世の中には、ジャンケンとは平等な運ゲーだと思っているジャンケン弱者と、ジャンケンには必勝法がいくつかあるときちんと知っているジャンケン強者しかいない。
ジャンケン強者は弱者相手に本気になるべきシーンではめちゃくちゃ本気になる。俺も、ジャン負けしたらナンパしろ、などの卑劣極まりない重要なジャンケンは常に必勝法で切り抜けているし(笑)、その成功率は90%を超えるだろう。流石にここでその方法は教えないが、ジャンケンが対等だなんて思わないほうがいいと思う。ジャンケン弱者から抜け出すためには、まずは、ジャンケンの特性を知ることである。
まぁ特別大サービスで基礎の基礎だけ教えると、ジャンケンを覚えたての子どもとジャンケンをすれば、絶対に勝てるはずだ。なぜなら、小さい子はチョキが出しにくいからだ。つまりは、大のオトナを、そういう状況下に如何に持っていくか?自由に選択したようにみせかけて、こちらが選択肢を強制させていることに気がつかせないようにするのが、ジャンケンで絶対に勝つ基礎の基礎なのである。
俺の場合、ジャンケンで絶対に勝ちたいときは、直前まで出来る限りコールドリーディングして、最後の最後まで何を出すか決めないから、単純なシャンスサンプルには絶対にならないのよねん。
ちなみに、どうでも良いジャンケンのときは、あえて何もしません。ゼミの順番とか決めるだけで、いちいち必勝法使ってたらバレちゃうし、重要なジャンケンになるまで、こちらのカードは絶対にみせません。
このように、ジャンケン1つとってみても、収束するまで真剣勝負であり、運に見えていても必勝法が存在するような飛び込みは、世の中にたくさん存在している。
収束へと飛び込んでいくとき、その飛び込んでいく先にどれほどの想いが存在しているかを測る必要がある。ジャンケンの必勝法をいくら知っていても、これは必勝の必要があるかどうか?の判定がきちんとできなくては意味が無い。飛び込む相手が飛び込むべき相手かどうか、それこそが大切であり、もっとも考えなくてはいけないこと。
飛び込むべき相手かどうか見極めたい時、どうしても二体系で考えてしまいがちである。自分と相手、世界中でもしも2人だけしかいなかったら?もしも自分とこの世界しか存在していなかったら、どうだろう?ってね。
言うまでも無く、2人だけの世界など存在するはずもなく、誰もが実現できていないにも拘らず、この人に嫌われたら終わりだ、とか、この大学に落ちたら終わりだ、とか、それしか観えていない状況を誰もが知らず知らずのうちに欲してしまう。
そして、それと逆行するように、そんな気持ちになってはいけない、そんな気持ちを受け入れてはいけない、と唱え過ぎてしまい、何も行動しないこと、もしくは何も飛び込まないことこそが至上であると心の表面で決めつけてしまうがゆえの行動をとってしまうことも間々あるだろう。
俺は教科書通りの技術を高めて高めて、俺に対する、どんな人のどんな種類のどんな角度からの飛び込み方に対しても、対応できるようになっていきたいと思っている(だからこそこのブログをやっている)。さらに、俺自身が主導権をとっている時に、相手の気がつかないうちに自由意志を奪ってしまうことで、絶対に受け入れさせるような飛び込み方ができるようになりたいとも思っている。
その上で、最重要シーンであるときに、あえて何も技術を使わないなどのカモフラージュではなく、本当の意味で対応できなかったとき、本当の意味で想いが溢れて上手い表現ができなかったとき、ホンモノの実存を感じることになるだろうと思う。そして、その日は、たぶん、遠くない。
アポカリプティック!
最終的にはシャンスサンプルで決定づけられ、ホンモノは終焉から始まるだろう。
ジャンケン強者は弱者相手に本気になるべきシーンではめちゃくちゃ本気になる。俺も、ジャン負けしたらナンパしろ、などの卑劣極まりない重要なジャンケンは常に必勝法で切り抜けているし(笑)、その成功率は90%を超えるだろう。流石にここでその方法は教えないが、ジャンケンが対等だなんて思わないほうがいいと思う。ジャンケン弱者から抜け出すためには、まずは、ジャンケンの特性を知ることである。
まぁ特別大サービスで基礎の基礎だけ教えると、ジャンケンを覚えたての子どもとジャンケンをすれば、絶対に勝てるはずだ。なぜなら、小さい子はチョキが出しにくいからだ。つまりは、大のオトナを、そういう状況下に如何に持っていくか?自由に選択したようにみせかけて、こちらが選択肢を強制させていることに気がつかせないようにするのが、ジャンケンで絶対に勝つ基礎の基礎なのである。
俺の場合、ジャンケンで絶対に勝ちたいときは、直前まで出来る限りコールドリーディングして、最後の最後まで何を出すか決めないから、単純なシャンスサンプルには絶対にならないのよねん。
ちなみに、どうでも良いジャンケンのときは、あえて何もしません。ゼミの順番とか決めるだけで、いちいち必勝法使ってたらバレちゃうし、重要なジャンケンになるまで、こちらのカードは絶対にみせません。
このように、ジャンケン1つとってみても、収束するまで真剣勝負であり、運に見えていても必勝法が存在するような飛び込みは、世の中にたくさん存在している。
収束へと飛び込んでいくとき、その飛び込んでいく先にどれほどの想いが存在しているかを測る必要がある。ジャンケンの必勝法をいくら知っていても、これは必勝の必要があるかどうか?の判定がきちんとできなくては意味が無い。飛び込む相手が飛び込むべき相手かどうか、それこそが大切であり、もっとも考えなくてはいけないこと。
飛び込むべき相手かどうか見極めたい時、どうしても二体系で考えてしまいがちである。自分と相手、世界中でもしも2人だけしかいなかったら?もしも自分とこの世界しか存在していなかったら、どうだろう?ってね。
言うまでも無く、2人だけの世界など存在するはずもなく、誰もが実現できていないにも拘らず、この人に嫌われたら終わりだ、とか、この大学に落ちたら終わりだ、とか、それしか観えていない状況を誰もが知らず知らずのうちに欲してしまう。
そして、それと逆行するように、そんな気持ちになってはいけない、そんな気持ちを受け入れてはいけない、と唱え過ぎてしまい、何も行動しないこと、もしくは何も飛び込まないことこそが至上であると心の表面で決めつけてしまうがゆえの行動をとってしまうことも間々あるだろう。
俺は教科書通りの技術を高めて高めて、俺に対する、どんな人のどんな種類のどんな角度からの飛び込み方に対しても、対応できるようになっていきたいと思っている(だからこそこのブログをやっている)。さらに、俺自身が主導権をとっている時に、相手の気がつかないうちに自由意志を奪ってしまうことで、絶対に受け入れさせるような飛び込み方ができるようになりたいとも思っている。
その上で、最重要シーンであるときに、あえて何も技術を使わないなどのカモフラージュではなく、本当の意味で対応できなかったとき、本当の意味で想いが溢れて上手い表現ができなかったとき、ホンモノの実存を感じることになるだろうと思う。そして、その日は、たぶん、遠くない。
アポカリプティック!
最終的にはシャンスサンプルで決定づけられ、ホンモノは終焉から始まるだろう。