竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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今日のみそひと歌 月曜日

2014年06月30日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 月曜日

集歌520 久堅乃 雨毛落糠 雨乍見 於君副而 此日令晩
訓読 ひさかたの雨も降らぬか雨(あま)障(つつ)み君し副(たぐ)ひにこの日暮らさむ
私訳 遥か彼方から雨も降って来ないでしょうか。雨の日は家に閉じ籠り貴女に寄り添って、雨に振り込められる、その日一日を過しましょう。

集歌521 庭立 麻手苅干 布慕 東女乎 忘賜名
訓読 庭し立つ麻手(あさて)刈り干し布慕(した)ふ東女(あづまをみな)を忘れたまふな
私訳 庭に植えた麻を刈り取り干して布として肌身に着けることを乞い願うように、貴方が刈り取って召した東女をお忘れにならないでください。

集歌522 感嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者 (感は、女+感)
訓読 宮女(をとめ)らし珠篋(たまくしげ)なる玉櫛(たまくし)の神さびけむも妹に逢はずあれば
私訳 宮女たちが美しい箱に入れて大切にしている櫛が美しい娘女の髪(かみ)に相応しいように、私はまるで恋人に逢えない天上の彦星のような神(かみ)めいてしまったのだろうか、貴女に逢わないでいると。

集歌523 好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来
訓読 よく渡る人は年にもあり云ふを何時(いつ)し間(ま)にそも吾が恋ひにける
私訳 上手に川を渡る彦星は年に一度は恋人と逢うことがあると云うらしい、そんな彦星と織姫が逢う、そのようなわずかな間だけだったなのに、私は貴女に恋をしている

集歌524 蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹不宿者 肌之寒霜
訓読 むし衾(ふすま)和(な)ごやが下に臥(ふ)せれども妹とし寝(ゐ)ねば肌し寒しも
私訳 日頃、体を暖かく蒸すような、貴女と云うような「名兒」の言葉(「な児が下=貴女が下」から正常位を意味します)、その寝具の柔らかいものを被って寝ているけれど、貴女と一度も共寝をしたことがないので肌寒いことです。

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明日香新益京物語 阿騎野

2014年06月29日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
阿騎野

 朱鳥七年(692)冬、人麻呂は草壁皇子の御子、軽皇子を連れ阿騎の野を旅している。ちょうど、あれから二十年が経っていた。その年の十一月、新羅が貢ぎを献上した。高市大王はその貢ぎを伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足の神の御社に奉げるとして、柿本人麻呂を伊勢皇太神宮への奉幣使として派遣した。

 高市大王が私的に木工寮頭柿本朝臣人麻呂を宮内に呼んだ。
「やい、人麻呂。今度、伊勢皇太神宮を拝んで来い」
 人麻呂はいぶかしんだ。今、新益宮の建設の真最中で、飛鳥池の官営工房を指揮する人麻呂は猫の手も借りたいほど忙しい。
「君、なにか特別の訳でもありましょうか」
 大王はしっかり人麻呂の目を見据えて言葉を継いだ。
「人麻呂。主が新益宮の匠に励んでいるのは承知じゃ。今度の命は軽皇子にある。皇子は今年、十歳になる。また、壬申の戦いから二十年じゃ。主なら我が命の意味が判るであろう」
「そこでじゃ、主が皇子を連れ、皇太神宮を拝んで来い」
 人麻呂は、高市大王が云わんとすることがおおよそ判った。壬申の乱の時、草壁皇子は十歳であった。今、軽皇子は父親、草壁皇子と同じ歳になった。その軽皇子は、高市大王の即位の折、草壁大王の御子と指定されたが、ともすれば大王の御子、長屋皇子の陰に隠れてしまう。高市大王は、常々、大海人大王の遺志に従い、軽皇子に大王位を継がすと意志表示をしている。高市大王は、その意志表示の一つとして、人々に壬申の戦いと十歳でそれに従軍した草壁皇子を思い起こさせ、軽皇子はその草壁大王の遺児であることを知らしめることを考えていた。
 人麻呂は感慨深く云った。
「君。もう、あれから二十年ですか」
「そうじゃ、二十年じゃ」
「人麻呂、あの時、大海人大王に従って伊勢に行った者どもは、皆、この世から失せた。残る者でめぼしい者は主ぐらいになった。もう、あの伊勢行きを知る者はおらん」

 確かに宮中の大官に壬申の乱での勇者はいる。だが、それらの人々は大海人皇子の挙兵の後に呼応して倭で旗を上げた大族で、最初からの伊勢への従軍の者どもではない。高市大王の言葉に吊られ人麻呂は伊勢行きの勇者たちの顔を想い出す。東道将軍紀臣阿閉麻呂、志摩の膳臣摩漏や都祢の星川臣麻呂は、もう、この世にいない。残るは丸部臣君手ぐらいか。確かに生き残った者で高官の立場では人麻呂が筆頭に上げられる。

「人麻呂、主が皇子に壬申の戦いの物語をせい。ただし、今度、道中で宿は使うな。あの時のように、伊勢へ駆けて行け。皇子に男の戦いのなんたるかを、教えよ」

 高市大王は幼いころから巻狩りに連れられ、人より大きな獣を狩り、殺し、それを解体して肉にするのを見て来た。そして、壬申の戦いでは己の命を賭け、生き死の戦いをし、多くの人が死ぬのを見た。既に世には二十年を越える平和があるが、大王は時代が要求した戦人(いくさひと)である。その戦人たる大王は朝廷に仕える者どもに乗馬と武装の徹底を求める。また、機会あるごとに巻狩りと云う軍事訓練を催す。
 高市大王は人々に軽皇子の伊勢行きから壬申の戦いと草壁皇子の従軍を思い起こさせるが、同時に軽皇子にはその従軍がどのようであったかを知らしめよと人麻呂に求めた。

 人麻呂は高市大王の命に従い、十二月十七日に飛鳥浄御原宮から伊勢国度会を目指して出発して来た。予定では廿一日中に皇太神宮に着き、廿四日早朝に新羅からの貢ぎ物を含め、皇太神に奉幣することになっている。官人たる柿本朝臣人麻呂は小錦中(正五位下相当)木工寮頭の官位官職を持つ正式の奉幣使である。同行する軽皇子は、将来、大王を継ぐかもしれぬが、今はまだ無冠無位の御子である。宮中儀礼と法度では人麻呂に礼を尽くす同行者の立場となる。歌にも示すように、人麻呂から軽皇子には公式の場では敬語は使えない。
 十七日の夜、その人麻呂一行は大王の命に従い宇陀の阿騎の野で野宿をした。人麻呂は焚火を前に武官である丸部臣君手と昔話をした。それを、軽皇子は聞く。武官である君手は壬申の乱に従軍し近江正規軍との激戦を戦った将であるが、また、同じように草壁皇子の宇陀の巻狩りにも従ったこともある。君手は壬申の戦いや宇陀の巻狩りの思い出を軽皇子に物語した。
 夜半、幼い軽皇子は寝たが人麻呂や君手は、ぽつり、ぽつりとその昔話をする。奉幣使に従う若き者どもは、その二人を囲んで壬申の乱の物語を聞いた。何時しか夜が明けた。その夜明け時、沈みゆく十八夜の月と山際から登り来る朝焼けの光の筋を見、人麻呂はその情景を歌にした。
 飛鳥に戻って来た人麻呂は高市大王の意図に添うように奉幣使慰労の宴でその歌を宮中で仕える者どもに披露した。人々は人麻呂の歌から改めて壬申の乱、草壁皇子の従軍、そして草壁皇子の遺児、軽皇子の事を思った。

阿騎乃野尓宿旅人打靡寐毛宿良目八方古部念尓
訓読 阿騎の野に宿(やど)る旅人打ち靡き眼(い)も寝(ぬ)らめやも古(いにしへ)思ふに
私訳 阿騎の野に宿る旅人は薄や篠笹のように体を押し倒して寝ることができるでしょうか。昔の出来事を思い出すのに。

真草苅荒野者雖有黄葉過去君之形見跡曽来師
訓読 ま草刈る荒野はあれど黄葉(もみぢは)し過ぎにし君し形見とそ来し
私訳 本来なら大嘗宮の束草を刈り取る荒野なのですが、このように黄葉の葉が散り過ぎるようにお隠れになった君の形見。その形見の御子といっしょに来た。

東野炎立所見而反見為者月西渡
訓読 東(ひむがし)し野(の)し炎(かぎろひ)し立つそ見て反(かへ)り見すれば月西渡る
私訳 夜通し昔の出来事を思い出していて、ふと、東の野に朝焼けの光が雲間から立つのが見えて、振り返って見ると昨夜、一夜中、照らした月が西に渡って沈み逝く。

日雙斯皇子命乃馬副而御羯立師斯時者来向
訓読 日並(ひなみし)し皇子し命(みこと)の馬並(な)めて御猟(みかり)立たしし時は来(き)向(む)かふ
私訳 日並皇子の尊が馬を並び立てて御狩をなされた、そのような時刻になってきたようです。

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万葉雑記 色眼鏡 七四 柿本人麻呂の七夕の歌を鑑賞する

2014年06月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 七四 柿本人麻呂の七夕の歌を鑑賞する

 全国的にみると珍しいのですが、関東では梅雨半ばの新暦での七月七日が七夕祭りの日です。本来は旧暦七月七日に祝う祭りですから、季節的には関東以外の梅雨が明けた新暦八月七日前後が古くからの七夕祭りに相応しいものとなります。
 さて、今回はその関東の七夕シーズンに合わせて、七夕の歌を取り上げたいと思います。それも柿本人麻呂に関係するものを取り上げます。こうした時、『万葉集』巻十では読み人知れずの扱いですが、柿本人麻呂歌集に載るものとして七夕の歌を集中的に取り上げており、それも部立 秋雑歌の最初に置かれています。それが集歌1996の歌から集歌2033の歌までの都合三八首です。
 七夕の歌は常識的に七夕の宴で詠われたであろうと想像するとき、人麻呂歌集に載るものから採歌された三八首の歌を点検してみますと、歌から推測される気象状況は等しいものではありません。晴天を窺わせるもの、雲が掛った山や月、あるいは霧、さらには時雨すら想像させるものがあります。つまり、歌の鑑賞からは七夕の宴で詠われた歌ではありますが複数年に渡る七夕の宴の歌を集めたものであることが想像することが出来るのです。今回は、「七夕の宴での歌ではあるが、複数年にわたるものである」という、ここに注目します。

 注目点を確認したところで、もう一度、七夕の歌群全体について鑑賞での条件を整理してみたいと思います。
 扱う歌三八首は人麻呂歌集から採歌された七夕の歌です。建前では作者不明の歌と扱いますが、これらの歌は、ほぼ、人麻呂の作歌と思っています。そして、七夕の宴での歌ですから、当然のこととして年に一回の旧暦七月七日の夕べの歌となります。さらに当時の宴会の状況を想像しますと、同時代の『懐風藻』の下毛野朝臣虫麻呂の漢詩の序文から推測するに、宴の主催者は漢詩を披露する機会があるような宴の場合その数日前に詠うべき漢詩のテーマを示して、それに対して参加者は事前準備をしていたようです。いくらなんでも、宴に参加するすべての人々に「即興で漢詩を詠え」などとは要求しなかったようです。個人の考えですが、和歌でも同じ状況と思いますし、七夕の宴で女郎花や露草を詠うのも野暮でしょう。
 人麻呂歌集に載る歌とは云え、当時、七夕の宴は最新到来の外国の行事です。およそ、宮廷主催の七夕の宴でしょうから、歌心のある人は歌を奉呈してその歌の出来により、褒美が下賜されたと思われます。当然、歌は、課題歌とその日の天候などによる即興歌に分かれます。即興歌には天候が織り込まれる可能性が高いでしょうが、課題歌には天候に左右されない歌を用意したと思います。これを基準として、人麻呂の集歌2033の庚辰年(680)の歌を出発点として、人麻呂歌集の七夕の歌を試みに区分してみました。推定した「お題」と当日の天候を以下に載せます。鑑賞において、歌に使われた漢語や万葉仮名の漢字に注目して下さい。それは近代風の「漢字交じり平仮名」に翻訳された訓読み万葉集歌では見えてこない世界です。
 どうでしょうか、意表を突かれたかもしれませんが、『万葉集』にはこのような鑑賞法もあります。年代、順番、お題、天候については、使われた漢字を下にした分類からの推定ですが、基本は感覚です。その根拠を聞かれると、「個人の直感」としか回答は出来ません。そして、その推定では人麻呂の七夕の歌は持統十一年(697)で終わっています。
 最後の年の群O-2については、前年に高市皇子が亡くなっていますので、人麻呂の個人的に過去の七夕の宴を回想しての高市皇子に捧げる七夕の歌と想像しています。つまり、集歌2025の歌は七夕の歌のようですが、個人の感覚では高市皇子に捧げる挽歌です。壬申の乱を戦い抜いて、そして新しい日本を創った大夫(ますらを)たちの時代の終わりを告げる歌と想像しています。これ以降、人麻呂もまた皇族や妻たちへの挽歌群を除くと、表舞台から消え去ります。

群A 天武九年(680)  お題は「八湍河原」、当日の天候は曇りか雨
課題歌部門
集歌2033 天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
訓読 天つ川八湍(やす)し川原し定まりに神(かみ)競(きそは)へば磨(まろ)し待たなく
私訳 天の八湍の川原で約束をして天照大御神と建速須佐之男命とが大切な誓約(うけひ)をされていると、それが終わるまで天の川を渡って棚機女(たなはたつめ)に逢いに行くのを待たなくてはいけませんが、年に一度の今宵はそれを待つことが出来ません

集歌2000 天漢 安渡丹 船浮而 秋立待等 妹告与具
訓読 天つ川安し渡りに舟浮けに秋立つ待つと妹し告(つ)げこそ
私訳 天の川の安の渡しに船を浮かべて、川を渡る秋の季節を待っていると、愛しい恋人に告げてほしい。

即興歌部門
集歌1997 久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座津 乏諸手丹
訓読 久方し天つ川原にぬえ鳥しうら歎(な)げましつすべなきまでに
私訳 遥か彼方の天の川原のぬえ鳥のように悲しく泣いて嘆いています。どうしようもなくて。

注意 集歌2033の「天漢安川原」からの「天漢原丹」への連想を見ています。

集歌2031 吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨
訓読 よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥しうら嘆(な)げ居(を)りし告(つ)げむ子もがも
私訳 えい、仕方がない、直接に逢えなくても。星明かりもない漆黒の夜のぬえ鳥のように、ただ嘆いていますと告げるあの娘女です。

注意 さらに集歌1997の「奴延鳥之裏歎座津」から「奴延鳥浦嘆居」への連携を見ています。

群B 天武十年(681)  お題は「孫星(彦星)」、当日の天候は曇りか雨
課題歌部門
集歌2029 天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
訓読 天つ川楫し音(ね)聞こゆ彦星(ひこほし)し織女(たなばたつめ)と今夕(こよひ)逢ふらしも
私訳 天の川に楫の音が聞こえます。彦星が織女と今夕に逢うようです。

即興歌部門
集歌2006 孫星 嘆須麗 事谷毛 告余叙来鶴 見者苦弥
訓読 彦星(ひこほし)し嘆(なげ)かす妻し事(こと)だにも告(つ)げにぞ来つる見れば苦しみ
私訳 彦星が逢えないことを嘆いている妻に、逢えないことすらを告げずに帰って来るのを見ると心苦しいことです。

注意 集歌2029の「孫星与織女」から「孫星嘆須麗」への連携を見ています。

群C 天武十一年(682)  お題は「舟を榜ぐ」、当日の天候は山に月雲あり
課題歌部門
集歌1996 天漢 水左閇而 照舟 竟舟人 妹等所見寸哉
訓読 天つ川水(みなも)しさへて照らす舟(ふな)竟(わた)る舟人(ふなひと)妹と見えきや
私訳 天の川の水面もさへも輝かすような舟。天の川を渡った舟人は恋人に逢ったでしょうか。

集歌 3611 於保夫祢尓 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登古
訓読 大船に真楫(まかぢ)繁貫(しじぬ)き海原(うなはら)を漕ぎ出て渡る月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 大船の艫に立派な楫を刺し貫いて海原を漕ぎ出して、天の河を渡る月の船に乗る勇者よ。
(本来は、「大船丹 真楫繁貫 海原 榜出将渡 月人壮士」のような表記でしょうか?)

即興歌部門
集歌2015 吾世子尓 裏戀居者 天河 夜船滂動 梶音所聞
訓読 吾(わ)が背子にうら恋ひ居(を)れば天つ川夜船(よふね)漕ぐなる楫し音聞こゆ
私訳 私の愛しい貴方に秘めやかに恋していると、天の川に夜船を漕ぐ楫の音が聞こえる。

集歌1068 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天つ海(み)に雲し波立ち月し船星し林に榜(こ)ぎ隠る見ゆ
私訳 天空の海に雲の波が立ち、上弦の三日月の船が星の林の中に、その船を進め見え隠れするのを見る。

注意 即興歌もままに「滂」、「榜」の漢字に注目していますが、七夕の夜には相応しくない「しずく」の感覚を楽しんで下さい。

群D 天武十二年(683)  お題は「色」、当日の天候は夜霧
課題歌部門
集歌1999 朱羅引 色妙子 数見者 人妻故 吾可戀奴
訓読 朱(あか)らひくしきたへし子をしば見れば人妻ゆゑに吾恋ひぬべし
私訳 朱に染まる美しい織姫をたびたび眺めても、貴女は人の妻だから私は恋心を秘めましょう。

集集歌2003 吾等戀 丹穂面 今夕母可 天漢原 石枕巻
訓読 吾(わ)が恋ふる丹し秀(ほ)し面(おもは)今夕(こよひ)もか天つ川原し石(いは)枕(まくら)まく
私訳 私が恋をする赤く染まる美しい貴女の顔。今宵も天の川原で貴女の代わりに石を手枕にする。

即興歌部門
集歌2008 黒玉 宵霧隠 遠鞆 妹傳 速告与
訓読 ぬばたまし夜霧に隠(こも)り遠(とほ)くとも妹し伝へは早く告(つ)げこそ
私訳 漆黒の夜霧に閉じ込められ隠れていて遠くても、恋人への逢えなくなった連絡は早く告げるべきです。

注意 「色」に対して「黒玉宵霧隠」の言葉に反応しています。この景色もまた七夕の夜には相応しくない言葉であるとことを感じて下さい。

群E 天武十三年(684)  お題は「麗はし」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2002 八千戈 神自御世 乏麗 人知尓来 告思者
訓読 八千戈(やちほこ)し神し御世(みよ)より乏(とも)し妻(つま)人知りにけり告ぐと思へば
私訳 八千戈の神の時代からなおざりにされた妻。人は知ってしまった、そのなおざりにされた人妻に私が恋をしていると告げようとすると。

集歌2011 天漢 己向立而 戀等尓 事谷将告 麗言及者
訓読 天つ川い向ひ立ちて恋しらに事(こと)だに告(つ)げむ妻し言ふまでは
私訳 天の川に向い立って恋しいあまり、逢えないことだけでも告げましょう。直接逢って、貴女を妻と言うまで。

注意 即興歌を探しましたが、見つけることが出来ませんでした。晴天の七夕の夜ですと、なかなか、この日の宴での歌であるとの確証が持てません。

群F 天武十四年(685)  お題は「待つ」、当日の天候は曇りか雨
課題歌部門
集歌2004 己麗 乏子等者 竟津 荒磯巻而寐 君待難
訓読 己(おの)が妻乏(とも)しき子らは竟(わた)る津し荒礒(ありそ)枕(ま)きて寝(ぬ)君待ちかてに
私訳 貴方の妻、そのなおざりにされている恋人は、貴方の船が渡って来る、今は寂しい岸で石を手枕として寝ている。貴方を待ちわびて。

集歌2005 天地等 別之時従 自麗 然叙手而在 金待吾者
訓読 天地と別れし時ゆ己(おの)が妻然(しか)ぞ手にある秋待つ吾(わ)れは
私訳 神代の天と地が別れた時から自分の妻をこのように手の内に抱ける秋。その秋を私は待っている。
注意 原文の「然叙手而在」の「手」は一般に「年」の誤字として「然(しか)ぞ年にある」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。

即興歌部門
集歌2007 久方 天印等 水無河 隔而置之 神世之恨
訓読 ひさかたし天つ印(しるし)と水無(みな)し川(かは)隔(へだ)てて置きし神代し恨(うら)めし
私訳 遥か彼方の天の約束の印として水の流れない天の川を隔てて二人を置いた神代の時代が恨めしいことです。

注意 集歌2005の「天地等別之時従」の言葉から「神世之恨」の言葉が導かれたのではないかと想像しています。

群G 持統二年(688) (天武天皇の喪で中断明) お題は「徃き来る」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌1998 吾戀 嬬者知遠 往船乃 過而應来哉 事毛告火
訓読 吾(わ)が恋ふる嬬(つま)は知り遠く往(い)く舟の過ぎて来(く)べしや事(こと)も告ぐるか
私訳 私の恋しい恋人が気付く遠く天の川を渡って行く船が通り過ぎて行く。逢えないことを告げるのだろうか。

集歌2001 従蒼天 往来吾等須良 汝故 天漢道 名積而叙来
訓読 大空ゆ通ふ吾すら汝(な)しゆゑに天つ川路をなづみてぞ来し
私訳 大空を自由に行き来する、そんな私ですが、貴女のために天の川の通い路を苦労して遣って来ました。

集歌2010 夕星毛 往来天道 及何時鹿 仰而将待 月人壮
訓読 夕星(ゆふつつ)も通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰ぎて待たむ月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 夕星が移り行く天の道を、年に一度の逢う日をいつまでかと仰いで待っている月人壮士。

注意 「過而應来哉」、「往来吾等須良」、「往来天道」と、七夕の宴としては特徴ある言葉に注目しています。天候は良好だったようです。このため、当時の即興歌を見つけることは出来ませんでした。

群H 持統四年(690) (草壁皇子の喪で中断明) お題は「五百」、当日の天候は曇天
参考:古事記の「豊葦原之千秋長五百秋水穂国(豊かな葦原の長く久しく稲穂の実る国)」
課題歌部門
集歌2012 水良玉 五百部集乎 解毛不及 吾者于可太奴 相日待尓
試訓 みら玉し五百重(いほへ)集(あつ)めを解(と)きも得ず吾(あれ)は行(う)かたぬ逢はむ日待つに
試訳 天空の美しく輝く星がたくさん集まったのを散らすことが出来なくて、(天の川が流れるので)私は出かけることが出来ない。貴女が逢うでしょう、その日を待っているのに。
注意 一般に原文の表記は次のように改訂して解釈します。試訓と試訳は、原文からの実験です。
改訂 水良玉 五百都集乎 解毛不見 吾者年(又は「干」)可太奴 相日待尓
訓読 しら玉の五百(いほ)つ集(つど)ひを解きも見ず吾(わ)は寝かてぬ(又は「離れてぬ」)逢はむ日待つに

即興歌部門
集歌2026 白雲 五百遍隠 雖遠 夜不去将見 妹當者
訓読 白雲し五百重(いほへ)隠(かく)りて遠くとも夜(よる)去らず見む妹し辺(あたり)は
私訳 白雲がたくさん折り重なって隠して遠くても、一晩中見つめましょう。貴女の住むあたりを。

注意 和歌中の言葉としては「五百」は非常に特徴ある言葉です。そこに注目しています。

群I 持統五年(691)  お題は「草木」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2013 天漢 水陰草 金風 靡見者 時来之
訓読 天つ川水(みず)蔭(かげ)草(くさ)し秋風し靡かふ見れば時は来にし
私訳 天の川よ、川辺の草が秋風に靡くのを見ると、そのときはやってきたようです。

集歌2014 吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比往奈 越方人迩
訓読 吾(わ)が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひし行かな彼方(をちかた)人に
私訳 私が待ちわびていた秋萩が咲きました。今こそ、衣を染めていきましょう。彼方に住む人のために。

注意 七夕の夜の宴です。人々の視線は天空にあるはずですが、取り上げた歌では視線は庭先へ向けられています。ちょっと、特徴ある歌です。中国故事からですと、桂か、金木犀ですが、それは中秋の観月で詠うべきものでしょうから、それをあえて避けたと想像します。

群J 持統六年(692)  お題は「氣長し」、当日の天候は曇天
課題歌部門
集歌2016 真氣長 戀心自 白風 妹音所聴 紐解往名
訓読 ま日(け)長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音(ね)聞こゆ紐解(と)き往(い)かな
私訳 長い日々を恋しく想う心に、秋風に乗って恋人の声が聞こえてきた。恋人の着物の紐を解きに往きましょう。

即興歌部門
集歌2017 戀敷者 氣長物乎 今谷 乏之牟可哉 可相夜谷
訓読 恋ひしくは日(け)長きものを今だにも乏(とも)しむべしや逢ふべき夜だに
私訳 貴女を恋しく想う日々は長い日々ですが、今だけなのに、残念なことです。貴女に逢うべき今宵ですが。

注意 これもまた「真氣長戀心自」、「戀敷者氣長物乎」と七夕の宴での歌としては、特徴ある言葉です。ただ、集歌2017の歌の句「乏之牟可哉 可相夜谷」からすると、晴天ではなかったようです。雨模様か、と云うとそこまででは無いようです。想像として曇天としています。

群K 持統七年(693)  お題は「年を経る」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2018 天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於踏 夜深去来
訓読 天つ川去年(こぞ)し渡りゆ遷(うつ)ろへば川瀬を踏みし夜ぞ更(ふ)けにける
私訳 天の川の去年川を渡った場所が川の流れの変わりで遷ってしまったので、川の瀬を踏み渡るのに夜が更けてしまった。

集歌2019 自古 擧而之服 不顧 天河津尓 年序経去来
訓読 古(いにしへ)ゆ挙(あ)げてし服(はた)も顧(かへり)みず天つ川津に年ぞ経にける
私訳 古くから行ってきた服を織ることも忘れてしまって、天の川の渡りの湊で彦星を待って年月が経ってしまった。

注意 集歌2018の「去歳渡代」、集歌2019の「年序経去来」の言葉から、お題を推定しています。集歌2018の方に対しては苦しいかもしれません。

群L 持統八年(694)  お題は「明ける」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2020 天漢 夜船滂而 雖明 将相等念夜 袖易受将有
訓読 天つ川夜船(よふね)し漕ぎて明けぬとも逢はむと思(も)ふ夜袖交(か)へずあらむ
私訳 天の川よ、夜船を漕ぎ続けて夜が明けてきても貴女に逢おうと想う。夜に貴女と床で衣の袖をお互いに交わしたい。

集歌2021 遥嬢等 手枕易 寐夜 鶏音莫動 明者雖明
訓読 遠妻(とほつま)と手枕(たまくら)交(か)へて寝(ね)たる夜し鶏(とり)がねな鳴き明(あ)けば明けぬとも
私訳 遠くに住む恋人と手枕を交えて寝た夜は、鶏の音よ、するな。夜明けが明けても。

注意 七夕の夜の伝説に対して「雖明」や「明者雖明」の言葉の選択は、非常に特殊ですし、作歌の発想が自由です。逆にそこから宴でのお題を推定しています。

群M 持統九年(695)  お題は「逢瀬」、当日の天候は夜霧
課題歌部門
集歌2009 汝戀 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隠
訓読 汝(な)し恋ふる妹し命(みこと)は飽き足らに袖振る見えつ雲隠(くもがく)るまで
私訳 貴方が恋している恋人の御方は、貴方との別れに飽き足らなくて袖を振っているのを見える。雲に姿が隠れるまで。

集歌2022 相見久 厭雖不足 稲目 明去来理 舟出為牟 麗
訓読 相見らく飽(あ)き足(た)らねどもいなのめし明(あ)けさりにけり舟出せむ妻
私訳 お互いに逢った時は飽きることはありません。稲穂を数えられるような明るい時がやってきたら、帰りの船出をしましょう。恋人よ。

即興歌部門
集歌2030 秋去者 河霧 天川 河向居而 戀夜多
訓読 秋されば河(かは)し霧(き)らふる天つ川河し向き居(ゐ)て恋ふる夜(よ)ぞ多(おほ)き
私訳 秋がやって来ると河に霧が立ち込る天の川よ。そんな河に向かって遣って来る恋人を慕っている夜が多いことです。

注意 集歌2022の歌は「明去来理」、または「麗」のどちらかの言葉に注目をしても良かったのですが、個人の感覚で「戀」と云う言葉の方を優先し「逢瀬」と云う景色に分類しています。まったく、個人の趣味以外のなにものでもありません。当然、集歌2030の歌は「戀夜多」からの分類ですが、残念ながら天候は「河霧 天川」です。

群N 持統十年(696)  お題は「織る」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2027 為我登 織女之 其屋戸尓 織白布 織弖兼鴨
訓読 我がためと織女(たなばたつめ)しその屋(や)戸(と)に織(お)る白栲し織りてけむかも
私訳 今度逢う時にと、私のためと織女がその家で織る白栲はもう織り終わったでしょうか。

集歌2028 君不相 久時 織服 白妙衣 垢附麻弖尓
訓読 君し逢はず久(ひさ)しき時ゆ織(お)る服(はた)し白妙(しろたへ)衣(ころも)垢付くまでに
私訳 貴方に逢わない日々が長くなったようです。私が織る服の白く美しい衣に汚れが付くまでに。

注意 お題の推定は、歌の表記、そのままです。天候も良好だったようで、「織」を織り込む雨模様の歌は見つけられませんでした。

群O 持統十一年(697)  お題は「戀ふる」、当日の天候は晴天
課題歌部門
集歌2023 左尼始而 何太毛不在者 白栲 帶可乞哉 戀毛不遏者
訓読 さ寝(ね)そめて幾許(いだく)もあらねば白栲し帯(おび)乞(こ)ふべしや恋も遏(とど)めずば
私訳 抱き合って寝てそれほどでもないのに、身づくろいの着物の白栲の帯を求めるのでしょうか。恋の行いを抑えきれないのに。

集歌2032 一年迩 七夕耳 相人之 戀毛不遏者 夜深往久毛
訓読 一年(ひととし)に七夕(ひちせき)のみし逢ふ人し恋も遏(とど)ずば夜し更(ふ)けゆくも
私訳 一年に一度七夕の夜に逢う人も恋を抑えきれずに夜は更けて往くよ。

注意 同じ「戀」の用字ですが、群M 持統九年(695)のものは「戀」は動詞として、こちらの方は名詞として扱われており、「逢瀬」と云う景色ではなく、「恋心」と云う感情を詠うものとして扱っています。それで、持統九年では「逢瀬」と云う言葉を使っています。

群O-2 持統十一年(697) 番外:高市皇子前年に死亡  人麻呂の未公表歌か? 時に七夕の歌ではない可能性があります。
集歌2024 万世 携手居而 相見鞆 念可過 戀奈有莫國
訓読 万世(よろづよ)し携(たづさ)はり居(ゐ)て相見とも思ひ過ぐべき恋なあらなくに
私訳 永遠の月日を手を取り合って体の関係を持っていても、恋の想いが満足するような、そんな簡単な恋ではありません。

集歌2025 万世 可照月毛 雲隠 苦物叙 将相登雖念
訓読 万世(よろづよ)し照るべき月も雲隠(くもがく)り苦しきものぞ逢はむと思へど
私訳 永遠に照るはずの月が雲に隠れて辛いことです。今宵、貴女に逢おうと思うと。

注意 二首は雑歌の七夕に分類された人麻呂歌集に載る歌です。ただ、「歌は七夕の夜の男女の逢瀬を詠う歌か」、と問われると戸惑いがあります。何か、違和感があります。一応、牽牛・織女二人の逢瀬を前提として私訳を付けていますが、漢字本来の「戀」の意味合いからすると、男女の恋愛だけに焦点を絞ることは出来ません。尊敬の念をも含む言葉です。高市皇子への人麻呂が贈る回想の挽歌である可能性もあります。


 最後に、これは一度、取り上げたものを、再度、手を入れて載せています。
 ここのところ、新しいテーマを探していますが、馬鹿な話、ネット検索では自分のものが掛ってくることが多くなりました。もう、ネタ切れの状態です。それで、焼き直しでごまかしてしまいました。反省です。
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今日のみそひと歌 金曜日

2014年06月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌4084 安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母
訓読 暁(あかとき)に名告り鳴くなる霍公鳥(ほととぎす)いやめづらしく思ほゆるかも
私訳 暁に自分から名告り出るように鳴き出すホトトギス、一層、新鮮に感じられます。

集歌4085 夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎登等米牟
訓読 焼太刀(やきたち)を砺波(となみ)の関に明日よりは守部(もりへ)遣(や)り添へ君を留めむ
私訳 焼太刀を研ぐ、その言葉のひびきのような、砺波の関に明日からは番人を派遣して増やし、貴方が都へ帰るのを留めましょう。

集歌4086 安夫良火能 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
訓読 油火(あぶらひ)の光りに見ゆる吾(わ)が蘰(かづら)さ百合の花の笑(ゑ)まはしきかも
私訳 燭灯の光の中に見える私の蘰の美しい百合の花は、咲きいとおしいことです。

集歌4087 等毛之火能 比可里尓見由流 佐由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎
訓読 燈火(ともしび)の光りに見ゆるさ百合花(ゆりはな)後(ゆり)も逢はむと思ひそめてき
私訳 燈火の光の中に見える美しい百合の花は、後(ゆり)にも眺めたいと思い始めました。

集歌4088 左由理波奈 由利毛安波牟等 於毛倍許曽 伊麻能麻左可母 宇流波之美須礼
訓読 さ百合花(ゆりはな)後(ゆり)も逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ
私訳 美しい百合の花に、後(ゆり)にもまた眺めたいと思うことは、今のこの百合花が麗しいと思うからです。

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今日のみそひと歌 木曜日

2014年06月26日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌3137 遠有者 光儀者不所見 如常 妹之咲者 面影為而
訓読 遠くあば姿は見えず常しごと妹し笑(ゑま)ひは面影(おもかげ)にせに
私訳 遠く離れているので貴女の姿は拝見できない。でも、いつものように愛しい貴女の微笑みを私の思い出にしました。

集歌3138 年毛不歴 反来甞跡 朝影尓 将待妹之 面影所見
訓読 年も経ず帰り来なむと朝影(あさかげ)に待つらむ妹し面影(おもかげ)し見ゆ
私訳 年を越すことなく帰って来て下さいと、朝明けの影のように身を細らせて待っているでしょう愛しい貴女を、思い出に見た。

集歌3139 玉桙之 道尓出立 別来之 日従于念 忘時無
訓読 玉桙し道に出で立ち別れ来(こ)し日より念(おも)ふに忘る時なし
私訳 立派な桙を立てる官路から出立して別れ来た日から、思い出に貴女を忘れる時はありません。

集歌3140 波之寸八師 志賀在戀尓毛 有之鴨 君所遺而 戀敷念者
訓読 愛(は)しきやし然(しか)ある恋にもありしかも君し後れに恋しき念(おも)へば
私訳 ああ、いとおしい。このような形の離れ離れの恋ではあるのだが、旅立つ貴方に後に残され、貴方が恋しいと思うと。

集歌3141 草枕 客之悲 有苗尓 妹乎相見而 後将戀可聞
訓読 草枕旅し悲しくあるなへに妹を相見に後(のち)恋ひむかも
私訳 草を枕にするような苦しい旅への切なさに、このように愛しい貴女と抱き合った後で、恋苦しむでしょう。

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