竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集巻六を鑑賞する  集歌955から集歌961まで

2011年04月30日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻六を鑑賞する

太宰少貳石河朝臣足人謌一首
標訓 太宰少貳石川朝臣足人(たりひと)の謌一首
集歌955 刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君
訓読 さす竹の大宮人の家(いへ)と住む佐保(さほ)の山をば思ふやも君

私訳 天を刺す様に伸びる竹のように発展する大宮に勤める宮人の役宅として住む佐保の山を恋しく思いますか。貴方は。


帥大伴卿和謌一首
標訓 帥(そち)大伴卿の和(こた)へたる謌一首
集歌956 八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念
訓読 やすみしし吾(あ)が大王(おほきみ)の御食国(をすくに)は大和もここも同(おや)じとぞ念(おも)ふ

私訳 八方をあまねく統治なされる吾等の大王の御領土は、大和もここも同じと思っています。


 集歌956の歌の内容からは、集歌955と956の歌は大宰の師となる大伴旅人の歓迎の宴の歌と推定されます。
 さて、集歌955の歌の標にある石川足人は桜が咲く神亀五年三月には小野老と交代して大宰府を離れたようですので、集歌955と956の歌が詠われたのは神亀四年の暮れから神亀五年正月頃だったのではないでしょうか。ここらから大伴旅人は神亀四年冬に大宰府に赴任して天平二年冬に奈良の京に帰ったと推定されています。
 正史である続日本紀からは大伴旅人の大宰師への任官・赴任期間が不明です。このため、万葉集の歌々から赴任期間を推定します。神亀・天平の政変の中心人物でもある大伴旅人の官歴や任官期間を調べることは一つの政治ですから、それはそれで重要な万葉集の鑑賞法です。


冬十一月、大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時、馬駐于香椎浦各述作懐歌
帥大伴卿謌一首
標訓 (神亀五年)冬十一月、大宰の官人(くわんにん)等の香椎の廟(みや)を拜(をが)み奉(まつ)り訖(を)へて退(まか)り歸りし時に、馬を香椎の浦に駐(た)てて各(おのおの)懐(おもひ)を述べて作れる歌
帥大伴卿の謌一首
集歌957 去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六
訓読 いざ子ども香椎(かしひ)の潟(かた)に白栲の袖さへ濡れて朝菜(あさな)採(つ)みてむ

私訳 さあ、そこの娘女たちが香椎の潟に白栲の袖までも濡らして、明日の朝食の菜を摘んでいるよ。


大貳小野老朝臣謌一首
標訓 大貳小野(おのの)老(おゆ)朝臣の謌一首
集歌958 時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名
訓読 時風(ときつかぜ)吹くべくなりぬ香椎潟(かしひかた)潮干(しほひ)の浦に玉藻刈りてな

私訳 満潮を押し上げるような風が吹きそうな時間になるようだ、(娘女よ、早く)香椎の潟の潮が干いた入り江で玉藻を刈りなさい。


豊前守宇努首男人謌一首
標訓 豊前守宇努首(うののおびと)男人(をひと)の謌一首
集歌959 徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思
訓読 往(い)き還(かへ)り常に我が見し香椎潟(かしひかた)明日(あす)ゆ後(のち)には見む縁(よし)もなし

私訳 香椎の廟への往き帰りに常に私が眺めていた香椎の潟を、明日からは後にはもう見ることもないのでしょう。



帥大伴卿遥思芳野離宮作謌一首
標訓 帥大伴卿の遥かに芳野の離宮(とつみや)を思(しの)ひて作れる謌一首
集歌960 隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧之 尚不及家里
訓読 隼人(はやひと)の瀬戸(せと)の巌(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野の瀧(たぎ)のなほ及(し)かずけり

私訳 早鞆の瀬戸の磯の景色も、鮎が水底を走る吉野の底まで見える清らかな激流の、それでも及ぶところではない。

 この集歌960の歌が詠われた時は、万葉集に載る歌の順からすると有名な集歌793の「大宰帥大伴卿の凶問に報へたる歌」の後になります。また、大伴旅人が思い出とする芳野離宮とは、神亀元年(724)三月の御幸です。
 このときに大伴旅人は時代のキナ臭さを感じたのでしょうか、この歌の数ヶ月の後に、首王と藤原一門によるクーデターが勃発し、神亀六年二月に長屋王と膳部親王が謀殺されます。



帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作謌一首
標訓 帥大伴卿の次田(すきた)の温泉(ゆ)に宿(やど)りて、鶴(たづ)が喧(ね)を聞きて作れる謌一首
集歌961 湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴
訓読 湯の原に鳴く葦(あし)鶴(たづ)は吾がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く

私訳 次田の温泉の葦の原で鳴く鶴は、私のようにしきりに妻のことを恋しく問うのか、間を置かずに鳴く。


 この集歌961の歌の作歌年代は、歌の配置からは神亀六年又は天平元年に相当しますし、鶴を詠う景色から季節は冬から春です。
 ところで、集歌438の歌の標と集歌1472の歌の左注から、大宰府に伴って来た妻である大伴郎女は、神亀五年に亡くなっています。一方、集歌961の歌自体には挽歌の匂いはありませんから、編纂の関係で神亀五年の歌の中において配置を換えたとは思えません。つまり、これらから大伴郎女は神亀五年十二月に亡くなったと考えた方が合理的ではないでしょうか。こうした時、集歌438の歌や集歌1472の歌は、神亀五年十二月に亡くなった大伴郎女に関係しますが、それぞれの歌が詠われたのは神亀六年正月頃であり、天平元年(神亀六年)四月頃になります。
 すると、有名な集歌793の「大宰帥大伴卿の凶問に報へたる歌」にある「神亀五年六月二十三日」の意味合いに大きな問題を生じます。ご存知のように訓読み万葉集で代表される万葉集の解釈では、ここで指摘した以外にも万葉集の歌において大きな矛盾を抱えながら大伴郎女は「神亀五年の春」に死んでいなければいけないことになっています。


参考歌 その一
神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思戀故人謌三首
標訓 神亀五年戊辰の大宰帥大伴卿の故人(なきひと)を思戀(しの)へる歌三首
集歌438 愛 人之纒而師 敷細之 吾手枕乎 纒人将有哉
訓読 愛(うつく)しき人の纏(ま)きてし敷栲(しきたへ)の吾が手枕(たまくら)を纒(ま)く人あらめや

私訳 愛しい人を私の手枕に纏って共寝した、敷栲の床に伏す私が手枕に纏い寄せるあのう人はもういない。
右一首別去而經數旬作謌
注訓 右の一首は、別れ去(い)にて數旬(すうしゅん)を経て作れる歌なり。


集歌439 應還 時者成来 京師尓而 誰手本乎可 吾将枕
訓読 還(かへ)るべく時はなりけり京師(みやこ)にて誰が手本(たもと)をか吾が枕(まくら)かむ

私訳 都に還る時にはなった。その独りで帰る都で誰の腕を私の枕にしようか。


集歌440 在京 荒有家尓 一宿者 益旅而 可辛苦
訓読 京(みやこ)なる荒れたる家にひとり寝(ね)ば旅に益(まさ)りて苦しかるべし

私訳 都にあるしばらく留守をして荒れた家に独りで寝ると思うと、草枕するような旅より心苦しいでしょう。
右二首、臨近向京之時作謌
注訓 右の二首は、近く京に向ふ時に臨(な)りて作れる歌なり。


参考歌 その二
式部大輔石上堅魚朝臣歌一首
標訓 式部大輔石上堅魚朝臣の歌一首
集歌1472 霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎
訓読 霍公鳥来鳴き響(とよ)もす卯の花の伴にや来(こ)しと問はましものを

私訳 霍公鳥がやって来てその鳴き声を響かせる。卯の花の咲くのと伴にやって来たのかと聞きたいことです。

右、神龜五年戊辰大宰帥大伴卿之妻大伴郎女、遇病長逝焉。于時勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣大宰府、弔喪并賜物也。其事既畢驛使及府諸卿大夫等、共登記夷城而望遊之日、乃作此歌。
注訓 右は、神亀五年戊辰に大宰帥大伴卿(まえつきみ)の妻大伴郎女、病に遇(あ)ひて長逝す。時に勅使式部大輔石上朝臣堅魚を大宰府に遣(つかは)して、喪(も)を弔(とぶら)ひ并せて物を賜へり。その事既に畢(をは)りて駅使(はゆまつかひ)と府(つかさ)の諸(もろもろ)の卿大夫等(まえつきみたち)と、共に記夷(き)の城(き)に登りて望遊せし日に、乃ち此の歌を作れり。


大宰帥大伴卿和謌一首
標訓 大宰帥大伴卿の和(こた)へたる歌一首
集歌1473 橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多寸
訓読 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多(おほ)き

私訳 橘の花が散ってしまった里で、霍公鳥が散ってしまった花を懐かしんで鳴く日が多いことです。


参考歌 その三
大宰帥大伴卿報凶問歌一首
標訓 大宰帥大伴卿の凶問(きょうもん)に報(こた)へたる歌一首
禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳 (筆不盡言 古今所歎)
標訓 禍故(くわこち)重疊(ようてふ)し、凶問(きょうもん)累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心の悲しびを懐(むだ)き、獨り断腸の泣(なみだ)を流す。ただ兩君の大きなる助に依りて、傾命を纔(わづか)に継ぐのみ。(筆の言を盡さぬは、古今の歎く所なり)

集歌793 余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
訓読 世間(よのなか)は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

私訳 人の世が空しいものと思い知らされた時、いよいよ、ますます、悲しいことです。
神亀五年六月二十三日

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万葉集巻六を鑑賞する  集歌948から集歌954まで

2011年04月28日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻六を鑑賞する

神亀四年(727)
四年丁卯春正月、勅諸王諸臣子等、散禁於授刀寮時、作謌一首并短謌
標訓 (神亀)四年丁卯の春正月、諸(もろもろ)の王(おほきみ)諸(もろもろ)の臣(おみの)子(こ)等(たち)に勅(みことのり)して、授刀寮(じゅたうりょう)に散禁(さんきん)せしめし時に、作れる歌一首并せて短歌
集歌948 真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能壮者 折木四哭之 来継比日 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日

訓読 真葛(まふぢ)延(は)ふ 春日の山は うち靡く 春さりゆくと 山の上(うへ)に 霞たなびく 高円(たかまと)に 鴬鳴きぬ 物部(もののふ)の 八十伴の壮(を)は 雁が音(ね)の 来継ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを 馬並(な)めて 往(ゆ)かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやに恐(かしこ)し 云(い)はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川(さほかは)に 石(いは)に生(お)ふる 菅の根採りて 偲(しの)ふ草 祓(いは)へてましを 往(ゆ)く水に 潔身(みそき)てましを 天皇(すめろき)の 御命(みこと)恐(かしこ)み ももしきの 大宮人の 玉桙(たまほこ)の 道にも出でず 恋ふるこの頃

私訳 美しい藤の這う春日山は、草葉が打ち靡く春めいて行くと山の上に霞が棚引き高円山に鶯が鳴く。武士の多くの勇ましい男たちは雁の鳴き声が友と鳴き続くように冬から春に継いでくるこのころ、このように友との仲が続いて常にあるならば、友と連れ立って風景を楽しむものを、馬を並べて往くべき里の春の訪れを待ちかねていた、私が楽しむ春を、口に出すのも恐れ多く、言葉にするのも憚られるようなことになると最初から分かっていたなら、千鳥が鳴くその佐保川の岩に生える菅の根を採って、それを憂さを忘れると云う偲ぶ草としてお祓いをしておくものを、流れる水に禊をしておくものを、天皇のご命令を謹んで承って、沢山の岩を積みて作る大宮に勤める宮人たちは、御門の玉鉾を掲げる官道にも出ずに、春山を恋しがるこの頃よ。


反謌一首
集歌949 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
訓読 梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに

私訳 梅や柳の美しい季節が過ぎるのが惜しい、佐保の野で風景を楽しむことだったのに、宮中もとどろくように雷鳴がなるような事件になった

右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。

注訓 右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。



神亀五年(728)
五年戊辰、幸于難波宮時作謌四首
標訓 五年戊辰に、難波宮に幸しし時に、作れる謌四首
集歌950 大王之 界賜跡 山守居 守云山尓 不入者不止
訓読 大王(おほきみ)の境ひ賜ふと山守(やまもり)据ゑ守(も)るといふ山に入らずは止まじ

私訳 大王が境をお定めになったと山守りを置いてその山を警護すると云う。その禁断の山に入らずにはいられない。


集歌951 見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳
訓読 見渡せば近きものから石(いは)隠(かく)りかがよふ珠を取らずはやまじ

私訳 見渡すと近くにあるのだから、禁断の山の巌陰に隠れている、その輝く珠を手に入れずにはいられない。


集歌952 韓衣 服楢乃里之 嶋待尓 玉乎師付牟 好人欲得
訓読 韓衣(からころも)服(き)楢(なら)の里の嶋松(しままつ)に玉をし付けむ好(よ)き人もがも

私訳 韓の衣を着ると云う服楢の里にある山斎(しま;池のある庭園)で待つ、その山斎の松に玉を付ける高貴な人がいてほしい。

呆訳 韓人の織る綾の衣を身に着けると云う平城京にある松林苑で待っています。松林苑で天下を冒(おお)う公を玉座に就ける高貴な人が居て欲しい。

注意 呆訳では「待つ」から「松」を導き、「木」と「公」に分解してみました。その「木」には大地を冒(おお)うと云う意味があります。また、松林苑は平城京における天皇が宴を催すような大規模な苑池を持つ禁苑とされています。



集歌953 竿牡鹿之 鳴奈流山乎 越将去 日谷八君 當不相将有
訓読 さ雄鹿(をしか)の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ

私訳 立派な角を持つ牡鹿が鳴いている山を越えて行こう。その山を越えて行くその日さえも、貴方にはまだ逢えないのでしょうか。

注意 詩経の小雅に載る「鹿鳴」の故事から、松林苑で君王が臣下に対し宴を張ることを暗示する。ここでの「君」は君王への就任を示す。

右、笠朝臣金村之謌中出也。或云、車持朝臣千年作也。
注訓 右は、笠朝臣金村の謌の中に出ず。或は云はく、車持朝臣千年の作なり。



膳王謌一首
標訓 膳王(かしはでのおほきみ)の謌一首
集歌954 朝波 海邊尓安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母
訓読 朝(あした)は海辺(うみへ)に漁(あさり)し夕(ゆふ)されば大和へ越ゆる雁し羨(とも)しも

私訳 朝には海辺で餌をあさり、夕べには大和へ峠を越えて行く雁よ、(その姿に思うと大和に居る貴女を思い出し)、吾を忘れてしまう。

右、作謌之年不審。但、以謌類便載此次。
注訓 右は、謌の作れる年の審(つばび)らかならず。但し、謌の類(たぐひ)を以つて便(すなは)ち此の次(しだい)に載す。


 非常に不思議な歌群です。集歌950の歌の標からは、集歌950の歌から集歌954の歌までの五首は神亀五年の難波御幸での歌となっています。ところが、これら五首は御幸で創られたとするには、その雰囲気があまりにも希薄です。また、集歌954の歌の左注も不審です。集歌954の歌のどこに難波御幸の折での歌の匂いがあるのでしょうか。ある種の童謡(わざうた)として鑑賞しました。
 私は、理屈は別として万葉集の編集者は神亀五年を代表する歌として、ただ、膳王の御歌を載せたかったと想像しています。素人の妄想と憶測からのこの推定の根拠は、ブログ「日本挽歌を鑑賞する」と「車持朝臣千年を鑑賞する」を御覧下さい。

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万葉集巻六を鑑賞する  集歌935から集歌947まで

2011年04月25日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻六を鑑賞する

神亀三年(726)
三年丙寅秋九月十五日、幸於播磨國印南野時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 (神亀)三年丙寅秋九月十五日に、播磨國の印南野に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
集歌935 名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三

訓読 名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ 海(あま)未通女(をとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 縁(よし)の無ければ 大夫(ますらを)の 情(こころ)は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り 吾はぞ恋ふる 船梶(ふなかぢ)を無み

私訳 名寸隅の船を引き上げる浜から見える淡路島、その松帆の浦では朝の凪には玉藻を刈り、夕方の凪には藻塩を焼く、そんな漁師のうら若い娘女がいると聞くのだが、彼女に会いに行く機会がないので、朝廷の立派な男の乙女に恋する気持ちは失せ、か弱い女のように気持ちも萎え、恋心はさまよい、私は噂の乙女に恋をする。船もそれを操る梶もないので。


反謌二首
集歌936 玉藻苅 海未通女等 見尓将去 船梶毛欲得 浪高友
訓読 玉藻刈る海(あま)未通女(をとめ)ども見に行かむ船梶(ふなかぢ)もがも浪高くとも

私訳 玉藻を刈る漁師のうら若い娘女たちに会いに行こう。船やそれを操る梶があるならば、浪が高くとも。


集歌937 徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美
訓読 行き廻(めぐ)り見とも飽かめや名寸隅(なきすみ)の船瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪

私訳 行ったり来たりして眺めていて飽きるでしょうか、名寸隅の船を引き上げる浜に次ぎ次ぎと打ち寄せる白波よ。



山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌938 八隅知之 吾大王乃 神随 高所知流 稲見野能 大海乃原笶 荒妙 藤井乃浦尓 鮪釣等 海人船散動 塩焼等 人曽左波尓有 浦乎吉美 宇倍毛釣者為 濱乎吉美 諾毛塩焼 蟻徃来 御覧母知師 清白濱

訓読 やすみしし 吾(わ)が大王(おほきみ)の 神ながら 高知らせる 印南野(いなみの)の 大海(おほみ)の原の 荒栲の 藤井の浦に 鮪(しび)釣ると 海人(あま)船散(さ)動(わ)き 塩焼くと 人ぞ多(さは)にある 浦を良(よ)み 諾(うべ)も釣はす 浜を良み 諾も塩焼く あり通ひ 見ますもしるし 清き白浜

私訳 四方八方をあまねく御照覧される吾らの大王は、神ではありますが、天まで高らかに知らしめす印南野の大海の原にある、荒栲を作る藤、その藤井の浦で鮪を釣ろうと海人の船があちらこちらに動き廻り、海水から塩を焼くとして人がたくさん集まっている、浦が豊かなので誠に釣りをする。浜が豊かなので誠に海水から塩を焼く。このようにたびたび通い御覧になるもその通りである。この清らかな白浜よ。


反謌三首
集歌939 奥浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦尓 船曽動流
訓読 沖つ浪(なみ)辺(へ)波(なみ)安み漁(いざり)すと藤江(ふじえ)の浦に船ぞ動(さわ)ける

私訳 沖に立つ浪、岸辺に寄す波も穏やかで、漁をすると藤江の浦に漁師の船がざわめいている。


集歌940 不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長有者 家之小篠生
訓読 印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押しなべさ寝(ぬ)る夜の日(け)長くしあれば家し偲(しの)はゆ

私訳 印南野の浅茅を押し倒して、寝るその夜が長く感じるので、留守にした家が偲ばれます。


集歌941 明方 潮干乃道乎 従明日者 下咲異六 家近附者
訓読 明石(あかし)潟(かた)潮干(しおひ)の道を明日(あす)よりは下咲(したゑ)ましけむ家近づけば

私訳 明石の干潟、その潮が引いた道を行くと、明日からは心が浮き浮きするでしょう。留守した家が近づくと思うと。



過辛荷嶋時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 辛荷(からに)の嶋を過し時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌942 味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼々 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥

訓読 味さはふ 妹が目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕も纏(ま)かず 桜皮纏(ま)き 作れる舟に 真梶(まかぢ)貫(ぬ)き 吾が榜(こ)ぎ来れば 淡路の 野島(のしま)も過ぎ 印南(いなみ)嬬(つま) 辛荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 吾家(わぎへ)を見れば 青山(あをやま)の そことも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり来ぬ 漕ぎ廻(た)むる 浦のことごと 往(い)き隠(かく)る 島の崎々 隈(くま)も置かず 思ひぞ吾が来る 旅の日(け)長み

私訳 たくさんのアジ鴨のその目のようにはっきりと愛しい貴女の姿を見ることが久しくなり、敷いた栲に枕を並べ貴女を手に捲かないかわりに、桜の皮を巻いて造った舟に立派な梶を挿し込んで、私が乗る舟を操って来ると、淡路の野島も過ぎて、印南妻、辛荷島の島の際から我が家の方向を見ると、青く見える山並みがどこの場所かも判らず、白雲も千重に重なりあっている。舟を漕ぎまわる浦のすべてで、舟の進みに隠れる島の岬の、その舟が廻り行く岬毎に旅の思い出が私の心に遣って来る。旅の日々が長くなったことよ。


反謌三首
集歌943 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
訓読 玉藻刈る辛荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家念(おも)はずあらむ

私訳 美しい藻を刈る辛荷の島で、磯を泳ぎ回る鵜でもあれば、こんなに故郷の家を懐かしく思わないでしょう。


集歌944 嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船
訓読 島(しま)隠(かく)る吾が榜(こ)ぎ来れば乏(とも)しかも大和(やまと)へ上(のぼ)る真(ま)熊野(くまの)の船

私訳 島陰に大和の山並みが隠れてしまった。私が乗る舟を操って来ると、思わず吾を忘れてしまったことです。大和を目掛けて上っていく立派な熊野仕立ての船よ。


集歌945 風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居
訓読 風吹けば浪か立たむと伺候(さもろひ)に都太(つた)の細江(ほそえ)に浦(うら)隠(かく)り居(を)り

私訳 風が吹くので荒波が立つだろうと様子を覗って、都太にある小さな入り江の浦に避難しています。



過敏驚浦時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 敏驚(みぬめ)の浦を過し時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌946 御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二

訓読 御食(みけ)向(むか)ふ 淡路の島に 直(ただ)向(むか)ふ 敏馬(みぬめ)の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採り 浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しと 名告藻の 己(おの)が名惜しみ 間(まつ)使(つかひ)も 遣(や)らずて吾(あ)は 生けりともなしに

私訳 御食を大和の朝廷に奉仕する淡路の島にまっすぐに向かい合う敏馬の浦の沖で深海松を採り、浦の磯廻りで名告藻を刈る。深海松の名のように深く貴女を見たいと、名告藻のその名のように名乗る自分の名前が惜しで言い伝えの使いも遣らないのでは、生きている意味が無いでしょう。


反謌一首
集歌947 為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念
訓読 須磨(すま)の海女(あま)の塩焼く衣(ころも)の馴(な)れなばか一日(ひとひ)も君を忘(わす)る念(おも)はむ

私訳 須磨の海女が塩焼くときに着ている衣が萎えているように、その言葉のように貴女と体を馴れ親しまらせたら、一日だけでも貴女を忘れるなどとは思いません。

右、作歌年月未詳也。但、以類故載於此歟。
注訓 右は、作歌の年月未だ詳(つばび)らかならず。ただ、類(たぐひ)をもちての故に此に載せるか。



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万葉集巻六を鑑賞する  集歌928から集歌934まで

2011年04月23日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻六を鑑賞する

冬十月、幸于難波宮時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 (神亀二年)冬十月に、難波宮に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
集歌928 忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方

訓読 押し照る 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人(ひと)皆(みな)の 思ひ息(やす)みて つれもなく ありし間(あひだ)に 続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷(たかし)きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の壮(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)成(な)したり 旅にはあれども

私訳 一面に光輝く難波の国は、葦で垣根を作るような古びた郷と人が皆、そのように思い忘れ去って、見向きもしない間に、紡いだ麻の糸が長いように長柄の宮に立派な柱を高々とお立てになり君臨なされて、御領土をお治めなさると、沖を飛ぶ味鴨が宿る味経の原に、立派な大王の廷臣の多くのつわものは、仮の宿りをして、さながら都の様をなした。旅ではあるのだが。


反謌二首
集歌929 荒野等丹 里者雖有 大王之 敷座時者 京師跡成宿
訓読 荒野(あらの)らに里はあれども大王(おほきみ)の敷きます時は京師(みやこ)となりぬ

私訳 荒野のような里ではあるが、大王が御出座しになるときは都となる。


集歌930 海末通女 棚無小舟 榜出良之 客乃屋取尓 梶音所聞
訓読 海(あま)未通女(をとめ)棚無し小舟榜(こ)ぎ出(づ)らし旅の宿りに梶の音聞こゆ

私訳 漁師のうら若い娘女が、側舷もない小さな船を操って船出をするようだ、旅の宿りにその船を操る梶の音が聞こえる。



車持朝臣千年作謌一首并短謌
標訓 車持朝臣千年の作れる謌一首并せて短謌
集歌931 鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻尓 朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二 五百重浪因 邊津浪之 益敷布尓 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開廻有 住吉能濱

訓読 鯨魚(いさな)取り 浜辺(はまへ)を清(きよ)み うち靡き 生(お)ふる玉藻に 朝凪に 千重(ちへ)浪(なみ)寄せ 夕凪に 五百重(いほへ)浪(なみ)寄す 辺(へ)つ浪の いやしくしくに 月に異(け)に 日に日に見とも 今のみに 飽き足(た)らめやも 白浪の い開(さ)き廻(めぐ)れる 住吉(すみのへ)の浜

私訳 鯨魚も取れると云う位の立派な海の浜辺が清らかで、波間に靡き生えている美しい藻に、朝凪に千重の浪が寄せ、夕凪に五百重の浪が寄せる、その岸辺に寄す浪が、次ぎ次ぎと寄せるように月を重ね、日々に見ていても、今このように見るだけで、見飽きるでしょうか。白波が花飛沫を咲かせている住吉の浜よ。


反謌一首
集歌932 白浪之 千重来縁流 住吉能 岸乃黄土粉 二寶比天由香名
訓読 白浪の千重(ちへ)に来(き)寄(よ)する住吉(すみのへ)の岸の黄土(はにふ)に色付(にほひ)て行かな

私訳 白浪が千重に寄せ来る住吉の岸の黄土の色を、思い出に衣に染めて往きたい。



山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌933 天地之 遠我如 日月之 長我如 臨照 難波乃宮尓 和期大王 國所知良之 御食都國 日之御調等 淡路乃 野嶋之海子乃 海底 奥津伊久利二 鰒珠 左盤尓潜出 船並而 仕奉之 貴見礼者

訓読 天地(あまつち)の 遠きが如く 日月の 長きが如く 押し照る 難波の宮に 吾(わ)ご大王(おほきみ) 国知らすらし 御食(みけ)つ国 日の御調(みつき)と 淡路の 野島(のしま)の海人(あま)の 海(わた)の底(そこ) 沖つ海石(いくり)に 鰒(あはび)珠(たま) さはに潜(かづ)き出(で) 船並(な)めて 仕(つか)へ奉(まつ)るし 貴(とほと)し見れば

私訳 天と地が永遠であるように、日と月が長久であるように、照る陽に臨む難波の宮で吾らの大王がこの国を統治される。御食を奉仕する国、天皇への御調をする淡路の野島の海人が、海の底、その沖の海底にある岩にいる鰒の玉を大勢で潜水して取り出す。船を連ねて天皇に奉仕している姿を貴いと見ていると。


反謌一首
集歌934 朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信
訓読 朝凪に梶(かぢ)の音(おと)聞こゆ御食(みけ)つ国野島(のしま)の海人(あま)の船にしあるらし

私訳 朝の凪に梶の音が聞こえる。御食を奉仕する国の野島の海人の船の音らしい。

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万葉集巻六を鑑賞する  集歌923から集歌927まで

2011年04月22日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻六を鑑賞する


山部宿祢赤人作謌二首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌二首并せて短謌
集歌923 八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益々尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通

訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 高知らす 芳野の宮は たたなづく 青垣(あおかき)隠(こも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧(きり)立ち渡る その山の いやますますに この川の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ

私訳 四方八方をあまねく御承知なれれる吾々の大王が天まで高く知らせる芳野の宮は、立ち並び名を付けられるような緑豊かな山並みに囲まれ、多くの河の集まる清らかな河の内にある。春にはたくさんの花が咲き乱れ、秋には霧が立ち渡る。その山のように一層盛んに、この河の流れが絶えることがないように、たくさんの岩を積み上げる大宮に侍う大宮人は、常に通って来ましょう。


反謌二首
集歌924 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
訓読 み吉野の象(さき)の山の際(ま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)も騒く鳥の声かも

私訳 み吉野の象山の山際の梢には、多くの啼き騒ぐ鳥の声が聞こえます


集歌925 烏玉之 夜之深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
訓読 ぬばたまの夜の更けぬれば久木(ひさき)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く

私訳 漆黒の夜が更けていくと、橡の木が生える清らかな川原に千鳥がしきりに鳴く



集歌926 安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓
訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)は み吉野の 秋津の小野の 野の上(へ)には 跡見(とみ)据ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝猟(あさかり)に 鹿猪(しし)踏み起し 夕狩(ゆふかり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩ぞ立たす 春の茂野(しげの)に

私訳 世の中を平らく統治される吾らの大王は、み吉野の秋津の小野にある野の丘に跡見を据えて置き、山には射目を立たせ置いて、朝の狩りには鹿や猪を野に踏み込み追い立てて、夕方の狩りでは鳥を巣から追い立てて、馬を連ねて御狩りを起こさせることです。春の草木の茂る野に。


反謌一首
集歌927 足引之 山毛野毛 御狩人 得物矢手挟 散動而有所見
訓読 あしひきの山にも野にも御狩人(みかりひと)得物矢(さつや)手挾(たばさ)み散(さ)動(わ)きたり見ゆ

私訳 足を引きずるような険しい山にも野にも、御狩りに従う人々が手に得物や矢を持ち、あちらこちらを動き廻るのが見える。

右、不審先後。但、以便故載於此歟。
注訓 右は、先後を審(つばび)らかにせず。ただ、便(たより)を以(もち)ての故にここに載せるか。

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