竹取翁と万葉集のお勉強

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柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌 最終回

2013年06月30日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌

集歌3417 可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻許曽麻左礼
訓読 上野(かみつけ)ぬ伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐくさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ
私訳 上野の伊奈良の沼の大藺草のように近寄れず遠くから見るだけの時より、恋の苦しみは身近に逢った後の今の方がひどい。
柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり

集歌3441 麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻
訓読 ま遠くの雲居に見ゆる妹が家(へ)にいつか至らむ歩め吾(あ)が駒
私訳 はるか遠くの雲が懸かって見える愛しい貴女の家に、そのうちに着くだろう。歩め、わが駒よ。
柿本朝臣人麿歌集曰、等保久之弖 又曰、安由賣久路古麿
柿本朝臣人麿の歌集に曰はく、
訓読 遠くして 又曰はく、歩め黒駒
私訳 遠くして、また云うには、歩め、黒駒。
参考歌
集歌1271 遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒
訓読 遠(とほ)ありに雲居にそ見ゆ妹が家(へ)に早く至らむ歩め黒駒

集歌3470 安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加毛 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓
訓読 相見ては千年(ちとせ)や去(ゐ)ぬる否(いな)をかも吾(あれ)や然(しか)思(も)ふ君待ちがてに
私訳 貴方に抱かれてから、もう、千年も経ったのでしょうか。違うのでしょう。でも、私はそのように感じます。貴方を待ちかねて。
柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり
注意 左注に「柿本朝臣人麿歌集出也」とありますが、巻十一に載る集歌2539の歌では人麻呂歌集の歌との記述はありません。人麻呂歌集の歌としては、集歌2381の歌が同じ趣旨のものです。万葉集の歌を理解する上で、万葉集の編者が巻十一に載る無名歌の一部を人麻呂歌集の歌と理解していたと思わせる貴重な注訓です。
参考歌
集歌2539 相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
訓読 相見ては千歳(ちとせ)や去(い)ぬる否(いな)をかも我(われ)や然(しか)念(も)ふ公(きみ)待ちかてに

集歌3481 安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母
訓読 あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦しも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声も掛けずに出立して来て、後悔しています。
柿本朝臣人麿歌集中出 見上已説也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集の中に出(い)ず 見ること上にすでに説きぬ
参考歌
集歌503 珠衣乃 狭藍左謂沉 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家(へ)し妹に物言はず来しに思ひかねつも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声を掛けずに出立して来て、後悔しています。

集歌3490 安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼
訓読 梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は寄り寝む現在(まさか)こそ人目を多み汝(な)を間(はし)に置けれ
私訳 梓弓の末のように末には寄り添って寝よう。ただ今は、人目が多いのでお前を知り合いと恋人の間の中途半端にしているけど。
柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり
注意 左注に「柿本朝臣人麿歌集出也」とありますが、この歌以外に他に載るものはありません。


万葉集 巻十五より

集歌 3606 多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波
訓読 玉藻刈る乎等女(をとめ)を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす吾(わ)れは
私訳 美しい藻を刈る乙女を行き過ぎて、夏草の茂る野島の崎に船宿りする我々は。
柿本朝臣人麿歌曰、敏馬乎須疑弖
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、敏馬を過ぎて
又曰、布祢知可豆伎奴
左注 また曰はく、舟近づきぬ
参考歌
集歌250 珠藻刈 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴
訓読 珠藻刈る駿馬を過ぎて夏草し野島し崎に舟近づきぬ

集歌 3607 之路多倍能 藤江能宇良尓 伊時里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎
訓読 白栲の藤江の浦に漁りする海人(あま)とや見らむ旅行く吾(あ)れを
私訳 白栲を造る葛(ふぢ)の、その藤江の浦で漁をする海人だろうかと思うだろう。旅を行く私を。
柿本朝臣人麿歌曰、安良多倍乃
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、荒栲の
又曰、須受吉都流安麻登香見良武
左注 また曰はく、鱸釣る海人とか見らむ
参考歌
集歌252 荒栲 藤江之浦尓 鈴寸釣 白水郎跡香将見 旅去吾乎
訓読 荒栲し藤江し浦に鱸釣る白水郎(あま)とか見らむ旅行くわれを

集歌 3608 安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由
訓読 天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門(と)より家のあたり見ゆ
私訳 大和の京から離れた田舎からの長い道を大和の国を恋しく思って帰って来ると、明石の海峡から大和の家方向が見えました。
柿本朝臣人麿歌曰、夜麻等思麻見由
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、大和島見ゆ
参考歌
集歌255 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見
訓読 天離る夷し長道ゆ恋ひ来れば明石し門(と)より大和島そ見ゆ

集歌 3609 武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由
訓読 武庫の海の庭よくあらし漁(いざり)する海人(あま)の釣舟波の上ゆ見ゆ
私訳 武庫の海の海上は穏やからしい。出漁している海人の釣船が波の上を見え隠れして行くのが見える。
柿本朝臣人麿歌曰、氣比乃宇美能
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、飼飯の海の
又曰、可里許毛能美多礼弖出見由安麻能都里船
左注 また曰はく、刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船
参考歌
集歌256 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
訓読 飼飯し海の庭好くあらし刈薦の乱れ出づそ見し海人し釣船

集歌 3610 安胡乃宇良尓 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素尓 之保美都良武賀
訓読 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子(をとめ)らが赤裳の裾に潮満つらむか
私訳 安胡の浦で遊覧の船乗りをしているだろう官女の人たちの赤い裳の裾に潮の飛沫がかかって、すっかり濡れているでしょうか。
柿本朝臣人麿歌曰、安美能宇良
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、安美の浦
又曰、多麻母能須蘇尓
左注 また曰はく、珠裳の裾に
参考歌
集歌40 鳴呼之浦尓 船乗為良武 感嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香
訓読 鳴呼し浦に船乗りすらむ感嬬らし珠裳の裾に潮満つらむか

七夕歌一首
標訓 七夕の歌一首
集歌 3611 於保夫祢尓 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登古
訓読 大船に真楫(まかぢ)繁貫(しじぬ)き海原(うなはら)を漕ぎ出て渡る月人(つきひと)壮士(をとこ)
私訳 大船の艫に立派な楫を刺し貫いて海原を漕ぎ出して、天の河を渡る月の船に乗る勇者よ。
右、柿本朝臣人麿歌
左注 右は、柿本朝臣人麿の歌

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万葉雑記 色眼鏡 その卅三 万葉解説本を推薦する

2013年06月29日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その卅三 万葉解説本を推薦する

 今回は本の推薦をさせて下さい。
 書家であり、京都精華大学の教授でもある石川九楊氏が上梓された本に「万葉仮名でよむ『万葉集』(岩波書店)」というものがあります。これは2009年に岩波市民セミナーで行われた氏の講演の内容を加筆・改稿を経て編纂された本で、初版は2011年8月です。従いまして、万葉集の鑑賞態度を述べた解説書としては比較的に新しいものです。
 まず、お金の話を先にしますと、定価ですと税引き2600円と非常に高価な本ですし、アマゾンなどを使っても古本が2400円ほどもします。古本が送料を考慮すると新刊と同じ金額になると云うことは、逆にそれほど人気があると云うことでもあります。ただ、日給月給で生きるために生きている人間にとっては辛いものがありますが、それでも何かを節約してでも読みたい思わせる本です。ですから、一度は手に取って読まれることを推薦する次第です。
 次に著書された背景を推測しますと、石川九楊氏のホームグランドは書家です、国文学者ではありません。氏、その書家の立場から、かな文字の歴史を辿り、古今和歌集の「高野切」へ到り、そして、さらに書の歴史を辿って「万葉集」へと至られたようです。本は、その書家の視線から万葉集は漢字歌であることを、改めて、認識されています。ただし、書家と云うベースがあるがゆえに国文学を研究する人々には遠慮なく厳しい意見を述べられています。そこが魅力です。
 例えば、古今和歌集の歌を紹介するについても、

「古今和歌集」の冒頭の歌は、たいがいの本では、
年の内に 春は来にけり ひととせを 去年(こぞ)とやいはん 今年(ことし)とはいはん
と、これまた漢字仮名交りで書かれている。・・・中略・・・
近代初頭、正岡子規はこの歌をひいて、古今和歌集が万葉集に較べていかにつまらないかと説いた。それが、日本の近代短歌よ俳句の表現領域を切り拓いたが、この論もまた、いずれも漢字仮名交り歌として比較した結果であり、・・・中略・・・
もうひとつは通称「高野切」という名の「古今和歌集」の写本。オール女手(平仮名)、濁点なしで、「としのうちに はるはきにけり ひととせを こそとやいはむ ことしとはいはむ」と書かれている。(6頁)

と、このように述べられています。まず、国文学を研究する人々が「万葉集」は漢字がずらりと並んだ歌であり、「古今和歌集」が女手(平仮名)をずらりと並べた歌であると云うことへの認識を改めて問うています。その比較を通じ、氏は、万葉集の歌を紹介するのにあたって漢字仮名交りで書かれたものをもって歌を紹介し、さらにそれを使って万葉歌を研究する人々の態度を問うています。ここがこの本の出発点であり、論点の総括です。
 石川九楊氏は書家です。現代に残された万葉集の歌や古今和歌集の歌を記した書から、当時に書写した人々の息使いや鑑賞態度を感じ取り、そこからの理解と現代の国文学での研究成果との対比を行っています。
 本で氏は、

文字はすべてこの書の姿を具えている。一点一画を書いていく力の入れ方、抜き方、そういう、力とベクトルからなる触覚が一つの筆画を形成する。そしてその筆画が文字を構成する。この書字の力とベクトルに支えられることによってはじめて、文学というもの―歌や詩や文―ができてくる。文字以前の書字の帯域(書字の微粒子的律動、起・送・終筆・点画、部首、偏旁、筆順等)をないがしろにする。そういう文化が、漢字で書かれていた「万葉集」を、勝手に漢字仮名交りに変え、平仮名で書かれていた「古今和歌集」を漢字仮名交りに変える。(15頁)

と主張されています。
 ブログを開き、そのブログで独り特異な主張をしていたと思っていた者として、非常に頼もしい石川九楊氏の主張です。また、氏は万葉集歌において「初期万葉の歌と後期万葉歌とでは、意味優位と音優位というベクトルを異にしている。漢詩のごとき漢字歌から仮名歌、つまり和歌が作られていったのである」(124頁)と述べられています。
 しかしながら素人がこのブログで述べているような「万葉集は漢語と万葉仮名だけで表記された歌である」や「万葉集は表記を楽しみ、古今和歌集以降は調べを楽しむ歌である」と同等な主張では、当然、著書としてお金が頂ける訳ではありません。石川九楊氏はここからさらに、「日本語は、漢字・漢語の流入以前に前もってあったのではなく、圧倒的に高い水圧を持つところの漢字・漢語との衝突の中から次第に作られていったという事実である。孤島に地方語はあった。バラバラであったにせよ、地方語はあった。それが漢字・漢語にのしかかられ、ぶつかり、整理され、そして一緒になってできたのが日本語」(125頁)と主張されています。ここが、非常に感心させられる点です。古事記や日本書紀に載る歌謡や和歌の多くは文武天皇から元明天皇の時代に集録校訂された雰囲気がありますから、その場合、氏が唱える主張からすると日本語は近江朝から飛鳥御浄原朝に出来たと云うことになりそうです。時に、人麻呂歌集が日本語誕生のきっかけの位置にあるのかもしれません。
 さらに石川九楊氏は、次のように主張されています。

「万葉集」がなぜ「懐風藻」と違う形になっているかといえば、中国語圏に収まりきらなかったからである。それは最初から違っていたというよりも、次第にその違いが醸成されていったのである。無文字の孤島原地語とは比較にならない、圧倒的な語彙数をもち、緻密な表現が可能な漢詩・漢文体で大方は表現できる。しかしそこから漏れ落ちる、どうしてもそうではない形で言いたいことが芽生え、育ち、やがて万葉歌として育っていった。(128頁)

 万葉集の歌は大きく分けて、雑歌、挽歌、相聞の部立に区分されます。中国の詩経に習えば地方地方の民風民情を詠う「風」、王者為政の盛事を讃える「雅」、祖先の盛徳功業を讃え神霊に告げる宗廟祭祀の「頌」で部立されます。万葉集と比較すると、雑歌が詩経での「風」と「雅」を合わせたようなところに位置し、挽歌が「頌」に似た場所にあります。しかしながら、相聞は万葉集独特な場所に位置し、また、それは古今和歌集以降に部立された「恋歌」とも違います。そうした時、石川九楊氏が先に主張された場所に戻ります。それは、「どうしてもそうではない形で言いたいことが芽生え、育ち、やがて万葉歌として育っていった」です。漢字文化圏の周辺に位置する朝鮮、林邑(ベトナム)、日本の国々の中で、どうして、日本だけがいち早く、平仮名と漢字を使った日本語と云う国語が誕生したのか? その理由が男女の相聞歌にあるのかもしれません。
 例えば、宋から隋時代、遊郭の女性が詠ったとされる呉声歌曲の中に次のような漢詩があります。中国文学の中ではこのような呉声歌曲とか、子夜曲と称されるものが日本の和歌の恋歌に一番近いものと思われます。(ズルして、昔のブログから引っ張りました)

六国時代の宋・斉の呉声歌曲「華山畿」より
夜相思 風吹窗廉動 言是所歓來
訓読 夜に相思ひ 風は吹きて窓の廉を動かし 言う 是れ所歓(恋人のこと)の来たれるかと
意訳 夜、貴方の事を思うと、風が吹いて窓に掛かるカーテンを揺らす。私は言います。きっと、これは貴方がやって来る予兆だと。

 ここで、思い浮かべて下さい。万葉集の原文は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌です。また、紫式部日記などの記事で判るように平安中期までの宮中女房と称される女性たちは漢文・漢詩の素養は十二分にありました。つまり、呉声歌曲のような漢詩文での恋文を送られても、奈良時代から平安時代の女性たちは十分にそれを理解することは可能でしたし、本人が無理でもそのような漢詩文の恋文を貰うような女性であれば、身の周りの付き人が解説やそれなりの対応をしてくれるでしょう。従いまして、言葉と云う場において収めようとすれば恋文もまた、他の中華周辺諸国と同様に中国語圏の中に収められたと思われます。
 ところが、日本だけが違っていたようです。男女が互いに相手を想う気持ちを可能な限りに表現をしようと思ったようです。そこで日本語の単語を表すのに漢字の音を借り、それで不足なら音を借りた漢字が持つその表語性の特性をも使ったようです。それが万葉集の相聞の世界であり、さらに平仮名が生まれた理由なのかもしれません。
 この本を読み進めると日本語が誕生する必然性やその過程が万葉集に示されていることが十分に理解することが出来ます。その説明仮定での石川九楊氏の繰り広げられる考察は実に鋭いと思います。
しかしながら本を読み通した時、最後まで二つの疑問が残りました。一つは平仮名の進化過程です。平仮名は楷書体の真仮名から草書体へ、そして、変体仮名の草仮名体へと速度感覚での進化と考えていますが、氏は「平仮名体は平安中後期に完成した。もし、速度感覚がベースにあるなら、もっと、進化をしても良いではないか。現在の平仮名が平安期から変化がないのなら、平安時代からの時代の長さを考えれば速度感覚が平仮名誕生の理由ではない」と考えられています。この点について素人ではありますが感覚的に納得がいきません。現在の五十一音字の平仮名表記について、音を表す文字について認識性と速度性を兼ね揃えた“文字シンボル”が日本全国の人々が納得する形であれば変化が生じ、それが進化として認識されると思います。逆に人々がその必要性を認めなければ、そこで変化は足踏みをするはずです。この視点があっても良いのではと考えます。生物進化でも地球の歴史で急激に変化する激動の時代とほぼ進化が停滞する時代とがあるようです。それと同じようにあるところまで文字のシンボル化の進化が進めばそれ以降は停滞をしても不思議ではありませんし、その停滞を理由に劇的に進化した理由を否定することは出来ないのではないでしょうか。例としてオスメスのシンボルである♂や♀を、これ以上にシンプル化した時、視認性の問題が生じるのではないでしょうか。
 疑問の第二点目は、日本語の進化でなぜ漢字平仮名交りに落ち着いたかです。戦後すぐに日本語ローマ字表記論なるのもが提案されました。一種、日本語の表記を全て平仮名だけで表記する提案と同じですが、横文字であるローマ字表記と云うところが敗戦・占領下という時代性があります。同じアイデアがハングルです。つまり、音字だけで自国の国語を表す方式です。先に紹介した古今和歌集の「高野切」での全て真仮名を使った三十一文字での表記と同じです。ある時代まではすべて音字だけで国語を表現しようとする動きはありました。しかし、平安末期までには日本語の国語表記は漢字平仮名交りに落ち着いています。個人の感想ですが、それは書写したものを誤読なく読み易くする方向への進化の結果ではないでしょうか。
 例を上げますと、次に示す古今和歌集二番歌は、本来、真仮名文字で詠われた歌を草書連綿体で記されていたと推定されています。それも句読点を打つことや一固まりの言葉どうしの間に空白を明けることもしません。また、一定の文字数で改行はしますが、その改行に言葉の繋がり関係を考慮することをしないのが一般でした。

曽天悲知弖武春比之美川乃己保礼留遠波留可太遣不乃可世也止久良武 (真仮名文字)
そてひちてむすひしみつのこほれるをはるかたけふのかせやとくらむ (平仮名)
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ (藤原定家自筆伊達家本より)

 どうでしょうか、真仮名文字を平仮名化して草書連綿で記述されたものより、藤原定家自筆伊達家本のように要所要所に漢字を入れて貰うと読み易く、歌の感覚も掴めると思います。現在、日本語を漢字平仮名交りで表記するスタイルは、この藤原定家の親切心が起点と考えています。
 ただし、古今集の歌や万葉集の歌を本格的に鑑賞したいと思う時には、これは有難迷惑な親切心です。そこには常に定家の解釈が付き纏いますので、万葉集や古今和歌集の歌の鑑賞と云いながら、新古今調に翻訳された翻訳歌の鑑賞だけになる可能性があります。それで、石川九楊氏が万葉集は漢字だらけで表現された歌であり、古今和歌集は平仮名だけで表現された歌ではないかと指摘されるところです。
 やはり、漢字平仮名交りの表記は日本語の進化だと思います。それは認めるべきであります。当然、現代の流行りのテキスト論からすれば、現在の大方の万葉集の研究は過去の万葉集研究史の中へと納められるべきもので、世に流通させるべきものではありません。論語の現代語訳をもって論語研究と唱えることが出来ないように、万葉集の藤原定家訳をもって万葉集研究と唱えることが出来ないのは明白です。その区分は石川九楊氏が著したこの「万葉仮名でよむ『万葉集』(岩波書店)」では明確です。
 ここで紹介した個人的な二つの疑問点を除くと、この「万葉仮名でよむ『万葉集』(岩波書店)」は実に有意義な本です。万葉集に親しんでいられる御方には、是非、御手に取って読んで頂きたい本だと思っています。

 後感として、石川九楊氏は古今和歌集が奉呈されてから百年ほど経った時代に書写されたと思われる「高野切」から書道家の目で、その原文で使われたであろう変体仮名文字を復元されています。楷書の万葉仮名、草書や草仮名の変体仮名、連綿平仮名の進化の歴史を考える時、氏が思うほど紀貫之の古今和歌集が平仮名であったかどうかは、疑問と思います。
 また、いつもの「之」や「而」の訓みの話題に戻りました。反省する次第です。
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今日のみそひと歌 金曜日

2013年06月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌3801 墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居
訓読 墨し江し岸野し榛(はり)ににほふれどにほはぬ我れやにほひに居らむ
私訳 住吉の岸の野の榛で美しく衣を染め上げても、染めた衣に心が惹かれない私です。でも、住吉の岸の野の榛の美しさは感じています。

集歌3802 春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意
訓読 春し野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友しまにまに
私訳 春の野の下草が靡き寄るように私も靡き従って染まりましょう。心を同じくする人々と共に。

集歌3803 隠耳 戀辛苦 山葉従 出来月之 顕者如何
訓読 隠(こも)りのみ恋は辛苦(くる)しき山し端(は)ゆ出でくる月し顕(あらは)さばいかに
私訳 人に隠れて貴方に恋していると苦しい。山の端から出てくる月のように、親に知らせたらどうでしょうか。

集歌3804 如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来
訓読 かくのみにありけるものを猪名(ゐな)川(かは)し奥(おき)を深めに吾が思(も)へりける
私訳 通り一遍の間柄だけだと思っていたが、そうではない、猪名川の川底ほどに深く私は貴女を慕っていたよ。

集歌3805 焉玉之 黒髪所沾而 沫雪之 零也来座 幾許戀者
訓読 ぬばたまし黒髪濡れに沫雪(あはゆき)し降るにや来(き)ますここだ恋ふれば
私訳 漆黒の黒髪は濡れて、沫雪が降るのにかかわらず貴方はやって来ました。私がこれほどに慕っていたから。

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今日のみそひと歌 木曜日

2013年06月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌2877 何時奈毛 不戀奈毛有登者 雖不有 得田直比来 戀之繁母
訓読 何時(いつ)はなも恋(こひ)ずなもありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁(しげ)しも
私訳 どんな時でも貴女を恋していない訳ではないのですが、ますますこのごろ恋心が募ります。

集歌2878 黒玉之 宿而之晩乃 物念尓 割西胸者 息時裳無
訓読 ぬばたまし寝ねにし夕(ゆうへ)の物思(ものも)ひに割(さ)けにし胸は息(や)む時もなし
私訳 漆黒の暗闇に貴方と共寝をした夜の出来事への物思いに張り裂けてしまったこの胸は、気が休まる時がありません。

集歌2879 三空去 名之惜毛 吾者無 不相日數多 年之經者
訓読 み空行く名し惜(を)しけくも吾はなし逢はぬ日まねく年し経ぬれば
私訳 噂として大空を流れて行く貴方の浮名を残念だと思う気持ちは私にはありません。貴方に逢えない日々が多く年月が経ってしまえば。

集歌2880 得管二毛 今毛見社鹿 夢耳 手本纒宿登 見者辛苦毛
訓読 現(うつつ)にも今も見をしか夢(いめ)のみし手本(たもと)纏(ま)き寝(ぬ)と見るは苦し
私訳 現に今も見ました、その夢の内だけで、私の手の内に貴女を巻き取って共寝をしたと思うのは心苦しいことです。

集歌2881 立而居 為便乃田時毛 今者無 妹尓不相而 月之經去者
訓読 立ちに居(ゐ)てすべのたどきも今はなし妹に逢はずて月し経ぬれば
私訳 立っていても座っていても、どうして良いのか、今は思いも付かない。愛しい貴女に逢わないままで月が経ったので。

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今日のみそひと歌 水曜日

2013年06月26日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日

集歌2028 君不相 久時 織服 白妙衣 垢附麻弖尓
訓読 君し逢はず久(ひさ)しき時ゆ織(お)る服(はた)し白妙(しろたへ)衣(ころも)垢付くまでに
私訳 貴方に逢わない日々が長くなったようです。私が織る服の白く美しい衣に汚れが付くまでに。

集歌2029 天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
訓読 天つ川楫し音聞こゆ彦星(ひこほし)し織女(たなばたつめ)と今夕(こよひ)逢ふらしも
私訳 天の川に楫の音が聞こえます。彦星が織女と今夕に逢うようです。

集歌2030 秋去者 河霧 天川 河向居而 戀夜多
訓読 秋されば河(かは)し霧(き)らふる天つ川河し向き居(ゐ)に恋ふる夜(よ)ぞ多(おほ)き
私訳 秋がやって来ると河に霧が立ち込る天の川よ。そんな河に向かって遣って来る恋人を慕っている夜が多いことです。

集歌2031 吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨
訓読 よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥しうら嘆(な)げ居(を)りし告(つ)げむ子もがも
私訳 えい、仕方がない、直接に逢えなくても。星明かりもない漆黒の夜のぬえ鳥のように、ただ嘆いていますと告げるあの娘女です。

集歌2032 一年迩 七夕耳 相人之 戀毛不遏者 夜深往久毛
訓読 一年(ひととし)に七夕(ひちせき)のみし逢ふ人し恋も遏(とど)ずば夜し更(ふ)けゆくも
私訳 一年に一度七夕の夜に逢う人も恋を抑えきれずに夜は更けて往くよ。

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