万葉雑記 色眼鏡 二二九 今週のみそひと歌を振り返る その四九
今週は柿本人麻呂歌集に載る歌で、歌の表記区分では詩体歌(略体歌)、非詩体歌(非略体歌)に分類される歌から遊びます。
歌の表記区分で詩体歌は「てにをは」を一切持ちませんし、非詩体歌はその一部を持つだけで漢詩のような姿を持つ和歌です。このため、歌の鑑賞では「てにをは」を補いますから、歌意は一義的には定まらない可能性があります。つまり、歌を鑑賞する人の感性により揺らぎますし、その揺らぎには正誤がないことになります。
例として集歌1296の歌は非詩体歌に分類される歌で、句中の「吾尓所念」の「尓」の文字が「てにをは」ですが、歌中にはこれ以外にはありません。従いまして三十一音の和歌として鑑賞するには多くの音を補う必要があります。一方、集歌1297の歌と集歌1298の歌は詩体歌に分類される歌で「てにをは」となる文字を持ちません。従いまして、和歌とするにはすべての「てにをは」言葉を補う必要があり、その補足のしようにによっては歌意は大きく揺らぎますし、その正誤は確定しません。類型歌から類推したとしても、最終には鑑賞者の感性によることになります。
集歌1296 今造 斑衣 服面就 吾尓所念 未服友
訓読 今造る斑らし衣(ころも)服面(きおも)就(つ)く吾に念(おも)ひは未だ着ぬとも
私訳 今作っている摺り染めの着物、その由緒ある摺り染め着物は立派な貴方に相応しいと思う。私の心に貴方の私への想いを着せるように、貴方は私が造った衣をまだ着ていませんが。
集歌1297 紅 衣染 雖欲着 丹穂哉 人可知
訓読 紅(くれなゐ)し衣(ころも)を染めて着(き)に欲(ほ)しし丹(あけのに)し秀(ほ)や人し知るべし
私訳 紅色に衣を染め揚げて着て欲しい。そうすれば、朱に映える美貌の貴女の美しさを人が気づくでしょう。
集歌1298 千名人 雖云 織次 我廿物 白麻衣
試訓 千名(ちな)し人(ひと)雖(ただ)云ふけれど織りつがむ我廿物(はたもの)し白き麻(あさ)衣(きぬ)
試訳 多くの人は、私と貴方のことを噂するだけですが、私は織り続けましょう。私が織る、たくさんの、貴方が云うようにどのような色にも染まる白い麻の衣を。
ここで、ネット検索では容易な「古代史の道 万葉集読解」から、これらの歌の鑑賞を紹介します。歌は「てにをは」を持たない詩体歌・非詩体歌ですから、想定する「てにをは」により歌意は揺らぎます。その揺らぎから、時に原歌表記に疑義提案がなされ集歌1298の歌の初句と二句の「千名人 雖云」については二つの案があります。弊ブログでは原歌表記を尊重して「千名人 雖云」として鑑賞しますが、別案では伝統を下に想定した「てにをは」を尊重して原歌表記に誤記説を導入し「干各 人雖云」と変え鑑賞します。説明するように一般には「干各 人雖云」の表記が優勢です。
また、集歌1296の歌、三句目「面就」には「面影」の誤記説があります。これは平安時代末期から鎌倉時代初期の人々にとって「おもつく」と云う発声が好みではなく、歌言葉として「おもかげ」の方が好ましいと云う辺りからの提案です。歌意よりも歌詠いを優先しますと「おもかげ」が優勢になると考えます。
「万葉集読解」の鑑賞態度
集歌1296
訓読 今作る斑の衣面づきて我れに思ほゆいまだ着ねども
意味 着物を作っているその衣をまだ着てないけれど私によく似合っているだろうな
集歌1297
訓読 紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
意味 紅(くれなゐ)に着物を染めたいのですが、着たら匂い立つように映えてみなに知られてしまうでしょうね
集歌1298
訓読 かにかくに人は言ふとも織り継がむ我が機物の白麻衣
意味 人はとやかくいうでしょうけど、今織っているこの白麻の着物を織り続けよう
参考として、集歌1298の「千名人雖云織次我廿物白麻衣」と「干各人雖云織次我廿物白麻衣」の表記論争は、原歌が詩体歌の表記区分に属し、また、柿本人麻呂歌集に載る歌と云うことから、学生さん向けの議論にはうってつけのものです。まず、現在では人麻呂歌集の歌の多くは人麻呂とその恋人が作歌した歌と推定されていますので、万葉集中から人麻呂の作歌態度、つまり、作歌時の癖や好みの言葉を示し、そこから集歌1298の歌意や和歌を推定することが可能です。類型歌が無くても、人麻呂が詠う歌としての研究が可能と云うことです。
ただし、逆に見ますと集歌1298の歌の読解を提示することは人麻呂歌や人麻呂歌集の歌への鑑賞態度を示すことでもあります。さらに、万葉集中には人麻呂歌集から引用したような歌、模倣した歌など見られ、ある種、人麻呂歌集は作歌時のテキストの位置にありますから、場合によっては万葉集歌への理解度にも及びます。
さらに歴史において平安時代最末期に成立した元暦校本辺りから、原典を尊重するより、その時代のパトロンとなる貴族・武者階層が鑑賞するときの便を優先した姿を示します。平安時代中期となる藤原道長・紫式部ごろまでは古典文学での原典は建前として奉呈され天子が鑑賞するものですから古典書写では「一字不違」であることが原則です。一方、藤原定家の時代となりますと小倉百人一首の伝承に示すように古典書写などはパトロン向けとなります。まったく、書写態度が違うのです。このような背景がありますから、学問として伝承された万葉集と、パトロン向けに書写・編まれた万葉集本とはその態度が違うはずです。現在は和歌道の影響下、学問とパトロン向けの価値が逆転していますから、何が正しいのかの判断は難しいものがあります。
しかしながら、そうは言っても学生さんですと万葉集歌読解への修行中ですし、人生の方向が変われば単なる一場面です。また、趣味の社会人によってはそれは与太話です。
今週は柿本人麻呂歌集に載る歌で、歌の表記区分では詩体歌(略体歌)、非詩体歌(非略体歌)に分類される歌から遊びます。
歌の表記区分で詩体歌は「てにをは」を一切持ちませんし、非詩体歌はその一部を持つだけで漢詩のような姿を持つ和歌です。このため、歌の鑑賞では「てにをは」を補いますから、歌意は一義的には定まらない可能性があります。つまり、歌を鑑賞する人の感性により揺らぎますし、その揺らぎには正誤がないことになります。
例として集歌1296の歌は非詩体歌に分類される歌で、句中の「吾尓所念」の「尓」の文字が「てにをは」ですが、歌中にはこれ以外にはありません。従いまして三十一音の和歌として鑑賞するには多くの音を補う必要があります。一方、集歌1297の歌と集歌1298の歌は詩体歌に分類される歌で「てにをは」となる文字を持ちません。従いまして、和歌とするにはすべての「てにをは」言葉を補う必要があり、その補足のしようにによっては歌意は大きく揺らぎますし、その正誤は確定しません。類型歌から類推したとしても、最終には鑑賞者の感性によることになります。
集歌1296 今造 斑衣 服面就 吾尓所念 未服友
訓読 今造る斑らし衣(ころも)服面(きおも)就(つ)く吾に念(おも)ひは未だ着ぬとも
私訳 今作っている摺り染めの着物、その由緒ある摺り染め着物は立派な貴方に相応しいと思う。私の心に貴方の私への想いを着せるように、貴方は私が造った衣をまだ着ていませんが。
集歌1297 紅 衣染 雖欲着 丹穂哉 人可知
訓読 紅(くれなゐ)し衣(ころも)を染めて着(き)に欲(ほ)しし丹(あけのに)し秀(ほ)や人し知るべし
私訳 紅色に衣を染め揚げて着て欲しい。そうすれば、朱に映える美貌の貴女の美しさを人が気づくでしょう。
集歌1298 千名人 雖云 織次 我廿物 白麻衣
試訓 千名(ちな)し人(ひと)雖(ただ)云ふけれど織りつがむ我廿物(はたもの)し白き麻(あさ)衣(きぬ)
試訳 多くの人は、私と貴方のことを噂するだけですが、私は織り続けましょう。私が織る、たくさんの、貴方が云うようにどのような色にも染まる白い麻の衣を。
ここで、ネット検索では容易な「古代史の道 万葉集読解」から、これらの歌の鑑賞を紹介します。歌は「てにをは」を持たない詩体歌・非詩体歌ですから、想定する「てにをは」により歌意は揺らぎます。その揺らぎから、時に原歌表記に疑義提案がなされ集歌1298の歌の初句と二句の「千名人 雖云」については二つの案があります。弊ブログでは原歌表記を尊重して「千名人 雖云」として鑑賞しますが、別案では伝統を下に想定した「てにをは」を尊重して原歌表記に誤記説を導入し「干各 人雖云」と変え鑑賞します。説明するように一般には「干各 人雖云」の表記が優勢です。
また、集歌1296の歌、三句目「面就」には「面影」の誤記説があります。これは平安時代末期から鎌倉時代初期の人々にとって「おもつく」と云う発声が好みではなく、歌言葉として「おもかげ」の方が好ましいと云う辺りからの提案です。歌意よりも歌詠いを優先しますと「おもかげ」が優勢になると考えます。
「万葉集読解」の鑑賞態度
集歌1296
訓読 今作る斑の衣面づきて我れに思ほゆいまだ着ねども
意味 着物を作っているその衣をまだ着てないけれど私によく似合っているだろうな
集歌1297
訓読 紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
意味 紅(くれなゐ)に着物を染めたいのですが、着たら匂い立つように映えてみなに知られてしまうでしょうね
集歌1298
訓読 かにかくに人は言ふとも織り継がむ我が機物の白麻衣
意味 人はとやかくいうでしょうけど、今織っているこの白麻の着物を織り続けよう
参考として、集歌1298の「千名人雖云織次我廿物白麻衣」と「干各人雖云織次我廿物白麻衣」の表記論争は、原歌が詩体歌の表記区分に属し、また、柿本人麻呂歌集に載る歌と云うことから、学生さん向けの議論にはうってつけのものです。まず、現在では人麻呂歌集の歌の多くは人麻呂とその恋人が作歌した歌と推定されていますので、万葉集中から人麻呂の作歌態度、つまり、作歌時の癖や好みの言葉を示し、そこから集歌1298の歌意や和歌を推定することが可能です。類型歌が無くても、人麻呂が詠う歌としての研究が可能と云うことです。
ただし、逆に見ますと集歌1298の歌の読解を提示することは人麻呂歌や人麻呂歌集の歌への鑑賞態度を示すことでもあります。さらに、万葉集中には人麻呂歌集から引用したような歌、模倣した歌など見られ、ある種、人麻呂歌集は作歌時のテキストの位置にありますから、場合によっては万葉集歌への理解度にも及びます。
さらに歴史において平安時代最末期に成立した元暦校本辺りから、原典を尊重するより、その時代のパトロンとなる貴族・武者階層が鑑賞するときの便を優先した姿を示します。平安時代中期となる藤原道長・紫式部ごろまでは古典文学での原典は建前として奉呈され天子が鑑賞するものですから古典書写では「一字不違」であることが原則です。一方、藤原定家の時代となりますと小倉百人一首の伝承に示すように古典書写などはパトロン向けとなります。まったく、書写態度が違うのです。このような背景がありますから、学問として伝承された万葉集と、パトロン向けに書写・編まれた万葉集本とはその態度が違うはずです。現在は和歌道の影響下、学問とパトロン向けの価値が逆転していますから、何が正しいのかの判断は難しいものがあります。
しかしながら、そうは言っても学生さんですと万葉集歌読解への修行中ですし、人生の方向が変われば単なる一場面です。また、趣味の社会人によってはそれは与太話です。