万葉集 万葉仮名の「之」の字はどのように訓むか
はじめに
この度は万葉仮名の「之」の字に注目して万葉集の歌を鑑賞します。例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
最初に一般論ですが、校本万葉集を基にした訓読み万葉集の万葉集歌では万葉仮名の「之」の字は「し」、「の」、「が」等と訓みます。今回は恣意的な万葉集の歌の鑑賞から、この訓読み万葉集での万葉仮名の「之」の字の訓みについて「ある疑問」を紹介します。なお、今回は訓読みに焦点を当てるために、意訳文は割愛させて頂きました。
万葉集の歌の表記方法において、略体歌、非略体歌、常体歌と万葉仮名歌の四つの区分があります。この中で、現代人がする歌の訓読みと万葉時代人との間でその訓みの相違が一番少ないと考えられるものは万葉仮名歌です。そこで、その万葉仮名歌を天平元年と天平二十年の時代から紹介し、歌で使われる万葉仮名の「之」の字の訓みを参考資料として紹介します。他の歌々を含め、調べた範囲において訓読み万葉集の解釈でも万葉仮名歌の「之」の字は「シ」と訓みます。ここから、万葉集の時代人もまた万葉仮名の「之」の字は「シ」の音字と解釈していたと推定します。
当然ですが、万葉仮名の上代特殊仮名遣では「ノ」の甲音は主に「努」、乙音では主に「乃」、「能」の字を使い、「ノ」の音に「之」の字を使うことはありません。反って、万葉仮名の「之」の字は「シ」の音字に分類されます。ただ、ご存じのように上代特殊仮名遣は江戸時代には江戸学派とも分類される本居宣長等には認識されていましたが、近代的な古代言語学や万葉集学の分野では橋本進吉氏により大正年間に再発見されるまで注目されることなく放置されていました。つまり、万葉仮名での上代特殊仮名遣と云う規則に従って万葉仮名を使って表記された万葉集の歌を原文から鑑賞すると云うことは、非常に新しい試みなのです。そのため、平安後期から明治時代の和歌人が万葉仮名の「之」の字を「ノ」や「ガ」と訓むことは、近代の上代特殊仮名遣と云う規則に違反しますが、彼らの和歌の発声感覚からすると無理のないことです。そして、不思議なことに、校本万葉集を基にする訓読み万葉集では、この万葉仮名での上代特殊仮名遣と云う規則が再発見された後も、非略体歌や常体歌では万葉仮名の「之」の字を「ノ」の乙音と見做して万葉歌を解釈します。個人的な考えとして、専門研究者の方に異を唱えることになりますが、漢文の訓読みでは漢字の「之」は、便宜上、助詞として「ノ」と訓みますが、だからと云って、漢文訓読みと万葉集歌での万葉仮名の詠み下しとは同一にはならないと思います。憶測に推測ですが、ある一部の万葉集研究家には万葉仮名の「之」の字に対して「漢文の漢字」と「万葉音仮名」との区分と認識の自覚がなかったのではないでしょうか。
先に弊ブログ「初めて万葉集に親しむために その五」で六百番陳状に載る万葉集の歌を紹介しました。そこで触れましたように、平安時代の和歌人は万葉集の原文の歌を正確に読み解くより、彼らの「平安時代の和歌」として詠んだ可能性があります。つまり、平安時代の和歌人は万葉仮名の「之」の字を「シ」と訓むことを承知していても、歌詠での口調・語調の要請から「の」や「が」等と訓んだ可能性があります。そして、万葉集の歌の歌意よりも調べでの口調・語調を優先した優艶な新古今調解釈の訓読み万葉集の歌を、江戸・明治時代人が佳しとした、または、それを伝統としたのではないかと、万葉集の歌を鑑賞する時に危惧します。ちょうど、明治時代の歌人が万葉集の歌での「未通女」と「処女」との言葉の区別と理解が出来なかったのと同じではないかと考えます。
ここで、参照例題3として示す集歌324の山部赤人が詠う長歌を見て下さい。歌の一節では「春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之」と対比表記をしていますから「春日は 山し見がほし 秋夜は 河し清けし」と訓むものと考えられます。奈良時代の人がこの口調を佳しとしたと想定して、参照例題4に示す山部赤人が詠う集歌372の長歌の一節「晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡」を見て下さい。この一節は、一般には「昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと」と訓みますが、赤人は「之」の字を「シ」と訓み「昼はも 日しことごと 夜はも 夜しことごと」と訓んだのではないでしょうか。この想定を進めますと、参照例題5に示す大伴旅人の集歌438の歌は語尾に「シ」の音が連続する歌になります。ここに、平安歌人が「ノ」の音を好むように、奈良歌人は「シ」の音を好んだ可能性が見えてきます。この鑑賞を踏まえて、校本万葉集を基にした訓読み万葉集において歌には表記されないが、短歌としての音字数構成から推定・付加して詠まれた助詞の「ノ」の音は「シ」の音に交換できると提案します。この例として、先の「春日は 山し見がほし 秋夜は 河し清けし」は、訓読み万葉集では「春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清けし」と訓みますが、提案では「春し日は 山し見がほし 秋し夜は 河し清けし」と訓むとします。
もし、この提案することが採用可能としますと、歌の「之」の字を「シ」と訓みことにより歌意が変わると思われる歌が現れてきます。その一例が参照例題6の集歌288の歌です。これは一例ですが、他にも歌意が変わるものがありますので、校本万葉集を基にした伝統の訓読み万葉集ではなく、今一度、原点に戻って、万葉集歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで記述された歌であることを再認識する必要があるのではないでしょうか。
なお、ここで紹介したものは、西本願寺本を底本として万葉集の歌を万葉仮名での上代特殊仮名遣等を考慮して原文から鑑賞する場合だけの、なにが万葉集の歌かと云う、特殊な社会人のする与太での問題です。つまり、ここでのものはアカデミーではありませんので、特に生徒・学生さんには誤解なきようにお願いします。
例題1
訓読み万葉集で「之」の字を「ノ」と訓むケース
集歌235 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為鴨類
訓読 皇(すめらぎ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(へ)に廬(いほ)らせかもる
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 皇(すめらぎ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)し雷(かづち)し上(うへ)に廬(いほ)らせかもる
注意 古典では建御雷之男神を「たけみかづちしをかみ」と訓みます。
例題2
訓読み万葉集で「之」の字を「ガ」と訓むケース
集歌85 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行尓 待可将待
訓読 君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待つか待たらむ
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 君し行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待つか待たらむ
注意 原文の「迎加将行尓 待可将待」は、一般には「迎加将行 待尓可将待」とし、句切れの位置が違い「迎へか行かむ待ちにか待たむ」と訓みます。ここでは原文のままとします。
例題3 山部赤人の歌より
集歌324 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
訓読 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山(やま)に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ飼(か)ひに 玉(たま)葛(かづら) 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通(かよ)はむ 明日香の 旧(ふる)き都は 山高み 河雄大(とほしろ)し 春し日は 山し見がほし 秋し夜は 河し清(さや)けし 且(また)雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば
例題4 山部赤人の歌より
集歌372 春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷
訓読 春日(はるひ)を 春日(かすが)し山の 高座(たかくら)し 御笠の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほとり)の 間(ま)無くしば鳴く 雲居(くもゐ)なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日しことごと 夜はも 夜しことごと 立ちて居(ゐ)て 念(おも)ひそ吾がする 逢はぬ児故(ゆへ)に
例題5 大伴旅人の歌
歌で「之」の字を「シ」と訓むことで口調が佳いと思われるもの
集歌438 愛 人之纒而師 敷細之 吾手枕乎 纒人将有哉
訓読 愛(は)しきやし人し纏(ま)きてし敷栲(しきたへ)し吾が手枕(たまくら)を纒(ま)く人あらめや
例題6 歌の解釈が変わると思われるもの
訓読み万葉集で「之」の字を「ノ」と訓むケース
集歌288 吾命之 真幸有者 亦毛将見 志賀乃大津尓 縁流白波
訓読 吾が命(いのち)の真幸(まさき)くあらばまたも見む志賀(しが)の大津に寄する白波
意訳 私の寿命が平らかであったなら、再び眺めましょう。志賀の大津に寄せる白波を。
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 吾(あ)が命(みこ)し真幸(まさき)くあらばまたも見む志賀(しが)の大津に寄する白波
意訳 私の大切な大王よ。この旅が平穏であったなら、再び眺めましょう。志賀の大津に寄せる白波を。
注意 この歌は集歌287の歌で「幸志賀時石上卿作謌一首」の標を持つものとの組で詠われています。
集歌287 此間為而 家八方何處 白雲乃 棚引山乎 超而来二家里
訓読 ここにして家やはいづし白雲のたなびく山を越えて来にけり
参考資料として、
天平元年頃、巻五より
集歌796 伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
訓読 愛(は)しきよし如(か)くのみからに慕(した)ひ来(こ)し妹(いも)が情(こころ)の術(すべ)もすべなさ
集歌815 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米
訓読 正月(むつき)立ち春の来(き)たらば如(かく)しこそ梅を招(を)きつつ楽しきを経(へ)め
集歌819 余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨
訓読 世間(よのなか)は恋繁しゑや如(かく)しあらば梅の花にも成らましものを
集歌820 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理
訓読 梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
集歌821 阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯
訓読 青柳(あほやぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬともよし
集歌824 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母
訓読 梅の花散らまく惜しみ吾(わ)が苑(その)の竹(たけ)の林に鴬鳴くも
集歌828 比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母
訓読 人ごとに折りかさしつつ遊べどもいや愛(め)づらしき梅の花かも
集歌829 烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也
訓読 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
集歌830 萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子
訓読 万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし
集歌833 得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米
訓読 毎年(としのは)に春の来らばかくしこそ梅をかさして楽しく飲まめ
集歌835 波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素比尓 阿比美都流可母
訓読 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日(けふ)の遊びに相見つるかも
集歌842 和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇比都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美
訓読 吾(わ)が屋戸(やと)の梅の下枝(しづゑ)に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ
集歌843 宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布
訓読 梅の花折りかさしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ
集歌848 久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
訓読 雲に飛ぶ薬食(は)むよは都見ば卑(いや)しき吾(あ)が身また変若(をち)ぬべし
天平二十年頃 巻十八より
集歌4032 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟
訓読 奈呉(なこ)の海に船しまし貸せ沖に出でて波立ち来(く)やと見て帰り来(こ)む
集歌4033 奈美多弖波 奈呉能宇良末尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流
訓読 波立てば奈呉の浦廻(うらみ)に寄る貝の実なき恋にぞ年は経(へ)にける
集歌4034 奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊弖牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流
訓読 奈呉の海に潮の早(はや)干(ひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今ぞ鳴くなる
集歌4035 保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓藝武日 許由奈伎和多礼
訓読 霍公鳥(ほとときす)いとふ時なし菖蒲(あやめくさ)蘰(かづら)に着む日こゆ鳴き渡れ
集歌4039 於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母
訓読 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上(のぼ)らじ年は経(へ)ぬとも
集歌4043 安須能比能 敷勢能宇良末能 布治奈美尓 氣太之伎奈可須 知良之底牟可母
訓読 明日の日の布勢の浦廻(うらみ)の藤波にけだし来鳴かす散らしてむかも
集歌4059 多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
訓読 橘の下(した)照(て)る庭に殿(との)建てて酒みづきいます我が大王(おほきみ)かも
集歌4065 安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都波良尓 吾家之於母保由
訓読 朝開き入江漕ぐなる楫(かぢ)の音(おと)のつばらつばらに吾家(わがへ)し思ほゆ
集歌4071 之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米
訓読 科(しな)ざかる越の君らとかくしこそ楊(やなぎ)蘰(かづら)き楽しく遊ばめ
おわりに
恥ずかしい話ですが、今まで、相当の歌をブログで紹介してきましたが、現在、この「之」の字の解釈を考慮して、再度、読み直しを行っています。そして、こっそり、今までにUPしたものを、適時、紹介することなく修正を行っています。ただ、音字、口調及び解釈をも考慮して点検していますので、修正したものをUPするのに時間がかかっています。御来場のみなさんには申し訳ありませんが、このようなズルさをお許し下さい。
はじめに
この度は万葉仮名の「之」の字に注目して万葉集の歌を鑑賞します。例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
最初に一般論ですが、校本万葉集を基にした訓読み万葉集の万葉集歌では万葉仮名の「之」の字は「し」、「の」、「が」等と訓みます。今回は恣意的な万葉集の歌の鑑賞から、この訓読み万葉集での万葉仮名の「之」の字の訓みについて「ある疑問」を紹介します。なお、今回は訓読みに焦点を当てるために、意訳文は割愛させて頂きました。
万葉集の歌の表記方法において、略体歌、非略体歌、常体歌と万葉仮名歌の四つの区分があります。この中で、現代人がする歌の訓読みと万葉時代人との間でその訓みの相違が一番少ないと考えられるものは万葉仮名歌です。そこで、その万葉仮名歌を天平元年と天平二十年の時代から紹介し、歌で使われる万葉仮名の「之」の字の訓みを参考資料として紹介します。他の歌々を含め、調べた範囲において訓読み万葉集の解釈でも万葉仮名歌の「之」の字は「シ」と訓みます。ここから、万葉集の時代人もまた万葉仮名の「之」の字は「シ」の音字と解釈していたと推定します。
当然ですが、万葉仮名の上代特殊仮名遣では「ノ」の甲音は主に「努」、乙音では主に「乃」、「能」の字を使い、「ノ」の音に「之」の字を使うことはありません。反って、万葉仮名の「之」の字は「シ」の音字に分類されます。ただ、ご存じのように上代特殊仮名遣は江戸時代には江戸学派とも分類される本居宣長等には認識されていましたが、近代的な古代言語学や万葉集学の分野では橋本進吉氏により大正年間に再発見されるまで注目されることなく放置されていました。つまり、万葉仮名での上代特殊仮名遣と云う規則に従って万葉仮名を使って表記された万葉集の歌を原文から鑑賞すると云うことは、非常に新しい試みなのです。そのため、平安後期から明治時代の和歌人が万葉仮名の「之」の字を「ノ」や「ガ」と訓むことは、近代の上代特殊仮名遣と云う規則に違反しますが、彼らの和歌の発声感覚からすると無理のないことです。そして、不思議なことに、校本万葉集を基にする訓読み万葉集では、この万葉仮名での上代特殊仮名遣と云う規則が再発見された後も、非略体歌や常体歌では万葉仮名の「之」の字を「ノ」の乙音と見做して万葉歌を解釈します。個人的な考えとして、専門研究者の方に異を唱えることになりますが、漢文の訓読みでは漢字の「之」は、便宜上、助詞として「ノ」と訓みますが、だからと云って、漢文訓読みと万葉集歌での万葉仮名の詠み下しとは同一にはならないと思います。憶測に推測ですが、ある一部の万葉集研究家には万葉仮名の「之」の字に対して「漢文の漢字」と「万葉音仮名」との区分と認識の自覚がなかったのではないでしょうか。
先に弊ブログ「初めて万葉集に親しむために その五」で六百番陳状に載る万葉集の歌を紹介しました。そこで触れましたように、平安時代の和歌人は万葉集の原文の歌を正確に読み解くより、彼らの「平安時代の和歌」として詠んだ可能性があります。つまり、平安時代の和歌人は万葉仮名の「之」の字を「シ」と訓むことを承知していても、歌詠での口調・語調の要請から「の」や「が」等と訓んだ可能性があります。そして、万葉集の歌の歌意よりも調べでの口調・語調を優先した優艶な新古今調解釈の訓読み万葉集の歌を、江戸・明治時代人が佳しとした、または、それを伝統としたのではないかと、万葉集の歌を鑑賞する時に危惧します。ちょうど、明治時代の歌人が万葉集の歌での「未通女」と「処女」との言葉の区別と理解が出来なかったのと同じではないかと考えます。
ここで、参照例題3として示す集歌324の山部赤人が詠う長歌を見て下さい。歌の一節では「春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之」と対比表記をしていますから「春日は 山し見がほし 秋夜は 河し清けし」と訓むものと考えられます。奈良時代の人がこの口調を佳しとしたと想定して、参照例題4に示す山部赤人が詠う集歌372の長歌の一節「晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡」を見て下さい。この一節は、一般には「昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと」と訓みますが、赤人は「之」の字を「シ」と訓み「昼はも 日しことごと 夜はも 夜しことごと」と訓んだのではないでしょうか。この想定を進めますと、参照例題5に示す大伴旅人の集歌438の歌は語尾に「シ」の音が連続する歌になります。ここに、平安歌人が「ノ」の音を好むように、奈良歌人は「シ」の音を好んだ可能性が見えてきます。この鑑賞を踏まえて、校本万葉集を基にした訓読み万葉集において歌には表記されないが、短歌としての音字数構成から推定・付加して詠まれた助詞の「ノ」の音は「シ」の音に交換できると提案します。この例として、先の「春日は 山し見がほし 秋夜は 河し清けし」は、訓読み万葉集では「春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清けし」と訓みますが、提案では「春し日は 山し見がほし 秋し夜は 河し清けし」と訓むとします。
もし、この提案することが採用可能としますと、歌の「之」の字を「シ」と訓みことにより歌意が変わると思われる歌が現れてきます。その一例が参照例題6の集歌288の歌です。これは一例ですが、他にも歌意が変わるものがありますので、校本万葉集を基にした伝統の訓読み万葉集ではなく、今一度、原点に戻って、万葉集歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで記述された歌であることを再認識する必要があるのではないでしょうか。
なお、ここで紹介したものは、西本願寺本を底本として万葉集の歌を万葉仮名での上代特殊仮名遣等を考慮して原文から鑑賞する場合だけの、なにが万葉集の歌かと云う、特殊な社会人のする与太での問題です。つまり、ここでのものはアカデミーではありませんので、特に生徒・学生さんには誤解なきようにお願いします。
例題1
訓読み万葉集で「之」の字を「ノ」と訓むケース
集歌235 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為鴨類
訓読 皇(すめらぎ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(へ)に廬(いほ)らせかもる
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 皇(すめらぎ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)し雷(かづち)し上(うへ)に廬(いほ)らせかもる
注意 古典では建御雷之男神を「たけみかづちしをかみ」と訓みます。
例題2
訓読み万葉集で「之」の字を「ガ」と訓むケース
集歌85 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行尓 待可将待
訓読 君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待つか待たらむ
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 君し行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待つか待たらむ
注意 原文の「迎加将行尓 待可将待」は、一般には「迎加将行 待尓可将待」とし、句切れの位置が違い「迎へか行かむ待ちにか待たむ」と訓みます。ここでは原文のままとします。
例題3 山部赤人の歌より
集歌324 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
訓読 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山(やま)に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ飼(か)ひに 玉(たま)葛(かづら) 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通(かよ)はむ 明日香の 旧(ふる)き都は 山高み 河雄大(とほしろ)し 春し日は 山し見がほし 秋し夜は 河し清(さや)けし 且(また)雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば
例題4 山部赤人の歌より
集歌372 春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷
訓読 春日(はるひ)を 春日(かすが)し山の 高座(たかくら)し 御笠の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほとり)の 間(ま)無くしば鳴く 雲居(くもゐ)なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日しことごと 夜はも 夜しことごと 立ちて居(ゐ)て 念(おも)ひそ吾がする 逢はぬ児故(ゆへ)に
例題5 大伴旅人の歌
歌で「之」の字を「シ」と訓むことで口調が佳いと思われるもの
集歌438 愛 人之纒而師 敷細之 吾手枕乎 纒人将有哉
訓読 愛(は)しきやし人し纏(ま)きてし敷栲(しきたへ)し吾が手枕(たまくら)を纒(ま)く人あらめや
例題6 歌の解釈が変わると思われるもの
訓読み万葉集で「之」の字を「ノ」と訓むケース
集歌288 吾命之 真幸有者 亦毛将見 志賀乃大津尓 縁流白波
訓読 吾が命(いのち)の真幸(まさき)くあらばまたも見む志賀(しが)の大津に寄する白波
意訳 私の寿命が平らかであったなら、再び眺めましょう。志賀の大津に寄せる白波を。
上記で「之」の字を「シ」と訓む
訓読 吾(あ)が命(みこ)し真幸(まさき)くあらばまたも見む志賀(しが)の大津に寄する白波
意訳 私の大切な大王よ。この旅が平穏であったなら、再び眺めましょう。志賀の大津に寄せる白波を。
注意 この歌は集歌287の歌で「幸志賀時石上卿作謌一首」の標を持つものとの組で詠われています。
集歌287 此間為而 家八方何處 白雲乃 棚引山乎 超而来二家里
訓読 ここにして家やはいづし白雲のたなびく山を越えて来にけり
参考資料として、
天平元年頃、巻五より
集歌796 伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
訓読 愛(は)しきよし如(か)くのみからに慕(した)ひ来(こ)し妹(いも)が情(こころ)の術(すべ)もすべなさ
集歌815 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米
訓読 正月(むつき)立ち春の来(き)たらば如(かく)しこそ梅を招(を)きつつ楽しきを経(へ)め
集歌819 余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨
訓読 世間(よのなか)は恋繁しゑや如(かく)しあらば梅の花にも成らましものを
集歌820 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理
訓読 梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
集歌821 阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯
訓読 青柳(あほやぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬともよし
集歌824 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母
訓読 梅の花散らまく惜しみ吾(わ)が苑(その)の竹(たけ)の林に鴬鳴くも
集歌828 比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母
訓読 人ごとに折りかさしつつ遊べどもいや愛(め)づらしき梅の花かも
集歌829 烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也
訓読 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
集歌830 萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子
訓読 万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし
集歌833 得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米
訓読 毎年(としのは)に春の来らばかくしこそ梅をかさして楽しく飲まめ
集歌835 波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素比尓 阿比美都流可母
訓読 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日(けふ)の遊びに相見つるかも
集歌842 和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇比都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美
訓読 吾(わ)が屋戸(やと)の梅の下枝(しづゑ)に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ
集歌843 宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布
訓読 梅の花折りかさしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ
集歌848 久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
訓読 雲に飛ぶ薬食(は)むよは都見ば卑(いや)しき吾(あ)が身また変若(をち)ぬべし
天平二十年頃 巻十八より
集歌4032 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟
訓読 奈呉(なこ)の海に船しまし貸せ沖に出でて波立ち来(く)やと見て帰り来(こ)む
集歌4033 奈美多弖波 奈呉能宇良末尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流
訓読 波立てば奈呉の浦廻(うらみ)に寄る貝の実なき恋にぞ年は経(へ)にける
集歌4034 奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊弖牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流
訓読 奈呉の海に潮の早(はや)干(ひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今ぞ鳴くなる
集歌4035 保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓藝武日 許由奈伎和多礼
訓読 霍公鳥(ほとときす)いとふ時なし菖蒲(あやめくさ)蘰(かづら)に着む日こゆ鳴き渡れ
集歌4039 於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母
訓読 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上(のぼ)らじ年は経(へ)ぬとも
集歌4043 安須能比能 敷勢能宇良末能 布治奈美尓 氣太之伎奈可須 知良之底牟可母
訓読 明日の日の布勢の浦廻(うらみ)の藤波にけだし来鳴かす散らしてむかも
集歌4059 多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
訓読 橘の下(した)照(て)る庭に殿(との)建てて酒みづきいます我が大王(おほきみ)かも
集歌4065 安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都波良尓 吾家之於母保由
訓読 朝開き入江漕ぐなる楫(かぢ)の音(おと)のつばらつばらに吾家(わがへ)し思ほゆ
集歌4071 之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米
訓読 科(しな)ざかる越の君らとかくしこそ楊(やなぎ)蘰(かづら)き楽しく遊ばめ
おわりに
恥ずかしい話ですが、今まで、相当の歌をブログで紹介してきましたが、現在、この「之」の字の解釈を考慮して、再度、読み直しを行っています。そして、こっそり、今までにUPしたものを、適時、紹介することなく修正を行っています。ただ、音字、口調及び解釈をも考慮して点検していますので、修正したものをUPするのに時間がかかっています。御来場のみなさんには申し訳ありませんが、このようなズルさをお許し下さい。