竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

遣新羅使歌を鑑賞する 筑紫より廻り来りて海路より京に入らむ歌

2010年02月19日 | 万葉集 雑記
筑紫より廻り来りて海路より京に入らむとし、播磨國の家嶋に到りし時に作れる歌五首
 可能性として天平九年正月、大使は従五位下阿倍朝臣継麻呂(途中、病死)

 集歌 3719の歌に「言ひしを年の経ぬらく」を捉えての天平八年四月に新羅に派遣された遣新羅大使阿倍継麻呂の一行です。帰路の途中に大使阿倍継麻呂は津島で停泊中に病没し、副使の大伴三仲は伝染病に罹病したために奈良の京に入ることなく配下を含めて四十名余りが足止めにされています。このような支障があったために、例年ですと十二月中に帰国すべきところが遅れ、年を越したものと思われます。

廻来筑紫海路入京、到播磨國家嶋之時作歌五首

標訓 筑紫より廻(まは)り来りて海路(うなぢ)より京(みやこ)に入らむとし、播磨國の家嶋に到りし時に作れる歌五首


集歌 3718 伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓

訓読 家島(いへしま)は名にこそありけれ海原(うなはら)を吾(あ)が恋ひ来つる妹もあらなくに

私訳 私の家、家島は名だけにあるようです。海原を私が恋しく還って来たのだが、ここには私の貴女がいないので、


集歌 3719 久左麻久良 多婢尓比左之久 安良米也等 伊毛尓伊比之乎 等之能倍奴良久

訓読 草枕旅に久しくあらめやと妹に云ひしを年の経(へ)ぬらく

私訳 草を枕にするような旅は長くはないでしょうと、貴女に云ったのですが新しい年を経てしまった。


集歌 3720 和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母

訓読 吾妹子を行きて早(はや)見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも

私訳 私の愛しい貴女の所に行って早く逢いたいと、淡路島の雲の彼方に見える、家に着くらしい。


集歌 3721 奴婆多麻能 欲安可之母布弥波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武

訓読 ぬばたまの読ぬばたまの夜(よ)明(あか)しも船は漕ぎ行かな御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ

私訳 漆黒の夜を明かしても船よ漕ぎ行こう、御津の浜松は私たちを待ち焦がれているでしょう。


集歌 3722 大伴乃 美津能等麻里尓 布祢波弖々 多都多能山乎 伊都可故延伊加武

訓読 大伴の御津(みつ)の泊りに船(ふな)泊(は)てて龍田(たつた)の山をいつか越え行かむ

私訳 大伴の御津の泊りに船を停泊させて、龍田の山を朝廷の帰国の報告のお召があって何時に越えて行くのだろう。

 和歌を和歌として楽しんで、その感じた季節感に対して素直に歴代の遣新羅使の日程と照らし合わせると、このような酔論が導き出されました。さて、色々と酔論をしましたが、皆さんは、どのように感じられましたか。このような解釈も成り立つとすると、まだまだ、万葉集の解釈は奥が深いようですし、普段の万葉集の解説には少し照れるところがあります。

 最後に単純な疑問があります。万葉集の研究家は「万葉集の目録の成立時期とその製作者」を調査・比定する作業は、未だに最終の結論を得ていないことを知っています。さらに、その「万葉集の目録の成立時期とその製作者」を調査・比定する作業の前提条件になるべき作業としての原万葉集自体が二十巻本であるのか、どうかや、その成立後の変遷自体を調査・比定する作業自体が、現在も行われていることを知っています。
 こうしたとき、「万葉集の目録」が絶対性を持って正しいものとして、その目録から万葉集の本文を解釈する行為は、学問的に成り立つのでしょうか。万葉集の目録は信頼性が担保されていないと云う認識が万葉集の研究者の間に存在するとき、目録に示す天平八年六月から判断して万葉集の原文の歌の季節感が異常であるとか、誤記や誤字であると云うような議論は、どうして成立するのでしょうか。学校を出ていない作業員には、どうしても、理解出来ない世界です。
 ご存知のように、現在の多数決での「遣新羅使歌」の研究や解説は、「万葉集の目録」に記載される「天平八年六月」の年月を前提に議論されています。


 長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
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遣新羅使歌を鑑賞する  對馬嶋の歌

2010年02月18日 | 万葉集 雑記
對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時の歌三首
 可能性として養老三年八月下旬、大使は従六位下白猪史広成

 養老三年八月八日に奈良の京を出発し、ここに到着したのは八月下旬と推定しています。同じ浅茅湾の風景ですが「對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時」と「竹敷の浦に舶泊せし時」では、黄葉の様子が違います。私には「對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時」の方が、黄葉が浅いように感じられます。それで、別々の遣新羅使としています。

到對馬嶋淺茅浦舶泊之時、不得順風、經停五箇日。於是瞻望物華、各陳慟心作歌三首

標訓 對馬嶋の淺茅浦に到りて舶(ふな)泊(はて)せし時に、順風を得ずして經停(とど)まれること五箇日(いつか)なり。ここに物華(ぶつか)を瞻望(せんぼう)し、各(おのおの)の慟(いた)める心(おもひ)を陳(の)べて作れる歌三首


集歌 3697 毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里

訓読 百(もも)船(ふね)の泊(は)つる対馬の浅茅山(あさちやま)しぐれの雨にもみたひにけり

私訳 多くの船が泊まる対馬の浅茅山、しぐれの雨にも黄葉した。


集歌 3698 安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流

訓読 天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける

私訳 奈良の京から遥か離れた田舎にも月は照るのだけぢ、貴女とは遥か遠く離れてやって来た。


集歌 3699 安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟

訓読 秋去れば置く露霜に堪(あ)へずして京の山は色づきぬらむ

私訳 秋がやって来ると天から地に置く露霜にあらがえずに奈良の京の山は色付くでしょう。



竹敷の浦に舶泊せし時の歌十八首
 可能性として神亀元年九月下旬、大使は従五位下土師宿禰豊麻呂

 季節はすっかり黄葉の散りの乱いで。そして、集歌 3716の歌は「九月の黄葉の山もうつろふ」と詠いますから、晩秋でもうすぐ冬十月です。また、集歌 3717の歌の「喪なく早来と」の表現から、旅の途中でこんな表現が許されるのは、壱岐で雪連宅満を失くした一行だけと思います。
 そして、神亀元年の遣新羅使以外に、この時期を北に向かう使いはいません。例年は北風に追われるように大和へ還ります。それで、神亀元年の遣新羅大使土師宿禰豊麻呂の一行です。


竹敷浦舶泊之時、陳心緒作歌十八首

標訓 竹敷の浦に舶(ふな)泊(はて)せし時に、心緒(おもひ)を陳(の)べて作れる歌十八首

集歌 3700 安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母

訓読 あしひきの山下光る黄(もみち)葉(は)の散りの乱(まが)ひは今日にもあるかも

私訳 葦や檜の茂る山の木の下で光る黄葉の散る乱れる景色は、今日もありでしょうか。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3701 多可之伎能 母美知乎見礼婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曽伎尓家流

訓読 竹敷(たかしき)の黄葉(もみち)を見れば吾妹子が待たむと云ひし時ぞ来にける

私訳 竹敷の黄葉を見ると私の愛しい貴女が、私の還りを待っていると云ったその時が来てしまった。
右一首、副使
左注 右の一首は、副使


集歌 3702 多可思吉能 宇良末能毛美 知礼由伎弖 可敝里久流末弖 知里許須奈由米

訓読 竹敷(たかしき)の浦廻(うらみ)の黄葉(もみち)吾(あ)れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ

私訳 竹敷の湊付近の黄葉よ、私が行って還って来るまで散ってしまうな、きっと。
右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官


集歌 3703 多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞

訓読 竹敷(たかしき)の宇敝可多(うへかた)山(やま)は紅(くれなゐ)の八しほの色になりにけるかも

私訳 竹敷の宇敝可多山は紅のたくさんに染めた色になったようです。
右一首、小判官
左注 右の一首は、小判官


集歌 3704 毛美知婆能 知良布山邊由 許具布祢能 尓保比尓米弖弖 伊弖弖伎尓家里

訓読 黄(もみち)葉(は)の散らふ山辺(やまへ)ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり

私訳 黄葉の散る落ちる山辺に漕ぐ船は、山が黄葉で染まるのを愛でるように出港して来たようです。


集歌 3705 多可思吉能 多麻毛奈比可之 己伎弖奈牟 君我美布祢乎 伊都等可麻多牟

訓読 竹敷(たかしき)の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君が御船(みふね)をいつとか待たむ

私訳 竹敷の海中に美しい藻を靡かして漕ぎ出て行かれる貴方の乗る御船が、いつここへ還っていらっしゃるかと待っていましょう。
右二首、對馬娘子名玉槻
左注 右の二首は、對馬の娘子(をとめ)名は玉槻


集歌 3706 多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和礼由久 可反流左尓見牟

訓読 玉敷ける清き渚(なぎさ)を潮満てば飽(あ)かず吾(あ)れ行く帰(かへ)るさに見む

私訳 玉を敷くような清らかな渚に潮が満ちて来ると、渚を愛でることに飽きることがない私は出発しよう。また、ここに還って来て見ましょう。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3707 安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎礼婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久尓

訓読 秋山の黄葉(もみち)をかざし吾(あ)が居れば浦(うら)潮(しほ)満ち来いまだ飽(あ)かなくに

私訳 秋山の黄葉を髪に挿して、私がここに居ると浦に潮が満ちて来た。まだ、この風景に飽きてはいないのに。
右一首、副使
左注 右の一首は、副使


集歌 3708 毛能毛布等 比等尓波美要緇 之多婢毛能 思多由故布流尓 都奇曽倍尓家流

訓読 物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経(へ)にける

私訳 貴女に恋して物思いをしていると人は気が付かないでしょうが、下に結ぶ紐の下、私がした貴女への恋心に月日が経ってしまった。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3709 伊敝豆刀尓 可比乎比里布等 於伎敝欲里 与世久流奈美尓 許呂毛弖奴礼奴

訓読 家づとに貝を拾(ひり)ふと沖(おき)辺(へ)より寄せ来る波に衣手濡れぬ

私訳 家への土産に貝を拾おうとして、沖から打ち寄せる来る波に私の衣の袖が濡れた。


集歌 3710 之保非奈波 麻多母和礼許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴

訓読 潮干(しほひ)なばまたも吾(あ)れ来むいざ行かむ沖つ潮騒(しほさゐ)高く立ち来ぬ

私訳 潮が干いたならば、また、私は来ましょう。さあ、行こう、沖からの満ちてくる潮騒の音が高く立ってやって来る。


集歌 3711 和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比 等良受波由可自

訓読 吾(あ)が袖は手本(たもと)通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ

私訳 私の腕は、衣の袖口を通して濡れたとしても、苦しい恋を忘れさせる恋忘貝を拾っていかないでは他へは行けない。


集歌 3712 奴波多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久尓 和我許呂母弖乎 奴礼弖伊可尓勢牟

訓読 ぬばたまの妹が乾(ほ)すべくあらなくに吾(あ)が衣手(ころもて)を濡れていかにせむ

私訳 漆黒の夜に人に知られず逢う貴女が乾してくれるのではないので、私の衣の袖口が濡れてしまって、どうしよう。


集歌 3713 毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆

訓読 黄(もみち)葉(は)は今はうつろふ吾妹子が待たむと云ひし時の経(へ)ゆけば

私訳 黄葉は、今は木々の色が日々変わって逝く。私の愛しい貴女が私の還りを待つと云った時は経ってゆく。


集歌 3714 安藝佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞

訓読 秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも

私訳 秋がやって来ると恋しい貴女を夢だけでも長く見たいと思うのに、夜は明けてしまったようだ。


集歌 3715 比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多礼可毛由波牟 伊敝杼保久之弖

訓読 一人のみ着寝る衣(ころも)の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして

私訳 一人で着て寝る衣の紐を解くと、誰が再び結んでくれるのでしょう、家を遠くにして。


集歌 3716 安麻久毛能 多由多比久礼婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比尓家里

訓読 天雲のたゆたひ来れば九月(ながつき)の黄葉(もみち)の山もうつろひにけり

私訳 天雲が豊かに流れて来ると九月の黄葉の山の木々の彩りは移り逝った。


集歌 3717 多婢尓弖母毛 奈久波也許等 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞

訓読 旅にても喪(も)なく早(はや)来(こ)と吾妹子が結びし紐は褻(な)れにけるかも

私訳 旅の道中で、不幸なことがなく早く還って来いと私の愛しい貴女が結んでくれた契の紐は、よれよれに古びてしまったようだ。
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遣新羅使歌を鑑賞する  壹岐の嶋

2010年02月15日 | 万葉集 雑記
壹岐の嶋に至りて雪連宅滿の忽かに死去りし時に作れる謌
 可能性として神亀元年九月下旬、大使は従五位上土師宿禰豊麻呂

 雪連宅満が亡くなったのは、萩の花が散り尾花は咲くころ合いです。山の木々はもう黄葉しています。季節は仲秋から晩秋でしょうか。それで、神亀元年の遣新羅使の一行と推定しています。本来なら、遣新羅使は帰国の時期ですが、この神亀元年の遣新羅使はこれから新羅へと向かうのです。それで、集歌 3696の歌は「新羅へか家にか帰る壱岐の島」との表現と思います。


至壹岐嶋、雪連宅滿忽遇鬼病死去之時作謌一首并短謌

標訓 壹岐の嶋に至りて、雪連宅滿の忽(には)かに鬼病(かみのやまひ)に遇(あ)ひて死去(みまか)りし時に作れる謌一首并せて短謌

集歌 3688 須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國尓 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多祢可 多太末可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知祢能 波々尓麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴礼婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝比等波 麻知故布良牟尓 等保能久尓 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我祢乃 安良伎之麻祢尓 夜杼理須流君

訓読 大王(すめろぎ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 韓国(からくに)に 渡る吾(あ)が背は 家人(いへひと)の 斎(いは)ひ待たねか 正身(ただみ)かも 過(あやま)ちしけむ 秋去らば 帰りまさむと たらちねの 母に申(まを)して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離(さか)りて 岩が根の 荒き島根に 宿(やど)りする君

私訳 大王の遠の朝廷から韓国に渡ろうとする私の貴方は、家の人が神を斎って貴方を待っていないのか、それとも、貴方の身に過ちがあったのか、秋がやって来ると還って来るでしょうと、乳をくれた母に告げ、その時も過ぎ月も経ったので、今日か還って来る、明日か還って来ると家の人は待っていたのに、遠い国に未だ着かず大和をも遠く離れて、岩の陰の荒い島の陰に身を休めている貴方。


反歌二首
集歌 3689 伊波多野尓 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和礼乎 等婆波伊可尓伊波牟

訓読 岩田野(いはたの)に宿(やと)りする君家人(いへひと)のいづらと吾(あ)れを問ばはいかに言はむ

私訳 岩田野に身を横たえる貴方。貴方の家の人が「どこにいますか」と私を問うたら、どのように答えましょうか。


集歌 3690 与能奈可波 都祢可久能未等 和可礼奴流 君尓也毛登奈 安我孤悲由加牟

訓読 世間(よのなか)は常かくのみと別れぬる君にやもとな吾(あ)が恋ひ行かむ

私訳 この世の中は常にこのようなものですと、死に別れた貴方。訳もなく私は貴方を偲んで行きましょう。
右三首、挽歌
左注 右三首は、挽歌


集歌 3691 天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安左都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊弖見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登能奈氣伎婆 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布疑弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟

訓読 天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離(はな)れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来(き)経(へ)ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手(ころもて)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間(よのなか)の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺きて 雲(くも)離(はな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜の 寒き山辺(やまへ)に 宿りせるらむ

私訳 天地と共に一緒にと思っていたのですが、愛しい家を離れて浪の上を、苦しみながらやって来て、月も改まり月日は過ぎ経り、雁も次々と連なり飛び来て鳴くと、乳をくれた母や妻たちも、朝露に衣の裳の裾を濡らし、夕霧に衣の袖を濡らして、旅の貴方に幸があるようにと、門の外に出て貴方を待っているものを、世の中の人の嘆きを思いもよらない貴方なのでしょうか、秋萩の花散る野辺の初尾花の草で仮の小屋を葺いて、雲が流れ去る遠い国辺の露霜の降りる寒い山辺に身を横たえているのか。


反歌二首
集歌 3692 波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加尓 麻都良牟伎美也 之麻我久礼奴流

訓読 はしけやし妻も子どもも高々(たかだか)に待つらむ君や島隠れぬる

私訳 愛しい妻や子たちも高々に還りを待っているでしょう。貴方は島に隠れてしまう。


集歌 3693 毛美知葉能 知里奈牟山尓 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母

訓読 黄(もみち)葉(は)の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも

私訳 黄葉した木の葉の散って行く山に身を横たえる貴方の還りを待つ人は悲しいことです。
右三首、葛井連子老作挽歌
左注 右の三首は、葛井連子老の作れる挽歌


集歌 3694 和多都美能 下之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母 毛奈久由可牟登 由吉能 安末能保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武土須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美

訓読 わたつみの 畏(かしこ)き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪(も)なく行かむと 壱岐の 海人(あま)の上手(ほつて)の占部(うらへ)を かた焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路(そらぢ)に 別れする君

私訳 渡す海の、大王の御命じになった道を心休まることもなくやって来て、今からは人との別れも無く無事に行こうと、壱岐の海人の上手な占部が今後の吉凶を象に焼き占って行こうとすると、夢のようにこれからの道の空に私たちに別れをする貴方です。


反歌二首
集歌 3695 牟可之欲里 伊比都流許等乃 可良久尓能可良 久毛己許尓 和可礼須留可聞

訓読 昔より云ひける事の韓国(からくに)のからくもここに別れするかも

私訳 昔から云ったように韓国の言葉のように辛くても、ここに貴方と別れをしよう。


集歌 3696 新羅奇敝可 伊敝尓可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可祢都母

訓読 新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐(いき)の島行(ゆ)かむたどきも思ひかねつも

私訳 新羅へか、家へにか、帰るか行くかの壱岐の島、行くことも自体も思案してしまう。
右三首、六鯖作挽歌
左注 右の三首は、六鯖の作れる挽歌

 参考に、雪連宅満の死因である「鬼病」を天然痘や麻疹と解説するものもありますが、鬼病は雰囲気的に予兆の無い突然の死病と理解するようで、現在の感覚では脳卒中や心臓麻痺に近いものではないでしょうか。天然痘や麻疹のように皮膚等に特徴が現れたり、ある期間に渡って闘病をするようなものではなかったとおもわれます。逆に、良くある疫病死ではなく、突然死であったことが、不吉な予感がしたのではないでしょうか。なお、神亀元年の従五位下土師宿禰豊麻呂の遣新羅使は、新羅への天皇譲位を告げる重大な使いです。その新帝に襲い来る突然の不幸を予兆させる事件です。
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遣新羅使歌を鑑賞する 韓亭の歌六首

2010年02月13日 | 万葉集 雑記
韓亭の歌六首
 可能性として天平四年七月十五日頃、大使は従五位下角朝臣家主

 筑紫那津で七夕の夜を受けての韓亭での十五夜の歌と推定しています。それで、標の「時夜月之光皎々流照」の序ではないでしょうか。


到筑前國志麻郡之韓亭、舶泊經三日。於時夜月之光皎々流照。奄對此花旅情悽噎、各陳心緒聊以裁歌六首
標訓 筑前國の志麻郡の韓亭に到りて、舶泊て三日を經たり。時に夜の月の光皎々(こうこう)として流照(てら)す。奄(たちま)ちに此の花に對して旅情(りょじょう)悽噎(せいいつ)し、各(おのおの)の心緒(おもひ)を陳べて聊(いささ)かに裁(つく)れる歌六首

集歌 3668 於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母

訓読 大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも

私訳 ここを大王が治められている奈良の京と同じような遠い朝廷と思ってみても、旅の日々が長くなると貴女に恋しい気持ちになります。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3669 多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟

訓読 旅にあれど夜は火(ひ)燭(とも)し居る吾(あ)れを闇(やみ)にや妹が恋ひつつあるらむ

私訳 旅路にいるのですが夜は灯を燭して居る私を、心の闇の中に貴女は私を恋しく想っているのでしょうか。
右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官


集歌 3670 可良等麻里 能許乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之

訓読 韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦(うら)波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし

私訳 韓亭の能許の浦に波が立たない日はあったとしても、家に残す貴女を恋しく思わない日はありません。


集歌 3671 奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎

訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを

私訳 漆黒の夜を渡って行く月であったならば、家にいる貴女の顔を照らすように逢ってこられるのですが。


集歌 3672 比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由

訓読 ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁(いさり)は燭(とも)し合へり見ゆ

私訳 遥か彼方の月は照っている、海には絶えず海人の漁をする燭し火を付けているのが見える。


集歌 3673 可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流

訓読 風吹けば沖つ白波恐(かしこ)みと能許(のこ)の亭(とまり)に数多(あまた)夜ぞ寝(ぬ)る

私訳 風が吹くと沖の白波を畏怖して、能許の亭に数日の夜を過ごす。



引津亭の歌七首
 可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主

 秋萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。

引津亭舶泊之作歌七首
標訓 引津の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せしに作れる歌七首

集歌 3674 久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛

訓読 草枕旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿(しか)鳴くも

私訳 草を枕にするような旅を苦しみ、貴女に恋しく居ると、可也の山辺に牡鹿が同じように妻を求めて鳴くようです。


集歌 3675 於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母

訓読 沖つ波高く立つ日にあへりきと京の人は聞きてけむかも

私訳 沖の波が高く立つ日々に難渋していると、奈良の京の人は噂にも聞くでしょうか
右二首、大判官
左注 右の二首は、大判官


集歌 3676 安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都牙夜良武

訓読 天飛ぶや雁を使(つかひ)に得てしかも奈良の京に事(こと)告(つ)げ遣(や)らむ

私訳 空を飛ぶ雁を使いに手に入れたいものだ、奈良の京にここでの出来事を知らせてやりたい。


集歌 3677 秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆

訓読 秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば

私訳 秋の野を飾る萩の花は咲いたけれど見てもどうしようもない。旅の途中にいるので。


集歌 3678 伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖

訓読 妹を思ひ寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに秋の野にさを鹿(しか)鳴きつ妻思ひかねて

私訳 貴女を想い寝るのに寝られない秋の野に、牡鹿が鳴いている。妻を恋しく想って。


集歌 3679 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流

訓読 大船に真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き時待つと吾(あ)れは思へど月ぞ経(へ)にける

私訳 大船の艫に立派な舵を挿し込む時を待つと私は思っているのだが、月日だけが過ぎて逝く。


集歌 3680 欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母

訓読 夜(よ)を長(なが)み寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬにあしひきの山彦(やまひこ)響(とよ)めさ男鹿(をしか)鳴くも

私訳 夜が長い。私は恋しくて寝るに寝られずに、葦や檜が繁る山の山彦よ響け、妻を呼び立てる牡鹿が鳴いている。



狛嶋亭の歌七首嶋亭の歌七首
 可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主

 集歌 3681の歌の「秋萩薄散りにけむかも」の語感から、季節はまだ青い萩薄であることが推定されますが、その萩薄が咲き散るころに戻って来るようです。「新羅使を送る使」では無い本格的な遣新羅使の旅程では、ここから旅立って日本に戻って来るまではおよそ五か月先のことです。そこからの推定です。

肥前國松浦郡狛嶋亭舶泊之夜、遥望海浪、各慟旅心作歌七首
標訓 肥前國の松浦郡の狛嶋(こましま)の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せし夜に、遥かに海の浪を望みて、各(おのおの)の旅の心を慟(いたま)しめて作れる歌七首

集歌 3681 可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞

訓読 帰り来(き)て見むと思ひし吾(あ)が宿の秋(あき)萩薄(すすき)散りにけむかも

私訳 無事に帰って来たら見ようと思った私家の秋のススキは散ってしまうだろう。
右一首、秦田麿
左注右の一首は、秦田麿


集歌 3682 安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母

訓読 天地(あまつち)の神を祈(こ)ひつつ吾(あ)れ待たむ早来(はやき)ませ君待たば苦しも

私訳 天地の神に祈って、私は待ちましょう。早く帰って来て下さい。貴方のお還りを待つと気持ちが辛い。
右一首、娘子
左注右の一首は、娘子(をとめ)


集歌 3683 伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自

訓読 君を思ひ吾(あ)が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避(よ)くる日もあらじ

私訳 貴女を想い私が恋していると、貴女に対して新しい月が来る度に立てる物忌みのように貴女に忌諱する日はありません。


集歌 3684 秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可

訓読 秋の夜(よ)を長みにかあらむなぞここば寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬも一人寝(ね)ればか

私訳 秋の夜を長くと思う、どうしてこのように寝るのに寝られないのだろう、独りで寝るからか。


集歌 3685 多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都敝伎 月者倍尓都々

訓読 足(たらし)姫(ひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦の海(うみ)妹が待つべき月は経(へ)につつ

私訳 足姫の御船を泊めたでしょう松浦の海、貴女が私に再び逢う日を待つでしょう、その月は経ってしまった。


集歌 3686 多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母

訓読 旅なれば思ひ絶(た)えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも

私訳 旅の途中なので、恋心は断っているのですが、家にいる貴女を想うとかなしくなります。


集歌 3687 安思必奇能 山等妣古田留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢

訓読 あしひきの山飛び越ゆる鴈がねは京に行かば妹に逢(あ)ひて来(こ)ね

私訳 葦や桧の茂る山を飛び越える雁が奈良の京に行ったならば、私の恋人に逢って来い。
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遣新羅使歌を鑑賞する 筑紫舘の歌四首

2010年02月10日 | 万葉集 雑記
筑紫舘の歌四首
 可能性として天平四年七月七日 大使は従五位下角朝臣家主

 集歌3655の歌の「今よりは秋づきぬらし」の言葉に注目すると、ここで暦での初秋の七月を迎えたようです。ただし、七月一日から暫らくの日が経って秋が感覚として感じられる「秋づきぬ」と暦での七月一日前後の「秋たつ、秋されば」との違いをとっています。
すると、天平四年六月二十六日に奈良の京を出発した遣新羅大使角朝臣家主を代表とする一行が、一番の候補となります。ただし、集歌3654の歌の「可之布江に鶴」の詞が示す季節感に不安はあります。

至筑紫舘遥望本郷、悽愴作歌四首

標訓 筑紫の舘(たち)に至りて遥(はるか)に本郷(もとつくに)を望みて、悽愴(いた)みて作れる歌四首

集歌3652 之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母

訓読 志賀の海人(あま)の一日もおちず焼く塩のからき恋をも吾(あ)れはするかも

私訳 志賀島の海人の一日も絶えず焼く塩のような、辛い恋を私は絶えずするのでしょうか。


集歌3653 思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝比等能 麻知古布良牟尓 安可思都流宇乎

訓読 志賀の浦に漁りする海人(あま)家人(いへひと)の待ち恋ふらむに明(あ)かし釣る魚(うを)

私訳 志賀の浦で漁りする海人、家族が待っているだろうに夜を明かして魚を釣る。


集歌3654 可之布江尓 多豆奈吉和多流 之可能宇良尓 於枳都之良奈美 多知之久良思母

訓読 可之布江(かしふえ)に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来(く)らしも

私訳 可之布の入江で鶴が鳴きながら飛び渡る、志賀の浦に沖からの白波が立って来るらしい。
一云、美知之伎奴久良思
左注 一云はく 満ちし来ぬらし


集歌3655 伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴

訓読 今よりは秋づきぬらしあしひきの山(やま)松蔭(まつかげ)にひぐらし鳴きぬ

私訳 今日からは秋らしくなるらしい。葦や檜が繁る山の松の蔭にひぐらしが鳴いている。



七夕の歌三首
 可能性として天平四年七月七日 大使は従五位下角朝臣家主

 遣新羅使は筑紫那津で七夕の夜を迎えています。律令規定では奈良の京から大宰府まで下りで十五日の旅程ですから、遣新羅使は六月中旬頃に奈良の京を出発しています。ここから、天平四年六月二十六日に奈良の京を出発した角朝臣家主を遣新羅大使とする一行が該当します。非常に順当な旅路です。

七夕仰觀天漢、各陳所思作歌三首

標訓 七夕(なぬかのよ)に天漢(あまのかは)を仰ぎ觀て、各(おのおの)の所思(おもひ)を陳(の)べて作れる歌三首

集歌3656 安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆

訓読 秋萩ににほへる吾(あ)が裳(も)濡れぬとも君が御船(みふね)の綱し取りてば

私訳 秋萩が衣に咲いている私の裾裳が濡れたとしても、(彦星を引き寄せるために)彦星の貴方の乗る御船の引き綱を手に取るのなら。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌3657 等之尓安里弖 比等欲伊母尓安布 比故保思母 和礼尓麻佐里弖 於毛布良米也母

訓読 年にありて一夜(ひとよ)妹に逢ふ彦星(ひこほし)も吾(あ)れにまさりて思ふらめやも

私訳 一年中で一夜だけ、恋人に逢う彦星も私以上に恋人を想うのでしょか。


集歌3658 由布豆久欲 可氣多知与里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐

訓読 夕月夜(ゆふつくよ)影(かけ)立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人(ふなひと)を見るが羨(とも)しさ

私訳 (恋人同士が)夕月に照らされ夜に人影を寄り添わせ天の川で船を漕ぐ舟人を見る、それが羨ましい。


海邊に月を望みて作れる歌九首
 可能性として天平四年七月中旬 大使は従五位下角朝臣家主

 集歌3584と3585の歌と集歌3666と3667の歌は、「形見の衣」で関連歌の関係にあります。また、集歌3659の歌の「秋風」を初秋の秋風と取っています。まだ、旧暦での仲秋八月の歌の世界ではないとする想像です。こうしたとき、初秋に筑紫那津に滞在する可能性があるのは、天平四年の遣新羅使の一行です。

海邊望月作九首
標訓 海邊に月を望みて作れる九首

集歌3659 安伎可是波 比尓家尓布伎奴 和伎毛故波 伊都登可和礼乎 伊波比麻都良牟

訓読 秋風は日(ひ)に日(け)に吹きぬ吾妹子はいつとか吾(あ)れを斎(いは)ひ待つらむ

私訳 秋風は日一日と吹いてきた、私の愛しい貴女は、何時還って来るのかと私の無事の望みを託す神を斎って待っているでしょう。
大使之第二男
左注 大使の第二男(なかちこ)


集歌3660 可牟佐夫流 安良都能左伎尓 与須流奈美 麻奈久也伊毛尓 故非和多里奈牟

訓読 神さぶる荒津(あらつ)の崎に寄する波(なみ)間(ま)無(な)くや妹に恋ひわたりなむ

私訳 神がいらっしゃる荒津の岬に寄せ来る波が間無いように、私は貴女に間無く恋しています。
右一首、土師楯足
左注 右の一首は、土師楯足


集歌3661 可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴

訓読 風の共(むた)寄せ来る波に漁(いさり)する海人(あま)娘子(をとめ)らが裳の裾濡れぬ

私訳 風と共に寄せて来る磯の波間で漁りする海人娘子たちの裳の裾が濡れている。

一云、安麻乃乎等賣我 毛能須蘇奴礼奴

私訳 一は云はく、海人(あま)娘子(をとめ)が裳の裾濡れぬ


集歌3662 安麻能波良 布里佐氣見礼婆 欲曽布氣尓家流 与之恵也之 比等里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母

訓読 天の原振り放け見れば夜ぞ更けにけるよしゑやし一人寝る夜(よ)は明けば明けぬとも

私訳 天の原を仰ぎ見ると夜が更けていく、えい、ままよ、一人寝る夜はこのまま明けたら明けたでかまわない。
右一首、旋頭歌也
左注 右の一首は、旋頭歌なり


集歌3663 和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍尓都追

訓読 わたつみの沖つ縄(なは)海苔(のり)来る時と妹が待つらむ月は経(へ)につつ

私訳 渡す海の沖の縄海苔を繰り取るように、貴方が私の所へ帰って来る時と貴女が待つでしょう、その月日は過ぎて逝くが。


集歌3664 之可能宇良尓 伊射里須流安麻 安氣久礼婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由

訓読 志賀の浦に漁(いさり)する海人(あま)明け来れば浦廻(うらみ)漕ぐらし楫の音聞こゆ

私訳 志賀の浦で漁をする海人が、夜が明けて来ると湊の付近を漕ぐらしい。その舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。


集歌3665 伊母乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我祢曽奈久

訓読 妹を思ひ寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに暁(あかとき)の朝霧隠(こも)り雁がねぞ鳴く

私訳 貴女を想い寝るに寝られないままに、暁の朝霧の中で姿が見えないがきっと雁でしょうが、その鳥が鳴く。


集歌3666 由布佐礼婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟

訓読 夕されば秋風寒し吾妹子が解き洗ひ衣(ころも)行きて早着む

私訳 夕方がやって来ると秋風が寒い、私の愛しい貴女が貴女との契りで結んだ私の衣の紐を貴女の閨で解いて、そして洗った清々しい衣を貴女の許に行って早く着たい。


集歌3667 和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見礼婆

訓読 吾(あ)が旅は久しくあらしこの吾(あ)が着(け)る妹が衣(ころも)の垢(あか)つく見れば

私訳 私の旅は久しくなったようだ、この私が着る契りの貴女の形見の衣に付く垢を見ると。

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