たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

相談したいことがあるんだけど・・・

2014-09-27 00:12:50 | Weblog
 与えられた現実のなかで、未来がなるべく楽しくなるような幸せをきちんと掴んでいくことが、短い人生を安全に生きていく秘訣だ。

 そこには、とてもありきたりで、無難で、打算的だと思われてしまう展開が待っているだけかもしれない。だけど、そのなかのとびっきりの想い出と笑顔さえあれば、俺はどんな状態でも満足だ。そして、そんな状態を持続させることが生きる意味であり、絶対にここを破られてはいけない。この安全性にあらゆるファクターが絡んできたとしても、上手く切り抜けようとすべきなのだと思う。

 だから、どんなに自分が我慢しようとも、何年経っても変わらない関係性でいたいし、2人が同じ気持ちでいたいと願っている。
 それは無難でも打算でも妥協でもなく、妥当であるのだ。

 そのためには、まず何よりも、何も失わないために、ヒエラルキーの山を登っていくために先人が用意してくれたエレベーターにいかに乗り続けることができるかを真剣に考えることが重要になってくる。確かにそれはやる気が無く打算的な哲学かもしれないが、戦争なんかするよりも遥かに自殺する人間が多くなってしまった日本、、メンタル戦争の最中、あまりに理想は語ってられないし、理想はプライベートだけに留めておくほうが良い。
 せっかくのエレベーターを無視し、くだらない個人の信念を貫き通すためだと居直って、ロッククライミングをしたり、自力で1から道を作っていたりすれば、そのリスクはものすごく高い。おそらくこういうわざわざ険しい道を選ぶ者は、自力で何かをすることの無謀さをまったく承知していない。風が吹いただけでも、すぐに崖へ突き落されてしまうような状況に、その程度の能力で、いかにして耐えていこうというのだろう?
 それに、エレベーターを利用して上に登っていき、そこで到達した人同士の協力で、次の世代へのエレベーターを建設できる。これこそが、協同としてのものづくりの本質ではないだろうか、と思うのだ。

 こういうことは、お互いの関係を深めていく上でも言える。まずは共通の趣味や話題を創ること。それが信頼関係の向上に繋がるのだから。
 それだけ考えてみたって困難は至る所に待ち受けている。お互いの優しさと強がるクセがすれ違ってしまって「愛していない」と証明終了されることだってあるし、楽しくも無いのに楽しいフリをして苦労していることが伝わらないこともあるだろう。そのたびに関係をRe:birthする演出をしなくちゃいけないし、些細なことで泣かせないように注意を払い、そんなに簡単に証明されるわけじゃないって事実にイエスと答えてもらえるようにしなくちゃいけない。

 だいたい、「愛していない」とか「好きじゃない」という言葉以上に矛盾した言葉を俺は知らないのだから、その事実にかけてみる。

 あらゆることが適確に試行されていけば、、ほら、思ったとおりにかなえられてく。。
 もちろん、すべての未来は、夢の中なのかもしれないけどね。

Acid Black Cherry /「未来予想図Ⅱ」
コメント
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