれの恋のステップに合わせたお手本歌なのかも知れません。歌四首が同時期に詠われ贈られたとしますと、恋の時系列としますと非常に高速な時の流れがありますが、恋の相聞歌のお手本ならば、ちょうどよいものとなります。

 伝統では誤記説を取り入れ「報贈」としますが、原歌通りに「報賜」ですと、このような解釈が成立しますし、坂上大嬢の人物紹介も変わります。当然、ここでのものは権威者が師弟相伝により守って来た学問を侮辱する酔論でありトンデモ論です。ただ、歴史と歌を素直に楽しむと酔論になりますが、世の期待に反し、このようなものを世に曝し、反省する次第です。
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再読、今日のみそひと歌 金

2017年01月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 金

集歌578 天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳
訓読 天地とともに久しく住まはむと念(おも)ひにありし家し庭はも
私訳 天と地とともに長く住んでいようと願っていました家、その家の庭よ。
注意 推定で大伴三依が大宰府に在って、大伴旅人の帰京の時に詠った歌と思われます。その時の別れの悲嘆と云う歌です。

集歌579 奉見而 未時太尓 不更者 如年月所 念君
訓読 奉(まつ)り見にいまだ時だに更(かは)らねば年月そごと念(も)ゆる君
私訳 お世話を申し上げてから、未だに時が経ってもいませんが、久しく年月が経ったかのように思えます。貴方。

集歌580 足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞
訓読 あしひきの山に生(お)ひたる菅し根の懃(ねもころ)見まく欲(ほ)しき君かも
私訳 足を引きずるような険しい山に生える菅の根、その言葉のひびきのような「ねもころ(=礼正しく)」御会いしたい貴方です。

集歌581 生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴
訓読 生きにあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢にそ見つる
私訳 貴方が何事もなく元気にしていたら、それを知ることもないでしょう。だのにどうして「恋に死にそうだ、愛しい貴女よ」と訴える貴方を夢に見たのでしょう。

集歌582 大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方
訓読 大夫(ますらを)もかく恋ひけるを手弱女(たわやめ)し恋ふる情(こころ)に比(たぐ)ひあらめやも
私訳 立派な男子であってもこのように恋い慕っているのに、ただの手弱女の私が貴方を恋する気持ちと比べることが出来るでしょうか。

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