たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

アメリカに避難する一番の理由

2017-03-27 04:00:20 | Weblog
 純粋さは子供の専売特許であるべきだと思っている人は多い。
 それは子供が純粋な存在であることを認めているのではなく、自分の子供に自分の純粋さを託しているに過ぎない。

 「君に純粋さを託すぶん、大人である僕たちは社会の汚さを受け入れながら生きていくね。仕方ないんだ、自分一人じゃ社会は変えられないし、すぐに変えられるとも思えない。だから、せめて、新しく始まっていく君が存在している世界だけは、純粋さを保ったまんまでいてくれ」
 しかもそれがフィードバックし始める。
 「社会人なんだから、理想を目指すよりも、上司や周囲に嫌われないことが最も重要だ。我々は、社会人として無難でい続けなくてはいけない。それこそが子供を純粋な世界に追いやり続けるために必要なのだから」

 人は、悪人になることもできないし、善人になることもできない。
 自分自身の善悪と上手く付き合っていくことが大事で、誰かが悪いヤツで誰かが良いヤツということは無いのだ。あくまで、立場を通したときに、良い部分が発現されていたり、悪い部分が発現されていたりするだけである。
 だからこそ、自分のとても良い部分を子供や他の誰かに託そうとしてしまうことは、一種の暴力である。それは「君のことを思って」ではない。だって、押し付けられる側は、自分の悪い部分を上手に発現させるやり場がないのだから。

 自分の純粋さを子供に向ける以外には、、ディズニーに向ける人もいるだろう。海外旅行に向ける人もいる。文学や小説の世界に向ける人もいる。
 そして、、なかには俺に向けてくる人もいるのである。俺は、ある意味、この暴力から逃げるために、アメリカにひとまず避難しようとしているのだ。

 自分については、弱者を蹴落とせたりする集団に所属していたり、何かを誤魔化していたり、無難に振る舞ったり、無所属にならないことを第一に考えて行動することを当然視しながら、俺に対しては「純粋に本質的に生きるべきだ」と説いてきたり、「普段忘れている大事なことを思い出させてくれる」等と仕事を与えてきたり、「夢を追うべきだよ、お前は」とドヤ顔で語ってくる。「俺(私)はあなたのことを理解しています。たいていの人はあなたなんか理解しようとも思っていません。悪いけど、俺(私)の分の純粋さも完遂しておいてください」と、俺に対して優しい顔して話しかけてくるクズに、疲れてしまったのだ。

 君らが、俺以外の他人に対しても、自分の純粋さを押し付けるから、その蓄積によって、誰かが「周囲からの期待に応えきれない!」と自殺していったりするんじゃないの??その社会的犯罪行為に気がつかずに、あくまで「良い行為」として応援してくるから、ツラくて泣きたくなるのである。
 俺はまだ良い。この構造がずっと前からめちゃくちゃよく分かっているから、物理現象でしかないから、ツラさも半分以下で済む。しかし、構造が見えていない人にとっては、しんどすぎると思う。本当にそう思うのであれば、自分自身で自分の純粋さを発現させれば良いのだ。そうすれば、自分からどうしても発せられてしまう膿みの部分や残酷な部分との付き合い方を、一緒に考えることもできるだろう?

 もちろん、他人から請け負った純粋さは、出来る限り具現化していこうとは思っている。それは俺が恵まれているから義務だとも思う。
 だが、あまりに量が多いのだ。もうちょっとは、自分でどうにかしてほしい。クズがマジョリティだとしても、俺への暴力無しで、一人ひとりが、ほんのちょっとでもいいから、どうにかして自分の純粋な気持ちを自分自身で発現するように心がけて欲しいのだ。

 少なくとも俺の周囲の(自称)理解者たちには、これを強く要求する。というわけで、それができるようになってきたら、また日本で会おうぜ!
コメント
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