たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

アカデミックで初めて職を得たラボでのお話1

2017-04-23 01:55:18 | 自然科学の研究
 「たかはしさんを入れる理由はラボに撹乱を与えること。これに尽きるでしょうね」

 2015年3月、そう言いながら俺が入ることを迷っているラボの写真を見てくれている、この年上の後輩の言葉に俺は慎重に傾聴していた。彼は続けて予測を述べた。
 「今の段階では、その撹乱に自分も巻き込まれてしまうとは夢にも思ってないでしょう。疲弊しているのは明らかみたいですし」
 俺はその言葉に、俺も何かの予測の切り返しを与えたくて言葉を返そうとした。
 「生物系はどこもそんなもんじゃない?特に、ここは古典的っぽいしね」
 「それもそうですが、この立ち方ですよ。リラックスしているはずの飲み会の様子なのに、ほとんどのみんなが背中に集中しながら規律を守ることに忙しそうです。彼らはこの中で本音を言えていないはずです。それから、この笑顔も、口角だけ上がってますが、口が開いてない」
 動きの見えない写真から、いくらなんでもそれは言い過ぎなんじゃないか?と思いながらも、彼の予測が外れることもそう多くはない。俺は視点を変えながら、イイワケとしてのディフェンスを見つけ始めていた。
 「まぁ、研究テーマとしては、確かに何にも面白くはない。だけど、カネは手に入るし(手取りで30万弱くらい)、俺の目的からしても悪くない選択だと思う。あの医療センターには、"彼"がいるしね。おそらく何かしらは接触する機会があるだろう」

 俺は、このラボに来る以前に、自分のブログで公開している「研究室の選び方」のなかで、「10年以上同じ研究室にいる人が1人でもいるラボはやめたほうが無難」と書いている。この判断基準は俺が研究室を選ぶ際には絶対的なモノで、参考程度ではない。実際そのラボにはすでに10年以上その研究室にいたり、大義名分的に一度外に出て所属が変わっていたとしても結局ボスの目の届く範囲にいて、また戻って同じラボにずっと所属しているであろう人が最低でも5人はいるように考えられた。だから、研究室を選ぶという基準で考えると、俺の中では初めから論外だったのだ。"研究室を選ぶ"という基準だったらね。

 そして、年上の後輩くんは言った。
 「まぁ、ここは政治力学ぐるぐるでみんな疲れちゃってるわけですけど、カネが大量にあれば政治力学ぐるぐるを脱出できるのか?それを見てくるってのは、悪くないかもしれませんね。とにかくカネだけはありそうですから。おそらく、6月くらいになると、たかはしさんのヤバさに気がついて、先生が"バランスをとる"でしょうね。そのバランスのとり方は、関係の崩壊を生むと思います。たかはしさんが容認できないやり方だから。逆に言えば、たかはしさんが容認できないやり方をとるしかないでしょうね。というわけで、もって1年でしょう」
 そのラボに俺が2回程度しか見学に行ってない段階で、しかもこいつは俺の話もロクに訊いていないのに崩壊の経緯まで予測してしまうのは、些か予見に予見を重ねすぎなように感じた。だけど、まぁ、当たってるだろうなぁとも思った。俺が生まれながらの直観タイプ、後天的努力としての論理タイプ。彼が生まれながらの論理タイプ、後天的努力としての直観タイプ。この重ね合わせは、それまでも、あらゆる予測を可能にしてきた。いや、正確に言えば、それは彼だけの力であり、俺は大して役に立ってないかもしれないけど。。

 指導教員に「3月あとちょっとで終わっちゃいますし、ギリギリなんで5月からにしてもらおうか迷ってるんですよね、いま」と相談すると「そうですね!論文があるから、5,6月からでもいいかもしれませんね」と言ってきた。俺の提案よりも1ヵ月延ばして承知しているくせに、カネは支払われないわけでしょ?と思いながらも、研究社会そのものにバカバカしさを感じ続けていた俺は(まぁそれは今もね)、そのまま容認してしまった。これが後にめんどくささを生むことになる。

 そして、5月。ついに正式に医療センターの研究員になった。JREC-INには2年契約とだけ書いてあったので、これで2年はここにいるのだろうなぁと思っていた。しかし、そのわずか2週間後、イタリアでラボを持っている先生から連絡が届く。こちらからすれば有名人なのだが、何故か一回話しただけで気に入ってもらえていた。某WPIが財団から獲得した予算で設置したポスドクフェローシップがあるから、うちで出さないか?通れば一年をイタリアと日本の半々で過ごせると。これを俺は6月まで保留しておくことにした。〆切はどーせ7月で、通ればそのとき貰っている額の約2倍になる。
 この件に関しての予言者が言っていた6月までは、保留。俺の容認できないやり方での"バランス"とは何なのか?それを見るまでは、俺から行動を起こすべきではないように思えた。

 ラボにはそれなりに満足していた。良い実験環境だし、みんな親切だし、クソつまんない与えられた研究テーマと平均値的な東大のプライドと、進捗プレゼンのクソさ以外に気になることはなかった。そのクソつまんないテーマも、慣れてきたら徐々に俺が変えていってしまって良いとの話だった。「即戦力として」は求めていないと。
 さぁ、それがどのように移り変わっていくのか。。それは、また別の記事で書くことにしよう。俺の当初の目的は6月まででほぼ完了してしまう。俺としてはカネを貰うという大義名分以外に用はなくなってしまい、本当に先生は"バランスをとろう"としてしまい、それこそが決別のキッカケになった。まぁよく考えてみれば研究の世界が特殊で、ほとんどの仕事なんて、カネを貰うことだけが目的であり、それをコントロールするのが上司の役割なんだけどね。

 悪友曰く、「最初からそこに軸足を置いてねーな」と。
 その通りである。それまでの研究人生で、じゅうにぶんに、生物系や医系のラボの多くが腐り切っているのは、分かり切っていた。あの分野は抜本的に改善しなくては未来がないことは、ちょっとでも関われば誰でも十分に分かるレベルだ。考察もしていたし、仲間とさんざんディスカッションもしているし、実際さほど今と2年前と解釈としてはカワラナイ。だから、期待していない分だけ、医療センターで所属したラボには何も感情を持っていないのが事実である。やっぱりクソだったかぁと思うだけだ。俺も年下の後輩くんも予測できなかった、ただ一人の見込みのある研究者の存在を除いては。
 俺が1年半前から半年前くらいまで怒りを抱いていたのは、むしろ、融合分野としてものづくりをしてしまった後のプラン(上手く行ったとしても上手く行かなかったとしても)をあまりに考えていなかった自分自身と、そのリスクを(おそらくわかっているのに)いっさい語ろうとしない駒場の教員達の身勝手さである。その先には、アカデミックの雇用システムのテキトーさがある。
 その辺りはまた書こうと思う。今日はあくまで予告編。次回作も読んでみてね。

 (これを書くのは何度も迷いました。具体的にならざるをえないし、なにより、これまでに何名かの日本の大学教員が、おそらくこのページを見つけて、突然俺とのメールのやりとりを途絶えさせてきているからです。しかし、匿名で色々な悪口を書くよりも、俺のほうが誠意があり後輩の役に立つはず!、何よりこのページの読者の何人かが書いてくれと言っている、と思って書くことにしました。そのことを少しでも読者側が思慮してくれたら、執筆者としてはとても嬉しいです)
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