竹取翁と万葉集のお勉強

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山部赤人を鑑賞する  春日野に登りて作れる謌

2010年10月30日 | 万葉集 雑記
春日野に登りて作れる謌
 歌では、郭公が「カツコウ」と鳴くのを「カホコウ」鳥として、容鳥(カホトリ)と称していますが、同時に片恋(カツコヒ)とも聞こえたようです。長歌も短歌も、この「カツコウ」と鳴くのを片恋(カツコヒ)と聞いたとして、歌を展開しています。そして、片恋(カツコヒ)すらも泣き(鳴く)止むと、健男も声を上げて哭み泣けてしまうようです。
 この背景が判れば、西本願寺本に「鳥」と「恋」の字が無いことが理解できます。片恋(カツコヒ)、片恋(カツコヒ)とナクのは、鳥だけでなく健男もなのです。また、郭公は別名を「呼子鳥」と云いますから、「不相兒故荷」の「児」は、人の子でもあり、郭公でもあります。さらに、「春日(はるひ)」と「春日(かすか)」、「御笠」と「三笠」、「晝者毛日之盡」と「夜者毛夜之盡」との発音と表記の遊びもあります。
 ここまで野暮に歌の背景を説明しますと、この歌は春日の春日山の風景を詠っていますが実写ではなく、想像での技巧を凝らすためのものと思われます。なお、専門家が行う和歌論では、このような技巧を凝らした想像歌は、彼らの万葉集の歌の理解を基準にした場合、万葉集の時代には、まだ、存在しないことになっています。つまり、ここでのものは、専門家にとって素人の妄想で酔論以外のなにものでもありません。


山部宿祢赤人登春日野作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の春日野に登りて作れる謌一首并せて短謌

集歌372 春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷

訓読 春日(はるのひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほとり)の 間(ま)無くしば鳴く 雲居(くもゐ)なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居(ゐ)て 念(おも)ひそ吾がする 逢はぬ児故(ゆへ)に

私訳 春の日に春日の山にある高御座(たかみくら)に御笠をかざすように三笠の山に、朝には必ず雲が棚引き、たくさんの郭公(カッコウ)が絶え間なく啼く。山に着いて棚引く雲のように、気持ちはいさよい、そのカツコウと啼く鳥のように片恋に、昼は一日中、夜は一晩中、立っていても座っていても、物思いをする、私は。逢うことの出来ないあの子のために。(或いは、見ることが出来ない郭公のために。)


反謌
集歌373 高按之 三笠乃山尓 鳴之 止者継流 哭為鴨
訓読 高按(たかくら)の三笠の山に鳴(さえづ)りの止(や)めば継がるる哭(な)き為(し)つるかも

私訳 高御座(たかみくら)の備わる三笠の山に鳥のさえずりが止むと、それを継ぐように祈っても逢えないことで恨んで泣けてしまうでしょう。

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山部赤人を鑑賞する  播磨騎旅の歌六首

2010年10月28日 | 万葉集 雑記
播磨騎旅の歌六首
 集歌357の歌から始まる播磨騎旅の歌六首は、神亀三年(726)十月(万葉集では笠朝臣金村の歌では九月)の播磨国印南野への御幸の折の歌ではないかと思っています。そうしますと、ここでの歌は、集歌933の歌から始まる歌群と一体になるのではないでしょうか。万葉集に載る笠朝臣金村の神亀三年九月の日付からに対して、集歌361の歌の季節感が一致します。
 また、万葉集の歌では「名告藻」は有名な海草ですが、集歌362の歌の詠い方からすると山部赤人にとっては初体験だったようですし、集歌360の歌からも海辺の状況に対してまだ余裕がないようです。場合によっては、この「播磨騎旅の歌六首」は、山部赤人の生涯を推定するときのベンチマークになるのかもしれません。

山部宿祢赤人謌六首
標訓 山部宿祢赤人の謌六首

集歌357 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
訓読 縄(なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

私訳 縄の浦から反対方向に見える沖の島、その島の周りを漕ぎ廻る舟は釣りをしているようだ。

注意 縄の浦は、兵庫県相生市那波町の海岸一帯と思われる


集歌358 武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟
訓読 武庫(むこ)の浦を漕ぎ廻(み)る小舟(をふね)粟島(あわしま)を背向(そがひ)に見つつ乏(とぼ)しき小舟

私訳 武庫の浦を漕ぎ伝ってくる小舟。淡路島を背に見ながら漕ぎ疲れ果てている小舟よ。

注意 武庫の浦は、兵庫県尼崎市から西宮市の海岸一帯と思われる


集歌359 阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
訓読 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する浪間(ま)無くこのころ日本(やまと)し念(おも)ほゆ

私訳 阿倍の嶋の鵜の住む磯に寄せ来る浪が絶え間が無いように、このころ絶え間なく大和の京を恋しく思います。

注意 阿倍の嶋は、兵庫県加古川市阿閉津の海岸一帯と思われる


集歌360 塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱裹乞者 何矣示
訓読 潮干(しほひ)なば玉藻刈りつめ家(いへ)の妹が浜(はま)づと乞(こ)はば何を示さむ

私訳 潮が引いたら美しい藻を刈り取りましょう。家で待つ妻が浜の土産は何でしょうと乞い求めたら、何を見せましょうか。


集歌361 秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣
訓読 秋風の寒き朝明(あさけ)を佐農(さぬ)の岡越ゆらむ君に衣(きぬ)貸さましを

私訳 秋風の寒い朝明けの中を佐農の岡を越えて行こうとするあの御方に衣を貸してあげましたものを。


集歌362 美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志五余 親者知友
訓読 みさご居(ゐ)る磯廻(いそみ)に生(お)ふる名告藻(なのりそ)の名は告(の)らしそ親は知るとも

私訳 美しい砂浜のミサゴが居る磯を取り囲んで生える名告藻の名前のように名を告げてください。二人の関係を貴女の親が知ったとしても。

注意 西本願寺本の「告志五余」は、戯訓として「三(みさ)・五(ご)、十五から五を余らすと十(そ)になる」としています。つまり、この歌は「名告藻」の言葉に応じた遊びの歌です。


或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰く、
集歌363 美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 告名者告世 父母者知友

訓読 みさご居(ゐ)る荒磯(ありそ)に生(お)ふる名告藻(なのりそ)の告(つ)ぐ名は告(の)らせ父母(おや)は知るとも

私訳 美しい砂浜のミサゴが居る荒磯に生える名告藻のように私に告げるはずの貴女の名を告げてください。二人の関係を貴女の親が知ったとしても。

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山部赤人を鑑賞する  神岳に登りて作れる謌

2010年10月25日 | 万葉集 雑記
神岳に登りて作れる謌
 集歌324の歌の歌詞に「明日香能舊京師」とありますから、神岳に登って藤原京を眺めての歌と思われます。
 神亀元年は西暦724年で、平城京遷都は西暦710年です。山部赤人は養老・神亀年間から天平八年ごろに主に活躍をしたとすると、およそ、遷都後、十五年経った頃の藤原京跡を詠ったと考えて良いかもしれません。主な建物は平城京に移築・転用され、何も残っていない荒廃した姿だったようです。そうした時、神岳とは地理的には天香具山を示すと思われます。その天香具山自体も、平城京遷都のあとは荒れた山容を示していたのではないでしょうか。
 なお、荒廃した旧王宮を詠う歌に、柿本人麻呂が詠う「近江の荒れたる都を過ぎし時の謌」が有名ですが、同じに高市古人の「近江の旧堵を感傷して作れる歌」もまた有名です。


登神岳山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 神岳(かむをか)に登りて山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌

集歌324 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者

訓読 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山(やま)に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 玉(たま)葛(かづら) 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通(かよ)はむ 明日香の 旧(ふる)き都は 山高み 河雄大(とほしろ)し 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清(さや)けし 且(また)雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば

私訳 神降る三諸の神名備山に、たくさんの枝を広げて繁って生えている栂の木が、ますます継ぎ継ぎに世を重ねるように、美しい葛(ふぢ)のツルが絶えることがなく、このようにありますように、次ぎ次ぎと止むことなく通って来ましょうと、明日香の旧き都は、山は高く、河は雄大で、春の昼間は山を見たく思い、秋の夜は河の流れが清々しい、さらに空の雲には鶴が乱れ飛び、夕霧の中で蛙が鳴き騒ぐ、これらを見ること毎に、恨み泣けてしまう。昔の繁栄した都の様子を想像すると。


反謌
集歌325 明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
訓読 明日香河川淀さらず立つ霧の念(おも)ひ過ぐべき恋にあらなくに

私訳 明日香河の川淀を流れ去らずに立ち込める霧のように、昔の思い出を流れ過ぎさすだけの慕情ではないでしょう。


参考歌
高市古人感傷近江舊堵作謌 或書云、高市連黒人
標訓 高市古人の近江の旧堵(きゅうと)を感傷して作れる謌 或る書に云はく「高市連黒人」といへり

集歌32 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
訓読 古(いにしへ)の人に吾(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見れば悲しき

私訳 古い時代の人間だからか、私の今は。この楽浪の故き京を眺めると切なくなる。


集歌33 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
訓読 楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)の心(うら)さびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも

私訳 楽浪の国を守る国つ御神の神威も衰えて、この荒廃した京を眺めると切ないことです。

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山部赤人を鑑賞する  伊豫の温泉に至りて作れる謌

2010年10月23日 | 万葉集 雑記
伊豫の温泉に至りて作れる謌
 この歌は、伊予風土記の記事、万葉集の集歌6の歌の左注と集歌8の額田王が詠う熟田津の歌を引用したような歌です。つまり、この歌が歌われたとき、これらを集約して研究した山上憶良の類従歌林は広く知られた存在だったと推定されます。
 山部赤人は、その歌人としての活動年代は神亀元年ごろから天平八年ごろの人ですから、その当時に、近江朝以前の歌については山上憶良の類従歌林を重要な参考資料にしていた可能性があります。その面でも、歌自体の鑑賞を離れて万葉集の編纂の成り立ちを推測する上で、興味深い歌でもあります。

山部宿祢赤人至伊豫温泉作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の伊豫の温泉(ゆ)の至りて作れる謌一首并せて短謌
集歌322 皇神祖之 神乃御言 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是凝 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 謌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處
訓読 皇神祖(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 敷きませる 国のことごと 湯(ゆ)はしも 多(さわ)にあれども 島山の 宣(よろ)しき国と 極(きは)みこぎ 伊予(いよ)の高嶺(たかね)の 射狭庭(いさには)の 岡に立ちて 謌(うた)思(しの)ひ 辞(こと)思(しの)ひせし み湯(ゆ)の上の 樹群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神さびゆかむ 行幸(いでまし)処(ところ)
私訳 天皇の皇祖である神が宣言なされた、神に継ながる天皇が治めなさる大和の国中に温泉はたくさんあるけれど、島山の立派な国とここにかき集めたような伊予の高き嶺の、神を祭る射狭庭の岡に立って、昔に詠われた謌を懐かしみ、述べられた詞を懐かしむと、温泉の上に差し掛ける樹群を見ると樅の木も育ちその世代を継ぎ、鳴く鳥も昔も今も声は変わらない。遠い時代に天皇が神として御出でになられた、御幸された場所です。

反謌
集歌323 百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久
訓読 ももしきの大宮人の飽田津(にぎたつ)に船乗りしけむ年の知らなく
私訳 沢山の岩を積み上げ造る大宮の宮人が飽田津で船乗りしたでしょうその年は、遥か昔でもう判らない。

参考歌その一  
幸讃岐國安益郡之時、軍王見山作謌
標訓 讃岐國の安益(やすの)郡(こほり)に幸(いでま)しし時に、軍(いくさの)王(おほきみ)の山を見て作れる謌
集歌5 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨居 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情
訓読 霞立つ 長き春日の 暮れにける 区別(わづき)も知らず 村肝(むらきも)の 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠つ神 吾(わ)が大王(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり座(ゐ)る 吾が衣手に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 念(おも)へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る 方法(たづき)を知らに 網の浦の 海(あま)処女(をとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾が下情(したこころ)
私訳 霞が立つ長い春の日が暮れたようだ。今居る場所も判らず、体の中に宿る心を辛く感じ、ぬえ鳥のように忍び泣きしていると、美しい襷を肩に掛けるのが相応しいように、願いを掛けるのが相応しい大和の京から遠く離れたこの地の神が、我が大王が行幸なさっている山のその山を越す風が、独りで座り居る私の袖を、朝に夕に思いを呼び起こすようにひるがえるので、立派な男と思っている私も、草を枕にするような苦しい旅路にあるので、大和の京に残る貴女にこの思いを伝える方法も知らないので、網の浦で地元の海人の娘達が焼く塩のように、貴女への思いで胸を焼くことです。それが私の貴女への想いです。

反謌
集歌6 山越乃 風乎時自見 寐不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
訓読 山越(やまこし)の風を時じみ寝(ぬ)る夜(よ)おちず家なる妹を懸(か)けて偲(しの)ひつ
私訳 山を越す風が絶え間ない。毎晩毎晩、大和の家に残す愛しい貴女を心に掛けて恋い慕う。
左注 右、檢日本書紀 無幸於讃岐國。亦軍王未詳也。但、山上憶良大夫類聚歌林曰、記曰、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、幸于伊豫温湯宮云々。一書云、 是時宮前在二樹木。此之二樹斑鳩比米二鳥大集。時勅多挂稲穂而養之。乃作歌云々。若疑従此便幸之歟。
注訓 右は、日本書紀を檢(かむが)ふるに讃岐國に幸(いでま)すこと無し。亦、軍王は未だ詳(つまび)らかならず。但し、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「記に曰はく『天皇十一年己亥の冬十二月己巳の朔の壬午、伊豫の温湯(ゆ)の宮に幸(いでま)す、云々』といへり。一書(あるふみ)に云はく『是の時に、宮の前に二つの樹木在り。此の二つの樹に斑鳩(いかるが)・比米(ひめ)二つの鳥大(さは)に集まれり。時に、勅(みことのり)して多くの稲穂を挂けてこれを養ひたまふ。乃ち作れる歌云々』」といへり。若(けだ)し、疑ふらくは此より便(すなは)ち幸(いでま)ししか。

参考歌その二 
額田王謌
標訓 額田(ぬかだの)王(おほきみ)の謌
集歌8 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
訓読 熟田津(にぎたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
私訳 熟田津で朝鮮に出兵するための対策を立てて実行してきたが、全ての出陣への準備が願い通りに整ったし、この遅い月の月明かりを頼って出港の準備をしていたら潮も願い通りになった。さあ、今から出港しよう。
左注 右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑、九年丁酋十二月己巳朔壬午、天皇大后、幸于伊豫湯宮。後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔丙寅、御船西征始就于海路。庚戌、御船、泊于伊豫熟田津石湯行宮。天皇、御覧昔日猶存之物、當時忽起感愛之情。所以因製謌詠為之哀傷也。即此謌者天皇御製焉。但、額田王謌者別有四首。
注訓 右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむが)みて曰はく「飛鳥岡本宮の御宇天皇の元年己丑、九年丁酋の十二月己巳の朔の壬午、天皇(すめらみこと)大后(おほきさき)、伊豫の湯の宮に幸(いでま)す。後岡本宮の馭宇天皇の七年辛酉の春正月丁酉の朔の丙寅、御船の西に征(ゆ)き始めて海路に就く。庚戌、御船、伊豫の熟田津の石湯(いはゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ。天皇、昔日(むかし)より猶存(のこ)れる物を御覧(みそなは)して、當時(そのかみ)忽ち感愛(かなしみ)の情(こころ)を起こす。所以に因りて謌を製(つく)りて哀傷(かなしみ)を詠ふ」といへり。即ち此の謌は天皇の御(かた)りて製(つく)らせしなり。但し、額田王の謌は別に四首有り。

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山部赤人を鑑賞する  不盡山を望む歌

2010年10月21日 | 万葉集 雑記
不盡山を望む歌
 高橋連虫麿は富士山を陸上の箱根足柄方面から見たようですが、山部宿祢赤人は駿河から相模に向かう途中の海上から富士山を眺めたようです。それは、ちょうど、葛飾北斎が描く冨嶽三十六景の内の「東海道江尻田子の浦略図」に相当するような風景です。逆に、葛飾北斎は集歌318の歌の真意を知っていて、それで当時の東海道では渡海をしない江尻宿ですが、田子の浦の海上からの富士山を描いたのかも知れません。
 ただし、普段の解説では、奈良時代は古代・中世でも、一番、海上交通が発達していたことを失念していますから、陸上説を採り、色々な角度から山部宿祢赤人が眺めた場所を研究するようです。


山部宿祢赤人望不盡山謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の不盡山(ふじのやま)を望める謌一首并せて短謌

集歌317 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
訓読 天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き 駿河なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽(ふじ)の高嶺は
私訳 天と地とが別れた時から、神として高く貴く駿河にある富士の高き嶺を、天にある河原を振り仰いで見るように見ると、空を渡る太陽の光も高き嶺に隠れ、夜に照る月の光も遮られ見えず、白雲も流れ逝くのをためらい留まり、季節を限らず雪は降っている。語り継ぎ、言い伝えていきましょう。富士の高き嶺のことを。

反謌
集歌318 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
訓読 田子の浦ゆうち出(い)でて見れば真白ひそ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける
私訳 田子の浦から出発して見ると、真っ白に富士の高き嶺に雪は降っていた。

参考歌 高橋連虫麿の富士山の歌
詠不盡山謌一首并短謌
標訓 不尽山を詠める歌一首并びに短歌
集歌319 奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出之有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞
訓読 なまよみの 甲斐(かひ)の国 うち寄する 駿河(するが)の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出(い)で有る 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 燃ゆる火を 雪もち消(け)ち 降る雪を 火もち消(け)ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず 霊(くす)しくも 座(いま)す神か 石花(せ)の海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 不尽河(ふぢかわ)と 人の渡るも その山の 水の激(たぎ)ちぞ 日の本の 大和の国の 鎮(しづめ)とも 座(いま)す神かも 宝とも 生(な)れる山かも 駿河なる 不尽の高嶺は 見れど飽かぬかも
私訳 なまよみの甲斐の国と、浪打ち寄せる駿河の国と、あちこちの国の真ん中にそびえたつ富士の高峰は、天雲も流れ行くのをはばかり、空飛ぶ鳥も山を飛び越えることもできず、山頂に燃える火を雪で消し、また、降る雪を燃える火で溶かし消し、どう表現したらよいのか、名の付け方も知らず、貴くいらっしゃる神のようです。石花の海と名付けているのも、その山を取り巻く海だよ。富士川として人が渡る川も、その山の水の激しい流れだよ。日の本の大和の国の鎮めといらっしゃる神とも、国の宝ともなる山でしょうか。駿河にある富士の高嶺は見ても見飽きることはないでしょう。

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