竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百四二 中国古典を題材とした歌

2015年10月31日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百四二 中国古典を題材とした歌

 今回は中国古典と万葉集との関係について、酔論を紹介しようと思います。その手始めに次の集歌2655の歌を鑑賞しますが、今回のテーマに適う「一云」の方を鑑賞いたします。

集歌2655 紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座
一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待

 最初に紹介しましたように集歌2655の歌の「一云」の方の表記は次のようになります。

原歌 紅之 須蘇衝河乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座
訓読 くれないし すそつくかはを なかおきに われやかよはむ きみやきまさむ

 このように訓読にしますと、どこが中国古典に関係するのかが判らないと思います。ところが「河乎 中置而 妾哉将通」の文字表記に注目しますと、その内容が『詩経』に載る「衛風 有狐」のパロディとなっているのです。当然、当時の官僚は平安時代中後期以降の貴族たちとは違い日常的に漢文章が読解できるのは当然のことであり四書五経は教養として身に着けていますから、集歌2655の歌は原歌から誰かの手によって「一云」の方のパロディ歌が作られたのではないかと推定されます。さらに、「紅之須蘇衝」の表記には女性が身に着けていた衣は輸入染料である高価な蘇芳により染められたものをも示唆します。

<参照資料:詩経>
衛風 有狐
有狐綏綏、在彼淇梁 狐有り綏綏(すいすい)たり、彼の淇(き)、梁(はし)に在り
心之憂矣、之子無裳 心これを憂ふ、かの子は裳無からん
有狐綏綏、在彼淇 狐有り綏綏たり、彼の淇、(れい)に在り
心之憂矣、之子無帶 心これを憂ふ、かの子は帯無からん
有狐綏綏、在彼淇側 狐有り綏綏たり、彼の淇、側(ほとり)に在り
心之憂矣、之子無服 心これを憂ふ、かの子は服無からん
(注意:淇は妓と同音字の関係があります)

 参考として、衛風 有狐は「淇」と「妓」との同音字の関係を知った上で楽しむ作品です。「淇」は淇河と云う川の名前でもありますが、同時に歌を詠う場面ではその同音字の関係から妓=遊女をも示唆します。そうした時、第二章での「」の漢字は水深のある流れを意味しますから、有狐では女性は河を徒歩で渡るのに流れの勢いに帯がほどけているのではないかとします。この場面と集歌2655の歌のパロディ歌が一致するのです。
 有狐の落ちでは妓女である女性は服を脱ぎ恋人の側にいるとしますから、集歌2655の歌のパロディ歌は「妾哉将通 公哉将来座」と詠いますが、やはり、女性は閨の床で愛人に抱かれているであろうことを示唆します。
 つまり、集歌2655の歌のパロディ歌とは四書五経を暗記することを要求された奈良時代の貴族たちの高度な娯楽であった可能性があります。酔論を展開しますと、ちょっと、万葉集はおっかない歌集ではないかと思われてきます。平安末期、元暦時代の貴族ではついてはいけない世界ではないでしょうか。

 つぎに万葉集と中国古典の関係を述べる時、有名な万葉集歌があります。それが集歌741の歌で、関係は『遊仙窟』です。他にも山上憶良やその他の作品にも『遊仙窟』の影響がみられます。憶良の作品では直接に『遊仙窟』を引用するものもありますが、ここでは大伴家持が詠った坂上大嬢への相聞贈答歌で代表させて頂きます。

更大伴宿祢家持贈坂上大嬢謌十五首
標訓 更に大伴宿祢家持の坂上大嬢(おほをとめ)に贈れる謌十五首
集歌741 夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者
訓読 夢し逢ひは苦しかりけり覺(おどろ)きて掻(か)き探れども手にも触れづそは
私訳 夢の中で抱き合うことは苦しいものです。ふと目覚めて手探りに探っても貴女の体が私の手にも触れないので。

遊仙窟より抜粋
原文 少時坐睡、則夢見十娘。驚覚攬之、忽然空手。心中悵怏、複何可論。
訓読 少時坐睡し、則(たちま)ちに十娘に見(まみ)へむ夢を見む。驚き覚めて之を攬るに、忽然として手は空(むな)し。心中悵怏たるに、複た何をか論ずべき。

 この集歌741の歌は古くから知られるように遊仙窟の文章と発想をそのままに和歌としたものです。それだけのもので集歌2655の歌のパロディ歌と比べますと、なんの面白味も知性のヒラメキもありません。ある種の読書感想文の替わりに和歌にし、「今、遊仙窟を読んでいます」と都に住む坂上大嬢に贈った体裁です。貰った方も処理に困るような歌です。年上の男に「僕ちゃん、これを勉強したの? お利口ね」とは返事も出来ないでしょうし、しかしながら歌にはそれ以外はありません。だから逆に非常に判り易いので古くから専門研究者が取り上げるのでしょう。
 専門研究者好みをベースにしますと、次に紹介する集歌1016の歌もそれに相当するものです。歌には『神仙伝』の王遠伝があり、また、麻姑伝があります。

春二月、諸大夫等集左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家宴謌一首
標訓 (天平九年)春二月に、諸(もろもろ)の大夫(まへつきみ)等(たち)の左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集(つど)ひて宴(うたげ)せる謌一首
集歌1016 海原之 遠渡乎 遊士之 遊乎将見登 莫津左比曽来之
訓読 海原(うなはら)し遠き渡(わたり)を遊士(みやびを)し遊ぶを見むとなづさひぞ来(こ)し
私訳 海原の遠い航海ですが、風流な人がその風流を楽しんでいるのに参加しようと、この湊に苦労してやって来ました。
左注 右一首、書白紙懸著屋壁也。題云蓬莱仙媛所嚢蘰、為風流秀才之士矣。斯凡客不所望見哉。
注訓 右の一首は、白き紙に書きて屋(いへ)の壁に懸著(か)けたり。題(しる)して云はく「蓬莱の仙媛(やまひめ)の蘰(かづら)を嚢(おさ)めむは、風流秀才の士(をのこ)の為なり。斯(こ)は凡客(ぼんかく)の望み見るところにあらずかも」といへる。

 集歌1016の歌は『神仙伝』に載る王遠伝や、麻姑伝を知っていて、なおかつ、仙女麻姑の姿絵を見知っている必要があります。それで初めて左注に記す「蓬莱仙媛所嚢蘰」と云う一節が理解できるのです。そこがスタートですので、それも「書白紙懸著屋壁也」とありますから、宴の席ではなく、屋敷の入り口に宴の案内書が掲げられています。「さぁ、どのような趣向の宴会か判りますか」と、いきなり、屋敷の入り口から頓智問答が始まっているのです。
 以前に、この集歌1016の歌の鑑賞をしましたので焼き直しになりますが、歌の末句「莫津左比曽」は上句の表記に対して特徴がありますので表記において謎かけであろうと想像が出来ます。およそ、この歌は奈良貴族の最高の教養水準を下に頓知歌として楽しまなくてはいけないのでしょう。
 そうした時、左注の「右一首、書白紙懸著屋壁也」の文章が利いてきます。つまり、屋敷の入り口に筆で墨書して貼り出して見せることで歌意が判る仕掛けとなっています。歌の「莫津左比曽」は万葉仮名としてそのまま「なつさひそ」と訓じられますが、漢字の意味合いからは「津」の文字の中で並立するもの(「比」の文字の原義)の左側を取り去るとも解釈できます。それで「津」の文字から「氵(サンズイ)」を取り払い、筆を意味する「聿」の文字が表れて来ます。
 また、天平九年二月の宴で「海原之遠渡乎」と歌を詠いますから、当然、その時、帰路の途中で遣新羅大使が病死し、また、新羅との宗主問題で世の話題になった遣新羅使の帰国者一行であることが想像できます。その人物が「海を渡って宴に来た」と詠うのですから、想定される歌人は遣新羅使副使であった大伴三中となります。
 従いまして、歌の末句「莫津左比」は表記の遊びから「聿」の文字が導かれ、さらにこの「聿」と云う文字は「三+中」とに分解ができます。和歌の頓知はこのようにして解くことが出来ます。
 ただし、これですと、左注の残りの句「題云蓬莱仙媛所嚢蘰、為風流秀才之士矣。斯凡客不所望見哉」を解いたことにはなりません。この「蓬莱仙媛所嚢蘰」を「蓬莱の仙媛の蘰を嚢(おさ)めむは」と解釈すれば、これは仙女麻姑の姿絵を示す「麻姑献寿」を意味します。従って宴の主催者である巨勢宿奈麻呂は別席に梅の花などの飾り付けや屠蘇酒などの酒肴を用意していたと思われます。新羅懲罰に対する朝廷による意見徴収が行われたのは天平九年二月十五日、これは新暦737年3月23日に相当しますから、宴会がそれ前後のこととしますと麻姑の花籠に因んで遅咲きの梅、早咲きの桜などが楽しめたのではないでしょうか。
 当然、この歌と左注は墨書し掲げられたものですから、歌で使われる漢字文字の原義を駆使した頓知を判る必要があり、また、『神仙伝』は知るべき教養です。そうでない人物は左注が示すように「斯凡客不所望見哉」です。この背景がありますので、「蓬莱仙媛所嚢蘰」を「蓬莱の仙媛が化けた嚢蘰は」と訓じることは出来ません。
 これが奈良貴族の教養水準です。集歌2655の歌のパロディ歌や集歌1016の歌に比べたとき、さて、大伴家持が詠う集歌741の歌はどのような評価をすれば良いのでしょうか。

 もう少し、
 弊ブログでは難訓歌の読解の一例としてよく取り上げる歌を紹介します。

集歌3889 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)茎(え)し左思そ念(も)ふ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで寺に拝んだ雨の夜。左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。

 難訓の訓じについてはここでは省略いたしますが、歌を鑑賞する時に「左思」と云う人物を知り、その代表的な作品を知っていなければ、当然、歌は鑑賞できません。だから、平安時代中後期以降ではこの集歌3889の歌は難訓歌として扱われたと思われます。
 さて、左思は「中国西晋の文学者。字は太沖。斉国臨淄(現山東省)の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作『三都賦』は「洛陽為之紙貴(洛陽の紙価を高からしむ)」の故事の由来となった。妹の左棻も詩文の才能があり、司馬炎の妃となった」と紹介される人物です。また、現存する文学作品としてはその「三都賦」のほか、寒門出身として当時の貴族社会への批判を込めた「詠史詩」や「招隠詩」があります。
 以前に話題としましたが遣唐使に関係する「白龜元年調布」と云う言葉は、多治比県守を遣唐大使とする第八次遣唐派遣団が学問伝授の謝恩として、中国の故事「白亀の恩」を引用した上で、正式に大唐から学問伝授を受けたこの年(717)を報恩元年とし、その証として調(みつぎ)の布を鴻臚寺に掲げたことを伝えるものです。この中国故事とする「白亀の恩」は第七次遣唐使が則天武后の長安三年(703)に拝受した『晋書』巻八十一列伝第五十一に載る「毛宝白亀」の故事に因るものですから、同様に「洛陽為之紙貴」の故事を載せる『晋書』文苑伝・左思もまた奈良時代の知識階級では知識として認識されていたのではないでしょうか。つまり、左思の作品もまた知るべき教養であったと考えます。

<資料参考:詠史 其二 左思>
鬱鬱澗底松 鬱鬱たり 澗底の松
離離山上苗 離離たり 山上の苗
以彼径寸茎 彼の径寸の茎を以て
蔭此百尺条 此の百尺の条(えだ)を蔭す
世冑躡高位 世冑は高位を躡み
英俊沈下僚 英俊は下僚に沈む
地勢使之然 地勢 之をして然らしむ
由来非一朝 由来 一朝に非ず
金張藉旧業 金張は旧業に藉りて
七葉珥漢貂 七葉 漢貂を珥しき
馮公豈不偉 馮公 豈に偉れざらんや
白首不見招 白首 招かれざりき

 さらに少し穿ちますが、次の柿本人麻呂が詠う集歌1682の歌には『山海経』に載る海外東経で示す毛民国の様子を詠ったものかもしれません。『山海経』に示す毛民人は全身を長い体毛でおおわれているとしますから、外見は皮衣を纏っているように見えます。その毛民人が扇を使えば歌に示す姿となります。また、その『山海経』は絵図の付いた書物であることは有名です。

献忍壁皇子謌一首、詠仙人形
標訓 忍壁皇子に献れる歌一首、仙人の形を詠めり
集歌1682 常之陪尓 夏冬往哉 裘 扇不放 山住人
訓読 とこしへに夏冬行くや 裘(かはころも)扇放たぬ山に住む人
私訳 永遠に夏と冬がやって来るためか、皮の衣も扇も手放さない山に住む人よ。

 以上、駆け足で有名ところの中国古典と万葉集との関係を紹介しました。なお、ここでは山上憶良については敢えて触れませんでした。もし、憶良について触れますと、「沈痾自哀文」の作品に代表されるように引用する中国古典は初唐までの主だった古典を網羅するようなものになってしまいます。参考として、伊藤博氏の『萬葉集釋注』で示す引用古典として、順に准南子、史記、列子、後漢書、国語、抱朴子、梁書、春秋左伝、隋書、寿延経、神仙伝、遊仙窟、論語、文選、丹経、尚書、維摩経、荘子、涅槃経などを挙げています。およそ、「沈痾自哀文」は山上憶良が誰かに自分の人生を下に中国古典の神髄を教授したような作品ですから、少なくとも、その「誰か」と万葉集の編集者は憶良と同等な学識があり、この憶良が「沈痾自哀文」を下にした講義を理解出来たと推定されます。つまり、伊藤博氏が列挙されました中国古典は教養科目であったのです。
 これらの語句を参照し万葉集歌に使われる漢語や内容を点検しますと、まだまだ埋もれて知られない和歌が現れてくるのではないかと期待していますが、弊作業員のような正統な教育を受けていない者には非常に荷の重い作業です。どなたか、このような作業を行って、その成果を披露・ご教授して頂ければ幸いです。

 万葉集を漠然と眺めていますと、人麻呂時代は古事記を題材にした歌が、第七次遣唐使以降では中国古典を題材にした歌が詠われていることに気付きます。今回はそのような視点から酔論を展開してしまいました。
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今日のみそひと歌 金曜日

2015年10月30日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌4474 武良等里乃 安佐太知伊尓之 伎美我宇倍波 左夜加尓伎吉都 於毛比之其等久
訓読 群鳥(むらとり)の朝立ち去(い)にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく
私訳 群鳥が朝飛び立ち行くように、都を立ち去っていった貴方の様子ははっきりと聞きました、私が思っていたように。

集歌4475 波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都々之努波牟
訓読 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる吾は見つつ偲はむ
私訳 初雪は千重に降り積もれ、物恋しい気持ちが募る私は、それを眺めて物思いをしましょう。

集歌4476 於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無
訓読 奥山の樒(しきみ)が花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ
私訳 奥山の樒の花の名のように、しきりに幾重にも貴方に心を寄せるでしょう。

集歌4477 由布義利尓 知杼里乃奈吉志 佐保治乎婆 安良之也之弖牟 美流与之乎奈美
訓読 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ
私訳 夕霧に千鳥が鳴いていた佐保の道を、ただ、荒らしてしまうでしょうか、お会い出来る機会が無くて。

集歌4478 佐保河波尓 許保里和多礼流 宇須良婢乃 宇須伎許己呂乎 和我於毛波奈久尓
訓読 佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらひ)の薄き心を吾が思はなくに
私訳 佐保川に凍り渡る薄氷のような、薄き真心を私は持ってはいません。

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今日のみそひと歌 木曜日

2015年10月29日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌3552 麻都我宇良尓 佐和恵宇良太知 麻比等其等 於毛抱須奈母呂 和賀母抱乃須毛
訓読 麻都が浦に騒(さわ)ゑ群(うら)立(た)ち真人こと思ほすなもろ吾(わ)が念(も)ほのすも
私訳 麻都が浦に潮騒がしきりに立っているように、立派な貴方よ、そのようにしきりに恋焦がれないで。私が貴方に恋い慕うほどには。

集歌3553 安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母
試訓 安治可麻(あぢかま)の可家(かけ)の水門(みなと)に入る潮(しほ)の小手(こて)たずくもが入りて寝まくも
試訳 安治可麻の可家の入江に入って来る潮がやすやすと満ちるように、やすやすとお前の床に入り込んで共寝がしたいものだ。

集歌3554 伊毛我奴流 等許乃安多理尓 伊波具久留 水都尓母我毛与 伊里弖祢末久母
訓読 妹が寝る床のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
私訳 愛しいあの娘が寝る床のあたりに、河原の岩の下を流れる水にでもなりたい、その水のようにするするとくぐり入り込んで、あの娘と共寝がしたい。

集歌3555 麻久良我乃 許我能和多利乃 可良加治乃 於等太可思母奈 宿莫敝兒由恵尓
訓読 麻久良我(まくらが)の許我(こが)の渡りの韓(から)楫(かぢ)の音高しもな寝なへ子ゆゑに
私訳 麻久良の許我にある渡しの韓式の楫の音が高い。そのように噂話がかしましい、共寝をしたこともないあの娘のために。

集歌3556 思保夫祢能 於可礼婆可奈之 左宿都礼婆 比登其等思氣志 那乎杼可母思武
訓読 潮(しほ)舟(ふね)の置かれば愛(かな)しさ寝つれば人(ひと)言(こと)繁(しげ)し汝(な)を何(ど)かも為(し)む
私訳 浪を切る潮舟が岸に引き上げられると気にかかるように、お前が愛おしいと共寝をすると世間の噂話がうっとうしい。お前を、さて、どうしたら良いだろうか。

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今日のみそひと歌 水曜日

2015年10月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日

集歌2639 葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼
訓読 葛城(かつらぎ)し襲津彦(そつひこ)真弓(まゆみ)荒木(あらき)にも憑(たの)めや君し吾(あ)し名(な)告(の)りけむ
私訳 葛城の襲津彦の立派な弓、その弓は荒木に憑む (=・・で出来ている)のか。その言葉のひびきではないが、私が頼りにする貴方に、私の名前をお知らせしました。

集歌2640 梓弓 引見絶見 不来者〃〃 来者其〃乎奈何 不来者来者其乎
訓読 梓弓(あづさゆみ)引きみ絶(たへ)ずみ来(こ)ずは来(こ)ず来(こ)ばそそを何(な)ど来(こ)ずは来(こ)ばそを
私訳 梓の弓を引いたり弛めたりするように、やって来ないなら来ない。やって来るならば来れば良い。それをどうして、やって来ないとか、やって来るとかと云うのでしょう。

集歌2641 時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠
訓読 時守(ときもり)し打ち鳴す鼓(つづみ)数(よ)み見れば時にはなりぬ逢はなくも怪(あや)し
私訳 時を掌る役人が打ち鳴らす鼓の音を数えると、仕事を納め寝る時刻になった。だのに、貴方に逢えないことは不自然で、疑惑です。

集歌2642 燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見
訓読 燈火(ともしび)し影にかがよふ現世(うつせみ)し妹が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ
私訳 燈火の光がきらめき揺れるような、以前にはっきり目にした愛しい貴女の微笑む姿が目に浮かびます。

集歌2643 玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 将見因毛鴨
訓読 玉桙し道行き疲(か)れ稲蓆(いなむしろ)敷きにも君を見むよしもがも
私訳 立派な鉾を立てる官道を行き、疲れて稲のムシロを敷く、その言葉のひびきではありませんが、「いや、むしろ、しきりに」と貴方に逢いたいと思うが、逢う方法がありません。

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今日のみそひと謌 火曜日

2015年10月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1774 垂乳根乃 母之命乃 言尓有者 年緒長 憑過武也
訓読 たらちねの母し命(みこと)の言にあれば年し緒長く憑(たの)め過ぎむや
私訳 乳を与えてくれた実母の大切な命令であれば、長い年月をただ頼りにさせたままで済ますでしょうか。

集歌1775 泊瀬河 夕渡来而 我妹兒何 家門 近春二家里
訓読 泊瀬川夕渡(よわた)り来(こ)に吾妹子(わぎもこ)が家し門し近づきにけり
私訳 泊瀬川を夕刻に渡って来て、恋しい恋人の家の門が近付いてきた。

集歌1776 絶等寸笶 山之岑上乃 櫻花 将開春部者 君乎将思
訓読 絶等寸(たゆとき)し山し岑(を)し上(へ)の桜花(さくらはな)咲かむ春へは君を思(しの)はむ
私訳 散ると縁が切れてしまう、山の丘の上に咲く桜の花よ。次に桜が咲くでしょう春には、貴方のことを思い出し偲びましょう。

集歌1777 君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念
訓読 君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ匣(くしげ)なる黄楊(つげ)し小櫛(をぐし)も取らむとも思(も)ず
私訳 貴方が居なくては、どうして、私は着飾りましょう。匣にしまい込んである黄楊のかわいい櫛も取り出そうとは思いません。

集歌1778 従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者
訓読 明日よりは吾は恋ひむな名欲山(なほりやま)石(いは)踏(ふ)み平(なら)し君が越え去(い)なば
私訳 明日からは私は貴方を懐かしむでしょう。名欲山の岩を踏みしめて貴方が越えて都に去って行ったならば。

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