竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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今日の古今 みそひと歌 1

2015年12月31日 | 古今 みそひと歌
巻第一
春歌上
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
歌番一
原歌 としのうちにはるはきにけりひととせをこそとやいはむことしとはいはむ
標準 としのうちに春はきにけりひととせをこぞとやいはむことしとやいはむ
釈A 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ
釈B 年の内に春は来にけり一歳瀬を来そとや言はむ小年とや言はむ
注意 「ひととせ」を「一歳瀬=一年間」の意味と取るか、「年の瀬」の意味と取るかで、歌の意味合いは変化します。無理筋ですが、解釈によっては複数の解釈が存在しますので、その可能性を排除するわけにもいきません。「年の瀬」の意味としますと、大晦日はまだ来ていませんが、それが二十四節季からするともう来たとなるでしょうし、そのとき、それを三十日にならない小月のように三百六十日にはならない小年とでも呼ぶのでしょうか。歌は遊びの歌ですから、解釈にも遊びがなくてはいけません。
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古今和歌集を鑑賞する

2015年12月30日 | 古今 みそひと歌
古今和歌集を鑑賞する

はじめに
 『万葉集』の短歌については、最初に各巻の長歌や短歌をそのまま歌番号順に、二巡目は短歌だけを取り上げ「今日のみそひと歌」として、約八百首を一つのグループとして曜日ごとに鑑賞しました。長歌については、まだ、二巡目が終了していませんので、その間は『古今和歌集』にまで手を伸ばし、素人の鑑賞を行いたいと思います。ただ、『万葉集』では弊ブログ独特の「本来の万葉集の歌は漢語と万葉仮名と称される漢字だけで表記されたものである」として鑑賞しました。同様に『古今和歌集』もまた本来の歌の姿で鑑賞を行いたいと思いますし、鑑賞は『万葉集』から発展した『古今和歌集』と云う視線を持ちたいと考えています。
 その『古今和歌集』を鑑賞するにあたって、始めに近年の偉大な研究を紹介しますと、「高野切古今和歌集の復元 (森岡隆)」(以下、「報告書」)と云う筑波大学芸術学系・書コースが高野切古今和歌集の復元作業に対する研究報告書を公表しています。この「報告書」に示す復元の方法のルールに従いますと、高野切古今和歌集が書写された時代、およそ十一世紀半ばでは「歌中に漢字を交えない原則」であったと推定しています。また、同志社大学文学部の石井久雄氏もまた、その「現代における古今和歌集表記の漢字」の研究報告から同様な事項を指摘されています。およそ、原典での『古今和歌集』に載る歌は「歌中に漢字を交えない原則」は動かないものと考えます。
 次に歌に使われる仮名の清濁音表記について、ウキペディアでは次のように紹介します。

平安時代以降の仮名には清濁の別が無くなった。それは連綿によって仮名の文字列に意味の区切りを作り出し、文の読み取りを以前よりも容易にした結果、仮名の清濁を使い分ける必要がなくなったからである。言い方をかえれば濁音を示す表記を用いなくても、不都合を感じない文を綴れるようになったということである。『古今和歌集』の伝本のひとつである高野切には紀貫之の詠んだ和歌が、
そてひちて むすひしみつの こほれるを はるたつけふの かせやとくらむ
と濁点は付されていない。もしこれに濁点を付けるのならば、
そでひちて むすびしみづの こほれるを はるたつけふの かぜやとくらむ
となる。「そて」を「そで」、「かせ」を「かぜ」と読むのは、この和歌の文脈では「そで」「かぜ」としか読めないからであり、ほかの部分の仮名についても同様である。つまり「て」という仮名で書かれていても文脈によっては「で」と読むというように、ひとつの仮名で清音と濁音を兼ねるようにしていた。これは片仮名についても同様で、経典に漢字の読みかたを示した片仮名が書き添えられていた場合、その漢字の置かれている文脈をもって判断すれば、清濁について迷うことはなかったのである。

 以上紹介しましたウキペディア記事と歌の表記問題からしますと、原典での『古今和歌集』に載る歌は次のような形で表記されていたと推定されます。
 一字一音の変体仮名による表記である
 歌中には漢字を交えない
 清音のみの表記で、濁音を交えない

 これを具体的に紹介しますと、インターネットでは有名なHP「古今和歌集の部屋」で紹介される紀貫之が詠う歌番二の歌は次のような姿となっています。
「袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ」
 一方、原典での『古今和歌集』に載る紀貫之の詠んだ歌番二の和歌は、
「そてひちて むすひしみつの こほれるを はるたつけふの かせやとくらむ」
と云う表記だったとします。(区切りは弊ブログの独善で、本来、区切りはありません)

 一般に歌を音読すれば示す二つの歌は同じ歌ではないかと考えるでしょう。しかし和歌を和歌として鑑賞するとき、和歌作歌における掛詞などの技法や開音節言語の特徴を下にした同音異義語を使った言葉遊びからしますと同質ではないことは明白です。ですから、権威と主観が支配的であった国文学の世界に科学的研究手法が紹介されてきた昭和五十年代以降では日本語を基準に和歌を専門に研究する研究者は翻訳歌となる「読み下し漢字交じり平仮名和歌」と「原歌」とを混同することはありません。もし、そのような混同を許せば、一時期、万葉集難訓歌読解研究の余波から生じた「万葉集は古代韓国語で記述されたものである」というような珍説を誘引する可能性が生じます。書道の古筆テキストからも知られるように原典での『古今和歌集』の原歌は一字一音の変体仮名(万葉仮名)で表記されています。つまり、『万葉集』での一字一音万葉仮名で表記された歌とその表記方法だけで区分することはできません。両者は表記方法では同質なのです。違いは楷書体か、和風の美から成った草仮名連綿体かの筆体の違いだけです。
 先に紹介したウキペディアに載る解説とは矛盾しますが、解釈において掛詞などの技法や開音節言語の特徴を下にした同音異義語を使った言葉遊びからしますと、当時の大和言葉を表記するときの約束から清音表記の「こほれるを」はときに濁音の「こぼれるを」とも解釈できますから、水に対して清音の「凍れるを」と濁音の「零れるを」との二通りの漢字表記での解釈が成り立ちます。さらに「みす」を清音の「御簾」としますと「毀れる」と関係させての解釈もあり得ます。また、「とくらむ」についても氷に対して「解くらむ」と風の程度に対しての「疾くらむ」の二通りの漢字表記での解釈が成り立ちますし、「毀れる」に対しての「(風が紐をほどく)解くらむ」との解釈もあり得ます。
 なお、ウキペディアに載る解説での「和歌の文脈では『そで』『かぜ』としか読めないからであり、ほかの部分の仮名についても同様である」との解説には、鎌倉時代初期の藤原定家が残した解釈を基準とする歌道における伝統的な解釈態度を下に「特定の解釈を下した場合」と云う暗黙の了解が背景にあります。そう云う意味での「和歌の文脈」なのです。
 話が飛びますが、話芸でのギャグを文章化することは、非常に困難ですし、時に文章化することでその話芸での本質が失われることもあります。そのような視点から見ますと、平安時代の和歌は書の美と言葉の美とを融合させた日本独特の文化です。ただ、書の美と言葉の美とを高度に融合させたために、平安和歌は一般の人には判りにくいものへと進化してしまいました。それを貴族文化が衰退し始めた鎌倉時代になって、歌を判りやすくし、同時に歌の内容の解説を試みた先駆者がいます。それが藤原定家です。彼が採用した手法では表語文字である漢字や漢語熟語を導入して視読でも内容をつかみやすくし、区切れも漢字を導入することで判別しやすいようにしました。その成果が古今和歌集本の定番となっている「定家本古今和歌集」です。つまり、古典を分り易く庶民に提供するという文化大衆化の先達者ですし、古典翻訳本と云うジャンルの祖です。藤原定家たちは『万葉集』も『古今和歌集』も『新古今和歌集』と同じ「漢字交じり平仮名歌」と云う表記に翻訳することで、歌を人々に判りやすくして届けています。
 藤原定家たちによるこのような大衆に判りやすく読み易い古典を提供するというものを、一度、棚に置きますと、貫之が詠う歌番二の歌の景色において、昨秋に手で掬った清水が冬の寒さで凍ったのが春風で解けると解釈するか、初春の行事で身を清めるために手で掬った水が強い春風に手から零れると解釈するか、はたまた、早春の早朝に朝霜に袖が濡れるのを厭わずに御簾を上げたのが解けているのは、立春の春一番のような強風がほどいたのでしょうかとも、春風が疾いのでしょうかなどと解釈するかは、個々人の好みとなります。しかしながら話芸でのギャグを文章化することと同様に、このような解釈の可能性を長々と文章とするのは和歌の鑑賞では野暮です。時代の可能性として、解説を行うとしても野暮とならないように舞台裏での相対での口伝や伝授が限度ではないでしょうか。
 紹介しましたように歌を複線的に解釈するためには、『古今和歌集』の歌は当時の清濁音表記の約束から清音により平仮名表記だけでなされる必要があります。逆にこのように色々と解釈できる幅を持たせるために、『万葉集』では明確に大和言葉に従って清音濁音を区分して表記していましたが、『古今和歌集』では清音濁音の区分を明示することを避け、また、漢字が持つ表語文字の力を消すために一字一音音仮名での変体仮名表記と云うルールを採用したと推定されます。参考として、以下に紹介する『万葉集』の歌で使われる、婢、疑、受の文字は、ビ、ギ、ズの濁音と推定されます。およそ、奈良時代から平安時代初期において人々の間に濁音発声が無かったわけではありません。

万葉集 4515番
秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟
読下 秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相(あひ)か別れむ
私訳 秋風が枝先に吹いて靡く萩の花、その花枝を共にかざしましょう。これから互いに別れて行くのだから。

古今和歌集 歌番二
曽天悲知弖 武春比之美川乃 己保礼留遠 波留可太遣不乃 可世也止久良武
そてひちて むすひしみつの こほれるを はるかたけふの かせやとくらむ

 以上、説明を致しました。
 弊ブログでは『古今和歌集』の原歌は一字一音の変体仮名表記だったと仮定し、現代の「ひらがな」表記で紹介します。その時、大衆のために歌の鑑賞を「漢字交じりひらがな」と云う表記方法で固定しようとした藤原定家校訂「古今和歌集」が示す解釈と一致しない可能性があります。また、解釈は正統な教育を受けていない素人ものであることをご了解ください。なお、『古今和歌集』の鑑賞では付きものである仮名序、真名序については別の場で鑑賞を行い、ここでは扱わないものとします。
 鑑賞での各項目は次のようなものになっています。
1. 原歌:国際日本文化研究センタ-「和歌データベース:古今和歌集」による。
2. 標準:「古今和歌集全訳注(久曽神昇、講談社学術文庫)」の表記を標準歌とする。
3. 解釈:標準的な鑑賞だけの場合は、「解釈」とする。
4. 釈A:弊ブログ独自の鑑賞を釈Bで紹介する場合、標準的なものを「釈A」とする。
5. 釈B:弊ブログ独自の鑑賞を「釈B」とする。
6. 注意:歌に関係する情報を提供する。
また、標準的な解釈の紹介では次のものを参考テキストとしています。
 「古今和歌集全訳注(久曽神昇、講談社学術文庫)」、
 「古今和歌集(久保田章一郎、講談社ソフィア文庫)」
 HP「古今和歌集の部屋」
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今日のみそひと謌 火曜日

2015年12月29日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1831 朝霧尓 之怒々尓所沾而 喚子鳥 三船山従 喧渡所見
訓読 朝霧にしぬぬに濡れに呼子鳥(よぶこどり)三船し山ゆ鳴き渡る見ゆ
私訳 朝霧にしとどに濡れて呼子鳥が三船の山から鳴き渡って行くのを見たよ。


集歌 3597 和多都美能於 伎津之良奈美 多知久良思 安麻乎等女等母 思麻我久礼見由
訓読 わたつみの沖つ白波立ち来らし海人(あま)娘子(をとめ)ども島(しま)隠(かく)る見ゆ
私訳 渡す海の海神の治める沖に白波が立って来るらしい。海人少女たちが乗る船が島影に隠れて行くのが見える。

集歌 3598 奴波多麻能 欲波安氣奴良 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里
訓読 ぬばたまの夜は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり
私訳 漆黒の夜は明けるらしい。玉の浦で餌を探す鶴の啼き声が響き渡る。

集歌 3599 月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素末乃宇良由 船出須和礼波
訓読 月読(つきよみ)の光りを清み神島の礒廻(いそま)の浦ゆ船出す吾(わ)れは
私訳 月の光が清らかなので、(広島県福山市の)神島の磯廻の湊から船出をする。私たちは。

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今日のみそひと歌 月曜日

2015年12月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 月曜日

集歌934 朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信
訓読 朝凪に梶(かぢ)し音(ね)そ聞く御食(みけ)つ国野島(のしま)の海人(あま)の船にしあるらし
私訳 朝の凪に梶の音だけが聞こえる。御食を奉仕する国の野島の海人の船の音らしい。

集歌936 玉藻苅 海未通女等 見尓将去 船梶毛欲得 浪高友
訓読 玉藻刈る海(あま)未通女(をとめ)ども見に行かむ船梶(ふなかぢ)もがも浪高くとも
私訳 玉藻を刈る漁師のうら若い娘女たちに会いに行こう。船やそれを操る梶があるならば、浪が高くとも。

集歌937 徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美
訓読 行き廻(めぐ)り見とも飽かめや名寸隅(なきすみ)の船瀬(ふなせ)し浜にしきる白浪
私訳 行ったり来たりして眺めていて飽きるでしょうか、名寸隅の船を引き上げる浜に次ぎ次ぎと打ち寄せる白波よ。


集歌1829 梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鴬之音
訓読 梓弓春山近く家(いへ)居(を)りし継ぎに聞くらむ鴬し声
私訳 梓の弓を張る、その春の山に近く家に住んでいるから、絶えず聞くのでしょう鶯の鳴き声よ。

集歌1830 打靡 春去来者 小竹之末丹 尾羽打觸而 鴬鳴毛
訓読 うち靡く春さり来れば小竹(しの)し末(うれ)に尾羽(をば)打ち触れに鴬鳴くも
私訳 そろって風に靡く春が天を去り地上にやって来ると、小竹の枝先に尾羽を震わせて鶯が鳴くよ。


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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌928

2015年12月27日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌928

冬十月、幸于難波宮時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 (神亀二年)冬十月に、難波宮に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
集歌928 忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 おしてる 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人(ひと)皆(みな)の 思ひやすみて つれもなく ありし間(あひだ)に 続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷(たかし)きて 食(を)す国(くに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)成(な)したり 旅にはあれども
意訳 おしてる難波の国は、葦垣に囲まれた古びた里でしかないと、世の人びとが皆心にもかけなくなり、ゆかりもない地と見てきたが、われらの大君は、ここ難波長柄の宮に高く太い真木の柱をがっしりとうち立て、あまねく国中をお治めになるので、沖の鳥味経の原に、もろもろの大宮人たちは仮の廬を結んで、ここ一帯を都となしている。旅先の地ではあるけれども。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 押し照る 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人(ひと)皆(みな)し 思ひ息(やす)みて つれもなく ありし間(あひだ)に 続麻(うみを)なす 長柄(ながら)し宮に 真木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷(たかし)きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)し壮(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)成(な)したり 旅にはあれども
私訳 一面に光輝く難波の国は、葦で垣根を作るような古びた郷と人が皆、そのように思い忘れ去って、見向きもしない間に、紡いだ麻の糸が長いように長柄の宮に立派な柱を高々とお立てになり君臨なされて、御領土をお治めなさると、沖を飛ぶ味鴨が宿る味経の原に、立派な大王の廷臣の多くのつわものは、仮の宿りをして、さながら都の様をなした。旅ではあるのだが。

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