竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

再読、今日のみそひと謌 水

2018年10月31日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 水

集歌2887 立居 田時毛不知 吾意 天津空有 土者踐鞆
訓読 立ちて居(ゐ)てたどきも知らず吾が心天つ空なり土は踏めども
私訳 立っていても座っていてもどうして良いか判らない。そのように、貴女に逢えた私の気持ちは、うわの空です。こうして大地を踏みしめていても。

集歌2888 世間之 人辞常 所念莫 真曽戀之 不相日乎多美
訓読 世間(よのなか)し人し辞(こと)しとそ思(も)はなまことぞ恋ひし逢はぬ日を多(た)み
私訳 世間一般の人の云う世辞だと、そのように思わないでください。本当に恋い焦がれています。でも、貴女に逢えない日々が多いからと・・・。

集歌2889 乞如何 吾幾許戀流 吾妹子之 不相跡言流 事毛有莫國
訓読 いで如何(いか)に吾がここだ恋ふる吾妹子(わぎもこ)し逢はじと言へる事(こと)もあらなくに
私訳 いやいや、どうして私がこんなに恋い焦がれるのでしょう。その私の愛しい貴女が「貴方には逢いません」と心を決めて云ったわけでもないのに。

集歌2890 夜干玉之 夜乎長鴨 吾背子之 夢尓夢西 所見還良武
訓読 ぬばたまし夜を長みかも吾が背子し夢(いめ)に夢にし見えかへるらむ
私訳 漆黒の夜が長いからでしょう。私の愛しい貴方が、夢に現れ消え、また、再び、夢に現れます。

集歌2891 荒玉之 年緒長 如此戀者 信吾命 全有目八面
訓読 あらたまし年し緒長くかく恋ひばまこと吾が命(いのち)全(また)くあらめやも
私訳 年の霊(気根)が改まる、その年月が紐の緒のように長いように、長くこのように恋い焦がれると、本当に、私の命は全うすることがあるでしょうか。

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再読、今日のみそひと謌 火

2018年10月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 火

集歌2882 不相而 戀度等母 忘哉 弥日異者 思益等母
訓読 逢はずしに恋ひわたるとも忘れめやいや日し異(け)しは思ひ益(ま)すとも
私訳 逢わないままで恋い焦がれるとも、貴女を忘れるでしょうか。一層、日ごとに恋心は増しても。

集歌2883 外目毛 君之光儀乎 見而者社 吾戀山目 命不死者
訓読 外目(よそめ)しも君し姿を見にばこそ吾(あ)が恋(こひ)止(や)まめ命死なずは
私訳 遠くからでも貴女のお姿を拝見したら(言外に「貴女を抱けたならば」の意がある)、きっと、私の恋わずらいは止むでしょう。その前に、この命が死んでなければ。
左注 一云 壽向 吾戀止目
注訓 一(ある)は云はく、
訓読 寿(さき)向かふ吾(あ)が恋止まめ
私訳 寿命を縮めるような、私の恋わずらいは止むでしょう。

集歌2884 戀管母 今日者在目杼 玉匣 将開明日 如何将暮
訓読 恋ひつつも今日はあらめど玉櫛笥(たまくしげ)明(あ)けなむ明日(あす)しいかに暮らさむ
私訳 恋い焦がれながらも今日一日は過ごしましたが、美しい櫛笥の箱を開ける、その言葉のひびきのような夜が明ける明日を、今夜の貴方の訪れなしで、どのように過ごしましょうか。

集歌2885 左夜深而 妹乎念出 布妙之 枕毛衣世二 歎鶴鴨
訓読 さ夜更けに妹を念(おも)ひ出(で)敷栲し枕もそよに嘆きつるかも
私訳 夜が更けてから愛しい貴女のことを思い出し、床に敷く栲の上の枕も「そよ」と音を立てるほどに、この身を嘆きました。

集歌2886 他言者 真言痛 成友 彼所将障 吾尓不有國
訓読 他言(ほかこと)はまこと言痛(こちた)くなりぬとも彼処(そこ)し障(さは)らむ吾にあらなくに
私訳 世の人の噂話は、本当に二人に煩わしくなったとしても、そんなことにこだわる私ではありません。
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再読、今日のみそひと謌 月

2018年10月29日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 月

集歌2877 何時奈毛 不戀奈毛有登者 雖不有 得田直比来 戀之繁母
訓読 何時(いつ)はなも恋(こひ)ずなもありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁(しげ)しも
私訳 どんな時でも貴女を恋していない訳ではないのですが、ますますこのごろ恋心が募ります。
注意 原文の「何時奈毛」や「不戀奈毛有登者」の「奈毛」は「なむ」の古語と解釈しています。

集歌2878 黒玉之 宿而之晩乃 物念尓 割西胸者 息時裳無
訓読 ぬばたまし寝ねにし夕(ゆうへ)の物思(ものも)ひに割(さ)けにし胸は息(や)む時もなし
私訳 漆黒の暗闇に貴方と共寝をした夜の出来事への物思いに張り裂けてしまったこの胸は、気が休まる時がありません。

集歌2879 三空去 名之惜毛 吾者無 不相日數多 年之經者
訓読 み空行く名し惜(を)しけくも吾はなし逢はぬ日まねく年し経ぬれば
私訳 噂として大空を流れて行く貴方の浮名を残念だと思う気持ちは私にはありません。貴方に逢えない日々が多く年月が経ってしまえば。

集歌2880 得管二毛 今毛見社鹿 夢耳 手本纒宿登 見者辛苦毛
訓読 現(うつつ)にも今も見こそか夢(いめ)しのみ手本(たもと)纏(ま)き寝(ぬ)と見るは苦し
私訳 現に今もはっきりと貴女の姿を見ましたのでしょうか。ただ夢の内だけで、私の手の内に貴女を巻き取って共寝をしたと思うのは心苦しいことです。
左注 或本歌發句曰 吾妹兒乎
注訓 或る本の歌の発句に云はく、
訓読 吾妹子を
私訳 私の愛しい貴女を

集歌2881 立而居 為便乃田時毛 今者無 妹尓不相而 月之經去者
訓読 立ちに居(ゐ)てすべのたどきも今はなし妹に逢はずに月し経ぬれば
私訳 立っていても座っていても、どうして良いのか、今は思いも付かない。愛しい貴女に逢わないままで月が経ったので。
左注 或本歌曰 君之目不見而 月之經去者
注訓 或る本の歌に曰はく、
訓読 君し目見ずに月し経ぬれば
私訳 貴方のお顔を見ることなく月が経ったので。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3969

2018年10月28日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3969

集歌3969 於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氏許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家波 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花之 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに しなざかる 越を治めに 出(い)でて来(こ)し ますら我れすら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床に臥(こ)い伏し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)るよしもなみ 思ほしき 言(こと)も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たお)りかざさず 春の野の 茂み飛び潜(く)く うぐひすの 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣(や)りつれ 偲(しの)はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寝(ゐ)も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る
意訳 大君の仰せのままに、幾重にも山坂を重ね隔てた越の国を治めにやって来た、一かどの官人であるはずの私、その私としたことが、人の世は無常なものだから、ぐったりと病の床に横たわる身となって、苦しみが日に日につのるばかりなので、悲しいことをあれこれ思い出し、つらいことをいろいろ思い出しては、嘆く空しさは休まることとてなく、思う空しさは苦しいことばかりなのに、重なる山々に隔てられて都への道が遠いものだから、こまごまと使いをやる手だてもなくて、言いたいことも伝えられないまま・・・・、さりとて命は惜しいけれども、どうしたらよいのか手がかりもわからず、家に引き籠って思い悩んでは溜息つき、気晴らしになることは何にもないままに、春の花がまっ盛りだというのに、気心合った友と手折ってかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐって鳴く鶯の声さえ聞くこともなく、娘子たちが春菜を摘まれるとて、紅の赤裳の裾が濡れてひときわ照り映えながら往き来している、春たけなわの時、こんな佳き季節をただ空しくやり過ごしてしまって・・・・、こうして心をかけて下さるあなたのお気持ちがありがたく、この夜も世通し眠りもせず、明けた今日も日がな一日、お逢いしたいと思いつづけています。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 級(しな)離(さか)る 越を治めに 出(い)でて来(こ)し 大夫(ますら)吾(われ)すら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床に臥(こ)い伏し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく 此処(ここ)に思ひ出 いらなけく 其処(そこ)に思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)る縁(よし)も無(な)み 思ほしき 言(こと)も通はず たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たお)り插頭(かざ)さず 春の野の 茂み飛びくく 鴬の 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを 徒(いたづら)に 過ぐし遣(や)りつれ 偲(しの)はせる 君が心を 愛(うる)はしみ この夜すがらに 寝(ゐ)も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る
私訳 大王の御任命によって、都の輝きから離れて、越の国を治めるために出立して来た、立派な大夫である私でも、世の中がいつもそうでないように、身を横たえ床に倒れ伏し、身体が痛むことが日に日にまさるので、悲しいことをここに思い浮かべ、辛いことをそこに思い浮かべ、嘆く身は心安らぐこともなく、もの思う身は苦しいのだが、足を引くような険しい山を隔たり、立派な鉾を立てる官道が遠いので使いを送り遣る事も出来ないので、思うことの伝言を伝えることも出来ず、寿命を刻む、その命は惜しいけど、どのようにして良いやら判らずに、部屋に隠って居て、物思いを嘆き、慰められる気持ちもないままに、春花が咲く盛りに、気の合う友と花枝を手折りかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐぐる鶯の声すら聞かず、娘女たちが春菜を摘もうと紅の赤い裳の裾を春雨にあでやかに濡れ染めて、通っているでしょう、その時の盛りを、空しくやり過ごしてしまったので、私を気にかけてくれる貴方の気持ちを有り難く思い、この夜一晩中、寝ることもせずに、今日一日も、貴方を慕っています。
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万葉雑記 色眼鏡 二九十 今週のみそひと歌を振り返る その一一〇

2018年10月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二九十 今週のみそひと歌を振り返る その一一〇

 巻十二の巻頭二三首は人麻呂歌集に載る歌で、今週では集歌2852の歌から集歌2863の歌までが該当します。掲載した歌全部ではありませんが弊ブログの好みで今週は人麻呂歌集の歌を改めて鑑賞したいと思います。
 再度、鑑賞します歌は弊ブログと一般的なものとでの訓じが違うものを取り上げます。その相違点は歌に付けた「注意」に示す通りですが、もう少し、与太話をしてみようと思います。

集歌2853 真珠眼 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠(またま)まな遠(をち)をし兼ねし思へこそ一重(ひとへ)し衣(ころも)一人着て寝(ぬ)れ
私訳 美しい珠のような目で遠くを見るように、心を凝らして貴方を想い、一枚の衣を独りで掛けて夜を寝ます。
注意 原文の「真珠眼」の「眼」は、一般に「服」の誤字として「真珠つく」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。

集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 菅(すが)し根し惻(いた)み隠(こも)るる照れる日し乾(ひ)めや吾が袖妹し逢はずして
私訳 菅の根が甚くこもる(=たくさんに大地に隠れている)。その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく気持ちがふさぐ)。さて、照る太陽の日で乾くでしょうか。涙に濡れた私の袖は。貴女に逢わないでいて。
注意 二句目「惻隠ゞゞ」は一般に伝統訓として「ねもころごろに」と訓じますが、弊ブログは原歌表記のままに訓じます。なお、伊藤博氏も解説するように漢語の「惻隠」と大和言葉「ねもころごろ」は意味合いが違いますので、時に上二句を枕詞と扱い、意訳を省略します。

集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 浅葉野(あさはの)し立ち神(かむ)さぶる菅し根し惻(いた)隠(こ)も誰(た)がゆゑ吾(あ)が恋ひざらむ
私訳 浅葉野に立ち古びてしまった菅の根が甚くこもる(=酷く隠れて見えない)、その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく心が沈む)。誰のせいでしょうか、私は貴女との恋の行為が出来ません。
注意 原歌四句目「惻隠誰故」は一般に伝統訓として「ねもころたがゆえ」と訓じます。ただし、前後の句の語感と大和言葉「ねんごろ」の語感とは一致しませんので、時に「根も頃」のような根の長さの形容のような解説をします。

 万葉集では「服」という漢字は全部で四五か所に使われていて「つく」と訓じる例は集歌2853の歌の初句「真珠眼」を「真珠服」に校訂したものだけです。一般には「ころも」「き(る)」「ふく」などと訓じます。「眼」を誤記説から「服」に校訂し、さらに「つく」と訓じるのは異例ですし、弊ブログではその訓じ根拠を見つけられていません。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で伝統の訓字と意訳について少しふれ違和感を示していますが深追いはしていません。一方、中西進氏は初句から二句目を「ま珠つく緒」と解釈し、珠を貫き繋ぐ紐として「服」と云う漢字を解釈しています。両氏とも伝統を守る立場からの発展解釈です。

万葉集 全訳注原文付
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠つく遠(をち)をしかねて思へこそ一重衣を一人着て寝(ぬ)れ
意訳 真珠をつなぐ長い緒、そうした未来をこそ心に描けば、今は一重の衣を一人着て寝ることだ。

参考に
萬葉集 釋注
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真玉つくをちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
意訳 先々のことを今からよくよく考えてはあなたのことを思っているからこそ、私は、薄い一重の着物を、独りさびしく着てねているのに。

 ついで、集歌2857の歌と集歌2863の歌は弊ブログで何度も取り上げています「惻隠」という漢字表記とその伝統的な訓じ・意訳解釈へのいちゃもんです。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で

第二句「ねもころごろに」にあたられた「惻隠ゞゞ」は。『孟子』(公孫丑上)に「今人乍見儒子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」などとある著名な辞句によって知られる文字。11ニ三九三や下のニ八六三にも見られ、「人麻呂歌集」に限って用いられている。哀れみ傷むというのが原義で、ここは、甚だしくよくよくと思われるほどにの意であてられているものと思われる。

と解説しています。
 古語に「懇(ねむこ)ろ」という言葉があり、中世での意は「親身になるさま、親しいさま」とします。語源として「ねむころ」は「ねもころ」であり「ね(根)+も+ころ(凝ろ)」ではあったとします。つまり、意は「互いの心根を絡み合うさま」から「気心の知れた親しい仲、親密な仲」と説明します。
当然、大陸で「惻隠」の意味を他人の児が井戸に落ちて溺れそうになった時、それを助けようと思う気持ちと解説するものと、互いの心根が絡み合うさまとは全くに違います。藤原京時代から奈良時代、漢語は大陸の言葉として解釈する時代ですし、一般的な社会流通の言葉ではない柿本人麻呂独特な用字で惻隠=根も凝ろだったでしょうか。伊藤博氏と同様にはなはだ疑問です。
 弊ブログは素人の建設作業員の与太話ですから斯様な素人疑問を提示できますが、伊藤博氏や中西進氏では難しい立場です。鎌倉以来の伝統にいちゃもんを付け、伝統訓じと解釈を卓袱台返しをするわけにもいきません。

参考に
萬葉集 釋注
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 管の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
意訳 隅々までじりじり照りつける日射しにさえも乾くことなどあるものではない。涙に濡れた私の袖は。あの子に逢えもしないで。

集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 淺葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに
意訳 淺葉野に古さびて生い立っている菅の根のように、こんなにねんごろに、私は他のどなたがもとで恋い焦がれているわけではありませんのに。

 おまけとして、集歌2863の歌は「惻隠」を「ねんごろ」と訓じるところから語調とすると女歌だとして解釈するのが多数派です。ただし、佐佐木氏はその『評釈』でこの歌の四句五句目には力強いさがあるから男歌と解釈します。確かに原歌表記からしますと非常に男らしい表記となっています。対して、弊ブログは「惻隠」の用字と解釈から男歌とします。
 斯様に、歌の解釈は難しいのですが、素人遊びができる余地もありますし、面白いところです。
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