「チョコ食べる?」
『え?』
「チョコ。うちのクラスの男子、恥ずかしがって誰も食べないの」
バレンタインデーには、ばらまき系女子が蔓延る。
甘酸っぱい気持ちを抱えながら、思い切って本命チョコを憧れの男子に渡すような渡し方は流行らない。バレンタインデーは、告白の機会ではなく、「私って料理的なことしちゃう女の子なんです!」「私ってこういうちょっとしたお菓子を買うのが好きな女子なんです!」と主張する日である、という認識は、それなりに正しいと思う。
だからって、俺みたいに、『っけ、溶かして固めてるだけだろ』『デパートで売ってるばらまき用のチョコレート買ってるだけだろ』と言っていたら、女子の気持ちがわかってない認定されますから、男性のみなさん、気をつけてください。(…と俺の声を聞いた、それでも誰かに対して料理アピしたい女は、チョコレートケーキ的なものを自作するのだろうが、、自作はやめい!)
期待すると傷つくし、期待しなさすぎるのもダサい気がする。だから大人になると負け試合をしなくなるのだ。そして、俺の時代でも、中学生の頃には、もう、ばらまいてる女子が何人かいた。
確実に勝つ試合しかしなくなれば、自分に対して驕りが出てくる。その驕りのなかでも、上手く皆に拡散するようにチョコを配布していき、かつ本命の男の子だけにはそれとなく特別感を出すことを欠かさないような、器用なばらまき方ができる女の子がいる一方で、ばらまき方があまりに不器用で、「食べる?食べたい?」と個人個人に聞いていってしまうから「別に食わねーよー」と各々から言われてしまい、せっかく用意してきたチョコが余ってしまう女の子がいる。
俺は中学でも今でも、C上グループ(ノリが一番よくないグループだけど、そのなかでは一番明るい人たち)の女子からの圧倒的な支持と、Aグループ(ノリが一番いいグループ)の一部の女子にそれなりに支持されていることで、生きている。冒頭の会話の子はAグループで(この子はさすがに俺のブログは見ていないだろう、、と信じている笑。もし見てたら、ネタにしてごめん)、放課後、「お前なら食うだろ?Cグループなんだから!」的な扱いで、チョコがぎっしり入ったボックスを渡されました。
こりゃ、義理チョコならぬ、義理食いだろ、っという本音は、まだ純粋だった俺は、必死に呑み込みました。
『おーい、チョコあるみたいだぞー』
《食べる食べる。どれどれ、うん、これ美味しいよ》
「そう?ありがとう」
『じゃ、俺もひとつ』
そのとき食べた手作りの義理食いのチョコの味は、いまだに覚えている。(こういうと失礼だが)別にその子のことが特別好きだったわけではないのだけど、今となってはイイ思い出だから、バレンタインデーとはなんとも不思議である。
義理食いではどうかわからないが、、「義理チョコだから」と渡してきた女の子の20-50パーセントくらいは、こちらに何かしらの好意を持ってのことだと思う。与えられた表現型だけに結論を急がず、その裏にある気持ちの揺らぎと、チョコレートを手渡したという行為が気持ちにフィードバックすることによる効果を掌握することが、この特異的な日の男の役割なのかもしれない。切り開いてみるまでは、本当のカタチはわからん。
っま、皆さん、バレンタインデーを、楽しんでくれたまえ。
…ただ、今年のバレンタインデーは日曜日ですか。ふふふ、ちょっと残念。
A Valentine from Möbius || Radcliffe Institute
『え?』
「チョコ。うちのクラスの男子、恥ずかしがって誰も食べないの」
バレンタインデーには、ばらまき系女子が蔓延る。
甘酸っぱい気持ちを抱えながら、思い切って本命チョコを憧れの男子に渡すような渡し方は流行らない。バレンタインデーは、告白の機会ではなく、「私って料理的なことしちゃう女の子なんです!」「私ってこういうちょっとしたお菓子を買うのが好きな女子なんです!」と主張する日である、という認識は、それなりに正しいと思う。
だからって、俺みたいに、『っけ、溶かして固めてるだけだろ』『デパートで売ってるばらまき用のチョコレート買ってるだけだろ』と言っていたら、女子の気持ちがわかってない認定されますから、男性のみなさん、気をつけてください。(…と俺の声を聞いた、それでも誰かに対して料理アピしたい女は、チョコレートケーキ的なものを自作するのだろうが、、自作はやめい!)
期待すると傷つくし、期待しなさすぎるのもダサい気がする。だから大人になると負け試合をしなくなるのだ。そして、俺の時代でも、中学生の頃には、もう、ばらまいてる女子が何人かいた。
確実に勝つ試合しかしなくなれば、自分に対して驕りが出てくる。その驕りのなかでも、上手く皆に拡散するようにチョコを配布していき、かつ本命の男の子だけにはそれとなく特別感を出すことを欠かさないような、器用なばらまき方ができる女の子がいる一方で、ばらまき方があまりに不器用で、「食べる?食べたい?」と個人個人に聞いていってしまうから「別に食わねーよー」と各々から言われてしまい、せっかく用意してきたチョコが余ってしまう女の子がいる。
俺は中学でも今でも、C上グループ(ノリが一番よくないグループだけど、そのなかでは一番明るい人たち)の女子からの圧倒的な支持と、Aグループ(ノリが一番いいグループ)の一部の女子にそれなりに支持されていることで、生きている。冒頭の会話の子はAグループで(この子はさすがに俺のブログは見ていないだろう、、と信じている笑。もし見てたら、ネタにしてごめん)、放課後、「お前なら食うだろ?Cグループなんだから!」的な扱いで、チョコがぎっしり入ったボックスを渡されました。
こりゃ、義理チョコならぬ、義理食いだろ、っという本音は、まだ純粋だった俺は、必死に呑み込みました。
『おーい、チョコあるみたいだぞー』
《食べる食べる。どれどれ、うん、これ美味しいよ》
「そう?ありがとう」
『じゃ、俺もひとつ』
そのとき食べた手作りの義理食いのチョコの味は、いまだに覚えている。(こういうと失礼だが)別にその子のことが特別好きだったわけではないのだけど、今となってはイイ思い出だから、バレンタインデーとはなんとも不思議である。
義理食いではどうかわからないが、、「義理チョコだから」と渡してきた女の子の20-50パーセントくらいは、こちらに何かしらの好意を持ってのことだと思う。与えられた表現型だけに結論を急がず、その裏にある気持ちの揺らぎと、チョコレートを手渡したという行為が気持ちにフィードバックすることによる効果を掌握することが、この特異的な日の男の役割なのかもしれない。切り開いてみるまでは、本当のカタチはわからん。
っま、皆さん、バレンタインデーを、楽しんでくれたまえ。
…ただ、今年のバレンタインデーは日曜日ですか。ふふふ、ちょっと残念。
A Valentine from Möbius || Radcliffe Institute