万葉雑記 色眼鏡 六七 集歌二七四〇の歌を楽しむ
春、桜の季節はもうすぐですが、なかなか、出稼ぎ生活からは抜け出せそうもありません。家を離れ、所在なく、『萬葉集釋注』に漂っています。そうした時、万葉集中、特段に有名でもない歌ですが、なぜか、伊藤博氏が特別に注意を払った歌があります。それが巻十一に載る集歌二七四〇の歌です。
二七四〇 大船の舳にも艫にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
【原文】大船之 舳毛艫毛 依浪 依友吾者 君之随意
伊藤博氏は『萬葉集釋注』でこの歌への解説で、次のように述べられています。
二七四〇は、
大船の舳先といわず艫ともいわずあちこちから寄せてくる波、その波のように、人が私のことをどこの誰が言い寄せたとしても、私はあなたのお心のままです。
の意。相手の男にあだな心を持っていないことを誓った歌と覚しい。男が他し男との女の噂を詰問してきたのに応じたものか。
第二句の原文、嘉暦伝承本・類聚古集・古葉略類聚抄には「艫毛舳毛」とある。それに拠るとトモニヘニモの訓が成立する。「艫丹裳舳丹裳」(10二〇八九)、「等母尓倍尓」(19四二五四)によれば、それが本来の形であるかもしれない。ただ、「倍由毛登母由毛」(14三五五九)という形もあり、また「邊毛奥毛」(7一三五二、12三一五八。他に5八九四)の形が普通である中にあって、「奥尓邊尓」(7一一五〇)という言い方もある。底本で意の通る場合は尊重するという方針に基づいて、ここでは「艫毛舳毛」を採ることにする。
ままをそのままなのですが、逆にそのままがため、少し、判りにくい紹介となりました。ここで、参考として『万葉集全訳注原文付』からこの集歌2740の歌を紹介しますと、次のようになっています。
二七四〇 大船の艫(とも)1にも舳(へ)にも寄する波寄すとも2われは君がまにまに
大船之 艫3毛舳4毛 依浪 依5友吾者 君之随意6
意訳 大船の艫にも舳にも寄せる波のように、二人を寄せて騒ぎ立てるうわさがどんなにひどくとも、私はあなたのお心のまま
脚注 1、船の末尾、舳は先。2、寄せ騒ごうとも。寄スで上下を続ける。3、底本「舳」。嘉らによる。4、底本「艫」。嘉らによる。5、底本「依」なし。6、「任意」、底本「随意依」。嘉らによる。
とあります。その『万葉集全訳注原文付』の解説でも紹介しますように、現在の『万葉集』と云うテキストの底本である『西本願寺本準拠 万葉集』では、その集歌二七四〇の歌は次のような姿になります。
集歌2740 大船之 舳毛艫毛 依浪 友吾者 君之随意依
訓読 大船し舳(へ)にも艫(とも)にも寄する波友し吾(われ)は君しまにまに
私訳 大船の舳にも艫にも打ち寄せる波のように、四方から人は心を貴方へと寄せる、そのように心を貴方に寄せる私は、貴方のお気に召すままに我が身を任せます。
伊藤博氏や中西進氏は伝統に従い、その解釈では歌は男女の恋愛を前提としていますが、『西本願寺本準拠 万葉集』からのこの原文歌ですと、さて、この歌が恋歌となるかは難しくなります。まず、恋歌と解釈することは難しくなります。実は、先に伊藤博氏の解説を紹介しましたが、判りにくい解説となっているのは、ここに背景があります。歌は伝統では男女の恋歌として解釈するべきものとなっていますが、原文歌ではそのような姿を見せません。この点が重大な問題であり、従来、原文歌が間違いとされてきました。この点が伊藤博氏の解説の出発点なのです。
伊藤博氏が、巻十一と云う無名人達が詠う巻中において、特段に取り上げる必要もない、この集歌二七四〇の歌に、なぜ、興味を惹かれたかを推測しますと、歌は「寄物陳思」と云うジャンルに括られた中でのものです。およそ、この「寄物陳思」での「思」の多くは、恋人を慕情する「思い」の歌ですから、この歌も慕情の歌であろうと推測することが可能と考えます。そして、この歌の前後の歌を紹介しますと、次のようなものです。紹介しますように、前後の歌は確実に慕情をテーマとしてよい、そのような歌です。ここに、伊藤博氏が述べる「底本で意の通る場合は尊重する」と云う意味が現れてきます。集歌二七四〇の歌は慕情を詠った歌であろうから、参考にする資料があるのなら、解釈に沿うように間違いであるはずの原文歌を訂正するべきであると云うことになります。つまり、誤字や誤記が確認されなくても、伝承された解釈に沿わなければ、原文歌は校訂をしてよいと云う伝統を再発見することが出来ます。
集歌2739 水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波
訓読 みさご居(ゐ)る沖つ荒礒(ありそ)に寄する波行方(ゆくへ)も知らず吾(あ)が恋ふらくは
私訳 みさごが棲む沖の荒磯に打ち寄せる波の行方が判らないように、この先、どうなるのかは判らない。私が恋い焦がれるこの想いは。
集歌2741 大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨
訓読 大海(おほうみ)に立つらむ波は間(あひだ)あらむ公(きみ)に恋ふらく止(や)む時もなし
私訳 大海に立つと云う浪は、きっと、絶え間もあるでしょう。でも、私が貴方を恋い慕うことは止む間もありません。
ただし、伝承や伝統を離れ、『万葉集』に載る漢語と万葉仮名だけで表記された歌を純粋に解釈する立場から漢語での「戀」と云う字に注目しますと、集歌二七四一の歌が男女の間での戀慕を詠う歌かと問われると、その答えは「男女の間での恋慕とは限定が出来ない」です。康熙字典では「戀」は「係慕也」であり、「兄弟相戀」です。では「慕」とは何かと云うと『説文解字』では「習也,愛而習翫模範之也」と説明します。慕情とは相手の振る舞いや精神を見習うとする気持ちと云うことになります。
「戀」の本意が「係慕也」というものですと、この為でしょうか、伊藤博氏は『萬葉集釋注』の解説で、集歌二七四一の歌について次のように述べられています。
この歌の上三句のとらえ方は特異。波に絶え間のないことを知りながら、あえて絶え間がないはずはないといっているところが、おのずから下二句の主想を、知的に強調する。
つまり、伊藤博氏がこの集歌二七四一の歌は「理詰めの歌」と感じられているのですと、「大海二立良武浪者」の用字に注目するとき、歌は尊敬する目上の人が務める遣唐使や遣新羅使に対する送別の歌である可能性が見えて来ます。そして、漢字の「九」は『説文解字』では「九,究也」と解説しますから、「公二戀等九」の句は相手を尊敬する気持ちを表現するために択び抜かれた用字であることが判ります。およそ、この集歌二七四一の歌は現代日本人的な理解ではなく、中国語を母語とするような言葉感覚の理解を求める歌となります。
こうした時、従来の男女の恋歌である集歌二七三九の歌と集歌二七四一の歌に挟まれた集歌二七四〇の歌もまた男女の恋歌であると云う見込みは、間違いであることが判ります。伝承での見込みで、歌は「戀歌」であろうから、原文表記は間違いであり、校訂が出来ると云う前提での解釈は成り立たないことが確実のようです。およそ、そのような解釈での曲解が始まった背景に、奈良時代の知識人は遣唐使として大唐に赴いても直ちに科挙に合格した超エリート集団と対等に渡り合えるだけの学力と教養を持ち合わせていましたが、平安貴族はそうではなかったことがあるのでしょう。そのような、漢字や漢文に長けた万葉人が詠う歌を理解するのには、和歌鑑賞なのですが漢和辞典や『説文解字』のようなものを使って鑑賞をせざるを得ないことへの認識の差なのでしょう。従いまして、集歌二七四一の歌が遣唐使を送別するような歌としますと、集歌二七四〇の歌もまた、同様なものと考えることが出来るのではないでしょうか。
もう少し、この歌で粘れるかと思いましたが、一首だけで粘るのは無理のようです。今回は、尻切れトンボのような形ですが、これで終わらせて頂きます。
春、桜の季節はもうすぐですが、なかなか、出稼ぎ生活からは抜け出せそうもありません。家を離れ、所在なく、『萬葉集釋注』に漂っています。そうした時、万葉集中、特段に有名でもない歌ですが、なぜか、伊藤博氏が特別に注意を払った歌があります。それが巻十一に載る集歌二七四〇の歌です。
二七四〇 大船の舳にも艫にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
【原文】大船之 舳毛艫毛 依浪 依友吾者 君之随意
伊藤博氏は『萬葉集釋注』でこの歌への解説で、次のように述べられています。
二七四〇は、
大船の舳先といわず艫ともいわずあちこちから寄せてくる波、その波のように、人が私のことをどこの誰が言い寄せたとしても、私はあなたのお心のままです。
の意。相手の男にあだな心を持っていないことを誓った歌と覚しい。男が他し男との女の噂を詰問してきたのに応じたものか。
第二句の原文、嘉暦伝承本・類聚古集・古葉略類聚抄には「艫毛舳毛」とある。それに拠るとトモニヘニモの訓が成立する。「艫丹裳舳丹裳」(10二〇八九)、「等母尓倍尓」(19四二五四)によれば、それが本来の形であるかもしれない。ただ、「倍由毛登母由毛」(14三五五九)という形もあり、また「邊毛奥毛」(7一三五二、12三一五八。他に5八九四)の形が普通である中にあって、「奥尓邊尓」(7一一五〇)という言い方もある。底本で意の通る場合は尊重するという方針に基づいて、ここでは「艫毛舳毛」を採ることにする。
ままをそのままなのですが、逆にそのままがため、少し、判りにくい紹介となりました。ここで、参考として『万葉集全訳注原文付』からこの集歌2740の歌を紹介しますと、次のようになっています。
二七四〇 大船の艫(とも)1にも舳(へ)にも寄する波寄すとも2われは君がまにまに
大船之 艫3毛舳4毛 依浪 依5友吾者 君之随意6
意訳 大船の艫にも舳にも寄せる波のように、二人を寄せて騒ぎ立てるうわさがどんなにひどくとも、私はあなたのお心のまま
脚注 1、船の末尾、舳は先。2、寄せ騒ごうとも。寄スで上下を続ける。3、底本「舳」。嘉らによる。4、底本「艫」。嘉らによる。5、底本「依」なし。6、「任意」、底本「随意依」。嘉らによる。
とあります。その『万葉集全訳注原文付』の解説でも紹介しますように、現在の『万葉集』と云うテキストの底本である『西本願寺本準拠 万葉集』では、その集歌二七四〇の歌は次のような姿になります。
集歌2740 大船之 舳毛艫毛 依浪 友吾者 君之随意依
訓読 大船し舳(へ)にも艫(とも)にも寄する波友し吾(われ)は君しまにまに
私訳 大船の舳にも艫にも打ち寄せる波のように、四方から人は心を貴方へと寄せる、そのように心を貴方に寄せる私は、貴方のお気に召すままに我が身を任せます。
伊藤博氏や中西進氏は伝統に従い、その解釈では歌は男女の恋愛を前提としていますが、『西本願寺本準拠 万葉集』からのこの原文歌ですと、さて、この歌が恋歌となるかは難しくなります。まず、恋歌と解釈することは難しくなります。実は、先に伊藤博氏の解説を紹介しましたが、判りにくい解説となっているのは、ここに背景があります。歌は伝統では男女の恋歌として解釈するべきものとなっていますが、原文歌ではそのような姿を見せません。この点が重大な問題であり、従来、原文歌が間違いとされてきました。この点が伊藤博氏の解説の出発点なのです。
伊藤博氏が、巻十一と云う無名人達が詠う巻中において、特段に取り上げる必要もない、この集歌二七四〇の歌に、なぜ、興味を惹かれたかを推測しますと、歌は「寄物陳思」と云うジャンルに括られた中でのものです。およそ、この「寄物陳思」での「思」の多くは、恋人を慕情する「思い」の歌ですから、この歌も慕情の歌であろうと推測することが可能と考えます。そして、この歌の前後の歌を紹介しますと、次のようなものです。紹介しますように、前後の歌は確実に慕情をテーマとしてよい、そのような歌です。ここに、伊藤博氏が述べる「底本で意の通る場合は尊重する」と云う意味が現れてきます。集歌二七四〇の歌は慕情を詠った歌であろうから、参考にする資料があるのなら、解釈に沿うように間違いであるはずの原文歌を訂正するべきであると云うことになります。つまり、誤字や誤記が確認されなくても、伝承された解釈に沿わなければ、原文歌は校訂をしてよいと云う伝統を再発見することが出来ます。
集歌2739 水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波
訓読 みさご居(ゐ)る沖つ荒礒(ありそ)に寄する波行方(ゆくへ)も知らず吾(あ)が恋ふらくは
私訳 みさごが棲む沖の荒磯に打ち寄せる波の行方が判らないように、この先、どうなるのかは判らない。私が恋い焦がれるこの想いは。
集歌2741 大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨
訓読 大海(おほうみ)に立つらむ波は間(あひだ)あらむ公(きみ)に恋ふらく止(や)む時もなし
私訳 大海に立つと云う浪は、きっと、絶え間もあるでしょう。でも、私が貴方を恋い慕うことは止む間もありません。
ただし、伝承や伝統を離れ、『万葉集』に載る漢語と万葉仮名だけで表記された歌を純粋に解釈する立場から漢語での「戀」と云う字に注目しますと、集歌二七四一の歌が男女の間での戀慕を詠う歌かと問われると、その答えは「男女の間での恋慕とは限定が出来ない」です。康熙字典では「戀」は「係慕也」であり、「兄弟相戀」です。では「慕」とは何かと云うと『説文解字』では「習也,愛而習翫模範之也」と説明します。慕情とは相手の振る舞いや精神を見習うとする気持ちと云うことになります。
「戀」の本意が「係慕也」というものですと、この為でしょうか、伊藤博氏は『萬葉集釋注』の解説で、集歌二七四一の歌について次のように述べられています。
この歌の上三句のとらえ方は特異。波に絶え間のないことを知りながら、あえて絶え間がないはずはないといっているところが、おのずから下二句の主想を、知的に強調する。
つまり、伊藤博氏がこの集歌二七四一の歌は「理詰めの歌」と感じられているのですと、「大海二立良武浪者」の用字に注目するとき、歌は尊敬する目上の人が務める遣唐使や遣新羅使に対する送別の歌である可能性が見えて来ます。そして、漢字の「九」は『説文解字』では「九,究也」と解説しますから、「公二戀等九」の句は相手を尊敬する気持ちを表現するために択び抜かれた用字であることが判ります。およそ、この集歌二七四一の歌は現代日本人的な理解ではなく、中国語を母語とするような言葉感覚の理解を求める歌となります。
こうした時、従来の男女の恋歌である集歌二七三九の歌と集歌二七四一の歌に挟まれた集歌二七四〇の歌もまた男女の恋歌であると云う見込みは、間違いであることが判ります。伝承での見込みで、歌は「戀歌」であろうから、原文表記は間違いであり、校訂が出来ると云う前提での解釈は成り立たないことが確実のようです。およそ、そのような解釈での曲解が始まった背景に、奈良時代の知識人は遣唐使として大唐に赴いても直ちに科挙に合格した超エリート集団と対等に渡り合えるだけの学力と教養を持ち合わせていましたが、平安貴族はそうではなかったことがあるのでしょう。そのような、漢字や漢文に長けた万葉人が詠う歌を理解するのには、和歌鑑賞なのですが漢和辞典や『説文解字』のようなものを使って鑑賞をせざるを得ないことへの認識の差なのでしょう。従いまして、集歌二七四一の歌が遣唐使を送別するような歌としますと、集歌二七四〇の歌もまた、同様なものと考えることが出来るのではないでしょうか。
もう少し、この歌で粘れるかと思いましたが、一首だけで粘るのは無理のようです。今回は、尻切れトンボのような形ですが、これで終わらせて頂きます。