竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3242

2017年04月30日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3242

集歌3242 百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 ももきね 美濃の国の 高北(たかきた)の 泳(くくり)の宮に 日向(ひむか)ひに 行靡闕牟 ありと聞きて 我が通ひ道(ぢ)の 奥(おきや)十山(そやま) 美濃の山 靡けと 人は踏(ふ)めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
標準 ももきね美濃の国の、高北の泳の宮に、日向かいに、行靡闕牟 あると聞いて、私が出かけて行く道の行く手に立ちはだかる奥十山、美濃の山よ。靡き伏せと人は踏むけれど、こちらへ寄れと人は突くけれども、何の思いやりもない山だ、この奥十山、美濃の山は。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 ももきねの 美濃の国の 高北(たかきた)の 八十一隣(くくり)の宮に 日向(ひむか)ひに 行(い)き靡(な)び闕(か)かふ ありと聞きて 吾が通ひ道(ぢ)の 奥(おきや)十山(そやま) 野の山 靡けと 人は踏(ふ)めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
私訳 沢山の年を経た立派な木が根を生やす美濃の国の高北の泳宮(くくりのみや)のある場所に、日に向きあう処に人が行き靡びく大門を欠いた大宮があると聞いて、私が通って行く道の山奥の多くの山、その野の山よ。優しく招き寄せよと、人は山路を踏み行くが、このようにやって来いと、人は山路に胸を衝くように行くのだが、歩くのに優しさがない険しい山たる山奥の多くの山よ、美濃の山は。

注意 標準では「行靡闕牟」は定訓がなく、意味未詳となっています。
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万葉雑記 色眼鏡 二一四 今週のみそひと歌を振り返る その三四

2017年04月29日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二一四 今週のみそひと歌を振り返る その三四

 今週鑑賞しました歌は非常に話題性のある歌群を構成する短歌です。「貪窮問答謌一首并短謌」もそうですし、「好去好来謌」もそうです。これらの作品の背景を探りますと、非常に奥行きが深いものがありますし、聖武天皇以前の仏教とは何かと云う問題を考えさせられるものがあります。仏教と云うものを除いて「貪窮問答謌」を鑑賞することはまったくにできません。

 さて、今回はそのような中でも「老身重病經年辛苦及思兒等謌七首」と云う標題を持つ歌群に注目しました。山上憶良が詠う人生の悲嘆であり苦悩です。それも山上臣と云う家の後継者問題です。
 以下に短歌の部分のみを紹介しますが、歌の原案は神亀二年にあったとします。およそ、筑前国守への就任の内示があり、憶良が七十歳目前と云う高齢での遠隔地への赴任と云うことで、一族との今生の別れを意識したものとなっています。実際は六年の任期を無事勤めあげ、この歌を推敲した前年となる天平四年には帰京したようです。しかしながら、歌が示すように後継者問題は一向に解決しなかったようです。


反謌
集歌898 奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由
訓読 慰(なぐ)むる心はなしに雲(くも)隠(かく)り鳴き行く鳥の哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 人を慰めるような心もなく雲間に隠れ鳴いて飛んで行く鳥のように、ただ、恨みながら泣けてします。

集歌899 周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓作夜利奴
訓読 術(すべ)も無く苦しくあれば出(い)で走り去(い)ななと思へど許良(こりよ)にさ因(よ)りぬ(子らに障(さわ)りぬ)
私訳 どうしていいのか対処の方法もなくて、ただ苦しいだけであれば、この世から飛び出て走り去ってしまいたいと思ってみても、そうする間に七十六歳ほどの年になってしまったが、後継者に障りがある。
注意 原文の「許良」とは、律令の規定では賤しい身分の人が七十六歳で良民になることを許されることから、山上憶良が七十六歳ほどの高齢になったことを示すと隠れた意味も採った。

集歌900 富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母
訓読 富人(とみひと)の家の子らの着る身無み腐(くた)し棄(す)つらむ絁綿(きぬわた)らはも
私訳 多くの家族を持つ家の、その後継者たちが着るはずの、その肝心の後継者が無くて、その着物を腐らせて捨ててしまうのでしょう。りっぱな絁や綿で出来た着物を。

集歌901 麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
訓読 麁栲(あらたえ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてに斯(か)くや嘆かむ為(せ)むすべを無み
私訳 氏の長者としての神事で着るはずの栲で作った着物を着せることをためらうので、このように嘆くのでしょうか。どうしていいのか対処の方法もなくて。

集歌902 水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
訓読 水沫(みなわ)なす微(いや)しき命も栲(たく)縄(なは)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ
私訳 水面に立つ泡のような儚い命ですが、栲で作る縄のように丈夫で千尋ものように長くあってほしいと願いながら生きています。

集歌903 倭父手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母可等 意母保由留加母
(去神龜二年作之 但以故更載於茲)
訓読 倭文(しつ)手纒(てま)き数にも在(あ)らぬ身には在(あ)れど千歳(ちとせ)にもがと思ほゆるかも
私訳 舶来の韓綾より落ちる倭文で出来た綾布を手に巻くような、立派な人の数に入らない身分ではありますが、千年もかようにあることを願ってしまいます。
(去る神龜二年に之を作れり。但し、以つて故に更(さら)に茲(ここ)に載す)

天平五年六月丙申朔三日戊戌作
注訓 天平五年六月丙申の朔(つきたち)にして三日戊戌の日に作れり


 今回は私訳と云うもので試案を示していますが、鑑賞・解釈は一般に示されるものとは相当に違います。ここのところ、触れていますが大伴旅人や山上憶良の作品については、歴史観、言葉の解釈やその由来判定などにより、その解釈が大きく変動します。ここでは集歌899の歌の「許良」と云う言葉に過敏に反応していますし、集歌901の歌での「麁妙能 布衣」と云う言葉が示すその衣を着る場面への想いが跳躍的です。
 このような背景があり、その詳細説明は大部です。今回はさわりの紹介のみで、解釈を紹介するだけと致します。申し訳ありません。
 なお、やはり、標準からしますと酔論であり、馬鹿話です。
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再読、今日のみそひと歌 金

2017年04月28日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 金

集歌918 奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞
訓読 沖つ島荒礒(ありそ)し玉藻潮干(しほひ)満ちい隠(かく)りゆかばそ念(おも)ふむかも
私訳 沖の島、その荒磯の美しい藻が潮干が満ちて潮に姿を隠していくと、きっと、その潮の下で揺れている姿を想像するでしょう。

集歌919 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
訓読 若浦(わかうら)に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
私訳 若の浦に潮が満ちて来たら、干潟は姿を消し、岸辺の葦原を目指して鶴が鳴きながら飛んで行く。

集歌921 萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所
訓読 万代(よろづよ)し見とも飽かめやみ吉野の激(たぎ)つ河内(かふち)の大宮所
私訳 万代までに見ていても飽きることのないでしょう、この芳野の水が激しく流れる河内にある大宮のある場所は。

集歌922 人皆乃 壽毛吾母 三芳野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨
訓読 人(ひと)皆(みな)の命(いのち)も吾もみ吉野の瀧(たぎ)の常磐(ときは)の常ならぬかも
私訳 ここに集う人が皆の寿命も、私もそうだが、この芳野の水が激しく流れる床岩のようにいつまでもあってほしいものです。

集歌924 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
訓読 み吉野の象(ころ)し山際(やまま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)も騒く鳥し声かも
私訳 み吉野の秋津野の小路にある山際の梢には、多くの啼き騒ぐ鳥の声が聞こえます
注意 古語で「象」には奈良時代のちょぼ博打からの「ころ」と平安時代の象牙からの「きさ」と云う訓じがあります。ここでは奈良時代の訓じから「ころ」を採用し、秋津野の小路の小川と解釈しています。

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再読、今日のみそひと歌 木

2017年04月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 木

集歌911 三芳野之 秋津乃川之 万世尓 断事無 又還将見
訓読 み吉野し秋津(あきつ)の川し万世(よろづよ)に絶ゆることなくまた還(かへ)り見む
私訳 吉野の秋津を流れる川が万世までも絶えることがないように、絶えることなく、再び、やって来て眺めましょう。

集歌912 泊瀬女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開来受屋
訓読 泊瀬女(はつせめ)し造る木綿花(ゆふはな)み吉野し瀧(たぎ)の水沫(みなわ)に咲きにけらずや
私訳 泊瀬女が造る木綿の花よ。その白い木綿の花が、吉野の激流の飛沫に咲いているのでしょうか。

集歌914 瀧上乃 三船之山者 雖 思忘 時毛日毛無
訓読 瀧(たぎ)し上(へ)の三船し山は雖(しかれ)ども思ひ忘るる時も日もなし
私訳 激流の上流にある三船の山は、趣があり心を惹かれますが、私は貴方を思い忘れる時も日々もありません。

集歌915 千鳥鳴 三吉野川之 音成 止時梨二所 思君
訓読 千鳥鳴くみ吉野川し音(おと)成(な)りし止(や)む時無しにそ思(おもほ)ゆる君
私訳 多くの鳥が鳴く美しい吉野川の轟きが止む時がないように、常に慕っている貴方です。

集歌916 茜刺 日不並二 吾戀 吉野之河乃 霧丹立乍
訓読 茜(あかね)さす日(け)並(なら)べなくに吾が恋し吉野し川の霧(きり)に立ちつつ
私訳 茜に染まる夕べの日々を重ねたわけでもないが、私の貴方への恋には吉野の川に霧が立っている(ように行方が見えません)。
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再読、今日のみそひと歌 水

2017年04月26日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと歌 水

集歌905 和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世
訓読 稚(わか)ければ道行き知らじ幣(まひ)は為(せ)む黄泉(したへ)の使(つか)ひ負(お)ひて通らせ
私訳 まだ稚いので、死出の道を知らないでしょう。神への祈りの捧げ物をしましょう。あの世への使いよ、責任を持って稚き御方を通らせなさい。

集歌906 布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米
訓読 布施(ふせ)置きて吾(わ)れは祈(こ)ひ祷(の)む欺(あざむ)かず直(ただ)に率(ゐ)去(ゆ)きて天道(あまぢ)知らしめ
私訳 仏への祈りの布施を捧げ置いて、私は祈り願いましょう。願いを欺くことなく、稚き御方を尊い仏である貴方が率いて、あの世への天上の道をお授けなさい。

集歌908 毎年 如是裳見牡鹿 三吉野乃 清河内之 多藝津白浪
訓読 毎年(としのは)しかくも見てしかみ吉野の清き河内し激(たぎ)つ白浪
私訳 毎年のように、今、私が見るように見ていたのでしょう。吉野の清らかな河の流れに飛沫をあげる白波は。

集歌909 山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河内者 雖見不飽香聞
訓読 山高み白(しろ)木綿花(ゆふはな)し落(ふ)り激(たぎ)つ瀧(たぎ)し河内(かふち)は見れど飽かぬかも
私訳 山容が高い。白い幣の木綿の花のように白い飛沫を降らす激流の河の流れは、見ていても飽きることがありません。

集歌910 神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧河内者 雖見不飽鴨
訓読 神からか見が欲(ほ)しからむみ吉野の瀧(たぎ)し河内(かふち)は見れど飽かぬかも
私訳 神の由縁からか見たいと思うのでしょう。吉野の激流の河内は、見ていても飽きることはありません。

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