竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3225の歌

2010年02月28日 | 万葉集 旧読解
集歌3225の歌
 寒風吹きすさぶ泊瀬の川の景色と読みました。当然、普段の解説とは真反対の解釈です。本来は、泊瀬川の国土祝福と解釈するようですが、私にはその感覚がありません。隠口の泊瀬は、死者を送って行く野辺です。冬の風の中の葬送の一行の想いと解釈する方が、自然だと思いますが、皆さんは、どのように思われますか。
 この歌の区分は雑歌ですが、常に土地を詠う歌が寿ぎ歌とはならないと思っています。この歌は挽歌ではないでしょうが、葬送の野辺を行った人々の悲しみの心を詠う歌もあるとする立場です。
 こうした時、万葉集には似た風景を詠った歌があります。それは、石田王が亡くなられた時の挽歌の或る本の反歌として紹介されている集歌425の歌です。石田王は推定で弓削皇子と紀皇女との間の御子ではないかと推定され、文武天皇の大宝年間では有力な皇太子候補の一人でした。その彼が亡くなられた折り、晩年の柿本人麻呂が挽歌を創ったとの伝承もありますから、相当な規模と格調での葬送の儀が行われたと推定されます。私は、集歌3225の歌は、その野辺送りの風景を詠った歌の可能性もあると思っています。
 参考に「石田王卒之時」と石田王は紹介されますから、生前の彼は二十代前半で四位から五位の官僚です。つまり、歴史には現れませんが万葉集で紹介され、平安時代にもその官位に違和感が持たれなかったことから推測して、石田王は有力な皇太子候補の一人です。


集歌3225 天雲之 影寒所見 隠来矣 長谷之河者 浦無蚊 船之依不来 礒無蚊 海部之釣不為 吉咲八師 浦者無友 吉畫矢寺 礒者無友 奥津浪 諍榜入来 白水郎之釣船

訓読 天雲の 影(かげ)寒(さ)む見ゆる 隠口(こもくり)の 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来(こ)ぬ 礒なみか 海人(あま)の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 礒はなくとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕(こ)ぎ入(いり)来(こ) 海人(あま)の釣舟

私訳 天の雲の影までも寒々と思える隠国の泊瀬の川は、入江のような所が無いせいか舟も寄ってこない、淵となる岩場が無いせいか漁師が釣りもしない。構わない、入江が無くても、ままよ、岩場が無くても、沖に立つ波に競って漕いでやって来い。漁師の釣り舟よ。


反歌
集歌3226 沙邪礼浪 浮而流 長谷河 可依礒之 無蚊不怜也

訓読 さざれ波浮きて流るる泊瀬川寄るべき礒のなきが寂(さぶ)しさ

私訳 風によってさざ波が川面に立って流れて行く泊瀬川よ。舟を寄せる淵の岩場の無いのが寂しいことです。
右二首



参考歌
同石田王卒之時、山前王哀傷作謌一首
標訓 同じ石田王の卒(みまか)りし時に、山前王の哀傷(かなし)びて作れる歌一首

集歌423 角障經 石村之道乎 朝不離 將帰人乃 念乍 通計萬石波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫(一云、貫交) 蘰尓將為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永(一云、田葛根乃 弥遠永尓) 萬世尓 不絶等念而(一云、大舟之 念馮而) 將通 君乎婆明日従(一云、君乎従明日香) 外尓可聞見牟

訓読 つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 帰(き)けむ人の 思ひつつ 通ひけまひは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 菖蒲(あやめ)草(ぐさ) 花橘を 玉に貫(ぬ)き(一(あるひは)は云はく、貫(ぬ)き交(か)へ) かづらにせむと 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の時は 黄葉(もみぢ)を 析みかざさむと 延ふ葛(ふぢ)の いや遠永(とほなが)く(一は云はく、田(た)葛(くず)の根の いや遠長(とほなが)に) 万世(よろづよ)に 絶えじと思ひて(一は云はく、大船の 思ひたのみて) 通ひけむ 君をば明日ゆ(一は云はく、君を明日香より) 外にかも見む

私訳 石のごつごつした磐余の道を朝に必ず帰って行った貴方が、想いながらあの人の許に通ったであろうことは、霍公鳥が鳴く五月には菖蒲の花や橘の花を美しく紐に貫きあの人の鬘にしようと、九月の時雨の時には黄葉を切り取ってあの人にさしかざそうと。野を延びる藤蔓のように、いっそう久方に長く万世に絶えることがないようにと想って通われた。そんな貴方を明日からは他の世の人として見る。

右一首、或云、柿本朝臣人麿作。
注訓 右の一首は、或は云はく、柿本朝臣人麿の作といへり。


或本反歌二首
標訓 或る本の反歌二首

集歌424 隠口乃 泊瀬越女我 手二纏在 玉者乱而 有不言八方

訓読 隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)娘子(をとめ)が手に纏(ま)ける玉は乱れてありと言はずやも

私訳 人の隠れると云う隠口の泊瀬の娘女の手に捲いている美しい玉が紐の緒が切れて散らばっていると言うのでしょうか。


集歌425 河風 寒長谷乎 歎乍 公之阿流久尓 似人母逢耶

訓読 河風の寒き長谷(はせ)を嘆きつつ君の歩(ある)くに似る人も逢へや

私訳 河風の寒い泊瀬で嘆げいていると、貴方の歩き方に似た人に逢へますか。

右二首者、或云紀皇女薨後、山前代石田王作之也。
注訓 右の二首は、或は云はく「紀皇女の薨(みまか)りましし後に、山前、石田王に代りて作れり」といへり。
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万葉集巻十三を鑑賞する 集歌3222の歌と集歌3223の歌

2010年02月25日 | 万葉集 旧読解
集歌3222の歌
 春の神事に詠った寿ぐ歌でしょうか。
 ここで、春先に咲く椿と馬酔木の花は平地では、その開花は半月ほどの時差があるようですから、その二つの花の間の季節のずれが三諸の山の高さの感覚に変わります。平地にあるが丘ではなく、立派な高さを持つ山の感覚です。この歌では、このように山の高さを表現する気象学的な高度と気温差との感覚が重要な要素です。そして、追加すると椿と馬酔木とは共に常緑の花樹ですので、これもおめでたい景色です。

集歌3222 三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山

訓読 みもろは 人の守る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲き 末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし 山ぞ 泣く子守(も)る山

私訳 三諸は人が大切にする山、ふもとには馬酔木の花が開き、頂きには椿の花が開く。心に素晴らしく想う山です。親が泣く子を大切に慈しむような山です。
右一首


集歌3223の歌
 甘南備は、漢字表記としては神南備とも記して一般名称での神が宿る神聖な杜を示しますが、万葉の時代では漢字表記で「神名火」は明日香の甘橿の丘付近を示すようです。
 そうした時、長歌は、大きな山から次第に人里の池の堤の、その堤に生える禊の枝の、そして、その中の紅葉した枝と、景色を見る焦点は次第に絞られてきます。このように、非常に視線の流れが巧みです。それに対して短歌では、長歌が示す距離の変化ではなく、時間の変化が主眼です。長歌と短歌では移り変わる対象が、全く、違います。空間の広がりと時間の流れとの対比をお楽しみ下さい。歌の鑑賞で、この「空間がフォーカスされる感覚」がないのですと、この集歌3223の歌の解釈は、全く、別の姿を見せ、反歌との関係は不安定になります。

集歌3223 霹靂之 日香天之 九月乃 鐘礼乃落者 鴈音文 未来鳴 甘南備乃 清三田屋乃 垣津田乃 池乃堤之 百不足 卅槻枝丹 水枝指 秋赤葉 真割持 小鈴父由良 手弱女尓 引攀而 峯文十遠仁 捄手析 吾者持而徃 公之頭刺荷

訓読 かむとけの 日(ひ)香(かほ)る空の 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神南備(かむなび)の 清き御田屋(みたや)の 垣内田(かきつた)の 池の堤の 百(もも)足(た)らず 禊(みそき)の枝に 瑞枝(みづえ)さす 秋の赤葉(もみちは) ま割り持ち 小鈴もゆらに 手弱女(たわやめ)に 吾はあれども 引き攀(よ)ぢて 峯もとををに ふさ手折(たを)り 吾は持ちて行く 君の頭刺(かざし)に

私訳 稲妻が光り、雲間からの日差しが香しい空の九月に時雨が降っても、雁はまだ渡って来て鳴くことのない神が宿る清らかな御田屋の、その動物除けの垣の内側の田の、その池の堤に生えている、百には満たない三十ほどの禊(榊)の枝に瑞々しい枝ぶりがある。秋の紅葉の枝を引き裂いて持って、小さな鈴が揺ら揺らするような、しなやかな肢体をした手弱女の私ですが、枝を引き捩って、その枝が、峰が滑らかや曲線を見せると同じように沢山に手折って、私は持って行きましょう。貴方の頭に天蓋のような傘を刺すために。


反歌
集歌3224 獨耳 見者戀染 神名火乃 山黄葉 手折来君

訓読 ひとりのみ見れば恋しみ神名火(かむなび)の山の黄葉(もみちは)手折(たを)りけり君

私訳 一人だけで黄葉の枝を見ると貴女が恋しくて、昔、甘橿の丘の黄葉を手折った貴女。
右二首
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3221の歌

2010年02月22日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻十三を鑑賞する

 万葉集巻十三は万葉集の中で長歌のために編纂されたような巻です。その採録された歌は全部で百二十七首。内、六十四首は長歌、残りの六十三首は長歌に対する反歌です。つまり、この巻十三には単独の短歌は一首も採録されていません。
 さて、この独特な採録のスタイルを採る巻十三は、なぜ、編纂されたのでしょうか。万葉集の編纂の過程における配置やバランスによるものでしょうか。長歌は短歌を中心とする巻での配置においてバランスが悪いので、採歌した長歌を載せることなく捨て去るのは忍びがたく残余を一巻に集めたのでしょうか。その巻十三は長歌を中心とした巻ですが、雑歌、相聞歌、問答歌、譬喩歌、挽歌と万葉集での歌の区分におけるジャンルを全て網羅します。そうしますと、この巻十三だけの一巻で、ある種の小万葉集の世界を形成していることもなります。この巻十三は、このように色々な解釈や推論があり、興味深い巻です。
 なお、万葉集巻十三は宮中行事に関わる歌との推測が、万葉集を研究する専門家の人々の間にあります。もし、巻十三に載る歌々に、その宮中行事に関わる歌の性格があるとしますと、それらの歌々で使われる漢字表記、万葉仮名表記やその内容に奈良時代最高の学識があることになります。そうしたとき、普段にするような万葉集の歌は例外なく万葉仮名表記でされた歌であるとの解釈では、門前払いになるのではないかと、恐れています。
 そこで、異端ではありますが、万葉集の歌は漢語、漢字と万葉仮名で記述された和歌であるとの「おっちゃんの万葉集」の視線で歌を解釈していますし、基本として現代語に意訳した時、長歌と反歌との歌群としての解釈の整合性を優先しています。また、採用する万葉集の原文表記は、西本願寺本に従っています。このため、鹿持氏以来の研究者の解釈に合わせて自由に万葉集本での誤記・誤字説を採用する標準的な訓読み万葉集とは、原文表記、訓読み及びその意訳が大幅に違います。趣味として万葉集の歌を歌として楽しむことと、普段の解説の基本となっている和歌を因数に分解して記号として研究することとに大きな相違があることに、十分に注意の上、ご鑑賞ください。
 そして、この理由により、例によって学生さんたちには向きません。紹介する万葉集の歌には、原文・訓読み・意訳文や解説があり、いかにもそれらしくしていますが、本質は「それらしい」だけのキワものです。それで、レポートへの引用やコピペ等は推薦いたしません。


雜歌

集歌3221の歌

 集歌3221の歌の「汗瑞能振」の句は専門家の間では難訓歌と扱われていて、未だにその訓が確定していないことになっています。
 ここでは、素人の怖いもの知らずで、漢字そのままに「汗瑞(あせたま)の降る」と読んでいます。そこには、春に甘葛(あまかづら)の枝から樹液の滴を集める風景を想像しています。つまり、鶯が、人が甘葛の樹液を集めるために傷つけた枝に飛び来て、甘い樹液を舐めている風景です。それは、ちょうど旧暦の二月から三月の景色になります。
 ただし、メジロは花の蜜など甘いものが好きなようで、甘葛の樹液にはメジロが先にやって来て樹液を吸っていて、そこに鶯が後からやって来て囀っている状況なのかもしれません。

集歌3221冬不成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母

訓読 冬ならず 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 汗瑞(あせたま)の降る 木末(こぬれ)が下に 鴬鳴くも

私訳 冬が勢いを増さずに代わりに春がやって来ると、朝には白露が降り、夕べには霞が棚引く、甘葛の切り口からにじみでた甘い樹液の珠が滴る、その枝先の周りには鶯が鳴くよ。
右一首
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遣新羅使歌を鑑賞する 筑紫より廻り来りて海路より京に入らむ歌

2010年02月19日 | 万葉集 雑記
筑紫より廻り来りて海路より京に入らむとし、播磨國の家嶋に到りし時に作れる歌五首
 可能性として天平九年正月、大使は従五位下阿倍朝臣継麻呂(途中、病死)

 集歌 3719の歌に「言ひしを年の経ぬらく」を捉えての天平八年四月に新羅に派遣された遣新羅大使阿倍継麻呂の一行です。帰路の途中に大使阿倍継麻呂は津島で停泊中に病没し、副使の大伴三仲は伝染病に罹病したために奈良の京に入ることなく配下を含めて四十名余りが足止めにされています。このような支障があったために、例年ですと十二月中に帰国すべきところが遅れ、年を越したものと思われます。

廻来筑紫海路入京、到播磨國家嶋之時作歌五首

標訓 筑紫より廻(まは)り来りて海路(うなぢ)より京(みやこ)に入らむとし、播磨國の家嶋に到りし時に作れる歌五首


集歌 3718 伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓

訓読 家島(いへしま)は名にこそありけれ海原(うなはら)を吾(あ)が恋ひ来つる妹もあらなくに

私訳 私の家、家島は名だけにあるようです。海原を私が恋しく還って来たのだが、ここには私の貴女がいないので、


集歌 3719 久左麻久良 多婢尓比左之久 安良米也等 伊毛尓伊比之乎 等之能倍奴良久

訓読 草枕旅に久しくあらめやと妹に云ひしを年の経(へ)ぬらく

私訳 草を枕にするような旅は長くはないでしょうと、貴女に云ったのですが新しい年を経てしまった。


集歌 3720 和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母

訓読 吾妹子を行きて早(はや)見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも

私訳 私の愛しい貴女の所に行って早く逢いたいと、淡路島の雲の彼方に見える、家に着くらしい。


集歌 3721 奴婆多麻能 欲安可之母布弥波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武

訓読 ぬばたまの読ぬばたまの夜(よ)明(あか)しも船は漕ぎ行かな御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ

私訳 漆黒の夜を明かしても船よ漕ぎ行こう、御津の浜松は私たちを待ち焦がれているでしょう。


集歌 3722 大伴乃 美津能等麻里尓 布祢波弖々 多都多能山乎 伊都可故延伊加武

訓読 大伴の御津(みつ)の泊りに船(ふな)泊(は)てて龍田(たつた)の山をいつか越え行かむ

私訳 大伴の御津の泊りに船を停泊させて、龍田の山を朝廷の帰国の報告のお召があって何時に越えて行くのだろう。

 和歌を和歌として楽しんで、その感じた季節感に対して素直に歴代の遣新羅使の日程と照らし合わせると、このような酔論が導き出されました。さて、色々と酔論をしましたが、皆さんは、どのように感じられましたか。このような解釈も成り立つとすると、まだまだ、万葉集の解釈は奥が深いようですし、普段の万葉集の解説には少し照れるところがあります。

 最後に単純な疑問があります。万葉集の研究家は「万葉集の目録の成立時期とその製作者」を調査・比定する作業は、未だに最終の結論を得ていないことを知っています。さらに、その「万葉集の目録の成立時期とその製作者」を調査・比定する作業の前提条件になるべき作業としての原万葉集自体が二十巻本であるのか、どうかや、その成立後の変遷自体を調査・比定する作業自体が、現在も行われていることを知っています。
 こうしたとき、「万葉集の目録」が絶対性を持って正しいものとして、その目録から万葉集の本文を解釈する行為は、学問的に成り立つのでしょうか。万葉集の目録は信頼性が担保されていないと云う認識が万葉集の研究者の間に存在するとき、目録に示す天平八年六月から判断して万葉集の原文の歌の季節感が異常であるとか、誤記や誤字であると云うような議論は、どうして成立するのでしょうか。学校を出ていない作業員には、どうしても、理解出来ない世界です。
 ご存知のように、現在の多数決での「遣新羅使歌」の研究や解説は、「万葉集の目録」に記載される「天平八年六月」の年月を前提に議論されています。


 長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
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遣新羅使歌を鑑賞する  對馬嶋の歌

2010年02月18日 | 万葉集 雑記
對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時の歌三首
 可能性として養老三年八月下旬、大使は従六位下白猪史広成

 養老三年八月八日に奈良の京を出発し、ここに到着したのは八月下旬と推定しています。同じ浅茅湾の風景ですが「對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時」と「竹敷の浦に舶泊せし時」では、黄葉の様子が違います。私には「對馬嶋の淺茅の浦に到りて舶泊せし時」の方が、黄葉が浅いように感じられます。それで、別々の遣新羅使としています。

到對馬嶋淺茅浦舶泊之時、不得順風、經停五箇日。於是瞻望物華、各陳慟心作歌三首

標訓 對馬嶋の淺茅浦に到りて舶(ふな)泊(はて)せし時に、順風を得ずして經停(とど)まれること五箇日(いつか)なり。ここに物華(ぶつか)を瞻望(せんぼう)し、各(おのおの)の慟(いた)める心(おもひ)を陳(の)べて作れる歌三首


集歌 3697 毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里

訓読 百(もも)船(ふね)の泊(は)つる対馬の浅茅山(あさちやま)しぐれの雨にもみたひにけり

私訳 多くの船が泊まる対馬の浅茅山、しぐれの雨にも黄葉した。


集歌 3698 安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流

訓読 天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける

私訳 奈良の京から遥か離れた田舎にも月は照るのだけぢ、貴女とは遥か遠く離れてやって来た。


集歌 3699 安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟

訓読 秋去れば置く露霜に堪(あ)へずして京の山は色づきぬらむ

私訳 秋がやって来ると天から地に置く露霜にあらがえずに奈良の京の山は色付くでしょう。



竹敷の浦に舶泊せし時の歌十八首
 可能性として神亀元年九月下旬、大使は従五位下土師宿禰豊麻呂

 季節はすっかり黄葉の散りの乱いで。そして、集歌 3716の歌は「九月の黄葉の山もうつろふ」と詠いますから、晩秋でもうすぐ冬十月です。また、集歌 3717の歌の「喪なく早来と」の表現から、旅の途中でこんな表現が許されるのは、壱岐で雪連宅満を失くした一行だけと思います。
 そして、神亀元年の遣新羅使以外に、この時期を北に向かう使いはいません。例年は北風に追われるように大和へ還ります。それで、神亀元年の遣新羅大使土師宿禰豊麻呂の一行です。


竹敷浦舶泊之時、陳心緒作歌十八首

標訓 竹敷の浦に舶(ふな)泊(はて)せし時に、心緒(おもひ)を陳(の)べて作れる歌十八首

集歌 3700 安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母

訓読 あしひきの山下光る黄(もみち)葉(は)の散りの乱(まが)ひは今日にもあるかも

私訳 葦や檜の茂る山の木の下で光る黄葉の散る乱れる景色は、今日もありでしょうか。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3701 多可之伎能 母美知乎見礼婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曽伎尓家流

訓読 竹敷(たかしき)の黄葉(もみち)を見れば吾妹子が待たむと云ひし時ぞ来にける

私訳 竹敷の黄葉を見ると私の愛しい貴女が、私の還りを待っていると云ったその時が来てしまった。
右一首、副使
左注 右の一首は、副使


集歌 3702 多可思吉能 宇良末能毛美 知礼由伎弖 可敝里久流末弖 知里許須奈由米

訓読 竹敷(たかしき)の浦廻(うらみ)の黄葉(もみち)吾(あ)れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ

私訳 竹敷の湊付近の黄葉よ、私が行って還って来るまで散ってしまうな、きっと。
右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官


集歌 3703 多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞

訓読 竹敷(たかしき)の宇敝可多(うへかた)山(やま)は紅(くれなゐ)の八しほの色になりにけるかも

私訳 竹敷の宇敝可多山は紅のたくさんに染めた色になったようです。
右一首、小判官
左注 右の一首は、小判官


集歌 3704 毛美知婆能 知良布山邊由 許具布祢能 尓保比尓米弖弖 伊弖弖伎尓家里

訓読 黄(もみち)葉(は)の散らふ山辺(やまへ)ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり

私訳 黄葉の散る落ちる山辺に漕ぐ船は、山が黄葉で染まるのを愛でるように出港して来たようです。


集歌 3705 多可思吉能 多麻毛奈比可之 己伎弖奈牟 君我美布祢乎 伊都等可麻多牟

訓読 竹敷(たかしき)の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君が御船(みふね)をいつとか待たむ

私訳 竹敷の海中に美しい藻を靡かして漕ぎ出て行かれる貴方の乗る御船が、いつここへ還っていらっしゃるかと待っていましょう。
右二首、對馬娘子名玉槻
左注 右の二首は、對馬の娘子(をとめ)名は玉槻


集歌 3706 多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和礼由久 可反流左尓見牟

訓読 玉敷ける清き渚(なぎさ)を潮満てば飽(あ)かず吾(あ)れ行く帰(かへ)るさに見む

私訳 玉を敷くような清らかな渚に潮が満ちて来ると、渚を愛でることに飽きることがない私は出発しよう。また、ここに還って来て見ましょう。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3707 安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎礼婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久尓

訓読 秋山の黄葉(もみち)をかざし吾(あ)が居れば浦(うら)潮(しほ)満ち来いまだ飽(あ)かなくに

私訳 秋山の黄葉を髪に挿して、私がここに居ると浦に潮が満ちて来た。まだ、この風景に飽きてはいないのに。
右一首、副使
左注 右の一首は、副使


集歌 3708 毛能毛布等 比等尓波美要緇 之多婢毛能 思多由故布流尓 都奇曽倍尓家流

訓読 物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経(へ)にける

私訳 貴女に恋して物思いをしていると人は気が付かないでしょうが、下に結ぶ紐の下、私がした貴女への恋心に月日が経ってしまった。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使


集歌 3709 伊敝豆刀尓 可比乎比里布等 於伎敝欲里 与世久流奈美尓 許呂毛弖奴礼奴

訓読 家づとに貝を拾(ひり)ふと沖(おき)辺(へ)より寄せ来る波に衣手濡れぬ

私訳 家への土産に貝を拾おうとして、沖から打ち寄せる来る波に私の衣の袖が濡れた。


集歌 3710 之保非奈波 麻多母和礼許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴

訓読 潮干(しほひ)なばまたも吾(あ)れ来むいざ行かむ沖つ潮騒(しほさゐ)高く立ち来ぬ

私訳 潮が干いたならば、また、私は来ましょう。さあ、行こう、沖からの満ちてくる潮騒の音が高く立ってやって来る。


集歌 3711 和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比 等良受波由可自

訓読 吾(あ)が袖は手本(たもと)通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ

私訳 私の腕は、衣の袖口を通して濡れたとしても、苦しい恋を忘れさせる恋忘貝を拾っていかないでは他へは行けない。


集歌 3712 奴波多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久尓 和我許呂母弖乎 奴礼弖伊可尓勢牟

訓読 ぬばたまの妹が乾(ほ)すべくあらなくに吾(あ)が衣手(ころもて)を濡れていかにせむ

私訳 漆黒の夜に人に知られず逢う貴女が乾してくれるのではないので、私の衣の袖口が濡れてしまって、どうしよう。


集歌 3713 毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆

訓読 黄(もみち)葉(は)は今はうつろふ吾妹子が待たむと云ひし時の経(へ)ゆけば

私訳 黄葉は、今は木々の色が日々変わって逝く。私の愛しい貴女が私の還りを待つと云った時は経ってゆく。


集歌 3714 安藝佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞

訓読 秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも

私訳 秋がやって来ると恋しい貴女を夢だけでも長く見たいと思うのに、夜は明けてしまったようだ。


集歌 3715 比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多礼可毛由波牟 伊敝杼保久之弖

訓読 一人のみ着寝る衣(ころも)の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして

私訳 一人で着て寝る衣の紐を解くと、誰が再び結んでくれるのでしょう、家を遠くにして。


集歌 3716 安麻久毛能 多由多比久礼婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比尓家里

訓読 天雲のたゆたひ来れば九月(ながつき)の黄葉(もみち)の山もうつろひにけり

私訳 天雲が豊かに流れて来ると九月の黄葉の山の木々の彩りは移り逝った。


集歌 3717 多婢尓弖母毛 奈久波也許等 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞

訓読 旅にても喪(も)なく早(はや)来(こ)と吾妹子が結びし紐は褻(な)れにけるかも

私訳 旅の道中で、不幸なことがなく早く還って来いと私の愛しい貴女が結んでくれた契の紐は、よれよれに古びてしまったようだ。
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