たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

さくら舞い散る道の上で

2016-03-26 00:59:00 | Weblog
 ほんの短い期間だけ、桜咲くこの季節。
 努力と成功、恋愛や友情、出会いと別れ、、桜で例えられる事柄は数多いが、もっとも的確に表しているのは、自己犠牲ではないだろうか、と俺は思う。だって、日本人として、決して忘れてはならない犠牲があるからだ。

 刹那に散りゆく運命と知りながらも「咲き誇り」、いつか生まれ変わると信じながら「舞い落ち」、永遠にさんざめく光を浴びて「舞い上がる」。
 極限まで誰かを守りたいと思った刻、自己犠牲の精神が働く。そこには策略もなければ複雑さもない。ただただ単純に、自分よりも大切な存在のこの世での継続を、たったのほんの数分の継続であったとしても、願っているだけである。

 確かに美化してはいけない過去だとも思う。だが、今、もっともっと遥かにくだらないレベルで悩んでいる、当時と同じ世代の若者は、この心意気の本質だけは真摯に参考にせねばならないと思う。
 言葉だけは現代と似通っているのではないだろうか。「日本は今、危機でありこの危機を救えるのは若者のみである」そのように、上の世代から言われたときに、過去のやり方にとらわれず、新しい世代と時代のなかで、いかにしてこの危機を乗り越えるか。自分たちはまったく干渉しない確実に安全なところから「結果を出すためには厳しいんだ」と言っている無能な無責任さを、いかにして愛していくか?ということでもある。

 やはり、対処療法的な結果を即戦力として出し続けることに拘るがあまり、自分自身を粗末にしてはいけない。
 誰かを助けたいと本気で思うなら、少なくとも精神的に自分が確実に大丈夫な状態から。

 そう思えるだけでも、現代は進歩しているのかもしれないね。そう思えるだけの思考力がみんなに蔓延している幸せを感じなくてはいけない。

 あらゆる不条理ゆえに掃き捨てられていくような風習の中で、あの頃の、ほんの僅かの、10万分の1以下の心持くらいは参考にしながら、とにかく生きて、とにかく生かせることで、どうしようもない現代社会を少しでもより良くしていけたらイイ。

 またこの場所で必ず会おう。さくら舞い散る道の上で。

森山直太朗 - さくら(独唱)
コメント
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