竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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参考資料 官位朝服表

2015年02月28日 | 資料書庫
官位朝服表

注意;
本ブログではPDFファイルやExcelファイルは添付が出来ません。
そのため、グーグルドライブ上にファイルを保管し、それを引用出来るようにリンクを張りました。

 この官位朝服表を紹介する目的は、一般人の奈良時代での親王・諸王・諸臣での官位とそれに対応する朝服色の規定を再確認して頂きたい為です。
 さて、個人の考えですが、一般に紹介されている奈良時代の官位表と『続日本紀』本文に載る官位と朝礼などの正式の儀礼で着る朝服の規定とは一致していません。正式行事において、従五位下の諸王が着る朝服と正三位の臣民が着る朝服は同じ色です。そして、それは外交でも適用されますから、諸外国では同等とみなされるのではないでしょうか。それは従来の官位の認識と同じでしょうか。
 本来の大宝令や養老令に規定する諸王や諸臣の官位・朝服規定は別々のものであって、単純には比較することは困難です。朝服色を考えますと、諸王と諸臣二・三位の卿との区別は出来ません。


https://drive.google.com/file/d/0B13cUYgNOHKWLXFwQ0ZYLVhXQTA/view?usp=sharing
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万葉雑記 色眼鏡 百七 歌で遊ぶ万葉人

2015年02月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百七 歌で遊ぶ万葉人

 以前に「九七 紀女郎は老婆なのか」とテーマを打ち、万葉歌にはその表記と訓読みにおいて表で見せる歌意と同時に裏に隠された歌意を持つ歌があるとし、大伴家持が詠う集歌764の贈答返歌を紹介しました。
 『万葉集』は漢語と万葉仮名文字と云う漢字だけで表記された歌ですから、漢字の解釈によっては表裏二つの歌意を持つ歌として鑑賞できる可能性があります。これは『古今和歌集』以降に現れた平仮名歌における言葉を句の中に隠して詠う技法である折り句の歌と似たような言葉遊びや頓知問答歌のような世界なのかも知れません。
 それをかいつまんで紹介しますと、次のように説明することが出来ます。

<万葉集;表記での表意と訓読時の同音異義語の遊び歌>
集歌764 百年尓 老舌出而 与余牟友 吾者不厭 戀者益友
訓読 百年(ももとし)に老舌(おひした)出(い)でによよむとも吾は厭(い)とはじ恋ひは益(ま)すとも
私訳 百歳になり年老い口を開けたままで舌を出しよぼよぼになっても、私は嫌がることはありません。恋心が増しても。
<裏の意味>
試訓 百年(ももとし)に老羊歯(おひした)出(い)でに世々(よよ)むとも吾は厭(い)とはじ恋ひは益(ま)すとも
試訳 貴女は「古くて寂しいからとイヤではありませんが、早晩、このように百合の季節の後は寂しくなってしまうでしょう」と云いますが、百年と云う時間の中で羊歯が生い茂り、時代を越えて来たからといっても、私はその景色は嫌いではありません。反って、好ましいと云う気持ちは益したとしても。

 参考として、集歌764の歌は集歌762の歌の返歌の位置にあり、集歌764の歌に「神左夫(神さぶ)=」と云う言葉の風景観に反応してのものと鑑賞するのが本来と考えられます。

集歌762 神左夫跡 不欲者不有 八也多八 如是為而後二 佐夫之家牟可聞
試訓 神さぶと否(いな)にはあらね早(はや)多(さは)は如(か)くしに百合(ゆり)に寂(さぶ)しけむかも
試訳 この土地は古くて寂しいからとイヤではありませんが、早晩、いつものことのように百合の季節が終わってしまったら、風情は寂しくなってしまうでしょう。
注意 本来は「百合」ではなく、「後」の漢字を与えて、「後々には寂しく思うでしょう」と解釈します。

<古今和歌集;折り句で遊ぶ歌 をみなへし(女郎花)の言葉、五文字を句頭に隠したもの>
歌番号 439 物名 紀貫之
仮名 をくらやま みねたちならし なくしかの へにけむあきに しるひとそなき
読下 小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき 
意訳 小倉山の峰を歩き回って鳴く鹿が過ごしたであろう秋の数を知る人もない。

 紹介しましたように『万葉集』に載る歌には、和歌として情景や心情を詠うだけでなく、このような言葉遊びや頓知遊びを主たる目的とした相聞問答歌もあります。
 さて、和歌で遊ぶと云う視線から、同音異義語での言葉遊びや頓知遊びの源流を『万葉集』に探りますと、巻二に弓削皇子と額田王との間で頓知問答を交わした集歌111の歌から集歌113の歌までの、都合三首の相聞問答歌に辿り着きます。
 その三首の歌の鑑賞に先立ち、歌の背景を紹介しますと、歌が詠われたのは持統天皇五年四月と思われ、この時、弓削皇子は二十二歳前後で額田王は六十一歳ほどと思われます。およそ、老女と孫とに相当する年齢差です。ただし、その額田王は若かりし時には巻一に載る集歌16の歌の標題から推定されるように天智天皇の近江朝時代、漢詩を中心とした宮中での宴に参列し、題詞に沿って競う漢詩の宴で判者となるほどに漢詩にも造詣が深かったと推定される才媛ですし、宮中の宴では晴れやかなスターでした。

天皇、詔内大臣藤原朝臣、競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時、額田王、以謌判之謌
標訓 天皇の、内大臣藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の萬花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千(せん)葉(ゑふ)の彩(いろどり)とを競はしたまひし時に、額田王の、歌を以ちて判(こと)れる歌

集歌16 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者

訓読 冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴(な)きぬ 咲(さ)かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りにも取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)し葉を見には 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きにそ嘆く そこし恨めし 秋山吾は

私訳 冬の木芽から春を過ぎ来ると、今まで鳴かなかった鳥も来て鳴き、咲かなかった花も咲きますが、山は茂り合っていて入ってその花を手に取れず、草は深くて花を手折って見ることも出来ない。秋の山では、その木の葉を眺めては、色付くその黄葉を手に取ってはとても美しいと思う。このまだ黄葉していない青葉は早く色付いて欲しいと思う。それがじれったく待ち遠しい。それで秋山を私は採ります。

 その古き時代には漢詩にも造詣が深く、宮中での行事では奉呈和歌や寿歌を詠うようなスターであった額田王の許に吉野御幸に従事した弓削皇子から集歌111の歌が贈られて来ます。これが頓知問答の口火となるものです。このとき、額田王は飛鳥浄御原宮に住んでいたと思われ、目出度い吉野御幸には従事せず留守居をしていたと推定されます。なお、解釈において私訳の注意として付記していますが、専門家のする解釈に沿わすために西本願寺本万葉集の表記には従わず、加字・変字して原文を変更しています。

幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額田王謌一首
標訓 吉野宮に幸(いでま)しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へたる歌一首
集歌111 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 渡遊久
訓読 古(いにしへ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より渡り遊(あそ)びく
私訳 昔を恋うる鳥だろうか、神事の弓絃葉を飾る御井のほとりをあちこちと飛び渡っていく
注意 一般には原文の「渡遊久」を「鳴」の字を足し「鳴渡遊久」と変え「鳴き渡りゆく」と訓みます。全体の歌意は変わりませんが鳥の情景が違います。

額田王和謌一首 従倭京進入
標訓 額田王の和(こた)へ奉(たてまつ)れる歌一首 倭の京(みやこ)より奉(たてまつ)り入る
集歌112 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾戀流其騰
試訓 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし吾(わ)が恋(こ)ふるそと
試訳 昔を恋しがる鳥はきっと霍公鳥でしょう。さぞかし鳴いたでしょうか。私がそれを恋しく思っているように。
注意 原文の「吾戀流其騰」は、一般には「吾念流碁騰」と大きく表記を変え「吾(わ)が念(おも)へるごと」と訓みます。そのため歌意が違います。

従吉野折取蘿生松柯遣時、額田王奉入謌一首
標訓 吉野より蘿(こけ)生(む)せる松の柯(えだ)を折り取りて遣はしし時に、額田王の奉(たてまつ)り入れたる歌一首
集歌113 三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
訓読 み吉野の玉松(たままつ)し枝(え)は愛(は)しきかも君し御言(みこと)を持ちに通はく
私訳 み吉野の美しい松の枝は愛しいものです。物言わぬその松の枝自身が、貴方の御言葉を持って遣って来ました。

 さて、これら三首組歌での「ホトトギス」を詠う季節感と集歌111の歌の句「弓絃葉」からしますと、古来、神道神事において弓絃葉は繁栄を象徴する植物として奉げますので、歌は初夏の孟夏祭でのものではないかと推定されます。仏教色に染められる以前、奈良時代初期までの孟夏祭は風日祭でもあり、祭は旧暦四月一日となりますし、その年の豊作を願うものです。つまり、集歌111の歌には次の二つの暗示が込められていることになります。
 昔を恋う鳥
 農作業の開始を告げる
 額田王は漢詩に造詣が深いひとですから、中国の故事や漢詩集は教養として身につけていたと考えられます。従いまして、集歌111の歌を贈った弓削皇子は額田王が「杜宇の故事」は知っていることを前提にしています。参考として、その「杜宇の故事」を紹介します。

<参考;杜宇の故事についての解説>
『太平寰宇記』によると、蜀の王であった杜宇(望帝)は、宰相の鼈霊の謀反によって逃亡し、復位を計るも果たせず、怨魂が杜鵑になったとあります。農暦三月になると杜鵑に化して鳴き、民衆に播種の時期を知らせるそうです。
また別な伝承では、蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。=帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになったそうです。

 このように集歌111の歌を贈られた額田王は当然のように「杜宇の故事」を踏まえて、ホトトギスと云う鳥の名前を上げ、そして故事で示す鳴き声である「不如帰去」に因んで「吾戀流其騰」と歌を返します。ここまででも頓知歌ですが、さらにこの額田王が詠う歌での句中「其騰」と云う言葉をどのように解釈するかで、風流士か、どうかが決まります。
 弓削皇子はどのように返したか、その答えは歌無しでの「蘿生松柯」の贈り物です。しかしながら、この皇子の贈った「苔むす松の枝」を額田王は誉めています。なぜでしょうか、それを考えてみたいと思います。
 まず、現在もそうですが、松と鶴は長寿のシンボルとされ、目出度いものとされています。特に松は常緑であり、樹木自体も寿命が長い植物です。そこからか、紹介する中国の文章にあるように、百年、千年の生命と述べ、その松の実を食べると人は長寿になるとします。おおよそ、一般的な『万葉集』の解説では、この長寿を意味する苔むす松の枝をもって、額田王を祝ったとします。

『藝文類聚』巻八十八 木部上
原文 嵩高山記曰、嵩岳有大樹松、或百歳千歳。其精変為青牛、或為伏亀。採食其実、得長生。
訓読 嵩高山記に曰く、嵩岳に大樹の松有り、或いは百歳、千歳。其の精変じて青牛と為る。或いは伏亀と為る。其の実を採りて食すれば、 長生を得る。

 ただし、老女に対し、「貴女は老女だから、これからも長生きして下さいね」ということを、剥き付けに示すことが風流か、どうかと云うと、疑問を感じます。それと、奈良時代の歌人もまた平安時代の歌人と同じ態度であったとして、すこし意地悪な見方をしてみます。つまり、これらの歌三首が世に残り、『万葉集』に載ったのは、これらの相聞問答が吉野御幸での宴で、歌を飛鳥浄御原宮に残る額田王に贈ったらどのような反応を示すのか、それを確かめるようなことが座興として行われたのかもしれないのです。つまり、弓削皇子の名を使っていますが、持統天皇朝の現役の風流人と先の時代の風流スターであった額田王との風流対決であったかもしれないのです。
 ここで、以下に示す陶淵明の松を詠う漢詩を見て下さい。最初に紹介しましたように額田王は天智天皇の時代、漢詩を主体とする宴で左右の勝敗の判定を託されるような人物でした。つまり、女性ですが、漢詩や中国故事にも造詣が深かったと考えられますから陶淵明もまた教養として身にあったと考えますし、当時を代表する風流の第一人者です。
 個人の鑑賞ですが、御幸に同行している弓削皇子たちの真意はこの漢詩の世界を吉野御幸に招待されることなく飛鳥浄御原宮に残された額田王に示したのではないかと考えています。このような暗示があったのか、どうかは判りません。しかしながら、集歌111の歌に典拠が難しい「杜宇の故事」があるのなら、それよりも容易な陶淵明はあったと考えたためです。当然、相聞問答ですから、歌の内容をどのように解釈するか、はたまた、「蘿生松柯」をどのように解釈するかは、受け手の風流に依存します。

晋  陶潜(陶淵明)
飮酒二十首 其八
松在東園、衆草没其姿。 松東園に在れど、衆草其の姿を没す
凝霜殄異類、卓然見高枝。 凝霜異類を殄(ほろぼ)さば、卓然として高枝を見(あらは)す
連林人不覚、獨樹衆乃奇。 林に連なれば人覚(さと)らざるも、獨樹にして衆すなはち奇とす
提壺撫寒柯、遠望時復為。 壺を 提げて寒柯(かんか)を撫で、遠望して時に復(ま)た 為(な)す
吾生夢幻間、何事紲塵羈。 吾が生夢幻の間、何事ぞ塵羈(じんき)に紲(つな)がる

 参考として「飮酒二十首 其八」には、今、世に潜むような人であっても立派な人物は、夏、雑草に蔽われ青松を隠したとしても冬になり周囲の雑草が枯れるとちゃんとその姿を表すように、また、適材適所でなければ野にあってもそれに気付くように、人はそれに気付くでしょうと云う意味合いがあります。つまり、御幸に招待されていませんが集歌112の歌でちゃんと貴女は人々にその存在を示していますよと云うことになるでしょうか。
 これが万葉歌人の遊びだと思います。三首組歌は情景も心情も詠いません。互いの教養を認め合い、そこに遊ぶのです。もしこの穿った推測が正しいものとしますと吉野御幸に同行した風流人たちは額田王の教養に感嘆したかも知れませんし、場合に理解出来ない木偶であったかもしれません。ただ、そうでありましたら私のようなものには、ちょっと、怖い風流人の世界です。

 おまけとして、『万葉集』の集歌3909の歌の標題に「詠霍公鳥謌二首」とあり、本文中では「保登等藝須 周無等来鳴者(ホトトギス住むと来鳴かば)」とあります。他に類似の標題と本文表記のものがあり、「霍公鳥」は「ホトトギス」と訓じるのが『万葉集』での約束です。ただ、霍公鳥は音字からすると「かくこうちよう」とも訓じることが出来るため、万葉時代では「ホトトギス」と「カッコウ」は同じ鳥と認識されていたのではないかと想像します。参考例として、集歌1979の歌での「霍公鳥」とそれに続く「保等穂跡」の表現での可能性があります。

集歌1979 春之在者 酢軽成野之 霍公鳥 保等穂跡妹尓 不相来尓家里
訓読 春し在(あ)ばすがるなす野し霍公鳥(カツコトリ)ほとほと妹に逢はず来にけり
私訳 春の季節にはスガル蜂が飛び交う野にいるカツコトリ。その鳴き声が「カツコヒ(片恋)」と啼くように、ほとんど、腰細のスタイルの良い貴女に逢わずに過ごして来てしまった。

 なお、「カッコウ」は中国では漢字で「郭公」、「布谷」、「大杜鵑」と記しますが、それに対して『万葉集』では「郭公」などの表記は全くありません。また、中国では「ホトトギス」は「杜鵑」、「小杜鵑」、「子規」などと表記します。
 ここで、「ホトトギス」と「カッコウ」とは鳴き声や姿からするとその区別は容易なところから推定して、『万葉集』では「ホトトギス」は霍公鳥や保等登藝須と表記し、一方、「カッコウ」は「ヨブコトリ(喚兒鳥、喚子鳥、喚孤鳥)」や「カホトリ(杲鳥、容鳥)」がそれを示すのではないかとも考えられています。ただ、『万葉集』では歌と標題との関係において、作歌者自身が標題を付けることは例外的なこととされますから、標題から霍公鳥は「ホトトギス」であると決めてかかるのは危険かもしれません。さらに、中国語には「大杜鵑」と「小杜鵑」との表記があるように、漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記する『万葉集』の世界では、ただ「杜鵑」とした時、その区分は中国漢字表記に従って情景に合わせて読み手に委ねられていたのかもしれません。
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今日のみそひと歌 金曜日

2015年02月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌4293 安之比奇能 山行之可婆 山人乃 和礼尓依志米之 夜麻都刀曽許礼
訓読 あしひきの山行きしかば山人(やまひと)の吾に得しめし山づとぞこれ
私訳 葦や桧の生える山に行ったときに、山の人が私に取らしてくれた土産です。これが。

集歌4294 安之比奇能 山尓由伎家牟 夜麻妣等能 情母之良受 山人夜多礼
訓読 あしひきの山に行きけむ山人(やまひと)の心も知らず山人(やまひと)や誰れ
私訳 葦や桧の生える山に移られた、その山の人とその移られた思いも判りません。さて、その山の人とはどの御方でしょうか。

集歌4295 多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母
訓読 高円(たかまと)の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直(ただ)ならずとも
私訳 高円の尾花を吹き越して行く秋風に、上着の紐を解き胸襟を開きましょう、恋人の手によってでなく。

集歌4296 安麻久母尓 可里曽奈久奈流 多加麻刀能 波疑乃之多婆波 毛美知安倍牟可聞
訓読 天雲に雁ぞ鳴くなる高円(たかまと)の萩の下葉は黄葉(もみち)あへむかも
私訳 大空の雲に雁が啼いている高円の萩の下葉は、秋風に黄葉するでしょう。

集歌4297 乎美奈敝之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽
訓読 をみなへし秋萩しのぎさ牡(を)鹿(しか)の露別け鳴かむ高円(たかまと)の野ぞ
私訳 おみなえしや秋萩を押し倒して雄鹿が露を押し分け啼くでしょう、その高円の野です。

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今日のみそひと歌 木曜日

2015年02月26日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌3378 伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流々々 和尓奈多要曽祢
訓読 入間路(いりまぢ)の於保屋(おほや)が原のいはゐ蔓(つら)引かばぬるぬる吾(わ)にな絶えそね
私訳 入間路の大家ヶ原のいわい蔓を引き抜くと蔓がぬるぬると続くように、貴女の気を引いたら、ぬるぬると私との仲を絶えることなく続けて下さい。

集歌3379 和我世故乎 安杼可母伊波武 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 登吉奈伎母能乎
訓読 吾(わ)が背子を何(あ)どかも云はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
私訳 私の愛しい貴方をどのように表現しましょうか。武蔵野のおけらの花のように、いつまでも恋い焦がれていますから。

集歌3380 佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢
訓読 埼玉(さきたま)の津に居(を)る舟の風を疾(いた)み綱は絶(た)ゆとも言(こと)な絶えそね
私訳 埼玉の川湊に泊まる舟の風が強くて舫の綱が切れるように、世の差し障りがあって出会いが途切れても、便りは絶えないでください。

集歌3381 奈都蘇妣久 宇奈比乎左之弖 等夫登利乃 伊多良武等曽与 阿我之多波倍思
訓読 夏麻(なつそ)引く宇奈比(うなひ)を指(さ)して飛ぶ鳥の至らむとぞよ吾(あ)が下(した)延(は)へし
私訳 夏の麻を引き抜く畝(うね)、その言葉のひびきではないが、宇奈比(うなひ)を目指して飛ぶ鳥のように、貴女の許に出かけようと誓った、私の秘めた貴女への思いです。

集歌3382 宇麻具多能 祢呂乃佐左葉能 都由思母能 奴礼弖和伎奈婆 汝者故布婆曽毛
訓読 馬来田(うまぐた)の嶺(ね)ろの小竹(ささ)葉の露霜の濡れて別(わ)きなば汝(な)は恋ふばそも
私訳 馬来田の嶺の笹の葉に置く露霜に濡れる、涙に濡れたままのお前の許を別れて来たら、きっと、お前は私を恋しがることだろう。

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今日のみそひと歌 水曜日

2015年02月25日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日

集歌2465 我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来
訓読 我が背児に吾(わ)が恋ひ居(を)れば吾が屋戸(やと)し草さへ思ひうら乾(ふ)れにけり
私訳 私の愛しい貴女に私が慕っていると、私の家の草までもが貴女を思い枯れてきた。

集歌2466 朝茅原 小野印 室事 何在云 公待
訓読 浅茅原(あさぢはら)小野し標結(しまゆ)ふ室事(むつこと)をいかなりと云ひて君し待たなむ
私訳 巻向の浅茅ガ原の小野に縄張りの標を結ぶ室(=小屋)、その言葉のひびきではないが、私との室事(=睦事)をどうしましょうと云って貴方がその小野で私を待っているでしょう。

集歌2467 路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
試訓 道し辺(へ)し草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)し後(ゆり)と云ふ妹し命(みこと)し我(われ)は知るらむ
試訳 道の傍らの草深くに咲く百合の花の、その言葉のひびきではないが、後(古語で「ゆり」)でと云う愛しい貴女のことを、本当は、私はよく知っている。

集歌2468 潮葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念
訓読 潮(しほ)し葦(あし)交(まじ)れる草し知草(しりくさ)し人皆知りぬ吾が下思(したおもひ)
私訳 淡海の潮の岸辺の葦に交じって茂る草の知草のように、人は皆知ってしまった。私の秘めた貴女への想いを。

集歌2469 山萬苣 白露重 浦経 心深 吾戀不止
訓読 山萬(やま)苣(ちさ)し白露(しらつゆ)重(しげ)みうらぶれて心し深し吾(わ)が恋止(や)まず
私訳 沢山の山萬苣(ちしゃ=野菜)が白露の重みで葉を垂れるように、心も深く想いを貴女に垂れて、私の貴女への恋心は止むことがありません。

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