たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

最終的に政治は実力を求める

2015-04-19 03:52:47 | Weblog
 かなり今さらだけど、もしも俺のもとにデスノートが舞い降りても、いっさい使わないだろうと思う。

 なぜなら、極限まで嫌いになった相手には、このような苦しい現実のなかで、なるべく長生きをして、生きることで苦しんで欲しいから。もちろん、好きな相手には、俺と同じ時を少しでも長く刻んで欲しいから、使わない。残るは、どうでもいい人だが、どうでもいい人は、生きてようが死んでようがどうとも思わないので、使うはずもない。

 確かに瞬間的に、消えてほしい、って思うことはあることもあるんだけど、1秒以内にこのような冷酷な論理が追いかけてくるから、あまり感情的になることもないのよね。

 そういえば、「え?たかはしけいって、あのままドクターとれたの?」って発言している、俺のことどー思ってんだよ?っと訊き返したくなるような、失礼極まりない連中が(1人や2人ではなく)周囲に沢山いることになんとなく気が付いているけど、そういうのも、ここでこうやって宣言することが一番面白いので、あんまりイライラもしない。
 こうやって書くだけで、どんなに俺がコールドリーディングしても、誰からもこの情報に関して読めなくなるって現象が、とても面白く、わかりやすく、単純である。しかし、その面白さもあと僅かしか味わえないかと思うと、感慨深いものである。

 どういう経緯で、そう思ってんのかは、いくつか考えられるんだけど、どの場合分けをしても、当人が無能であることが示されてしまうだけなので、結果的には場合分けをする意味無し。
 共通して言えることは、、まぁ、「たかはしけいを否定したい」って前提で、論理を構成したり、観察をしたりしないことだね。私情を含めずに観察し論理を構築するというのは自然科学の一番の基本だと思うけど。。どっちにしても、そんなバカに用はない。そういう類いのバカが俺は大嫌いなので、せいぜい長く生き続けて、苦しんでくれたまえ。さようなら。

 最終的に、政治や権威が求める人材は、実力を持っている者、少なくとも実力を向上させることを諦めていない人間である。一過性の作業を繰り返しながら、あまり外の風に当たりすぎないことこそが政治力学を考慮していると解釈しがちであるが、むしろそのような一過性の対応を繰り返してしまえば、長い目でみると(政治力学的に)破滅的である。
 そして、そのようなコミュニケーション弱者が手っ取り早く優秀だと決めつけたい人材こそが一番の無能であり、病理学的にいえば悪性腫瘍。逆に君らが無能だと決めつけている人材の中には、俺の真実を、何も知らないくせにピタリと言い当てた人も、ある程度の数いるぜ?俺はこういうヤツのほうが遥かに怖く、とても大好きで、脅威であるからこそ、自分の傍におき、付き合い続けていきたいと思っている。

 実は、俺こそが、最も政治力学を重視しているのかもしれない、と思う、今日この頃だったりする。
コメント
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