たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

飛び込むべき相手

2015-03-03 01:22:42 | Weblog
 世の中には、ジャンケンとは平等な運ゲーだと思っているジャンケン弱者と、ジャンケンには必勝法がいくつかあるときちんと知っているジャンケン強者しかいない。

 ジャンケン強者は弱者相手に本気になるべきシーンではめちゃくちゃ本気になる。俺も、ジャン負けしたらナンパしろ、などの卑劣極まりない重要なジャンケンは常に必勝法で切り抜けているし(笑)、その成功率は90%を超えるだろう。流石にここでその方法は教えないが、ジャンケンが対等だなんて思わないほうがいいと思う。ジャンケン弱者から抜け出すためには、まずは、ジャンケンの特性を知ることである。
 まぁ特別大サービスで基礎の基礎だけ教えると、ジャンケンを覚えたての子どもとジャンケンをすれば、絶対に勝てるはずだ。なぜなら、小さい子はチョキが出しにくいからだ。つまりは、大のオトナを、そういう状況下に如何に持っていくか?自由に選択したようにみせかけて、こちらが選択肢を強制させていることに気がつかせないようにするのが、ジャンケンで絶対に勝つ基礎の基礎なのである。

 俺の場合、ジャンケンで絶対に勝ちたいときは、直前まで出来る限りコールドリーディングして、最後の最後まで何を出すか決めないから、単純なシャンスサンプルには絶対にならないのよねん。
 ちなみに、どうでも良いジャンケンのときは、あえて何もしません。ゼミの順番とか決めるだけで、いちいち必勝法使ってたらバレちゃうし、重要なジャンケンになるまで、こちらのカードは絶対にみせません。

 このように、ジャンケン1つとってみても、収束するまで真剣勝負であり、運に見えていても必勝法が存在するような飛び込みは、世の中にたくさん存在している。
 収束へと飛び込んでいくとき、その飛び込んでいく先にどれほどの想いが存在しているかを測る必要がある。ジャンケンの必勝法をいくら知っていても、これは必勝の必要があるかどうか?の判定がきちんとできなくては意味が無い。飛び込む相手が飛び込むべき相手かどうか、それこそが大切であり、もっとも考えなくてはいけないこと。

 飛び込むべき相手かどうか見極めたい時、どうしても二体系で考えてしまいがちである。自分と相手、世界中でもしも2人だけしかいなかったら?もしも自分とこの世界しか存在していなかったら、どうだろう?ってね。
 言うまでも無く、2人だけの世界など存在するはずもなく、誰もが実現できていないにも拘らず、この人に嫌われたら終わりだ、とか、この大学に落ちたら終わりだ、とか、それしか観えていない状況を誰もが知らず知らずのうちに欲してしまう。

 そして、それと逆行するように、そんな気持ちになってはいけない、そんな気持ちを受け入れてはいけない、と唱え過ぎてしまい、何も行動しないこと、もしくは何も飛び込まないことこそが至上であると心の表面で決めつけてしまうがゆえの行動をとってしまうことも間々あるだろう。

 俺は教科書通りの技術を高めて高めて、俺に対する、どんな人のどんな種類のどんな角度からの飛び込み方に対しても、対応できるようになっていきたいと思っている(だからこそこのブログをやっている)。さらに、俺自身が主導権をとっている時に、相手の気がつかないうちに自由意志を奪ってしまうことで、絶対に受け入れさせるような飛び込み方ができるようになりたいとも思っている。

 その上で、最重要シーンであるときに、あえて何も技術を使わないなどのカモフラージュではなく、本当の意味で対応できなかったとき、本当の意味で想いが溢れて上手い表現ができなかったとき、ホンモノの実存を感じることになるだろうと思う。そして、その日は、たぶん、遠くない。

 アポカリプティック!
 最終的にはシャンスサンプルで決定づけられ、ホンモノは終焉から始まるだろう。
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求める人物像と希死念慮

2015-03-01 02:42:03 | Weblog
 さて、3月になりました。就活2016の始まりです。
 最近気がついたんですが、就活ネタは自分(に対する無能な人からの評価)を気にせず堂々と批判できる(笑)。しかも、数字が見込める。いや全然他人事ではないんだけど、まぁ通常、俺なんか日本社会は誰も求めていないので、いいでしょう。

 就活って面白いです。このブログを観てくれている研究世界のCグループ諸君、ふつーの人がどういう価値基準を強いられているかを知ることは、あなたの研究生活にとっても役に立つはずです。

 例えば、求める人物像だけ観てみても、俺にとって面白い。

 「某五大商社」
 1.高い志と高潔な倫理観を持つ人材
 2.多様な価値観を認めつつ、自らの考えを持ち、主体的に行動する人材
 3.既存の枠組みにとらわれず、新たなビジネスを自ら創り出す人材

 「某大手グルタミン酸ナトリウム企業」
 ・高い成長意欲を持ち、自ら考え主体的に行動できる方。
 ・多くの人を巻き込みながら、大きな困難にも諦めずに取り組める方。

 「某大手タイマー系家電企業」
 自分の個性や能力を発揮して、自らを成長させようという意欲をもった方

 「某ちょいノリ系保険会社」
 自ら考え、発信し、行動する個性豊かな学生

 あのー簡単に主体性とか個性とか言いますけど、俺みたいなの来たら大変だよ?本当に欲しい?俺ほど主体的で個性が強い人間もなかなかいないと思うけど?俺の歴代指導教員や先生に聞いてみりゃわかるけど、主体的で個性がある、とはどういうことか、思い知るぜ?笑
 どの企業でも、文面だけで言うと、俺はめちゃくちゃ求められてるけど、ホント生半可な気持ちで、主体性があることとか、やる気があることとか、個性的なこととかを、求めてる、って言わないほうがいいぜ?わかってると思うけど。
 ウソだと思ってても実際に言ってると、次第に俺みたいなの入ってきちゃうよ?俺の主体性と個性とやる気がめちゃくちゃあるせーで、飼いきれなかった人間がどれだけいると思ってんだ(笑)

 逆に、求める人物像に「わが社に忠誠を誓い、どんなことを指示されても上司の都合の良いように取り組み、拘束時間が長くても低賃金でも召使いのように働ける人のうち、トカゲの尻尾切りの尻尾になったときでもわが社を訴えないことを誓える人」という本音を掲げている企業があったら、俺、今からでも応募するかも。

 なぜ、このような本音を包み隠し、明確に定義できるはずのない、コミュ力とグローバル人材と意欲のある主体的な人間というキーワードを演じ合い続けるだけの、奴隷人間要請事業である就職活動しか日本は実施できないのであろうか?

 学生から新社会人へと一瞬で変わるように仕向けることが最も正しいという価値観を反映した新規学卒一括採用が諸悪の根源なのか、教育に国費を一切かけない日本政府のせいなのか、はたまた「あなたにいったいいくらお金をかけてきたと思ってるの?」という教育ママ達からのプレッシャーのせーなのか、俺にはわからないけど(*)、召使い崇高主義と、責任をすべて若者や弱者のせいにするような現代の魔女狩りと、それらを上手く切り抜けて我慢してこそオトナであるという間違った価値観そのものが、まともで優しい人間を希死念慮にしていくのだと思う。そんな価値観じゃ、中世とカワラナイね。
 何のために学ぶのか?何のために働くのか?何のために家庭を持つのか?それらを達成するために、どうして頑張っているのか?その根源的な理由を、社会的無難さと乖離させて、自分の内なる想いを中心に考えなくてはいけなくて、そろそろおしなべて全ての人がその考究をしてもイイ頃だ。

 あのさ、だからって、就活で上手くいかないくらいで、死なないでね。それだったら、俺(や俺の精神的周囲にいてくれる人たち)なんかとっくに死にたいです。笑
 そして、こんなことくらいで鬱になった自分、こんなことも上手くいかない自分を、責めたりしないでね。だって、こんな世の中ですから、、まともだったら、上手くいかないはずだし、まともだったら、鬱になるはずだし、まともだったら、ひきこもります。

 たかはしけいは、そんなまともな人材が明るく楽しくなるようなことを、心から望んでいます。
 俺をバカにするのは一向に構わないから、そんな暗い顔するな!

 (*)参考
 2013年五月祭講演 - 大学生の就活を問い直す(講師 本田由紀教授) 特に53分頃~
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