たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

また独りぼっち 2

2013-12-17 02:10:05 | Weblog
 恥をかかなければ、自らの実力を向上させて、系をより良くすることなんて不可能だ。
 わからないことをわからないと言ったり、ちゃんと聞いていなかったせいで僕は理解できていませんでしたと詫びたり、今までそういうことを見て観ぬフリをしてきたからどうやって状態を変えたらイイかわかりません、って恥をかかないなら、それは、あなたが何かの責任を放棄していることに等しい。

 大人の世界にも、いじめは存在している。いじめは、イコール見て観ぬフリをすることだし、自己責任だからと、ディフェンス側や相手の見えない部分に落とし込むことに起因する。それはシッタカをすることでもそうだし、権威を使うことで全面的に弱者の責任と考えることもそうだ。

 まったく、見て観ぬフリをして誤魔化しているくせに、現実を見ろ、と言ったり、弱者に対して、この世界にそもそも向いてない、と言ったり、ふざけたことをぬかしやがる。
 その程度の論理性しかない、てめーのが、論理立てを重視する研究の世界には向いてねーんだよ。

 論理性が無いことは、まぁ、許してやろう。俺は、人のセレクションをかける時に、能力が無いことに依存しないからね。
 でも、何かの悪意が確実にそこに存在していて、そのせいで消滅してしまった個人に対して、どのようなメソッドで対応すればいいのかと、明らかにメソッドを持っている、この俺に、恥を承知で訊いてはこない、研究をしている多くの人の態度には、研究者としての素質に疑問を感じぜざるをえない。

 「人間関係なんて、、そんなことも乗り越えられないようでは、これからの研究を考えると、向いてないんじゃないですか?」
 『それを訊いて安心しました。あなたのような研究に向いていない方にそう言われると、僕自身、向いているんだ、っと言われているような気分です。』
 「何を言っているのかわかりません。」
 『まぁ、あなたの論理性のレベルでは、そうでしょうね。』

 人間関係を大事にできないのなら、何か革新的なモノづくりはできないだろう。そのような考え方に、未来も希望も無い。

 ただし、そんな高級なこととは別に、絶対に切らせてはいけない最終ラインを切らせないように、動いていく必要性はある。
 ここについて、俺はまだ失敗したことは無いけれど、その命を同じように背負っているつもりで、ひとつひとつ対応していくことが、俺の本来の役割。

 このスタイルを取り始めれば、どうでもいい人が俺を嘲笑うことで、また新たなセレクションがかかるから、すなわちそれは、この場所からの解離を意味する。そして、どれほどの人が俺の精神的な周囲として残ってくれるか、楽しみでもある。

 また独りぼっち。でもそれは、本質的に重要な人だけが俺の周囲に残るということでもある。

 それに、あの人が、(少なくとも)あの頃に感じていたことに近い景色を観ることができる点で有意義だ。ごめんね、偉そうなことを繰り返してはいたけど、あの頃はどうすればいいか、俺自身、まったくわからなかったんだよ。
 さぁ、ここから、俺に何ができるか?、我々に何ができるか?、冷酷に考えていこう。恥をかく準備はできているか?

Vonda Shepard - Alone Again, Naturally
コメント
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