君の家に着くまでずっと走ってゆく / GARNET CROW
社会には「堅いモノ」と「柔らかいモノ」が混在している。
「堅いモノ」っていうのは、親や先生から言われたことをきちんとこなすことだったり、点数とか成果とかシステムだったり、なんというか無難さを含んでいるモノだと思う。逆に、「柔らかいモノ」っていうのは、ノリの良さだったり、仲間と楽しむことだったり、とにかく自分の今の感情に素直になることだと思う。未来を大切にすることが「堅いこと」で、現在を大切にすることが「柔らかいこと」でもイイかも。
私は「堅いモノ」を選び続けることで突っ切ってきたし、それを一切疑ってもみないと思われるほどに「堅いモノ」の安定性が心地良い。おそらくは、私が思っているよりも、もっともっと自然と私は「堅いモノ」を選び続けているのだと思う。
それでも、どうでもいい小さな事柄には、「柔らかさ」を含んできたつもりだ。
「柔らかさ」は私に生きる活力を与え、「堅いこと」を地味に取り組むドライビングフォースを与えてくれた。そんな過去の自分を想い出しながら、ゆっくりと、こう思いつつある自分に気がつく。
「最も大切なことだけは、柔らかさを、、いえもっと単純に、自分の気持ちに正直になって良かった」
それは、この素晴らしい大切な一日を迎えられた瞬間だけではなくって、むしろ、何でもない日の、何でもない大切な笑顔を観られたときに、心地良い疲労感のなかで、心からそう感じてしまう。
「堅いモノ」が「柔らかいモノ」で否定されるかどうかで判定する、「ホンモノ」のリトマス試験紙は、これだけの時間が経っても、コミュニケーションとして色褪せないモノ。
強い言葉で現実を突きつければ突きつけるほど、そのリアクションで私はきちんと満たされていく。
そして、私が選んだ以上の「柔らかさ」を存分に含むガキが、突如として私たちの前に現れた。あそこまでだと、流石にどうなの?、と思うけれど、それでもこれからの世代は、それくらいじゃなくちゃいけないのかもしれない、と暖かく見守るだけの度量が、今の私にはある。
私たちの体現の仕方が、あなたの理想の参考になればいい、、なんて、おこがましいことを、こっそり想っていたりする。
X'mas Acoustic Live 2003 しあわせの風景
社会には「堅いモノ」と「柔らかいモノ」が混在している。
「堅いモノ」っていうのは、親や先生から言われたことをきちんとこなすことだったり、点数とか成果とかシステムだったり、なんというか無難さを含んでいるモノだと思う。逆に、「柔らかいモノ」っていうのは、ノリの良さだったり、仲間と楽しむことだったり、とにかく自分の今の感情に素直になることだと思う。未来を大切にすることが「堅いこと」で、現在を大切にすることが「柔らかいこと」でもイイかも。
私は「堅いモノ」を選び続けることで突っ切ってきたし、それを一切疑ってもみないと思われるほどに「堅いモノ」の安定性が心地良い。おそらくは、私が思っているよりも、もっともっと自然と私は「堅いモノ」を選び続けているのだと思う。
それでも、どうでもいい小さな事柄には、「柔らかさ」を含んできたつもりだ。
「柔らかさ」は私に生きる活力を与え、「堅いこと」を地味に取り組むドライビングフォースを与えてくれた。そんな過去の自分を想い出しながら、ゆっくりと、こう思いつつある自分に気がつく。
「最も大切なことだけは、柔らかさを、、いえもっと単純に、自分の気持ちに正直になって良かった」
それは、この素晴らしい大切な一日を迎えられた瞬間だけではなくって、むしろ、何でもない日の、何でもない大切な笑顔を観られたときに、心地良い疲労感のなかで、心からそう感じてしまう。
「堅いモノ」が「柔らかいモノ」で否定されるかどうかで判定する、「ホンモノ」のリトマス試験紙は、これだけの時間が経っても、コミュニケーションとして色褪せないモノ。
強い言葉で現実を突きつければ突きつけるほど、そのリアクションで私はきちんと満たされていく。
そして、私が選んだ以上の「柔らかさ」を存分に含むガキが、突如として私たちの前に現れた。あそこまでだと、流石にどうなの?、と思うけれど、それでもこれからの世代は、それくらいじゃなくちゃいけないのかもしれない、と暖かく見守るだけの度量が、今の私にはある。
私たちの体現の仕方が、あなたの理想の参考になればいい、、なんて、おこがましいことを、こっそり想っていたりする。
X'mas Acoustic Live 2003 しあわせの風景