竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4156

2019年03月31日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4156

潜鵜謌一首并短謌
標訓 鵜を潜けたる謌一首并せて短謌
集歌4156 荒玉能 年徃更 春去者 花耳尓保布 安之比奇能 山下響 墜多藝知 流辟田乃 河瀬尓 年魚兒狭走 嶋津鳥 鵜養等母奈倍 可我理左之 奈頭佐比由氣波 吾妹子我 可多見我氏良等 紅之 八塩尓染而 於己勢多流 服之襴毛 等寳利氏濃礼奴

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下(やました)響(とよ)み 落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴(とも)なへ 篝(かがり)さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅(くれなゐ)の 八(や)しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ
意訳 年も改まって春がやって来ると、花々が一面に咲き匂う、山裾一帯を響かせて落ち激って流れる辟田川、その川の瀬には鮎がついついと走って飛び跳ねている。島つ鳥の鵜、その鵜飼の者どもを引き連れて篝火を焚き、流れにもまれて上って行くと、いとしい人が身代わりにもするようにと、紅花の八入の色に念入りみ染め上げて、送ってくれた着物の裾も、底まで通って濡れてしまった。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 あらたまの 年行き更(か)はり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下(やました)響(とよ)み 落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川し瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝(かがり)さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅(くれなゐ)し 八入(やしほ)に染めて 寄(おこ)せたる 衣し裾も 通りて濡れぬ
私訳 年の気が新しくなる、その年が逝き更わり、春がやって来ると、花だけが目立つ葦や檜の生える山のふもとを轟かせて、落ちたぎる水の流れる辟田川の瀬に稚鮎が走る、島の鳥を鵜飼として伴い、篝火を刺して、流れを登って行くと、私の愛しい貴女の面影のような、紅色に濃く染めて送ってくれた衣の裾も、水が通って濡れました。
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万葉雑記 色眼鏡 三一二 今週のみそひと歌を振り返る その一三二

2019年03月30日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三一二 今週のみそひと歌を振り返る その一三二

 今週もまだまだ巻十四 東歌の鑑賞です。鑑賞した歌の中では東国で採歌されたものですが、中央の柿本人麻呂歌集に関係する歌があります。ないお、今回は歌自体の鑑賞ではなく、歌につけられた左注に注目しています。
 最初に集歌3470の歌を見てみますが、万葉集の左注に「柿本朝臣人麿歌集出也」とありますが、その類型歌の由来となる巻十一に載る集歌2539の歌は柿本朝臣人麿歌集の歌ではなく、無名の人の作品となっています。ここに巻十四での編集と巻十一との編集に矛盾があります。つまり、巻十四を担当した編集者は巻十一に載る集歌2539の歌を人麻呂歌集の歌と考えたようですが、巻十一を担当した人物はそうではなく、柿本朝臣人麿歌集に載る歌とは認めていません。
 なお、集歌3470の歌や集歌2539の歌が詠うテーマと類型していて人麻呂歌集に載る歌を探しますと集歌2381の歌がありますが、本歌取りや類型歌の句分からしますと、やや遠い感があります。雰囲気として集歌2381の歌があり、ここから集歌2539の歌が生まれ、集歌3470の歌はその集歌2539の歌を手本として歌を学んでいた時の紛れの関係でしょうか。それとも、奈良時代後期では集歌2539の歌は人麻呂歌集の歌と云う伝承があったのでしょうか。ここは不明です。

集歌3470 安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加毛 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓
訓読 相見ては千年(ちとせ)や去(ゐ)ぬる否(いな)をかも吾(あれ)や然(しか)思(も)ふ君待ちがてに
私訳 貴方に抱かれてから、もう、千年も経ったのでしょうか。違うのでしょう。でも、私はそのように感じます。貴方を待ちかねて。
左注 柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり

参考歌 その一
集歌2539 相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
訓読 相見ては千歳(ちとせ)や去(い)ぬる否(いな)をかも我(われ)や然(しか)念(も)ふ公(きみ)待ちかてに

参考歌 その二
集歌2381 公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉
訓読 公(きみ)が目を見まく欲(ほ)りしてこの二夜(ふたよ)千歳(ちとせ)の如く吾(わ)は恋ふるかも
私訳 貴方の姿を直接にお目にしたいと思って、お逢いするまでのこの二夜がまるで千年のようです。でも今、私は貴方と恋と云う「愛の営み」をしています。

 次に鑑賞する集歌3481の歌とその参考歌となる集歌503の歌においても、先の集歌3470の歌とその参考歌となる集歌2539の歌と似た関係があります。ただし、ここでの参考歌となる集歌503の歌は確実に人麻呂歌集に載る歌ですので歌の左注に示す注意書きは正しいものとなっています。なお、東国で集歌3481の歌を採歌した時、既に中央で詠われたときのものに比べると、変化が見られます。中央と東国での語調が違うのか、歌が詠われた時代と歌が採歌された時代では20~30年の時の流れがあったと思われますので、時代における語調の変化かは不明です。なお、上代特殊仮名遣いの時代における変化と云う研究からしますと、時代における言葉と語調の変化の可能性を捨てることはできません。
 ここで個人的な感想ですが、集歌503の歌は弊ブログ的には詠いで言葉を省略すると非常に口調の良い和歌と思っています。それに対して集歌3481の歌は原歌表記通りに音読しますと、ややもたもたした口調に感じられます。

集歌3481 安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母
訓読 あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦しも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声も掛けずに出立して来て、後悔しています。
左注 柿本朝臣人麿歌集中出 見上已説也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集の中に出(い)ず 見ること上にすでに説きぬ

参考歌
集歌503 珠衣乃 狭藍左謂沉 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家(いへ)し妹(も)に物言はず来(き)に思ひかねつも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声を掛けずに出立して来て、後悔しています。

 さらに集歌3490の歌を鑑賞します。この歌は左注に「柿本朝臣人麿歌集出也」と紹介しますが、万葉集には類型歌を含め当該の歌はありません。さらに平安時代中期に成立したと思われる柿本集や柿本人麻呂の歌を積極的に紹介する拾遺和歌集までに捜索の範囲を広げましても、類型の歌を見つけることができませんでした。歌の引用としては江戸時代の「浪華帖仮名巻下 無名氏」の中に見るばかりです。逆に考えますと古筆の手本である江戸期の「浪華帖仮名巻」に採用されていることから見ますと歌が歴代の歌人たちからまったくに無視されたものではないようです。
 一つのわずかな可能性として、歌本来の評価として「つまらない・おさない」とのする意見がありますから、東国の歌人の創作ですが、権威を持たせるために人麻呂の名を使ったかもしれません。

集歌3490 安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼
訓読 梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は寄り寝む現在(まさか)こそ人目を多み汝(な)を間(はし)に置けれ
私訳 梓弓の末のように末には寄り添って寝よう。ただ今は、人目が多いのでお前を知り合いと恋人の間の中途半端にしているけど。
左注 柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり

 今回は巻十四の中で「柿本朝臣人麿歌集出也」と注意書きを持つ歌を鑑賞しましたが、集歌3481の歌には「見上已説也」とさらに注意書きが与えられ、その注意書きが示すように万葉集中に同じ歌が集歌503の歌の形で載せられています。一方、集歌3470の歌は柿本朝臣人麿歌集の歌ではありませんが、無名歌人の歌として集歌2539の歌が載せられていますから集歌3470の歌と集歌3481の歌とでは扱いに矛盾があります。集歌3481の歌を採歌し、万葉集に載せた人物は他の巻の編集状況を把握していますが、集歌3470の歌を載せた人は他の巻や人麻呂集を十分に把握していない雰囲気があります。
 一方、集歌3490の歌に対しては判定が不能です。現在、柿本朝臣人麻呂歌集の完本は伝わっていません。そのため、集歌3490の歌が柿本朝臣人麻呂歌集に載っていたかどうかは判定が不能です。ただ、平安時代中期には成立していた柿本集には載らない歌ですから集歌3490の歌が柿本朝臣人麻呂歌集に載っていたとしますと、柿本朝臣人麻呂歌集の散逸は相当に早い時期のことになると思われます。
 ここで、弊ブログでは奈良時代に成った原万葉集を骨格とする二十巻本万葉集の成立は古今和歌集の編纂直前頃と考えていますから、紀貫之時代の人たちは集歌3490の歌に付けられた奈良時代の伝承となる「柿本朝臣人麿歌集出也」を十分に認識していたと考えます。また、古今和歌集で採歌した古歌の左注に「ある人のいはく、かきのもとの人まろのうた」と伝承を入れるものがありますから、古今和歌集が持つ勅撰和歌集の性格からしますとある程度の根拠を持たせたと思われますから可能性として平安時代初期までは伝承を裏付ける何らかの柿本朝臣人麻呂歌集が伝わっていたと考えます。
 参考として、紀貫之は葛城の柿本寺(影現寺)に関係する柿本真済僧正の親戚本家筋ですから、紀貫之自身が柿本朝臣人麻呂歌集を持っていた可能は否定できません。ただ、万葉集前期を代表する歌人柿本人麻呂は高市皇子に深く関係する臣下と思われ、弘法大師を継いだ柿本真済僧正は文徳天皇の近臣補佐人の地位にあった人です。このため、政府中枢の藤原氏からしますと、この二人はそれぞれの時代で非常に目障りな有能な人たちでした。柿本真済僧正の死後、彼の直弟子記録が抹殺されたように、柿本人麻呂もまた表舞台から歴史の闇の中へと消されたのでしょう。

 取り止めのない話となっていますが、奈良時代には朝廷に記録として残された柿本朝臣人麻呂の歌、柿本人麻呂自身又は彼の死後に関係者が編んだ柿本朝臣人麻呂歌集、さらに柿本朝臣人麻呂歌集には載せないが柿本人麻呂の歌として知られていた歌や関係者の家に残されていた歌の三つの区分で柿本人麻呂の歌が世に知られていた可能性があります。
そうした時、柿本朝臣人麻呂歌集は私歌集ですから、写本などで伝わる内に載せる歌に増減・異同が生じたと推定します。結果、万葉集編纂過程での柿本朝臣人麻呂歌集による認定漏れや伝本の相違が生まれたのではないでしょうか。
 また、柿本朝臣人麻呂歌集でも集歌503の歌と集歌3481の歌との関係の様に、伝わる間に語調や言葉が時代に合わせるように変化したでしょう。ちょうど古今和歌集の歌が紀貫之時代と藤原定家時代とで違うように、現代の校本万葉集とその訓読み万葉集が近現代の歌人の感性に沿うように変化しているのと同様なことが起きたと思います。原歌表記をそれぞれの時代の「その時代の現代語へ翻訳・読解する時」、言葉において変化・変質は避けられないと考えます。

 与太話の上に取り止めのない方向での馬鹿話になりましたが、柿本朝臣人麻呂歌集と柿本集、それと万葉集との関係を思うとこのようなものとなりました。
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再読、今日のみそひと謌 金

2019年03月29日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 金

集歌3488 於布之毛等 許乃母登夜麻乃 麻之波尓毛 能良奴伊毛我名 可多尓伊弖牟可母
訓読 生(を)ふ楉(しもと)この本山(もとやま)の真柴(ましば)にも告(の)らぬ妹が名像(かた)に出(い)でむかも
私訳 伸びる若枝。この本山の真柴、その言葉のひびきではないが、しばしば(=しきりに)口に出すこともない愛しいお前の名前が、占いの形に出てしまうのだろうか。

集歌3489 安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母
訓読 梓弓(あづさゆみ)欲良(よら)の山辺(やまへ)の繁(しげ)角(かく)に妹ろを立ててさ寝(ね)処(と)払ふも
私訳 梓弓が良い、その言葉のひびきのような、欲良の山辺の茂みの陰にいとしいお前を立たせて、寝床の草を払ったよ。

集歌3490 安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼
訓読 梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は寄り寝む現在(まさか)こそ人目を多み汝(な)を間(はし)に置けれ
私訳 梓弓の末のように末には寄り添って寝よう。ただ今は、人目が多いのでお前を知り合いと恋人の間の中途半端にしているけど。
左注 柿本朝臣人麿歌集出也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集に出るなり
注意 左注に「柿本朝臣人麿歌集出也」とありますが、この歌以外に他に載るものはありません。

集歌3491 楊奈疑許曽 伎礼波伴要須礼 余能比等乃 古非尓思奈武乎 伊可尓世余等曽
訓読 楊こそ伐(き)れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかに為(せ)よとぞ
私訳 楊ならば伐ってもまた生えるのに、世の人が恋に死にそうになるのを、どのようにしろと云うのか。

集歌3492 乎夜麻田乃 伊氣能都追美尓 左須楊奈疑 奈里毛奈良受毛 奈等布多里波母
訓読 小山田(をやまだ)の池の堤に挿す楊成りも成らずも汝(な)と二人はも
私訳 小山田の池の堤に挿す楊、その楊が根付くかどうか判らないように、これから先に上手く行っても、行かなくても、お前と私は二人きりだ。
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再読、今日のみそひと謌 木

2019年03月28日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 木

集歌3483 比流等家波 等家奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家
訓読 昼解(と)けば解けなへ紐の吾(わ)が背なに相寄るとかも夜(よる)解けやすけ
私訳 昼に解こうとすると解けない衣の紐の緒が、私の貴方がやって来るだろう、その夜には解けやすくなる。

集歌3484 安左乎良乎 遠家尓布須左尓 宇麻受登毛 安須伎西佐米也 伊射西乎騰許尓
訓読 麻苧(あさを)らを麻笥(をけ)に多(ふすさ)に績(う)まずとも明日着(き)せさめやいざ背(せ)小床(をとこ)に
私訳 麻の苧を麻笥にいっぱいに紡がなくても(良いではないか)、それを明日に着せてくれるのか。さあ、お前、私と床に行こう。

集歌3485 都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓
訓読 剣太刀(つるぎたち)身に副(そ)ふ妹を取り見がね哭(ね)をぞ泣きつる手児(てこ)にあらなくに
私訳 剣太刀を身に添えるように、私に寄り添う愛しいお前を引き寄せ抱くことが出来なくて、お前は声をあげて泣いてしまった。幼子でもないだろうに。

集歌3486 可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
訓読 愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並(な)へ巻き如己男(もころを)の事(こと)とし云はばいや扁(かた)益(ま)しに
私訳 かわいいお前を、弓束に藤蔓をしっかり巻くように抱きしめるが、それが隣の男と同じようだと云うなら、もっと強く抱いてやる。

集歌3487 安豆左由美 須恵尓多麻末吉 可久須酒曽 宿莫奈那里尓思 於久乎可奴加奴
訓読 梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)に玉巻きかく為為(すす)ぞ寝(ね)なな成(な)りにし奥(おく)を兼(か)ぬ兼(か)ぬ
私訳 梓弓の弓末に飾りの玉を巻く、そのように大切にしてきて共寝もないままになってしまった。先々まで大切にしようと思っていたのに。
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再読、今日のみそひと謌 水

2019年03月27日 | 再読、今日のみそひと...
再読、今日のみそひと謌 水

集歌3478 等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼
訓読 遠しとふ故奈(こな)の白嶺(しらね)に逢ほ時(しだ)も逢はのへ時(しだ)も汝(な)にこそ寄され
私訳 遠いと云う故奈の白嶺、その言葉のひびきではないが、遠い未来は知らず、逢う時も逢わない時も、私の気持ちはお前だけに寄っている。

集歌3479 安可見夜麻 久左祢可利曽氣 安波須賀倍 安良蘇布伊毛之 安夜尓可奈之毛
訓読 赤見山(あかみやま)草根刈り除(そ)け逢はすがへ争ふ妹しあやに愛(かな)しも
私訳 朱の肌を見ると云うような名の赤見山の草や根を刈り除き、そこでお前を抱いたのだが、抱こうとするとイヤイヤをする、そのお前が、妙にかわいい。

集歌3480 於保伎美乃 美己等可思古美 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 欲太知伎努可母
訓読 大王(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み愛(かな)し妹が手枕(たまくら)離(はな)れ夜立(よた)ち来(き)のかも
私訳 大王のご命令を畏まって、愛しいお前の手枕から別れて、夜立ちして来たことよ。

集歌3481 安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母
訓読 あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦しも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声も掛けずに出立して来て、後悔しています。
左注 柿本朝臣人麿歌集中出 見上已説也
注訓 柿本朝臣人麿の歌集の中に出(い)ず 見ること上にすでに説きぬ
参考歌
集歌503 珠衣乃 狭藍左謂沉 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にに思ひかねつも
私訳 美しい衣を藍染めで藍瓶に沈めるように心が沈み、私の妻である貴女を後に置いたまま声を掛けずに出立して来て、後悔しています。

集歌3482 可良許呂毛 須蘇乃宇知可倍 安波祢杼毛 家思吉己許呂乎 安我毛波奈久尓
訓読 韓衣(からころも)裾のうち交(か)へ逢はねども異(け)しき心を吾(あ)が思(も)はなくに
私訳 韓衣の裾前の左右を重ね合わす、その言葉のひびきではないが、お前に逢わないが、だからと云って、お前によからぬ思いを私は持ってはいない。
左注 或本歌曰 可良己呂母 須素能宇知可比 阿波奈敝婆 祢奈敝乃可良尓 許等多可利都母
注訓 或る本の歌に曰はく、
訓読 韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝(ね)なへの故(から)に事(こと)痛(た)かりつも
私訳 韓衣の裾前の左右を合わす、その言葉のひびきではないが、お前に逢わないから共寝も出来ないが、それで共寝が出来ないことは辛いことです。
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