竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

再読、今日のみそひと謌 水

2018年01月31日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 水

集歌1909 春霞 山棚引 欝 妹乎相見 後戀毳
訓読 春霞山したなびきおほほしく妹を相見て後(のち)恋ひむかも
私訳 春霞が山に棚引きはっきりと見えないように、幽かに美しい貴女と知り合った後は恋い慕ってしまいます。

集歌1910 春霞 立尓之日従 至今日 吾戀不止 本之繁家波
訓読 春霞立ちにし日より今日までし吾(あ)が恋やまず本(もと)し繁けば
私訳 貴女に幽かに出会った春霞がたった日から今日まで、私の恋心は止みません。恋い慕う思いが激しいので。

集歌1911 左丹頬經 妹乎念登 霞立 春日毛晩尓 戀度可母
訓読 さ丹つらふ妹を念(おも)ふと霞立つ春日(はるひ)も暮(くれ)に恋ひわたるかも
私訳 頬ほんのりと赤みが挿す愛しい貴女を思い浮かべると、霞が立つ春の一日も朝から暮れまで一日中、思いつめて恋い慕います。
注意 一般には四句目「春日毛晩尓」の「晩」を「暮闇」や「暗」の意味合いを取って、「冬が過ぎ明るい春の光の中でも心は暗く感じる」のような解釈をします。

集歌1912 霊寸春 吾山之於尓 立霞 雖立雖座 君之随意
訓読 たまきはる吾(あ)が山し上(へ)に立つ霞立つとも坐(ゐ)とも君しまにまに
私訳 霊きはる(=新しい年を迎え気が改まる)、その言葉の響きではありませんが、春になって私の住む里の山の上に立ち上る霞、その初めて出会ったときと同じ霞を眺め、立っていても座っていても、貴方を慕い思い込める私の命は貴方の思し召しの通り。

集歌1913 見渡者 春日之野邊 立霞 見巻之欲 君之容儀香
訓読 見渡せば春日し野辺(のへ)し立つ霞見まくし欲(は)しき君し姿か
私訳 見渡すと春日の野辺から眺める山並みに立つ霞、その霞を見たくなるように、逢いたくなるような匂うような貴女の姿です。

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再読、今日のみそひと謌 火

2018年01月30日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 火

集歌1904 梅花 四垂柳尓 折雜 花尓供養者 君尓相可毛
訓読 梅し花しだり柳に折り交(まじ)へ花に供養(たむけ)ば君に逢はむかも
私訳 梅の花をしだれ柳に手折り交ぜて、花祭りに仏に供え祈ったなら貴方に逢えるでしょうか。

集歌1905 姫部思 咲野尓生 白管自 不知事以 所言之吾背
訓読 女郎花(をみなえし)咲く野に生(お)ふる白つつじ知らぬこともち言(い)はえし吾(あ)が背
私訳 女郎花が咲く野に生える白つつじ、その言葉のひびきではありませんが、知(し)らないこと(=身に覚えの無いこと)で噂された私の愛しい貴方。

集歌1906 梅花 吾者不令落 青丹吉 平城之人 来管見之根
訓読 梅し花吾(われ)は散らさじあをによし平城(やまと)し人も来つつ見るしね
私訳 梅の花、私はそれを散らすことはしません。青葉が照り輝く奈良の都にいる人もやって来て眺めるようにと。

集歌1907 如是有者 何如殖兼 山振乃 止時喪哭 戀良苦念者
訓読 かくしあらば何か植ゑけむ山吹の止(や)む時もなく恋ふらく念(おも)へば
私訳 このようなことになるのならどうして植えてしまったのだろう。山吹(ヤムフキ)の花。その言葉の響きではありませんが、止む時もなく山吹の花の咲く時を恋しく願うのなら。

集歌1908 春去者 水草之上尓 置霜乃 消乍毛我者 戀度鴨
訓読 春されば水草(みくさ)し上に置く霜の消(け)つつも我は恋わたるかも
私訳 春がやって来ると水草の上に置く霜が融け消えるように、儚く成就の希望も失くしながらも私は貴女に恋い慕っています。

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再読、今日のみそひと謌 月

2018年01月29日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 月

集歌1899 春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒来鴨
訓読 春されば卯の花ぐたし吾(あ)が越えし妹が垣間(かきま)は荒(あ)れにけるかも
私訳 春がやって来ると卯の花(=有の花)を損ねては私が飛び越えた愛しい貴女の家の垣根は、今は、飛び越える人もなく荒れてしまったようです。

集歌1900 梅花 咲散苑尓 吾将去 君之使乎 片待香花光
訓読 梅し花咲き散る苑(その)に吾(われ)行かむ君し使(つかひ)を片待ちがてり
私訳 梅の花が咲き散る貴方の庭園に私は行きましょう。貴方からの風流への誘いの使いをひたすら待ちながら。

集歌1901 藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在
訓読 藤波(ふぢなみ)し咲く春し野に蔓(つる)葛(ふぢ)し下(した)よし恋ひば久しくもあらむ
私訳 一面に藤の花房が浪のように咲く春の野で、その藤蔓の下のように、表に顕わさずに恋い慕っていると思いが届くのに時間がかかるでしょう。

集歌1902 春野尓 霞棚引 咲花乃 如是成二手尓 不逢君可母
訓読 春し野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
私訳 春の野に霞が棚引き、咲く花がこのように満開になるまで、逢えない貴兄よ。

集歌1903 吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔花之 今盛有
訓読 吾(あ)が背子に吾(あ)が恋ふらくは奥山(おくやま)し馬酔木(あしび)し花し今盛りなり
私訳 私の愛しい貴方に私が恋い慕う、その思いは、奥山に咲く馬酔木の花のように今が盛りです。

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3303

2018年01月28日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌3303

集歌3303 里人之 吾丹告樂 汝戀 愛妻者 黄葉之 散乱有 神名火之 此山邊柄 (或本云 彼山邊) 烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎 七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 里人(さとひと)の 我れに告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる うるはし夫(つま)は 黄葉(もみぢは)の 散り乱(まが)ひたる 神なびの この山辺(やまへ)から (或本には「その山辺」といふ) ぬばたまの 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人ぞ告(つ)げつる
標準 里人が私にこう告げてくれた。あなたの恋い焦がれるあのすばらしい背の君は、もみじ葉の散り乱れている神なびのこの山裾を通って(その山裾を通って)、黒馬に乗って、川の瀬を七瀬も渡って、しょんぼりとした姿でいらっしゃった、そんな姿で夫はでくわしたと、里人が告げてくれた。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 里人(さとひと)し 吾に告(つ)ぐらく 汝(な)し恋ふる 愛(うつく)し妻(つま)は 黄葉(もみぢは)し 散り乱(まが)ひたる 神名火(かむなび)し この山辺(やまへ)から (或本云 その山辺) ぬばたまし 黒馬に乗りて 川し瀬を 七瀬渡りに うらぶれに 妻(つま)は逢ふと 人ぞ告(つ)げつる
私訳 里人が私に告げるには「お前が恋しがる愛しい妻は黄葉の葉と散り交じっている」と。その黄葉が散る神名火のこの山辺の道を通って(或る本に云う、「その山辺」)真っ黒な黒馬に乗って、川の渡りの早い流れの瀬を幾つも渡って来て、見る影もなくなった姿で、「その妻は逢ふだろう」と、人は語ったことよ。

注意 歌は相聞に部立されますが、内容的には精霊馬の行事を詠う挽歌に近いものがあります。原歌表記「愛妻者」と「妻者會登」の「妻」を女性と見るか、男性と見るかで解釈は変わります。伝統では古事記の訓読文の一節を根拠に男性として解釈します。弊ブログでは挽歌的要素で歌を鑑賞し、夏の先祖慰霊の祭りの時(現在のお盆の行事)、死んだ妻の霊が精霊馬に乗ってあの世から帰って来る様を想像しています。それにより、初句と二句目「里人之 吾丹告樂」は「黄葉之 散乱有」までを、末句の「人曽告鶴」はそれ以降の後半部分を示すとし、歌は大きく二部に別れるとしています。このように解釈しているため解釈内容はまったくに違います。

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万葉雑記 色眼鏡 二五一 今週のみそひと歌を振り返る その七一

2018年01月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二五一 今週のみそひと歌を振り返る その七一

 最初に変化球ですが、インターネット上でHP「鳥便り」と云う鳥に関わる幅広い話題と知識を提供するものがあります。そこでは知識として鳥の古名の情報も提供しています。万葉集や古今和歌集を鑑賞する時、手軽に参考とすることが出来ます。大学などの大規模図書館とは縁がない私のようなものにとって大変にありがたいHPの一つです。そのHP「鳥便り」の「鳥へぇ・古名」のホルダーで「犬鶯:おおよしきり」と紹介します。その「おおよしきり」は“体の色がオリーブ褐色でウグイスに似ているが、体はやや大きい。四月下旬に河川やため池などのヨシ原に渡来し、繁殖する。雄は、ヨシの先にとまり、口の中の橙赤色を見せて「ギョギョシ、ギョギョシ」と囀る”と紹介され、鳴き声を聞かなければ鶯の仲間と思われるような大きさと姿をしています。鳥名表記については、江戸時代ではその啼き声から「行行子」や「仰仰子」の当て字で表記され、現代では「大葭切」や「大葦切」と読み易い当て字で表記されています。このオオヨシキリは、春、東南アジアの越冬地から子育てのために日本に飛来し繁殖を行います。そのため、春告げ鳥でもあり、営巣地はその名の通りに葦原です。そのため、湿地帯で稲作をする農民には身近な春告げ鳥と云うことになります。追記参考として、古い図鑑などではオオヨシキリはウグイス科の一種として分類していると思いますが、現代ではヨシキリ科を新たに作り分離したそうです。つまり、古代から近世ではヨシキリとウグイスは区別が難しい近類と考えていたのです。

 さて、鎌倉時代に「犬鶯」と表記する言葉は無いと評論され、歌が変更されたものが万葉集にあります。それが次の歌です。非常に有名な歌で、この歌から色々な場面で使われる「泣き別れ」と云う言葉が生まれています。

校本 春日野 友鶯 鳴別 眷益間 思御吾
訓読 春日野の友鶯の鳴き別れ帰ります間も思ほせわれを
意訳 春日野の妻を求めて鳴く鶯のように泣き別れて、お帰りになる間でも、お思いください。私のことを。

 一方、この歌の校本される前の西本願寺本万葉集での原歌表記は次のようになっています。

集歌1890 春日野 犬鶯 鳴別 春眷益間 思御吾
試訓 春日(はるひ)野(の)し去(い)ぬ鶯(うぐいす)し鳴き別れ春眷(み)ます間(ま)も思(おも)をせわれを
試訳 春の日の輝く野で鶯に似た犬鶯(おおよしきり)が鳴いて飛び去るように、過ぎゆく春をしみじみ懐かしく思う、その折々にも思い出し話題としてください、貴方からは見て身分が低くつまらない私ですが。

 校本歌と集歌で示す原歌を比べて見ますと、斯様に歌の原歌表記も歌が示す世界もまったくに違います。示した校本歌は鎌倉時代からの和歌道に叶うもので、集歌で示す原歌は平安時代中期までのものです。
 新点の歴史からしますと平安時代最末期から鎌倉時代に、犬鶯と云う漢語はない。だから、友鶯の誤記であろうと類聚古集を引用する形から原歌を校訂する作業が始まりました。一方、古語で犬鶯の意味をオオヨシキリのことと認めますと、歌の作歌者柿本人麻呂は「犬鶯」と云う漢字文字に、1.本物では無い偽物の鶯に似た大葦切(オオヨシキリ)と云う鳥の名前、2.「犬」に「去ぬ」の発声を持たした掛詞的な扱いで作歌した可能性、3.本物ではないという意味合いの「犬」から「偽物・つまらないもの」の意味合いを示し相手から見た「吾」をへりくだっているのなどが見出せます。加えて、ウグイスとオオヨシキリとは似た姿をしていますが、オオヨシキリの鳴き声はけたたましく美しくありません。ここから人麻呂は歌を高貴な人に献上していますが言外に作歌した歌が美しくはありませんがとの謙譲の意味合いを持たしている可能性もあります。このように解釈しますと無理に誤記説を導入することなく、歌は原歌表記のままで鑑賞が可能となりますし、その奥行きは校本のものより深くなります。
 他方、校本では犬鶯を友鶯と校訂したため、四句目「春眷益間」の「春」と云う文字は初句の「春日野」と云う言葉からすると和歌として美しくないし、歌意からしても変だとして削ります。結果、校本では二句目と四句目とを校訂して新たに実に新古今和歌調の歌として相応しいものを創りました。これは万葉集の歌が原歌表記から読解できなくなった鎌倉時代、原歌表記に忠実に読み解くよりも藤原定家たちの感覚に叶うようにと歌を詠った結果です。

 さらに追記参考として、歌の末句「思御吾」で使われる「御」と云う漢字文字において、後漢時代に編まれた漢字字典「釋名」では「御、語也」と解説しています。ここから現代日本語において「御」を尊敬語の意味合いを持たせての動詞「かたる=語る」と解釈できると考えます。現代での修飾語「御(おん、ぎょ)」と云う漢字の使い方とは違いますが、柿本人麻呂が生きた時代の万葉時代の漢字用法としてこのような解釈が可能と考えます。およそ、「思御吾」は発声の言葉としますと「おもをせわれを」と尊敬語として解釈できますが、同時に表語文字の力を利用して「私のことを思い出し、話題として下さい」と云う意味合いも導き出されます。これは人麻呂特有の漢字文字の用法と考えます。
 さらに「御、語也」の解説から派生しまして、万葉集の標題に使われる詞「御製歌」は「御(かた)りて製(つく)らしし歌」と訓じるものですし、「御歌」は「御(かた)りしし歌」と訓じるものと考えます。従来的な解釈とは違いますが、漢語・漢字本来の語源からしますと、このような解釈の展開が可能となります。

 ご存じのように万葉集は漢語と表語文字である万葉仮名と云う漢字だけで表現された和歌です。意味を持つ表語文字である漢字文字の力を完全に排除し、音漢字となる万葉仮名だけで表記した古今和歌集や後撰和歌集とは違います。その万葉集の歌の中でも柿本人麻呂の作歌は漢字文字の扱いが独特です。ここでは集歌1890の歌を中心に紹介しましたが、今週に扱った歌でも次のような歌々があり、漢字文字の解釈により大きく歌意が揺らぎます。

集歌1889 吾屋前之 毛桃之下尓 月夜指 下心吉 菟楯項者
訓読 吾(あ)が屋前(やと)し毛桃(けもも)し下に月夜(つくよ)さし下心(したこころ)良(よ)しうたてし今日(けふ)は
私訳 私の家の前庭にある毛桃の木の下に月明りが射し、気分は良い。日頃と違い今日は。
注意 原歌の「菟楯項者」の「項」は一般に「頃」の誤字として「うたてこのころ」と訓みますが、ここでは「項」の漢字が持つ音の「キョウ」と意味の「うなじ、くび」から、ままに訓みました。なお、万葉集では室原の毛桃が有名で、この室原は現在の宇陀市室生と推定されています。すると、末句「菟楯項者」の「菟」と「楯」には菟田で詠われた久米歌「楯並(たたなめ)て伊那佐(いなさ)の山の・・・」があるかもしれません。

集歌1895 春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
訓読 春さればまづ三枝(さきくさ)し幸くあらば後(ゆり)にも逢はむな恋そ吾妹(わぎも)
私訳 春がやって来ると、まず咲く、その言葉のひびきではないが、率川の三枝神社の百合が咲くように、その言葉のように、二人の仲に幸(さく)があるならば、また後(ゆり)に逢いましょう。恋しい私の貴女。
注意 原歌の「三枝」については「ミツマタ」、「ユリ」等の諸説がありますが、ここでは言葉遊びからも古語に“後”の意味をも持つ「ユリ」を採用しています。三枝神社の御神体である媛蹈韛五十鈴姫命縁起からしますと「ユリ」は笹ユリを示すようです。

 今回もまた与太話です。標準訓でも一般的な解釈でもありません。あくまでも学問から切り離された社会人の与太話、遊びとしてご笑納下さい。学生さんには、このような遊びは向きません。
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