"どっちにしても、もう間に合わないのかもしれない"という未来予測を立てる賢明さは、聡明さの欠如ゆえに生じた現実逃避から創発される。
"もう遅いよ"と考えられる自分は、現実がきちんと見れていて、たいていの人間よりは少しばかりは頭が良いとでも思っているのだろうか?寝言は寝てから言って欲しいものである。
俺が君にはっきりと現実を突きつけてあげよう。今がそれなりに成り立っているからこそ、この先がなかったとしても、その最悪な現状を打破する必要性があるのだ。この先がどうなってしまうのか?と考えられていた頃をきちんと思い出し、結局のところ、どう転んでもどうにでもなるのだ、という基本原理を見出して欲しい。それは君だけの問題ではなく、まだ俺らの目にも見えていない後世へと引き継がれうる問題なのである。
であるならば次に、君ほどの優しい人間が、この視点を欠如するに至るだけの不条理な環境を、どのように強いられているか?ということを話さねばならないだろう。
それは、端的に言えば、価値観の一本化によるものだ。その1つの軸にしか価値がないと思い込んでいることが問題なのだ。そりゃ君だって、口先では、もしくは君の感情の表面上では、あらゆることに価値があって多様的な価値観の存在こそが素晴らしい、という発想はあるのだろう。しかし、それが一個人である君自身に享受されていないのだ。
学歴や偏差値を高めること、論文を書いてアカデミックポストを得ること、何かのスポーツで成功すること、とにかく目立つこと、営業成績を上げること、安定した生活を得ること、何かのリーダーに任命されることetc...。これら自己実現的な価値観はそれぞれ違う音色ではあるのだが、確実にそれぞれが意義深い価値観なのである。これらのうち何か1つにしか価値がないと思った時点で、"もう遅いよ"がいつでも襲ってくるだろう。
でもでも!!やっぱりこれがいいんだもん!!!
そういうこともあるだろう。それはその通りである。だがしかし、それ以外の価値観を自分にとってのゼロにしてしまってはいけない。たとえば、"偏差値が高いことが何よりも一番大事でそれ以外はクソ!"というようにゼロイチで唯一絶対の価値観として認識するのではなく、"偏差値が高いことは自分にとっては一番大事なことで、目立つこともスポーツで成功することも自分にとってはそれなりに大切なことだよね"というような連続性を持たせることが大切なのだ。
これが結局のところ、君が本当に欲しい音色の価値観の称号を手にすることになる可能性を高める上で、重要になってくるのだ。
でね、さらに、、なんだけど、、
これらあるゆる価値基準のなかのたった一つの軸について"数値が高いかどうか?"という視点でしか君は愛されてこなかったのだ、という逃げ場のない悲しみを、これまでのように無視し続けてはいけないのだ。急いで書き加えなければならないが、正確に言うと、こう勘違いしてしまっている自分自身の切なさから逃げてはいけないのだ。
このポイントさえ正確に見つめることができれば、素直になれる。素直な自分を、あらゆる周囲の人に曝すことができるだろう。
そうすれば、もうどこからも、"もう遅いよ"は襲ってこない。
きちんと泣くこと。きちんと悲しみと向き合うこと。結局のところ、それしか今をより良く変えられない。
意外とさ、みんなも君と同じで、あらゆることが不安なんだよ。あらゆる普通のみんなも、"普通であること"を考究しまくっているんだ。
君だけがマイノリティではない。それを忘れないで。そして、、別に、手遅れでも良いじゃないか。最後の最後まで、俺がフォローしてやるよ。その生き方を圧倒的な論理性で肯定し続けてやるよ。
"もう遅いよ"と考えられる自分は、現実がきちんと見れていて、たいていの人間よりは少しばかりは頭が良いとでも思っているのだろうか?寝言は寝てから言って欲しいものである。
俺が君にはっきりと現実を突きつけてあげよう。今がそれなりに成り立っているからこそ、この先がなかったとしても、その最悪な現状を打破する必要性があるのだ。この先がどうなってしまうのか?と考えられていた頃をきちんと思い出し、結局のところ、どう転んでもどうにでもなるのだ、という基本原理を見出して欲しい。それは君だけの問題ではなく、まだ俺らの目にも見えていない後世へと引き継がれうる問題なのである。
であるならば次に、君ほどの優しい人間が、この視点を欠如するに至るだけの不条理な環境を、どのように強いられているか?ということを話さねばならないだろう。
それは、端的に言えば、価値観の一本化によるものだ。その1つの軸にしか価値がないと思い込んでいることが問題なのだ。そりゃ君だって、口先では、もしくは君の感情の表面上では、あらゆることに価値があって多様的な価値観の存在こそが素晴らしい、という発想はあるのだろう。しかし、それが一個人である君自身に享受されていないのだ。
学歴や偏差値を高めること、論文を書いてアカデミックポストを得ること、何かのスポーツで成功すること、とにかく目立つこと、営業成績を上げること、安定した生活を得ること、何かのリーダーに任命されることetc...。これら自己実現的な価値観はそれぞれ違う音色ではあるのだが、確実にそれぞれが意義深い価値観なのである。これらのうち何か1つにしか価値がないと思った時点で、"もう遅いよ"がいつでも襲ってくるだろう。
でもでも!!やっぱりこれがいいんだもん!!!
そういうこともあるだろう。それはその通りである。だがしかし、それ以外の価値観を自分にとってのゼロにしてしまってはいけない。たとえば、"偏差値が高いことが何よりも一番大事でそれ以外はクソ!"というようにゼロイチで唯一絶対の価値観として認識するのではなく、"偏差値が高いことは自分にとっては一番大事なことで、目立つこともスポーツで成功することも自分にとってはそれなりに大切なことだよね"というような連続性を持たせることが大切なのだ。
これが結局のところ、君が本当に欲しい音色の価値観の称号を手にすることになる可能性を高める上で、重要になってくるのだ。
でね、さらに、、なんだけど、、
これらあるゆる価値基準のなかのたった一つの軸について"数値が高いかどうか?"という視点でしか君は愛されてこなかったのだ、という逃げ場のない悲しみを、これまでのように無視し続けてはいけないのだ。急いで書き加えなければならないが、正確に言うと、こう勘違いしてしまっている自分自身の切なさから逃げてはいけないのだ。
このポイントさえ正確に見つめることができれば、素直になれる。素直な自分を、あらゆる周囲の人に曝すことができるだろう。
そうすれば、もうどこからも、"もう遅いよ"は襲ってこない。
きちんと泣くこと。きちんと悲しみと向き合うこと。結局のところ、それしか今をより良く変えられない。
意外とさ、みんなも君と同じで、あらゆることが不安なんだよ。あらゆる普通のみんなも、"普通であること"を考究しまくっているんだ。
君だけがマイノリティではない。それを忘れないで。そして、、別に、手遅れでも良いじゃないか。最後の最後まで、俺がフォローしてやるよ。その生き方を圧倒的な論理性で肯定し続けてやるよ。